川越の地誌1
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地 誌
(川越学事始め
/川越市沿革史概要
/川越の地誌
/埼玉史談
/川越閑話
/川越歴史随筆
/校注武蔵三芳野名勝図会
/「武蔵三芳野名勝図会 筋野本復刻版」
/埼玉叢書第二
/風土記埼玉
/埼玉の日本一風土記
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/『新編武蔵風土記稿』を読む
/新編武蔵風土記稿8
/新編武蔵風土記稿9)
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- ●地 誌
- ・「川越学事始め 〜郷土史の系譜を追う〜」 川越市立博物館 1995年 ★★★
- 第二章 地誌の時代
地誌とはある地域の全体を把握しようとするもので、地域の地名・位置・地形・気候・集落・交通・産物・風俗・習慣・伝承などについての記録である。日本において地誌編纂の気運が高まった時期は、過去に三回ほどあった。
日本における最古の地誌は奈良時代に編纂された風土記である。和銅6年(713)中央政府は諸国に対して、郡内に生息する動植物・鉱物などの種類、土地の地味、山川原野の名称の由来、古老の伝承などを記録にまとめて提出することを命じた。この記録が風土記と呼ばれたのは中国に手本を求めていたためである。古代の中国では私撰の地誌を風土記と呼んでいた。この時代はわが国の統一的歴史書である古事記や日本書紀の編纂も進められており、風土記によって統治の対象である国土を明らかにしようとする意図があった。
江戸時代になると地誌の編纂が再び活発に行われるようになった。公撰、私撰を問わず様々な地誌類が著された。この時代に多くの地誌が編纂されるようになったのにはいくつかの要因が考えられる。国内体制が安定してくると諸大名が自らの支配のために領地の資料を備えようとしたことや、交通の発達により名所、旧蹟の観光や社寺の参詣が盛んとなり名所記や案内記の需要が増大したためなどである。そして、江戸幕府においても地誌の編纂が開始され、文政7年(1810)に『新編武蔵風土記稿』が、また天保12年(1841)には『新編相模国風土記稿』が成立し、『御府内風土記』も作成された。
明治政府は江戸時代の各藩分立を解消し、強力な中央集権体制を確立しようとしたため、成立当初から国史編纂事業と並んで地誌編纂事業にも取り組んだ。明治5年(1872)、政府は「皇国地誌」の編集を命じ、明治8年には編集内容と着手方法を定めた「皇国地誌編輯例則并着手方法」を全国に示した。その内容は、各府県ごとに地誌担当者を置き、村誌・郡誌を作らせて政府に提出するものであった。埼玉県では明治12年から18年にかけて郡誌17冊、郡村誌103冊が完成し、政府に提出した。しかし全国的にみれば各府県の地誌編集事業は進まず、やがて未完成のままこの事業は中断してしまう。そのため明治時代の官撰地誌として刊行されたものは、明治7年の『日本地誌提要』と明治19年の『大日本国誌 安房 第三巻』のみであった。
このように日本の地誌は、江戸時代の地誌類に風土記という名称が多く使われたように、奈良時代の風土記の伝統を受け継いだものである。それが近代の「皇国地誌」や大正期の郡誌・県誌などにも引き継がれ、今日まで影響を及ぼしている。
- 一、地誌の系譜
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二、江戸時代の川越地誌
江戸時代の地誌は凡そ四つに類型化できる。第一は領国支配に役立つような儒学的色彩の濃厚な地誌、第二は日常生活に知識や利便性を与える案内型の地誌、第三は村明細帳的内容をもつ郷村単位の地誌、第四は体験記録型の紀行文である。これらのうちで、早くから発達したのは案内型の地誌である。案内型の地誌も当初は文芸的色彩が濃いものであったが、享保17年(1732)に『江戸砂子温故名跡志』が出てからは本来の地誌的・地理的傾向を強め、近世地誌の形式を確立するようになった。
川越にあっても18世紀中頃から案内型地誌があらわれてくる。『川越索麺』(板倉良矩著 寛延2年〔1749〕)、『多濃武の雁』(太陽寺盛胤著 宝暦3年〔1753〕)、『川越地理略』(関修齢著 明和4年〔1767〕)、『川越年代記』(海寿著 天明元年〔1781〕)と続くが、そのほとんどは武士階層か僧侶の手になるものである。やがてこれらの地誌の集大成として、鍛冶町の名主中島孝昌によって『武蔵三芳野名勝図会』(享和元年〔1801〕)が著される。川越地方におけるこうした案内型地誌の変遷は、江戸地誌の変遷現象を小型化したようで興味深いと評されている。
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(一)板倉良矩と『川越索麺』
板倉良矩が著した『川越索麺』は、江戸時代に書かれた川越の地誌としては最も成立年代が古く(寛延2年以前稿)、それ以後の地誌類に大きな影響を与えた。著者の板倉善左衛門良矩は川越藩主秋元凉朝の家臣であるが、禄高150石、大久保町(現新富町)に770坪の屋敷を構えていたこと以外不明である。
書名は当時川越の名産だった「そうめん」に因んだものである。内容は川越の町々、神社、寺院、旧跡、伝説などが順序を定めず記述されている。当時の川越城下を垣間見ることができる貴重な地誌である。
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(二)太陽寺盛胤と『多濃武の雁』
太陽寺盛胤の『多濃武の雁』は、『川越索麺』より四年後の宝暦3年(1753)に著された。太陽寺盛胤は『川越索麺』の板倉良矩と同様に秋元侯の家臣である。父の盛方は城内の西大手門付近に住み、藩の御用人役を勤めるなど上級の家臣であった。盛胤はその長男として生まれたが、何故か家督は四男の盛浮が継いでいる。
書名の由来は古歌によったもので、内容は川越城や藩士に関することを含み、町の来歴や神社・寺院・古跡のことが項目仕立でで記述されており、かなり整った体裁になっている。
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(三)関修齢と『川越地理略』
従来関修齢の著作と考えられていた『三芳野里名所旧蹟』は、その後半部の「川越地理略」だけが修齢のものと確認された。関修齢は通称を永一郎といい、松窓と号した。井上蘭台に学び、昌平校に入って後に林家の学頭にまでなったが、経歴は不明な点が多い。
「川越地理略」の奥書には、「修齢川越に成長し、幼稚の時より見聞を経ることを記憶仕りたると、村方帳の私記とを参考し録する・・・明和丁亥冬(明和4年 1767)」とある。内容は川越城から書き始めて城下の大要を記している。
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(四)海寿と『川越年代記』
天明元年(1781)頃とされる『川越年代記』は、一枚摺の地誌として版行された。内容は紙面を区切って記事を年代順に箇条書きしたもので、川越の移り変わりを要領よく理解できる。著者の海寿は高沢町(現元町二丁目)に住んでいた僧侶であるが、経歴など不明である。大正五年(1916)にこの書を刊行した安部立郎は、海寿の人物像を「当時の読書子にして又好事の人たりしを知る」と記している。
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(五)中島孝昌と『武蔵三芳野名勝図会』
『武蔵三芳野名勝図会』は江戸時代の川越地方地誌の集大成といえる。著者の中島孝昌(1766〜1808)は幼名を徳三郎といい、後に与兵衛を名乗り、鍛冶町の名主を勤めた。若くして文雅の道に志し、俳諧、和歌、狂歌を能くするとともに、茶の湯・生け花・謡曲なども嗜んだ。学問は海保青陵や伊藤恒庵について学んだといわれる。
『武蔵三芳野名勝図会』成立の事情は、孝昌の孫の与十郎(芳嶺)が著した『佐久良能仁保比』に次のような記述があるので参考のため引用する。(片仮名を平仮名に改めた)
寛政中島孝昌君公私の余暇を以て川越の古跡名区を探られ三年後稿を脱し一部三巻三芳野名勝図会と名づく 挿入の絵画は当時川越の雅友四・五名の手に成る処 書は鍛冶町其の頃の町代青柳保太郎書を能くするを以て五部皆同人の書なり 一部を藩侯に献ず 若干金を賞揚せらる 一部を鎮守氷川社へ一部を三芳野天神へ納む 二部を家に蔵せしを後ち藩命を以て又上製の方一部を献ず
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(六)その他の地誌
『三芳野名所旧蹟』
川越南町の斎藤久右衛門家に旧蔵されていたもので、『三芳野名勝図会』の草稿本という伝承がある。表紙は「川越記」と記されている。
『仙波川越由来見聞記』 大正6年写
原本は寛政5年(1793)の著と推定される。喜多院の沿革・宝物などと川越のことなどが羅列的に記されている。
『三芳野砂子』(川越年代記後編) 天保10年写
海寿著の『川越年代記』は天明元年(1781)頃一枚摺で版行されたが、その続編として『三芳野砂子』が存在したと伝えられている。この海寿著の『三芳野砂子』は今日残されていないが、『川越年代記』の写本の後半部に「後編三芳野砂子」が収められている。これは海寿のものとは別で、著者は不明である。
- 三、明治時代以降の地誌
江戸時代の川越地方では民間の手になる地誌が数多く存在したが、明治時代以降になるとその数は減少し、行政による地誌編纂が増えてくる。その契機となったものが、明治政府が推し進めた「皇国地誌」の編纂である。明治8年(1875)に「皇国地誌」の編集内容と着手方法が定められたが、それは各府県に村誌・郡誌の編集担当者を置き、数十項目にわたる調査を行って政府に提出するものであった。明治9年の『川越町地誌』はその過程で編纂されたものであろう。政府はこうして集めた村誌・郡誌と、これをもとに編集する州誌を総合して「皇国地誌」を作成する予定であったが、肝心の村誌・郡誌の提出状況は甚だ悪かった。そのため明治18年より内務省で直接編集することになり、再度地誌調査が実施された。明治19年の『古谷村地誌』や明治20年の『川越地誌』などはその調査に基づいて、連合戸長役場で編纂されたものである。
大正時代になると天皇の即位記念や郡制廃止を契機として、県郡史誌の刊行が全国的に盛んになってくる。大正元年(1912)の『入間郡誌』(安部立郎編)や『埼玉県誌』(埼玉県編)にみられるように、その編纂は個人や行政を巻き込んで行われた。
『川越町地誌』 新井政毅編纂 明治9年1月1日調
表紙に「明治九年一月一日調 地誌 第一大区一小区武蔵国入間郡河越町 新井政毅編纂」とある。明治政府は「皇国地誌」編纂のために、明治9年(1876)1月1日現在をもって町村の現況を調査し提出することを命じた。川越町ではこの命令を受けて、新井政毅がこの『地誌』を編纂し県に提出したものと考えられる。
『川越地誌』 明治20年7月調
表紙には「川越地誌」とあり、内容は「川越町地誌」「松郷村誌」「寺井村誌」「東明寺村誌」「小久保村誌」「脇田村誌」などで構成されている。川越町以下の6町村は明治5年(1872)の大区小区制の時に第一大区第一小区を構成し、明治17年の連合戸長役場制のもとでは川越町連合戸長役場の管轄下にあった。この『川越地誌』は写で伝わっているが、本来は明治18年以降の地誌再調査の際に、川越町連合戸長役場で編纂されたものであろう。
『古谷村地誌』 明治19年
内務省の地誌再調査の際、その基準ともなるべき「誌料標準」が示された。この『古谷村地誌』は、「誌料標準」にもとづいて記載項目別に印刷された罫紙にまとめられている。表紙は「古谷村地誌」となっているが、内容は古谷上村・古谷本郷・小中居村・大中居村・高島村・八ツ島村の地誌で構成されている。古谷上村以下6か村は明治17年(1884)に古谷上村連合戸長役場を編成しているため、この地誌が連合戸長役場で編纂されたことがわかる。
『三芳野名勝図会 続編』 戸泉近長・増田吉親編
前半は増田吉親による「川越城之記」、後半は戸泉近長の「増補参考 三芳野名勝図会続編」から構成されている。後半部には関修齢の「川越地理略」の引用もある。近長は、喜多町で材木などを商っていた竹川屋戸泉家三代目として、慶応2年(1866)11月3日に生まれている。経歴など不明であるが、『三芳野名勝図会』の写本(戸泉本)を所蔵していたことが、続編作成の契機になったと考えられる。
『埼玉県地理案内』 福田利右衛門編 明治38年
埼玉県下の商工業者の取引、交通の案内のために編集されたもので、埼玉県の地誌・沿革、各町の神社仏閣の由緒、旧跡などを記している。
『入間郡誌』 安部立郎編 大正元年
安部立郎により編纂された入間郡内の地誌。川越町には一章を立て、比較的多くの分量を当てている。その他の町村も現状・沿革、各大字、寺社名勝旧跡などを簡潔に記述している。
『埼玉県誌』 上・下2巻 大正元年
大正元年(1912)の陸軍大演習にあたり、大正天皇が埼玉県に行幸した際献呈されたものである。埼玉県の地理と歴史の概要を載せている。
『川越市沿革史概要』 川越市役所編 昭和7年
昭和2年に始められた市史編纂の委員である岸伝平氏がまとめた川越市沿革の大要。序言を川越市長早川金十郎、跋を川越図書館長辻尚邨が記している。
『市制十年誌』 川越市役所刊 昭和7年
- 四、現代の地誌
川越の地域を扱った郷土史誌関係の出版は、現代においても盛んに行われている。その編纂の経緯は様々であるが、川越市制30周年とか町村制施行百周年などの記念事業を契機としているものが多い。昭和63年頃から市内の自治会や公民館を中心として始められた町村制施行百周年の記念事業は、各地区で様々な地誌を生み出した。この機会に地域の歴史をもう一度振り返り、更なる郷土意識の高揚と地域づくりにむけて前身しようとする熱意が、自らの手による地誌編纂となったのであろう。新たな前進には郷土に対する再認識が求められるのである。
こうした地誌編纂運動は、自分たちの住む土地についての歴史、社会、風俗、伝承などを一つ一つ整理していくことであり、郷土に対する認識の第一歩である。いつの時代でも地誌が生み出されてくる必然性がそこにある。このことがそのまま郷土史研究に結び付くとは限らないが、現代の歴史学やその他の諸科学が接触すれば、郷土史研究へ発展していく可能性を十分秘めているものである。
『史実 江戸の母川越』 飯島謙輔著 昭和24年
『川越市制30年誌』 川越市制30周年祝賀委員会編 川越市発行 昭和27年
『川越の地誌』 岸伝平著 川越市発行 昭和27年
『やさしい川越の歴史』 大護八郎著 昭和28年
『仙波の郷土史』 岸伝平著 川越市教育委員会刊 昭和30年
『大東の歴史』 大護八郎著 大東中学校発行 昭和31年
『高階村史』 大護八郎著 高階村史刊行会刊 昭和33年
『霞ヶ関の歴史』 霞ヶ関郷土会編 昭和37年
『郷土資料の研究 山田の地誌』 川越市立山田小学校編 昭和39年
『六軒町之今昔 上』 岡田勇二郎著 川越市六軒町公民館刊 昭和43年
『霞ヶ関の歴史 第二集』 霞ヶ関郷土史研究会編 昭和45年
『芳野村郷土史稿』 大野貞著 川越市総務部市史編纂室編 昭和46年
『中台郷土史』 小島與七著 中台郷土史刊行会刊 昭和50年
『川越市今福の沿革史』 新井博著 川越市今福菅原神社氏子会刊 昭和50年
『名細郷土誌』 川越市立名細小学校編 昭和50年
『鯨井史』 鯨井史編纂委員会編 川越市鯨井自治会刊 昭和58年
『川越市菅原町誌』 菅原町誌編さん委員編 川越市菅原町自治会刊 昭和60年
『語り継ぐ町内史1チンチン電車』 三久保町町内史編集委員会編 川越市三久保町自治会刊 昭和63年
『南古谷の歴史』 南古谷の歴史編集委員会編集・発行 昭和63年
『高階の年中行事』 高階歳時記編集委員会編集・発行 平成元年
『南古谷の歴史民俗編』 南古谷の歴史民俗編編集委員会編 川越市南古谷公民館刊 平成元年
『霞ヶ関の史誌』 霞ヶ関の史誌編集委員会編 霞ヶ関郷土史研究会刊 平成2年
『高階の歴史』 高階の歴史編集委員会編 高階の歴史刊行会 平成2年
『くぼまち』 「くぼまち」編集委員会編 川越市久保町自治会刊 平成3年
『ふるさとの芳野 その歩み』 記念誌「ふるさと芳野」編集委員会編 芳野誕生100周年記念事業実行委員会刊 平成3年
『古谷村誕生 100周年記念誌』 100周年記念事業実行委員会編 川越市古谷地区自治会刊 平成3年
『高階のむかし話』 高階のむかし話編集委員会編 川越市高階公民館刊 平成3年
『ふくはら』 福原百周年記念誌編集委員会編 福原百周年記念誌編集委員会刊 平成5年
『大東百年のあゆみ』 大東百年祭実行委員会記念誌部会編 大東百年記念祭実行委員会刊 平成5年
- ・「川越市沿革史概要」 川越市役所編纂 明文堂書店 1932年 ★★★
- −目 次−
- 序 言
- 一 総 節
- 川越市の位置及地勢。地勢。広袤。交通。物産及商工業。川越市の各官衙及学校所在地。宗教社寺。市行政概要。
- 二 川越の名称
- 三 石器時代と古墳時代
- 四 伊勢物語と三芳野の里
- 五 坂東武士
- 六 河越氏
- 七 重頼の子孫
- 八 武蔵七党
- 九 皇室御領と河越之庄時代
- 一〇 上杉氏(後北条)時代
- 一一 川越築城の原因
- 一二 川越城に於ける上杉氏
- 一三 北条氏時代
- 一四 川越城
- 一五 旧城の概要
- 一六 川越藩
- 一七 川越藩歴代城主の沿革
- 一八 川越藩の領高
- 一九 城下町としての川越
- 二〇 川越城主一覧表
- 二一 町政時代の川越
- 二二 町政時代の教育概要
- 概要。学制頒布時代の学校。町政時代の学校。各中等学校図書館等
- 二三 町政時代並に市政時代の公職に就ける人
- 二四 川越市消防設備概況
- 二五 仙波の概要
- 二六 参考資料
- (一)元禄十一年川越市街屋敷社寺記>
- (二)川越地誌
- (三)松郷沿革記
- 跋
- ・「川越の地誌」 岸伝平 川越市 1952年 ★★★
- −目 次−
- 一、川越の地勢
- 二、川越の沿革
- 上古時代
- 文献による三芳野の里
- 河肥の庄と河越氏
- 上戸の陣
- 川越の名称
- 川越築城と上杉持朝
- 江戸時代の川越城主
- 城址の現状
- 三、川越の町制時代の区名
- 四、川越市町名の起立(川越市の町名と起立)
- 本町/南町/喜多町/高澤町/江戸町/多賀町/鍛冶町/志義町/上松江町/志多町/宮下町/宮元町/神明町/石原町/相生町/厩下町/橘町/鷹部屋町/境町/六軒町/中原町/蓮雀町/猪鼻町/松江町/久保町/三久保町/郭町/杉下町/小仙波町/西小仙波町/通町/新田町/脇田町/新宿町/喜志町/菅原町/仙波町/野田町/小室町/小ケ谷町/今成町
- 五、川越市地籍名一覧
- 大字川越・大字脇田・大字東明寺・大字寺井・大字小久保・大字松郷・大字小仙波・大字大仙波・大字大仙波新田・大字野田・大字今成・大字小室・大字野田新田・大字小ヶ谷・大字新宿・大字岸町
- ・「埼玉史談 第50巻第4号」 埼玉郷土文化会 2003年1月号 ★★
- 『川越索麪』から『多濃武の雁』へ 山野清二郎
はじめに
二
三
四
- ・「川越閑話 川越叢書第1巻」 岸伝平 国書刊行会 1982年 ★★★
- 竹隣居史談/「三芳野名勝図会」と中島孝昌
- ・「川越歴史随筆」 岡村一郎 川越地方史研究会 1981年 ★★★
- 8.「川越素麺」の著者板倉良矩について
- 9.南葵文庫「三芳野里名所旧蹟」について
- 10.関修齢の「川越地理略」
- ・「校注武蔵三芳野名勝図会」 校注/山野清二郎 川越市立図書館 1994年 ★★★
- −目 次−
- 解 題
- 一 本書の底本
- 二 図会出現の背景
- 三 図会の先行と独創
- 四 著 者
- 五 本書内容の価値
- 六 写本とその系統
- 七 付 言
- 八 凡 例
-
- 三芳野名勝図会序(漢文)
目録上之巻
- 河越之文字并名之事/山田庄/三芳野里/田面の雁之画/河越御城濫觴之事/城主上杉六世合戦之事/城代太田道真 同道灌之事/上杉朝定北条氏綱合戦之事/難波田弾正山中主膳歌贈答之事/同画/北条氏康両上杉合戦之事/附夜軍之説之事/河越御城歴代年数之事/河越連歌千句之事/同画/三芳野天神縁起宝物摂社/同八幡宮縁記(起)末社稲荷高松院之事/氷川社摂社/太田道灌和歌之事/同画/祭礼之事/同画二枚
中之巻
- 河越市/本町/札之十字街/薬師堂之旧地/稲荷祠/加茂下氏/夢想連歌/榎本氏/改/裏宿/鏡稲荷/古墳稲荷/大河内氏之第/宮ノ下/徂徠遇(寓)居之地/蔵町/いけす屋敷/御樹木/丸馬場/代官町/鍋屋第/喜多町/広済寺/シヤブキ婆々/坂上町/坂下/唯心庵/同画/志多町/長松院跡/東明寺/同画/枯木庵/東明寺橋/五箇村/神明宮/真行寺/土橋/田谷/高沢街/大蓮寺/爺榎婆榎/見立寺/水村氏/井上氏/六丘稲荷/鳥銃場/高沢橋/赤間川/同画/辷り淵/石原町/観音寺/偏木獅子/同画/袋町/教法院/水車/本応寺/読経祖師/愛岩(宕)祠/雀森八幡之旧地/江戸町/次原氏/裏店之事/大部屋/多賀町/孝子清七/常蓮寺/同画/時鳴鐘/鐘撞屋舗/同心町/南街/養寿院/同画/古鐘古墳/千寿院/養寿院門前/識法院/孝子西村氏/長喜院/行伝寺/枝垂桜/行伝寺門前/墨池庵/鍛冶町/金山社/法善寺/奴之墓/志義町/烏山稲荷/同画/瑞巌庵/孝子善助/御花畠/庚申塚/妙養寺/七面社/妙養寺門前/六軒町/久太郎狐/六軒町新建/境町/妙昌寺/弁財天社/冨士眺望
下之巻
- 十念寺/笠森稲荷/五反屋敷/六反屋舗/御鷹部屋/御茶屋跡/杉原町/栄林寺/秋葉社/御厩下/三ツ家/上松江町/松江市/同画/中松郷/大河内氏元服之地/下松郷/北久保町/南久保町/竪久保町/清水町/清水の井/西雲寺之旧地/鉄砲町/猪鼻町/猪鼻氏/蓮馨寺/同画/地蔵尊/十夜講/五智堂/熊野社/秋葉社/坊舎/蓮馨寺門前/窪/稲荷祠/笹の庵/鉦打町/本阿弥稲荷/庚申塔/大工町/中原/古長家/新長家/六軒町/瀬尾町/新田町/横新田町/黒門町/梵心山/民部稲荷/西町/大榎稲荷/西雲寺/新家/松井第/焔硝蔵/通町/八幡町/万蔵寺/赤座/八幡新田/壱番町/弐番町/同八幡宮/三番町/比丘尼畑/新三番町/大仙波新田/妙善寺/菅神社/稲荷祠/烏頭坂/冨士浅間社/愛宕社/同飛泉/仙波喜多院/同画/御霊屋/御本地薬師堂/随身門/大師堂/慈眼堂/古碑/楼門/三位稲荷/古鐘/中門/多宝塔/日吉山王社/白山祠/焔魔堂/坊舎/明星の井/明星杉/南院/放光堂/晴天祠/中院/釈迦堂/常念仏/百躰観音堂/弁財天祠/同画/老杉/冷泉/夷石大黒石/芭蕉翁句碑/雀河原/狼山/氷川祠/榎稲荷/小仙波/愛宕祠/不動堂/琵琶橋/牛来橋/窪町/浮島稲荷/夜奈川/尾崎岱/観音橋/隠居田/鳥井田/見通松/伊佐沼/同画/薬師堂/武蔵野/迯水/掘兼の井/同碑/同画/同浅間社/慈雲庵/河越産物
題三芳野名勝図会後詩
- ・「武蔵三芳野名勝図会 筋野本復刻版」 川越市文化財保護協会 1986年 ★★★
- −目 次−
- 解 題
- 一 本書印刷の底本
- 二 図会出現の意義
- 三 図会の先行
- 四 著者及序跋者、画家
- 五 内容の批評
- 六 原本並写本の伝統
- 七 各本の概観
- 八 凡 例
-
- 三芳野名勝図会序
- 題三芳野名勝図会後詩(清成)
- 三芳野名勝図会目録
-
- 上之巻
- 河越之文字并名之事/山田庄/三芳野里(田面の沢、たのむの里、入間の里)/田面の雁之画(都雄筆)/河越御城濫觴之事/城主上杉六世合戦之事/城代太田道真同道灌之事/上杉朝定北条氏綱(天文六年七月十五日)合戦之事/難波田弾正山中主膳歌贈答之事/同画(素鸞筆、諸本狩野梅信筆とせり)/北条氏康両上杉(天文十五年四月二十日)合戦之事/附夜軍之説之事/河越御城歴代年数之事/河越連歌千句之事/同画(萩野氏都雄筆)/三芳野天神縁起宝物摂社(恵比寿大黒稲荷 庚申)/同八幡宮縁起末社稲荷高松院之事/氷川社、摂社(山王 稲荷 八幡 春日 牛頭天王)/太田道灌和歌之事/同画(萩野氏都雄筆)/祭礼之事/同画二枚
中之巻
- 河越市/本町/札之十字街/薬師堂之旧地/稲荷祠(大屋敷)/加茂下氏/夢想連歌/榎本氏/改/裏宿(栄林寺墓地)/鏡稲荷/古墳稲荷/大河内氏之第/宮ノ下/徂徠偶居之地/蔵町/イケス屋敷/御樹木/丸馬場/代官町/鍋屋第/喜多町/広済寺(金毘羅祠)/シヤブキ婆々/坂上町(獄舎裏宿)/坂下/唯心庵/同画(春曙堂都雄画)/志多町/長松院跡/東明寺/同画(井上氏元朗(諸本井上氏興行に作る)画)/枯木庵/東明寺橋/五箇村/神明宮/真行寺/土橋/田谷/高沢街/大蓮寺/爺榎姥榎/見立寺/水村氏/井上氏/六丘稲荷/鳥銃場/高沢橋/赤間川/同画(素鸞筆(諸本墨地庵烏丘■に作る))/辷り淵(安田、深尾喧嘩之事)/石原町/観音寺(百躰観音、大日堂、弁天祠、篠田三郎行家の事、篠田稲荷)/偏木獅子/同画(元朗画(諸本吉川繁次筆))/袋町/教法院/水車/本応寺/読経祖師(円乗坊安置9/愛宕祠/雀森八幡之旧地/江戸町/次原氏/裏店之事/大部屋(稲荷祠)/多賀町/孝子清七/常蓮寺/同画(松本烏丘筆)/時鳴鐘/鐘撞屋舗/同心町/南街/養寿院(山王、白山、妙見祠)/同画(素鸞筆)/古鐘古墳/千寿院(稲荷祠)/養寿院門前/識法院/孝子西村氏(南町)/長喜院/行伝寺/垂枝桜/行伝寺門前/墨池庵/鍛冶町/金山社/法善寺/奴ヶ墓/志義町/烏山稲荷/同画(春曙堂松月筆)/瑞巌庵/孝子善助/御花畠/庚申塚/妙養寺/七面社/妙養寺門前/六軒町(喜之助町)/久太郎狐/六軒町新建/境町/妙昌寺/弁財天社/冨士眺望(注、此画原本諸本共に筆者の名を脱す)
下之巻
- 十念寺(境町)/笠森稲荷/五反屋敷/六反屋舗/御鷹部屋/御茶屋跡/杉原町/栄林寺/秋葉社/御厩下/三ツ家/上松江町/松江市/同画(文雄筆)/中松郷/大河内氏元服之地/下松郷/北久保町(行伝寺墓地)/南久保町/竪久保町/清水町/清水の井/西雲寺之旧地/鉄砲町/猪鼻町/猪鼻氏/蓮馨寺/同画(元朗筆(諸本井上興行画))/地蔵尊(三仏堂正面ニ安置)/十夜講/五智堂/熊野社(稲荷祠)/秋葉社(弁天祠)/坊舎/蓮馨寺門前/窪/稲荷祠/笹の菴/鉦打町/本阿弥稲荷/庚申塔/大工町/中原/古長家/新長家/六軒町/瀬尾町/新田町/横新田町(大久保町)/黒門町/梵心山/民部稲荷/西町/大榎稲荷/西雲寺/新家/松井第/焔硝蔵/通町/八幡町/万蔵寺/赤座/八幡新田/壱番町/弐番町/同八幡宮/三番町/比丘尼畑/新三番町/大仙波新田/妙善寺/菅神社/稲荷祠/烏頭坂/冨士浅間社/愛宕社/同飛泉/仙波喜多院/同画(春曙堂松月筆)/御宮(諸本御霊屋)/御本地薬師堂/随身門/大師堂/慈眼堂/古碑/楼門/三位稲荷/古鐘/中門/多宝塔/日吉山王社/白山祠/閻魔堂/坊舎/明星の井/明星杉/南院/放光堂/晴天祠/中院/釈迦堂/常念仏/百躰観音堂/弁財天祠(二子之池)/同画(松月筆)/老杉/冷泉/夷石大黒石/芭蕉翁句碑/雀河原/狼山/氷川祠/榎稲荷/小仙波/愛宕祠/不動堂/琵琶橋/牛来橋/窪町/浮島稲荷/夜奈川/尾崎岱/観音橋/隠居田/鳥井田/見通松/伊佐沼/同画(素鸞筆(諸本龍岳筆))/薬師堂/武蔵野/掘兼の井/同画(松月筆)/同浅間社/慈雲庵/掘兼の碑/迯水/河越産物
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六 原本並写本の伝統
- 名勝図会原本並写本の系統略図
| | | ┏ | 享和三年菅原氏写本(現中学本○) | ━━━は系統を引ける正確なもの |
┃ | ├ | 小ヶ谷内田氏写本━━━┳ | 林本○ | ───は推定 |
┃ | │ | ├ | 戸泉本○ | ○ は一覧し得たるもの |
┏ | 享和元年原本(現中島本) | ╋ | ╋ | ━━━━┳━━━━━━┻ | 井上本○ |
┃ | | ┃ | ┃ | | ├─────── | 斎藤本○ |
┃ | ┃ | ┃ | | ├黒須本後西村本(現在紛失) |
┃ | ┃ | ┗ | 榎本本 | ┫ |
中島孝昌 | ┫ | ┃ | | | ┗━━━━━━━ | 増田本○ |
| ┃ | ┗ | 天保三年書肆某写本━━━┳ | 北野本○ |
┃ | | | | ┗ | 佐藤澄注記本┛
┃ | | | | ┌─────── | 山田本○ |
┣ | 享和三年本━━━━━━━━ | ━━━━━━ | ┻━━━━━━━ | 帝国図書館本○ |
┃ | | | | | ┌─────── | 山田氏抄本○ |
┗ | 文化元年原本(現筋野本○) | ━━━━━━ | ┻━━━━━━━ | 川越図書館本○ |
因に右諸本の外天神社現蔵本及綾部氏の蔵本(新井政毅氏旧蔵本)等は未た一覧の機を得ず。
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- 七 各本の概観
- ・中島本及井上本 大形各三冊
中島氏所蔵の原本は目下他に貸付しありて、不幸未た一覧の機を得ずと雖、殆ど完全に之を模写したりと信ずべき井上本によれば、結構大体に於て筋野本と相異らず相劣らざるを見る。但注記の文章等に僅少の増刪あり、序跋(巻初海保氏の序、巻末和文自跋、享和二菅氏の後詩、松本氏の跋)の年次並次第に多少の変化あり、絵画の筆者同一人にあらさるもの五六(井上本未だ絵画を写入せず従て図面の相違幾何なるや判すべからす)あり。而して此形式は大体に於て、多数の写本に転々写記せられたる也。(物産の條に文政十三年の追加一條あり)
- ・中学本 中形三冊
川越中学の蔵本にして、奥書に「右者享和三癸亥三月十日小久保之住何某橋本平盛章方へ持参ス則一覧之後書写スル者也。筆者菅原業祇、菅之業永、平盛章」とあり。転写本中恐らく最古に属すべく、序跋並画者の形式全く中島本に同しと雖、唯図画を載せず、巻末に其目を列記し併せて詩歌の賛を掲くるに止む。写字の体裁不可ならず。
- ・林本 小形三冊
田面沢村内田伯太郎氏の蔵本によりて林武司氏が筆写する所、原本の草字を写出するに苦心の跡見ゆと雖、併せて内田本の大体を窺ふへし。本文ざん入なく、序跋等中島本並中学本に準じ、且図画並画賛を巻尾に附する所、或は寧ろ中学本に近きやの感あらしむ。
- ・戸泉氏書入れ本 中形三冊
戸泉道太郎氏の所蔵に係り、主要ならざる部分に於て省略ありと雖、他の見聞によりて記入する所甚た多し。川越千句集を全入し又戸泉氏の自輯名所図会続編と称するものを追加したるが如きは、其最も尤なる一例也。凡例あり、序跋等皆略す。
- ・斎藤本
中島氏原本若くは榎本本等に系統を有する写本にして巻末に明治十一年前後の社寺現状届出書を添ふ。
- ・増田氏書入本 合本一冊
旧榎本氏(志義町)の蔵本によりて増田吉親氏の手写する所に係り、主要ならさる部分に於て省略ありと雖、又他の見聞を基として注記を加へたるもの少からず、且碑文の写を入るゝこと多く又元禄七年の川越古図を挟みたり。序文あり、凡例もあり、後詩あり、和文の自跋すあれとも、松本藻彦の跋文を脱す。絵画も未た其全体を写入せず。
- ・北野氏蔵本 全三冊
本文僅少の増減あり。絵画を略す。序文あり凡例あり巻末に自跋(和文)後詩並松本氏の跋文を載せたる外、佐藤隠懶斉の後記あり(其文前掲)本書は中頃北野氏の手に帰せると覚し。(本書中の増入の部分は多く文学俳諧等に関するもの又入西領寿穏堂の注書一所あり)
- ・山田氏全写本 全三冊の中現に三冊を欠く。
此書数巻を分つこと十六、(三 四、八 九、十二、十三、巻欠)本文以外増減殆となし。但巻末永女の歌の後の少しく文歌を附す。序文凡例並松本氏の跋文を略し、漢文の自跋あり。巻初に三芳野並氷川社の二図を収め他の画を省く。此書、中頃山田氏の手に入りしと覚し(今山田氏依托図書として川越図書館にあり)
- ・帝国図書館本 全三冊
東京上野図書館の蔵本にして、本文以外増減する所なく、且明白に筆写せり。序文あり後詩(巻初に入る但享和三年の作)あり、凡例あり、巻末に漢文の自跋及松本藻彦の跋文の載せ、絵画二十葉悉備はる(但鐘楼及松郷市図たけ筋野本と異る)
- ・山田氏抄写本
明治三年山田衛居氏が三芳野天神社の旧本(此時のものは恐らく原本ならん)に就て抄写したるものにして、極めて簡単なる一小冊子を成す。然れとも氷川社、氷川祭礼及唯心庵の三図は特に之を写入せり、序跋の如き固より之を去れり。(現に川越図書館に寄托せり)
- ・三芳野神社本(書物未見)
本書の来歴に就て、天神縁起に記す所によれば
(中島氏の奉納本)何時の頃紛失せしにや伝はらす因て江戸町区長長坂本久兵衛当社惣代肥塚經重と謀り、他の古写本を購ひ之を当社の文庫に収め以て中島氏の遺志を継き云々
とあり。但内容体裁未た詳ならず。
- ・川越図書館本
筋野氏の原本を比較的完全に模写し且諸本の異同を校合朱書せり。されは本印刷の原稿に比し校舍記入の部稍多く且図絵の趣原本を彷彿せり。
- ・「埼玉叢書 第二」 埼玉懸史編纂事務所 柴田常惠・稲村坦元編 三明社 1929年 ★★
- 多濃武の雁
- ・「風土記埼玉 92市町村の素顔」 埼玉地理学会編 さきたま出版会 1977年 ★★
- 秩父という歴史的風土をもつ埼玉とは何か、武蔵野としての埼玉とは何か、そして首都圏としての埼玉とは何か―――等々、埼玉という地域社会を見つめ、その風土的個性を浮きぼりにしていく教養書。歴史、地理、社会経済、自然科学、文化など様々な分野から興味深いテーマをとりあげて行く。
- ■入間地方
- 川越市
- 伝統色豊かな旧市街/文化財の宝庫/交通の移り変わり/郊外の都市化
- ・「埼玉の日本一風土記」 関根久夫 幹書房 2010年 ★★
- 第三章 埼玉の郷土の歴史・文化、日本一
- 13 日本一の「小江戸」川越
- ◆全国最初の小江戸
- ◆全国唯一の江戸城の建物遺構
- ◆川越の「日本三大」
- ★日本三大蔵の街
- ★日本三大夜戦
- ★日本三大東照宮
- ◆小江戸・川越を歩く
- コラム 川越は、いもの町
- ・「埼玉のおきて サイタマを楽しむための52のおきて」 (編)埼玉県地位向上委員会 (構成)大塚幸代 泰文堂 2014年 ★★
- 第1章 買物・グルメ編
- おきて01 デパートはやっぱり「丸広」「八木橋」
- おきて02 埼玉県民のソウルフードは「山田うどん」!?
- おきて03 買い物するなら「ヤオコー」か「ベルク」
- おきて04 ファミレス感覚で「日高屋」に行く
- おきて05 埼玉のイタリアンといえば「るーぱん」か「馬車道」
- おきて06 「しまむら」のブレイクにはびっくりした
- おきて07 ディスカウントストアといえば「ロヂャース」
- おきて08 「コエドビール」がお洒落カフェに置いてあるとニヤリとしてしまう
- おきて09 東松山の「やきとり」は「やきとん」
- おきて10 「うまい、うますぎる」といえば「十万石まんじゅう」
- おきて11 餃子といえば「ぎょうざの満洲」
- 第2章 学校編
- おきて12 中学生は「北辰テスト」に命をかける
- おきて13 「光化学スモッグ」でプールが中止になった
- おきて14 他県では「硬筆の授業」をやってないと知り驚愕する
- おきて15 学期末は給食が豪華になる
- おきて16 いまだに公立の男子高・女子高が多い
- おきて17 「ウオーターボーイズ」が全国に広がったのが誇らしい
- おきて18 名前を呼ばれたら「ハイ、元気です!」
- おきて19 卒業式の定番ソング「旅立ちの日に」は埼玉生まれ
- 第3章 生活習慣編
- おきて20 自分が住む沿線以外は正直よく知らない
- おきて21 ある意味「池袋」までは埼玉と思っている
- おきて22 大宮での待ち合わせは「まめの木」
- おきて23 「埼玉県民の日」には東京ディズニーランドを目指す
- おきて24 「テレ玉」の音楽番組は少々かたよっている
- おきて25 FM局なのにスポーツ中継をしている「NACK5」
- おきて26 海を見るとテンションが急上昇
- おきて27 他県民から冬には「埼玉さっみー!」夏には「埼玉あっつ!」といわれる
- 第4章 名物・自慢編
- おきて28 「埼玉名物」を聞かれててもうまく答えられない
- おきて29 「浦和レッズサポーター」は阪神ファンのように熱い!
- おきて30 ライオンズの歌「地平を駈ける獅子を見た」が耳からはなれない
- おきて31 アイドルやお笑い芸人の宝庫 埼玉出身の有名人
- おきて32 「ひな祭り」と「子供の日」は埼玉が支えている!
- おきて33 なぜか「アニメの聖地」がいっぱいある
- おきて34 羽生市は「ゆるキャラ」たちの甲子園だ!
- おきて35 2020年には埼玉でも「オリンピック」が開催される
- おきて36 「東京公演」扱いにされる「さいたまスーパーアリーナ」
- おきて37 「サイボクハム」はハム屋じゃなくてレジャーランドだ
- おきて38 「ガリガリ君」も「雷おこし」もメイド・イン・埼玉
- おきて39 観光地といえば「小江戸・川越」
- 第5章 地理編
- おきて40 「さいたま市」というネーミングにはいまだに納得いっていない
- おきて41 県民でも知らない市がたくさんある
- おきて42 「鴻巣」の免許センターが遠過ぎる!
- おきて43 「浦和」とついた駅が多過ぎる!
- おきて44 「国道」と「インターチェンジ」で県内の地理を把握している
- おきて45 なぜか蕨には「クルド人」が集まっている
- 第6章 本音・常識編
- おきて46 「県民性がない」のが県民性?
- おきて47 「東京への忠誠心」がハンパない
- おきて48 「浦和」と「大宮」のライバル関係はガチ!
- おきて49 自分の「方言」に気付いていない
- おきて50 「阿波踊り」に「よさこい」県外からきた祭りが急増中
- おきて51 「4大公営ギャンブル」をコンプリートしている
- おきて52 東京と神奈川にはかなわないが「千葉には勝っている」と思っている
- ・「『新編武蔵風土記稿』を読む」 重田正夫・白井哲哉 編 さきたま出版会 2015年 ★★
- 目 次
- はしがき 『新編武蔵風土記稿』への誘い………重田正夫・白井哲哉
- 序 章 『新編武蔵風土記稿』を読む………大舘右喜
- 第1章 『新編武蔵風土記稿』のなりたち
- 編纂の工程と活動 ― 着手から完成まで………白井哲哉
- 明治以降の流布 ― 写本から印刷へ………重田正夫
第2章 『新編武蔵風土記稿』の記述に郷土を読む
- 「地誌御調書上帳」について ― 本文記述の基礎データ………白井哲哉
- 江戸近郊の村の江戸以前=@― 荏原郡居木橋村(東京都品川区)………白井哲哉
- 低地の村と河川 ― 葛飾郡権現堂村(埼玉県幸手市)………原 太平
- 開港前の横浜の姿 ― 久良岐郡横浜村・吉田新田(神奈川県横浜市)………斉藤 司
- 村人のいなかった新田 ― 多摩郡廻り田新田(東京都小平市)………三野行徳
- 本陣家とその由緒 ― 足立郡浦和宿・大門宿(埼玉県さいたま市)………兼子 順
- 城下町の建設過程 ― 入間郡川越町(埼玉県川越市)………大野政己
- 武蔵国の原風景 ― 入間郡亀窪村(埼玉県ふじみ野市)………秋山伸一
- 比企丘陵の景観と村絵図 ― 比企郡赤沼村(埼玉県鳩山町)………渡辺 一
- 「褒善者」吉田市右衛門の活動 ― 幡羅郡下奈良村(埼玉県熊谷市)………栗原健一
- 両神山麓のむらの暮らし ― 秩父郡薄村(埼玉県小鹿野町)………飯塚 好
第3章 『新編武蔵風土記稿』の挿図に郷土を観る
- 『新編武蔵風土記稿』挿図の概要………重田正夫
- 寺社の境内(1) ― 木下川薬師浄光寺(東京都葛飾区)………橋本直子
- 寺社の境内(2) ― 野火止平林寺(埼玉県新座市)………藤井孝文
- 寺社の境内(3) ― 三室氷川女體神社(埼玉県さいたま市緑区)………青木義脩
- 寺社の境内(4) ― 妻沼聖天堂(埼玉県熊谷市)………太田富康
- 寺社の境内(5) ― 秩父札所(埼玉県秩父市ほか)………重田正夫
- 樹木の名所 ― 豊島郡稲付村・飛鳥山(東京北区)ほか………平野 恵
- 名所の眺望 ― 金沢八景(神奈川県横浜市金沢区)………斉藤 司
- 多摩の村落景観 ― 南多摩の村々(東京都八王子市、多摩市)………清水裕介
- 自然景観 ― 両神山之図(埼玉県小鹿野町)・荒川海流図(同秩父市)………本間岳史
- 河川と灌漑施設 ― 見沼代用水柴山伏越(埼玉県白岡市)ほか………橋本直子
- 関所と渡し ― 房川渡(埼玉県久喜市)・栃本関所(埼玉県秩父市)………杉山正司
- 古代の遺跡 ― 埼玉古墳群・小埼沼(埼玉県行田市)………中島洋一
- 戦国期の城跡 ― 男衾郡白岩村鉢形城蹟(埼玉県寄居町)………浅野晴樹
- 仏像と鋳物師 ― 埼玉県郡町場村大聖院(埼玉県羽生市)………林 宏一
- 武器と武具 ― 埼玉郡久喜町甘棠院(埼玉県久喜市)………杉山正司
- 石造物 ― 比企郡下里村大聖寺(埼玉県小川町)………諸岡 勝
- 古文書 ― 「武州文書」との比較から………重田正夫
第4章 『新編武蔵風土記稿』を現代に生かす
- 地域史研究と『新編武蔵風土記稿』………織本重道
- 根岸友山・武香顕彰会について ― 「風土記稿」を世に出した根岸家………岡田辰男
- 『新編武蔵風土記稿』の引用と活用 ― たましん地域文化財団の活動………保坂一房
- 自治体史としての「足立風土記」 ― 町単位の編纂事業………多田文夫
- 『新編武蔵風土記稿』で歩く「秩父往還」………飯野頼治
- 歴史教育と『新編武蔵風土記稿』………児玉典久