アルディアスの章1−8
袋はカイが封印を施したものだ。その存在を影に気づかれないように。グランビークの気配を抑えるために。
気配だけじゃなかった。結果としてその存在を影の感覚全てから消し去っている。
この男はその封印によりグランビークが判らないのだ。
アルディアスの視線が厳しく潜む。気のせいじゃなかった。
俺は、この男に会っている・・・。
「リシ・・・これは・・・罠だ」
アルディアスの言った意味が理解できなかったのか、不思議そうに振り返った。
同時に広間の扉が開かれる。
「・・・・」
状況を理解したリシが呆然とその場に立ち尽くす。
武装をし、剣を構える兵士達が彼らを幾重にも取り巻いていた。
「・・・どうして・・・」
アルディアスは周囲の様子を伺う。
殆どは普通の人間に思える。だが、その中の何人かは影のはず。
ここにカイ達がいればたやすく見当は付くはずだが、人間であるアルディアスには見当が付かない。
人垣の先で動く姿があった。
軽くアルディアスが笑う。
ああ、あれは、確実だな・・・。
てっきり直ぐに拘束されるものと思ったが、相手は油断しているのか、無防備な姿を彼らの前にさらしていた。
正装の王族がそこにいた。寸分違わないリシが。
「なーるほど。驚くほど僕に似ているな」
くすくすと笑いながらリシの偽者は笑った。
リシはその言葉に顔を上げて睨みつける。
「ラナンキュラスの刺客か? にしても随分と間抜けだな。我が国民を甘く見ているんじゃないのか?」
此処から襲うにはちと距離があるな・・・。どの道化けの皮を剥がさない事には埒があかない。
アルディアスはじっと機会を待つ。
不意にリシがアルディアスの前に立った。
「偽者の訳がない。だったらどうして身を守るものを持たずにここに入れる?私の名はリシ・ドゥルサー・ルパス。
逃げも隠れもしません。だが、この名は譲れない。私にはこの国と民を守る義務があるから」
ちらりとアルディアスはリシに目を落とす。
へえ、あの頃の俺よりは随分ましだな。
こんな時に変な感心をしている。リシは隣に座している母に向き直った。
「何故判らない? 本当に僕が戦争を望んでいると思っているのですか? こんな事をして国を守れると思っているのですか?」
皇后の眉が微かに潜む。恐らく明らかな偽者が訪れるとでも思っていたのだろうが、
思いのほかまっとうなリシの姿に動揺しているようだ。恐らく、これが日ごろの彼の言動なのだろう。
僅かな同様はアルディアスの周囲からも発生している。
なーいす。リシ。
心の中でほくそ笑む。
その気配を感じたのか、リシの偽者は徐に立ち上がると、ゆっくりと近づいてきた。
「きれい事で政は行えない。内部から撹乱でもするつもりか? ばかばかしい。こいつらを捕らえろ」
一瞬、アルディアスの前にいた兵士が、視線を背後の偽者に移した。
その瞬間にアルディアスは大きく前に出る。
兵士の剣を奪い取ると、偽者に飛び掛る。無論、周囲の兵士の反応も早い。
だが、長年カイに鍛えられたアルディアスのスピードが勝る。
獲物に襲い掛かる獣の様に、アルディアスは剣を振りかざした。
「・・・・」
剣は偽者の頭上から一直線に振り下ろされた。
軽くアルディアスの口元が緩む。
何処からか、小さな舌打ちが聞こえた。
「・・・きさま、何と無礼な・・・」
剣を受けとめた腕の向こうで、怒りに満ちた瞳が光る。アルディアスは小さく後ろに下がった。
「その様なものでこの僕が切れるとでも思っているのか」
くすくすっとアルディアスは笑う。
「おう。判っているさそんな事。
大体そんな判りやすい役回りの奴なんざ大した知能もない下っ端って決まってるんだよ。
アホなお前は知らないだろうが、素手で剣を受けられる人間なんていねーよ。ばーか」
偽者は改めて無傷の腕を見下ろし、そしてゆっくりと辺りを見回した。
周囲の兵士達が不安げに後ずさりしている。
ギリ・・・。
悔しげな歯ぎしりの音がする。
「殿下、申し訳ございません。ここは危険です、下がってください」
リシは不意に腕を引かれた。教師の男が守るかのようにリシの前に立つ。
「・・・」
その背後から、じっと中央で発生する緊張感に目をやる。
中央に立つ少年は、深く、大きな溜息をついた。
「・・・」
先程まで騒いでいた自分に瓜二つの少年や、背後に控える皇妃には既に兵士や城のものが周囲を固めている。
彼の周りにはもはや誰もいない。
そして、正面には剣を持ち、薄ら笑いを浮かべるアルディアス。
「全く・・・」
開いた瞳に怪しげな光が灯る。
少年は腰の剣を抜きざまにアルディアスに飛び掛った。
剣の交わる甲高い音が響き渡る。
剣圧に押され、下がったアルディアスはちらりと剣先に目を移す。
大量生産の兵士の剣は、一撃で既に刃こぼれを起していた。
剣を左手に持ち替え、空いた腕をゆっくりと背に回した。
正面から向かってくる剣を直前で交わし、アルディアスは飛び込むように滑り込み、背後に回ると、
小さく何かを唱えた。
背負っていた剣は、自らその封を外し、手の中に納まった。
青白い剣先が光りながら横一線の軌跡を描いた。
「・・・」
少年の顔が不自然に歪む。
「キサマ・・・」
振り向いたその姿は既に人間のそれではなかった。
大きく見開いた瞳、剥き出しの牙・・・。
一歩、足を踏み出した頭上から、アルディアスの剣が振り下ろされる。
声もなくそのものは崩れ始めた。
ゆっくりと体が風化を始め、灰色の砂が舞い始める。
腕で口元を押さえながら、アルディアスは次の攻撃を待ち構える。
「・・・あれは・・・グランビーク・・・何故ここに・・・」
聞こえた呟きは小さなものだったが、リシの耳に届くには十分な大きさだった。
リシの目が大きく開かれる。ゆっくりとその視線が発信元を見上げる。
・・・教師の男の額から一筋、汗が流れていた。
「・・・・」
ようやく、彼は事実を理解した。
砂の煙幕が薄まってくる中、幾つもの荒い息遣いがアルディアスに近づく。
グランビークの光に耐え切れなかった者が襲い掛かるタイミングを見計らっている。
「俺の声が聞けるものは皇后達を守れ!」
アルディアスの叫びに、一斉に幾つもの影達が襲い掛かる。
兵士達は皇后と大臣達の周囲を固めた。
飛び掛る男に躊躇せずに剣を突き立てる。間をおかずに次の攻撃が襲い掛かる。
アルディアスは確実にそれらをねじ伏せていった。
影の残骸が舞う中、切り伏せるアルディアスの体が僅かに変化を始める。
全身が僅かに発光をしていた。
だが、それには誰も、本人さえも気が付いていなかった。
鈍い裂音がようやく静まりかえる。
霧のように舞う影の残骸の中から剣を構えたアルディアスの姿が浮かび上がった。
それは、リシの前に立つ教師の男に向けられていた。
「バトゥ!」
走り出そうとしたリシの足が、突然止まる。
その表情は驚きに覆われていた。
「・・・なるほど。随分手の込んだ茶番という訳か・・・」
リシの背後で声がする。
男は笑いながらアルディアスに話しかけた。
「旨く立ち回りを演じ、信用を得ようとしたか。だが、少々間が抜けているな。正体がばればれだぞ」
一瞬、何を言っているのか判らなかった。
が、一筋額に掛かる髪の色に気がつくと、小さく笑った。
どうやら影の影響下でロシュの技が中和されたらしい。
緑の瞳をうっすらと細める。
「だから?」
半分開き直りの心境だ。
「どう思われようと俺には関係ない。俺の目的は変わらないからな」
「目的?」
「判りきった事を。何故グランビークが此処にあるのか、お前なら良く判るだろう?」
にやりっと笑う。
緑の髪に同じ瞳。雰囲気は随分と変わるが、その言動は以前と全くブレがない。
リシは彼に向かって足を進めようとした。
が、その腕を捕まえる者によって阻まれる。
「一体何を考えているのですか?」
あくまで教師然とした態度を変えない男をリシは強い眼差しで見上げた。
「残念ながら、間が抜けているのは先生では?
グランビークは神の剣。その存在を知っている者など此処にはいないんですよ。
一見してそれが判る者は、人であるはずが無い」