ロッド・アスフィールドの章5
「当たり前だ! どう変わると思ったんだ!」
「ん・・・・」
リューの声に反応してか、少年が身じろいだ。
「お、気が付いたか?」
少年は目を開け、ロッドを見上げた。にっこりとロッドが笑う。
「気分はどうだ?」
「・・・ここは・・」
「ローダン郊外の森だよ。お前は狼の群れに襲われていたんだろ?」
「あ・・・そうだ。狼に追われて・・・足が・・・」
気が付いたように足に目をやる。しかし、その足は全くの無傷だ。
足の先に視線を移し、そのまま驚きで体が膠着した。
淡い光を放つ天使がじっと彼を見つめている。ロッドの腕を掴んでいた手に力が入る。
「・・・何だその反応は」
リューの口が不機嫌そうにとがる。
「誰が貴様を助けたと思っているんだ。このリュー様がわざわざ貴様のような小者を助けてやったというのに。
その態度は何だ!」
「・・・・リュー。その姿をみて驚かない方が異常だよ。少年、この口の悪い天使がお前の傷を治してくれたんだ。
でなきゃ死んでいたぞ。とりあえず感謝しておくんだな」
「ロッド。訂正しろ。美しい天使様と言え」
「・・・馬鹿か・・・」
「え・・・あ、あの・・・ありがとうございます」
恐る恐る会釈をする。少々不満は残るが、リューは腕を組みながら頷いた。
「まあいい、貸しにしておいてやる」
くっくっくとロッドは笑い始めた。
「もう少し言葉を改めたらどうだ? その容姿でにこやかに笑いながら話してたら誰だってお前に傾倒するぞ」
「くだらん。私は人の為に生きているのではない。レイティ様達とは立場が違う」
「ああ、そうかい」
「・・・レイティ様?」
少年がその名前に反応した。リューは思い出したように少年に向き直る。
「そうだ、小僧。お前は何で影の手のものに追われてたんだ?」
「・・・影?」
きょとんとする。まるで心当たりがないらしい。
苛立つリューを呆れ顔でロッドが制する。
「順序だてて話さないと判らんだろ。俺はロッド・アスフィールド。妹を探してローダンに向かっている。
この天使はリュー。訳あって俺を手伝いに来たらしい。害はないから安心しろ。
・・・で、リュー。その姿戻してくれないか。色っぽくて大変結構だが、余りにも目立ちすぎる」
納得するようにリューは腕を組む。色っぽいがちょっと気に入った様だ。
「ふむ。そうだが、戻れないんだ」
「・・・はあ?」
「心配するな。日が昇れば勝手に戻る。で、小僧、お前は? 何故襲われたんだ」
暫くの間、二人を眺めていた少年だが、差し出されたコーヒーを一口すすると、徐に口を開いた。
「僕はナガル・オーウェン。あの狼達の事は良くわかりません。夜中に父に起されて逃げろと言われただけで。
そのすぐ後にあの狼達が襲ってきたんです。そのすぐ後に、父の叫び声が・・・。
襲われている最中にあなた達に助けていただいたようで・・・」
「オーウェン?」
少年の名前にリューが驚きの声を上げた。
「小僧。お前オーウェンと言ったな。ローダンの領主の息子か」
僅かにロッドの眉が動く。
ナガルは軽く笑い首を振った。
「それは随分昔の話ですよ。今は本国から大勢の軍人と役人がやってきて直属の役人が領主をしています。
父もとうの昔に降格され、住まいも変わりました。だから今は領主じゃありません。
僕らを襲ったのは一体何なのでしょうか? 狼に恨みを買う覚えは無いし・・・。
そういえば、・・・さっき影って言ってましたね。あれは只の狼ではないんですか?」
「確かに。一頭を除き只の狼の群れだ。
だがそれを操っていた者がいる・・・そうだな、お前たちの世界で言うところの悪魔・・・ってところかな」
「悪魔・・・って・・・何故?」
身に覚えの無い話にナガルの表情が曇る。
「家が襲われたんだろ、ロッド。恐らくお前の家と同じだ。連中は何らかの理由でオーウェン家を襲っている。
三兄弟全てが殺された、何の為に? レイティ様に関係するはずだ。他に理由がない。 思い当たる節はないのか?
ロッド、ナガル。オーウェン家で残されたのはお前達二人。それとファウラ様だけだ。これは一体どういうことだ?」
リューは鋭い視線をロッドに投げる。それにつられてナガルも振り返った。
「ロッド・・・さん?」
ロッドは腕を組み、眉をしかめたままリューを見つめていた。口を開こうとしない。
「この男の父はグラス・オーウェン。お前も名前位は知っているだろう」
「グラス・・・ええ、父からその名は。ということはロッドさんって・・・」
「まあ、人の世界じゃ親戚筋というところだな」
「知らん。俺はオーウェンなんて名前は聞いたことがない」
その口ぶりは明らかに機嫌が悪い。
「自分の名を捨てたからだろう。お前の父は追われる身だったから」
ロッドの表情が一層険しくなる。
「何だよそれ」
「お前の父親は人を殺めた。だから、逃げるために国を離れたんだ」
「・・・・」
ロッドは黙り込んだ。重苦しい空気が支配する。不意に立ち上がるとそのまま歩き出してしまった。
リューは軽く横目で見送っただけだ。
「それ・・・間違っちゃいないけど、言葉が足りない様な気が・・・」
心配そうにナガルが言う。彼女は珍しく優しげに笑った。
「ああ、知っているよ。それよりナガル、先から気になっていたんだが、何を大事そうに握り締めている?」
「ああ・・・これ」
ナガルの手の中には小さな包みがあった。
「父に渡されたんです。これを持って逃げろと」
包みの中身は小さな珠だった。乳白色の何の変哲もない珠だ。
それを眺めながら、リューは僅かに口元をゆがめた。
「なるほど。レイティ様の切り札か・・・」
「何ですか?」
にっこりと笑うとロッドの方に向かっていく。
「ロッド。そんな所ですねていないでこっちに来い。大事な話がある」
不機嫌そうな顔つきで振り向く。リューは軽く肩を竦めて隣に立つ。
いつもは胸の下辺りにあるリューの頭が、同じ目線で眼下を眺める。
遠くに大きな街の灯が星のように煌いていた。
「別にすねている訳じゃない」
じゃあ何だというのだ。
リューは失笑した。
「・・・お前の父親はどういう人物だったんだ?」
「どうって・・・普通だと・・・だけど、決して間違った事をする人じゃない」
ゆっくりとリューは頷く。
「・・・そうだな。人を殺めたのはある意味では事実だ。だが、お前の父親は間違ってなんかいない。心配するな」
探るような視線に、にっこりと微笑んで返す。
「・・・・リュー。頼むからその姿で近づくな」
「・・・・・・・」
こいつは・・・・。
少し乱暴にロッドの腕を掴むと、道を引き返した。
ナガルの前に座らせ、先ほどの珠を見せた。
「持ってみろ。ロッド」
ロッドの手に移されたそれは静かに発光を始める。
不思議そうに眺めていたが、ふと、何かに気が付くと懐をまさぐり始めた。
もう一つの手に握られたのは、同じように発光している珠だった。
リューは驚きながらそれを眺める。
「ロッド。それはどこで?」
「親父にだった・・・かな。覚えていないけど・・・」
「なるほど。お前の父親は判っていたんだな。だから、お前に剣の扱いを教え込んでいたんだ」
「・・・・相変わらず意味が判んねえな。一人で納得するな」
「ナガル。ローダンには確か教会があるだろう。そこに祭られているレイティ神の事をこの馬鹿者に教えてやれ」
「え・・・ええ」
いきなり話を振られて、ナガルは暫く考え込んだ。どうやらあまり信仰心は深く無い様だ。
どう話したらいいものかと考え込む。暫くして徐に口を開いた。
「このローダンは国境の近くにあるため、古くは要塞として使用されていました。ですので、此処に住んでいるものは殆どが先祖に軍の人間がいます。
勿論今も軍人は多いですが。僕の家は文官したが、父の兄弟は優秀な軍人だったと聞いています」
ちらりっとロッドを見やる。反応はない。
「ですので、この地は古くから戦に関する神が奉られてます。
昔、ローダンが大戦に巻き込まれた時に、剣を携えた女神が降りてきて人々を導いたといわれています。
此処ではその女神が祭られています」
満足げにリューは頷いた。