眼下には雲海が広がるのみ。周囲に生き物の気配は無い。
地面に手を付くと、小さく印を切る。
僅かな発光と共に岩にシャルーンの印が刻まれる。
「・・・よし」
軽く頷くと静かにその場から姿を消した。
次の瞬間には街の片隅に姿を現し、何事も無かったかのように人波に紛れていく。
「リザード」
名を呼ばれ振り返った先にラファエルの姿があった。
手に大きなかばんを抱えている。
「お疲れさん。上手くいった?」
笑いながら彼女に紙包みを渡す。
暖かい袋の中から香ばしい匂いがする。
揚げたての菓子を一つつまみ、口に頬張る。
「一応・・・これで何処に地龍が現れても判ると思うけど・・・」
「そりゃ結構。小さい星で助かったよな」
言いながら通りに面したアパートの扉を開いた。
持久戦になるとふんだ二人は街中に居を構え様子を見ることにした。
各地にセンサーを配置し、過去の事例を確認しているが、それでもゆうに一月以上も掛かっている。
壁にはかなり大雑把な出来ではあるが、何とか入手した世界地図が張ってあった。ラファエルがそこにピンを刺す。既にその数は百を優に超えていた。
「確認しうる限りでは、出現する場所に関連性は無さそうだな」
じっと地図を眺めるラファエルの目の前にコーヒーが出される。
「サンキュ。
人の記憶もあまりあてには出来ないが、同箇所に複数は無いし、同時期に数箇所に分散することも無い。」
「ということは自由自在に操っている訳でも無いと?」
「・・・うん。俺も聞いただけだが、昔一人だけ地龍を操るアイーンがいたそうだ。
彼が手を一振りするだけで何体もの地龍が現れ、一斉に邪神に襲い掛かったそうだ」
リザードが軽く小首を傾げる。
「セーラムにもいるって事?」
「いや、それは別の星の話。地龍は本来自浄の力。操る者との意識の合致が必要だ。
そのアイーンは何千年もその地で生きていたらしいからな」
「・・・倒さない限り・・・死ぬことはないからか・・・」
「いや、違う。彼は自らの意思でセーラムを離れたアイーンだ。どの邪神とも同調していない」
「同調しなけりゃ普通に人間なのに・・・どうして?」
ラファエルは軽く肩を竦めた。
「さあね。俺も地龍の話で軽く聞いただけだし・・・詳しくは知らない。
ただ、地龍と邪神がリンクすることはありえない。反目する相手を操るにはジュホーンとはいえ相当の力が必要だろう。
だったら、現れるたびに地龍の核を封印で固めていく。「ふーん」
・・・でも、それはいつまで続ける事なのだろう・・・。
ぼんやりとそんなことを考えた。
「んー今日もいい天気だこと」
朝日が差し込む通りに幾つもの人影が延びている。林檎を齧りながら彼らの行く先を目で追った。
「朝早くから礼拝ですか・・・。また随分と信心深い事で。
地竜に対して何か策を練るわけでも無し。はなから諦めムードで・・・。
それだけ必死に祈るなら・・・」
カチャリ。
半開きの目でラファエルが入って来る。
「・・・おはよ」
言いながらソファーに倒れこんだ。
「相変わらず寝起き悪すぎだね。コーヒー飲む?」
突っ伏したまま頷いている。
「ご近所さんも皆礼拝に行っちゃったよ。私達も行くかい?」
起き上がってカップを受け取る。
「そっかあ。今日は休日か。俺達だけ行かないのも目立つし、顔だけでも出しておくか」
言いながらコーヒーをすする。
「そういえば・・・」
近づく教会の屋根を見上げながらリザードは口を開いた。
無意識にかじかむ手に息をかける。
冬の入りにもなっていないのにこの寒さとは・・・。
「確か兄さんが眠っているって言っていたね、ファウラ。その人はセーラムには来なかったんだ」
「兄って言っても親戚筋の人間でレイティの血を引いていた訳じゃない。普通の人間だよ。
・・・聖王の剣見たことある?」
リザードは首を傾げて謁見したときの様子を思い出した。
「あれがそうかなあ。聖王の部屋にあったやつ? 随分近寄りがたい気配の剣があったけど・・・」
にっこりとラファエルが笑った。
「近寄らなくて正解、あれは気に入らないものは構わず喰らっちまう。俺達アイーンですら手に負えない。
今は聖王しか扱えないが、その前の持ち主がレイティの兄さんだった。」
「へえ、そんな剣を人間が・・・」
何となく奇妙な共感を覚えた。
人が・・・神の戦いに係わっている人間がいたのか・・・。
ミサの開始を知らせる鐘が響く。 反射的にリザードが教会に視線を向けた。
・・・争いをしているのは神。人間じゃない。・・・何の為に? この世界の主権争いか?
本当の目的なんか知らない。
なのに私はその戦いに身をおいている。
私は神なのか? まさか・・・私は人だ。ほんの僅かだが力を持っていただけ・・・。
しかも、その力の殆どは与えられたもの・・・。
何をしているんだろう・・・・。私達は。