SHALONE SAGA

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アルヘイムの森2−3




「今日はお疲れ様でした」

 湯気の立つミルクが目の前に差し出される。

 ヴィステラは無言でそれを受け取った。

「・・・ねえ、シェラフ」

「はい?」

 ベッドメイクする手を止めないまま、シェラフが返事をする。

「四十年前までに起きていた化物の事件って知ってる?」

 予想外の質問にシェラフが振り返る。

「知っている・・・って、流石に私はまだ産まれておりませんが・・・。
 
 でも、ヴィステラ様、『起きていた』という過去形ではないですよ。確かに以前のように頻繁に発生していませんが、未だに継続している事件です」

「・・・そうなんだ」

 シェラフは自分のカップを持ってくると、向かいの椅子についた。

「何か気になることでも?」

「うん・・・父上がその頃のことを随分と気にしていたみたいなんだ。どうしてなんだろうと思って」

 シェラフはコーヒーを一口のみ、少し考え込んだ。

「なるほど・・・。

 私が子供の頃、その話を母から聞いたことがあります。

 私の母は非常に信心深くて毎週欠かさずに早朝からミサに向かっていました。

 当然私も一緒に教会に通っておりました。

 いまでも忘れられない出来事があります。

 母というか・・・そこの人々は皆熱心に礼拝を行います。それが幼子心に不思議にうつっていました。

 ですので聞いてみたのです『いつも何をお願いしているの?』と。

 そうしたら母は首を振ったんです。

「お願いをしているのではないよ。許しを請うために来ているんだよ」・・・と」

「許しを・・・?」

 シェラフはゆっくりと頷いた。

「母は見ていました。

 いつもの様に市場で買い物をしていたのに、その日、村の広場に龍のような化物が突然現れたそうです。

 噂でその話は知っていたものの、その場にいた誰もが恐怖で身動きも取れなかった。

 このままでは殺されると思った時に、当時ファウラ様の使いといわれていた男女が現れました。

 信じられない強さでその化物を退治していったそうです。

 ですが、人に襲い掛かろうとした化物を止めようとして、男の方が大怪我をしたそうです。

 それでも残された女性は戦いを止めませんでした。

 母達に救護を頼み、果敢に挑んでいったのです」

「・・・それで?」

 少し間をおいてから、徐に口を開く。

「・・・母達は動けなかったそうです。恐ろしい化物がまだいたこともそうですが、その化物と対等に戦っている方々も母にとっては恐ろしいものに見えたそうです。

 結局、皆の見ている前でその方はなくなりました」

「・・・・」

「呆然とした表情で涙を流す女性を見て、彼女が人間だということに始めて気が付いたそうです。

 恋人同士だったのではないかと母は言っていました。

 大事な人が傷ついているのに、彼女は人を助けるために戦ったのに

・・・自分達は何もせずに見殺しにしてしまったと・・・。

 以来私の村では皆熱心に教会に行きます。 消えてしまったその方にいつもわびているんです」

 

 ・・・多分、同じ・・・。

 父もそのことをいつも思っていたのだろうか・・・。





「止めても無駄よ。もう決定した事だもの」

 少し挑戦的な笑みでリザードが笑う。

 子供の頃から必死に後を追いかけて、自分が適わないと思うと直ぐにすねる。

 気性が激しい割りには簡単に折れてどん底までへこんでしまう。

 正直、面倒くさいと思うことも間々あった。

 でも、常に正直で真直ぐな所は嫌いじゃない。

「ラファエル・・・剣が・・」

 判っている。付け焼刃の力ではこれが限界。だが決して力が無いわけじゃない。

 大丈夫、心配するな。

「直ぐに手当てするから。 ・・・シャルーンでもティセでも連れてくるわよ!」

 うん・・・。でも無理だな。

 悪い、俺がサポートしなくちゃならないのに・・・。

 ・・・すなない。


 ・・・まだ・・・泣 い て い る の か ・・・。





「・・・・」

 ぼんやりとヴィステラは目を開いた。

 窓の外はようやく薄青い色をつけはじめたばかりだ。

「リザード・・・って?」

 軽い耳鳴りがする。

 ヴィステラは服を着替え、部屋を出た。

 向かった先は大聖堂。

 ランタンの火に浮かび上がった祭壇の上に腰掛ける。正面にファウラの姿が照らし出されていた。

「あなたですか? 今の夢」

 像は何の変化も見せない。

「僕に何をさせたいんです? 

 あの人達の心が少しだけ垣間見えました。

 ・・・無理ですよ。あれでは彼女にはラファエルの声しか届きません。

 このままでは彼女はラファエルの死どころか自分自身すら救えないでしょう。

 でも、だからといって僕に何が出来る? 僕は唯の人間です。神の領域などわからない」

 ゆっくりと、入口付近の空間が歪んだ。

 その場に現れたシャルーンは気配も見せずにじっとその様子を伺う。

 ヴィステラは気が付いていない。

「今ジュホーンが現れたらこの国はどうなるのでしょう?

 リザードさんは恐らく戦うと思います。・・・それが、ラファエルとの約束ですから。

 しかし、剣も無く、ラファエルもいない状況で、彼女の力は如何ほどなのでしょうか。

 本人もそれは良く判っているはず。

 勝手な意見で申し訳ありませんが、それでは困るのです。 父が亡くなったばかりのこの国を僕と兄は守らなくてはいけない。
 
 いま、国の情勢を危うくするわけには行かないのです」
 
ヴィステラは大きく溜息をついた。

「・・・とはいえ、今更リザードさんに我々を守ってくれと言えるほど、僕は無神経ではありません」

 ゆっくりとシャルーンの姿が消えた。

「・・・恐らく・・・あの人は真っ向から挑んで玉砕するつもりなのでは?・・・」

 その問いに答える声は何処からも聞こえない。





ボトッ・・・。

 細分化された肉片が幾つも地面に落ちてくる。

 それを目の当たりにしてしまった不運な親子は、呆然とその場に立ち尽くしているだけだ。

 ゆっくりと地龍の鎌首が動き、眼下の親子に標準を定める。

 地龍が動くのと同時に母親はありったけの力で子供を突き飛ばした。

「かあちゃ・・!」

 地面を転がった少年が顔を上げた先には、既に母の姿は上空にある地龍の鎌首の中に捕まっていた。

「だ・・・誰か・・・助けて・・」

 周囲に助けを求めるが、生憎人影が見つからない。

「・・・・」

 なすすべも無く見上げる少年の背後で、不意に人の気配が現れた。

 驚いて振り向く少年の目に映ったのは、サンダル履きにロングスカート姿の女性だった。

「いつまでそうやって人を喰らっている。当に目覚めるだけの力は付けたはずだ」

 リザードは呆然とする少年には目もくれずに進み出た。

「いい加減待つのも飽きたんだよ。出てきたらどうだ」

「ね・・・・ねえ」

 子供がすがるようにリザードの裾を引っ張る。

「母ちゃん・・・助けて・・・まだ生きてる」

 ゆっくりと視線を足元の子供に向ける。が、感情の無い視線に子供が凍りつく。

「・・・私には関係ないことだ。貴様がそんなことを私に言う資格など無いはず。 さあジュホーン・・・答えぬか」

 人を咥えたままの地龍が微かに笑ったように見える。

《フハハハ・・・・。

 相変わらず強気だな。アイーンの女よ。まあ、そうあせるな。 しばしの間、生きている楽しみでも味わっていろ》

「・・・ふん。・・・失せろ」

 リザードが振った手の中から光が現れると、一直線に地龍の首を刎ねる。

 そのまま土塊へと四散し、地面に降り注いだ。