アルディアスの章2−6
「結構遅かったね。って、何で服が違うの?」
店で出迎えたフィラが不思議そうに尋ねる。その目の前に破けてしまった服を差し出す。
「これ、直せない?」
目の前に差し出されたのは派手に破けたシャツ。
「これ・・・を? 随分派手にやっちゃたねえ。まあ・・多少接ぐことになるかな」
「お願い、直さないと俺、殺される」
「・・・」
少しビビッている態度に少々驚きながらもフィラは頷いた。
「おや、無事に戻ったようだね、お疲れさん。ほら、もう店は開いているよ。働いた働いた」
「はーい」
慌てて店の中に入っていった。
季節としては冬に近い時期なのだろうが、南国のこの国では過ごしやすい爽やかな風が吹きぬける季節となった。
リシは傍らにコーヒーを置き、書き物をしていた。
風に乗って人の話し声がしてくる。
普段は気にも留めないが、何気に窓に近づいた。
「・・・いきなり新兵だと? また随分と時期はずれな。何だ、親戚にでも頼まれたのか?」
コネはよくある話だ。まあ、有望なら構わないが・・・。
「いえ、そうじゃありませんよ。物凄い人材ですよ。 まだ若いが、あれはかなりの経験を積んだ人間の眼を持っている。
十人、いや、百人の兵を増強するに匹敵する」
「ほう、ノイル程の男がそこまで褒めるとはな」
何となく興味を覚え、声の主を探すと、階下の中廊下で佇む男が見える。
「風貌もかなり変わっていますけどね。髪も瞳も緑色をしているんですよ。なので、外国の者だと思ったのですが」
ふと、リシの眉が動く。
「それでは入隊するのに手間が掛かるな。素性は?」
「一応調べました。ルパスの証書は持っています。出生も問題なさそうです。
というか、この国の者でした。容姿以外は特に変わった点はありません。尤も、体中物凄い傷跡でしたがね」
「なるほど」
「一度、見ていただけませんか? そうすればあの男の力量がわかるはずです。
今は銀亭っていう街の酒場で働いてますからね。丁度いい、今夜一杯飲みに行きませんか?」
「ふーん、面白そうだが今は無理だな。来週ではどうだ?」
「勿論です。ではまた後ほど連絡させていただきます」
「ふむ。で、その男の名は?」
「バトゥと名乗ってます。英雄の名前なんで思わず笑ってしまいましたがね」
カタン・・・。
リシは窓を閉じ、上着を取ると勢いよく部屋を飛び出した。
「殿下、どちらへ?」
「出かけてくる」
歩きながら手短に答える。
「では直ぐに準備を」
「構わぬ。一人でいい。馬を借りていくぞ」
「はあ? いや、それは」
階下に下りると真直ぐに厩に向かう。
「心配するな、近所に行くだけだ。直ぐ戻る」
馬に跨ると勢い良く走り出した。
門番が慌てて扉を開く。
(全く・・・。)
馬を走らせながら小さく舌打ちをした。
床掃除も随分手馴れてきた。
モップを操りながら鼻歌交じりに掃除をする程の余裕だ。
バンッ!
勢いよく開いた扉にアルディアスの動きが止まる。
「すみませんね。まだ開店まで時間か・・・」
にこやかに笑いながら振り返ったアルディアスの動きが止まった。
入口にはフードを被った男が肩で息をしながら立ち尽くしていた。
「・・・」
不審げに見つめるアルディアスに、リシは小さく舌打ちをすると、フードをはずす。
アルディアスの目が見開いた。
「何をしているんですか! あなたは!」
猛然とダッシュをすると、尚続けようとするリシの口を塞ぐ。
「もが・・・」
「何だい? どうしたバトゥ?」
店の奥から呑気な女将の声がした。
「い・・いえ、何でもないです」
引きずるようにリシを連れ出し、そのまま店裏に連れて行く。
「お前、俺をクビにする気か? やっと見つけた仕事だぞ」
「・・・って、何で働かなくてはいけないんですか。帰ってくれば良いでしょう。
大体無事なら知らせるって約束したでしょう。ずっと待っているんですよ。父や母も。勿論僕だって」
「・・・」
小さく溜息を付くと、積んである箱の上に座り込んだ。
「連絡していないのは謝る。・・・まあ、一度は帰ろうかと思ったんだけど・・・。 やっぱり、あそこは俺の帰る所じゃない気がしたんだ」
「何を・・・」
軽く笑ってリシを見つめる。
「なあ、気が付かないか? リシ、あれから何年経っているんだ?」
言われてようやく気が付いた。
本来ならばアルディアスは三十歳近い筈、なのに、どう見ても自分と殆ど変わらない。
「そういえば、昔と殆ど変わらない。どういう事? 兄さん」
「俺も良く判らない。メディウスから受けた怪我を治すためにセーラムに行ったんだ。
俺はあそこに一年もいなかった。・・・なのに、帰ってきたらもう何年も月日が経っている」
少し自虐的に笑う。
「そんな奴があの城に帰ってどうしろっていうんだ? 殆ど人前に出れない容姿で、ガキのうちにいなくなって。
ようやく戻ったら実年齢とは違うときたもんだ。自分じゃなくても本当に人間かよって思うぜ」
「・・・」
確かに、言われてみればそうかもしれない。
「でも、それでも・・・兄さんには間違いない訳だし・・・」
「こんな狭いところでいい年した若者が何ひそひそ話ししてんだい」
湯気の立つポットを抱えながら、女将が顔を出した。
無造作にリシにカップを持たせると、熱々のコーヒーを注ぐ。
「ひょっとして今の話、聞いてた? 女将さん」
軽く肩を竦める。
「生憎家の壁は薄く出来ていてね。ほら、焼きたてのスコーンもあるよ」
どん、っとアルディアスの隣に置く。
「まあ、始めから何か事情があるとは思っていたけどね」
自分も熱いコーヒーに口を付ける
「・・・え?」
「だって、自分の名前言うのに躊躇する人間なんて何かあるに決まっているだろ。
流石にアルディアス・・・皇子とは思わなかったがね。
噂の皇太子は病弱で寝たきりっていう噂だ。あんたからは想像出来ない」
「何だ。そこまで判ったんだ」
「これでも真面目な国民だよ、一応はね。リシ皇子の顔はすぐに判ったよ」
苦笑いをしながらリシもコーヒーをすする。
「・・・表に出なかったのはその姿のせいかい?」
「そうですよ。尤も八歳でこの国から離れたので、余り記憶はありませんが」
「随分と無茶したみたいだねえ」
「まあ・・・そうですね」
軽くアルディアスは笑った。
リシは何も言わずにコーヒーを見つめている。
「そういえば・・・こんな噂知っているかい?」
女将は笑いながら口を開いた。
「何年か前に、北の魔物に挑んだ若者がいたそうだよ。 彼が山に登って行った後に、あの時の不思議な空が現れたんだって・・・。
その若者が名乗った名が・・・バトゥ。
多分その若者が倒したんだろうって国中で話になってね。
それから暫くの間はその名を名乗るばか者が多かったんだよ」
なるほど。名を名乗るたびに苦笑いに近い表情をしていたのはそのためか。
「・・・親なら、心配しないはずが無い。・・・帰りなさいよ。 どんな姿だって生きてさえいればいいんだ」
「・・・・」
「それに、あんたはまだ皇太子だろう?」
「へ?」
驚いてリシを見ると、うんうんと頷いている。
「自分の思うように生きるんなら、ちゃんとやることはやらないとね」
「どの道今のままじゃ駄目って事かよ。 ・・・そうだなあ、これじゃこそこそ隠れているみたいだし・・・判った。 とりあえず、きっちりけりはつけよう」
ようやく、リシはにっこりと笑った。
城に戻るリシを二人で見送る。
「名前は伏せとくから、いつでも遊びに来ればいい。街にいるときは今まで通りにしていればいいんだから」
「・・・そりゃありがたい」
そろそろ客がやってくる時間だ。
二人は店の中に戻った。