SHALONE SAGA

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アルディアスの章1−9







 ゆっくりと、教師は笑った。

 今まで見たことも無い位の暗い瞳の色。

「だったら死ね」

 腰に隠していた短剣を引き抜き様にリシの首元を狙う。

「!」


 カラン。


 その剣先は目的を果たすことなく地に落ちた。

 いや、落ちたのは剣だけではなかった。それを握っていた腕ごと横たわっている。

 教師だった男は、顔色を変えることもなく、その腕を見下ろした。

「・・・」

 アルディアスの頬が軽く動く。彼は動いていなかった。



 《雑魚相手に油断するな。》



 頭の中で冷静なカイの声が響く。

「だったら、姿を見せて手伝ったらどうだ」

 思わず悪態が口をつく。

《無理だな。奴を見ろ、どの道俺の剣では奴を倒せん》

 男はカイに切り落とされた腕をゆっくりと持ち上げ、軽く振り下ろす。

 切り口が奇妙に盛り上がると、次の瞬間、新しい腕が生えてきた。

「また、随分都合のいい体をしてんな・・・」

 アルディアスの口から呆れにも似た呟きが漏れる。

「なるほど・・・思い出したぞ。

 確かあれは八年程前だったか・・・あの時、僅かに柱神の気配を感じていた。

 たまたまその間に割って入ったガキがいたなあ。

 あの時と同じ感覚だ。

 あのガキ。とうの昔に野犬の餌にでもなったのかと思ったら・・・そうか、貴様だったのか・・・」

 くっくっく、と男は笑った。

「生きていたんだな。アルディアス」

 怪しい光を放つ男の瞳が悔しげにアルディアスを見上げる。

 その目前には既にグランビークの閃光が迫っていた。



「アルディアス・・・って・・・。それって・・・」

 リシは不明瞭な視界の中、その名を呼ばれた人物を探す。

 ようやく確認出来た人影は既に剣を収め、出口に向かい歩き始めていた。

「待ちなさい!」

 背後から掛けられた声に、リシは足を止めた。

 上座の兵士達の人垣が割れ、中年の女性が下りてくる。

「・・・アルディアス・・・」

 足を止めたアルディアスにゆっくりと近づく。

「こんなに大きくなって」

 目を潤ませながら歩み寄る母に、アルディアスは小さく溜息を付いた。

「別に、帰ってきた訳じゃない。たまたま此処に影の気配があったから始末しに来ただけだ」

「何を他人行儀に・・・ここはお前の家で」

「知らんね。こんな豪勢な広間も大きな中庭も。俺が知っているのは薄暗い塔の一室だけだ。

 此処にだって、リシに案内してもらわなければ辿り着けなかった。

 ・・・それが俺の家だって?無理だね」

 少し皮肉げに笑いながら、アルディアスは広間の扉を開いた。

 呆然と、母は立ち尽くすしかなかった。

 余りの豹変ぶりに理解できていないようだ・・・。



 リシは慌てて後を追い、中庭に飛び出した。

 外城に続く扉に向かうアルディアスの姿が見える。

 外門の近くにいくつかの人影があった。

「バトゥ!・・・じゃなくて兄上!」

 徐にアルディアスの足が止まる。

「・・・気持ち悪いからその呼び方止めてくれ・・・」

 明らかにばつが悪そうにしている表情をみて思わず笑いそうになる。元通りのアルディアスだ。

「弟でありながら、正直兄さんの身に何が起こったのか僕は知らない。

 だけど、これからバトゥが何をしようとしているのかは判っているし、それが、非常に困難な事も推測出来る。

 帰ってくるか否かはバトゥの判断に任せます。だけどこれだけは約束してください。

 全てが終わったときにはどんな形でもいいですから、無事の連絡を下さい。僕、待ってますから」

「・・・・」

 アルディアスは目を細めて話を聞いていた。

 やがて、ゆっくりと手を頭まで上げて軽く振った。

 ゆっくりとその姿が揺らぎ始め、背後にいた人物と共に周囲の景色に溶け込んでいった。

「・・・・」

 リシは、息をゆっくりと整え、元来た道を戻り始めた。



 暫くの間、険悪になってしまった隣国との調停にリシは奔走していた。

 病床の国王に代り、他国まで足を運ぶ日々。そのせいか驚くほどの速さで月日が過ぎていく。

 ・・・アルディアスからの連絡は未だ来ない。

 気にならないというわけではないが、それよりもまず自分がやらなくてはいけないことを先決させていた。



 幾度かの季節が過ぎた陽気の良い夕刻、中庭の回廊を歩くリシが自分に降り注ぐ影に気がつき足を止めた。

 見上げると、城の塔に夕日がかかり、その長い影が城を横切っている。

「まあ、心配するほど線の細い人間ではないと思うけど・・・」

 視線を戻し、歩き出した瞬間軽い耳鳴りを覚えた。

 中庭に出て空を見上げる。

 僅かに点在している雲が紅く染まっている。

「・・・」

 ぼんやりと雲を眺めていると、いつの間にか耳鳴りはやんでいた。

「何だろう・・」

 異様なほどの静寂が辺りを包む。


「!」

 突然、耳を塞ぎたくなるほどの強烈な圧迫感が襲う。

 顔をしかめながら見上げる空が、奇妙に歪んだように見えそのまま南方に走っていった。

 一瞬の出来事だった。

 軽く頭を振りながら元に戻った空を見つめていたが、何かに気がつき慌てて城内に戻る。

「母上」

 向かったのは両親の部屋だった。

 リシ同様二人とも窓辺から空を見上げていた。

「ああ、リシ。今のは一体・・・」

「空気の波が北から南に抜けていきました。恐らく、メディウスではないかと・・・」

 歩きながら二人に近づく。

「封印が解かれたということか・・・それとも断末魔か・・・」

 ルパスの国王は顎に手をかけ、じっと考え込む。

「北方の師団に調査するよう指示を。戦闘が行われているようであれば、被害の及ばぬ所で監視を。

 その気配が無いようであれば周囲の確認を。怪我人があれば直ぐに収容」

「わかりました。出来れば僕も現場に向かいたいのですが」

「それは許可出来ぬ。兵士に任せなさい」

「ですが、あそこにはバトゥ・・いや、兄が」

 国王はゆっくり振り向いた。

「判っている、リシ。だが、大事な息子を二人も危険な場所には送れぬ」

「・・・」

 リシはゆっくりとお辞儀をし、退室した。

 扉を閉め、天井を見上げる。

「・・・大丈夫・・。ちゃんと戻ってくる」

 自分に言い聞かせるように呟き、歩き出した。