フォースの章1−4
フォースは草原の中に一人佇んでいる。
あの戦いのあった場所だ。
(あれは、奴の手の者ではないのか? 何故俺の術が効かなかったのか? 臭いは確かに同じなのに)
仲間に殺された人狼の死骸は持ち去ったのか・・・。
今だ青い血痕は残っているものの、僅かな肉片も見当たらない。
フォースは左手で小さな印を作ると、何かの言葉を発した。
掌がぼんやりと光りだしたが、それはすぐに消えた。
ライルがこちらに歩いてくる。
「大丈夫なの? こんな所まで歩いてきて」
さりげなく両手を隠す。
「ああ・・・」
ライルは隣まで来ると、足元を見た。
辺りの野草は未だ回復せずに乱雑に乱れている。
「ここで、奴らに会ったの?」
「奴ら?」
素知らぬ顔で、フォースは尋ねた。
「ごまかさないで。あなたの傷やこの血痕を見れば解るわ。
これは奴ら・・・アウトサイダーの血痕よ」
(アウトサイダー(よそ者)・・・ね)
「ここに住んでいる者なら誰もが知っているわ。そう、小さな子供すらね。あんな嵐の夜は連中がうろつくのよ。
獲物となるべき人間や動物を求めてね。だから誰も外を出歩かない。勿論家の中が安全ってわけではないけど。
この前現れなかったのは、こんな所でフォースを襲っていたからなのね。でも何であんな時間にこんな所に?」
フォースはじっと足元を見つめている。ライルの質問には答えるつもりはないらしい。
「連中につかまった者はどうなるんだ? 餌にでもなるのか?」
感情の無い言葉に一瞬、ライルは戸惑った。
フォースにとって人の命はどれ程の価値があるのだろうか。
「解らない。だって帰ってきた者はいないんですもの。アウトサイダーの事は実は良く解っていないの。
知っているのは連中の血が青い事だけ。その姿を知っているのは賞金稼ぎ位ね」
「賞金稼ぎ?」
「話でしか聞いた事ないけど、アウトサイダー専門に戦う事を商売にする仕事があるらしいわ。
尤も雇い入れるのに法外なお金がかかるから、この村みたいな所にはこないけどね」
フォースの瞳に何かの感情が宿る。
「そのアウトサイダーとやらは何処からくるんだ?」
「さあ・・・でも巣があるんじゃないかって話よ。夜にしか現れないから結構近くにあるかもね」
自分で言っておいてライルはぶるっと身震いした。
寒さのせいではないだろう。
フォースはじっと前方を眺めたままその場に佇んでいる。
その横顔をそっと見つめる。
何を考えているのか、まるで彫刻の様な横顔からは、何の表情も読み取れない。
何か話し掛けようとライルは思ったが、何も思いつかなかった。
フォースが身にまとっている壁は、ライルでさえ少しでも超える事を拒んでいるかのようだ。
多少は和んだと思っていたのは彼女の思い込みだったのか。
一週間経っても、彼の事は何も解ってはいない。
ふと、フォースの顔が歪んだ。不敵そうな・・・心さえも凍るような笑みだ。
「まさか・・・そこを探すつもり?」
フォースは自分のコートを脱ぎ、ライルの肩にかけた。
「もうすぐ日暮れだ。戻ろう」
それだけ言うと、さっさと歩き始めた。
ライルはじっとその後ろ姿を見つめた。
翌日、往診を終え、ライルと父が戻ってくると、家の様相が一変していた。
薪割が終わっている。井戸水もくみ出しも終わっていた。
今日は朝早くからの急患で、何もせずに家を飛び出したのだ。
母が薪を取りに、外に出てきた。
「あらお帰りなさい。ツールさんの具合はどう?」
「うん、大丈夫だけど・・・ねえ、これ母さんがやったの?」
コロコロと母は笑って首を振った。
「まさか、フォースさんよ」
家を出てからほんの一時しかたっていない筈だが・・・。
その間にライルや父の半日分の仕事をこなしてしまった。
ライルは父に荷を預けると、フォースを探しに庭先に出て行った。
「ふーん。あいつがねえ」
煙草に火をつけながら、ぼそっと呟く。
「案外いい青年の様ね。愛想がないから随分と損しているんじゃないかしら」
「・・・」
父は何も言わずに居間の椅子に腰掛ける。手元に熱いお茶が差し出された。
それを飲みながら、娘が馬車の中でしきりにフォースの話をしていたのを思い出した。
フォースは木に両手をついてじっと瞳を閉じている。
(何も答えないのか? 俺の声が・・届かない)
ゆっくりと閉じた瞳には、何故か悲しみの色が宿っている。
溜息と共に手を離した。そのまま、倒れこむかのように幹に額をつける。
ふと、顔をあげ、視線を動かした。数メートル先にライルが立っていた。
「何・・・してるの?」
フォースはもういつもの仏頂面に戻っている。
「別に・・・」
そのまま歩き出し、ライルの傍らを過ぎていった。
何も言わずに見送ったライルだが、その瞳には、先のフォースの顔が焼きついていた。
・・・感情あらわな悲しげな表情を・・・。
「あの子は不思議な子ですね。見た目ほど冷たい子ではないと思うのよ。なにか理由があるのかしらね」
母は茶を一口すすった。
カチャリ。
二人が振り向くと、フォースが扉を開けて入ってきた。
そのまま部屋に行き、自分の服に着替えると、再び扉に向かう。
「何処に行くんだ?」
父がフォースの方を見ずに声をかける。
「世話に・・・なりました」
「治療費も払わずに行く気か?」
フォースは暫く沈黙し、懐から何か小さな物を取り出すと、テーブルの上に置く。
「申し訳ないが、金は・・・無い。今はこれだけしか持っていない」
それは何か彫り物のしてある小さなメダルだった。勿論金貨などではない。
「これでは何の足しにもならない。私は慈善事業をしている訳ではないのだ」
「・・・」
「金がないなら肉体労働でもしてゆけ。この家の男手は私一人だ。これから畑仕事などやる事は沢山ある」
しばらく無言で立ち尽くしていたものの、フォースは大人しくテーブルについた。
横から母がそっと茶を出す。
「別に急ぐ旅でもないだろ。ここでそれなりの身支度をしてから出て行っても構わないだろ」
ず・・・とフォースは茶をすする。
「うーまだ冷え込むねえ」
ライルが両手を擦りながら戻ってくる。
「あら、これ何?」
きらきら光るメダルを見つけて手に取る。
「それはフォースの物だよ。返しなさい」
「いや・・・いい。持っていてくれ。いつか役に立つ時があるかもしれない」
「役に?・・・ふーん。不思議な鳥の彫り物ね。炎をまとっているなんて。何て鳥なの?」
「名前・・・。ここでは何ていうのか知らないが、俺達はフェニックスと呼んでいる。シャルーンの印だ」
「シャルーン? それって、神様の名前?」
「神?・・・神・・か。そうだな」
少し考え込む仕草を見せたフォースに、両親が小首を傾げる。
いつの世でも信仰とは人にとって特別なもの。フォースの反応が少々引っかかる。
「フォース」
横から問い掛けた母の方に顔を向ける。
「私達の知らない神様ね。教えてくれない? どういう神様なの?」
「どういうって・・・。俺もよく判らないが。容姿位は聞いたことがある。金髪碧眼の男の姿らしい」
「判らないって・・・。例えば教義とか、礼拝とかって。ほら、私達も教会に行くでしょ?洗礼は?」
ライルも興味津々に話に加わる。
軽く、フォースは笑った。
「何も。シャルーンは何かをする神ではないから。シャルーンは動かず、見ているだけだ」
そんな神を信仰している人々とは一体・・・。
ライルはじっとフォースの横顔を眺める。
髪も瞳も勿論違う。
しかし、そのシャルーン神とやらがいまこの場にいたとすれば、きっとこんな感じなのかも知れない。