アルディアスの章2−8
昨日の酒がまだ抜けない。
ハイマンたちが重い頭を抱えながら宿舎から出てくると、既に広場で汗を流している男がいた。
「あれ? バトゥ・・・じゃない。殿下。こんな朝早くから何しているんで?・・・ってか二日酔いしてないんですか?」
アルディアスは起き上がると、ゆっくりと振り返った。
「何だよお前ら、あの程度で二日酔いかあ? だらしない」
「・・・・」
「少し体が鈍っているようなんでね。鍛えなおすことにした。当分ここ借りるよ。 あとハイマン、後で組み手するからな。準備しておけ」
「えー・・・」
愕然とするハイマンの肩を叩き、皆朝食を食べに消えていった。
(家・・・ねえ。)
何だろう、その響きがずっと引っかかる。
ここは自分が生まれた国、家、これから生きていく所。
・・・それは判っている。
なのに何だろう、ロシュフォールを見たとき、心がざわついた。
いや決して、間違っても恋心などではない。
奇妙な安堵感。
彼らや、セーラムの方が安心できるのか?
いや違う。セーラムも自分のいるべき所ではない。それは判る。
(・・・じゃあ何だよ?・・・)
悶々と自問しながら汗をかいている。
「・・・で、何になろうとしているんですか? 兄さんは」
アルディアスが黙々と腕立て伏せをしている側で、リシがしゃがみ込みながら問いかけた。
日々体を鍛えているらしいという噂を聞きつけてやってきたのだ。
「何って・・・鍛えておかないといざって時に動けないだろ」
いざって・・・何。意味が判らない。
「立場上そこまで鍛える必要もないかと思いますが。また、戦いにでもいくつもりですか?」
アルディアスは無言でその場に座り込んだ。
「判らない。メディウスはもういない。だが、妙にざわつくんだ。多分、気のせいとは思うが・・・。
まあ気にするなよ、汗を流すのは嫌いじゃない。ちゃんとやることはやってるから」
「別に業務に差し支えるなんて言ってないでしょう。
ついでにここの部隊のものも鍛えているって話じゃないですか。それはまあ、いいんですけどね・・・」
「じゃあ何なんだ?」
「・・・いえ、別に。」
リシは困ったように小さく溜息をついた。
「・・・そういえば、聞きました? 最近城に幽霊が出るって噂」
「ああ知ってる。本当なら退治してやろうと思って何回か見回りしたんだけどな。生憎俺は遭遇したことが無い」
折角話題を切り替えたのに、アルディアスは興味なさそうに再び腕立て伏せを始める。
「そうですか。じゃあそちらの対処は兄さんに任せておきますね。尤も剣が有効かどうかは疑問ですがね。
知ってます? 何でも物凄い美形だそうですよ」
「所詮幽霊だろうが、アホらし」
全く話に乗ってこないアルディアスに溜息を付き、リシは立ち上がった。
「来週ラナンキュラスに行く事になりました。良かったら兄さんも同行しませんか? それだけ鍛えて頂ければ、鬱陶しい警備兵も必要ないし」
「・・・ああ、構わんよ。俺にとって丁度いい役どころだな」
にっこりとリシは笑う。
「まあ、程々にしておいてください」
外遊に公務と慌しくこなし、暫く振りに街に遊びに出ると、なにやらいつもと雰囲気が違っていた。
妙に賑わっている。
「女将さん」
銀亭を覗くと、慌しく動き回っている姿があった。
「その声はバトゥかい? 久しぶりじゃないか、今日は休み?」
「うん、昨日帰ってきた」
店内の椅子を抱えて女将が出てくる。
「一体何してんの?」
「ああそうか、明日は五年に一度のお祭りだよ。街中が大きな宴会場になるんだ。どこもかしこも飲み放題だ。
ほら、暇なら手伝った」
急き立てられるように椅子を渡される。
なるほど、通りの店も同じ様相だ。子供たちははしゃぎながら飾り付けをしている。
「へへ、じゃあ明日は朝から飲めるの?」
「朝からといわず今日から休まずに宴会だ。あんたも時間あるんならこのまま遊んでいったらどうだい?」
「うん。そうする」
テーブルを用意していると近所の常連もやってくる。
「おう、バトゥ。久しぶり。最近見ないと思ったら、酒の匂いにつられてきたか?」
「まあね」
笑いながら挨拶をする。
まだ日も暮れていない時間から、銀亭の前では酒盛りが始まっていた。
客をもてなしつつもアルディアスも程よく酔っ払っている。
ドンッ!
・・・最初は誰かが酔ってテーブルを倒したのかと思った。
軽く笑いながら振り返ったアルディアスの顔が固まる。
「な・・・なんだあ? 空から降ってきたぞ・・・」
驚いてひっくり返った男が立ち上がり、その落ちてきたものに触れようとした。
「待て! 触るんじゃない!」
アルディアスの怒鳴り声ガ響き、反射的に手を引く。
「・・・」
周囲が静まり返る。その気配に気が付いた女将達が店から出てきた。
「どうしたんだい? 急に声を荒げて・・・」
「むやみに触るな。そいつに食われるぞ」
アルディアスは壁を這っていたトカゲをつまむと、テーブルに近づく。
誰もが興味深々にその様子を伺う。
「・・・何をするんだ?」
何も知らなずにもがいているトカゲをそれに近づけた。
「・・・」
周囲の人間の顔色が変わった。
青白い光がそのものから溢れ出し、見る見るうちにトカゲを包み込む。
ほんの数秒でそのトカゲの形はなくなっていた。
「・・・何で、ここにいるんだ? ・・・グランビーク・・・」
見覚えのある柄に施された繊細な装飾。
半分ほどテーブルに突き刺さった剥き出しの刀身は、アルディアスの姿を映し出していた。
「バトゥ、これは一体?」
「リベティが言っていたんだ。こいつは今でも俺が主だと思っていると・・・。
だが何も用が無いのに来るはずがない。だとしたら理由は唯一つ」
アルディアスは剣を握ると、一気に引き抜いた。
「お・・・おい大丈夫か?」
慌てる周囲を尻目にその刀身の上に手を滑らす。
ほんのりと青白く光ると、その刀身は鷹の装飾に包まれた鞘に包まれた。
それをベルトにしっかりと通す。
「女将さん、テーブルは後で弁償するからね」
「そんな事はどうでもいい。それよりも北の魔物か?」
「いや、そんなはずは無い。確実に仕留めた。ちゃんと確認したんだ。・・・嫌な気がする。家に戻る」
「ああ、気をつけなよ」
アルディアスは軽く笑うと、走り出した。
「ね・・ねえ女将さん。今のは一体・・・」
テーブルを破壊された男がジョッキを持ちながら近づく。
「みんな知っている筈だろ? あの子は最初から言っていたじゃないか。自分の名前はバトゥだって・・・」
ゆっくりと顔を見合わせる。
「あの・・・昔の噂・・・あいつが本物なの?」
周囲の鈍さに半分呆れながら、女将は何事も無かったようにテーブルを片付け始めた。