SHALONE SAGA
リーザの章1
※こちらは途中で中断しております・・・。ごめんなさい
「はあ、はあ、はあ」
少年は森の中をひたすらに走り続けた。既に自分が何処にいるのか解らなくなっている。
それでもひたすらに逃げていた。一体、何から逃げているのか。
すぐ後方に迫っている荒い息遣い、そして無数の足音。
何匹もの狼が今にも少年に飛びかからんばかりに迫っている。
本来ならば、人と狼の足の速さには歴然とした差があるはずなのだが、時折歩を緩めたり、蛇行したりと、
狼達は楽しむかのように少年を追い詰めているようにも見える。
ひたすらに森の奥に向かって・・・・その先に待ち受けている者に向かって少年は走っていた。
「!」
突然、視界を遮っていた森が開けた。彼の行く手を遮るかのように大きな湖が横たわっている。
「ガルルルル・・・」
慌てて振り向くと、狼が彼を取り囲んでいる。逃げ道は無くなってしまった。
《よう来たな・・・》
頭の中で、低い声が響いた。少年は声の主を探そうと、辺りを見回したが、人影は無い。
《長い間お前を待っていた。ようやくこの長き眠りから解き放たれるぞ。さあ、早く我が手の内へ・・・》
ゆらり・・・
背後の湖面がざわめいたかと思うと、突然に何かが、水中から現れた。
何本もの蔓状の・・・いや触角と言った方が近いだろうか・・・。一本一本の太さがどれも少年の腕程の太さがある。
それは三メートルほど伸び上がった後、一旦停止し、次の瞬間一直線に少年に向かってきた。
何がおきているのか、少年は全く理解出来なかった。
逃げる事も、避ける事も頭に思い浮かばず、ただ呆然と触角が迫ってくるのを見つめていた。
すぐ後に訪れるであろう惨劇に、少年は目を閉じた。
ザッ・・・。
彼の目の前を何かが横切った。
すると触角は少年に届く前に切断され、地面に落ちる。
暫くの後に少年はゆっくりと目を開けた。
目前に、たなびく緑髪の背中が佇んでいた。それは腰元まで伸び優雅に曲線を描く。
右手に握られている細身の剣からは先の触角の体液であろうか、青色の液体がこびりついていた。
その剣を握っている手は思いのほか華奢に見える。・・・どうやら女性のようだ。
先端を切り落とされた触角はなおゆらゆらと湖面に揺らぎ、攻撃の様子をうかがっているかの様だ。
女性は剣を持っていない手を胸元にかざし、何かを呟いた。
すると、手の平から小さな光の球が生まれ、彼女の手の動きにあわせて触角に向かっていく。
途端に切り裂くような絶叫が森中に響き渡る。ぼろぼろと触角は崩れ始め、辛うじて直撃を逃れた数本は、勢いよく湖面に没した。
「・・・」
先ほどまで少年を取り囲んでいた狼たちは、操られていただけなのか、いつの間にかその姿を消していった。
少年は何が起きたのか分からずにただ呆然と立ち尽くしていた。
「・・・ふう」
女性は大きくため息をつき、ゆっくりと振り返り、少年に向かってにこやかに微笑んだ。
緑の髪は緩やかにウェーブを描き、形のよい顔に一筋、二筋とかかる。
大きな緑の瞳は静かに、優しく少年を見つめていた。
子供の感覚からは何ともいえないが、二十歳そこそこの印象を受ける。
その割には年月を重ねた風の落ち着いた雰囲気をかもし出していた。
彼女の衣装は何処かの民族衣装の様に見えるが、全く心当たりがない。
白茶の生地に朱鷺色の縁取りが映える。胸元を飾っている燃えるような鳥のレリーフが目を引く。
彼女は剣を振り、鞘に収めると、かがみこんで少年に顔を近づけた。
甘い、いい香りがする。ほんのりと顔が赤らむ。
「大丈夫? 怪我は無い?」
少し低めのやさしい声をしている。
「え?・・・あ、はい、大丈夫・・・です。でも、今のは?」
にっこりと彼女は微笑んだ。
「怖い思いをさせてしまったわね。もう大丈夫だから・・・今家に帰してあげるね」
彼女は少年の手を取ると、彼の額の前で小さな印を結んだ。途端に意識が薄らぎ始める。
「ちょっとまって、あなたは・・・」
一体誰なのか、聞こうとしたが、最後まで言うことは出来なかった。
薄れ行く意識の中で、その女性は優しげに微笑んでいた。
「・・・様、クロード様!」
自分の名を呼ぶ声で、クロードは目を覚ました。
「全く、戦の最中に、しかも馬上で呑気に居眠りをする指揮官など前代未聞ですぞ」
「あ・・・ああ、すまん」
クロードは軽く欠伸をした。
(久しぶりにあの夢を見たな・・・)
クロード・オストレアン。二十七歳。家は代々の職業軍人の家系。だが身分的には中の下くらいだろうか。
父の代までは中隊長程度のポストを維持するに過ぎない程度の家だった。
だが、並外れた体の大きさと、それに似つかわしくない程の機敏さ。
また、決断の速さと勝負事の運の強さに恵まれ、まだ二十代半ばにてエルメニアの将軍たちの末席名を連ねていた。
好戦的な性格ではあったが、根っから明るく、まさに好漢と呼ぶに相応しい人物だった。
国王に可愛がられ、また庶民の間でも英雄視されていた。
勝利の女神を魅了させる男、人々は好意を持って彼を《凱王》と呼んでいた。
負けを知らぬ常勝の将軍。エルメニアの凱王。
今やこの名を知らぬ者は、ウェルズはおろか世界中に誰一人としていないと思われる。
・・・先の夢は彼がまだ十歳の時の出来事。あの後彼は自宅の前で寝ていたらしい。
(本当の出来事だったのだろうか。それともただの夢?)
何度も再現される夢はいつも寸分変わらない。あの女性の笑顔は十五年経った今も鮮明に覚えている。
年を経るに従って、彼女への憧れはいつしか恋心に変わっていった。
「わが軍が優勢ですなあ。あと2日もあれば投降するでしょう」
隣の参謀が話しかける。
「ふーん」
当のクロードはそれさえ殆ど聞いていない風だ。
実際今回の戦は彼にとって何の面白さも無かった。指揮官としての高みの見物は性に合わない。
本来ならば今すぐにこの丘を駆け下りて腕を振るいたかった。だが、お目付け役の参謀までつけられてはそれも出来ない。
深くため息をつく。それを周囲の兵士が楽しげに見ている。
場の雰囲気を読んでいない参謀だけが上機嫌だった。
「これでクロード様の連勝記録がまた一つ伸びましたね。そうそう、ご存知ですか?
世間ではクロード様のことを凱王と呼んでいるそうですよ」
「・・・なんだい? そりゃあ」
クロードは世間の話題には疎かった。
「評判の的って訳です。慕われてますから」
「ふーん。んなもの何の特にもならないな。俺は単に戦が好きなだけなんだ。
剣を交える、このスリルがたまんないのに・・・。
何で・・・何でだ? こんな所で見ているだけなんて」
クロードは大袈裟に天を仰いだ。
「いつまでも一兵卒みたいなことはしないようにとの陛下の言葉を忘れたんですか?
それでなくとも先月の登用を蹴ったそうじゃありませんか。
クロード様だから何もおっしゃいませんでしたが、
常日頃からクロード様に目をかけておいでなのをきちんと理解してください」
「城勤めだああ? 冗談じゃない。俺は一兵卒で結構」
やれやれと参謀は肩をすくめた。
呑気な会話をしているものの、その眼下においては今なお激しい戦闘が繰り広げられている。
参謀は優勢と見ているがクロードにしてみたら今一納得がいかない。決定打に欠けているのがよく判る。
ふと、状況を見ていたクロードの瞳が妖しく光った。ウェルズの陣営の裏手から幾つかの影が走った。
(おやおや、部下を見捨てて逃げ出す気か?)
無意識にクロードは手綱を引いた。
「どちらへ?」
慌てて参謀が止めようとする。
「決着をつけてくる。こんな所はもう飽きたんだ。帰り支度をして待ってな!」
そう叫ぶと疾風のごとく走り去ってしまった。
参謀はぺろりと髭をなでた。
「やれやれ、噂通りの御方だ。もう戦場は飽きて女の所でも行きたくなったのかな・・・。
全く陛下も物好きな・・・まあ、確かに大物ではありそうだが」
軽くため息を付くと、指揮の代行を始めた。