アルヘイムの森2−1
カーン。カーン・・・。
見上げた塔の鐘が鳴り響く。
その音に呼応して遠くの教会の鐘が聞こえてきた。
(あの鐘の意味するところ・・・。今・・・父上がなくなった・・・)
「殿下、殿下。・・・どちらにおられます?」
遠くから人の声が聞こえてくる。
その声から逃げるように少年は走り出した。
草むらから若い男が顔を覗かせる。
「・・・こんな時に。全く何処に折られるのか・・・」
溜息を付きながらその場を立ち去った。
自分を呼ぶ声も、鐘の音すら聞こえない所まで少年は走り続けると、崩れるようにその場に座り込んだ。
涙が溢れ出す。
「う・・・うう・・・」
両足を抱え込み嗚咽する。
「・・・・」
どの位その場に座り込んでいたのだろうか、小さな音が耳に届き、少年が顔を上げた。
・・・最初は鳥のさえずりかと思った。
しかし、それが音階を踏んでいる事に気が付くと、立ち上がりその方向を伺う。
「・・・そういえば、ここは何処だろう。」
改めて周囲を伺う。
いつも散策している森なのに、不思議と見知らぬ景色に思える。
・・・思い違い?
いや、幼少の頃から自分の庭のようにしていた森だ、見知らぬはずが無い。
少年はふらふらと音のする方向に進んでいった。
金木犀が群生している中を抜けると、目の前に大きな湖が広がった。
(こんな場所・・・知らない)
その湖のほとりに人影が見える。長い緑の髪が風に揺れている。・・・どうやら女の様だ。
音色はその女が奏でている笛の音だ。
「・・・何用だ?」
音色が止まり、女から声が発せられる。
少年が立ち止まった。
「ここは人の立ち入る所ではない。まして子供が一人でなど。・・・早々に立ち去れ」
カラン・・・
女が振り向くと、鳥の装飾のついた髪飾りが小さな音を立てた。
その視線は鋭く少年を睨みつける
優しげな笛の音から予想も出来なかった反応だ。
「あ・・・ごめんなさい。・・・気が付いたら、此処に来てしまって・・・。
あの・・・」
何か言いたそうに少年は顔を上げる。
「少し・・・もう少しだけ、その笛を聴かせてもらって・・いいですか?」
「・・・勝手にしろ」
少年は少し距離を置き、その場に座り込んだ。
・・・そういう事か・・・
女の瞳が僅かに光る。
笛の音が静かに水面に響いていく。
「・・・下、殿下」
少年はゆっくりと目を開いた。
顔を上げると世話係りの男が覗き込んでいる。
「いつの間に帰ってらしたのです? 随分探したのですよ」
身を起こすと周囲を見回す。
見慣れた景色。ここは自分の部屋。
いつの間にかベットで寝ていたようだ。
「・・・あれ?」
ついさっきの出来事は・・・夢?
「陛下にご挨拶する機会を逃してしまいました。 後ほど時間を取れるよう調整いたしますので今しばらくお待ちくださいね」
「・・・うん」
男はてきぱきと身支度の準備をする。
「・・・大丈夫ですか?」
心配そうに覗きこむ男ににっこりと笑いかけた。
「ありがとう、シェラフ。僕は大丈夫だよ」
にっこりと男も頷く。
「さあ。今日も忙しくなりますよ。行きましょう」
とはいえ、まだ成人もしていない幼年の王族に今何かをすべき事など何も無かった。
城の者の作業を見つつ、ぼんやりと外を眺めている。
そこに、何人かの集団が通りかかる。
中心の人物が周囲に葬儀の指示を事細かにしながら、出来具合を確認していた。
ふと、その視線が窓辺の少年に向けられる。
取り巻きに軽く手を挙げ下げさせると、少年の方に向かっていった。
「疲れたのか? ヴィステラ」
いきなり肩を叩かれ、少し驚いた風に顔を上げる。
「・・・兄さん」
にっこりと兄が笑う。
「まだ小さいヴィステラにはきついと思うけど、もう少し我慢していてくれ。 落ち着いたら改めて二人で父上をお見送りしよう・・・な」
「兄さん・・・。ありがとう。でも、僕もう12歳になりますから、そんなに子供扱いしなくても大丈夫ですよ」
全てを取り仕切っている兄が大変なのは良くわかっている。ヴィステラは安心させるように笑った。
軽く兄の眉が動く。
「・・・ほう、良く覚えておくよ。今の台詞」
「・・・ウィリアム殿下」
背後からの声で二人の会話は終了した。
振り返るとまだ若い僧侶が一人立っている。
「司教がお呼びです。ヴィステラ殿もご一緒に」
国を挙げての葬儀の直前、今この国で一番慌しい筈の司教からの呼び出しとは。
二人は訳がわからずに顔を見合わせた。
「お忙しいところ申し訳ございません」
司教の部屋に行くと、呼び出した人物が既に待機していた。
「一体何用で? 明日の葬儀に向けての禊の時間では?」
ウィリアムは帽子も取らずに室内に入っていく。その後を半歩送れてヴィステラが続く。
司教は机の上においてある木箱に手をかけた。
「陛下からの預かり物です。陛下自身に何かあった場合、お二人にその役を勤めるようにとの事で」
「・・・・?」
ゆっくりと箱を開ける。
中に収められていたのは一振りの剣だった。先端に薄紫の房の付いた美しい剣だ。
「これは、ファウラ神縁の方が陛下にお預けになられた剣です。
今よりこの剣はお二方の手でお守りし、持ち主が引き取りに戻られるまで大切に管理するようにとの事です」
「どういう事だ? 引き取りに来るとは・・・」
「・・・はい。
殿下はジュホーンをご存知ですか?」
ウィリアムは腕を組み軽く困ったように笑った。
「勿論。司教たちが本気で信じている北に棲むという邪神の事だろう?」
否定混じりのウィリアムの答えに司教は微笑んだだけだった。
「四十年も前の話です。丁度陛下がヴィステラ殿と同じ年の頃の事です。
巷では不可解な殺人事件が横行し、人々は不安な日々を過ごしておりました。
人々を苦しめていたのは異形の者、龍を模したその姿で人々を喰いちぎっていたのです。
ところがある日、私達の不安を払拭する一組の男女が現れました。
彼らは事件の真相を我々の前に露にし、かつその者達を簡単に倒していきました。
・・・ファウラ様の使いであると、当時は騒がれたものです。
ですが、男の方が化物に倒された時より、彼らを見たものは誰もいません。
当時、南の教会で陛下は一人の女性に会いました。
血まみれの姿で現れたその方の前にファウラ様の夫神であるシトゥラが現れたそうです。
女性は何かを告げこの剣を置き、去っていきました。
シトゥラはその場に居合わせた陛下にこの剣を託されました。
《娘が必要とする時が来るまで預かってほしい》・・・と」
ウィリアムは小さく溜息を付いた。
「まあ・・・話は判ったが・・・。その娘とやらは一体どこに・・・。
我々は面識も、名も知らぬ。 これ程の剣だ。それを判断する材料がまた随分と乏しい様に思えるが」
「そうですね。陛下もそこまでは掌握していないようでした。
ただ、彼らは炎をまとう鳥のレリーフが施されている服を着ているそうです。
その後、陛下はその紋章を頼りが調査をさせたそうですが、その様な紋章を持つ国も地方も無いとの事でした」