ロッド・アスフィールドの章14
全身の力が抜け、倒れそうになった肩を誰かの手が支えた。
ナガルは頭を振りながら目を開く。
その目に映ったのは自宅の居間だった。
「・・・大丈夫か?」
心配そうにシトゥラが覗き込む。
少し青ざめた顔で小さく頷いた。
「余りゆっくりも出来なさそうだ。いずれはこの家にも先の兵士が来るだろう。
ナガル、申し訳ないが、私たちをグランビークの所へ」
壁に掛かるランプを外し、庭に面した扉を開く。シトゥラ達も後に続く。
離れにある小さな御堂の祭壇から、大きな包みを大事そうに取り出した。
「大体察しが付いていると思いますが、レイティさんは私の国の者により自我を封されてしまいました。
今現在どのような状態なのかは判りません。元気でやっているのかどうか・・・。本当に申し訳ございません」
「何故、ナガルが謝るんですか」
軽く笑いながら包みを解く。封印の施された剣が姿を現した。
「私も・・・、この国の人間ですから」
ナガルから剣を受け取る。
「本当は誰の手にも触れぬように封しろと言われていたのですが・・・」
微細な装飾をじっと眺める。封印には何かの言葉が刻まれている、それをソーマに差し出す。
ソーマが軽く印を切ると、溶け込むように封印が消えた。
「抜くのは危険です。私は見たんです。目の前で、人間と・・・天使のルーが消える所を」
「・・・・」
「そうですか、ルーがね・・・」
少し意味深げにソーマが呟く。
シトゥラは剣を眺めながら小さく口元を動かす。そして、一気に剣を抜き放った。
「・・・」
次に起こるであろう状況にナガルが身を竦める。
・・・が、何も始まらない。シトゥラは悠然とした表情で怪しく輝く刀身を眺める。
「大丈夫なんですか」
剣から目を離さずにシトゥラは頷いた。
「今の主はロッドだが、他の者に耳を貸さない訳ではない。それに、私の体には人の血は流れていないし」
小さく頷くと、剣を鞘に収めた。
「このまま預かります。持ち主の元に届けねばならないですから。この剣はまだ納得していないらしい」
「しかし、先も言ったように何処にいるのか・・・」
「問題ありません。今、グランビークが教えてくれました。アルヘイムの森にいると・・・」
その名にナガルの表情が曇る。
「ご存知で?」
「聞いたことはあります。辺境の樹海の事です。怪かしが棲むと言われ、迷い込んだら帰ってくることは出来ません。
ですから、人は滅多に近づかないと・・・」
「なるほど、人目を避けるには恰好だったということか・・・」
言いながら剣を腰に収める。
一瞬、何かに気が付いたのか、緑の瞳が揺らめく。
「どうやら追っ手が来たみたいだな。私達は姿を見せない方が良さそうだ。ナガル、君はどうする?」
「私はここにいます。家の者を守らないと。大丈夫ですよ」
「そうか、気をつけてください」
シトゥラとソーマは人目を避けるようにそっと外に出ると、直ぐに闇の中に溶け込んでいく。
暫くの間じっとしていたナガルは、静かに母屋に戻った。ゆっくりと家の中を確認する。
人の気配は無さそうだ。
家人は恐らく地下に隠れているだろう。ゆっくりと地下に降り、扉を開く。
その目の前に銀色に光るものがあった。
「お待ちしておりましたよ。オーウェン。よくまああの惨状から逃げ出せたものだ。家人を傷つけたくないのであれば、暴れないように願います」
部屋の奥を見ると、既に拘束されている見慣れた顔。
「そりゃ丁寧にどうも。 わざわざご苦労な事で・・・・」
大人しく降参した方がよさそうだ。
対岸が霞ほどの大きな湖が広がっている。
水面の上には涼やかな風が通り過ぎるものの、波立つ気配が全く無い。
辺りの森は小動物の声で賑わっているのに、この湖だけはまるで鏡で出来たかのように静まり返っている。
その底に古の者を封じ込めている為、生物の気配すら無い眠る湖。
人がが決して近寄る事の無い場所。
その湖のほとりで小さな人影が寝転がっていた。傍らには集めた小枝が積まれていた。
居眠りをしていたのか、徐に瞼を開く。
少し憂鬱げな紅い瞳が空を見つめる。
「近づいてくる・・・」
知らぬ気配。だが、何者かは良く判っている。
勢い良く立ち上がると、リューは走り出した。何故かその表情は曇ったままだ。
・・・私は・・・。
湖のほとりに小さな家影が見える。ロッドは家の前で椅子の手直しをしていた。
すぐ側でリスが餌をもらったのか、しきりに地面を探っている。
ふと、その歩みを止め、じっとその様子を伺う。
「・・・・」
人目を避け、生活してきた日々がまもなく終わろうとしている。
(人にしてみたら長い間だったかもしれないな・・・。
もうすぐファウラ様はこの地を去るだろう。それは始めから判っていた事。
私は聖王の元に戻り、以前と同じ時間を過ごす・・・。)
彼女自身が長い間待ち望んでいた事だ。
(だけど、この人はどうするんだろう? 家族も、国も失いたった一人、追われる身で・・・)
小さな足音と共に近づいてゆく。
その音に気がつき、ロッドが振り返る。
「どうした?」
にっこりと笑う。
「・・・あのさ・・・。そろそろ居場所を移動しないか? あまり一箇所に長居するのもどうかと思って・・・」
「うーん。それもそうだなあ・・。あと2週間もすれば雨季も終わるから、そうしたら移動しよう」
大きく被りを振る。
「いや、だめだ。今すぐにしよう。そうしないと・・・」
ロッドは立ち上がり、木屑を払い落としながら近づき、リューの前にしゃがみこむ。
「お前らしくないなあ。何かあったのか?」
見上げた顔は、何の心配も無いかの様に笑っている。
リューは悔しそうに顔を伏せた。
(・・・何を言っているんだ・・・私は・・・。どのみち、もう・・・遅いのに)
カサリ。
葉の擦れ合う音に、ロッドは顔を上げた。
木々の間に人の姿があった。森に溶け込んでしまうかと思えるような穏やかな気配。
彼は軽く笑みを浮かべながら小さく頭を下げた。
「・・・・」
ロッドは立ち上がると、リューの頭に手を置き、にっこりと笑う。
ゆっくりとシトゥラが近づいてくる。
(この人が・・・あの、シャルーンの息子・・・)
傍目には何処から見ても穏やかな青年にしか見えない。が、その気配は聖王に劣らぬ程の力の大きさを感じる。
リューは一歩後ろに下がり頭を下げた。
「あなたが、ロッド・アスフィールドさんで?」
ロッドはにっこりと頷いた。
「本来ならば万全を期してお迎えしたかったのですが、諸事情ゆえにこのような場所に居を構えることとなってしまいました。
わざわざお越し頂きありがとうございます」
「話はナガルから聞いています。我々の力ゆえに色々大変な思いをさせてしまったようで」
ゆったりとした穏やかな口調。
ロッドは心の中で安堵の溜息を付いた。
「ファウラは中に居ります。ただ、今の彼女の状態は、我々の判別も出来ない程で・・・」
言いながら開かれた小屋の窓に目を移す。
「その事については問題ありません。大丈夫です。ただ、一つ気掛りな事があります。私は両親の命により彼女を迎えに来ました。
それは、彼女がこの地を離れなければならないという事になります・・・。それを、承知頂けますか?」
「俺も、父の指示や聖王の命に従ったまでの事。始めからそのつもりです」
「・・・」
深々と頭を下げ、家に向かっていく。
リューは黙ってその後ろ姿を見送った