川越の歴史(1)


<目 次>
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プロローグ
「川越市民のしおり」 川越市広報課 2000年 ★★★
 「武蔵野」と呼ばれる川越一帯は、四季折々の自然に恵まれた地域です。そこには豊かな環境とそこに暮らす人々によって積み重ねられた「時」があります。
 川越市は、ほとんど平地ですが、大昔には、市の南東部まで遠浅の海だったようです。貝塚なども発見されていて、比較的早い時期から住むのに適した土地だったと考えられ、市内を流れる河川の流域などには縄文・弥生時代の住居跡が見られます。
 奈良・平安時代は、入間川西岸地域は三芳野の里ともいわれ、「伊勢物語」では「みよし野の田の面の雁もひたぶるに君がかたにぞ寄ると鳴くなる」と歌われています。
 平安時代末から鎌倉時代にかけて、武士が荘園の実権を握るようになりました。常楽寺(上戸)周辺に館があったとされる河越氏は、鎌倉幕府の御家人として重用され、河越太郎重頼の娘は源義経の正妻となり、重頼の子の重員は武蔵国留守所総検校職になるほどの実力を持っていました。
 長禄元年(1457)、上杉持朝の命により、家臣の太田道真道灌父子が川越城を築き、川越の中心は現在の初雁公園辺りに移りました。やがて、小田原北条氏が勢力を伸ばし、小田原城の支城としましたが、豊臣秀吉によって滅ぼされました。天正18年(1590)の徳川家康の関東入部に伴い、ここに川越藩が置かれ、幕末まで続きました。
 川越は、江戸の北の守りであり、豊富な物資の供給地として重要だったため、幕府は有力な大名を配置しました。その1人、松平信綱は、新河岸川を利用した「舟運」(しゅううん)を起して江戸との物流を確立、商人の町としても発達させました。
 明治になると埼玉県一の商業都市として繁栄。主に穀物・織物・たんすが特産物でした。明治26年(1893)には、町の3分の1を焼失する大火に見舞われましたが、直ちに耐火性を重視して土蔵造りの店舗を建設。現在も残る蔵造りの景観を形成しました。
 大正11年(1922)に川越町と仙波村の区域をもって県内で最初に市制を施行し、川越市が誕生しました。その後、昭和14年に田面沢村を編入、昭和30年に隣接する芳野村・古谷村・南古谷村・高階村・福原村・大東村・霞ヶ関村・名細村・山田村を合併し、市域を拡大しました。
 埼玉県南西部地域の中心都市として発展。近年では、首都圏に位置する「歴史と文化のまち」として脚光を浴び古さと新しさが共生し、川越まつり・市立博物館・多くの文化財など観光資源とあいまって、毎年400万人近い観光客が訪れています。
 民間事業による駅前の整備など、都市の近代化によって、まちは活気のあるものとしてさらなる発展を遂げています。また、歴史のある街並みの保全とともに既存の景観との調和に配慮した新しい建築物の施工・街路整備・電線地中化など都市景観を尊重したまちづくりが進められています。

「歴史街道を歩く」 小松重男 東洋経済新報社 1996年 ★★
第二章 歴史を彩った知られざる「舞台」
 「小江戸」と呼ばれた川越
大消費地・江戸と直結させて、めざましい発展を見せた川越。歴代有能藩主もさることながら、商人たちの類いまれな「商魂」が大きい

 川越城は、江戸城を最初に築いた室町時代の武将・太田資長(道灌)の父・太田資清が、康正三年(1457)四月八日に竣工させた(当時の用字は河越)、と伝えられている。
 江戸時代は、この城が川越藩主の居城となり、おおぜいの大名が転封を命じられて、たびたび入れ替わった。徳川幕府が江戸北方の防衛拠点として重視し、いつも有能な譜代大名を川越藩主にしたからである。
 そのため、この地は他に先んじて近世都市の要素を備え、めざましく発展した。
 天正十八年(1590)に初めての川越藩主として入封した酒井重忠は一万石だったけれども、元禄七年(1694)に藩主となった柳沢保明(吉保)は七万石である。元禄十一年(1698)に書かれた史料には、この川越十ヵ町および周辺の家数は985戸、人口は5946人となっている。
 ここには天海僧正で有名な喜多院ほか優れた寺院がたくさんある。したがって文化の水準も高い。
 歴代藩主の施政よろしきを得て、この町の商人たちは城下町、門前町、宿場町の利点を十二分に活かし、川越街道を利用する駄馬輸送や、新河岸川を利用する川舟輸送で、大消費地・江戸と直結させた。川越街道と新河岸川は、江戸時代初期に開発されたインフラストラクチャーといえるだろう。舟は大量輸送ができる。米、味噌、材木、炭、野菜をはじめ、ろうそく、髪油、燈油、釘、建具など、さまざまな商品を積んで川越を夜のうちに舟出すると、もう夜明けごろは江戸の各河岸で荷揚げができたという。 
 戻りの川舟で江戸へ集まってくる諸国の特産品を運び、それらに手を加えてまた江戸へ運んだり、ほうぼうの中小消費地へ送り出す。なにしろ前夜川越で拵えた餅菓子を、あくる日、日本橋、浅草、深川など水路に近い地域の菓子屋で売ったというから、現代の流通機構も顔負けだ。川越城下の経済発展によって富裕な商人が増えた。しかし、だれもがおしなべて富裕になったわけではない。当然、貧富の格差も増した。この点でも近世都市の面目躍如たるものがあり、「小江戸」と呼ばれた所以でもある。
 『川越市史・資料篇近世U』によると、この城下町にも江戸を真似て、「十組問屋仲間」という大商人の同業組合が組織され、幕府より承認された。そうしてメンバーだけが利益を独占しようとしたのも江戸と同じであった。
 以上、主として江戸時代の川越を説明したが、つぎに戦国時代の同地について述べる。
 前述のように、この時代は「河越」と書いていた。おおよそ十倍の敵勢を北条氏康が撃破して有名になった「河越の夜戦」を紹介したい。
 もともと河越城は扇谷上杉氏の持ち城だったところ、小田原の北条氏綱早雲の子)に奪い取られていた。これを取り返そうとした山内上杉氏の憲政は、扇谷上杉氏の朝定とともに北条氏康(氏綱の子、早雲の孫)に一泡吹かせることにして、うまく今川義元(桶狭間で織田信長に討たれたことで歴史に名を残した情けない武将)の協力も取り付け、いよいよ氏康の家来福島綱成が守っている河越城を奪回すべく八万の大軍を関東各地から動員した。綱成が率いる河越城の守備兵は三千。まさに風前の灯である。
 急報に接して救援に馳せ付けてきた氏康の手勢は八千だった。八万に対して八千だから十分の一である。この一割の兵力で一大夜襲を敢行して上杉朝定を討ち取り、上杉憲政を遠く上野国(いまの群馬県)の平井城(藤岡市)まで敗走させた。のちに平井城も氏康に奪われて、ついに上杉憲政は越後へ逃げ込み、長尾景虎(上杉謙信)に上杉の名跡と関東管領職を譲り渡すことになるが、そもそもの発端は河越(川越)の負け戦なのである。
 もし、これがなかったら長尾景虎が上杉姓を名乗ることもなかったわけで、春秋の筆法をもってすれば、この土地が越後の国主長尾景虎を関東各地から小田原へまで雄飛する英雄上杉謙信を生んだともいえるわけだ。

歴史(通史)
「川越の歴史」 執筆/大護八郎 川越市 1982年 ★★★
 市制60周年を記念して発行され、各家庭に配布された本です。
 執筆者は、執筆にあたってのなかで、「歴史にあまり興味のない人でも、なんとなく、すらっと読みおえてくださるものにと、その点にもっとも心をくだきました。 それには、なるべくややこしいことをさけて、多くの市民の方が、川越の歴史、川越の現在のすがたの、どのようなことに興味をもたれるかということを考えてみました。」 と述べています。
 −目 次−
住みよい川越の土地
一.川越に海があった頃
1.仙波貝塚/2.暖かかった川越地方/3.退ぞいていく海/4.仙波と仙芳仙人の伝説
二.川越に稲作がはじまった頃
1.またやってきた人々/2.葦原をひらく人々/3.霞ヶ関の大きな村
三.強い豪族が現れた頃
1.霞ヶ関に見るムラの発展/2.水を支配する人/3.古墳をきずいた人々/4.大和朝廷の支配下に入って/5.鉄と馬の文化/6.三芳野の里
四.河越氏の頃
1.秩父からやってきた河越氏/2.河越氏と仙波氏/3.仙波の無量寿寺と上戸の常楽寺/4.河越氏を主とした頃
五.河越氏が滅んだ頃
1.後継者を欠いた河越/2.関東公方と河越/3.内乱と小百姓の自立/4.河越茶
六.太田道灌から後北条氏の頃
1.上杉氏と古河公方の争い/2.河越築城/3.道灌亡きあと/4.上戸の常楽寺と遊行の聖
七.後北条氏の河越支配の頃
1.後北条氏のねらい/2.河越夜戦/3.後北条氏の関東支配と河越/4.六斎市と連雀衆/5.大道寺氏と河越/6.河越落城への道
八.江戸に幕府があった頃
1.江戸と川越/2.川越藩/3.天海喜多院・川越/4..新河岸川舟運のはじまり
九.城下町の頃
1.城下町のはじまり/2.川越の市立て/3.川越街道
一〇.新田開発の頃
1.松平信綱の農業のすすめ/2.新田の開発
一一.新河岸川舟運の頃
1.五河岸のさかえ/2.川越商人と舟運/3.舟運と出入り/4.文化のさかえ
一二.市立の頃
1.十組問屋/2.商工業/3.川越の市
一三.幕末の頃
1.ペルリ来航と新河岸/2.伝馬騒動と川越/3.飯能戦争と川越藩/4.川越藩の終わり
一四.川越町の頃
1.地方都市としての川越町/2.穀市と農村/3.川越織物市場/4.川越いもなど/5.川越大火と蔵づくり/6.第八十五銀行/7.川越町の発足
一五.市制施行の頃
1.交通の発達/2.川越商業会議所/3.農業の近代化/4.県下最初の市制
一六.大川越市への道
1.市政の発展/2.文化財都市川越/3.東京の衛星都市川越
(付録)川越の歴史年表

「川越のあゆみ」 監修/大護八郎 川越市 1992年 ★★★
 市制施行70周年の記念誌で、各家庭に配布されたものです。
 「川越の歴史」よりも大判で、写真・イラストを豊富に掲載し、川越・日本・世界を対比した年表もあります。
 −目 次−
・川越の素顔
 KAWAGOE DATA
・暁(あかつき)の章 −原始・古代のあゆみ−
 武蔵野台地の東北端に位置し、川に囲まれた川越は、居住に適していた。このため、縄文時代には、すでに人々が生活を営み、植物採取、狩猟、漁労が行われていた。 弥生時代には、稲作が伝わり大きなムラが形成される。 古墳時代には、大陸からの文化が伝わり、須恵器の生産や鉄器が使用され、農業の生産性が向上。 これは、階層を生み、古墳が築かれるもとになる。 奈良・平安時代になると荘園が形づくられ、河越、仙波、古尾谷など荘園を武蔵武士が支配する時代へ移る。

 海に面していた川越/仙波貝塚(立川ローム層と武蔵野ローム層/仙芳仙人の伝説)/ムラのはじまり/水の支配、豪族と古墳 /鉄と馬の文化/高麗郡の設置と焼畑・牧馬/社寺創建と荘園の台頭(伊勢物語と三芳野の里

・起(おきる)の章 −中世のあゆみ−
 鎌倉幕府の御家人として力を持っていた河越氏ではあったが、源頼朝と義経の不和により失脚。後に再興を果すが、平一揆の失敗により滅亡。 代わって、関東管領の上杉氏が川越一帯を治める。やがて、上杉氏は山内、扇谷に分かれ、これに古河公方の足利氏が加わり抗争。このときに川越城が築かれ、戦略上の要衝となる。 その後、城は北条氏が奪い、城下に町がつくられるが、北条氏は豊臣秀吉に討たれ、小田原落城に伴って支城である川越城も開城。動乱の時代を終える。  

 (「川越」の由来諸説)/河越氏と川越館跡/河越氏と源頼朝/北条氏の台頭と河越氏の再起/小手指原・分倍河原の合戦/再び小手指原の合戦 /室町幕府への反乱失敗/上杉氏の進出/太田父子の築城物語と道灌の最後/後北条氏の河越支配/河越夜戦/上杉時代の文化(農民文化・月待供養塔板碑 /太田道真・千句の連歌会河越茶の歴史)/武蔵野の古道

・礎(いしずえ)の章 −近世のあゆみ−
 関東に移り、江戸を居城とした徳川家康は、関ケ原の戦いで勝利を収め、江戸幕府を開く。 川越は、江戸の北の守りとともに物資の供給地として重要視され、有力な大名が配置された。 川越の城下町は、松平信綱によって整えられ、その町割りは現在も形を残している。 信綱は川越街道の整備、新河岸川舟運、新田開発などの事業を行い、江戸との結びつきを深め、江戸文化を随所に取り入れる。 松平斉典の時代、川越藩は17万石となり「小江戸」と呼ばれるにぎわいを見せる。

 歴代の川越城主たち/小田原征伐と北条氏の滅亡/酒井重忠と川越藩主/川越城の天守(川越の市立て)/江戸図屏風に描かれた川越/天海僧正喜多院(将軍の遊猟と川越) /川越街道酒井忠勝時の鐘/町割り/松平信綱の新田開発(信綱と羽生又左衛門/検地と武蔵野開発)/新河岸川舟運川越まつり柳沢吉保の三富新田開発/飢饉対策・社倉制度 (奥貫友山と榛の木)/伝馬騒動/商工業の発達と蔵造りのはじまり/二の丸炎上と蔵無尽/藩校と寺子屋/ペリー来航と明治維新の亡霊

・展(のびる)の章 −近代のあゆみ−
 明治になっても城下町の伝統と豊かな産業を受け継ぎ、川越は埼玉県第一の商業都市として発展、穀物流通の中継地、織物の生産地としてにぎわった。 明治26年に町の3分の1を失う大火に見舞われると、川越商人は耐火性を備えた蔵造りに着目。 持ち前の財力で江戸の様式を取り入れた土蔵造りの店を建て連ね、今日の町並みを築きあげた。 その後、社会・産業構造の変化から時代の流れに立ち遅れた川越は、新たなる発展の足がかりとして大正11年に県内初の市制を施行する。

 飯能戦争と川越藩の終わり/川越町のころ/穀市と農村(川越いもなど特産品)/農業経済(明治末期〜戦時下)/川越織物市場(川越唐棧)/金融機関の整備/商業の展開と商工会議所/川越鉄道史 /工業の近代化/一番街物語(川越大火蔵造り)/市制施行/太平洋戦争はじまる

・拓(ひらく)の章 −現代のあゆみ−
 戦禍から免れた川越は、いち早く復興を遂げ、昭和30年に隣接する9村との合併を果す。 これにより、人口は10万を超え、県西部地域の中心都市として発展する基礎を築く。 その後の高度経済成長に伴って道路の整備、工業団地の造成、公営住宅の建設などが行われる。 交通の利便性からベッドタウン、物流拠点としても発展、商業の活性化、駅周辺の整備なども進められる。 伝統と文化に培われたまちは、首都圏の文化財都市としても注目され、たくさんの人が訪れている。

 終戦後の川越/町村合併T/町村合併U/地域開発/公共施設/農地改革と農業の変貌/商業の今昔/工業の飛躍/衛星都市への道/住宅開発と人口増/教育T/教育U/文化財都市/民俗 /町並みの変遷/福祉・保健/展望と課題T/展望と課題U  

・ふるさと写真館

「図説 川越の歴史」 監修/小泉功 郷土出版社 2001年 ★★★
   −目 次−
 川越の歴史概要<小泉功>
■原始・古代
 旧石器時代の調理施設――川越市在家遺跡
 奥東京湾最奥のまぼろしの貝塚――小仙波貝塚
 縄文前期の集落跡@――小仙波四丁目遺跡
 縄文前期の集落跡A――弁天南遺跡
 5,000年前の川越・藤原町遺跡――縄文中期の環状集落
 縄文後期の漁労――老袋の丸木舟
 荒川河川敷の縄文遺跡――川島町芝沼堤外遺跡
 入間郡を代表する大集落――霞ヶ関遺跡
 川越城内の弥生時代遺物――宮ノ台式土器の出土
 入間最古の古墳――三変稲荷神社古墳
 入間郡最古の古墳を築いたムラとその後――川越に集住した人びと
 古代の竪穴住居の屋根は土で葺かれていた――弁天西遺跡
 古墳時代の祭祀跡――御伊勢原遺跡
 古墳時代の開拓者たち――下小坂古墳群
 入間郡を代表する埴輪をもつ前方後円墳――南大塚古墳群
 入間川流域(荒川中・下流域)最大の前方後円墳――牛塚と的場古墳群
 大量の副葬品を出土した古墳――山王塚西古墳
 東日本屈指の上円下方墳――南大塚古墳群の山王塚古墳
 台地の斜面に穿たれた岸町横穴墓――古代の埋葬地
 大仙波古墳群――愛宕神社・浅間神社両古墳
 入間郡衙と神火事件――郡衙の推定地
 入間郡の成立と郡家郷――入間郡衙
 古代の役所――郡衙関連遺跡群
 文字が書かれた土器の出土――古代駅家関連遺跡八幡前・若宮遺跡
 古代の鍵と馬具、もう一つの古代道――光山遺跡群は奈良時代の流通センター
 まぼろしの古代寺院――寺尾廃寺と入間郡の古代寺院跡
 無量寿寺と関連する遺跡か?――弁天西遺跡
 古代の鍛冶職人――寿町東遺跡
 相模型坏が語るもの――武蔵国府の物流
 市内出土の文字資料が語る古代川越――文字が語る古代の川越
 川越市内の荘園@――河越荘の成立
 川越市内の荘園A――古尾谷荘の世界
 武者の世と河越氏の登場――中世の開幕
 古代の官道――東山道武蔵路
 (コラム)先人からのメッセージ―二度のタイムスリップ
 
■中世
 中世武士の居館の発掘調査と史跡整備――河越館跡
 河越館の様相――中世武士の居館
 下広谷館群は何を物語るか――川越の城館跡
 仙波の中世遺跡と中世の高所――地下式壙遺構群ほか
 板碑の語る中世の信仰と工人――石造供養塔
 川越市内の中世石造遺物――700年前の信仰の名残
 太田道真・道灌河越城――扇谷上杉氏の居城
 扇谷上杉氏の滅亡と後北条氏による河越支配――河越合戦
 河越城下町の形成――宿の整備
 秀吉の河越城攻略――大道寺氏の河越
 (コラム)中世河越と時頼伝説――鎌倉中期の河越
 
■近世
 川越藩の成立――徳川家の関東支配
 天海喜多院と徳川家康――黒衣の宰相
 喜多院星行坊を掘る――関東天台宗総本山
 酒井忠利・忠勝の藩政――三河武士の治世
 江戸図屏風と川越城――将軍家光の宿所
 川越城跡――太田道真・道灌以後の大改修
 松平信綱・輝綱・信輝と川越藩――大河内松平家の治世
 城下町の整備――町割の整備
 小江戸川越のメインストリートを掘る――元町二丁目遺跡
 川越城下町の周辺部――町郷分について
 柳沢吉保の藩政――三富新田の開拓
 秋元氏の藩政――殖産と寄進
 享保の大火と火除地――防火対策
 寛保の水害と奥貫友山――村政に尽くした名主
 殖産興業――甲州職人の移入
 川越の地誌――郷土の文化
 松平大和守の藩政――御家門の治世
 氷川祭礼の成立――江戸時代の都市祭礼
 川越城炎上と再建――本丸御殿
 外国船の来航と川越藩――相州・江戸湾の警備
 松平周防守家と川越藩――動乱期の藩主
 幕末の川越藩――藩の存亡
 松平康英と遣欧使節――幕末の外交
 (コラム)武家地の遺構――宮下町二丁目遺跡
 
■近代
 明治維新と川越県――川越藩から入間県へ
 文明開化と川越――近代の始まり
 秩父事件と川越――自由民権運動
 帝国憲法下の県政と川越――川越の政治家
 川越大火と蔵造り――大沢家住宅
 日清戦争と川越――近代化への歩み
 川越の産業――明治期に開花した織物
 新河岸川の舟運――舟運の隆盛と衰退
 川越の交通――鉄道時代の幕開け
 社会問題の解決をめざす動き――廃娼運動
 石川製糸と川越――製糸工場の隆盛
 陸軍特別大演習と川越――マイナスの経済効果
 帝国憲法下のデモクラシーと川越@――進行する民主化
 帝国憲法下のデモクラシーと川越A――独占資本主義の矛盾
 帝国憲法下のデモクラシーと川越B――大正時代の映画
 川越市の誕生――県下初の市制
 関東大震災と川越――朝鮮人暴動のデマ
 金融恐慌・昭和恐慌――川越産業会議所の努力
 青い目の人形と川越――日米友好の架け橋
 農村経済更正運動と川越――伊佐沼の干拓
 昭和初期の文化と川越――モダンな流行
 (コラム)新河岸川の舟運
 
■現代
 日中戦争、国民精神総動員運動と川越――昭和の暗黒
 軍需産業の拡大と川越――東京第一陸軍造幣廠川越製造所
 アジア太平洋戦争と川越市民@――スターリン粛清と国崎定洞
 アジア太平洋戦争と川越市民A――無謀な戦争拡大
 アジア太平洋戦争と川越市民B――日本の侵略戦争と市民の苦難
 戦後の混乱と川越――アメリカ占領軍の駐留
 敗戦の現実――戦後の人口急増
 民主化の始まりと川越@――労働者階級の台頭
 民主化の始まりと川越A――権利として認知される教育
 民主化の始まりと川越B――女性の権利拡大
 占領政策の転換と川越――レッド・パージ
 朝鮮戦争――日本の「独立」と川越
 平和運動の進展と川越――川越松竹館「原水爆映画鑑賞と市民大会」
 高度経済成長下の川越@――工業団地の建設
 高度経済成長下の川越A――河越館の保存
 ベトナム戦争と沖縄の復帰――国際情勢と川越市民
 社会運動のスクリーンへの投影――映画自主上映の動き
 低経済成長からバブル経済に――市民運動の連帯を目指して
 
『図説 川越の歴史』年表
主な参考文献
 『鎌倉大仏の中世史』 馬淵和雄 新人物往来社 1998
 『芸能の中世』 五味文彦 吉川弘文館 2000
 『川越市史』各巻 川越市史編纂委員会 川越市役所市史編纂室
 『新編 埼玉県史』各巻 埼玉県史編纂委員会 埼玉県 
 『新編 埼玉県資料集』 埼玉県高等学校社会科研究会歴史部会 聚海書林 1985
 『明治・大正・昭和の歴史 埼玉県編』 森田武 昌平社 1982
 『川越キリスト教会百年史 蔦の教会』 松平惟太郎 毎日新聞社 1980 
 『川越商工会議所七五年史』 川越商工会議所記念誌編纂委員会 川越商工会議所 1978
 『川越市立博物館 常設展示目録』 川越市立博物館 川越市 1991
 『江戸時代 人づくり風土記11 埼玉』 農山漁村文化協会 農山漁村文化協会 1995
 『御伊勢原』 埼玉県埋蔵文化財調査事業団 埼玉県埋蔵文化財調査事業団 1989
 『吉見町史』 吉見町 吉見町
 『川越街道』 笹沼正巳・小泉功・井田実 聚海書林
 『日本、その日その日』 E・S・モース 平凡社
 『川越 城と町の歴史』 小泉功・斎藤貞夫 聚海書林
 『北関東のカトリック』 カトリック浦和教区史編纂委員会
 『近代日本の統合と抵抗』 日本評論社 1982
 『さいたま女性の歩み』上巻 埼玉県 1993
 『埼玉県蚕糸業史』 埼玉県蚕糸業協会 1960
 『川越の政治と生活の聞き手』 川越市役所市史編纂室 1969
 『朝日百科 日本の歴史』 朝日新聞社 1989
 『青い目の人形と渋沢栄一』 埼玉県平和資料館 1998
 『川越の歴史散歩』 川越民報編集委員会 1999
 『データが語る日本の歴史』 ほるぷ出版 1997
 『旧陸軍の施設』 上福岡市立歴史民俗資料館 1992
 『川越藩政と文教』 岸伝平 川越叢書
 『川越歴史随筆』 岡村一郎 川越歴史新書
 『江戸東京年表』 小学館
 『無声映画時代劇の青春』 太田俊穂 大和書房
 『昭和金融恐慌史』 高橋亀吉・森垣淑 講談社学術文庫
 『昭和史の埼玉』 史の会 さきたま出版会

「マンガ 川越の歴史」 漫画/朝見裕子・脚本/花井泰子・監修/大護八郎 埼玉県書店商業組合川越支部 1994年 ★★★
 小学4年生の亮太と小江が、市立博物館学芸員で発明家でもある河部陽平の案内で、いろいろな時代へタイムマシンで行き、歴史を学ぶというお話です。
 古本屋で偶然みつけた本です。
 −も く じ−
原始時代
 むかし川越も海であった。その頃のひとは、どんな生活をしていたのか。村は、どうしてできあがったのか。
秩父から来た河越氏
 河越荘を開き、農民を支配した河越氏一族の戦いと滅亡。平一揆とは?
川越城築城と太田道灌の生涯
 築城の名手道灌は兵法の達人、そして歌人であった。主君に殺されたのはなぜか。
川越夜戦
 八万数千人の包囲軍を破った八千の軍。有名な夜襲と弁千代の活躍。
天海僧正喜多院
 家康のタカ狩りと108歳まで生きた黒衣の宰相天海とは。
知恵伊豆信綱柳沢吉保
 野火止用水をひいた信綱と三富新田を開いた吉保。
最後の藩主
ペリー来航や農民一揆。江戸時代から明治時代へと移り変った幕末の藩主。
土蔵づくりの街
 大火から立ち上がった街に、土蔵づくりの街並ができて、川越祭りの囃子が鳴りひびく。
(付録)川越のあゆみ/川越の歴史年表/川越城主一覧表

「武蔵野 第3号 特集川越市」 むさしの編集部 1976年 ★★★
 古本屋で見つけました。別冊の特集川越市第三部の「川越文学探訪」は付いていませんでした。
 この特集には、前掲書「川越 城と町まちの歴史」の共著者、小泉功・斎藤貞夫両氏が顧問をしていた当時の川越高校郷土部が協力しています。
−目 次−
・川越市の沿革
 (第一部)
・川越の原始・古代
(一)先土器時代(旧石器時代)/(二)縄文時代/(三)弥生時代/(四)古墳時代/(五)奈良・平安時代
河越氏の盛衰(川越の中世T)
(一)河越氏の起こり/(二)河越氏の全盛期と不運/(三)承久の乱と河越氏の中興/(四)平一揆・河越氏の滅亡/◎古尾谷氏
上杉氏から北条氏へ(川越の中世U)
上杉氏と足利氏/川越夜戦/北条氏の滅亡
・川越藩政時代
(一)川越藩の成立/(二)松平信綱の藩政/(三)柳沢吉保/(四)秋元氏四代/(五)松平大和守の藩政/(六)幕末の川越藩
・維新から大川越市へ
維新から川越町へ/鉄道の開通舟運の衰退/県下最初の市制川越市/戦後の改革
 (第二部)
・川越の交通史
川越街道新河岸川舟運東武東上線
・川越城下町
(一)城下町/(二)蔵造り/(三)商店街
・川越の祭りと行事
川越の年中行事川越祭り
・川越の寺院と神社
喜多院/川越の寺院

「大江戸・小江戸(川越)対比 歴史年表事典」 小泉功・青木一好 ルック 1999年 ★★★
 江戸と小江戸川越の出来事を年代別に対比させたユニークな本です。
 この本の使い方 【本書の構成】より
1)本書は「歴史年表」「コラム」「索引」の3部門から構成されている。 
2)歴史年表は年号別に江戸と川越の出来事を対比して表示し、両者の関連を明確にした。 特に、日本の主要な出来事を江戸の欄に記載すると共に、将軍と川越城主が交替した所に●印を付け、時代背景を明確にした。 内容については政治宗教などに偏る事なく、出来得るだけ広範囲の分野に亘るように心掛けた。 特に川越の出来事に関連する江戸の出来事は詳細を期すよう努めた。
3)江戸の範囲は現在の東京23区を基本とし、必要に応じ、周辺地域を含めた。 川越の範囲は現在の川越市全域とし、必要に応じ周辺地域を含めた。
4)掲載年代については大正時代以前とした。
5)コラムは年表の理解を助けるたの解説をまとめたもので、各項目の行頭に「1261江戸」「1893川越」のように西暦年号と江戸か川越の区別を表示し、年表との関連を明示した。
6)索引は年表とコラムに記載された事柄を江戸と川越に対比して西暦年号で表示し、約2,500の用語を掲載した。

ハンドブック 川越の歴史」 川越市教育委員会編 文化財保護科 1998年 ★★★
 「1.川越の歴史」以外は、表と図で構成された、縦18cm、横11cm、92頁のハンドブックです。
  −目 次−
 1.川越の歴史/2.川越の歴史年表/3.鎌倉初期武蔵国主要武士団/4.河越氏略系図/5.太田氏略系図/6.上杉氏略系図 /7.後北条氏略系図/8.徳川氏略系図/9.川越城主一覧表/10.川越藩の主要行政組織/11.松平周防守家の家臣団構成 /12.川越氷川祭り山車一覧/13.山車人形の変遷/14.川越市成立の過程/15.川越の行事と芸能/16.川越市の指定文化財一覧 /17.川越市の寺院一覧/18.川越市の神社一覧/19.年号対照表/20.年号索引/21.月異名表/22.度量衡表/23.時刻・方位表 /24.参考文献一覧
/25.図録…(1)関東要図/(2)川越城略図/(3)川越城本丸御殿平面図/(4)板石塔婆/(5)蔵造りの名称/(6)川越市の文化財所在一覧

「あなたの知らない埼玉県の歴史」 監修 山本博文 歴史新書 2012年 ★★
本当に知りたかった埼玉県の「古代〜近代史」入門
「特徴のないのが最大の特徴」などと言われる埼玉県――。
しかし、西日本に負けない東日本屈指の古墳文化が栄えた地である。
中世には多くの武士団が出現し、執権・北条氏の領国となった。
室町から戦国時代にかけては関東管領・上杉氏と後北条氏が激闘し、
徳川家康の江戸入府後、川越・忍・岩槻は「老中の居城」として江戸を守った。
明治期に入ると、製茶や養蚕の需要により経済は活性化し、
急速に近代化が推し進められた。
本書では、魅力あふれる意外な埼玉県の歴史を紹介する。

【第1章】埼玉県の古代
Q11 失われた古代の官道「東山道武蔵路」とはどんな道だった?
Q13 在原業平が「東下り」したという「みよし野の里」の現在地はどこか?
【第2章】埼玉県の鎌倉・室町時代
【第3章】埼玉県の戦国時代
Q32 戦国三大奇襲の一つ「河越夜戦」は有名だが実はよくわからない戦いだった!?
【第4章】埼玉県の江戸時代
Q48 天海が川越大師「喜多院」を再興したのはなぜ?
Q49 川越に「小江戸」の繁栄をもらたした老中・松平信綱の「知恵」とは?
Q50 全国的銘茶「狭山茶」の起源は川越にあった!?
【第5章】埼玉県の近代

思わず人に話したくなる 埼玉学」 県民学研究会編 歴史新書 2013年 ★★
第1章 自慢したい埼玉県の風土
 2 埼玉は日本でいちばん市が多い県
 3 埼玉にもお国なまり(方言)があった
 4 埼玉に多い苗字と埼玉発祥の苗字とは?
 8 国道16号の上江橋は日本最長の河川橋
 10 埼玉各地に残るダイダラボッチ伝説
第2章 自慢したい埼玉県の経済・企業
 16 サービス向上に努める埼玉りそな銀行
第3章 自慢したい埼玉県の気質・県民性
 
第4章 自慢したい埼玉県の特産・グルメ
 31 江戸っ子にも愛された川越芋
 32 開国直後にニューヨークまで輸出された狭山茶
第5章 自慢したい埼玉県の名所・旧跡
 42 江戸の祭礼文化を伝える「小江戸」の川越まつり
 45 江戸城の建物が現存する川越喜多院
第6章 自慢したい埼玉県の人脈・有名人
 
第7章 自慢したい埼玉県の文化・スポーツ
 68 埼玉の甲子園最多出場校はどこ?
第8章 自慢したい埼玉県の自然環境
 

「埼玉県の百年」 小山博也・池田信・高崎譲治・根岸敏・栗田尚弥 山川出版社 1990年 ★★
近代の横顔
一 つくられた県域
二 近代への脱皮
三 デモクラシーの陰影
四 準戦時体制の醸成
五 太平洋戦争と埼玉県
六 戦後社会の混乱から復興へ
七 高度経済成長と県の体質変化
付 録

「埼玉の歴史」 小野文雄編 世界書院 1963年 ★★
  

「埼玉県の歴史」 小野文雄 山川出版社 1971年 ★★
  ・平一揆の蜂起川越千句伝馬騒動江戸湾の警備慶応の打ちこわし第八十五国立銀行

「埼玉県の歴史」 田代脩・塩野博・重田正夫・森田武 山川出版社 1999年 ★★
  ・武蔵国府へ通じる道と駅家平一揆の乱「江戸図屏風」に見る武蔵城下と在方の六斎市ペリー来航と村々武州一揆

「図説埼玉県の歴史」 小野文雄/責任編集 河出書房新社 1992年 ★★
口絵
 職人尽絵屏風 喜多院と仙波東照宮 城と城下町
中世
 南北朝内乱と鎌倉府の支配
 ●婆娑羅大名・河越直重
 ●平一揆の乱
 後北条氏の支配と中世の終焉
 ●北條氏綱の登場
 ●河越夜戦と両上杉氏の滅亡
近世
 江戸の穀倉
 ●野火止用水三富新田
 川越の豪商と在郷市
 ●豪商・榎本弥左衛門
 ●蔵造りの町・川越
 ●利根川・荒川・新河岸川の舟運
 特産物と地場産業
 ●秩父絹と川越絹
 江戸との文化交流と農村文化人
 ●藩校の開設
 ●江戸文人の往来
 草莽の活動と民衆蜂起
 ●黒船の来航と村々
近・現代
 鉄道とレンガ工場
 ●狭山茶の改良・増産
コラム
 中世館跡を訪ねて―河越館跡
 外国人の見た明治初年の埼玉

「みて学ぶ埼玉の歴史」 『みて学ぶ埼玉の歴史』編集委員会編 山川出版社 2002年  ★★
原始・古代
中世
 戦いと浄土の時代
  ・中世武士の実態を知る
 大流通時代のめばえ
  ・人の姿―「職人尽絵」―
近世
 平野の開発と村・町の成立
  ・武蔵野台地の「命の水」
  ・新河岸川舟運の盛衰
  ・川越時の鐘物語
  ・コラム 徳川三代と鷹狩り
 人々の暮らしと文化
  ・算額に見る和算家の誇り
 内憂外患と民衆の諸活動
  ・黒船来航と庶民
近代・現代
 日清・日露戦争の時代
  ・女工哀史と廃娼運動
 戦後の民主化
  ・労働組合の誕生
 文化・環境・共生の時代
  ・文化財・歴史遺跡を大切にする

「郷土史事典 埼玉県」 大村進・秋葉一男編 昌平社 1979年 ★★
風土と歴史と人
原始・古代
 雄大なさきたまの夜明け
 争乱の古代武蔵
中 世
 武蔵武士のふるさと
 戦国期の埼玉
近 世
 譜代小藩と幕領と
 江戸後背地の文化と産業
 幕末の埼玉
近 代
 統一埼玉県の成立
 あわただしい明治の種々相

「吉宗の時代と埼玉」 秋葉一男 さきたま出版会 1995年 ★★
あの吉宗(八代将軍)が埼玉≠変えた!
第4章 あの「サツマイモ」誕生物語
(1)吉宗の農業政策
(2)吉宗も食べた南部長芋
(3)川越芋の登場
(4)活発化するサツマイモ取引
(5)東の横綱「紅赤」の誕生
第7章 新田開発のつけ=H寛保の水害
(1)猛威をふるった寛保二年の台風
(2)幕府の緊急対応策
(3)川越藩の窮民救済
(4)西国大名に御手伝い普請を命令
(5)鷲宮神社に石灯籠を寄進

「三芳の歴史」 編集・発行 三芳町 1987年 ★★

「日本史年表 増補版 歴史学研究会編 岩波書店 1993年 ★
 
西暦和暦干支 事  項
1368応安元戊申6月 足利氏満・上杉憲顕、武蔵河越に平一揆を討つ
1469文明元己丑10月 この年、大田資清、宗祇・心敬らを招き武蔵河越に句会を催す(河越千句
1546天文15丙午4月 北条氏康、河越城に来援し、足利晴氏・上杉憲政・同朝定の軍を破る
1841天保13壬寅8月 川越・忍両藩に相模・房総海岸の警備を命ずる
1846弘化3丙午4月 幕府、川越藩に外国船の江戸湾内海侵入を必ず阻止するよう命ずる
1866慶応2丙寅6月 武蔵一円で打ちこわし(武州世直し一揆)

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作成:川越原人  更新:2020/12/19