ロッド・アスフィールドの章17
「寒・・・」
小さな呟きが口元から漏れる。
ロッドはうっすらと目を開けた。
静寂があたりを包んでいる。何者も生きている気配がない。
(・・・・)
既に何かを考える事すら出来ない。本当に寒いのかすら判っていない様だ。
「寒いよ、リュー。俺のローブ返せ・・・」
初めて会った時の事でも思い出しているのだろうか・・・。
横たわったままの体に、何者かが優しくローブを掛ける。
ロッドは少し目を開き、視線だけを持ち上げる。
「お前のローブ持ってきたぞ」
緩やかにウェーブする見事な銀髪の美女が優しく覗き込む。とはいえ、優美だったその姿は大きく変化していた。
大きな純白の翼は半ば程から無残に折れ曲がってしまっている。
勿論、ロッドは気がつく筈もない。
「・・・幻かな。色っぽいリューがいる・・・」
ロッドの身を起すと、ローブを引き寄せて抱え込む。
「どうだ? 少しは暖かくなったか?」
くすくすと、ロッドは笑った。
「リューに胸がある。・・・何か変」
「そんなことは聞いていないだろ。ばか者」
顔を赤らめたリューだが、その表情には気が付いていないようだ。
「・・・なあロッド」
閉じられていた瞳がゆっくりと開く。
「この傷は、もう私が治せる程度ではない」
「・・・うん?」
「だから・・・私の命をお前にやるよ。そうすればお前は生き残ることが出来る」
ロッドは少し頭を動かし、リューを見上げた。
「・・・お前はどうなるんだ・・・」
「妖精は消えるだけだよ。跡形もなくな・・・」
のっそりと、再び妖精の胸に顔をうずめる。
「・・・くだらねえな。リューがいなきゃ・・・おもしろくない」
「・・・」
抱きしめる腕に力がこもる。
「それに、やるべき事はやったから・・・」
「いいのか? ファウラ様を守るだけでお前の人生終わらせてしまって」
くすくすとロッドは笑った。
「みんな同じだよ。この世界で、自分の為だけに生きている奴なんていないさ。ファウラはこれから多く者を守らなくてならない。
お前や、聖王だってそうだろう、みんな何かを守ってる、その為に生きているんじゃないのか?
だから、それが終わって死ねりゃ万々歳だね。若かろうが年寄りだろうが関係ない・・・」
「・・・お前らしいな」
小さな震えがリューに伝わる。どうすることも出来ずに、リューは空を仰いだ。
「リュー・・・」
「・・・何だ」
「・・・ありがと・・・な」
ロッドの顔に涙の雫が落ちる。
「・・・小僧のくせに・・・生意気だ」
閉じられた瞳は開こうとしない。
「お前に言っていなかったな。なあロッド、お前が死んだら私も生きて行けないらしい。
・・・全く、私ほどの者が、こんな馬鹿な人間になど・・・」
ふと、手を見ると、ゆっくりと透いてくのが判る。
「気の遠くなるほどの時間を生きてきたのに・・・なあロッド、楽しかったんだよ。私も」
ゆっくりと空を見上げる。
「すみません、聖王・・・」
澄み渡る夜空に秋虫の声だけが響いていた。
・・・カラン。
聖王の足元で小さな音がなった。
振り向きながらそれを拾い上げる。聖王の口元が微かに笑う。
「ご苦労だったな・・・二人とも」
シトゥラは少々驚きながらその様子を見ていた。
手にしているのはグランビーク。それよりも、聖王の体越しのその剣が視界に入っている。
聖王の体は透けながら周囲ににじみ始めていた。
剣を持ちながら振り向くと、ゆっくりと手を前に差し出す。
その手の中から小さな光が生まれた。やがてそれは彼らの間に人の形を形成し始める。
ゆっくりとその形が瞳を開く。
蒼く、澄んだ瞳がシトゥラを捉える。
《よく此処まで来てくれた。ファウラ・・・そしてシトゥラよ》
ぼんやりとその人型を見上げる。
肩まで伸びる金髪が揺らめくように額で踊っている。もの静かな端正な顔立ちは若干表情に乏しい印象すら与える。
・・・始めてみる顔。だが、誰だかは判っている。
シャルーンは微かに笑った。
《君達が私の話を聞く時には、私はもうここにはいないだろう。
私の身勝手で君達まで巻き添えにしてしまった事を、まず許して欲しい。だが、今となってはもう他に術がない。
既に知っている事と思うが、我々の父である御神はこの世界から脱してしまった。
他の兄弟達も父に従ったが、私はそれを受け入れる事が出来なかった。
この世界には私達の半身が埋もれている。我ら118の兄弟と同じ数、同じ力を持った者達が封されている。
彼らは私達の影。我々のいなくなったこの世界を清算するために、やがて封を破り表に出てくるだろう。
私達が存在する前の状態に戻すために・・・。
私はね、この世界がもし滅びるのであれば、それはそれで致し方ないと思っている。
だが、それはこの世界自身が決する事。私達が決め、ましてや行う事ではない。
・・・既に成長を始めているこの世界を彼らに戻したい。それには我々の力が不可欠なんだ。
君達に強制する事は出来ないが。考えて欲しい》
ゆっくりと、シャルーンの姿が光に戻り始める。
「ま・・・待ってください。私の力は効かぬといわれました。一体どうすれば」
光はゆっくりと聖王の手の中に消えていった。それを消すように小さく手を振る。
「本来、我々と影は一対の存在。私には私の。シャルーンには彼に相応する影がいる。
私達は己に対する者にしか力を使えない。君達が今、影に対して無力なのはその為」
「それでは118もの影を倒すなど到底無理です。力は使えぬ、いつ影が出てくるかも判らない。
・・・私達の時間にも限りかあります」
にっこりと聖王は微笑んだ。
「私は全ての兄弟を見ている。君達の力を兄弟と同質に変換することが出来る。私はまもなく消えるが、心配するな。
時が来れば私の力が使えるようになる。君達はそのときに備えなさい」
「一体・・・どうやって・・・」
「我々だけでは何も出来ない。この世界の者の力を借りるんだ。共に・・・な」
ゆっくりと辺りが暗くなり始めた。まるで、夕暮れになったかのようだ。
聖王はゆっくりと空を見上げる。
「時間のようだな・・・この国まで私と共に消滅させるわけにはいかない。ここはしばし封する。
ソーマを君達に預けよう。役に立つ筈だ。それと・・・」
聖王は手を組むと、小さな印を結ぶ。
それに呼応して、シトゥラとファウラの体が僅かに発光する。
「君達の力も使えるようにしておこう」
光が収まると、 二人の姿は一変していた。
薄布のローブが体を包み、それぞれの胸元には金糸で彩られた紋章がついていた。
シトゥラにはシャルーンの、ファウラにはレイティの印が刻まれている。
聖王は満足そうに頷いた。
《さあ、行きなさい・・・》
突然に、周囲が暗闇に覆われる。
何もない空間。そこに、シトゥラとファウラ、それにソーマの三人だけが存在している。
「では、行きましょうか」
「・・・何処へ?」
「以前、柱神の方々がいらした地が残っております。聖王があなた方の為に準備しておりました。そちらにご案内いたします」
「ああ・・以前母さんに聞いたことがある。確かセーラムと言っていたな」
ソーマが頷く。
「だが、その前に行きたいところがある。案内してくれないか?」
ソーマは判ったように笑うと、無の空間から三人の姿が消えた。
北方のローダンに比べて南にある都は太陽の日差しが強い。
ナガルは目を細めながら天を仰ぎ、小さく溜息を付いた。拘束された腕で額をつたう汗すら拭うことが出来ない。
高い塀で仕切られた広場。周囲の塀の上には何人もの警備の兵士の影が見える。
中央にはナガルと、共に連れてこられた家人達とその一族。
正面の壇上には何人もの役人が並んでいた。
国王付の占星術師が亡くなった事で、相当な怒りを買ってしまった様だ。
勿論ナガルは関係ないといえばそうなのだが、ファウラの親戚でシトゥラを庇ったのであれば仕方ないというところか・・・。
にしても、目の前にあるのはどう見ても処刑台であって・・・。
「こうなるんだったら、もっと早く皆を家に帰しておけばよかったな。済まない、巻き込んでしまって」
「此処に残っているものは代々オーウェン家に仕えるものです。若、お気になさらずに」
一番の年長者である執事が笑いながら答える。
父さんに顔向けできないな・・・。
軽く、ナガルは肩を竦めた。
バサ、バササ・・・。
鳥の羽ばたく音が聞こえてきた。
ナガル越しに皆が顔を上げる。ナガルは足元に落ちた影に目を移した。
その姿は鳥ではなかった。
大きな羽を広げた人の影が、処刑台の柱の上に、まるで彫像の様に立っていた。
「こんなに遠くにいらしたとは。随分探しましたよ。ナガル様」
にこやかにソーマは話しかけた。
「先日は我が主が随分とお世話になりました」
「それは、わざわざ丁寧に恐れ入ります。
丁重にお迎えせねばならぬ所、生憎の諸事情でこのような無礼な姿をお許しください」
つられてナガルも笑う。とはいえ、手綱に罪人の姿ではあるが・・・。
「いえいえ、こちらこそ。こんな所から失礼します」
「くおらぁー!」
悠長な二人の会話に突然の声が割って入る。
ナガルの目の前の空間が歪み、その中から人の姿が現れた。
「ソーマもナガル殿も何を呑気に。この状況がわかっているのか? ソーマ!」
「シトゥラさん!・・・と、ファウラ・・さん?」
以前のように無表情の彼女ではなかった。彼女はにっこりと笑った。
ゆっくりとシトゥラは周囲を見回した。
「まあ・・・どういう経緯でこのような状況になったかは安に予想できるがな・・・」
自分達が原因であるのは安に察する所だ。
「ナガル、実は君に頼みたい事があってここまで押しかけてしまったのだが・・・」
「おい、お前達。今は重要な裁判の最中。部外者は早々に立ち去りなさい」
先ほどまで黙っていた壇上の男が周囲の兵士に指図をする。
ファウラが軽く笑いながら手を上げた。
「・・・」
途端に兵士達の動きが止まる。
「おだまりなさい」
少し冷ややかな視線で壇上の男を見上げる。
軽く肩をすくめたシトゥラは改めてナガルに向き直った。
「私たちはこれから戦いの為の準備をしなくてはいけません。それは、恐らくこの世界の流れを決めるものです。
ですが、今の私たちは余りにも非力。己の力だけでは何も出来ません。
力を貸していただけませんか? 私達についてきて欲しい」
にこやかにナガルは笑う。
「私などでよければいくらでも。しかし、今私と共にこの罪のない家人たちも処刑される所なのです。彼らも一緒でないと」
シトゥラは嬉しそうにナガルの手を取った。
「処刑とはまた物騒な。勿論大歓迎です。私とファウラは皆さんに清浄で豊かな土地を用意いたしましょう。
皆様も宜しいですか?」
このままでは処刑されるだけ。異議などあるはずもない。全員が真剣に頷いた。
「あなたはこの地を守るべきお方ではないのですか? この国を捨てるというのか?」
人々の中からファウラに投げかける声がする。
ゆっくりと彼女は周囲を見渡した。
「それは、母の役目。私ではない。だが、仮にそれが私の役目であっても、私はこの地には残らない。
あなた達は私の家族を殺した。私はそれを消すことは出来ない。
兄さんだったらこういうでしょうね、「そんなの、知ったこっちゃ無い・・・」ってね。
私がやるべきことは残念ながら此処には無い」
少し皮肉っぽく笑うファウラにロッドの影が重なる。
シトォラとソーマが両手で印を切る。
大きな空間の歪みに、その場にいた者全員に酷い耳鳴りが襲った。
気がついた時には既に何もない。
灼熱の太陽に熱せられた風が吹きぬけるだけ・・・。
この世界から柱神の血筋が消え去った。
終