川越の民話と伝説(1)


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「川越の伝説」 さし絵・文/池原昭治 川越市教育委員会 1981年 ★★★
 収集した資料200編以上、その中から精選した話60編を収録。
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喜多院七不思議 → 川越の七不思議
 明星の杉と明星の池/潮音殿/山内禁鈴(その1)/山内禁鈴(その2)/三位稲荷 /琵琶橋/底なしの穴/お化け杉
・その他の喜多院伝説
 五百羅漢さまどろぼう橋/榎の木稲荷
川越城の七不思議 → 川越の七不思議
 初雁の杉/霧吹きの井戸/人見御供/片葉の葦/よな川の小石供養/天神洗足の井水/城中蹄の音
・その他の川越城伝説
 甲首の夜盗虫
・喜多町
 広済寺の天狗さま/しゃぶきばばあ
・幸 町
 雪塚稲荷
・松江町
 くぼ稲荷
・新富町
 民部稲荷/日ぎり三体地蔵さん
・芳 野
 どろ足の地蔵さん/伊佐沼の大片貝/舟塚
・古 谷
 堀の内のうらなし道/ウバ神さまのはなし/古谷のオトウカさま/ハバキさまのはなし /オトウカさまのいたずら/だいれんじ火
・南古谷
 獅子の宮さまとお餅/並木の大クスとカラス/川越街道と中道の家
・高 階
 次兵衛塚/片目の春日さま
・福 原
 原の地蔵さん/牛頭天王さまとえき病/今福の不老川
・大 東
 夜泣き地蔵さん/コガン坊さま/とんがらし地蔵さん/泣く子もだまるぶんぞうえもん
・霞ヶ関
 ゴゼ橋/尾崎神社のご神木
・名 細
 ジイギとバアギ/立上りの松/小畔川の一ッ目小僧/おいてけ堀刺橋のいわれ/かっぱの伊勢まいり /こむそう塚/しゅげん者と狐/底なし沼の膳椀
・山 田
 アジロの話/浄国寺の夜泣き子育て地蔵さん/上寺山のかんのんさま
・巻 末
 その他の川越伝説(資料)/参考文献

「続川越の伝説」 さし絵・文/池原昭治 川越市教育委員会 1984年 ★★★
 「川越の伝説」に掲載できなかった50編を収録。
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喜多院の伝説
 山内禁鈴(怒った大蛇)/三びきのキツネ/小僧に化けた狸/双子池 /鐘楼門の鷹/天狗の腰かけ杉/石燈ろうの小石
・幸 町
 虫食い奴のお墓/時の鐘のはなし
・連雀町
 蓮馨寺の鐘
・六軒町
 久太郎狐
・三光町
 経ヶ島の弁財天
・脇田町
 乳母観音さま
・上野田町
 お茶かんぼう
・その他
 願いごとをかなえてくれる神社とお寺/川越の七夕さま
・芳 野
 五の神のはなし/おみしまさま/小池の大蛇
・古 谷
 善仲寺のキツネ/三千石ノ原の大蛇/ほろ祭りと獅子頭
・南古谷
 木野目長者/南古谷ところどころ
・高 階
 いねむり塚/下新河岸の観音さま/砂久保の陣場跡/勝福寺の大木の槇/おすわさまのなすとりかえ
・福 原
 キツネのはなし
・大 東
 弁天の池/増形のいわれ/増形の白山さま/セタガヤのお地蔵さん
・霞ヶ関
 的場六十六塚/ひょうたん池/笠幡のだいだらぼっち/笠幡のめずらしい地名のはなし(1) /笠幡のめずらしい地名のはなし(2)/榎堂のお地蔵さん/こんぴらさまの天狗/キツネに化かされたはなし /小畔川のはなし/夜泣き地蔵さん
・名 細
 北向き不動さま/小豆婆のはなし/いぼ榎/小畔川の小次郎
・山 田
 いぼ地蔵さん/原っぱの八幡さま
・巻 末
 参考文献/川越の伝説の地をたずねて(池原昭治)

「川越の民話と伝説」 新井博 有峰書店新社 1990年 ★★★
 「埼玉県の民話と伝説」(全3冊)のうちの「川越編」を改題し、新装版として発行された本です。
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喜多院の伝説
喜多院の七不思議 → 川越の七不思議
 1、明星の杉と明星の池(小仙波町)
 2、潮音殿
 3、山内禁鈴
  1音色の悪くなった鐘/2腹のへった大蛇/3美女と和尚/4白蛇の宿がえ/5仙波沼のぬし/6女と大蛇
 4、三位稲荷
  1空から落ちた小坊主/2三びきの狐
 5、琵琶橋
 6、底なしの穴
  1底なしはきだめ/1新三位の話
 7、お化け杉

・その他の喜多院伝説
 喜多院の釜なめ蛇(仙波地区)/仙芳真人/双子池/喜多院鐘楼門の鷹/五百羅漢どろぼう橋/天狗杉/ 幽霊杉/亡者杉/石の亀/中院と喜多院/東照宮の石燈篭と小石/三変稲荷/角大師と豆大師の門礼

川越城と川越藩のはなし
・川越城の七不思議 → 川越の七不思議
 1、初雁の杉/2、霧吹きの井戸/3、人見供養(御供ヵ)/4、片葉の葦/5、遊女川の小石供養/ 6、、天神洗足の井水/7、、城中蹄の音

・城と川越藩をめぐって
 肝っ玉藩士大川平兵衛/難波田弾正と山中主膳/岩田彦助の才智/下河家の河童の手/ 甲首の夜盗虫/名鑑定師、鎌田魚妙の眼力/呑金、大盤ぶるまいにあずかる

町に伝わる民話と伝説
・市外北部
 ■芳野地区 飛地・五ノ神/猫にたたられた名主五左衛門/舜海入定/義民、関民部/奴名主の知恵/お女郎ケ淵/狐に化かされた岩右衛門/伊佐沼の大片貝/鼻取り地蔵
 ■古谷地区 瀬のぼりの太刀/大蓮寺火/川越線のおばけ
 ■名細地区 下小坂の北向き不動尊/説教にまいった一ツ目小僧/ 下小坂の小豆婆刺橋とダイダラボッチ/恋に狂った大蛇小次郎/疣榎/ 上戸の日枝神社と休慶和尚/京塚哀話/おいてけ堀/河童の伊勢詣り/狐の嫁入り
 ■霞ケ関地区 的場の天神社/的場の片葉の葦

・市外南部
 ■南古谷地区 餅くい獅子頭/木野目長者と大塚山
 ■高階地区 神の申し子を育てた次兵衛/小野小町といねむり塚/片目の春日さま
 ■福原地区 川越合戦と牛頭天王/名馬三国と三国塚/中台の上覧囃子/鯉のぼりをたてない土金家/二体ある馬頭観音/明見院の身代り地蔵/さつまいも裁判/すくも火
 ■大東地区 梶原の池/東陽寺の黒蛇

・市内北部
 ■神明町 神明神社のご神体
 ■石原町 観音寺の聖観音/本応寺の読経師/簓獅子/辷り淵
 ■志多町 狐がもってきた東明寺の本尊
 ■喜多町 屋根の低い広済寺の本堂/しわぶきばば/じじ榎・ばば榎
 ■宮下町 天狗のうちわ/誉桜
 ■元 町 天海僧正と榎本家の接ぎ柱/六塚稲荷
 ■郭 町 三芳野の里
 ■幸 町 虫食い奴の墓/雪塚稲荷/時の鐘
 ■末広町 日蓮上人と妙養寺
 ■仲 町 太田道真と烏山稲荷
 ■久保町 放蕩者がつくったお不動様
 ■松江町 稲荷に助けられた長兵衛さん
 ■連雀町 遊佐地蔵/燃えのこった蓮馨寺の鐘/あざのある感誉御影/天狗の神隠し
 ■六軒町 久太郎狐
 ■三光町 経ヶ島弁財天/妻殺田

・市内中・南部
 ■新富町 民部稲荷/疱瘡に効く地蔵菩薩
 ■通 町 幽霊と碁を打った唯一和尚/孝顕寺の小蛇
 ■中原町 妻が猿に見えた話
 ■脇田町 長松院の乳母観音
 ■上野田町 家康の名づけた十連寺
 ■新宿町 並木の霊眼水

「小江戸の民話」 文/市川栄一 絵/池原昭治 さきたま出版会 1996年 ★★★
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小江戸の民話
・喜多院の民話
 喜多院のはじまり/修行に励んだ小僧タヌキ/鐘をつかない約束/鳴らなくなった鐘/鐘の嫌いなと鐘の好きな/白ギツネとの約束
・川越城の民話
 川越城の人柱/長久の音は時の鐘/およね川/トンビと殿様/雪を根として育つ松
・ふるえる民話
 幽霊と囲碁をした和尚/化け物が出したなぞ/一つ目の大男/汽車を追いかける幽霊/オイテケ堀/絹地蔵
・わらう民話
 雷様は洒落が上手/変な願い書/茶は茶、栗は栗、柿は柿/都言葉/暗闇の中から黒い牛/早起きは千両箱/小判と小石
・和尚と小僧の民話
 大きな梨/毒の濁り酒/フーフー、パタパタ/食った仏様/ぼた餅のお代わり
・キツネとサルの民話
 相撲の好きな民部様/古屋のもり/谷底に落ちたサル

小江戸周辺の民話
・狭山の民話
 入間と呼ぶようになったわけ/七曲がりの井戸/魚屋の小僧と小猫/ネズミのお経
・所沢の民話
 ネズミと焼きだんご/動物の餅運び/カッパのハンコ/たにしのやせ我慢
・坂戸の民話
 鬼橋を支える鬼石/カッパの骨つぎ薬/海老の腰はなぜ曲がったか
・入間の民話
 クツワ虫の鳴かない村/見上げ入道
・鶴ヶ島の民話−雷電池の大蛇
・上福岡の民話−茂兵衛地蔵
・富士見の民話−難波田城の亡霊
・三芳の民話−親指八郎
・大井の民話−縄ない競争

「まんが 川越のむかしばなし 第1巻」 漫画/しいや・みつのり 脚本/花井泰子 小江戸出版会 1997年 ★★★
 はじめに―――― 花井泰子
 埼玉県のなかでも川越はお寺や神社の多い町として有名です。これらの寺や神社にまつわる伝説や昔話がたくさんあります。竜や蛇や狐、山や木や川など、その土地に起こる不思議な現象と人びととのかかわりなどから生まれた昔語り。人びとの口を通し語り継がれていくうちに、まるで本当にあったことのように昔話となっていったのでしょう。
 心の悲しさも病気の苦しみも、だんごを供えて一心に祈ることで治してもらったお地蔵さま。わけへだてなく人びとの悩みを聞きいれ、身代わりをつとめてくれたお地蔵さま。現代も続く地蔵信仰の強さを感じさせられます。
 この本を作るためにお話の場所を訪ね歩きました。伝説の残る遺跡にうなずき、昔話の里ではそこに住んでいた人びとの姿を思い浮かべました。かわりゆく街に、けっしてかわらない伝説や昔話があり、それを語り継いでいくことは大切だと思います。この本をもとに「むかしばなしめぐり」をするのも楽しいと思います。
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・パート1
仙芳仙人(喜多院)/音が悪くなった鐘(喜多院)/腹のへった大蛇(喜多院)/二人の美女(喜多院)/三変稲荷(喜多院)/三位稲荷三びきの狐(喜多院)
・パート2
人身御供(川越城)/片葉の葦(川越城)/遊女川の小石供養(川越城)/下河家の河童の手(城下)
・パート3
狐がもってきた東明寺の本尊(志多町)/しわぶきばば(喜多町)/時の鐘ものがたり(幸町)/くぼ稲荷(松江町)/ささら獅子(石原町)
・パート4
遊佐地蔵(連雀町)/久太郎狐(六軒町)/民部稲荷(新富町)/ゆうれいと碁を打った和尚さま(通町)/妻子が猿に見えた話(中原町)
・パート5
次兵衛さまと神の申し子(高階)/おんぶおばけブッツァロベエ(高階)/玉喜姫地蔵(高階)/牛頭天王と疫病(福原)/名馬三国と三国塚(福原)/弁天様の大蛇(福原)
・パート6
川越線のおばけ(古谷)/善仲寺のキツネ(古谷)/三千石ノ原の大蛇(古谷)/木野目長者と水塚(南古谷)/餅くい獅子頭(南古谷)
・パート7
いぼ地蔵さん(山田)/浄国寺の夜泣き地蔵さん(山田)/流れついた観音さま(山田)/猫にたたられた五左衛門(芳野)/舜海入定(芳野)/鼻取り地蔵(芳野)
・パート8
お茶かんぼう(上野田町)/下小坂の小豆婆(名細)/刺橋とダイダラボッチ(名細)/恋に狂った小次郎(名細)/おいてけ堀(名細)/河童のお伊勢まいり(名細)/こんぴらさまの天狗(霞ヶ関)/安比奈新田の瞽女橋(霞ヶ関)/夜泣き地蔵さん(霞ヶ関)/コガン坊さま(大東)/増形の白山さま(大東)

「まんが 川越のむかしばなし 第2巻」 漫画/しいや・みつのり 脚本/花井泰子 小江戸出版会 1997年 ★★★
 はじめに―――― 花井泰子
 四十八話を収めた第一巻が出たあと、読者の方から自分の住んでいる町のお話を取り上げてほしいというご要望がありました。
 市街地の話は寺社にまつわる伝説が多く、久保町や仙波は川越城や喜多院伝説に重なります。郊外に残る昔話は、観音様や地蔵様など住民の生活に直結した願いから発したものが多いと思われます。夜泣き地蔵やいぼとり地蔵など同様な話が他の地区でも伝わっています。
 お話の土地を訪ね歩いたとき、「あっちの鎌倉街道沿いに首切り地蔵があるよ」などと指さし教えていただきました。「地元の者のやる仕事なのに遠くから来て下さって、ご苦労さまですねえ」といわれた皆さんの郷土への深い愛着心も感じさせられました。
 この第二巻には四十五話を収めています。歴史の深い川越には、まだまだ多くの昔話や伝説がうずもれています。それらを掘り起こしていきたいと思っています。本書を読みながら昔の川越の地や人びとの暮らしを思い浮かべていただけたら幸いです。
    −目 次−
・パート1
白蛇の宿がえ(喜多院)/泡なめ小蛇(喜多院)/琵琶橋(喜多院)/五百羅漢さま(喜多院)/どろぼう橋(喜多院)/お化け杉と天狗杉(喜多院)
・パート2
霧吹きの井戸(川越城)/城中蹄の音(川越城)/川越城の三角芝地(川越城)
・パート3
神明神社のご神体(神明町)/広済寺の天狗さま(喜多町)/六塚稲荷(元町)/虫食い奴のお墓(幸町)/雪塚稲荷(幸町)/観音寺の聖観音(石原町)
・パート4
天狗の神かくし(連雀町)/経ケ島の弁財天(三光町)/妻殺田(三光町)/化け物屋敷(松江町)/疱瘡に効く三体地蔵さん(新富町)/孝顕寺の小蛇(通町)
・パート5
お諏訪さまのなすとっかえ(高階)/片目の春日さま(高階)/おつまが池と鬼げしの花(高階)/原の地蔵さん(福原)/いぼとり観音(福原)/大蛇退治とすくも火(福原)
・パート6
ウバ神さまの話(古谷)/古谷のオトウカさま(古谷)/瀬のぼりの太刀(古谷)/並木の大クスとカラス(南古谷)/アジロのはなし(山田)/五ノ神(芳野)/義民・関民部(芳野)/奴名主の智恵(芳野)/狐に化かされた岩右衛門(芳野)
・パート7
小畔川の一ツ目小僧(名細)/修験者と狐(名細)/底なし沼の膳椀(名細)/日枝神社と休慶和尚(名細)/オトウカに化かされた話(霞ガ関)/榎堂の榎地蔵さん(霞ガ関)/石橋のなかった小畔川(霞ガ関)/とうがらし地蔵さん(大東)/梶原の池(大東)

「埼玉県伝説集成 (上巻・自然編)」 韮塚一三郎編著 北辰図書 1974年 ★★
動 物
 甲(かぶと)首の夜盗虫 川越市杉下 27
 僧に化けた狸 川越市 喜多院 30
植 物
 明星の杉 川越市 喜多院 51
 物見槇 川越市 勝福寺 52
 腰掛杉 川越市 三芳野神社 61
 天狗杉(その三) 川越市 喜多院 67
 家康駒繋松(権現松) 川越市野田 74
 家光駒繋の椎 川越市 三芳野神社 80
 太田道灌旗立杉 川越市 三芳野神社 98
 逆杉 川越市仙波 141
 子安木 川越市久下戸字富士塚 158
 片葉の葦(その三) 川越市 川越城址 171
 鬼嬰粟 川越市木野目 182
山・谷・坂・洞穴
 喜多院の竜 川越市 喜多院 321
 喜多院本堂下の穴 川越市 喜多院 328
 明星の井(その一) 川越市小仙波 喜多院 348
井・清水・湯・渕・池・沼
 梶原池 川越市池辺 378
 乳母ケ池 川越市仙波 384
  (1)小石供養(その一)
  (2)小石供養(その二)
  (3)およね川の小石供養(その三)
  (4)夜奈川(その四)
 双子ケ池(その四) 川越市大仙波 402
 児子(ちご)ケ池(その五) 川越市鯨井 402

「埼玉県伝説集成 (中巻・歴史編)」 韮塚一三郎編著 北辰図書 1976年 ★★
 餅をつかぬ家 川越市増形 8
屋 敷
 木の目長者屋敷 川越市木の目 46
 化物屋敷 川越市川越 61
聖 地
 すくも塚 川越市上老袋 95
 旗塚(その二) 川越市砂久保 103
 旗塚(その三) 川越市的場 103
 鶴塚(その一) 川越市小室町 137
 亀塚 川越市小室町 139
 入定塚(その三) 川越市 喜多院 170
 入定塚(その四) 川越市北田島 171
 仙芳真人入定塚 川越市 喜多院境外 173
 次兵衛塚 川越市砂新田 176
 経塚(その八) 川越市上戸 197
 首塚(その一) 川越市志多町 東明寺 211
 お茶湯塚 川越市野田新田 238
 舟塚(その一) 川越市上老袋 245
 居眠塚 川越市藤間 265
 妻(め)殺田 川越市境町 妙昌寺 270
建物――城・堤・橋
 霧隠城 川越市川越城跡 277
 霧吹きの井(その一) 川越市川越 277
 川越築城 川越市川越 288
 琵琶橋(その二) 川越市仙波 喜多院 324
 牛小橋 川越市清水町入口 328
 泥棒橋 川越市 喜多院 335
神・仏
 鼻取地蔵 川越市石田本郷 355
 腮(あご)なし地蔵 川越市坂上町 広済寺 379
 春日様 川越市砂新田 397
 しやぶき姥(その二) 川越市喜多町 広済寺447
 喜多院と中院 川越市 喜多院 498
神体・宝物
 入間川を流れ下ったお獅子 川越市福田 569
 新河岸を流れて来た獅子の宮 川越市古市場 569
 城中蹄の音 川越市末広町 養寿院 596
偉 業
 仙芳上人湖の主に地を乞う 川越市小仙波 635

「埼玉県伝説集成 (下巻・信仰編)」 韮塚一三郎編著 北辰図書 1974年 ★★
神――水の神
 民話風に変化した榛名湖入水伝説(その三) 川越市砂新田 49
神――稲荷神
 三位稲荷 川越市 喜多院 74
 民部稲荷 川越市黒門町 83
精霊――樹霊
 お化け杉 川越市 喜多院 97
精霊――池・渕の主
 ヤナ 川越市 川越城跡 129
霊魂――幽霊
 乳母観音 川越市坂下町 長松院 145
妖怪・変化――1
 河童の伊勢詣り 川越市小沼・川越市(旧名細村)・所沢市久米 197
妖怪・変化――2
 おいてけ堀 川越市(旧名細村) 230
 小畦川の一ツ目小僧 川越市下小坂 233
 大蓮寺火 川越市扇河岸 246
祭礼・行事
 餅なし正月(その二) 川越市古市場 258
 餅なし正月(その三) 川越市池辺 258
 餅なし正月(その四) 川越市増形 259
 餅なし正月(その五) 川越市平塚 259
 焼米の伝説 川越市(旧山田村) 261
 七夕の伝説 川越市川越 262
 尻焙り(その二) 川越市岸町 269
 尻焙り(その三) 川越市(旧福原村) 269
 尻焙り(その四) 川越市今福 270
 尻焙り(その五) 川越市(旧芳野村) 271

「埼玉県伝説集成 (別巻)」 韮塚一三郎編著 北辰図書 1977年 ★★
山・谷・坂・洞穴
 オッポリ池 川越市池辺 41
霊魂――死霊
 僧と碁を打った死者 川越市通町 195
妖怪・変化――1
 天狗隠し(その二) 川越市連雀町 205
 河童の手 川越市郭町 208
祭礼・行事
 尻焙り(その一) 川越市砂久保字竹原 225

「日本の謎と不思議大全 東日本編 人文社 2006年 ★★
埼玉県
しやぶき婆石塔
 川越市の喜多町の広済寺には、縄を結びつけておくと咳が止まると伝えられる石塔がある。高さは60センチほどで、四肢はない。咳が治ったら縄をほどいてやるとよいとされるが、常にぐるぐる巻きに縛られている。しやぶき(しわぶき)とは、咳の古語。喘息などで苦しむ人が多い現在でも、古くからの民間信仰が受け継がれている。
 ※私が撮影した「しわぶきばば」の写真が掲載されています。


釜なめ蛇
 川越市の仙波地区に伝わる、ある奇妙な蛇についての話。喜多院で飯を炊いていると、釜から出る泡をなめる蛇がいたという。小僧はその蛇を殺そうとしたが、和尚はそれを止めた。  数年後、見知らぬ小僧が和尚の下をたずねてきて、両親のところに帰るので屋根のない家を家をたててくれと頼んだ。和尚が早速建ててやると、小僧は龍となり昇天したという。

「日本の伝説」 柳田国男 新潮文庫 1977年 ★
咳のおば様の石は東京だけでなく、元は他の県にもそちこちにありました。 例えば川越の広済寺というお寺の中にも、しやぶきばばの石塔があって、咳で難儀をするのでお参りに来る人がたくさんにあったそうですが、 今ではその石がどれだか、もうわからなくなりました。しわぶきは古い言葉で、咳のことであります。 (入間郡誌。埼玉県川越市喜多町)
新井博 「川越の民話と伝説」には、 広済寺のしわぶきばばの石は現在もあり、百日咳や風疹によくきくと言われて、お詣りする人が多いと紹介されています。

広済寺の写真

「コンサイス日本人名事典改訂版 三省堂編修所 三省堂 1990年
 柳田国男(やなぎた くにお)
1875〜1962(明治8〜昭和37)明治・大正・昭和期の民俗学者。
(系)漢学者松岡操の6男、井上通泰の弟、松岡静雄・松岡映丘の兄。大審院判事柳田直平の養子。
(生)兵庫県  (学)東大法科。
 農商務省に入り、法制局・宮内省をへて、1914(大正3)貴院書記官長となったが、'19退官した。翌年朝日新聞社の客員、ついで論説委員となったが、'32(昭和7)退社。青年時代、田山花袋・島崎藤村・国木田独歩らと交わり新体詩人として知られた。他方、民間伝承に関心を傾け、早くから全国を行脚し、山間辺地をも訪ね、'09(明治42)日本民俗学の出発点といわれる「後狩詞記」を出版。以来、「石神問答」「遠野物語」「山島民譚集」はじめ多数の著書を出した。また'13「郷土研究」、'25「民族」などの雑誌を刊行・主宰した。'35<民間伝承の会>(日本民俗学会の前身)、'47<民俗学研究所>の創設などにより、日本民俗学の樹立・発展につとめ、<柳田民俗学>をうちたてた。'47芸術院会員、'48学士院会員、'51文化勲章を受章、編著は100余にのぼる。
(著)「定本柳田国男全集」全31巻、別巻5、1962〜65(「柳田国男全集」全32巻、1989続刊)。
(参)後藤総一郎「柳田国男論序説」1972、神島二郎編「柳田国男研究」1973、後藤総一郎監修「柳田国男伝」1989。

「日本故事物語(上)」 池田弥三郎 河出文庫 1983年
 咳のおばさまについて、「久米の仙人」で、つぎのように述べています。
 このように、女のために神通力を失ってしまい、空から下界へおっこちることを「久米の仙人」、略して「粂仙」などと言う。 この久米寺で飛行機の墜落よけのお守りを売っているのは、日本的でなかなか愉快である。 今の論理ではおかしいが、墜落した者が、こんどは墜落せぬように守るという考え方は、日本民族にあっては、ほかにも見られることであって、 たとえば、咳のばばあとか、咳のおばさまと呼ばれている小さなおばあさんの石の像が方々に遺っており、たいてい、小さな子どもたちが咳が出て困るという時、 このお婆さんに頼むとじきになおる、と言い伝えている。 このばあさんは自分が咳で苦しんだから、子どもの咳をまもってくれるのだ、と考えられているようなものである。 つまり、自分が出来なかったことを、他人の身においてしようというわけで、「悲願」とはこれである。

「コンサイス日本人名事典改訂版 三省堂編修所 三省堂 1990年
 久米仙人(くめのせんにん)
 伝説上の人物。
 大和国吉野郡の龍門寺で仙術を学んだといい、空中を飛んでいたおり、吉野川で洗濯する女の脛をみて神通力を失って落ち、その女を妻にしたと伝える。

「コンサイス日本人名事典改訂版 三省堂編修所 三省堂 1990年
 池田弥三郎(いけだ やさぶろう)
1914〜82(大正3〜昭和57)昭和期の国文学者・随筆家。
(系)銀座の天ぷら屋の息子。 (生)東京。 (学)慶大。
 1947(昭和22)慶大講師、'61教授。師折口信夫の学風を継承し、日本文学・民俗学・芸能史などの分野に研究の実績を残し、'56「文学と民俗学」、'62「日本芸能伝承論」を著した。NHKの解説委員や横綱審議会の委員も努め、随筆もよくした。慶大名誉教授、文学博士。
(著)「池田弥三郎著作集」全10巻、1979〜80。

「新県民読本 さいたま92」 グループ92 さきたま出版会 1986年 ★★
 「木の目の長者」のうまい知恵
 川越に、木の目という所がある。低平な水田地帯の中の、水田村だ。江戸時代の中頃のこと、ここに「木の目の長者」と敬われていた長者がいた。 あるとき、ひどい飢饉になって、村から餓死者が続出しそうになった。たくさんのお金を持っていた長者は腹をきめた。
「よし、村中の者に、米が買えるだけの銭をくれてやろう」
 長者は村の中のある場所に、荒地のドロを持ってこさせた。2人1組で、モッコで運ぶのだ。長者は現場に大きな銭箱を据え、1モッコで1回、銭の掴み取りをさせた。
 (中略)
 村の者は、毎日、朝から晩まで競争でドロを運んだ。それでやがて大きな山が2つもできた。信心深い長者は、その1つに愛宕様を、もう1つに浅間様を祀った。 これが田んぼの中の愛宕塚と浅間塚だ。むかしの木の目は、洪水の多い水場でもあった。それでここは、そうした時の安全な避難所にもなっていた。

「埼玉夜話」 まつやま書房編 まつやま書房 1980年 ★★
民話は本来、自分達の話し方で語り継ぐことに意味がある。
女のもつ妖しさ、母の子を思う愛情、権力に屈しない頓知、ブラックユーモア、タヌキや河童との交流、のろい、霊、秩父事件や百姓一揆の言い伝え――。
炉端の語り草が今、甦える。

 奴名主とお鷹の話
  権威を笠にきて威張るのは封建時代に限らずいつの時代にもありうることである。岸伝平著「川越閑話」より。
 川越城付の領内芳野村菅間に起ったお鷹事件が、名主の機知によって誰も罰せられずに無事に落着したエピソードがある。
 封建時代には、上の威光を笠にきて、とかく役人が威張って歩き、御鳥見や鷹匠などが田舎で百姓達をいじめていた。その頃は、鷹匠が鷹をもって耕作中の細道を「お鷹」と言って通り、農民達に土下座をさせたという。この鷹のお通りを見たある武家(幕臣)が腹を立てて、こちらから「お人、お人」と呼び答えたという逸話も残っている。
 さて、川越在の菅間村に織右衛門という代々名主の豪者がいた。彼の家は、赤門と呼ばれた、村でも格式のあった旧家で、丁まげから彼は奴名主と呼ばれていた。「新編武蔵風土記稿」にも、名主として職務を怠らず精励し、諸人に慈父のごとく慕われ、その徳行をかわれて、天明の頃、城主より青銅五貫文をたまわり、表彰されたことが記されている。
 ある日の夕方に、この村に突然、例の鷹匠の一隊が入り込んで来た。通例には先触れがあって、村名主や百姓惣代が村境まで出迎え、道案内してくるが、この日はどうしたことか、鷹匠のお鷹の具合が悪く、逸れ放されて姿をくらましてしまった。ここにあわてふためいた鷹匠は、人足連を叱りつけながら、あたりくまなく田野を百方、走り回って捜索したが、鷹の行方は杳としてわからず大騒ぎとなった。
 一方、話変わって村はずれで子供達が遊んでいると、夕闇の中に小鳩ぐらいの鳥がいるのを目ざとく見つけて、いたずら盛りの腕白小僧のこととて、面白半分に誰かが小石を拾って投げつけた。たちまち二〜三人で誰彼なしに石を投げつけるうちに、間違いの起る時は避けがたいもので、子供のなげた小石がみごとに鳥の頭に命中して、鳥は路上に死んでしまった。子供達がよくよく、そばでみると、普通の鳥ではなく、それが鷹であることに気付いて、今さらに驚き、日頃鷹匠の恐ろしさを知っている子供達は散り散りに家に逃げ帰ってしまった。
 一方、躍起となって鷹の行方を探し求めていた一行は、路傍に転死している鷹を漸く見つけて、大騒ぎとなり、たちまち本隊の鷹匠連に報告したので、それっと全隊が押し寄せたが、肝心のお鷹の絶命のあとで、その死因が判然としないで血相変えて、名主の織右衛門の家に引揚げた。
 鷹一羽でも公儀を笠に、人の命を絶ってしまうという封建時代のこととて、名主はすぐ村人の迷惑を助けようと思った。ここに直ちにいきり立つ鷹匠達も、次第によっては、自分達にもくる災難だと気付いて、すべてを名主に一任と決した。
 ここで奴名主は大声で「お鷹さまがご病気だ」とたちまちに言い出した。「お鷹さまが急病で床についたから、即刻に川越城から御典医を派遣されたい」と言って、鷹匠にむかい「後のことは万事、私にお任せしていただきたい。決して迷惑かけません」と断言した。鷹匠達も名主の当意即妙の胸三寸の中を読んで、その意を察し、彼に従った。そこで武士達を急ぎ使者に立て、お鷹の見舞医を連れ立ててくれるよう手紙を持参した。
 一方、奴名主は早速家人に命じて、静かに白の上蒲団と小枕を整えて鷹を上座に寝かせていた。やがて城中より御典医が到着し、その容態を検診しようと座するや、直ちに奴名主はにじり寄って、「お鷹さま、急病につき種々介抱しましたが、療養の効なく、天命か人命及ばず遂に落命しまして」と黙礼した。御典医はこの意中を汲みとりて「御丁寧なるお取り扱いに感服した」と言ったので、並んでいたお鷹匠達までほっと安心した。鷹匠もその後、威張らなくなった。
 幽霊と碁を打った唯一和尚
  死んでもあいつには負けたくないとは現在のざる碁を打つ人の話。岸伝平著「川越閑話」より。
 川越の通町に昔、孝顕寺という禅宗の寺があったが、城主松平大和守家のお供寺とて所変えの時に殿様に従って前橋に移転した。
 ここの住職であった唯一和尚は、学徳兼備の人で、また大層と囲碁が好きであった。その碁相手は川越藩士の田村栄次であり、田村は剣を能くし、大川平兵衛門人中の逸足と呼ばれ、神道無念流の達人で、その将来が嘱望されていた。この田村がふとかりそめの風邪から病が重なってしまい、医師にも絶望視されて、最早その命は旦夕に迫ったと伝聞された。かつて剣に長じた若者とて、藩士達にも再起不能の重病が案ぜられていた。
 田村は病臥中にいつも「今一度丈夫になって孝顕寺の唯一和尚と碁試合がしたい」と口ぐせに言っていた。ある日、この孝顕寺に藩士の舟戸某が和尚の許を尋ねると、お小僧が出て来て、和尚は今、書院で田村と碁を打っていると聞かされ、舟戸はびっくりした。田村なら今は、今日明日という臨終間近の容態との噂を知っているだけに驚いた。
 寺の小僧の話には、いつものごとく紋服姿で、玄関から田村さんは書院に入り、和尚の碁相手になっていると話されて、これは不思議と思って、舟戸は直ちに、田村の屋敷のある城代家老の吉田筑後邸内に訪ずれるとまたびっくりした。田村の屋敷では、今病人が息を引き取ったと涙ながらの話で、家人が枕辺に看とっていた。
 この話が城下町に広がり、或は田村と町中で出会った人もあるなどと当時噂とりどりであった。唯一和尚は、田村の霊魂が幽界人となって、いとま乞いに来て、最後にいつものごとく一石打ったのであると、禅僧だけに騒ぎもせず、静かに落着いていた。
 唯一和尚は、尾州の生まれで、志士とも交わりが深く、勤王の志が厚かったと称されていた。学僧とて能書家であり、詩文も上手であった。文久元年五月に没しているが、その墓塔は北町の広済寺にある。これは所替えで、同宗の広済寺に墓塔が残されたものであろう。
 妻が猿に見えた話
  勤務から帰って迎えに出た女房が猿であったなら、あなたはどうする。岸伝平著「川越閑話」より。
 川越の中原町には、寛永の頃作られた武家屋敷や侍の長屋があった。そこには天草の乱のキリシタン帰依者が、公儀の預り人として長屋に住んでいたとも伝えられていた。後年のことであるが、この長屋に城詰の武士達が両三家づつ隣り合わせに住んでいた。
 ある夏の夕方、城中からの帰途に同僚と長屋門の入口でわかれ、我家に入ると、あっと驚いた。玄関に出迎えに出てきたものが、妻女でなく、まさしく猿であり、その後ろも愛児ではなく子猿であった。
 びっくりした武士は一度刀に手をかけたが、斬ろうとする寸前に、ふと自己錯覚の夢よりさめて、真っ青になり水をくれと申し付けた。差し出した水を一息に呑んで見ると、たちまちに猿でない妻女と愛児の顔が判然とした。
 折も折、隣家でもきゃっという悲鳴と同時に助けを呼ぶ声に驚天して馳せつけると、今、門前でわかれたばかりの友が、悪魔にとりつかれた如く、血相を変えて血刀を振り上げ、荒れ狂い目を据えている。たちまちに組み付いて、相手の大刀を取り上げたが、友は呆然としている。友の妻女とその子供は無惨にも一刀のもとに斬り殺されてしまった。
 先刻の叫び声は死の最後のそれであった。しばしお互いに無言であったが、静まってから尋ねると、不思議にも通り魔のごとく、友も家に帰り、敷居をまたぐと、猿の親子が座敷から玄関に現われた。思わずかっとして唯一刀のもとに斬り捨てたと述べたので、同じ光景を見た隣家とて、びっくりして驚いた。たしかに自分の家でも妻子が猿に見えたこととて、通り魔が夢うつつながら現実のこととて、まもなく届け出たが、気の毒にも我に返った友はやがて自ら切腹し果てたが、これも何かの因縁だろうかと評判があった。キリシタン屋敷跡とて噂が広まった。
 昔、この長屋に天草の乱後、キリシタン宗徒のとりこ(非改宗者)が松平信綱城主の時に置かれた。罪人とはいえ、宗徒のこととて、常に温厚であり、藩でも大切に扱ったが、なかには、宗徒とて憎悪されて、愛撫していた猿と共に刑死された。或はそのたたりではないかとも伝えられた。

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作成:川越原人  更新:2020/11/02