アルヘイムの森2−2
炎・・・。
ヴィステラの脳裏に、見たことも無い筈の鳥の姿が浮かぶ。
「・・・あ」
司教とウィリアムが振り返る。
「どうした?」
慌てて首を振る。
・・・服じゃあなかったけど・・・。あの人の髪飾りに確か・・・。
あれは、夢じゃない・・・。
「しかし・・・彼女が・・・その娘?
って、四十年も前の人?とてもそんな年には見えなかったけど。
やっぱり・・・唯の夢かなあ?」
城内は静まり返っているものの、眠っている気配は無い。
父の跡を継ぐであろう兄も、今日は寝ずに祭壇の守をしているはずだ。
ヴィステラはベッドに入ったものの、眠れないため、今日の出来事を整理していた。
不意に遠くから笛の音が耳に届いた。
何気に聞き流していたが、その旋律を聴くうちに、顔色が変わった。
その音に聞き覚えがある。
ベッドから降り、窓に近づく。
窓から見える大木の枝に人の姿が見えた。
「・・・まさか・・・」
しかし、良く見るとその後姿がやけに小さい。あの女性ではないようだ。
しかも、その隣にぼんやりと霞の様な人物も寄り添っている。
《責めることは出来ないと思います。彼女は・・・いや、彼らは人として普通に暮らしている。私達とは違います》
笛を奏でるシャルーンの隣で、光に包まれたシトゥラが話しかける。
「案ずるな、シトゥラよ。・・・・大丈夫だ」
《・・・はい。
シャルーン・・・例の少年が・・・》
「・・・ああ」
シャルーンは笛の音を止めると、夜空を見上げる。
「少年・・・」
「・・・え?」
笛を持った人物がヴィステラに背を向けたまま声をかける。
《少年》というが、声を掛けているシャルーンも、見かけの年齢は殆ど変わらない。
「彼女の心を開いてくれないか?」
シャルーンはゆっくりとヴィステラを振り返った。
「・・・我々ではだめなのだ」
その動きに頭の飾りが揺れる。
(あれは・・・同じ紋章・・・)
二人の姿がゆっくりと消え始める。
「待って、あなた達は」
ヴィステラの問いには答えずに、その姿は完全に闇に消えた。
静かな空間に虫の声だけが微かに答えただけだった。
朝から国中が荘厳な雰囲気に包まれている。
葬儀の行われている大聖堂には多くの市民が訪れ献花を行っている。
昼過ぎにその様子を見に来たヴィステラはぼんやりとその様子を見ていた。
保守的で穏健な父は、正直政治的な腕の評価は高くは無かった。
数年前のカストールとの小競り合いで、ただでさえ小さいこのフェルナスの国土の一部を失ったばかりだ。
革新的なウィリアムと衝突する姿は何度も見ていた。
・・・それでも市民には好かれていた。
日が傾いても献花の列は途切れそうに無い。
(あれは・・・司教の言っていた炎をまとう鳥の紋章だった。まだ少年のようだったけど・・・。
それに、隣にいた人影・・・あれが多分シトゥラ・・・。 じゃあ、あの少年は・・・誰だ?)
何かが自分を大きな流れに引き込もうとしているように思える。
冷静に・・・全てを掌握して整理していかないと・・・。
判っているが、あまりに不可解なことが多すぎる。
『少年・・・彼女を』
頭の中に、いきなり誰かが・・・いや、昨晩の少年の声が響いた。
反射的に顔を上げる。
「・・・え?」
周囲を見回すが、無論その姿があるはずもない。
ヴィステラは手すりから身を乗り出し、大聖堂をくまなく見回した。
・・・妙な気配はしない。
慎重に民衆の上に視線を動かしていると、フードを被った一人の市民に目が留まる。
・・・ヴィステラが気になったのではない。まるで『見ろ』と誘導されたかの様に、その人物の上で視線が留まった。
「・・・・」
ヴィステラは席を立つと、侍従の持っていたコートを取り上げた。
「殿下、どちらへ?」
「大丈夫、直ぐ戻るから」
にっこりと笑うと、早足で大聖堂の裏口に回った。
急いで行けば、大通りで捕まえられる。業者用の通門口を潜り、小道にはいる。
走りながら抜けた小道の出口で、ヴィステラの足が止まった。
先ほど目をつけた人物が大通りから曲がり、こちらに向かってきている。
「・・・・・」
周囲に人影が無いのを確認すると、ヴィステラはコートを脱いだ。
フードの下からその姿を確認したのか、足を止める。
「何だ。あの時の小僧ではないか」
言いながら鬱陶しそうにフードを外した。緑の瞳に真直ぐな緑の髪・・・。
間違いなくあのときに出会った女だった。
しかも彼女はヴィステラの正装姿を見ても驚く風でもない・・・つまり、始めから素性を知っていたということだ。
ヴィステラは大きく息を吐き、呼吸を整えた。
「剣を・・・引取りに来られたのですか」
リザードの眉がひそむ。
警戒しているというより、一瞬ヴィステラの言っている意味が判らなかったようだ。
「ふーん・・・
シトゥラに何を吹き込まれたのかは知らないが、私は己の一族を裏切った者だ。
今更剣を持ち何をしろというのだ? 使いたいのなら貴様にやる、好きにしろ」
「・・・え?
じゃあ・・・何故ここに?」
カーン
大聖堂の鐘の音が沈み始めた太陽に降り注ぐ。
一瞬だけ、僅かにリザードが笑った。
「会ったことはない。だが、彼の声はいつも聞こえていた。 この四十年間途切れることも無く・・・。
《済まない》と・・・。
唯それだけを伝えていた」
リザードの身体から金色の光が生まれる。
呆然と見ている目の前でその姿が変わり、炎の鳥が浮かび上がった。
「それは、とても弱々しい声だったが、ちゃんと聞こえていた。 私はその事を伝えに来ただけだ」
鮮やかな鳥のレリーフが胸元で煌いている。
「・・・済まない?・・・って?」
リザードは無言のまま、その姿を消した。
一体、何が・・・あったのだろう。
薄暗くなりかけた空を仰いだ。