フォースの章1−3
男の眉が僅かに動き、ゆっくりと瞼が開けられる。
(どこだ・・・ここは)
辺りを見回す。どこかの家らしいが全く見覚えが無い。
ゆっくりと左手を目の前に持ってくる。
掌に僅かな光が現れる。それを複雑な表情でじっと眺めた。
ふうっと溜息をついて手を下ろす。
その手に包帯が触れた。身を起して自分の胸元を見下ろす。
(誰かが・・・手当てを?)
カチャリ。
扉が開いて十七、八位の若い娘が入ってきた。鼻歌交じりに後ろ手で扉をしめる。その手が止まった。
男と目が合ったのだ。
深い緑色の視線がライルを捕らえている。まるで深海の海のような瞳には何の感情も感じられない。
無機質とも思えるような視線が、ライルをじっと眺めている。
「・・・・」
ライルは背筋に何か冷たいものが走る感覚に襲われた。
眠っている時にはただ綺麗な顔立ちとしか思わなかったが、
こうして目を覚ましていると、その美しさがなにやら危険なものに思えてくる。
・・・暖かさというか、まるで人間味が感じられない。
「ここは? 傷の手当ては君がしてくれたのか?」
さしては低くないが、少し冷たさを感じる声が、ライルの耳に響く。
一瞬、それが男の口から発せられたようには思えなかった。人として、普通の台詞すら、この男には似合わない。
気を落ち着かせる様に、ライルは小さく息を吐いた。
「え・・・ええ。草原に倒れていたのよ。一体なんで嵐の晩に外を出歩いていたのよ。自殺行為よ」
視線を合わせぬように。そして意識して大きな声で、ライルは大きく頭を振った。
「何で・・・て?」
その言葉に驚き、呆然と男を見つめる。
一気に警戒心が薄らいだ。
この男は夜の危険性を知らないのか?
桶を持ちながらずかずかと男に近寄ると、男が落としたタオルを拾い水に浸す。
「まだ熱が引いていないでしょ? ともかく状態が落ち着くまで休みなさいよ」
男は大人しくベットに横になる。意外と素直なようだ。
ライルはシーツを整えると、額にタオルを乗せる。
男は何も言わずにじっとライルを見つめている。
それだけで、耳まで真っ赤になりそうだ。
「自己紹介してないわね。私はライル。ここは私の家で、父は医者よ。だから安心して」
「俺は・・・フォース。アイーンのフォースだ・・」
安心したのか、男は呟くように名をいい、瞳を閉じた。
ライルは安堵の笑みを浮かべ、そっと部屋の扉を開けた。
「・・・ありがとう」
小さな声に驚き、ライルは振り返った。
フォースは既に小さな寝息を立てている。心の中はその表情とは別の様だ。
ライルはゆっくりと扉を閉めた。
意識を取り戻してからのフォースは、父も驚くほどの速さで回復をしていった。
若いからだろうと、妻と娘には言ってはいるものの、数日程度で傷口がふさがるなど聞いた事が無い。
父が見ていたもの、それは既に直りかけている傷口だった。
察するに、怪我をした直後は傷口は更に深く、骨まで達していたのではないか・・・。
包帯を巻かれているフォースの表情からは何も感じられない。
「素晴らしい回復力だな」
彼の疑惑を感じ取ってか、フォースはちらりと医師を見ただけで何も言葉を発しなかった。
コンコン。
「あなた。自警団の方がフォースさんに会いたいと見えてますが」
妻がエプロン姿のまま顔を覗かせた。
「ああ、構わんよ。診療はもう済んだ」
妻の案内で、三人程の男が病室に入ってきた。
医師を部屋の外へ出すと、ベット脇の椅子に一人の男が腰をかけた。
どうやら彼が上司らしい。三十代半ばといったところか、やたら我体がいい。
残りの二人もこの男ほどではないが、ひ弱さとはかけ離れた体格をしている。
まあ、自警団ならば当然の事か・・・。
「簡単な調査だ。気を楽にしてくれ。君の身元を確認したい」
腰掛けた男がにこやかに笑いかける。
「フォースという名だそうだが、生まれはどこかい?」
「・・・セーラム」
男は小首を傾げた。
「セーラム? はて、聞き覚えの無い知名だが。随分と遠いところか? どこの国だ?」
「国なんて大層なものは無い、小さな村だ。帰ろうとしてもたどり着ける場所ではない」
まさかそれが遥か空の彼方だとは思いもよらぬだろう。
「旅行者かね?」
「うむ・・・そうだな」
「ここに来たのは旅の途中かな。差し支えなければ何の旅か知りたいのだが」
「あるものを探している」
物?・・・それとも者か? 自警団は人物と判断したようだ。
「一体誰をだね?」
初めて・・・フォースは口元を歪めた。
笑ったのだ。
おそろしく整ったフォースの笑に、自警団達は背筋に冷たいものが走ったような気がした。
何か、触れてはいけなかった事の様だ。自然と問うた事に後悔する。
「それが解れば苦労はしない。場所も、奴の顔すら俺は知らない」
「・・・一体・・・」
職業上詳しく聞かねばならぬ筈だが、それ以上言葉が続かない。
それは、フォースがそれ以上話す気はなさそうな表情をしている為か。
それとも、胸苦しい程の威圧感か。
目の前にいるのは自分達より十才以上も年の離れた青年だ。
体格も自分立ちより遥かに華奢である。ましてや怪我人なのに。
・・・何故?
彼の旅の目的を聞こうとした辺りから、急速に心拍数が上がり始めた。
むろん、フォースは何もせずにじっとベットの上に座っているだけだ。
彼らの本能が警鐘を鳴らしている。
これ以上は立ち入ってはならないとでも言っている様だ。
「ま・・・まあ、それはプライベートの問題だな」
額の汗を拭い、搾り出す様に声を発した。
「では、この村に用事があるわけではないのか」
「ああ」
あっさりと、素直にフォースは答える。
奇妙な安堵感が三人を包む。
「で、いつまでこの村に?」
「安心してくれ。なるべく早くに立ち去るつもりだ」
この村がフォースを歓迎していないのは良く解っている。
フォースは本心からそう言った。
三人は型通りの見舞いの言葉を言うと、立ち去っていった。
それを待ちかねたように、ライルが食事を持ちながらやってくる。
先ほどの緊迫した空気は完全に消えうせていた。
「何だって?」
「別に・・・素性を聞きに来ただけだ」
相変わらず無表情なフォースの言葉に、ライルは肩を竦めた。