SHALONE SAGA

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ロッド・アスフィールドの章4




 大きな運河と広大な盆地に広がる街並みに、ロッドは目を丸くした。

 赤茶色の屋根が運河沿いに並び、終わりが遠すぎて見えない。

 対岸の丘の上には城とも言えそうな程の立派な屋敷が街を見下ろしている。

「うっひょー。でっかい街だな」

「ふん・・・田舎者が」

 対岸の屋敷を指差す。

「あれが領主の家か? あそこにファウラがいるのか?」

「恐らく・・・な。さて、どうして接触するかだ。怪しい気配が蔓延しているぞ。欲にまみれた薄汚い亡者共がたむろしている。簡単には入れまい」

 その時、一陣の風が丘の上の二人の頬をなでた。

「・・・?」

 ロッドは何かに気が付き周囲を伺った。

「リュー。・・・血の匂いだ」

「ああ・・そして、獣の匂い」

 一瞬目を合わせた二人は、次の瞬間走り出した。

 周囲は森、他のものの姿は見えない。

 先を走るリューの目前に、突如牙をむき出した獣が襲い掛かる。

 それを避けようと身を屈めた頭上にロッドが飛び出すと、剣を抜きざまに切りつける。

 鮮やかな動作にリューの口元が緩む。

「あまり血の匂いを撒き散らすな。目標が判らなくなる」

「るっさい! 助けてやったんだろうが!」

 言い合いしながらも進みは止めない。獣の匂いが一段と強さを増す。

 森の途切れた先には、三十頭ほどの狼の群れがあった。ロッドの瞳が細まる。

「ふむ。どうやら間に合ったようだな」

 剣を握りなおすと、群れの中心に向かって走り出す。

 何匹かの狼がロッドに襲い掛かる。すばやい野生の動きに負けない動作で、ロッドの剣が獲物を捕らえる。

「ほう・・・」

 リューは腕を組み軽くため息を漏らした。

「なるほどな。頭は少し足りないようだが、なかなか見事な動きだ。誰かに師事でもしたのかな」

 にやりっと笑う。

「ロッド。頭は右だ」

 声に反応して視線を動かす。その先に一回り大きい狼がいた。ロッドの動きと同時に狼が地を蹴る。

 振りかぶった剣はそのまま振り切る事が出来なかった。がっちりと剣を咥えている。

「・・・」

 剣が動かない。どうやら力は相手の方が上手らしい。

 にやりとロッドは笑った。

「でも、それじゃ攻撃はできないよな」

 左手を腰裏に回すと素早く振り上げる。


 獣の咆哮が響いた。

 短剣に切りつけられた体から大量の血飛沫が飛び散る・・・筈だった。

「・・・え?」

 狼であった物は、それが模造品であったかのように一瞬にして砂のように崩れ始めた。

 ロッドは呆然とその砂を掴む。

「何だ? こいつ・・・」

「聖王が言っていただろ? 影の流れを汲む者だ」

「・・・こいつらが?」

「間違えるな、こいつは下の下。下っ端の小物だ。自分では判断も出来ない輩。影の本体は今だ封印の中。

 冷たい水の中で眠っている。

 この程度の小物などは元々世界中にうようよしているんだ。それより、これを何とかしないと」

 軽く顎を杓った先に、少年がうずくまっていた。

 そういえば先ほどまでいた狼達は姿が見えない。どうやら操られていただけなのか・・・。

 その群れの中心であった所に、血まみれの少年がいた。

「おい。生きているか?」

 うっすらと少年の目が開く。だが、言葉はない。

 リューが近づき反応を伺う。

「ロッド、火を熾せ。それと湯を。随分と盛大にやられているな」

「お・・・おう」

 リューはてきぱきと傷の状態を確認する。爪による掻き傷はさほど深くないようだが、腿から膝に掛けて大きな裂傷がある。

「噛み付かれたまま引きずったのかよ・・・。たいしたもんだ」

 まだ十歳位か、幼い少年を執拗に追い詰めるとは。一体何の目的で?

 ふと、少年の手が何かを握っているのに気がついた。

「何だ?」

 手を開こうとするが、固く握られた手は開かない。

「・・・まあいいか」



「様子はどうだい?」

 水を汲んできたロッドが覗き込む。

「あまり良くはないな。意識もなくなった」  

「あの狼達はこいつを襲っていたのか? 一体何の目的で?」

「そんなこと私が知るかよ。どう見ても唯の人間の子供だ。連中とは無関係のようだが・・」

「ふーん」

 日は落ち、周囲の森が闇に包まれる。

 リューは少年の傍らで様子を伺い、ロッドはその向かいで剣の手入れをしていた。

「そういえば、お前の剣筋はなかなか見事なようだが、剣の手習いでもしていたのか?」

「え・・・? いや、別に。親父に遊び半分で教わった程度」

「そうか」

 焚き火の向こうで剣を見つめているロッドを眺める。うっすらとその瞳が揺らめいた。

 牧夫が遊びで扱う剣筋ではない。恐らく、来るべき時を予想してその身に植え込んでいたのだろう。

 


 少年は苦しそうな息遣いで時折唸っている。傷口に巻いた布が直ぐに赤くなってしまう。

 リューはそっと額に手を当てた。

「・・熱が出てきたな」

 ぽつりとリューが呟いた。

「おい、ロッド」

 顔を上げた先に地面に突っ伏している姿が映った。

「・・・寝ているのかよ」

「・・・んあ?」

 のそりと体をあげる。

「どうした? 目を覚ましたか? それとも死んじまった?」

 軽く頬が引きつる。

「まだ生きてる。だが、状態は良くない」

 額に手を当てる。なるほど高熱だ。体も小刻みに震えている。ロッドは包む様に少年の体を抱え込んだ。

「足の傷から菌が入り込んでいるな。このまま放っておけば足が腐るか・・・」

「切り落とそうか?」

 少しあきれた風にリューは笑う。

「また随分と乱暴な。まあ仕方ないか。ロッド、彼の体を支えてくれ」

 布を外し、露になった傷口に小さな両手を当てる。

「・・何をするんだ?」

 リューは自信満々な笑みを湛えた。

「こちらの方が私の専門分野だ。まあこれも何かの縁だな。・・・見てなさい」

 リューは瞳を閉じ、軽く息を吸い込んだ。途端に彼女の体が発光し始める。再び開いた瞳は赤く光っていた。

 光の輪郭は徐々に大きくなり、優美な体の線を形成する。

 揺らぐ光の筋は豊かな銀髪を形成し、背から弾けた光はそのまま純白の羽を生み出す。

「・・・・」

 ロッドは呆然と変化するその姿を見つめた。美しい天使は手の中の傷口にそっと息を吹きかける。

 彼女の手の中で、傷が見る見る小さくなっていく。

 完全に傷口が塞いだのを確認してから、天使は顔を上げた。

「特別サービスだ。・・・ん? どうした」

 ロッドが意味深な表情で見つめている。

「いや・・・お前が始めて只者じゃないって事に気が付いた。

 それにしても随分いい女じゃない、こいつがいなかったら押し倒しているよ」

 整った顔立ちが僅かに侮蔑の表情を作る。

「呆れた・・・そっちかよ。子供が偉そうに言っているんじゃない。愚か者」

「何だ。中身はそのままか」