アルヘイムの森1−1
・・・物心付いた頃から、私たちは兄妹の様に育った。
私より三つ年上のラファエルは年下の子供たちの面倒を良く見るリーダーな存在だった。
いつも元気に先頭を走るラファエルに置いていかれない様に必死についていくのが精一杯。
光るような金髪を見失わないように必死に・・・。
十五のときにラファエルの額に小さな飾りが付いているのに気が付いた。
驚いている私に複雑そうに笑った笑顔が忘れられない。
私は結局その飾りを手にすることは無かった。
・・・小さい頃は同じような力を持っていたのに・・・。
シャルーンはぱらぱらと本をめくりながら話を聞いていた。
顔を上げる気配は無い。
「・・・封印は未だ正常に機能しているものの、余りに周囲に妖気を放ちすぎています。
元々地元の者からは『妖魔の森』と敬遠されている地ではありますが、
それにしても此処のところは異常です」
フィシスは戸口を背にで立ち尽くしたまま、少々機械的に説明する。
言葉を発しながら時折視線をシャルーンに向けるものの、彼からの反応は無い。
彼女の正面にあるテーブルには、現在のアイーンを統括しているティセと、久しぶりに姿を見せたシャルーンが着いていた。
シャルーンはようやく本から目を放し、頬杖つく。
「そうだね・・・じゃあとりあえず監視くらいはしたほうがいいかのな・・・で、今は誰がいるんだ?」
ティセもようやく手を止め、考え込むように軽く小首を傾げた。
何ともゆったりした二人の動作にフィシスの頬が動く。
「今動けるのは私とティセ・・・いや、ティセはもうそんな年じゃないわね」
ティセが軽く視線をフィシスに向ける。
「生まれはあんたのほうが上でしょ、フィシス。
全く・・・これだから半妖は・・・」
フィシスは知らん振りといった風に肩を竦め、言葉をつないだ。
「それとリュオンにラファエル・・・ですかね。以上です。
・・・私に行かせてください」
フィシスは一歩足を踏み出し、シャルーンに訴え出る。
シャルーンは本を畳むと顔を上げてにっこりと笑った。
容姿が容姿なだけにこういう表情をするとまるで天使のようだ。
「君は・・・だーめ」
おどけた風に笑いながら答える。
「何で・・・」
明らかに不機嫌な顔でフィシスは口を尖らせた。
「意味が解りません。私はこんな下調べをするためだけに、ここにいるわけじゃありません。
一体いつになったら・・・」
「それでも、だめなものはだめなんだ」
睨み付けるフィシスもまるで相手にしていない。
「・・・まさかとは思いますが、あのバカ親父に何か言われているんじゃありませんか?」
「・・・・」
驚いた風にシャルーンは顔を上げると、ティセも目を丸くしていた。
「ばか・・・ねえ。流石に僕も言えないなあ・・・」
今頃最高位の神様は盛大にくしゃみでもしているであろう。
「リュオンは・・まあ、まだ使える状況じゃないし。君達もね・・・」
「となると・・・ラファエル・・ですかね」
探るようなティセに、シャルーンは笑いながら頷いた。
ラファエルは白い息を吐きながら筵の準備をしている。もうすぐ冬になる。その準備に余念が無い。
「ラファエル、暖かいもん持ってきたよ。一休みしない?」
顔を上げるとコートを羽織ったリザードが畔に立っていた。
先ほどまでシャルーンが座っていた椅子に腰かけ、フィシスは不満げにコーヒーをすする。
「・・・そりゃあ、私は大した力ないかも知れないけどぉ、なーんで行っちゃいけないのよ。
シャルーンもちゃんと説明して欲しいわ」
口をへの字に曲げながら少々乱暴にカップを置く。
毎度毎度の事ながら、フィシスにはアイーンとしての場を未だ与えられていない事に不満を漏らす。
「少し血の気が多すぎるわよ。其々の特性も汲んでいる訳だし。
まあいいじゃない。あなたはこの先がまだあるのだから。・・・多分ね」
「・・・」
それでもぷーっと頬を膨らませたままだ。
「さて、そろそろ彼が来るわね。話しをしてくるわ」
コーヒーのカップを置くと静かに立ち上がった。
「いってらっしゃい」
ずずずっとコーヒーの音を立てながら、フィシスは手を振った。
吹き抜けとなっている広間に行くと、バルに案内されたラファエルが入ってくる所だった。
「お久しぶり。最近見なかったけど、毎日忙しいのかしら」
にこやかに微笑みながらラファエルに椅子を勧める。
「ちゃんと冬支度しておかないとね。全滅したら折角の苦労が水の泡ですから、気を抜けません」
「そうね、ところで畑仕事はあとどの位で一段落するのかしら」
ラファエルは軽く小首を傾げたが、直ぐに納得したのか大きく頷いた。
「・・・。なるほど、呼び出したのはその話ですか。いよいよ俺の出番という事ですね。・・・で、どちらに向かえば宜しいので?」
ティセが軽く指を鳴らすと、二人の間に座標を示す空間が現れた。
「アルヘイムの森・・・知っているかしら」
「・・・ほお。我々とは因縁のある土地ですね。・・・ジュホーンが動きます・・・か」
「まだ封印は生きている。だけど周囲がうるさい、妙にざわついている。気に入らない雰囲気が漂っていのよね。
だけど今行った所で直ぐに片が付くとは思えない・・・。
・・・長期戦になるわね・・・頼めるかしら」
「勿論です」
ラファエルはにっこりと笑った。
作業小屋の扉を開くと、暖炉のそばでリュオンがタバコをふかしていた。
「お帰り。・・・ティセに呼び出されたんだって? ・・・ってことは?」
「まあ、そういうこと。春までには戻れそうもないなあ・・・持久戦らしいや。 悪いけど後は頼むよ」
「そりゃ構わないけどね・・・でもいいの?」
ケトルからコーヒーを注ぎながらリュオンを振り返る。
少しニヤついた表情でリュオンが肩を竦めた。
「・・・・リザード・・・か?」
「だから言ったじゃないか。とっとと結婚しちまえって。それをあんたが踏ん切りつけないから・・・」
「先が見えないのにそんな事言えないだろうが・・・大体お前だって俺と同じ立場じゃないか。判ってくれてると思っていたのに」
悠然と煙を見つめるリュオンの額にも同じ飾りが付いていた。
「まあ、察する事は出来るけど。・・・残念ながら俺には彼女はいないんでね。
・・・でも、忘れられないんだよねえ・・・」
「何が?」
「俺が、自分の封印もらった時のリザード姉さんの顔・・・。こんな力無いほうがよっぽど良いのに・・・。
だけど、姉さんはそうは思っていなかった・・・判るよね」
「・・・」
雪でも降り始めたのだろうか・・・外からの音がいつの間にか届かなくなっていた。
ラファエルはじっと湯気に視線を落とす。
「・・・こればっかりは・・・仕方ない」
作業小屋からそっと離れた人影があった。うっすらと積もった雪の上を小走りに進む。
足跡は真直ぐに村の中央にある建物に向かった。
ティセは冷気を遮るようにカーテンを閉め、ゆっくりと扉に向かった。
扉を開くと、今まさにノックをしようとしているリザードが立っていた。
「あ・・・」
にっこりと出迎える。
「寒いでしょ。どうぞお入りなさい」
冷え切った神殿の中で、此処だけは暖かい空気に満たされている。
ソファーの上には先ほどまでティセが編んでいたのか毛糸の玉が転がっている。
ふと、暖炉の前の人影に視線が止まった。
クッションを抱えた少年が暖炉の前に座り薪をいじくっている。
・・・その顔に見覚えが無かった。
そんなに大きな村ではない。この村の子供は殆ど知っている筈なのに。
少年はまるで興味無いかの様に振り向きもしない。
「丁度美味しいお茶が入った所よ」
用意の言いことに既にテーブルの上には彼女の分のお茶も置いてある。
リザードはゆっくりと席に着いた。
「で、話は何かしら?」
ティセが笑いながら問いかける。どうやら何を思いここに来たのかは十分判っているようだ。
「アルヘイムに・・・行かせてください」
カップから目を離さずにリザードは口を開いた。
何を言っているのか良くわかっている。・・・だから顔を上げられない。
小さな溜息が耳に届く。
「それがあなたの出した答え? 付いていった所で何も出来ない。場合によっては足を引っ張る可能性すら・・・」
「解っています。私がティセ達の様に大きな力を持っていない事も。でも・・・」
「・・・・」
気持ちは判らないでもない。だが。
「いいんじゃないの? 別に・・・」
予想外の声が届き、リザードはその声の出所を振り返った。
クッションを抱えたままの少年がそのままの姿勢で変えずに火を見つめている。
「ジュホーンは強い。今までの奴らとは多分比べ物にならないだろう。
ラファエルが弱いとは言わないよ。だが・・・それなら勝機はどの程度かというと、難しい部分はある。
理由はどうであれ君が多少なりとも戦力になるのであれば、彼の負担は軽減されるだろう。
・・・だが、一緒に行くのであればそれ相当の覚悟は必要だ」
少年は立ち上がって振り返る。
深い緑の瞳がじっとリザードを見上げていた。
「・・・」
リザードは呆然と少年を見つめる。
「いや、しかし彼女は・・・」
割って入るティセに少年はにっこりと微笑む。
「ティセ、彼女だって力が無い訳じゃあない。此処では皆が持ち合わせている。要はその大きさの違いだけ」
少年は胸の前で手を合わせた。その間から小さな光が生まれ、小さな髪飾りが両手の中に現れた。
炎をまとった・・・シャルーンの刻印だ。
それをテーブルの上に置くと、ゆっくりと少年の姿が変わる。
装飾の施された額環からシャルーンの紋章が刻まれた珠が下がり、小さな音を立てる。
それは、今テーブルに置いた飾りと同じものの様だ。
幾重にも重なる薄絹の様な服は、見慣れたアイーンの姿を連想させるが、必ずあるはずの紋章がその服には無かった。
少年は静かに視線をリザードに向けた。
それは、外見と相応しないものを内包していることを彼女に知らしめる。
「覚悟があるなら、それを使いなさい。それには私の力が込められている。君の役に立つだろう。
但し、一つだけ覚えておきなさい。
アイーンとしてかの地に向かう以上、邪神を倒さねば帰ることも死ぬことも出来ない。
目的はただ一つ。ジュホーンを倒すこと。
・・・倒さねば、君自身・・・いや、君達自身が解放されない。
それが、私が子供たちに課した業だからだ。それでも良いと言うのであればな・・・」
「・・・・」
初めて理解した。
噂では聞いたことがある・・・。始まりの柱神が復活した噂を。だが身の回りでその姿を見知った者がいなかった。
当然、ラファエルは知っている筈。だがそんな会話はしたことが無かった。
聞いたところで彼女に関心は無かったと思うが・・・。その位別次元の事と思っていた。
それが、今目の前にいる。しかも年端もいかぬ少年の姿で・・・。
「・・・あなたが・・・シャルーン?」
俄かに信じがたいといった表情だ。
「・・・ぷっ」
ティセが口元を押さえた。リザードの反応がつぼにはまったらしい。
仕方あるまい。
たった一人で絶対的な存在にたてついたシャルーンは此処では凛とした態度をとる青年のイメージが強い。
それが・・・。
シャルーンは軽く視線をそらすと、小さく溜息をついた。