SHALONE SAGA

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アルヘイムの森2 追記1




 城内は慌ただしく往来する人の気配で賑わっている。

 間近に迫っている戴冠の準備に追われているせいもあるが、中庭の補修に訪れている職人の威勢が何よりも大きく響いている。

 ただ一画だけ、皆が極力近づかないようにしている部屋の周囲だけは時間が止まったかのようにひっそりとしている。

 工事の様子を確認していたアッシュは、近くを通った男に気がついた。

「先生」

 初老の男が気が付き、こちらにやってくる。城付きの医師だ。

「どうです? ヴィステラ殿のご様子は」

 困ったように軽く首を振る。

「外傷については・・・また不思議な事ですが、日常生活に支障ないほどに治っています」

「治っている・・・って、骨折していたんじゃあ・・・」

 医師は軽く頷いた。

「ええ、全く理解が出来ません。その部分では心配ないのですが・・・未だ意識が戻りません。

 まるで昏々と眠っているかの様に・・・。異常は一切見られないので、手の施しようがなく・・・」

 ふうっ と、アッシュはため息をついた。

「アッシュ、殿下の方はどうなのだ?」

 顔を上げると、向かいの部屋を見つめた。人気のない城の一画だ。

「うむ、怪我は問題ないだろう。だが、陛下の喪も明けきらぬうちにこのような事になって流石に堪えたらしい。

 どの道修復が終わるまでは何も出来ないしな・・・。 それまでは様子を見ようと思って」

「・・・そうだな」

 傾きかけた日がウィリアムの部屋に差し込んでいる。其処に見える人影は身動きもせずにじっと佇んでいた。



 窓の外に見える小さな人影がせわしなく動き回っている。

 それを目で追ってはいるものの、別段関心があるというわけではない。

 他に視線の持って行き場が無く、ぼんやりと眺めているだけだ。



 キイー


 扉の開く音に続いて、人が入ってくる気配がする。だが、ウィリアムは振り返らない。

「誰も入るなと言っておいた筈だが・・・」

 彼にしては珍しく感情を押し殺したような低い声だ。

 だが、足音は躊躇することなく近づいてくる。

 その行動にいらついたウィリアムが振り向いた途端、目の前に濃紫色の瓶が突き付けられた。

「美味しいワイン見つけたんで持ってきたんだけど。折角だから一緒に飲まない?」

 瓶の向こうで見覚えのあるメッシュの髪が揺れている。

 つられてウィリアムも軽く笑い、少し困った風に溜息をついた。

「無粋じゃないですか? こっちは感傷に浸っているのに」

 にっこりとフィシスが笑う。心なしか部屋の空気が軽くなる感じがした。

「真面目なのはいいけど、ちょっと暗すぎるよねえ・・・」

 ボトルをウィリアムに預けると、グラスを探しに戸棚を物色し始める。

「暗くもなりますよ。・・・こんな状況になってしまって」

「どうして? 私に言わせればものすごく幸運だった様に見えるけど。

 あなた達は誰も失っていないでしょ? ・・・これは奇跡に近いわよ。今までの惨状に比べればね」

 悪気のない言葉とは判るが、軽く胸に突き刺さる。

「ヴィステラがあんな状態でも?

 ・・・本当に情けない話だが、私はあの時傍観することしか出来なった。ヴィステラでさえ必死だったのに・・・

 ・・・いて・・・」

 ワインの栓を抜こうとして思わず手を引っ込める。

 包帯の巻かれている部分にうっすらと血が滲み始める。

「結界は空間の歪みだから、境界に触れることによってその部分の組織が変質しやすいの。

 だからなかなか治らないのよね・・・」

 グラスをテーブルに置くと、ウィリアムの手をとり両手で包み込む。

 うっすらとその手が淡く発光する。

 何だろう。

 不思議な感覚が掌から流れ込んでくる。

「傍観していた訳じゃないでしょう? あんただって何かしようと必死だった。 だからこんなになって・・・

 そんなに自分を卑下する必要なんてないと思うけど・・・」

「・・・・」

 にっこりと笑うと、そのまま包帯を外す。その様子に目を見張った。

「これは・・・すごい」

 傍目には完全に傷が消えている。試しに動かしてみても違和感は全くない。

「本当は壊す方が私の得意分野だから、完全には治せていない。表面を取り繕っただけ。

 だからあまり無理はしないように」

「ああ・・・判った。ありがとう、フィシス」

「あら、 名前覚えていてくれたんだ」

「そりゃあ、当然でしょ」

 改めて栓を抜き、グラスに注ぐ。

「・・・それと・・・」

 濃紫色のワインを楽しそうに見つめながらフィシスが口を開いた。

「ヴィステラなら心配いらない。もうすぐ何事も無かったように目を覚ますわ」

「・・・・」

 予想外の言葉にウィリアムが顔を上げる。フィシスは美味しそうにワインを一気に飲み干した。

「ぷはあっ。美味しい! おかわり」

「いや・・・そうじゃなくて今・・・何て?」

「だから、もう目覚めるって。あんたが気に揉む必要はないってこと」

「・・・本当に?」

「あら、私が嘘ついて何の得があるっていうのよ」

「そりゃあ・・・そうですが」

 にわかに信じがたいといった表情のウィリアムのグラスを、軽くならしてフィシスは再びワインを一気に仰いだ。



 気がつけばしまってあったお気に入りのワインもフィシスに見つかり、何本も開けさせられるはめになってしまった。

 しかし、こんな感じも悪くない。

「ねえ、フィシス。教えていただきたい事があるんですが」

「んー? なあに?」

 既に酔っ払っている。

「あの時、一体何が起きたのです? 弟に・・・ヴィステラの体に。 あれは、弟じゃなかった」

「・・・・」

 少し考え込むようにフィシスが首を傾げた。

「いや・・・話せる範囲で構いません」 

「・・・別に・・隠す事は何もないわよ。心配しないで。

 私達も全てを説明出来ないの。要は判らない部分があるからね。

 でも、姿はどうであれ、あの時の姿も今までの彼。それからこれからもずっとヴィステラという貴方の弟で

 あることは間違いない。・・・それは事実」

「いや・・・しかし・・・」

「ただ、彼がウィリアム達と違っていたのは彼の魂が以前の力と記憶を残していたこと」

「以前・・・って。ラファエル?」

 ゆっくりとフィシスが頷いた。

「前にも話したけど、ラファエルは転生することが許されずにこの世界に停滞していた筈だった。

 どのようにして別人格になることが出来たのか・・・私達にも判らない。

 今まで聞いたことが無いから。

 でも、正直に言うと私達やあのジュホーンにはあの子がラファエルにしか見えてなかった。

 ・・・前に言ったよね。この国にはジュホーンを引き付けるものがあるって。それは、あの子自身だったって事。

 勿論本人にはその自覚はない。

 私も聖王にその点を注意されなかったら、思わず言ってしまうところだった」

 軽く手を振ると、あの時と同じラファエルの姿が浮かび上がる。

 ヴィステラとは似ても似つかない姿。

 この姿に見えていたと・・・? 信じられない。

「多分・・・執念かもしれない。

 残されたリザードを放っておくわけにはいかなかったのでしょう。 だから、ヴィステラの中でその機会を待っていたのかも知れない」

 虚像のラファエルは無言で佇んでいる。

 彼が・・・ヴィステラの中に?

 ゆっくりとワインを口に運ぶ。

「そんなに心配しなくても大丈夫。もうラファエルがヴィステラを支配することは無いはず。

 ジュホーン無き今、彼らの力も失われています。 ラファエルは今、最後の力でヴィステラを治しているんです」

 弟が目を覚まさないのはそのためか・・・。

「ヴィステラの体は普通の人間ですから、アイーンの力の耐性は皆無です。放っておけば確実に死んでいたでしょう。

 ヴィステラを戻したら、ラファエルは消えます。・・・だから大丈夫」

 ・・・消える・・・。

「いいんですか? それで。そういえば彼女・・・リザードも姿を消してしまった。まさか、彼女もいなくなってしまったのではないんですか? そうですよね。

 彼らは貴方にとって大切な人では無いんですか? 消えていくのを黙って見ていて・・・いいんですか?」

 フィシスはゆっくりと笑うとグラスをテーブルに置いた。

「勿論。私達は皆大切な家族だ。家族が消えていくのを良しとするわけがない。

 だけどねウィリアム、これは私達にしか出来ない。そのために私達は存在している。 だから、その運命を受け止める」

 そう・・・だよな。彼らはそれでもヴィステラを守ろうとしているのに・・・。

「・・・済みません。少し・・・酔ったみたいで・・・」

 にっこりと、フィシスは笑った。

「どうもありがとう。その気持ちだけでもうれしいわ。

 ・・・これで、貴方達を長年悩ませていた者はいなくなりました。私達アイーンの役目も終わりです。

 もうこの地を訪れることはないでしょう。

 だけど、一つだけ忘れないでください。

 ここは、私達にとっての故郷の地でもあるんです。大切に守ってくださいね」

 穏やかに話しかけるフィシスの姿がゆっくりとぼやけ始めた。

 慌ててその腕をつかむ。

「・・・え?」

「いや・・・その・・・。

 このまま・・。うん、このままお別れというのも心残りですね。先に約束した食事も用意出来てないし・・・。

 そうですね、たまには遊びに来てください。いつでも大歓迎ですから」

 少し酔い加減の表情で、ウィリアムがにっこりと笑った。

 フィシスは首筋が熱くなるのを感じながらゆっくりと姿を消した。