SHALONE SAGA

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アルディアスの章1−7







 開いた窓から強い日差しが覗き込む。

「流石に南の国は暖けーや」

 朝日を受けて染めた黒髪が僅かに地毛の緑を帯びる。

「おはよ。いい天気だね」

 どこからか話しかける声がし、アルディアスは周囲を見渡した。窓辺の木に小さな鳥が羽繕いをしている。

「何だ。ロシュか。心配で様子見かよ?」

「ま、ね。何かあったら私達も動く予定だから。・・・ねえアルディアス。何で坊やに自分の正体言わないの?

 バトゥ、だってえ? 誰よそれ」

 くっくっく、と不器用に小鳥が笑う。


 何だよ。ずっと監視してんのか?


 アルディアスの頬が軽く引きつる。

「別に、そんなことは関係ないだろ? 俺が誰かなんてどうでもいい事じゃん」

「それ・・・って。・・・あんた、帰りたくないって事?」

「・・・・」

 軽く睨み付けるように横目で鳥を眺める。


「ん・・・」


 太陽の眩しさに、ベットの中のリシが寝返りをうつ。

 振り返ると同時に、鳥も羽ばたいていってしまった。

「目が覚めたか?」

 顔を上げたリシの目に、日の光を背に受けたアルディアスが映った。

 一瞬、その髪が緑色に見えたような気がした。




 志願兵を受け付ける広場は大勢の人でごったがえしていた。

 受付を済まし、検査の為に城内に入り込む。

 廊下にまで人が溢れている。

 その群れに紛れながら朝日の差し込む廊下を歩くアルディアスの顔に、何かの影がさしかかった。

 一瞬足が止まる

「・・・」

 何気に顔を上げると、本宮の塔の影が長く外宮にまで掛かっている。

 見覚えのある窓の形。

「ああ・・・あそこだったのか・・・」

 アルディアスの立ち位置からは、窓すら見えない無機質の石壁。

 自分の全てだった世界が、今は何とも小さく思える。

「どうしたの?」

 人ごみを掻き分け戻ってきた何も知らない弟が覗き込む。

「いや、なんでもない」

 軽く笑うと、再び歩き出した。

 リシの言う離宮に続く通路の所で、二人は衛兵の目を盗み静かに人波から外れた。

 物陰に潜み、人の気配が無くなるのを待つ。

「そろそろ大丈夫か・・リシ、その先生とやらの場所は判っているんだろうな」

「この時間はいつも中庭にいるはずなんだ」

 周囲を気にしつつ、中庭に移動する。

 流石にこの城の住人だけあって、監視の目をすり抜けるのがうまい。さほどの労も掛からずに目的の場所に辿り着いた。

 木陰から覗いた先にあるテラスには、椅子に座りのんびりと本を読んでいる男の姿があった。

「良かった。先生いるよ」

 少し嬉しそうにリシが言う。

 アルディアスはじっとその様子を伺った。

 年は三十過ぎ程度か。ダークブラウンの髪をきっちり整えた少し線の細い学者風の男だ。

 余程その本が面白いのか、その口元はうっすらと笑みを浮かべている。

「先生。・・・先生」

 小さな声で呼びかける。

 男は本を閉じると、ゆっくりと辺りを見回した。やがて枝葉の中から覗く手を確認しこちらにやってきた。

 リシは葉の間から顔を出してにっこりと笑う。

「誰かと思ったら殿下ではありませんか。確か朝の会議の筈では? それに、その姿は一体・・・」

 一国の皇子であるはずなのに、少し着古した質素な服に男は驚いた。

「訳は後で。とりあえず中に入れてください。人目はまずい」

 男を急かす様にリシは室内に入っていく。

 アルディアスは辺りに人がいないのを確認してから扉を閉めた。

「会議を抜け出したのですか? にしても一体何処でその服を調達したので?」

 呑気にお茶を入れながら男が話しかける。

「いや先生、会議にはリシ・ドゥルサー・ルパスは出席している筈だ。勿論それは僕ではない。何者かが僕に成りすましているんだ」

「・・・」

 茶を注ぐポットが止まる。

 俄かに信じられないといった様子でリシを見つめる。

 アルディアスは壁に寄りかかったまま腕組をして二人を眺めていた。

「見たこともない化物がいきなり目の前に現れて、僕たちを襲ってきたんだ。護衛の従者も殺されてしまって・・」

「一体何処で?」

「護岸工事の視察の時に」

 男は首を捻った。

「一週間前の事ですね。ラナンキュラスの刺客に襲われたと聞いていますが。

 しかもその際に殿下は助け出された筈ですが・・。そのときに摩り替わったと・・・言いたいので?」

 しっかりとリシは頷いたが、男は腕を組み考え込んだ。

 アルディアスは無言で見つめる。

 証拠はない。彼がリシを信用しなければすぐに衛兵がこの部屋を取り囲むだろう。

 その場合は・・・。

 此処までの順路を思い出しながら、脱出のルートを模索する。

「・・・判りました」

 男の声に、アルディアスが顔を上げた。

「確かに、それなら合点がいきます。あれほど近隣諸国の対応に慎重だった殿下がいきなり開戦を宣言し、

ましてや自ら先頭に立って指揮するなど。正直私も驚いていたところです」

「先生・・・信じてくれます?」

 にっこりと男は笑った。なんとも穏やかな笑顔だ。

「勿論ですよ。ここ最近の殿下はまるで人が変わったのかと思い心配していたのです。

 今の殿下は昔から見ているままの殿下です。私が納得しないわけがないでしょう。・・・それと、君。」

 突然、アルディアスを振り返り、笑いながら話しかける。

「今まで良く殿下を守ってくれた礼を言う」

「あ、先生、バトゥは僕を助けてくれたけど兵士じゃないですよ」

 意外そうに男はアルディアスを見る。

「そうか。それは失礼。どこかで会ったことがあるような気がしたのでな。てっきり護衛の者かと。

 では殿下、私はこれから陛下と宰相達に話をしてまいります。それまで此処でお待ちいただけますか」

「判った」

「なに。心配いりません。私に任せてください。大丈夫です」

 にっこりと笑いながらアルディアスの隣を抜けて部屋を出て行った。

 それを横目で見送る。

「・・・」


 会ったことがあるような・・・。


 不思議とアルディアスもその感覚を感じていた。

 不意にリシが覗き込む。

「ひょっとして、バトゥって城勤めしたことあるの?」

「なわけないだろ。あの先生とやらの勘違いだ。俺はそんなに特徴的な容姿でもないし」

 黒い瞳と髪で、アルディアスは笑った。

 本来の姿であれば鮮明な印象となるはずの緑の髪と瞳は、ロシュフォールの術で封印されている。

 今の彼は何処にでもいる若者と変わらない。

「ふーん」

 リシはそれ以上は詮索せずにお茶をすすった。



 二時間ほど待たされた頃、ようやく男が戻ってきた。

「遅れて申し訳ございません。今広間に重鎮方を集めました。詳細の内容は話しておりませんので殿下から説明していただけますか?」

「判った」

 男に続き、二人は部屋を出る。朝方の雑踏とは打って変わって、城内は静まりかえっていた。

 ・・・廊下に人影もない。



 ・・・気に食わない・・・。



 アルディアスは不機嫌そうに口を歪ませた。

 ルパスは小さい国ではあるが、そんなにあっさりと国の元首に会えるものなのか?



 それに、この男・・・。



 目の前を歩く男を見つめる。

 物腰も柔らかく、人当たりも良さそうなこの学者風の男に、何故か不審を感じる。

 始めて会うはずだ。城で会っていた者など殆どいないはず。なのに・・・。

 言いようのない警鐘が心の中で鳴り続ける。

 いきなり男が立ち止まったため、反応的にアルディアスは顔を上げた。

「この先は武具の携行は禁止されます。申し訳ございませんが、殿下も腰の剣をお預け下さい」

 リシは素直に剣を預ける。何も不信感は持っていないようだ。

 アルディアスも調達したばかりの剣を預けた。

 アルディアスは背中に携えた封印された剣も要求されるのかと思ったが・・・。

 男は二振りの剣を入り口の棚に収め扉を開こうとした。

「・・・?」

 リシもそのことに気が付いて顔を上げる。

 軽く首を振ってアルディアスは制した。

 ・・・一筋、額から汗が流れた。

 アルディアスは皮肉そうに口元を歪める。




 そういうことかよ。




 男は最初から気が付いていなかったのだ。

 例え袋に入れられていても、剣であることは容易に判断できる。

 ・・・そう、普通の人間であれば。