川越の観光・総合案内

  

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「小江戸川越 見る遊ぶ <マップ入> 川越市観光課編 川越市 2003年 ★★★
 川越駅にある川越市観光案内所(049-222-5556)で配布しているパンフレット。

・歴史のとびらをひらいて
 蔵造り喜多院五百羅漢川越城
・街を歩いて―――〔みどころガイド〕
 時の鐘蔵造りの町並み大沢家住宅/蔵造り資料館/川越商工会議所/あさひ銀行川越支店菓子屋横丁
・スポットガイド
 ご存知ですか/十か町/お囃子/川越シャトル/小江戸巡回バス/東部バス一日フリー乗車券
かわごえの四季―――〔おまつり・イベントガイド〕
 だるま市南大塚の餅つき踊り南田島の足踊り石原のささら獅子舞/百万灯夏まつり/まんぐり/小江戸川越花火大会ほろ祭り/いも掘り観光/川越まつり/酉の市
歳時記
・街角情報
・小江戸めぐりコース
・願いごとめぐりコース
七福神めぐりコース ―秋の七草めぐり―
博物館・美術館・史跡拝観
・バス・タクシー ―川越市内交通案内―
・宿泊 ―ホテル・旅館案内―
・小江戸の思い出をたずさえて〔おみやげガイド〕
 絵葉書・要覧/昔懐かしい飴玉(菓子屋横丁)/民芸品/狭山茶/地ワイン・地ビール/もろみ漬・醤油/焼だんご/うどん・そば/芋菓子/芋アイス・ケーキ・カクテル
・交通のご案内
・観光ガイドについて

  川越市のホームページ川越見物川越インターネットモール

「うつくしの街 川越 小江戸成長物語 山野清二郎・松尾鉄城 監修 一色出帆  2019年 ★★★
序 章 川越イノベーション&リノベーション(小林範子)
第一章 蔵造りと洋風建築の町並みを歩く(羽生修二)
第二章 喜多院の歴史と文化財を訪ねて(松尾鉄城
 T 喜多院の歴史
 U 喜多院の文化財
第三章 知恵伊豆そして家康の血をひく大名も城主になった川越藩(寺島悦恩)
第四章 川越祭―世界が認めた小江戸の大祭(矢澤勇
第五章 川越と江戸・東京を結んだ新河岸川舟運(松尾鉄城)
第六章 名産 川越唐桟と川越イモ(井上浩
 T 川越唐桟が世に出るまで
 U 川越イモの歴史
第七章 循環型農業のモデルとしての武蔵野・三富新田(松本富雄)
第八章 服部家にみる川越町家の暮らし(服部安行)
第九章 江戸初期川越の町人像(梶川牧子)
第十章 川越城下の総鎮守氷川神社(山田禎久・山野清二郎
     コラム 河越太郎重頼の供養塔がある養寿院(金剛清輝・山野龍太郎)
第十一章 川越の美術―岩佐又兵衛、狩野吉信、小茂田青樹、小村雪岱を中心に(寺島悦恩)
第十二章 現代の川越のまちはどのように形成されてきたか(荒牧澄多)
第十三章 一番街商店街と町並み委員会(可児一男)
第十四章 川越蔵の会―歴史的景観を生かしたまちづくりへの取り組み(原知之)
第十五章 魅力ある川越観光の創出へ向けて(溝尾良隆)
第十六章 鼎談 蓮馨寺とその門前町をめぐって(粂原恒久・山野清二郎・松尾鉄城)
     コラム 菓子屋横丁が蘇った(長井和男)

「日本地図から歴史を読む方法」 武光誠 KAWADE夢新書 1998年 ★★
 東京周辺に残るユニークな城下町 
 ●江戸幕府に重んじられた川越
 東京の近くにいくつか興味深い城下町が残っている。 いずれも、幕府が頼りにする親藩大名や譜代大名の小藩をおいたところである。
 川越は「小江戸」とよばれる小ぢんまりした町で、関東平野の外れに位置している。もっとも、近年の開発によってそのあたりまで住宅地になってしまった。
 川越を代表する観光地に五百羅漢の石像群で知られる喜多院がある。 そこは、関東の天台宗の総本山で、徳川家康の関東入国のときに、彼の補佐役であった天海僧正が来住したところである。
 現在の建物の多くは、寛永16年(1639)につくられたものである。後で述べるように、川越の町の発展と新河岸川の水運とは切っても切り離せない。
 喜多院の建物の中の庫裏、書院、客殿は、江戸からわざわざ新河岸川を使って運んだものである。 徳川家光は、寛永16年の喜多院の再建にあたって、江戸城紅葉山にあった慶長期(1596-1615)の建物を解体してわざわざ川越に移築している。
 このときの客殿の中に、家光誕生の間といわれる12畳半の部屋がある。また、喜多院の中に徳川家康を祭る仙波東照宮があり、それは久能山、日光とならぶ三大東照宮とされる。 こうしてみると江戸幕府が川越を重んじたことがつたわってくる。
 川越は、戦国時代には関東平野を押さえる要地とされた。 この地をめぐって川越夜戦北条氏康と両上杉氏とのあいだでくり広げられたこともある。 これは、川越の水運の便と、そこが荒川沿岸を押さえうる位置にあったことにもとづくものだ。 

 ●水運とともに栄えた川越の城下町
 川越藩は、家康の江戸入城が行なわれた天正18年(1590)以後まもない時期に、酒井重忠によって開かれた。 ただし、重忠は1万石の大名にすぎず、彼の詳しい経歴は明らかではない。
 酒井重忠は慶長6年(1601)に、上野国に移っている。 その後、重忠と別系統の酒井氏と堀田氏をへて、寛永16年(1639)に、松平信綱が川越領主になる。
 彼は、長く老中職をつとめた。信綱が伊豆守の官名をもっていたため、信綱は「知恵伊豆」とよばれた。 四代将軍徳川家綱が最も頼りにした補佐役が信綱であった。 松平信綱のときに川越藩の領地は7万5000石になった。
 松平信綱は、正保4年(1647)に新河岸川に河岸場を設けた。これは、川越藩の領内の米を江戸に運ぶ船着場として大いに役立った。
 のちに、河岸場は上下に分かれ、上新河岸、下新河岸とよばれた。さらに、新たに寺尾、牛子、扇河岸の船着場がつくられ、それらは、「五河岸」とよばれ、いずれも川越藩の外港として繁栄した。
 藩の物資だけでなく一般荷物が輸送されるようになったおかげで、川越の町が大いに繁栄することになった。
 川越の市役所の庁舎が、江戸時代の川越城の西大手門にあたる。そして、その東方がかつての川越城の本丸で、中心部には本丸御殿が残っている。
 その建物は、嘉永元年(1848)に建設されたものである。このころの藩主は松平斉典で、当時の川越藩は、17万石にまで成長していた。 斉典の系統は、松平信綱とは別の家筋である。川越藩主の家は何度も交代している。
 本川越駅から約500メートル北方の仲町が、かつての城下町のはずれである。 その北方の元町、幸町、仲町の一番街の通りには、いまでも蔵造りの建物が数十軒ある。 もっとも、その多くは明治時代に立てかえられたものである。江戸時代の建物は、明治26年(1893)の大火で焼けてしまったものが多いからだ。
 札の辻の近くの大沢家旧宅は、寛政4年(1792)に建てられた、川越でもっとも古い蔵造りである。
 札の辻は、城下町の中心街として、高札が立てられたところである。ここから北を喜多町、南を南町という。 江戸時代の川越の町のほぼ中心に、時の鐘の塔が残っている。それは、時刻を知らせる鐘を打つために松平信綱が設けたものだ。
 ただし、いまの時の鐘は、明治の大火の直後に再建された新しいものだ。 再建にあたっては、もとの形式を忠実に踏まえた高さ約16メートルの木造の塔が建てられた。
 川越の西方に、川越館跡がある。それは、平安時代末にそこを押さえる武家、川越氏がつくったものだ。 現在、一辺約200メートルの土塁が館跡の西側に残っている。北側と東側にも土塁の一部がみられる。

小江戸川越・情報誌 みるく」 川越市広報室編 (サイズ:210×100) ★★★
 川越駅の観光案内所で入手しました。
 CONTENTS
 『見』 小江戸の町並み 「都市景観百選」『聞』 時の鐘 「残したい日本の音風景百選」『香』 菓子屋横丁 「かおり風景百選」『歩』 健康・環境・観光「遊歩百選」(店蔵の連なるまち)/(江戸天下祭りの面影を残す)/自然紀行/市街地案内図(全体図)/区分図(マップ1)/区分図(マップ2)/区分図(マップ3)/川越の歴史川越歳時記博物館・美術館・史蹟拝観/駅前案内/川越市観光案内所/観光ガイド/川越シャトル(バス)/小江戸名所めぐりバス・東武バスウエスト(指定区間)/小江戸巡回バス/七福神めぐりコース/川越へのアプローチ/ホテル・旅館

「なつかしい城下町」 駒敏郎 カラーブックス 1981年 ★★
川 越    (埼玉県川越市)
時の鐘
 高さ十六メートル余の古風な櫓が、蔵造りの町に立っている。現在の櫓は明治二十六年の大火のあとで再建されたものだが、時の鐘は三百五十年前の寛永年間からこの場所にあって、城下町に時を報せつづけてきた。
 幸町と名は変わっているが城下町の頃の町名は箍町、桶作りの職人たちが住んでいた町で、当時の川越十ヵ町のちょうど中心に当たり、鐘の音は四方へまんべんなく響いたという。
 時の鐘が鳴らなくなって、もう久しい。→(現在は日に4回鳴ります)
川越城址
 城内の三芳野天神の裏に大杉があった。毎年初雁が、その真上で三声鳴きながら三度回って飛び去るところから、別名を初雁城というやさしい名前で呼ばれてきた城である。
 室町時代に太田道真・道灌父子が築き、江戸時代の寛永十六年(1639)、松平信綱が大拡張をしたが、現在はわずかな濠跡と本丸御殿・富士見櫓などの遺構を残すだけになっている。
 本丸御殿は幕末の嘉永元年(1848)に松平斉典が建てたもので、当時の十六棟の建物のうち玄関と大広間の一棟が、十七万石の格式をしのばせている。
 江戸幕府にとって重要な城地だったことは、城主から大老二人老中七人を出していることからも判る。それだけに維新後、破壊されるのも早かった城だった。
蔵造りの家
 川越には「江戸」が残っている。
 間口四間の蔵造り、一文字暖簾に屋号を染め抜いたこの菓舗(亀屋)は、江戸時代創業の老舗である。厚さ二十センチに及ぶ土を使った重厚な造りの店蔵――浅葱色の朝空を初燕が切って、どこかで苗売りの声が聞こえそうだ。
喜多院
 正月三日は、元三大師良源の入寂した日に当たる。天台の古刹喜多院ではこの日が初大師、境内には縁起物のだるまを売る店が並んで、新春らしい華やぎの中にひねもす人波がひきもきらない。
 喜多院は平安初期に創建された寺だが、戦乱に荒れはてていたのを、徳川家康のブレーンの一人といわれた天海が復興した。庫裡・書院・客殿その他、重要文化財に指定された建物が多く、狩野元信筆の「職人尽絵」があることでも知られている。
 山門をはいった右手には、江戸後期の天明年間から五十年がかりで完成したという石造の五百羅漢像、五百三十五体がある。表情の豊かな羅漢たちの中には、囁きあったり、腰をもんだり、掃除をしたり、うららかな陽の下に好き勝手なことをしている羅漢もいて、微笑を誘う。
新河岸川
 川越の下新河岸に、「伊勢安」斎藤家という旧家がある。
 江戸時代、川越城の東の伊佐沼から流れ出る新河岸川が、乗客や荷物を載せた川舟を通していた。武蔵野の穀倉地帯と江戸とを結ぶこの水の動脈が生きていた頃、川越には五ヵ所の河岸場が設けられて、三十軒の船問屋が軒を並べていたという。「伊勢安」は、そのたった一軒残った船問屋なのである。
 正保四年(1647)、新河岸川の舟運を開いたのは、川越藩主松平信綱だった。以来二百八十余年、舟唄を流しつづけた新河岸川だったが、昭和の初めに通船が不可能になって長かった舟運の歴史を閉じた。現在はその水路さえも廃滅しようとしている。
 古い船問屋の帳場や三棟の土蔵を残す「伊勢安」は、消え去った川が舟を浮べていたことを覚えている唯一の証人なのである。
武蔵野の小江戸
 江戸時代の初め頃、川越の家々では、ふだん畳の上に渋紙を敷いておいて、客が来るとそれを巻いてから迎え入れた。土地が乾いているところへ風がよく吹くので、畳の上がすぐ土埃で真っ白になったからだという。
 明暦元年(1655)三月、野火止用水に水が通ってから、その必要がなくなった。土が潤うようになったのである。畑作さえ不適とされていた川越南方の荒野で水田耕作が可能になり、「城下のちりほこり昔の様に侍らず」と記録されている。この野火止用水を掘らせたのは、川越藩主で知恵伊豆≠ニ謳われた松平伊豆守信綱である。
 毎年十月十四・十五の両日に行われる川越総鎮守氷川神社の祭りは、一名天下祭≠ニもいわれて、十数台の華麗な飾りつけをした山車が町を練り歩く。京都の祇園祭、飛騨高山の高山祭とともに、山車の豪華さで三大祭りに数え上げられている祭りだ。この祭りの起こりは、「川越ほどの城下に、祭りらしい祭りがないのは情けない」といって、慶安四年(1651)信綱が神輿や獅子頭を寄進してはじめさせたのだと伝えられている。
 新河岸川を改修して、川越から江戸浅草の花川戸まで舟運の便を開いたのも信綱だし、川越の名物になっている時の鐘の櫓を建てたのも信綱である。→(時の鐘を創建したのは酒井忠勝です)
 信綱は寛永十六年(1639)に武蔵忍から移って来て、寛文二年(1662)六十七歳で亡くなるまでの二十四年間、川越七万五千石の藩主として在城した。城下町を整え川越街道を整備したのも信綱で、江戸の後背地の中心都市として川越が繁栄していく基礎作りをした人だといってよい。
 信綱はかねがね、「自分はこの先どこへ移封していくか判らないが、川越を立派にしておくことは公儀への奉公の一つ」と洩らしていたそうだ。生涯を通して将軍の良き補佐役だった信綱は、自分の領地にも同じ役割を果たさせようと考えた。江戸はすなわち将軍であって、川越はその補佐役というわけである。
 このように性格づけられた川越は、信綱の歿後も江戸に奉仕をしつづけた。新河岸川の川舟が運んだ江戸積みの荷は、穀物・醤油・炭・杉皮・建築用材など、急膨張をつづける江戸が要求した消費物資ばかりだ。また、江戸に大火が起こったとき急場の役に立てるために、城下の扇河岸にはいつも、秩父地方から伐り出した材木が貯木してあったという。三百数十年経った現在でも、川越はベッドタウンとして、やはり東京に奉仕をつづけているのである。
 川越祭に出る手古舞や鳶職は江戸の祭り文化の直輸入だったし、町そのものも江戸を手本にして造られた。現在、川越に歴史的な景観を残している蔵造りの建物なども、その顕著な例の一つで、文化年間に川越を訪れた人が、「江戸の今川橋通から神田須田町筋によく似ている」と感心をして書き残している。
 たびたび大火に見舞われた江戸では、享保の頃から蔵造り建築を積極的に奨励しはじめた。火事に見舞われたのは川越も同様だから、財力のある商家はこの頃から競って蔵造りの家を建てたのだろう。川越の旧市街地には、塗り家も含めて六十四の蔵造り建築が残っているそうだが、確認されている最も古い建物は、寛政四年(1792)のものだという。
 蔵造りの土壁の厚さはふつうで十七、八センチ、土蔵だと十回あまり塗って二十センチを越えるから、防火の機能は絶大なものがある。
 川越は明治二十六年三月に未曾有の大火にあって、十六町千三百戸が被災したが、その中で蔵造りの建物だけが焼け残った。再建のときは蔵造りが大流行したそうで、今残っている重厚な蔵造りの家々は、だいたいこの時期に建てられたものが多い。
 西武鉄道川越線(新宿線)の本川越駅からまっすぐに北へ延びる道は、かつての城下町の中心街だった。この道の仲町の交叉点をすぎると、両側にその蔵造りの家が見えはじめる。
 階下の正面は、それぞれ商種に応じて現代風な装いをしているが、二階の観音開きの部厚い窓扉や、三段にせり出す軒蛇腹、黒光りする壁は、小江戸≠ニ呼ばれたこの町のかつての繁栄ぶりを語りかけるかのようだ。

「東京学」 小川和佑 新潮文庫 2000年 ★★
[第9章]首都圏という名の東京
  「小江戸」はショウエドにあらず
 東京が首都圏を拡大してゆく過程で、地方の中小都市は首都の模倣を繰り返してゆく。
 このことは江戸時代以来の延長である。土蔵造りの町屋が並ぶ埼玉県の川越が「小江戸(こえど)」と呼ばれたように、明治以来、首都圏の中小都市には、盛り場に銀座が出現した。
 その首都圏の銀座には東京の銀座のような時代の前衛性−分りやすくいえば、銀座の資生堂が女性文化や流行の発信地であったような活力を持っていない。それは文化を持たない単なる盛り場に過ぎない。実は問題はそこにあるのだが、「小江戸」という言葉が出たので、ついでに話して置く。
 テレビキャスターやタレントたちが「小江戸」を「しょうえど」と平然と呼んでいるが、「小江戸」「小京都」の訓みは「こえど」「こぎょうと」が本来、正しい。
 これは大(だい)に対する小(しょう)ではなく、明治初期の新聞業界用語の「大新聞(だいしんぶん)」「小新聞(こしんぶん)」の慣用に見る例に通りである。新聞業界用語としての「大」は政治、外交、経済、論説を中心とした硬派の新聞であり、サイズではない。「小」は主に市井の噂・芸能界情報を主にした、イエローペーパーがこれに当る。現代ならばスポーツ芸能紙である。従って「大(だい)」と「小(こ)」は決して誤用ではないのだ。
 百万都市の大江戸に対して、せいぜい二、三万の城下町が小さな江戸、「こえど」と呼ばれた。そこは江戸の街並みのように蔵造り、瓦葺きの街並みがある。江戸の街並みに似た小規模な城下町が「こえど」なのである。その代表的な町が川越の城下町であるが、「小江戸」は川越ばかりではない。関東地方には各地に「小江戸」があった。
 首都圏の中小都市に「○○銀座」があるようなものである。しかし、「しょうえど」、どうもこのことばはことばとしてはこなれていないが、二十一世紀には正訓となるだろう。
 その例は、東京神田の電気街、秋葉原にある。この神田川の北岸、筋違門(後の万世橋)と和泉橋の間の防火地帯に、遠江国(静岡県)の防火神である秋葉神社を勧請した江戸の火除け地「秋葉ヶ原」が正しい地名であった。日本鉄道を買収した鉄道院はここに広大な貨物駅を設営して、神田川の水運と直結させる物流拠点とした。やがて、この貨物駅は山手線全線開通とともに旅客駅を兼ねるようになると、駅名プレートに「秋葉原」と書かれた。漢文の慣用に即して秋葉ヶ原の送り仮名を入れなかった。そのため、送り抜きで「あきはばら」と誤読され、そのまま正式に駅名となった。
 同様に「しょうえど」「しょうきょうと」の発音しにくい日本語もそのまま流通するだろう。
小川ゼミの部屋

「小江戸 川越見て歩き」 松尾鉄城編 幹書房 見て歩きシリーズNEW8 2009年 ★★★
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一番街エリアを歩く 一番街・時の鐘菓子屋横町
  一番街詳細マップ
  菓子屋横丁マップ
大正浪漫夢通りエリア 仲町・松江町・大正浪漫夢通り・旧川越織物市場・旧鏡山酒造
  大正浪漫夢通りマップ
喜多院エリアを歩く 喜多院・成田山別院・仙波東照宮・中院
  喜多院境内図
川越城エリアを歩く 川越市立博物館川越城本丸御殿・三芳野神社
  川越城エリアマップ
旧赤間川エリアを歩く 川越氷川神社・東明寺・広済寺・観音寺・妙昌寺
  旧赤間川エリアマップ
川越を学ぶ
川越の歴史 江戸文化の残照を今に伝える川越のルーツを探る
時の鐘 時を刻み、歴史を刻む川越のシンボル
陸の道・川の道 川越街道新河岸川舟運
蔵造りの名称
サツマイモと川越 外国人から見た川越のサツマイモ
川越歳時記 人々の祈りとともに蔵の町を彩る四季の行事
  歳時記マップ
川越氷川まつり 街を挙げて山車が練り歩く氷川神社秋季例大祭
川越七福神めぐり 小江戸川越を舞台にした霊場参拝
川越の和菓子 伝統と革新に命を紡ぐ菓子の文化史
さくいん
小江戸川越交通アクセス

「小江戸 川越見て歩き」 井上浩編 幹書房見て歩きシリーズ3 2002年 ★★★
−目 次−
・歴史の薫り漂う喜多院界隈を歩く
 お気に入りの一品を 成田山別院・蚤の市/秘蔵の刀剣 川越歴史博物館/名刹 喜多院(多宝塔/庫裏/書院/客殿/本堂(慈恵堂)/松平家墓所/慈眼堂/鐘楼門/山門と番所/五百羅漢)/古式ゆかしい 朱塗りの本殿・日枝神社/日本三大東照宮の一つ 仙波東照宮/静かな佇まい・中院/懐かしのコレクション 舟運亭むかし館
・蔵の町並み散策で江戸情緒を満喫
 浄土宗の名刹・蓮馨寺 お酉様の熊野神社/仲町交差点から蔵造りの町並みを行く/その姿は黒衣の貴婦人 亀屋山崎美術館/洋館から町屋造りまで 旧鍛冶町をあるく/法善寺 くらづくり本舗/清楚な青緑色のドーム あさひ銀行/優しげな相徳の土蔵 行伝寺から料亭山屋へ/土蔵群が迫りくる 圧巻の眺めが眼前に/大店の風格と華やかさ 陶舗やまわの蔵造り/包丁、ナイフがずらり 老舗の刃物商まちかん/姿も音色も昔のまま 小江戸を見守る時の鐘/建物そのものが展示品 蔵造り資料館/静かな北横丁から にぎわいの菓子屋横丁へ/静かな北横丁から にぎわいの菓子屋横丁へ(同じタイトルが続く、内容は大沢家住宅等:おそらく誤植)/札の辻にたたずめば 歴史の残像が浮かびくる
 小江戸アラカルト「時の鐘」
 酒井忠勝と初代の「時の鐘」/時鳴鐘の体制が整う/甲州から名鐘がやって来た/失敗作の巨鐘と行伝寺の名鐘/現在の「時の鐘」
・歴史が眠る広済寺・東明寺へ
 貴重な資料が近年発掘 注目を集める広済寺/河越夜戦の舞台 志多町の古刹・東明寺
 小江戸アラカルト「新河岸川舟運」
 舟運と川越繁栄の夜明け/商人の台頭と舟運の発展/鉄道普及と舟運の衰退/舟運の歴史を偲ぶ
・十七万石の残照 川越城跡を行く
 歴史探検の旅の入口 川越市立博物館/落城の危機を救った霧吹きの井戸/威風堂々 川越城本丸御殿/桜並木をとおりゃんせ 三芳野神社・天神門/城内で一番高い 富士見櫓跡/川越城の南の玄関 田曲輪門・南大手門/江戸と川越を結ぶ川越街道/西大手門にたたずむ太田道灌像/川越城の鬼門を守る川越氷川神社/川越城内から城下町へ
 小江戸アラカルト「サツマイモ文化」
 まずは知りたいサツマイモのルーツ/甘藷先生「青木昆陽」/焼き芋が江戸で大流行 冬のおやつの定番に/いも菓子の元祖「いもせんべい」/平成の世はアイデア勝負 新メニューが続々登場/日本で唯一!サツマイモ資料館
・歴史と保存 川越の町ができるまで
 江戸時代の都市計画 松平信綱の町づくり/明治の大火で町は壊滅 焼け残ったのは蔵造り/押し寄せる近代化の波 町並み保存への道のり/魅力はつきない蔵造り 先人の夢が今に息づく/見るべき建築物は蔵造りだけにあらず/過去、現在から未来へつなげる町造り
・四季を彩る祭りと歳時記
 春/夏/秋/冬
 小江戸アラカルト「川越氷川祭り」
 祭りの原形成立は江戸時代 元禄のころより華やかに/巨大な山車に仮装行列 時代とともスケールアップ/迫りくる人波と熱気の渦 コツをおさえて上手に見物/夜を迎え、祭りは最高潮に/川越氷川祭りのルーツ 古式ゆかしい神幸祭
・川越の美味しいお店
 喜多院エリア/中央通り・大正浪漫夢通りエリア/一番街エリア/その他エリア
・川越への交通と観光情報
 電車でのアクセス/車でのアクセス/川越市観光案内所/シルバーガイド/川越シャトル/小江戸巡回バス/東武バス一日フリー乗車券/その他
・さくいん

「川越見て歩き」 井上浩編 幹書房見て歩きシリーズ10 1993年 ★★★
−目 次−
■川越の名刹喜多院を訪ねる
 蚤の市はいつも大賑わい 成田山川越別院/キラリと光る刀剣 西山歴史博物館(現川越歴史博物館)/数々の貴重な文化財を秘めて 喜多院〔多宝塔/庫裏/書院/客殿/本堂(慈恵堂)/松平家墓所/慈眼堂/鐘楼門/山門と番所/五百羅漢/古式な朱塗りの本殿 日枝神社/日本三大東照宮の一つ 仙波東照宮/静かなたたずまい 中院/懐かしいコレクションを展示 舟運亭むかし館
 ★喜多院周辺/味めぐり・店めぐり
■蔵造りの商家に江戸の風情を求めて
 安産・子育てはおまかせ 蓮馨寺/思わずため息 仲町交差点/重量感のある迫力 松崎スポーツ店/袖蔵を持つ亀屋山崎美術館/蔵の町に残る白い洋館は川越ではじめてのデパート/優雅な町屋造り 荻野銅鉄店/法善寺にある虫喰い奴の墓/繊細な土蔵造り くらづくり本舗/川越商人の歴史と夢を秘めて あさひ銀行/明るいクリーム色の壁 相徳/本殿の彫りものが美しい 行傳寺/古木に囲まれて 料亭山屋/明治から手つかずで残る 蔵の町並み/芋菓子歴史館のある亀屋栄泉/四季の移ろいが美しい長喜院/大きな入母屋の土蔵造り 陶舗やまわ/天を突く巨大な鬼瓦 まちかん/明治人の凱歌が聞えてくる 深善美術表具店/懐かしい民具がいっぱい 服部民俗資料館/城下町川越のシンボル 鐘撞堂/蔵の内部がよくわかる蔵造り資料館/駄菓子に懐かしさがこぼれて 菓子屋横丁/江戸から続く蔵造り 国指定重要文化財・大沢家住宅/和洋折衷のおしゃれな建物 岡氏・近常/札の辻は城下町の中心 町はここから四方に広がっていく
 ★蔵の町/味めぐり・店めぐり
■江戸の北の守り川越城跡を探検する
 川越市立博物館で川越の歴史を学ぼう/二の丸跡に残る霧吹きの井戸・蓮池門の石柱/17万石の風格を偲ばせる川越城本丸御殿/桜並木の参道がロマンチック 三芳野神社・天神門/城内で一番高い富士見櫓/川越城の南の玄関 田曲輪門・南大手門/江戸と川越を結んだ川越街道/太田道灌像が立つ市役所には西大手門があった/天を突く大鳥居にびっくり 川越氷川神社
 ★川越城跡周辺/味めぐり・店めぐり
■バードウォッチングと釣りを楽しむ
 伊佐沼周辺をのんびりと
  伊佐沼(いさぬま)を冒険しよう/歴史深い旧跡を訪ねて
 伊佐沼四季の鳥
  春から夏 鳥たちの恋の季節/秋から冬 渡り鳥たちの中継地
 伊佐沼にすむ魚と釣り
 コラム◎川越の魅力
■川越の繁栄を支えた新河岸川舟運
 舟運の面影残す旭橋周辺/新河岸川舟運の繁栄と衰退/船問屋・伊勢安に舟運華やかな頃を偲ぶ
■世界でここだけサツマイモ資料館
 なんたってサツマイモ!/川越はなぜサツマイモで有名なの?/イモ畑を守って 観光農園/心ウキウキ 楽しいおいも掘り/世界で唯一のサツマイモ資料館/川越ならではの店 芋懐石の「いも膳」/イモアイスの元祖 喫茶店「一乃蔵」
●川越の祭りと歳時記
 だるま市/小江戸川越七福神まいり/節分会豆まき/小江戸川越春まつり/石原のささら獅子舞初山/川越百万灯夏まつり/酉の市/川越不動のみの市/川越まつり
●川越への交通と案内

探訪 イラスト昔し町」 斎藤信夫・野口南草 日地出版 1984年 ★★
 川越(埼玉県)
蔵造りの町 古く拓けた豊かな風土 江戸が息づく川越の町に 今も響く鐘の音は寛永の調べ 昔を語る「時の鐘}
 長禄元年(1457)、上杉持朝の命によって太田道真道灌父子が川越城を築いて以来、川越の町は城下町として栄え、特に江戸時代になってからの川越は、江戸のすぐ隣に位置して重要な役割を果たしてきた。だから、歴代のお殿様たちも譜代、親藩の有力な大名ばかりで、なかには幕府の要職を務めた者も少なくない(赤穂浪士を切腹させた柳沢吉保は有名)。
 そういうわけで、江戸と交流の多かった川越の町には、江戸の町民文化がそのまま流入し、江戸の香りが色濃く残っている。
 仲町の交差点から、札の辻交差点までの約400b、「一番街通り」の両側にまるで土蔵みたいな店が並んでいる。他所の町では見られない珍しい風景だ。
 黒塗りの分厚い壁大きな鬼瓦と箱棟、どっしりと大地に根を下したような力強い造りは、よく見ると、大切な商品を災害から守ろうとする商人の心と、これを作り上げた職人達の心配りが生かされていて、造作はもう美しくさえある。
 最も目につきやすい店蔵造りの菓子舗「亀屋」は、天明三年(1783)の創業とかで、代々川越藩の御用商をつとめ当店の古い文献を研究して育てあげた銘菓小江戸の味≠ヘこの町の名物でもある。昔のブリキの湯タンポが軒先で風に揺れている「荻野金物店」は、格子戸のある蔵造り。「松崎薬局」の右読みの大きな古い金看板も見事。骨董品屋では川越で二番目に古い「本陣」は、屋根の鬼瓦に金具をヒゲみたいにくっつけた風変りな造り。大正時代のロマンの香りがする「埼玉銀行」(現あさひ銀行)の白いタイル貼りの洋館は、どことなく気品があっていい。
 「蔵造り資料館」に入るとすぐ目の前に、蔵造りのミニチュアがあって、蔵造りの建築の急所がことこまかく説明してあって興味ぶかい。
 醤油の焼ける香ばしい臭いに誘われて右折すると、二百年も続くダンゴの老舗「タナカダンゴ」があって、その隣りの「時の鐘」は、寛永年間城主酒井忠勝がはじめて建てたといわれる。
 現在のものは明治二十七年、江戸時代そのままの構造で再建されたもので、昔も(早鐘で火事を知らせることもあった)、今も(電動式で日に四回)時の鐘は、川越の人々にその美しい音色で時を知らせ、「この鐘なしではもう暮しちゃいけないヨ」(ダンゴ屋のおばあちゃん)と言われるほど市民に親しまれている。
 履物小松屋という白壁の店蔵造りが、国指定の「大沢家住居」である。
 他の蔵造りの大半は、明治二十六年の川越大火以後に建てられたものらしいが、大沢家は寛政四年(1792)の造りで当時のものとしては全国で唯一の例である。
 十坪ほどの店に入ると、黒光りする太い鍼の上に文化財指定≠フ額が飾ってあり、色白のふくよかな感じのオカミさんが親切に語ってくれた。「神社仏閣や町家で国の重要文化財というのはありますが、商家で指定を受けたのは全国にも例がないそうなんです」
 さて、正月のだるま市で有名な「喜多院」は、慈覚大師が開いたという天台宗の古刹である。寺域のたいていのものがすべて重要文化財だが、特に本堂右側の「宮殿、書院、庫裡」は、江戸城の紅葉山(皇居)にあった別殿をこの地に移築したもので国宝である。
 入り口(庫裡)で二百円払って拝観コースの順に従って行くと、この書院式のすばらしい御殿のすべてが見学できる。
 この寺の「石像五百羅漢」も有名だ。50abから70ab程の羅漢像は坐っているもの、立つもの、横になるもの、笑うもの、泣くもの、瞑想するもの、書を読むもの……、あらゆる姿勢のあらゆる顔の表情がみな違い、一つ一つ見ていくと、自分の知っている誰かさんに似ているような親近感が湧いてきてまことに興味がつきない。
 本丸御殿の目と鼻の先に、「三芳野神社」がある。祭神素盞男尊、稲田姫、菅原道真。土地の人は天神様≠ニよぶ。
 それほど大きい社ではないが、権現造り入母屋銅版葺の本殿は均整のとれた美しさを持っている。ここは城郭の中にあったわけだから一般の人は立ち入ることはできなかったのだろうか。
 参道入り口の左右は大銀杏二本。細い道が、お社と鳥居に向かって真っすぐのびている。立木の間を走りまわる二、三人の子供達。どことなく人恋しげで静かなたたずまい。
 通りゃんせ、通りゃんせ、
  ここはどこの細道じゃ、
   天神さまの細道じゃ、
 わらべ歌『通りゃんせ』の発祥地と伝えられているのが、素直にうなずけるのである。

「子どもとでかける埼玉あそび場ガイド」 すきっぷ・まむ 丸善メイツ 1995年 ★★
 埼玉には海がない。だけど、川がある。山がある。お金を使わずに遊べる場所がたくさんある。ねぇ、ねぇ、こんなにいい所なんだよ!って伝えたい。子どもを抱え、子どもの手を引き、今日はどこへ行こうか?何して遊ぼうか?と、子ども以上にわくわくしているお父さんと、お母さんに。

・あおぞら大好き…伊佐沼冒険の森
子どもたちが大好きなコアラの公園
 釣りで有名な伊佐沼のほとりにある伊佐沼公園は入口のコアラマークの看板が目印。コアラはいないけれど、「コアラの公園」として子どもたちには人気だ。冒険の森と呼ばれるアスレチック広場が公園の中心にある。城下町川越をイメージした名前のアスレチックが20種類。城のぬけ道、城壁わたり、城壁のぼりなど忍者になった気分で挑戦したい。川越城はやぐら造りのかなり高いもの。子どもたちは身軽にひょいひょい登ってしまうけど、高所恐怖症のお父さんは気をつけて。夏は公園内の水遊び広場で遊ぶのも楽しいよ。
【INFORMATION】
●所在地/川越市大字伊佐沼字沼田町584 ●TEL/049-222-1301(公園管理事務所) ●交通/JR&東武東上線川越駅よりバス(川越グリーンパーク行)伊佐沼冒険の森下車徒歩5分 ●車/国道16号線を川越方面から大宮市方面へ直進。伊佐沼入口交差点を左折すぐ。 ●駐車場/無 ●開園時間/終日開放 ●休園日/なし ●入園料/無料
・べんきょう大好き…川越市立博物館

・かいもの大好き…まるひろ川越店屋上
かわいい遊具がいっぱい!
 いわゆる大きな遊園地にはないおもむきがこのまるひろ百貨店の屋上遊園地にはある。屋上の端をゆっくりと回る1人乗りのてんとう虫型のモノレール、ミニ観覧車、3人乗りのメリーゴーランドなど小さい子どもたちにぴったりの遊具たち。色といい形といいどことなくレトロっぽくて、大人は「ああ。もう、かわいい!」とうれしくなってしまう。買い物の後、休憩がてら立ち寄るのもいい。行く前に「乗り物は2つまでね」の約束を忘れずに。まるひろ店内は子どもや赤ちゃん連れへの配慮も行き届いているので安心してでかけられるよ。
【INFORMATION】
所在地/川越市新富町2-6-1 ●TEL/049-224-1111 ●交通/JR川越線&東武東上線川越駅より徒歩10分または西武新宿線本川越駅より徒歩5分 ●車/関越自動車道川越ICより国道16号線川越市内方面へ。川越駅をめざす。 ●駐車場/有(1500台)有料(まるひろ店内で2000円以上購入の場合2時間無料) ●開店時間/10:00〜19:00 ●休業日/毎週水曜(開店の場合もある)
・まだまだあるよ…川越の町並み
子どもにもうれしい小江戸の町
 蔵造りの町並みが続く観光地は全国各地いろいろあるが、川越のいい所は大人も子どもも親しめるあめ玉や、せんべい、駄菓子などお菓子の数々を売る菓子屋横丁があることだろう。「このお菓子、見たことある!」小銭を握りしめ、親に隠れてっこっそり買ったなつかしい駄菓子に遭遇するはず。口の大きなガラス瓶に手を突っ込んで10円、20円の菓子を1個ずつ買うなつかしさ。スーパーで箱のお菓子を買う子どもたちにとっては、ちょっとどぎまぎしてしまう、新鮮な体験になるだろう。名産のサツマイモを使った、イモアイスを始めとするイモ菓子もぜひ食べたい。田中屋には胸の奥をくすぐるような、セピア色の情景そのままのレトロなおもちゃや小物が揃った喫茶室もある。「お母さんの子どもの頃はね」なんていつもと違った気分で親子で向かい合うのもいいね。  そこから2〜3分の小江戸横丁には、心ひかれるお土産や、漬物、焼き鳥屋と並んで簡単な食事ができる店が連なっている。名物のいも釜めしはお昼にぴったり。バタバタと慌ただしく過ぎる日常をちょっと忘れて、のんびりした1日を過ごすことのできる、心のふるさとになるはずだ。
【INFORMATION】
●所在地/川越市脇田本町39-19(川越観光案内所) ●TEL/049-246-2027 ●交通/JR川越線&東武東上線川越駅または西武新宿線本川越駅よりバス(神明町車庫行)札ノ辻下車 ●車/国道254線より川越市内へ入るか、関越自動車道川越ICより国道16号線に入り川越市内へ ●駐車場/有(初雁公園内70台)無料 土日曜は市役所・あさひ銀行の駐車場が解放される

改訂新版 小江戸川越 江戸文化の残照を求めて 土金冨之助 創芸社 1991年 ★★★
 あとがきに、「日帰り一泊観光で観光に訪れる人々を対象として、市街地に現存する文化財指定の建造物を主とし、江戸時代から伝わる催事とそれに関連するものなど、 総合的に江戸文化の残照として紹介したにすぎなかったことをおことわりいたします」、とあります。
 川越市内の観光には、3つのポイント、時の鐘喜多院本丸御殿を目標にして、その周辺を訪ねることがいちばんわかりやすいとして、 その3つのポイントを中心としたブロックごとに、周辺の見どころを紹介しています。
−目 次−
川越市の歴史
文化財・史跡めぐり 時の鐘・蔵造り町並・大沢家周辺
 時の鐘蔵造り町並み/蔵造り資料館/服部民俗資料館/山崎美術館大沢家住宅/養寿院/河越太郎重頼一族と館跡/ 養寿院所蔵文化財(銅鐘円空仏、岩田彦助墓)/菓子屋横丁田中美術館附属駄菓子資料館/サツマイモ資料館/ 広済寺中島孝昌墓、水戸藩19烈士埋葬の地)/川越夜戦跡太田道灌公像/正岡子規の碑/虫食い奴の石像/蓮馨寺(木造阿弥陀如来坐像)/ 高山繁文墓/安井政章墓/古文書
文化財・史跡めぐり 川越大師喜多院・東照宮周辺
 星野山喜多院(客殿、書院、遠州流庭園、庫裏、慈恵堂(本堂)、五百羅漢、沙羅双樹、慈眼堂(開山堂)、木造天海僧正坐像、暦応の古碑、山門、番所、多宝塔、鐘楼門、松平大和守家廟所、どろぼう橋) ・喜多院所蔵文化財(紙本着色職人尽絵1双、糸巻太刀、徳川将軍献上太刀6振、宋版一切経、天海一切経、銅鐘正安2年、銅鐘元禄15年)/喜多院の歳時表/ 仙波東照宮(本殿・瑞垣・唐門、拝殿・弊殿、随身門・石鳥居)・東照宮所蔵文化財(三十六歌仙絵額鷹絵額)/日枝神社(本殿)/ 喜多院斎霊殿(高林謙三墓、西川練造墓)/星野山中院(島崎藤村義母の墓)/光西寺(松平周防守家廟所)/ 仙波氏館跡/成田山別院/西山歴史博物館/舟運亭むかし館
文化財・史跡めぐり 本丸御殿・氷川神社周辺
 川越城のあらまし/川越城本丸御殿(家老屋敷(家老詰め所))/三芳野神社(三芳野神社社殿)/・三芳野神社所蔵文化財(三芳野天神縁起、銅製扇形額、拵え付太刀) /川越城富士見櫓跡/市立博物館(霧吹きの井戸)/総鎮守氷川神社(氷川神社本殿)・氷川神社所蔵文化財(川越氷川神社および三芳野神社文書)/八坂神社社殿/人麿神社
…各ブロックの観光地図、観光ポイント毎に所在地、電話、道案内を付け、写真と文章で紹介しています。
小江戸川越七福神まいり
第1番毘沙門天(威光):妙善寺(秋の七草・おみなえし寺)→第2番寿老人(寿命):天然寺(秋の七草・ききょう寺)→第3番大黒天(裕福):喜多院(秋の七草・はぎ寺)→第4番恵比須天(清廉):成田山・本行院(秋の七草・なでしこ寺)→第5番福禄寿(人望):蓮馨寺(秋の七草・おばな寺)→第6番布袋尊(大量):養寿院(秋の七草・くず寺)→第7番弁財天(愛敬):妙昌寺(秋の七草・ふじばかま寺)
ふるさと歩道(小江戸川越コース、伊佐沼コース)
川越の主な観光行事
 初大師(川越大師)だるま市/川越百万灯夏まつり/川越まつり/川越いもほり観光/酉の市/川越不動蚤の市/子育呑龍デー/初山
市内に点在する江戸時代からの祭事
 南大塚の餅つき踊り川越祭りばやし2題老袋の万作ほろ祭り/老袋の弓取式/石原のささら獅子舞南田島の足踊り/ 犬竹の一升講/筒がゆの神事/芳地戸のふせぎ/まんぐり/中福の神楽
川越の伝説と民話抜粋
 川越城にまつわる七不思議喜多院の七不思議/その他時の鐘周辺3編
川越の民謡と歌曲
 川越の舟唄/川越小唄/川越新小唄/川越夜曲/小江戸川越音頭/ふれあいサンバ川越/川越音頭
川越の物産と土産品
 川越いもといも菓子/狭山茶/川越桐箪笥 /名物焼だんご/入間ごぼう・人参/川越唐棧/民芸品みやげ
特集川越祭り写真集埼玉県指定文化財の山車略年表と旧市街地の山車川越の歳時記年号一覧表文化財建造物に関する建築用語仏像の見方と種類川越市指定文化財一覧川越の歴史年表市内観光関連業者一覧署官庁一覧など

 小江戸川越七福神呉服かんだ(川唐って何?) 川越インターネットモールの中にあります)

小江戸 川越歴史散歩」 広瀬瑛 鷹書房 1991年 ★★★
 史跡・文化財に関連して、歴史的説明や話題を提供しながら、伝説や現況を交えて、非常に読みやすい本です。ただ、校正ミスが目立ち、気が付いただけで10箇所ほどあるのが気になります。
−目 次−
第一章 城下町・川越の歴史
・川越いまむかし
 武蔵野台地のあけぼの/入間の郡三芳野の里太田道真・道灌父子の川越築城/川越の藩主たち/城下町と川越街道の整備/松平信綱の川越の農業政策 /川越の藩財政/伝統色豊かな町並み/川越の交通

第二章 時の鐘・蔵造りの町並み
東明寺
 東明寺坂あたり/川越夜戦/川越城将の地黄八幡/北条氏康得意の謀略と夜襲/北条氏の関東制覇
・広済寺
 上五カ町の一つ、喜多町/広済寺のしゃぶきばば石水戸藩十九烈士の位牌とその悲劇『三芳野名勝図会』の著者・中島孝昌
・札の辻から本応寺へ
 札の辻と元町/豪商・榎本弥左衛門/大蓮寺と六塚稲荷神社/本応寺の一切経蔵/国家老高山繁文の奥津城/観音寺のささら獅子舞
・養寿院
 菓子屋横町河越経重開基の養寿院河越太郎重頼と一族の墓/重頼の悲しき娘/川越の知恵袋♀笂c彦助の墓 /豪商・横田五郎兵衛の墓/名家綾部氏の墓/養寿院の文化財
・長喜院と栄林寺のこと
 長喜院の雪塚稲荷/豪商の別邸・山屋の味/郡奉行安井政章の墓
・行伝寺
 墨池庵尾海のこと/尾海、青蓮院流の免状を受ける
蔵造りの町並み
 大沢家住宅/旧小山家住宅/平岩・水飼両家住宅/小谷野家住宅/宮岡家住宅/原家住宅/滝島家住宅 /時の鐘/時の鐘の市の神=^福田家住宅/川越街道の出発点と正岡子規の碑/服部民俗資料館と芋菓子店 /八十五銀行(現・埼玉銀行)と保岡勝也のこと/小島家住宅/小林家住宅/虫食い奴の墓がある法善寺 /荻野金物店と北野操六/川越最初の百貨店・山吉デパート/山崎家住宅/松崎家住宅/仲町商店街の蔵造り
・川越第二の大寺・蓮馨寺あたり
 蓮馨寺の門前町と大導寺氏/蓮馨寺の銅鐘と呑龍上人/酉の市で有名な熊野神社と元杢網/榎本勘解由と六軒町/六軒町見てある記

第三章 川越大師喜多院と東照宮の周辺
喜多院
 東の叡山≠フ草創/ヒューマンな中興の祖/寛永の大火後の喜多院/喜多院の史跡/喜多院所蔵の文化財 /喜多院の七不思議/喜多院の歳時記/俳人高浜虚子と喜多院
仙波東照宮
 久能山、日光とならぶ三大東照宮/仙波東照宮の文化財
・喜多院・東照宮周辺の史跡
 日枝神社/喜多院斉霊殿(高林謙三の墓、西川練造の墓)/星野山中院太陽寺盛胤一族の墓、加藤みきの墓)/光西寺の松井周防守家廟所 /仙波氏館跡・長徳寺浅間社愛宕社/成田山川越別院

第四章 川越城跡・氷川神社周辺
・川越城本丸御殿
 川越城唯一の遺構・本丸御殿/川越城内の三角芝地/川越城の菱櫓と六軒町の市五郎/川越城の七不思議
・三芳野神社
 三芳野神社所蔵の文化財(三芳野天神縁起、銅製扇形額、拵え付太刀)
・川越城富士見櫓跡
・宮下町の氷川神社
 文教の地であった裁判所近辺/川越城下の総鎮守氷川神社/川越氷川神社例大祭/川越氷川神社および三芳野神社文書 /山上憶良と元杢網歌碑/氷川神社の人麻呂神社/氷川神社境内の八坂神社

第五章 新市編入地の史跡と伝説と祭事
・川越街道沿いと新河岸川
 古市場河岸と福岡河岸/舞踊藤間流発祥の地・藤間あたり/藤間のお諏訪さま≠ニ勝福寺/吉田神社の次兵衛塚伝説上杉憲政が陣した砂久保陣屋場跡/新河岸川河岸場跡/川越舟運のこと
・埼京線沿いを往く
 南田島の足踊り/扇河岸と新田義貞の一騎坂・駒止めの原
・川越をとりまく入間川沿いを往く
 古尾谷八幡神社のほろかけ祭と薬師堂/奥貫友山と榛の木/老袋氷川神社の弓取式/藤宮神社の算額と筒がゆの神事 /八咫神社のまんぐり/常楽寺と河越館跡
(付1)川越の歳時記 (付2)小江戸川越・見どころガイド

「川越 城と町まちの歴史」 小泉功・齋藤貞夫 聚海書林 1982年 ★★★
 川越市の移り変りを探ぐる歴史散歩!
 小江戸と呼ばれた城下町川越!商都として栄えた先進都市川越!歴史のある町川越! 川越の各町ごとに歴史・風俗・生活・人物・伝説などを、多くのエピソード・珍しい写真・図版を交えて興味深くまとめた生きた郷土物語
 著者はお二人とも、川越高校で教諭をされた経験を持ち、川越に住み(斎藤氏は川越の生まれ)、川越に関する著書も多い方たちです。
 −目 次−
一.川越城成立以前のあゆみ
二.川越城とその周辺
 1.川越城と藩主の変遷/2.川越城の七不思議/3.三芳野神社と富士見櫓/4.川越城炎上
三.川越・町の歴史
 1.城下町・上五ケ町と下五ケ町の成立
 2.上五ケ町
  本町(元町)/江戸町(大手町)/高沢町(元町)/南町(幸町)/北町(喜多町)
 3.下五ケ町
  多賀町(幸町)/同心町(幸町)/鍛冶町(幸町)/志義町(仲町)/上松江町・下松江町(松江町)/志多町
 4.その他の町まち
  宮下町/大工町/鉄砲町/猪鼻町/六軒町/中原町/橘町/鷹部屋町/相生町と厩下町/石原町/神明町/久保町/三久保町/連雀町/杉下町/西小仙波町/仙波町(大仙波)/通町/新田町/ 菅原町/脇田町/新宿町/岸町/野田町/小室町/小ケ谷町/今成町/ 門前町のこと
四.喜多院とその周辺
 1.喜多院の略史/2.喜多院の文化財/3.東照宮略史/4.喜多院の七不思議/5.その周辺
五.新市編入の村々
 芳野村/古谷村/山田村/南古谷村/高階村/福原村/霞ヶ関村/大東村/名細村
六.新河岸川舟運について
 1.はじめに/2.河岸の成立/3.河岸問屋の発展/4.舟の種類/5.船頭/6.川越舟唄/7.舟運の衰退
七.川越まつりと山車
 まつりと山車/各町内の山車
菓子屋横丁川越歴史年表/新旧町名一覧/川越市成立の過程

「わが町 川越歴史散歩 小江戸の残照 小泉功 ルック 1995年 ★★★
「歴史散歩」というタイトルから分かるように、前掲の「川越 城と町まちの歴史」よりも、柔らかい感じの本で、新しい話題も追加されています。
 −目 次−
川越城址を歩く/川越城の堀/市役所付近/札の辻/菓子屋横丁/石原町/養寿院/養寿院と河越重頼の五輪塔/蔵造りの街時の鐘/鍛冶町と金山神社/金山神社の祭神/ 法善寺と奴の墓河越夜戦東明寺/鋳物師二軒/厩下町/鷹部屋町/大工町/鉄砲町/同心町/キリスト教会/蓮馨寺/熊野神社の杢網の碑/六軒町を歩く/中院/ 川越工業高等学校の前身/組屋敷/民部稲荷神社/天神社・六っ塚稲荷社/烏頭坂/熊野神社/雀の森喜多院/日枝神社(小仙波町)/喜多院の入定塚と瓦経/高松院の本尊/ 瀧池弁財天の本尊/三変呑天稲荷と御神体/小仙波遺跡出土の土器/新河岸川の河岸場仙波河岸仙波氏と長徳寺/仙波氷川神社界隈/寺尾城/寺尾貝塚/蓮光寺/藤間諏訪神社/ 藤原町遺跡/縄文土壙墓群/農兵反対の一揆/東光寺/伊佐沼/善仲寺/赤城神社と古墳/灌頂院/奥貫家/家康・家光鹿狩りの場老袋の弓取式川越の数学と藤宮神社/安養院と浄国寺/八咫神社とまんぐり/養竹院/広徳寺/比企氏と金剛寺/古墳群と三芳野の里/法城寺/日枝神社(上戸)/河越氏館/永命寺/最勝院/五畑東遺跡/旧小ヶ谷村と最明寺/発智庄平/尾崎神社/ 延命寺/中世の武家屋敷跡/福昌寺/大塚・豊田の新田開発/白髭神社の大相撲と東陽寺/西福寺の餅つき踊り南大塚古墳群/福田久松と大田学校/中福の新田開発/堀兼の井戸(狭山市)/ 大井戸(大井町)/鶴ヶ丘八幡神社(大井町)/六道の辻の地蔵さま(上福岡市)/福田屋の建物(上福岡市)/入間大橋界隈/釘無橋界隈/落合橋・雁見橋/一乗院と八幡神社/義民・関民部/ 脚折(鶴ヶ島市)/聖天院と高麗神社(日高市)

「東武東上線歴史散歩」 日野彰生 鷹書房 1986年 ★★
 豊かな自然と歴史を紀行する
奥行の深い自然を残す一方、新市街地や学園都市が次々に出現する東上線とその支線越生線沿線を各駅停車でルポして、関東武士のふるさと、豊島、練馬、埼玉の新しい息吹きをさぐる。

鶴瀬駅川越夜戦難波田弾正の館跡と三富新田の景観
 二市二町の夢/難波田氏館跡と十玉坊跡/コロボックルの碑/三芳野の里と三芳町/三富新田
上福岡駅新河岸川福岡河岸川越街道大井宿
 星野仙蔵と鉄道誘致/権現山と駒林の婿殺し/考証大井川/大井宿と大井戸
新河岸駅…川越夜戦の古戦場と川越夜舟の出発地
 砂久保陣場跡新河岸川舟運川越夜舟
川越駅・川越市駅…蔵造りの街、小江戸の風情
 ふるさと歩道を蓮馨寺へ/蔵造りの町並養寿院から菓子屋横町へ/旅籠宿石原町付近/川越夜戦激戦地、東明寺/川越総鎮守氷川神社/川越城の史跡/浮島神社から喜多院へ/
霞ヶ関駅…河越館のある三芳野の里
 名称の由来/常楽寺の河越館跡三芳野の里/鯨井の領主と社寺

「ふるさと再発見 埼玉県」 日地出版 1994年 ★★
 川越・所沢・奥武蔵
 川越市

「埼玉県の歴史散歩」 埼玉県高等学校社会科教育研究会歴史部会 山川出版社 1974年 ★★
 比企・入間路
一 都市化する武蔵野
 平林寺と野火止用水
 川越街道の宿場町
 志木河岸周辺
 <新河岸川舟運>
二 城下町川越
 喜多院
 <職人尽絵>
 川越城跡
 城下町と蔵造
 <川越祭りと山車>
 河越館跡と日枝神社
 川島郷

新版 埼玉県の歴史散歩」 埼玉県高等学校社会科教育研究会歴史部会 山川出版社 1991年 ★★
 比企・入間路
2 城下町川越
 喜多院
 <職人尽絵屏風>
 仙波東照宮
 中院
 川越城跡
 城下町川越
 <大沢家住宅>
 河越館跡
 <川越まつりと山車>
 遠山記念館
 <荘園と仏像>

「埼玉県の歴史散歩」 埼玉県高等学校社会科教育研究会歴史部会編 山川出版社 2005年 ★★
川越街道
1 中核市「小江戸」川越
蔵造りの町並み/(コラム)川越・季節の祭り/時の鐘・札の辻・菓子屋横丁/(コラム)市民の願いと運動が保存させた河越館跡/蓮馨寺/川越市立博物館/(コラム)川越氷川祭り/氷川神社/(コラム)どう保存できるか「川越織物市場跡」/川越城跡/川越キリスト教会と佐久間旅館/喜多院/仙波東照宮/(コラム)五百羅漢/日枝神社/成田山川越別院本行院/中院/(コラム)本川越駅・川越市駅・川越駅/光西寺/万葉遺跡占肩の鹿見塚/(コラム)「仙波河岸史跡公園」/カワモク本部事務所棟
中山道
2 武蔵武士のふるさと
(コラム)埼玉県の近代化遺産
あとがき/埼玉県のあゆみ/地域の概観/文化財公開施設/無形民俗文化財/おもな祭り/有形民俗文化財/散歩便利帳/参考文献/年表/索引

「わくわく埼玉県歴史ロマンの旅」 埼玉県立歴史と民俗の博物館編 学陽書房 2014年 ★★
  もくじ
はじめに
埼玉県全図
古代
  1 縄文の海辺の暮らしを伝える埼玉県を代表する貝塚  水子貝塚(富士見市)
  2 埼玉を代表する登れる′テ墳  稲荷山古墳(行田市)
  3 吉見百穴は墓か住居か?  吉見百穴(吉見町)
  4 埼玉で最も新しい前方後円墳  小見真観寺古墳(行田市)
  5 関東の石舞台といわれる大円墳  八幡山古墳(行田市)
  6 東日本最大規模の南比企窯跡群  鳩山町窯跡群(鳩山町)
  7 大化の改新の藤原鎌足をまつる仙境  多武峯(ときがわ町)
  8 歴代総理も参拝した出世明神  高麗神社(日高市)
  9 国宝や重要文化財を数多く収蔵する埼玉県最古の寺  慈光寺(ときがわ町)
 10 将門伝説が残る山上の神社  城峯神社(神川町)
 11 木曽義仲の父・源義賢の居館跡  大蔵館跡(嵐山町)
 12 四万部の経典を誦えたことに由来する観音霊場の寺  四萬部寺(秩父市)
鎌倉・室町期
 13 七年の歳月をかけて甦った極彩色の国宝  妻沼聖天山歓喜院(熊谷市)
 14 栗橋の地に眠る悲劇の女性、静御前  静御前墓所(久喜市)
 15 坂東武士の鑑と称された名将の館跡  菅谷館跡(嵐山町)
 16 発掘でわかった河越館跡と河越氏の盛衰  河越館跡(川越市)
 17 鎌倉幕府を支えた御家人の館  常光院(熊谷市)
 18 慈非深い高僧が建立した東国最古の禅寺  霊山院(ときがわ町)
 19 新田義貞による鎌倉攻めの激戦地  小手指ヶ原古戦場(所沢市)
 20 多くの武士が歩んだ鎌倉街道の峠道  笛吹峠(嵐山町・鳩山町)
 21 中世のおもかげ残る里  苦林宿・苦林野古戦場(毛呂山町)
 22 関東神楽の源流を伝える古社  鷲宮神社(久喜市)
 23 戦乱の中の詩歌会  平沢寺(嵐山町)
戦国期
 24 美しき伝承の残る山吹の里  龍穏寺(越生町)
 25 古河公方足利政氏の居館と久喜藩陣屋  甘棠院(久喜市)
 26 風流歌合戦を行った武将の館  難波田氏館跡(富士見市)
 27 武家の盛衰と寺名の変遷  陽雲寺(上里町)
 28 画人の戦国武将の城  一色館跡(幸手市)
 29 秀吉の大軍に抗した武人の浮き城  寿能城跡(さいたま市)
 30 関東屈指の戦国時代の名城  鉢形城跡(寄居町)
 31 史上初?犬を合戦に使った名将の城  岩槻城跡(さいたま市)
 32 小説、映画の舞台になった成田家の城  忍城跡と石田堤(行田市)
江戸期
 33 徳川幕府を支えた「黒衣の宰相」の寺  喜多院(川越市)
 34 徳川幕府を支えた伊奈一族  伊奈氏屋敷跡(伊奈町)・赤山城跡(川口市)
 35 徳川家康ゆかり、関東郡代伊奈氏の墓のある寺  勝願寺(鴻巣市)
 36 円空、日光街道を歩く  小淵山観音院(春日部市)
 37 名君と算術の達人が開通させた用水路  本多緑道・野火止用水(新座市)
 38 東日本を代表する美しき禅寺  平林寺(新座市)
 39 今でも江戸時代から変わらぬ時を告げる鐘  遷喬館・時の鐘(さいたま市)
 40 「にほんの里100選」に選ばれた江戸の大開発  三富新田と多福寺(三芳町)
 41 パナマ運河と同じ構造をもつ用水路  見沼代用水と見沼通船堀(さいたま市)
 42 大流行した坂東札所巡り≠フ名寺たち 慈光寺・正法寺・安楽寺・慈恩寺
 43 信仰の対象となった富士塚  木曽呂の富士塚(川口市)
 44 盲目の国学者の旧宅  塙保己一旧宅(本庄市)
 45 渡辺崋山の名作を残す寺  少間山観音院龍泉寺(熊谷市)
 46 日本100名城に選ばれた大広間の残る城  川越城本丸御殿(川越市)
 47 皇女和宮が宿泊した埼玉県内唯一の遺構  桶川宿本陣(桶川市)
 48 激動の幕末から明治を生きた根岸友山・武香父子  根岸家長屋門(熊谷市)
 49 山あいの名瀑と旧幕府方勇士の碑  黒山三滝(越生町)
近現代
 50 大宮の地名になった武蔵国の総鎮守  氷川神社(さいたま市)
 51 近代最大の農民蜂起「秩父事件」決起の舞台  椋神社(秩父市)
 52 日本の近代化を支えたレンガ工場  日本煉瓦製造株式会社上敷免工場の故地(深谷市)
 53 若き宮沢賢治が宿泊した旅館  旧本陣寿旅館(小鹿野町)
 54 「昭和の広重」も描いた美しい境内  上之村神社(熊谷市)
 55 小江戸川越と万能の天才画家  蔵造りの町並み(川越市)
 56 漫画の先駆者北沢楽天≠ニ盆栽村  盆栽町・さいたま市立漫画会館(さいたま市)
 57 成田一族の菩提寺と人間国宝  龍淵寺(熊谷市)
 58 詩人・立原道造の夢  ヒアシンスハウス(さいたま市)
 59 別所沼湖畔の「浦和絵描き」たち  別所沼公園(さいたま市)
 60 楽しみながら学べる!埼玉県の歴史や民俗  埼玉県立歴史と民俗の博物館(さいたま市)
◎埼玉県史跡関係年表

     

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作成:川越原人  更新:2020/06/03