SHALONE SAGA

先頭へ 前へ 次へ 末尾へ

リーザの章2




 クロードはひたすらに馬を走らせた。

 長年連れ添っている愛馬は、大柄な彼を乗せても苦でもないかのように悠然と丘を駆け下りる。

(やっぱこうでなくっちゃ・・・)

 頬に当たる風が気持ちいい。灰色の髪がさらさらと揺れる。漆黒の瞳は充実感で輝いていた。

 ウェルズ側左手の森に馬を向かわせる。愛馬の足なら敵の正面に出ることも可能だ。


 陣営を出るときに、何人かの部下が付いてきていたようだが、いつの間にかそれさえも振り切ってしまったらしい。

 気が付けば自分の馬の蹄の音しか聞こえなかった。

「・・・・?」

 さほどの時間もかからずに、クロードは異変に気が付いた。

 本来ならとうに敵に遭遇していい筈だ。この森はそう大きくは無い。方向が外れたとも思えない。

 逃げ出す際のルートは既に予想していたし、下見もしていた。さほどの時間もかからずに森を抜けるはずだった。

 しかし、この森の深さは何だ? 何処までも切れることなく続いているようにすら思える。

「何だ・・・?」

 胸騒ぎを覚え、クロードは馬の足を止めた。ゆっくりと歩き始める。

 耳を澄ましても、人の気配はおろか、蹄の音も聞こえない。

 近くで戦が行われている様な雰囲気がまるで感じられない。


 ザッ・・・。

 突然に視界が開け、クロードは目を細めた。一瞬森を抜けたのかと思ったが、それは違っていた。

 ・・・目前には大きな湖が広がっていた。

(これは・・・この景色・・・)

 この森には湖など無かったはずだ。

(何処だ? ここは・・・まさか・・・)

 似すぎている・・・そう・・・あの夢の景色に。


 ガサリ。

 後方で動く気配がした。過去の記憶が蘇り、一瞬剣に手を伸ばしたが、すぐにその手を離した。

 現れたのは人影だった。クロードが追っていた筈のウェルズの指揮官達だ。

 どうやら彼等も迷い込んできたらしい。きょろきょろと辺りを見回していたが、クロードと目が合うと、その顔に緊張が走る。

「エルメニアの・・・凱王・・・」

 クロードは馬から降りると、ゆっくりと近づく。

「部下を見捨ててさっさと逃げ出すとは、見上げた根性だな」

 既に頭の中からはここが何処かなんてことはすっかり消えうせていた。

 クロードの闇の様な漆黒の瞳が妖しく光った。

「そ・・・そっちこそ単身で追ってくるとはいい度胸だ。貴様の首を取れば、砦を落とした失敗も帳消しになるな」

 クロードを取り囲む様に、三人で遠巻きに剣を構えるが、どうも腰が引けている。

 クロードは不敵に笑うと、地面を蹴った。間を置かずに一人が肩口から大量の血液を迸らせ、地に倒れた。

 残りの二人は呆然とその情景を眺めていた。クロードの動きは彼らの予想を大きく上回っていた。

「う・・・うわぁぁぁ!」

 一人が悲鳴を上げながら逃げ出そうとする。それには構わずに立ち尽くしているもう一人に向かった。



 突然に、背後から襲う異様な殺気が、クロードの全身を襲った。無意識に横に飛びのく。

 先までクロードのいた場所に、何かが猛スピードで通り抜けた。

 ・・・それは、逃げ出そうとしていた二人のウェルズ兵に、猛然と襲い掛かった。

「!」

 身を起こしたクロードは、目の前の光景にわが目を疑った。

 一人は背後から、もう一人は額から、異様なものが伸びている。

 暗緑色の・・・巨大な蔓・・・いや、触角といったほうが正しいのかもしれない。

「あ・・・あれは・・・」

 ズブリ・・・。

 ウェルズ人の頭や背から、真っ赤に染まった先端が引き抜かれる。

 支えを失って抜け殻となった男の体は、崩れるようにその場に倒れた。

 暫くの間、人血の味と臭いを楽しむかのようにゆっくりと中空を漂っていた触角は、

ふと、クロードに向かい、その標準を定めた。



 じわりっと背中を汗がつたう。十五年前の情景が再現されている。

 この先も同様の展開か? 助けが来るのか?

 いや、そんな事に期待しても仕方ない。己の力で何とかこの状況を打開しなければ・・・。

 剣を持つ手に力を込めた。

 突然、触角は一直線にクロードに向かって滑り出した。剣を振りそれを交わす。

 驚いたことに全く傷ついた様子が無い。クロードの剣で攻撃を止めることは出来ないのか?

「くそっ! 何なんだ一体!」


 ザバアアアァァ!


「!」

 素早く水面に視線を移すと、更に何本もの触角が顔を覗かせていた。

 慌てて水際から離れようと走り出したが、触角の素早さはクロードの足より遥かに上だった。

 行く手を遮るかのように目前に現れる触角に、歩を止めるしかなく、

その背後にも間近に迫った触角が待ち構えている。

 ・・・退路は絶たれてしまった。クロードは小さく舌打をした。

《どうする?もう以前の様には逃げられぬぞ》

 頭の中に話しかけるものがいる。反射的に周囲を見回すが、当然の事ながら人のいる気配は無い。

 ・・・ということは・・・。

 ゆっくりと正面の触角を見据える。それに答えるかのようにゆるゆると動いた。

 十五年前の記憶は夢ではなかった。

 あの時も、今この瞬間も紛れも無い現実・・・。

 ・・・待てよ、ということは、彼女も・・・?

 などど呑気なことを考えている間にもゆっくりと怪物との距離は縮められている。

(ともかく、この局面を打開しなくちゃあ)

 十分な間合いを取ったところで、突然触角の一本がクロードに襲い掛かった。

 身を捻りぎりぎりの所でかわす。渾身の気合を込めて、その太い蔓に剣を振りかざす。

 青い液体がほとばしり、その触角は分断された。だが、すぐに次の攻撃が襲ってくる。

「くそっ!」

 再び走り出そうとした足元を、素早い動きの触角が捉えた。

 脚に巻きついた触角を切ろうと剣を振り上げたクロードの動きが止まる。


「・・・・」


 振り向きざまの背中に新たな触角が突き刺さっていた。急速に全身から力が抜けていく。

《クックック・・・これでこの呪縛から解き放たれる》

 地の底から沸上がるような声を薄れてゆく意識の中で、クロードは聞いていた。

 倒れた体に、尚何本もの触角が突き刺さる。体中を何かが這いずり回る音がする。



 ざわざわざわ・・・。

 静かな森の中で、触角の動く音だけが静かに響いていた。その音が、不意に止まる。

 森の中から人影がゆっくりと近づいてきた。

 たなびく髪は鮮やかな緑髪。

 フェニックスのレリーフをまとったその姿は、十五年前にクロードが出会った時のままだ。

《遅かったな、アイーンよ。既にこの体はわしの物》

「・・・」

 アイーンと呼ばれた女性は、何も答えずに、横たわるクロードに向かい小さな印を結んだ。

 途端にクロードを包み込む様に空間が発光する。

《な・・・・に?》

 光に包まれた触角が、ぶすぶすと音を立てて崩れてゆく。

「愚か者が。貴様が人の体を狙っていたの位知っている。私が何もせずにただ過ごしていたと思うたか?」

 不敵そうに笑うと、青白く光る剣を抜いた。

 最初の攻撃から逃れた触角は勢いよく水面に引き込まれる。アイーンはその後を追って湖に飛び込んだ。