昭和二九年(1954)から三三年にかけて「川越叢書」全10巻が「川越叢書刊行会」から刊行された。これは戦後の新しい郷土史研究の成果を、川越の郷土史家に執筆してもらうことで、この叢書によって川越の歴史、地理、文化財、民俗、芸能が判るように計画されていた。叢書の刊行は当時の川越商工会議所会頭の伊藤長三郎が中心となり「川越叢書刊行会」を発足させて行った。その趣意書は「郷土文化の向上と社会教育資料の提供を目指し、かつまた近い将来に企画されるであろう『川越市史』編纂の地均しをする意味において、敢えて公刊する次第です」と述べている。この叢書は当時の川越の郷土史研究の集大成として、今日でもその価値は失われてはいない。またこの企画に川越市在住の美術家が各巻の装丁に協力していることも注目される。なお当初の計画では第一期10冊とし、内訳は次のようになっていた。『川越閑話』(岸伝平) 『川越夜船』(岡村一郎) 『遠古の川越』(大護八郎) 『川越藩の農政』(林織善) 『川越夜話』(岸伝平) 『川越の民俗』(山田勝利) 『川越茶』(大護八郎) 『川越の蔵造』(宮下辰夫) 『川越城と城下町』(岡村一郎) 『文学史上の川越』(近藤鉄城)
・『川越閑話』 川越叢書第1巻 岸伝平著 久保提多装丁 昭和29年
・『川越夜船―新河岸川舟運史―』 川越叢書第2巻 岡村一郎著 相原久太郎壮丁 昭和29年
・『遠古の川越』 川越叢書第3巻 大護八郎著 大沢寛装丁 昭和29年
・『川越の民俗』 川越叢書第4巻 山田勝利著 川田恒之輔装丁 昭和29年
・『川越の蔵造―社会経済史的背景―』 川越叢書第5巻 宮下辰夫著 多比羅栄一装丁 昭和30年
・『川越夜話』 川越叢書第6巻 岸伝平著 加藤勤装丁 昭和30年
・『川越の城下町』 川越叢書第7巻 岡村一郎著 荒井正隆装丁 昭和30年
・『河越氏と河肥庄―郷土の鎌倉時代史―』 川越叢書第8巻 内山留吉著 秤雄吉装丁 昭和31年
・『茶の歴史―河越茶と狭山茶―』 川越叢書第9巻 大護八郎著 武藤弘之装丁 昭和32年
・『川越藩政と文教』 川越叢書第10巻 岸伝平著 昭和33年
1930年9月号<旧第2巻第1号> | 川越城趾考 | 岸伝平 | 18 |
1931年3月号<旧第2巻第4号> | 三芳野里旧地考 | 林織善 | 248 |
1931年9月号<旧第3巻第1号> | 歌麿の出身地は川越か | 岸伝平 | 40 |
1932年11月号<旧第4巻第2号> | 戦国時代の武蔵川越 | 渡辺世祐 | 87 |
1933年1月号<旧第4巻第3号> | 戦国時代の武蔵川越(承前) | 渡辺世祐 | 162 |
1934年11月号<旧第6巻第2号> | 新河岸川往来 | 峯岸久治 | 113 |
1936年3月号<旧第7巻第4号> | 川越の刀匠玉麟子 | 相場重雄 | 268 |
1936年9月号<旧第8巻第1号> | 児玉郡秋平村に於ける川越藩の鉄砲射撃場 | 金鑽武城 | 47 |
1939年3月号<旧第10巻第4号> | 関東の医祖田代三喜 | 稲村坦元 | 213 |
川越の伝説(1) (一)早川茂右衛門 | 岸素庵 | 251 | |
1939年5月号<旧第10巻第5号> | 川越の伝説(2) (二)森本君所と絵草紙屋の看板娘 (三)初雁の杉三芳野神社 | 岸素庵 | 336 |
1939年7月号<旧第10巻第6号> | 川越の伝説(3) (四)太田道灌の智謀と霧吹の井戸 (五)夜奈川の小石供養 | 岸素庵 | 393 |
1939年9月号<旧第11巻第1号> | 北武蔵の数学(上) | 三上義夫 | 1 |
川越の伝説(4) | 岸素庵 | 53 | |
1939年11月号<旧第11巻第2号> | 北武蔵の数学(下) | 三上義夫 | 69 |
1941年1月号<旧第12巻第3号> | 和算家大野旭山 | 大野貞 | 164 |
1941年8月号<旧第12巻第6号> | 監野転頼近及大野旭山の数学伝系(上) | 三上義夫 | 305 |
1941年10月号<旧第13巻第1号> | 監野転頼近及大野旭山の数学伝系(中) | 三上義夫 | 305 |
1942年1月号<旧第13巻第2号> | 監野転頼近及大野旭山の数学伝系(下) | 三上義夫 | 305 |
1952年2月号<第1巻第1号> | 古文書より見たる新河岸川舟運(1)―天明の船方趣法書― | 岡村一郎 | 24 |
1952年4月号<第1巻第2号> | 「川越閑話」奴名主 | 岸伝平 | 19 |
古文書より見たる新河岸川舟運(2) | 岡村一郎 | 21 | |
武蔵野の算額 | 野口泰助 | 36 | |
1952年11月号<第1巻第4・5合併号> | 入間川水系の原始文化 | 大護八郎 | 22 |
埼玉の時の鐘 | 岸伝平 | 46 | |
1953年5月号<第2巻第1号> | 古文書より見たる新河岸川舟運(3)―嘉永3年の繋船騒動― | 岡村一郎 | 19 |
1953年8月号<第2巻第2号> | 新河岸川舟運船賃表の考察(上) | 岡村一郎 | 22 |
1953年12月号<第2巻第3・4合併号> | 新河岸川舟運船賃表の考察(下) | 岡村一郎 | 21 |
1954年12月号<第2巻第6号> | 上杉・北条氏時代の川越城下町(上) | 岡村一郎 | 16 |
1956年3月号<第3巻第1号> | 上杉・北条氏時代の川越城下町(中) | 岡村一郎 | 26 |
落栗庵元木網とその生地 | 岸伝平 | 42 | |
1956年6月号<第3巻第2号> | 上杉・北条氏時代の川越城下町(下) | 岡村一郎 | 17 |
河越茶(狭山茶)の歴史(上) | 斎藤勝治 | 27 | |
榎本弥左衛門忠重の万の覚 | 岸伝平 | 38 | |
1956年10月号<第3巻第3号> | 河越茶(狭山茶)の歴史(下) | 斎藤勝治 | 25 |
1958年5月号<第5巻第1号> | 江戸城東照宮の川越移建について | 山田勝利 | 1 |
川越歴史散歩(一) 仙波山のたぬき/鳥頭坂考/塚原ト伝の川越試合/坊主、からたち、医者、山伏/ 大字書きの喜右ヱ門 | 岡村一郎 | 36 | |
関東平氏秩父氏の発展 | 前島康彦 | 41 | |
1958年8月号<第5巻第2号> | 「川越素麺」の著者板倉良矩 | 岡村一郎 | 42 |
1958年11月号<第5巻第3号> | 川越歴史散歩(二) 算額クイズを解く/馬のきん抜事始め/沙羅双樹の花の色/喜多院と三光鳥 | 岡村一郎 | 39 |
1960年7月号<第7巻第1号> | 続川越歴史散歩(1) 角大師と豆大師/床屋のおろち/へいさらばさら | 岡村一郎 | 14 |
1960年10月号<第7巻第3号> | 柳沢吉保の三富開墾 | 岸伝平 | 10 |
続川越歴史散歩(2) 額を撫でてみよ/心得がたき御意に候/五百目玉の抱え打 | 岡村一郎 | 39 | |
1961年6月号<第8巻第2号> | 関修齢の「川越地理略」 | 岡村一郎 | 16 |
1961年12月号<第8巻第4号> | 埼玉における円空の彫刻 | 稲村竹渓 | 7 |
1962年7月号<第9巻第2号> | 埼玉の夏祭り | 山田勝利 | 1 |
1964年6月号<第11巻第1号> | 明治天皇行幸図巻と山田衛居 | 岸伝平 | 12 |
正岡子規と川越 | 岡村一郎 | 18 | |
1964年10月号<第11巻第2号> | 武蔵国川越領産物絵図帳(上) | 岡村一郎 | 6 |
1965年1月号<第11巻第3号> | 武蔵国川越領産物絵図帳(下) | 岡村一郎 | 10 |
1965年5月号<第12巻第1号> | 川越十ヵ町火消の出方(上) | 岡村一郎 | 14 |
1965年8月号<第12巻第2号> | 川越十ヵ町火消の出方(下) | 岡村一郎 | 21 |
1966年1月号<第12巻第3号> | 藤間流の始祖勘兵衛と川越市藤間 | 大護八郎 | 1 |
近世河岸問屋成立の一考察 | 斎藤貞夫 | 13 | |
1966年7月号<第13巻第2号> | 川越大火の新聞と号外 | 岡村一郎 | 20 |
川越の測量家鈴木宗徳 | 野口泰助 | 31 | |
1967年7月号<第14巻第2号> | 川越藩版日本外史に二条家の抗議 | 武田勝蔵 | 6 |
小林一茶の「草津道の記」(上) | 岡村一郎 | 20 | |
武州新河岸川舟運の商品流通―八王子石灰について― | 斎藤貞夫 | 25 | |
1967年11月号<第14巻第3号> | 小林一茶の「草津道の記」(下) | 岡村一郎 | 120 |
新河岸川舟運と中牛馬分社 | 斎藤貞夫 | 38 | |
1968年4月号<第15巻第1号> | みよしの柳多留(上) | 岡村一郎 | 1 |
1968年4月号<第15巻第2号> | みよしの柳多留(中) | 岡村一郎 | 6 |
かわごえという地名に就いての一考察 | 有山余志三 | 43 | |
1968年10月号<第15巻第3号> | みよしの柳多留(下) | 岡村一郎 | 25 |
江戸末期における県内の武術家 | 中英夫 | 29 | |
1969年1月号<第15巻第4号> | 川越船唄 | 斎藤貞夫 | 43 |
1969年4月号<第16巻第1号> | 川越仙波河岸の開設と発展 | 斎藤貞夫 | 43 |
川越藩の御抱え力士 | 中英夫 | 52 | |
1969年7月号<第16巻第2号> | 川越蠢動記(上) | 岡村一郎 | 12 |
武州新河岸川舟運関係史料 | 斎藤貞夫 | 41 | |
1969年10月号<第16巻第3号> | 川越蠢動記(下) | 岡村一郎 | 17 |
武州新河岸川舟運志木宮戸河岸史料 | 斎藤貞夫 | 48 | |
1970年7月号<第17巻第2号> | 三芳野の里と渡唐天神 | 岡村一郎 | 15 |
1971年1月号<第17巻第4号> | 川越歴史小ばなし 虫食い奴の墓/大久保町の化物屋敷/隣家の主殺し/側用人吉保の逸事/ 絵解きの刑法 | 岡村一郎 | 25 |
モールス博士の日記(1) | 長島喜平 | 32 | |
1971年4月号<第18巻第1号> | 時の鐘ものがたり(上) | 岡村一郎 | 1 |
モールス博士の日記(2) | 長島喜平 | 21 | |
1971年7月号<第8巻第2号> | 荒川芝宮河岸関係文書 | 斎藤貞夫 | 50 |
1971年12月号<第18巻第4号> | 川越いもの作り始め | 井上浩 | 34 |
1972年4月号<第19巻第1号> | 河岸場の今昔(上)―新河岸川の舟運― | 斎藤安右衛門 | 26 |
1972年7月号<第19巻第2号> | 河岸場の今昔(下)―新河岸川の舟運― | 斎藤安右衛門 | 9 |
1973年1月号<第19巻第4号> | 川越夜戦史考 | 栗原仲道 | 16 |
1973年4月号<第20巻第1号> | 川越藩の甘柿(上) | 井上浩 | 38 |
1973年7月号<第20巻第2号> | 川越藩の甘柿(下) | 井上浩 | 4 |
秋元時代の川越城下図(上) | 岡村一郎 | 19 | |
1973年10月号<第20巻第3号> | 秋元時代の川越城下図(下) | 岡村一郎 | 15 |
新河岸川舟運牛子河岸史料について | 斎藤貞夫 | 47 | |
1974年7月号<第21巻第2号> | 河越氏系譜私考 | 岩城邦男 | 8 |
1974年10月号<第21巻第3号> | 川越藩のマクワウリ(上) | 井上浩 | 4 |
1975年1月号<第21巻第4号> | 川越藩のマクワウリ(下) | 井上浩 | 13 |
天理図書館本「河越素麺」に就いて | 岡村一郎 | 1 | |
1976年1月号<第22巻第4号> | 川越市の板碑(1)―その分布と造立年代― | 岩城邦男 | 11 |
1976年4月号<第23巻第1号> | 川越市の板碑(2)―板碑から見た川越の中世仏教― | 岩城邦男 | 1 |
福島弁千代追跡考―弁千代は綱成の弟か子か― | 福島秀三 | 42 | |
1976年7月号<第23巻第2号> | 城下町川越を訪ねて(上) | 岡村一郎 | 1 |
1976年10月号<第23巻第3号> | 城下町川越を訪ねて(下) | 岡村一郎 | 6 |
1977年1月号<第23巻第4号> | 先駆的女医生沢クノ(上) | 田中正太郎 | 7 |
1977年4月号<第24巻第1号> | 先駆的女医生沢クノ(下) | 田中正太郎 | 21 |
武蔵野台地のハトムギ | 井上浩 | 29 | |
志士・西川練造 | 桜沢一昭 | 37 | |
福島弁千代の生母について | 福島秀三 | 44 | |
1977年7月号<第24巻第2号> | 女医第二号生沢クノ | 松島光秋 | 12 |
新河岸川舟運と船問屋「岸屋」 | 斎藤貞夫 | 27 | |
福島弁千代追録 | 福島秀三 | 34 | |
1977年10月号<第24巻第3号> | 女医生沢クノ(補遺) | 田中正太郎 | 47 |
(書誌紹介)榎本弥左衛門覚書 | 井上浩 | 53 | |
1978年1月号<第24巻第4号> | 先駆的女医生沢クノ(補遺) | 田中正太郎 | 27 |
1978年4月号<第25巻第1号> | 新河岸川舟運と熱海温泉入荷について | 斎藤貞夫 | 40 |
1979年4月<第26巻第1号> | 川越絹平と川越唐桟 | 井上浩 | 1 |
〔史料紹介〕新河岸川舟運 諸荷物船賃及河岸場手数料調書 | 斎藤貞夫 | 44 | |
1979年7月号<第26巻第2号> | 続・川越絹平と川越唐桟 | 井上浩 | 22 |
1979年12月号<第26巻第3・4号> | 武州新河岸川船運年表 | 斎藤貞夫 | 109 |
1980年4月号<第27巻第1号> | 川越小麦と川越そうめん | 井上浩 | 35 |
1980年7月号<第27巻第2号> | 川越付近の鉄道敷設と新河岸川舟運 | 斎藤貞夫 | 44 |
1980年10月号<第27巻第3号> | 川越いもと江戸東京の焼芋屋 | 井上浩 | 12 |
新河岸川改修と舟運 | 斎藤貞夫 | 36 | |
1981年10月号<第28巻第3号> | 天保期の川越いも | 井上浩 | 9 |
1982年1月号<第28巻第4号> | 川越大火と早川家の記録 | 井上浩 | 24 |
1982年4月号<第29巻第1号> | 三富新田の開拓 | 井田実 | 8 |
武州一揆勢の進路についての一考察―引又を中心として― | 神山健吉 | 29 | |
〔資料紹介〕新河岸川舟運 「伊勢安」明治以降冊子文書目録 | 斎藤貞夫 | 44 | |
1983年4月号<第30巻第1号> | 川越街道の歴史―成立年代と主要往来者を中心に― | 井田実 | 45 |
1984年1月号<第30巻第4号> | 〔資料紹介〕慶応二年・川越藩新河岸の打こわし記録 | 斎藤貞夫 | 37 |
1984年4月号<第31巻第1号> | 国人領主古尾谷氏の性格 | 大図口承 | 1 |
川越南部の伝説と史実―治兵衛塚考― | 金井康二 | 30 | |
1984年10月号<第31巻第3号> | 中世古尾谷の在地と支配―古尾谷氏の存在形態について― | 大図口承 | 10 |
1986年7月号<第33巻第2号> | 新発見の天海喜多院法度文書について | 斎藤貞夫 | 43 |
1986年10月号<第巻33第3号> | 山上憶良「令反惑情歌」の碑について | 山野清二郎 | 1 |
奥貫友山と寛保の洪水 | 佐藤繁 | 11 | |
三芳野里♀o書 | 小島清 | 18 | |
大正前期の川越町の思い出 | 村本達郎 | 35 | |
1987年1月号<第33巻第4号> | 川越市東部における河川の変遷について―荒川入間川の流路― | 斎藤俊勇 | 13 |
川越喜多院の五百羅漢について(上)―その造立をめぐって― | 新保実・大島英夫 | 27 | |
1987年4月号<第34巻第1号> | 川越喜多院の五百羅漢について(中)―その造立をめぐって― | 新保実・大島英夫 | 15 |
1987年7月号<第34巻第2号> | 川越喜多院の五百羅漢について(下)―その造立をめぐって― | 新保実・大島英夫 | 31 |
1988年1月号<第34巻第4号> | 川越五河岸「扇河岸」の開設と発展(上) | 斎藤貞夫 | 15 |
1988年4月号<第35巻第1号> | 川越五河岸「扇河岸」の開設と発展(下) | 斎藤貞夫 | 32 |
1988年7月号<第35巻第2号> | 行伝寺過去帳よりみた後北条氏家臣(上) | 岩田利雄 | 3 |
1988年10月号<第35巻第3号> | 行伝寺過去帳よりみた後北条氏家臣(下) | 岩田利雄 | 7 |
1989年7月号<第36巻第2号> | 川越五河岸「寺尾河岸」の成立と発展 | 斎藤貞夫 | 11 |
1989年10月号<第36巻第3号> | 川越の文化 天沼恒庵、履仁先生(上) | 小林甲子男 | 9 |
1990年1月号<第36巻第4号> | 川越の文化 天沼恒庵、履仁先生(下) | 小林甲子男 | 12 |
1990年4月号<第37巻第1号> | 〔修験道研究〕武蔵国中世修験の一考察(上)―川越の檀那株を中心に― | 長島喜平 | 1 |
川越喜多院五百羅漢像の造立年代―五百羅漢募縁疏の紹介― | 青木忠雄 | 9 | |
1990年7月号<第37巻第2号> | 〔修験道研究〕武蔵国中世修験の一考察(下)―川越の檀那株を中心に― | 長島喜平 | 9 |
1991年4月号<第38巻第1号> | 国人難波田氏の研究(上)―その存在形態を中心に | 大図口承 | 12 |
1991年7月号<第38巻第2号> | 国人難波田氏の研究(中)―その存在形態を中心に | 大図口承 | 12 |
1992年1月号<第38巻第4号> | 国人難波田氏の研究(下)―その存在形態を中心に | 大図口承 | 12 |
1992年4月号<第39巻第1号> | 野火止新田開発農民の出自につての試論 | 神山健吉 | 1 |
1993年10月号<第40巻第3号> | 「川越河筋定約書」の紹介 | 斎藤貞夫 | 36 |
1994年10月号<第41巻第3号> | 川越市南部の伝説と史実(二)―新河岸の観音様考― | 金井康二 | 3 |
1995年4月号<第42巻第1号> | 川越市南部の伝説と史実(三)―新河岸の弁天様と仁王様考― | 金井康二 | 32 |
1998年10月号<第45巻第3号> | 〔資料紹介〕新河岸川舟運の「河岸場回漕店申合規約」「船主申合規約」 | 斎藤貞夫 | 64 |
2000年7月号<第47巻第2号> | 新河岸川舟運関係表題と四冊の単行本 | 斎藤貞夫 | 36 |
2001年10月号<第48巻第3号> | 古尾谷庄と八幡宮―古尾谷八幡宮略縁記に寄せて― | 栗原仲道 | 15 |
2002年1月号<第48巻第4号> | 川越町人の手になる『武州川越善行録』について | 山田泰男 | 15 |
2002年7月号<第49巻第2号> | 八百屋お七の手習いの師 川越の俳人「貞陸」について | 山田泰男 | 1 |
2003年1月号<第50巻第4号> | 〔川越地域特集〕 『川越索麪』から『多濃武の雁』へ | 山野清二郎 | 1 |
近世川越の俳人たち | 小林甲子男 | 9 | |
川越の俳人牛渚の『二見行』について | 山田泰男 | 17 | |
橋本雅邦「画宝会席画筆記 附起源一」記録について | 小泉功 | 26 |
第66号 | 1996年12月号 | 川越の文学碑めぐり(一) | 箕輪敏夫 | 7 |
第67号 | 1997年3月号 | 川越の文学碑めぐり(二) | 箕輪敏夫 | 8 |
第68号 | 1997年8月号 | 川越の文学碑めぐり(三) | 箕輪敏夫 | 5 |
第69号 | 1997年12月号 | 川越の文学碑めぐり(四) | 箕輪敏夫 | 7 |
第70号 | 1998年3月号 | 川越の文学碑めぐり(五) | 箕輪敏夫 | 6 |
第71号 | 1998年9月号 | 仙波仙芳塚由来記 | 矢部操 | 1 |
第78号 | 2000年12月号 | 河越城富士見櫓について | 阿部徳之助 | 2 |
第81号 | 2001年9月号 | 遠い唄聲 | 宮岡正一郎 | 1 |
第83号 | 2002年9月号 | 東明寺夜戦 | 鈴木三彌太 | 2 |
第91号 | 2005年9月号 | サツマイモが川越にきた道と川越のいも文化 | 井上浩 | 2 |
川越氷川祭の山車行事が重要無形民俗文化財に指定される | 田中敦子 | 7 |