SHALONE SAGA

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アルディアスの章1−1







 彼はいつも一人だった。

 時折世話をしに来る数人の大人と、夜優しく彼を抱いてくれる母の他に、彼を訪ねるものはいなかった。

 有り余る蔵書を毎日めくり、日々を過ごす。時折窓の外を眺め、その様子を伺う。

 ・・・それだけの日々。物心ついたときからそのような生活だった。

 日の光の下で走り回ることも、同年代の子供と遊ぶ事も彼は望まなかった。

 それは、彼が拒否したわけではなく、初めから知らなかった事なのだ。

 しかし、程なくして彼の元を良く訪れていた母の足が遠のいていった。彼は程なくその理由も判った。

 窓の外から見える世界。そこに小さな子供の姿が見えるようになった。

 母は嬉しそうに彼を抱きしめていた。

「・・・」

 始めて彼は疑問という感情を知った。

 何故あの少年はあそこにいるのだろう。何故、自分はここにいるのだろう。

 何故、自分があそこにいないのだろう。

 その理由を彼は考え始めた。



 眼下の道を過ぎる人々、給仕に訪れる者、彼らを見ているうちにあることに気が付いた。

 多くの本を読み確信した。

 外見上に違いがあるとは思えなかった。

 ただ・・・一つだけ。

 彼は小さな鏡を見つめた。



 彼と同じ髪の色、瞳を持った者が誰もいなかった。

 色素の濃い人種のこの国にあって、彼の髪は深い緑色をしており、同じ緑の瞳をし、肌は白かった。

 たった・・・それだけのこと。

 最初は彼もそう思っていた。だから思い切って母に聞いてみた。

「ねえ、どうして僕は母さんと髪の色が違うの?」

 その質問に母は動揺し、微かに震える手で彼を抱きしめた。

 たった・・・それだけのこと。

 だけど、それが大きな事なのだと彼は感じた。

 彼が寂しくないようにと母はある日子犬を連れてきた。いつも側にいてくれる暖かさがとても嬉しかった。

 この生活がいつまで続くのか、一体何時になったらここから出られるのか、全く判らない。

 しかし、彼はそんなことを考えてはいなかった。ここの生活が彼にとっては世界全てだったから。



 ある日、軽い寒気を覚えて彼は目を覚ました。

 いつもとなりで寝ている犬の姿が見えない。部屋の中を探すがどこにも姿がない。

 ふと、本棚の脇に壁が割れて小さな穴が開いているのに気が付いた。子供がようやく通れるほどのものだ。

 此処に入っていたのだろうか・・・。

 彼は迷いもせずにその穴の中に入っていった。穴の中は以外に広い。少し屈むが立ち上がることも出来る。

 所々床から光が漏れている。どうやら屋根裏の様だ。

 薄暗い光の中を、彼は犬を求めて歩き出した。

 ふと、遠くの明かりの所に、彼の犬が座っていた。

 じっと彼を見つめている。まるで呼んでいるかのように。

「・・・?」

 彼はゆっくりと近づいていった。

 犬は彼の顔を一舐めすると、目線を天井の隙間に移した。

 見ろ。と言っているようだ。

 つられて彼が覗き込む。

 さほど大きくない部屋の中に、三人の男が立っていた。顔に見覚えが無い。知らぬ人物だ。

 彼は顔を近づけ、話を聞き取ろうと屈みこんだ。



「・・・ここに来るまで随分と時間を掛けてしまったが・・・まあ、いいだろう。慎重に喫せねばな。焦りは禁物だ」

 男は含み笑いをしながら口を開いた。

「だが、どのようにして封印を?」

 中央に佇む男はにこやかに笑う。

「我々は近づけない。でも心配するな。封ずる力の弱まった今、人の力で簡単に破る事が出来る。

国境付近が緊張している今、馬鹿な人間どもを誘導するのは簡単だ。そのために此処まで来たんだ。

 さあ、全面戦争を始め、メディウス様の所に・・・」



「・・・・」

 一体何の話だろうか。完全に理解は出来なかったが、危ない話をしていることは判った。

 緑の瞳が軽く震えている。

 「全面・・・戦争・・・?」

 小さな呟きが口から漏れる。

 それは部屋の中に居る者には到底届くはずも無い程の小さな呟きだった。

 しかし、その声に反応するかの様に、中央の男が顔を上げた。

 見下ろす緑の瞳と、見上げた真紅の瞳が一瞬交差する。



「!」

 何かに持ち上げられた様に体が浮き上がった。次の瞬間強烈な力が彼を吹き飛ばした。

 屋根を突き破り、夜の空に放り出される。

 緑の瞳は満点の空を映し出していた。





「・・・やっぱり気のせいじゃないの? 何にもなさそうだけど」

 軽やかな声が口元から流れる。

 豊かな金髪を頭の上で束ね、腕を組み眼下を見下ろす様は、女神とも思える程だが、

その表情は妙に人間くさい。

良く動く緑の瞳が少し呆れ顔で笑っている。

「うーん。確かにこの辺りで奴らの気配がしたように思ったんだけど・・・」

 彼女の隣にもう一人佇む者がいた。

 黒い髪と同じように深い闇のような瞳。

 彼女の明るい雰囲気とは間逆の表情で眼下を眺めた。

 驚くことに彼らの足元には何も無い。街の明かりと彼らの間には何も存在していなかった。

 立ち話でもしているかのような雰囲気で空中に浮かんでいる。

「ちょっと、心配性すぎるんじゃないの? カイ」

 カイと呼ばれた男はばつが悪そうに頭を掻いた。

「そりゃそうだが・・・。メディウスの封印が弱くなっている。いつ奴が表に出てきてもおかしくない状況だ。些細な変化も見過ごすわけにはいかないだろ」

 ふうっと女は溜息をついた。

「そんなに張り詰めたら疲れちゃうよ。もう少しどっしり構えないと」

 いいながらポンッと背中を叩く。

「お前が呑気すぎるんじゃないか? ロシュフォール。今、目の前にメディウスが現れたら・・・。考えてみろ、俺達に策は無いんだぞ」

「・・・そんな事は判っている。けど悩んだって仕方ないじゃん。何とかするしかない」

「随分楽天的だなあ。まあ、今回は何事も無さそうだ。とりあえず戻るか・・・」

「そうね」

 二人の注意がそれた瞬間、猛烈な思念が二人の頭を貫いた。

「!」

 振り向いた先から何かが飛んでくる。

 カイはそれを避けて剣を構えた。

「・・・・」

 額に一筋の汗が流れる。だが、次の攻撃が来ることは無かった。

「・・・何だ。今のは・・・」

 剣を収め、眼下を眺める。

「・・・ねえ、カイ?」

 振り向いた先には、予想外のものがあった。

 ロシュフォールが持っていたものは人の足だった。・・・いや、足ではなく胴体から頭まで揃っている。

「なんだ? こいつが飛んできたのか?」 

 その顔を覗き込む。まだ幼い少年の様だ。

 気を失っているのか意識が無い。

「ここの人間は空を飛べたっけ?」

「・・・何馬鹿なことを。吹き飛ばされたんでしょ。・・・多分奴らに・・・」

 神妙な面持ちで飛んできた方向を見つめる。

 眼下にはこの国の王宮であろうか、立派な屋根が広がっているだけだ。

「ふーん。よく殺されなかったな」

「まあ、私が受け止めなかったら死んでいたでしょうね。・・・って、いつまでか弱い女に持たせるのよ。重い!」

 カイに向かって放り出す。

「おいおい!」

 慌てて受け取る。が、目を覚ます様子はない。

「どうするんだ? これ」

「どうするって・・・、さっきこの子を包んでいた思念は明らかに影のものだった。もし顔を見られていたら戻せないわね。直ぐに殺される。

とりあえず保護しましょう。話も聞いてみたいし」

「そうだなあ・・・」

 カイに抱かれた少年をしげしげと眺める。

「・・・ねえ、カイ。この子見て、ここでは随分と珍しい容姿しているね」

 僅かに白んできた空に、少年の顔が浮かぶ。

「本当だ。緑の髪なんて珍しいな。ここじゃあまり・・・というか、まず見ないけど」

「きっと親が心配しているでしょうね。とりあえず様子を見て、そっと親元に帰しましょう。

 さあ、いつまでもこんな所に居ると私達が見つかっちゃう。行こう」

 二人の姿は霞のように消えていった。

 そこを朝日が照らし出す。

 何事も無かったかのように静かな朝がやってきた。