川越の歴史(7)


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その他史実江戸の母川越川越の歴史散歩川越歴史渉猟川越文化ものがたり城下町川越の今昔くらしの風土記瓦版川越今昔ものかたり(1-12)瓦版川越今昔ものかたり(13-24)瓦版川越今昔ものかたり(25-36)川越灯籠絵 夢まぼろし百年川越ご訪問埼玉事始思わず人に話したくなる埼玉学明治・大正・昭和の郷土史川越市今福の沿革史芳野村郷土誌稿川越市菅原町誌柿本人麻呂と川越他 歴史謎物語

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その他
史実 江戸の母川越 改訂版」 飯島謙輔 1974年 ★★★
  −目 次−
川越の発祥と起源
 先住民族居住の地/河越氏と皇室御領
川越城の築城と変遷
 平野城としての名城/東明寺合戦/上杉氏の略系図/北条氏の系図/徳川時代となる/川越城主一覧表/名城…川越城廃城まで/松平伊豆守の手腕顕著/今も残る知恵伊豆の治績/松平大和守文教政策につくす/築城の研究をした筆者/哀れ明治初年の川越城/川越地方の住民について
昔時の交通と産業
 川越と江戸の交通/兵法戦略で出来た道路と町/川越芋(さつまいも)の由来/名物素麺と箪笥/川越平と川越双子/市日に繁昌の城下町/東の方筆頭/川越地方住民の名字/屋号や呼名の調べ
数多い川越の神社仏閣
神社の部)
 川越総鎮守氷川神社/三芳野神社/東照宮/日枝神社/川越八幡神社/川越の神社紹介
寺院の部)
 喜多院長徳寺/養寿院/蓮馨寺/本行院/川越の寺院一覧表/社寺は戦時への備え/武将と僧侶と寺の思考/川越の寺について/川越の大火に茶目っ気たっぷり
川越市の文化財
 国指定文化財/県指定文化財/市指定文化財/国、県、市、文化財の数
川越市の歴史を年代に見る
明治二十六年川越大火による焼失戸数調べ
川越が生んだ知名な人
 名医田代三喜/天海僧正/榎本忠重 その他の人/川越に画家の歌麿雅邦/俳人高山麋塒(幻世)/黒船一番乗り=内池武者右衛門/蔵書家新井甚太郎/勤王の志士西川練造
史実から見た観光の川越
 往時が今も生きる/古墳と出土品/現代の川越の山車/関東三大祭り/精巧な山車の構造/山車の人形とはやし/各町引き廻し/豪華山車のひっかわせ/幕末に栄えた川越/山車の略年表/名物川越の蔵造り時鐘楼について/川越のささら獅子/本丸御殿
明治時代の町政と交通
 県下一高い地代/芸妓の数をもって量る/びっくり仰天岡蒸気/時代を知らなすぎる/川越の名所を点と点で結べ
藩主の行政組織と家臣構成
昔の方位と時刻十二支の見方
川越市の主な祭り

【付録】
川越の伝説いろいろ
喜多院と仙波町一帯の伝説
 千芳仙人
喜多院七不思議
 (1)明星の杉と明星の池/(2)潮音殿/(3)山内の禁鈴 その一、その二、その三、その四、その五/(4)小坊主と狐の物語り その一、その二、その三/(5)琵琶橋/(6)底なしの穴/(7)お化け杉 その一、その二、その三
喜多院鐘楼門の鷹
五百羅漢
双子池
川越城七不思議
 (一)初雁の杉/(二)霧吹の井戸/(三)人見御供/(四)夜奈川の小石供養 その一、その二/(五)七つ釜と片葉の葦/(六)天神洗足の井戸/(七)城中蹄の音
冑首の夜盗虫
妻の殺し田
梵心山の民部さま
 小坊主/民部さまのお越し/その翌日/民部稲荷/広済寺の石仏/人の気配/石仏/喜多町小町/願をかけて見ましょう
ささら獅子を彫った半右衛門
雪塚稲荷
窪稲荷
川越城は二ヵ所かの質問に答える
江戸城築城裏話と江戸の母川越の題名について
川越が江戸の母たるゆえん

「川越の歴史散歩」 川越民報編集委員会 1999年 ★★★
   −目 次−
1 城下町川越と町名変更
2 蓮馨寺
3 蓮馨寺と多門伝八郎重共
4 連雀町と立門前通り
5 川越の門前町
6 三芳野の里と天神社
7 三芳野天神社
8 職人の城下町と市
9 川越の大火と蔵造り(一)
10 川越の大火と蔵造り(二)
  大沢家住宅/川越市蔵造り資料館/原家住宅(店蔵 やまわ)/滝島家住宅(店蔵)/岡家住宅(元近常酒店)/松崎家住宅(店蔵 運道具店)/山崎家住宅(店蔵袖蔵 亀屋和菓子店)/山崎家住宅(店蔵袖蔵 茶問屋)/原田家米問屋住宅(店蔵)/田口家住宅(店蔵松江町二丁目)/福田屋/蔵造りの保存と活性化について  → 写真:蔵造り
11 米(穀)の市とダンゴ屋
12 法善寺の奴の墓
13 喜多院の飯食い鐘
14 大神楽横丁
15 松江町の反戦的落書
16 明治初期の交通機関
17 西武新宿線と本川越駅
18 東武東上線と川越駅
19 チンチン電車と久保町の駅
20 新河岸川の舟運
21 舟と水車にも税金
22 赤間川
23 菓子屋横丁の匂い
24 川越の洋風建築
  あさひ銀行/武州銀行(現商工会議所)/川越のキリスト教会/日本団体生命保険  → 写真:洋風建築
25 川越街道 九里よりうまい十三里は本当か
26 川越街道と大名行列(一)
27 川越街道と大名行列(二)
28 川越街道と助郷
29 川越街道と武州一揆
30 川越街道と岸町・高階
31 川越街道と明治の夜明け
32 お雇い外国人川越街道を行く
33 川越街道 藤間流発祥の地
34 川越街道 寺尾貝塚と勝福寺
35 伊佐沼
36 川越東部低地の古墳―古谷・老袋地区
37 沖積地の古谷神社古墳
38 承久の乱と河越の武士
39 古尾谷庄と内藤氏(一)
40 古尾谷庄と内藤氏(二)
41 川越の次郎兵衛
42 赤米に合の手を
43 河越氏と太平記
44 米と川越の殿様
45 挑戦通信使と川越
46 川越藩と江戸湾警備
47 地球儀は証明した
48 川越の映画館 花のパリかロンドンか
49 山車の原点
50 警察官急募中
51 川越の万作
52 筒がゆの神事と弓取式
53 領民の生活調査
54 孝行者の豆腐や
55 五重塔
56 戦火の川越
57 川越・戦火の証言
58 古城の月
59 川越競馬場始末記
60 正確だった川越時間
61 河越館
62 仙波氏とその館
63 入間宿禰物部広成
64 高麗福信
65 川越が生んだ名医「田代三喜」
66 春日局の建物
67 荻生徂徠と川越
68 芭蕉の門人
69 墨池庵尾海
70 歌麿の出生考
71 広重・安治・清方
72 橋本雅邦の左手
73 橋本雅邦の最期
74 赤沢仁兵衛
75 礎 岸野光蔵
76 福沢桃介
77 西条八十と手紙

「川越歴史渉猟」 新井博 西田書店 1987年 ★★★
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T 川越の歴史を歩く
旧川越市域
供出をまぬかれた時の鐘
高山家に伝わる出世の絵
焼け残った川越城の菱櫓
大泥棒を捕まえた地蔵さん《養寿院の泥棒地蔵》
御神体に目がくらんだ泥棒《氷川神社の人麻呂神社》
明治維新の亡霊
新田義貞の一騎坂・駒止めの原
六軒町の山車に今福の囃子連が乗るわけ
墨池庵尾海
川越城の三角芝地
福原地区
没収された今福の神輿
今福の蔵無尽
荒野を開拓した知恵伊豆
大根で入植者を集めた羽生又左衛門
川越藩の飢饉対策と狂歌
芳野地区
芋っ葉地蔵
禁止された丑寅正月
霞ヶ関地区
杉の木で仲なおりした笠幡村と的場村・鯨井村
寺のない安比奈新田
的場の百姓野
名細地区
名細村の由来
山田地区
流れついた観音様――寺山観音堂の聖観音――
浄国寺の夜泣き地蔵
南古谷地区
友山先生と榛の木
U 川越の歴史を読む
幕末川越の一商人――中島久平の生涯――
 はじめに/一川越地方の織物/二川越双子織の成功/三その他の業績
川越市における指導者の一類型 安部立郎氏の業績によせて
 はじめに/一、同志会の結成とその発展/二、政治活動と公友会の結成
中島孝昌の墓誌銘と「三芳野名勝図会」
 一、「三芳野名勝図会」成立の前提/二、「三芳野名勝図会」の内容について/三、中島孝昌の墓誌銘について
歌人 尾高高雅について
古尾谷八幡社の俳句募集の版木
中世詩歌文に現れた川越 宗長と「宗祇終焉記」「宗長日記」
 宗長について/宗祇終焉記/宗長手記
中世詩歌文にあらわれた川越 「廻国雑記」と「梅花無尽蔵」
 はじめに/一、道興准后と「廻国雑記」/二、万里集九と「梅花無尽蔵」
川越市における昭和史の一コマ 救国埼玉青年挺身隊事件
 はじめに/一/二/三
武蔵国川越市城下『時鳴鐘』孝
 松平信綱の鋳造/秋元氏時代の鐘/松平直恒の鋳造/長喜院の鐘借用/行伝寺の鐘を借用/松平斎典の改鋳/再度行伝寺の鐘を借用/大蓮寺・広済寺の鐘借用/松平直候の新鋳/明治二十七年の新鋳

証言と記録 川越文化ものがたり」 川越文化会編 さきたま出版会 1993年 ★★★
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わたしの城下町
1 菓子屋横町のおかみさんたち
 懐かしい匂いのする庶民の通り/菓子屋横町の歴史/菓子づくりと物資の統制時代/川越の駄菓子あれこれ/菓子屋の一日風景/菓子づくりのおかみさんと旦那/おかみさんたちの楽しみ/職人と小僧さんたちのこと/時代の変遷の中のおかみさんたち
2 南田島の足踊り
 民俗芸能のルーツ/南田島の足踊り/南田島のお囃子と足踊りの由来/足踊りのやり方について/保存会とチビッコお囃子連/南田島の足踊りと狭山の足踊り
3 川越の剣道具
 日本における防具の歴史/弘武堂の変遷/弘武道の経営方針/中学で武道が正課となる―剣道の普及へ/扱い防具の多様化/戦後武道の復活/剣道具材料の今昔/防具職人
4 川越の剣道
 川越の剣道の歴史抄/私の剣道歴/明信館に入門/明信館創設のころ――高野先生のこと/川越中学時代の活躍/わが生涯の最良の時――全国優勝/試し切りのこと――剣道余話/戦中、戦後/望ましき剣道家像
5 川越鉄道の開通
 川越鉄道の建設/鉄道敷設出願の要旨/川越鉄道の敷設に消極的だった川越の財閥/路線決定の経緯と柳瀬川橋梁のトラブル/川越鉄道と凱旋門/最高速度五十キロのユックリ列車/単線だった川越鉄道と危険な連結作業/細いレールに木の枕木/鉄道草と杉菜のこと/のどかな保線作業/信号機左側の由来と西郷隆盛/女の踏切番と無難信号/高かった汽車賃と川越駅の乗降人員/陸蒸気と駅前風景/新橋・横浜間を走った同形の蒸気機関車
6 川越の左官職
 徒弟となった日/徒弟の生活/学ぶ/左官の仕事/左官の道具/職人のくらし/親方になって手がけた仕事
7 川越高校(中学)の野球
 川越高校(中学)の野球/伊丹監督を招聘/家村監督指導の成果/待望の甲子園出場――強豪鎮西高校に勝つ/甲子園に集うベテランチーム/良い選手は頭の良い生徒――野球部員確保に苦労/野球部の選手気質――道具を大事に/野球部育成の恩人/まんじゅう事件/野球部の予算
8 関東大震災を語る
 日本がひっくり返る日/古老に聴く「関東大震災」/川越市の被害状況(川越震度6、歩行困難/地震はいっぺんに来るのではない/地震と満員のチンチン電車/三十人くらい非難してきたわが家/蚕室いっぱいの蚕がたくさん死んだ/七輪の上の薬鑵が自然の火消し/「火を消せ」と言われても歩けない/地震を予知した利口な馬/驚天動地≠アの世の終わりかな/地震襲来直後の西武鉄道川越線/震災当日の東上線の状況)/震災発生後の川越市の対応/新聞は大震災をどう報道したか/ひと足遅かったラジオ放送/大震災発生と戒厳令の宣告/大震災余話/朝鮮総督府からの贈り物と孔子様の国の曽さん
9 仙波東照宮
 東照宮創建の由来/廃仏毀釈と東照宮の管理/伊勢湾台風と社殿の修理計画/重要文化財の指定について/東照宮大権現の勅額と宝物の修理/サイレンが鳴ると身震いした/東照宮への昇殿と絵額の序列/隼の絵額と県博物館への引き渡し拒否/修理を担当した櫻井洋氏と川越市立博物館/三十六歌仙たった七日の里帰り/顎を突き上げて返礼した東照宮の守り神/虎の旦那と早稲田大学総長高田早苗/柳沢吉保奉納の灯籠と石積みのこと/天海と家光の出会い/東照宮の創建と寛永の大火/天海が勝った東照権現説と朱子学者林羅山/泥棒橋の由来と濠の鯉/東照宮の賽銭と奉加帳のこと/結婚式場に狙われた東照宮/アベックがしでかした東照宮のぼや/権現さまと登校拒否児/大嘗祭と東照宮の警備
あとがき

「城下町 川越の今昔」 えと文/松本茂雄 1967年 ★★★
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江戸の母・城下町川越
秘められた川越城本丸御殿絵図
「お供寺」と川越転封秘話
外務卿を断わった殿様
煙草が登城した本丸御殿
富士見櫓とあんころ餅
城内にあった士族の家
大坂城代と信楽焼の因縁
江戸につながる喜多院
天海の前身は光秀?
大隈候を迎えた山門
将軍の厠もある紅葉山御殿
七不思議の一つ「山内禁鈴」
三位稲荷と逆さ箒
泥棒が落ちた富士見橋
晴天祈願の川越だるま
首が落ちた五百羅漢
明治時代の百花園競輪
試胆会の場所となった東照宮
江戸へ分祀した日枝神社
天神さまの細道
氷川神社春宵怪異譚
東明寺夜戦と囚人の墓
亀が遊ぶ不動尊の池
「おびんずる」のある呑竜堂
義経の内室となった河越氏の息女
大本営となった中学校
小学校の大銀杏
たくわんの香り漂よう教室
七面鳥と遊んだ幼稚園
大火から守った蔵造り
山車の出る川越祭り
相撲興行もあった市役所附近
火事を知らせた「時の鐘」
倉庫もある銀行
江戸文学者がほめた亀屋の菓子
霞ヶ関ゴルフと山屋
いせ清と金時計
夢枕で宣伝した「かたきだんご」
「山の団子」という名の料理店
洪水で流された「めがね橋」
縁起のいい「ささら獅子舞」
「時の鐘」を作った「なべしろ」
明信館の寒稽古
正午のポーは石川製糸
モーターに譲った石原の水車
急行便もあった舟運
乗合馬車と兵隊の位
チンチン電車と伊佐沼
およねさんの「小石供養」

「くらしの風土記 ―埼玉― 野村路子 かや書房 1983年 ★★
 ここに住む人々のくらしは、次の代へと引き継がれていく
 ・大火にこりての家づくり
 衣・食・住すべてに、その土地、その時代の知恵が生きる
 ・土地の味を生かしたいも菓子
 人々は、稔りの季節を夢見て、黙々と働きつづけたのだ
 ・船問屋に嫁いだのに――
 ・小江戸の町の商人気質
 語り聞かすべき話が、ふるさとにはたくさん残っている
 ・女医一・二号にみる埼玉の女
ふるさと 風土とこころ

「瓦版 川越今昔ものかたり その一からその十二 龍神由美 幹書房 2003年 ★★★
   も く じ
はじめに
その一  春をことほく あさひ銀行川越支店の建物とその歴史(横田五郎兵衛)
 川越の豪商「横田家」/幕末の川越藩/川越が日本の相場を動かした!/第八十五国立銀行

その二  春遠からじ 岩田彦助
 川越藩主「秋元喬知」/江戸の大地震と富士山の大噴火/川越の知恵袋「岩田彦助」/「川越いも」と「川越唐桟」

その三  春はあけぼの 川越唐桟
 「唐桟」とは何?/安政の開国と織物産業/川越商人「中島久平」/川越唐桟(川唐)/「市川団十郎」と川唐

その四  草木萌ゆ モースと川越
 アメリカ人動物学者モース/縄文の名付け親/モースと黒岩横穴/再び川越へ/氷川神社とモース

その五  ひばり囀り 橋本雅邦
 橋本雅邦の誕生/雅邦、川越へ/日本画の復興/東京美術学校、教授へ/画宝会(がほうかい)

その六  暁に時鳥 舟津蘭山
 川越城の炎上と再建/舟津蘭山とは?/川越城の杉戸絵/木村豊太郎と蘭山

その七  朝顔の花一時 三芳野神社
 伊勢物語と川越/三芳野の里/縄文時代の名残/天神さまの細道

その八  夕されば蜩 川越の仙波の地と水
 あんたがたどこさ/仙波の名の起こり/日枝神社の無底坑と双子池/家康と清水町の水

その九  虫は鈴虫 喜多院天海大僧正
 喜多院の前身、無量寿寺/随風(後の天海)の出生/随風、北院(喜多院)へ/家康、川越へ/家康と天海

その十  桐ひと葉 江戸と喜多院
 家康の死/「東照大権現」/家康の霊柩、川越へ/家光、川越へ/仙波東照宮

その十一 散る紅葉 徳川家光と寛永の川越大火
 寛永の川越大火/喜多院・東照宮の再建/「家光誕生の間」と「春日局の化粧の間」/川越城主、松平信綱/城下町の整備

その十二 冬はつとめて 松平信綱川越祭
 松平信綱の始めた川越氷川祭礼/文政九年の氷川祭礼絵巻/氷川神社本殿の彫物/江戸の天下祭と川越祭/文化財への指定/市制八十周年
おわりに

「瓦版 川越今昔ものかたり その十三からその二十四 龍神由美 幹書房 2004年 ★★★
   も く じ   Contents
はじめに
その十三  富士の高嶺に 川越城の富士見櫓
 河越城と富士見櫓/徳川将軍と川越/家康と林羅山/「江戸図屏風」/明治時代と富士見櫓/富士見櫓の図面の発見/富士見櫓の復元に向けて

その十四  七重八重 河越城の成りたち
 河越城の築城と時代背景/室町幕府と上杉氏/扇谷上杉氏/大田道真・道灌/道灌の逸話

その十五  弥生の空は お茶の歴史と河越茶
 中国のお茶伝説/日本の歴史へのお茶の登場/河越の茶園/茶の発展/河越茶から狭山茶/開国と狭山茶/製茶機械の発明者、高林謙三

その十六  太平の眠りを 製茶機械を発明した高林謙三と時代背景
 江戸時代とお茶/鎖国/ペリーの浦賀来航と開国/茶の生産拡大/川越の医師、高林謙三/謙三と川越の茶園/製茶機械の発明

その十七  草葉も水も 成田山川越別院本行院(お不動さま)
 「お不動さま」/石川留五郎/成田山新勝寺/石川照温/本行院の再興/本行院本堂造営図大絵馬/開創百五十周年

その十八  夏衣ひとへに 「時の鐘」の鐘楼
 幸田露伴の『五重塔』/関根松五郎/酒井忠勝と「時の鐘」/明治二十六年の川越大火/「時の鐘」の再建/関根松五郎と「時の鐘」の鐘楼

その十九  朝顔に 「時の鐘」の銅鐘
 鋳物の歴史/川越の鋳物師「鍋五郎」「鍋四郎」/最初の「時の鐘」の建立/松平信綱と「時の鐘」/秋元喬知と「時の鐘」/時を越えて

その二十  風の音の 蓮馨寺
 戦国時代/河越城と河越夜戦/蓮馨尼/秀吉の小田原攻め/徳川家と蓮馨寺/蓮馨尼の供養碑

その二十一  月の舟 蓮馨寺にゆかりの深いお坊さん(感誉上人・源誉上人・呑龍上人)
 お呑龍さま/感誉上人/源誉上人/家康、増上寺、観智国師/呑龍上人

その二十二  風さそふ 多門伝八郎重共(浅野内匠頭切腹の立会人)
 蓮馨寺の宝篋印塔/多門氏/目付、多門伝八郎/元禄十四年三月十四日/将軍綱吉の決断/切腹の場/浅野内匠頭の最期/赤穂浪士の討入り

その二十三  松の齢 今を生きる宮大工、数野友次郎さん
 数野さんと宮大工・印藤家/印藤親方の家/年季奉公/昭和二年の成田山川越別院工事/彫刻絵の模写/川越氷川神社本殿の図面模写/棟梁としての数々の仕事

その二十四  冬籠もり 幕末の川越城主、松平大和守斉典
 初代、松平大和守朝矩/松平斉典、川越城主へ/十八世紀末の日本の情勢/川越藩の沿岸警備/ひっぱくする川越藩財政/川越城の炎上/斉典の業績

「瓦版 川越今昔ものかたり その二十五からその三十六 龍神由美 幹書房 2005年 ★★★
   も く じ
はじめに
その二十五  花の春 黒船に乗り込んだ川越藩士、内池武者衛門
 黒船とジョン万次郎/「先登録」/「黒船だ、黒船だ」/「異人」との会話/腕相撲

その二十六  梅一輪 幕末の川越城主、松平周防守康英
 徳川家康と松平周防守家/外国奉行と遣欧使節/康英、老中職へ/川越城へ/明治維新/隠居

その二十七  春告げ鳥 川越氷川神社
 氷川と簸川、そして古事記/須佐之男命と氷川神社/川越氷川神社/氷川神社の本殿とモース/八坂神社社殿

その二十八  春の夜の夢 川越のチンチン電車
 チンチン電車とは?/鉄道反対の川越/川越に電灯が初めてついた!/チンチン電車

その二十九  若葉して 石川組製糸所川越工場
 開国と製糸/石川製糸の誕生/クリスチャンの石川幾太郎/二本の煙突

その三十   琴の音に 仙波東照宮と絵師、岩佐又兵衛
 仙波東照宮/仙波東照宮の「三十六歌仙絵額」/戦国大名の子、岩佐又兵衛/又兵衛の画才/又兵衛、江戸へ/山田衛居と又兵衛

その三十一  波の花 江戸時代の塩の仲買人、榎本弥左衛門
 榎本弥左衛門と覚書/弥左衛門の生い立ち/弥左衛門の塩商売の開始/寛永の風潮/弥左衛門の商法

その三十二  川越夜舟 川越の舟運
 川越街道/寛永の川越大火と舟運/松平信綱による本格的な舟運/川越五河岸/川越での一番の贅沢/豊かだった船問屋

その三十三  滝の音は 川越の仙波河岸
 仙波河岸跡/仙波河岸の成立/帆掛け船が川越へ/市のような仙波河岸/時代の波

その三十四  秋は夕暮れ 江戸時代の教育制度(寺子屋・家塾・私塾・藩校)
 寺子屋/川越の寺子屋/女性の師匠/川越藩士の教育/藩校の設立

その三十五  雁が音の 喜多院の五百羅漢
 らかんさんの童唄/喜多院の五百羅漢/羅漢とは?/五百羅漢の出来た社会背景/建立の年代と石工

その三十六  冬うぐひす 川越の蔵造り
 明治二十六年の川越大火/蔵造りの特徴/防火への思い/豊かな川越商人/これからの川越の町

「川越灯籠絵 夢まぼろし百年」 色田幹雄 文芸社 2010年 ★★
 提灯屋の土蔵から発見された数百枚の下絵。そこには、絵師親子三代が見た日本近代の歩みが遺されていた。
   目 次
まえがき
第一章 革命ではない大変革(幕末・維新)
第二章 よくぞやったものだ(明治維新)
第三章 嫌われ始めた日本(明治後期)
第四章 ロマンと不安(大正時代)
第五章 どこまで続くぬかるみぞ(昭和前期)
第六章 撃ちてし止まん(昭和後期)
おわりに

「川越ご訪問 〜「川越今昔ものかたり」空を飛ぶ 龍神由美 幹書房 2009年 ★★
   も く じ
その一 青龍
その二 朱雀
その三 白虎
その四 玄武
その五 鏡

「埼玉事始 ―さいたまいちばんものがたり― 東京新聞浦和支局編 さきたま出版会 1987年 ★★
明治以前
 サツマイモ
明治
 銀行製茶機械の開発私鉄
大正
 市制施行
昭和
 美術

市制施行          ●大正11年
 ●川越市≠ェ産声。25年も続いた賛否両論の争い。
 埼玉県の市の数は全国で最も多く、2位の北海道を8市上回る40市にものぼる。その県内で一番最初に市制を施行したのは新河岸川の舟運を通じ、江戸への物資の供給地として栄えた川越市である。だが、人口5万人以上などの要件を満たせばほとんど自動的に行われている現在の市制施行と違い、大正11年の同市の誕生までには賛否両論の争いが実に25年もの間続けられた。
 明治31年に計画
 川越市史によると、町のおもだった商業者によって市制施行が計画されたのは明治31年である。商業会議所が設立された33年には、町議会が市制施行に関する請願書を県知事に提出することを満場一致で決定した。請願書は商業者と町当局によって作成されており、すでに川越が城下町から商業者の支配する町に転じたことを示している。
 商業者たちは、交通の面で後れをとりつつある川越の現状を見て、町の発展を図ろうとしたのだ。これに対し、税金などの負担が増えることを恐れた住民の間から反対の声が上がった。また「現時点では市制を施行するにふさわしくない」とする町区長も反対運動を展開。36年には町区長を町長が懲戒処分にするといった、町政上の問題にまで発展している。
 その後、第一次世界大戦などから、市制施行論争はしばらく絶えていたが、戦後に再びクローズアップされた。産業の発展と都市への人口流入、物価高などが、町の自治能力、財政力の強化を必要としたからだ。
 調査委で施行決定
 大正6年には、町議会で賛否両論が戦わされた。それは、町が地理的、社会的条件から発展に乏しいという認識から「市制施行の態勢にない」とする時期尚早論と、「このような態勢を除去するためにも目標を設定せよ」とする賛成論だった。しかし、双方とも有力な論拠に欠けるとして、是非を調査することになり、町議、商業会議所議員、各区長など、当時のトップレベルの人たち80人によって臨時調査委員会が設けられた。
 委員会の結論は、郡役所の監督を離れ、直接県庁の監督下に入ることによる行政上の利点など七項目を挙げ、採決の結果、施行説に決まり、是非をめぐる論争に終止符が打たれた。
 人口は3万1千人
 これをきっかけに住民の間でも促進の機運が高まり、町当局は市制常務委員会を設け、具体的な調査を開始。臨時調査委員を中心にした市制促進委員会、市制促進同盟会が結成され、運動費の寄付勧誘や郵便局昇格運動が繰り広げられるなど、町をあげての促進に取り組んだ。さらに、隣りの仙波村を合併、職業紹介所、託児所、公会堂など公共施設も建設。待望の市制が施行された大正11年12月1日の人口3万1千人は全国で7位。初代市長には町長の綾部利右衛門が就任した。
 町あげて記念式典
 この市制施行は、多年にわたる住民の熱望だけに、その喜びは大きく、町をあげての盛大な記念式典が行われた。父親が町区長として臨時調査委員会で活躍した仲千彦(77)――同市大手町――は、当時のもようを「役所の玄関には祝市制≠フ看板に国旗、市旗が掲げられ建物は当時としては珍しいイルミネーションで飾られ、それはきれだった」と言っており、また「川越小学校校庭で行われた五百人以上が出席した式典に加え、家々では紅白の幕を張り、山車の引き回しやお囃子など、川越まつりそのものが施行日から三日間にわたり繰り広げられた。山車がない町内ではちょうちん行列も行われ、町中が大にぎわい。大いに心が躍った」と語っている。
 川越市の人口は27万9千898人(60年9月1日現在)。人口規模ではすでに大宮市に追い抜かれ県内4番目。
 追 記
 市制は、明治21年4月、市制町村制の制定に伴い、翌22年4月に秋田、仙台、水戸、横浜、京都、大坂、熊本など31ヵ所が一斉に施行したのが始まり。当時、市の執行機関は合議制の参事会となっていたが、明治44年には、参事会を独任機関としての市長に改め、その任期を4年とする現行の制度が確立された。
 市制施行には、地方自治法と県条例により、人口5万人以上。教育、文化、衛生施設が整備されていること――など、都市的要件が望まれ、さらに昇格後は、収入役、社会福祉事務所(人口20万人以上)の必置、監査委員定数増(3人または2人)が義務づけらてている。
 川越市が施行した当時は、郡役所から直接県庁の監督下に入ることによるメリットがあったが、現在では自動昇格≠ェほとんど。村より町、町より市が格上≠ニいった対外的な響きにあるようだ。

思わず人に話したくなる 埼玉学」 県民学研究会編 歴史新書 2013年 ★★
第1章 自慢したい埼玉県の風土
 2 埼玉は日本でいちばん市が多い県

「明治・大正・昭和の郷土史11埼玉県」 森田武編 昌平社 1982年 ★★
 ・川越に第八十五銀行ができる
 ・関東大震災の被害

「川越市今福の沿革史」 新井博 川越市今福菅原神社氏子会 1975年 ★★★
 −目 次−
江戸時代の今福
 今福村の開発
  一 信綱以前の開発/二 今福村の開発/三 開発と川越藩の農業指導/四 村議定と検地
 所沢、江戸両街道の並木
 鉄砲拝借と猪、鹿退治
 今福村の社倉
 孝行者中台の与七
 頭取名主山口嘉平次の功績
  一 頭取名主に就任/二 主要な功績
 観音堂の再建と馬頭観音
  一 観音堂の再建/二 今福の馬頭観音
 水戸天狗党の乱と今福村
 農兵隊取立て一件と今福村
  一 農兵隊設立の前提/二 農兵隊設置を命令/三 再度農兵隊設置を命令/四 農兵隊取立てを中止
明治時代の今福
 福原村の成立と今福村
  一 新地方制度と今福村/二 福原村の成立
 神仏分離と明見院
 今福村の種痘
 明治初期の教育
  一 今福学校と中福学校/二 統合小学校の新築といわゆる山口学校
 明治期今福の農業
  一 今福の農業生産物/二 今福の水車/三 四十三年の大水(水害)
大正昭和初期の今福
 大正昭和初期の農業
  一 農業生産物の推移/二 購入肥料の増加と農業機械の導入/三 穀物検査/四 共同出荷
 今福の消防組
  一 消防活動/二 保安組合の設置/三 芝居の興業/四 選挙の応援
 今福の青年団
  一 青年団の発展/入間郡青年団と埼玉県連合青年団/三 女子青年団/四 公民学校と青年訓練所
戦時体制下の今福
 戦時体制下の今福
  一 戦争への道/二 供出制度/三 配給制度/四 工場の疎開
戦後の今福
 福島農林大臣今福を訪問
 農地改革
  一 第一次農地改革/二 第二次農地改革/三 山林原野の解放
 農業協同組合の結成
 市村合併と今福
 中台の芋掘り観光
 今福、中台の祭りばやし
  一 祭りばやしの変遷/二 今福の祭りばやし/三 中台の祭りばやし
今福の功労者
 赤沢仁兵衛/森田万助/土金要作/森田栄/宇津木清蔵

「芳野村郷土誌稿」 大野貞/著 川越市総務部市史編纂室/編 川越市 1971年 ★★★
  −目 次−
第一章 総 論
 第一節 郷土に対する吾人の観念
 第二節 郷土本村の沿革概況
第二章 地名の起因
 第一節 地名の起源に関する考察
 第二節 本村地名の考察
第三章 治 績
 第一節 本村村治の概況
 第二節 本村夫役と土工事
 第三節 本村の災禍
第四章 展 望
 第一節 本村の姿態と推移
 第二節 板碑
 第三節 本村の行事と慣例
第五章 部落の事跡
 第一節 谷中
 第二節 石田本郷
 第三節 菅間
 第四節 鴨田
 第五節 北田島
 第六節 伊佐沼
 第七節 鹿飼
 第八節 老袋
第六章 紋章と家例
 第一節 紋章
 第二節 家例
第七章 残水余滴
 第一節 郷土演芸
 第二節 俚諺と方言
第八章 雑ろく
 第一節 昔の思い出
 第二節 雑録
付録考察
 一、舟塚の研究について
 二、入間川流域の移動

「川越市菅原町誌」 川越市菅原町自治会 2001年  ★★★
   −目 次−
序 文
一 古代から戦国時代まで
 1 古代の仙波郷
 2 仙波地方領主の変遷と影響
二 江戸時代
 1 江戸開府に伴う仙波地方の影響
 2 大仙波新田の開郷と分村
 3 社寺の創建由来
 4 川越街道と新河岸川舟運の整備に伴う村の影響
  (1)川越街道について(2)新河岸川舟運について
 5 川越藩領下の村民
三 明治時代
 1 廃藩置県による村のあゆみ
 2 明治初期の道路と住民
 3 菅原学校の開設
 4 仙波河岸の開設と影響
 5 所有者不明用地等の処分
 6 町村制施行による仙波村編入
 7 仙波尋常小学校の開設
四 大正時代
 1 鉄道開通と仙波地方の影響
 2 稲荷社、天神社の合祀と菅原神社の称号
 3 地区財産の効率的運用
 4 川越市誕生と菅原町の発足
 5 菅原会の結成
 6 開郷三百年記念事業の実施
五 昭和(太平洋戦争終結まで)時代
 1 菅原神社社務所の新築
 2 菅原町内における織物業の盛衰
 3 市制施行十周年記念事業
 4 菅原神社拝殿の新築
 5 国鉄川越線の敷設と川越駅の設置
 6 太平洋戦争下の町内活動
 7 川越駅などの空襲と終戦
六 昭和(終戦後)時代
 1 菅原神社本殿の建立
 2 菅原町公民館の設置と活動
 3 市制施行三十周年記念川越祭
 4 菅原神社社務所の罹災と復旧
 5 菅原新道の開通と影響
 6 九か村合併による大川越市の誕生
 7 六塚稲荷社の分祀と祭典
 8 行政区域、地番改正と町内の組番変更
 9 公民館事業の推進
 10 菅原町常磐会の結成
 11 菅原町町内会の結成
 12 環境美化モデル地区の指定
 13 町内会を自治会と改称
 14 市制施行五十周年記念川越祭と子供用御輿等の新調
 15 妙善寺の再建
 16 自治会発足二十周年及び開郷三百六十周年事業の実施
七 平成時代
 1 菅原町自治会館の建設
 2 六塚稲荷神社の修復と参道整備
 3 自治会創立三十周年記念事業の実施
 4 菅原町川越まつり協賛会の結成
 5 市制施行七十五周年記念で四十年ぶりに山車曳く
 6 市議会議長就任祝賀会の開催
 7 地域の近代化に伴う菅原町の影響
 8 菅原町の年中行事
 9 菅原町自治会の現況
菅原町関連年表
参考図書一覧
あとがき

「柿本人麻呂と川越 山田勝利 氷川神社社務所 1980年 ★★★
 氷川神社宮司である著者が、勲五等瑞宝章の叙勲記念として、武蔵野ペン紙上に載せた文章を編集した本です。
 −目 次−
・はじめのことば
・川越城主柳沢保明と氷川神社
モース教授の川越来訪記
・アンドレ・マルローと町並み保存
・蔵造りの町並・序説
 柳田翁の嘆き/渋沢敬三の提案
柳田国男先生の面影
・柿本人麻呂と川越
 川越の人丸神社/頓阿法師作人麻呂神像/宝暦二年人丸勘文の前段/人麻呂水神説の展開/人丸勘文の後段/人麻呂霊神/人麻呂と綾部/近江の海/野州の山里/江州から野州へ/小野猿丸大夫/佐留・さる・猿/さすらいの旅
・著者略歴
・あとがき

歴史謎物語 井沢元彦 廣済堂文庫 2000年
 〔T〕謎に迫る/人麻呂はなぜ正史に登場しないのか
 詩人は魔術師、錬金術師/人の心を打つ人麻呂の歌/謎に包まれた人麻呂の人物像/新説登場―人麻呂は粛清された/「人麻呂の正体」をめぐる反響/人麻呂の思想の根本は平和への願い

「コンサイス日本人名事典改訂版 三省堂編修所 三省堂 1990年
 柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)
 7世紀後半、持統・文武朝の歌人。
 「万葉集」の代表的歌人。作品は457首みえ、その内訳は、人麻呂作歌85首、歌集歌372首である。作品には、宮廷歌人としての従駕歌や殯宮挽歌、相聞歌、相聞挽歌、き旅歌などがある。作風は絢爛たる修辞と律動に富み、また沈痛重厚で、真摯な人柄をしのばせる。経歴は不明であるが、まず大舎人として出仕し、のちせいぜい六位以下の官人として、四国や石見国に赴いたらしい。710(和銅3)平城遷都の前後、石見国鴨山(斎藤茂吉の推定によると、島根県邑智郡邑智町湯抱の鴨山という)で死んだともいうが、これには異説がある。 
(参)斎藤茂吉「柿本人麿」1934、中西進「柿本人麻呂」1970

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作成:川越原人  更新:2020/11/02