川越の寺社


<目 次>
寺 社  (川越大事典さいたま寺社めぐり
七福神  (新埼玉さわやか散歩41コース小江戸川越七福神めぐり妖怪と絵馬と七福神
 (武蔵野の地蔵尊古寺巡礼
神 社  (氷川神社三芳野神社の社宝埼玉の神社
神明神社(神明町)  (川越の民話と伝説校注武蔵三芳野名勝図会

 トップページ  サイトマップ  → 喜多院  東照宮
●寺社
「川越大事典」 川越大事典編纂会編 国書刊行会 1988年 ★★★

 寺院
 安養院/安楽寺/一乗院/永命寺/栄林寺/円福寺/円満寺/延命寺/勧行院/観蔵院/灌頂院/観音寺/喜多院/行伝寺/玉泉寺/見立寺/広済寺/光西寺/西雲寺/西光院(下寺山)/西光院(針ヶ谷)/西福寺/最明寺/三明院/地蔵院/実相院/十念寺/勝光寺/浄国寺勝福寺常楽寺/真行寺/星行院/青林寺/善仲寺/泉福寺/大蓮寺/長喜院/長田寺長徳寺/長福寺/天然寺/東光寺(小中居)/東光寺(藤間)/東明寺/東陽寺/中院/能満寺/福昌寺/法城寺/法心寺/法善寺/本応寺/万久院/妙昌寺/妙善寺/妙養寺/明見院/薬王寺/養寿院/滝岩院/蓮馨寺/蓮光寺
 神社
 赤城神社/愛宕神社/愛宕八坂神社/飯津迦神社/厳島神社(北田島)/厳島神社(的場)/稲荷神社(池辺)/稲荷神社(牛子)/稲荷神社(大塚新田)/稲荷神社(木野目)/稲荷神社(渋井)/稲荷神社(下松原)/稲荷神社(砂久保)/稲荷神社(高島)/稲荷神社(中福)/稲荷神社(元町)/稲荷神社(八ッ島)/浮島稲荷神社/尾崎神社/鏡神社/春日神社(鯨井)/春日神社(砂新田)/川越八幡神社/熊野神社(池辺)/熊野神社(今成)/熊野神社(岸町)/熊野神社(連雀町)/出世稲荷神社/白髭神社(大袋)/白鬚神社(笠幡)/白鬚神社(下小坂)/白鬚神社(豊田本)/白鬚神社(吉田)/神明神社(今泉)/神明神社(小中居)/神明神社(鹿飼)/神明神社(神明町)/菅原神社(今福)/菅原神社(菅原町)/菅原神社(南大塚)/諏訪神社(広谷)/諏訪神社(藤間)/浅間神社仙波東照宮/天神社(石田本郷)/天神社(藤倉)/天満天神社/道祖土神社/野田神社/白山神社(小ヶ谷)/白山神社(小堤)/白山神社(下広谷)/白山神社(増形)/八幡神社(安比奈新田)/八幡神社(鴨田)/八幡神社(小堤)/八幡神社(下赤坂)/八幡神社(的場)/八幡神社(山田)/日枝神社(上戸)/日枝神社(小仙波町)/日枝神社(下新河岸)/日枝神社(寺尾)/氷川神社(新宿町)/氷川神社(大中居)/氷川神社(大袋新田)/氷川神社(久下戸)/氷川神社(小室町)/氷川神社(下老袋)/氷川神社(砂)/氷川神社(仙波町)/氷川神社(並木)/氷川神社(平塚新田)/氷川神社(古市場)/氷川神社(南田島)/氷川神社(宮下町)/藤宮神社古尾谷八幡神社/古谷神社/南古谷神社/三芳野神社/六塚稲荷神社(元町)/六塚稲荷神社(六軒町)/薬師神社(伊佐沼)/薬師神社(幸町)/八雲神社/八坂神社/八咫神社/雪塚稲荷神社

「さいたま寺社めぐり 夫婦で訪ねた四季の寺社76選 花井泰子=文 花井敬=写真 青木忠雄=解説 幹書房 1999年 ★★
●歴史と文化財の寺社 
 22 喜多院・仙波東照宮
 23 常楽寺
●花や木が楽しめる寺社
 34 中院
●祭りや行事で知られる寺社
 60 古尾谷八幡神社
 62 氷川神社

●七福神
埼玉さわやか散歩41コース 山と渓谷社 2000年 ★★
10)小江戸川越七福神めぐり

東武東上線・川越駅→(徒歩5分)→(1)妙善寺→(徒歩13分)→(2)天然寺→(徒歩20分)→(3)喜多院→(徒歩2分)→(4)成田山川越別院→(徒歩10分)→(5)蓮馨寺→(徒歩8分)→(6)蔵造りの町並み→(徒歩3分)→(7)時の鐘→(徒歩1分)→(8)川越蔵造り資料館→(徒歩4分)→(9)菓子屋横町→(徒歩1分)→(10)見立寺→(徒歩15分)→(11)妙昌寺→(徒歩15分)→東武東上線・川越駅
 江戸時代に新河岸貿易で栄えた川越は、大江戸(東京)に対し「小江戸」と呼ばれ、昔の面影が街のあちこちに残る。福徳の神を祀っている七つの寺社と蔵造りの街を訪ねよう。
 東武東上線川越駅から徒歩5分で到着する妙善寺は、再建されて20年ほどの近代的な寺。七福神縁日が行われる毎月1日、または元日〜1月7日にこのコースをたどれば、七福神絵馬や色紙を授かることができる。大通りから一歩入ると畑が広がっており、目印となる目標が少ない。道に迷わないよう注意が必要だ。川越総合高校を見ながら直進すると、左に仙波東照宮の森が見えてくる。その先の山門をくぐると喜多院だ。木々がうっそうと生い茂る境内には東屋もあり、ひと休みするにはもってこい。表情豊かな五百羅漢や将軍家光誕生の間など見どころも多い。福禄寿神が祀られている蓮馨寺を経て市内でいちばんの観光地、蔵造りの町並みをそぞろ歩く。江戸情緒を満喫したあと、新河岸川のほとりに建つ見立寺から住宅地のなかにある妙昌寺を訪ねる。

 小江戸川越七福神の写真

(1)妙善寺(毘沙門天)
 堂宇は天明8年(1788)に焼失、1978年に再建されたもの。この寺には、福神の毘沙門天が祀られている。
   
(2)天然寺(寿老人)
 敷地内には竹林が生い茂り、落ちついたたたずまい。正面から砂利道を進むと池があり、その奥に寿老人が祀られている。寿老人は長寿をはじめ、富財、子宝、諸病平癒にご利益があるといわれている。
   
(3)喜多院(大黒天)
 平安時代の創建とされる喜多院は、天台宗の関東総本山。寛永15年(1638)の再建時に、江戸城内から家光誕生の間や春日の局化粧の間などが移築された。540の石像が人間味あふれる表情を見せる五百羅漢、多宝塔、慈眼堂なども見もの。開門は9〜16時(12月25日〜1月8日・2月2日〜4日・4月2日〜6日・8月16日は建造物拝観休)、大人400円。
   
(4)成田山川越別院(恵比須天)
 大本山成田山新勝寺の別院で、本尊は不動明王。交通安全祈願の寺院として知られ、亀のいるお不動様としても親しまれている。ここに祀られているのは人々に幸福をもたらすとされる恵比須天。路地をはさんで正面には、甲冑や武具類を展示する西山歴史博物館がある。
   
(5)蓮馨寺(福禄寿神)
 この寺は、徳川時代には浄土宗関東十八壇林(お坊さんの大学)だった場所。地元では安産・育児にご利益のある「呑龍(どんりゅう)さま」として有名。福禄寿神が祀られているほか、尊像をなでて病気の回復を祈るおびんづる様もある。
   
(6)蔵造りの町並み
 詩情たっぷりの蔵造り。城下町の名残りを留める一番街の通り沿いには寛政4年(1792)建てられた大沢家ほか、青銅ドームをもった洋館造りのあさひ銀行山崎美術館などもある。
   
(7)時の鐘
 約400年も昔から、人々に時を告げてきた川越のランドマーク。電動式になったとはいえ、今も街中に鐘の音が響き渡る。問い合わせ/川越市役所文化財保護課049(224)8811
   
(8)川越蔵造り資料館
 もともとは煙草卸商の建物で、明治26年(1893)の大火直後に建てられた。現在は資料館として建物の内部構造や敷地内の様子を見学できる。開館9〜17時、月曜・第4金曜(ともに祝日は除く)・祝日の翌日休、大人100円。049(225)4287
   
(9)菓子屋横町
 蔵造りの町並みから一本小道へ入ると、威勢のいい掛け声が飛び交う菓子屋横町。50mほどのレンガ道沿いには、ハッカ飴や金太郎飴、せんべい、イモ菓子などを売る懐かしい駄菓子屋がずらりと並んでいる。
   
(10)見立寺(布袋尊)
 布袋尊が祀られ、本堂は明治14年(1881)に再建されたもの。
   
(11)妙昌寺(弁財天)
 川越築城の際、この地が城の裏鬼門にあたるところから太田道灌も信仰を寄せていたとされる。どっしりとした門をくぐり住宅地の間の参道を抜けると本堂があり、その裏手の弁天堂に弁財天が祀られている。

「小江戸川越 七福神めぐり」 小江戸川越七福神霊場会 ★★★
小江戸川越七福神について
  (前略)
 小江戸川越には、古くから七福神をお祀りしている寺々があります。七福神信仰は、室町時代末期より行われ「七難即滅、七福即生」の説に基づくものともいわれております。又家康公と関わりのあった天海大僧正は、天下泰平と人々の幸福を願って、七福とは清廉―恵比寿天、有福―大黒天、威光―毘沙門天、愛敬―弁財天、人望―福禄寿神、寿命―寿老人、大量―布袋尊と申されました。江戸時代には、七福神めぐりをして無病息災、家内安全など所願成就を願う人々が寺社をめぐり参詣していたものです。
 小江戸川越七福神めぐりは、全行程約6km、東武東上線川越駅や川越市駅、西武線本川越駅を起点に徒歩でも半日、観光と健康増進を兼ね、丁度手ごろなコースです。 (後略)
小江戸川越七福神めぐりごあんない

 第一番 毘沙門天 威光    妙善寺 菅原町9−6
 毘沙門天(梵名ベイシラマナ)は、仏教の守護神で多聞天とも呼ばれています。よろい、かぶとに身を包み左手に持っている宝塔より無量の宝物を衆生に与えて福徳を授け、右手の鉾は邪を払い魔を降す徳を示します。心には勇気決断、くらしには財という、物心ともどもの福を施す神であります。
 第二番 寿老人 寿命    天然寺 仙波町4−10−10
 寿老人は、中国の神様で、老人星の化身、福禄寿と同体異名であるとも言われ、そのお姿は多様であります。当時の寿老人は、彦根智教寺に安置されていたもので、長頭、長髭、右手に杖を持ち、左手に長寿のしるしの桃を持っています。富財、子宝、諸病平癒とそのご利益は多岐にわたっておりますが、なんと言っても長寿の神として信仰されております。
 第三番 大黒天 有福    喜多院 小仙波町1−20−1
 大黒天は古代インドの闇黒の神で、仏教での戦闘神です。平安以後食を司る台所の神と崇められました。又日本の神大国主命を大国と混同させ、命の御神徳を合せ、糧食財宝が授かる神として信仰を得ました。くろ(黒)くなってまめ(魔滅)に働いて大黒天を拝むと大福利益が得られます。
 第四番 恵比寿天 清廉    成田山 久保町9−2
 恵比寿の名は、外人を意味するエビスの言葉と同一で、本来は異郷から来臨して人々に幸福をもたらすと信じられた神であります。漁村では海の神、農村では田の神、山村では山の神、都市では市神、福利を招く神として、商人からも深い信仰が寄せられています。
 第五番 福禄寿神 人望     蓮馨寺 連雀町7−1
 福禄寿神とは、幸福、高禄、長寿の三徳を具えて、これを人に与え、方位除災、商売繁昌、延寿福楽等のご利益を現される方でありますが当山の尊像は右手に霊芝、左手に神亀を持たれ、癌や脳卒中を早く治しなさい、そうすれば、福禄寿が得られますと教えています。
 第六番 布袋尊 大量    見立寺 元町2−9−11
 布袋尊は中国唐代の禅僧で名は契此。小柄で太鼓腹、大きな袋を担って各地を放浪し、吉凶を占い、福を施して倦むことがなかったといいます。又、未来仏たる弥勒菩薩の化身ともいわれ、昔から崇められていました。
 第七番 弁財天 愛敬    妙昌寺 三光町29
 弁天さまは、七福神唯一の女神で、弁舌、芸術、財福、延寿を授ける神として、古くから、商人や芸人など巾広い人々の信仰を集めており、運を開き、福を招く女神です。

「日本の仏様がわかる本 仏像の正しい知識と鑑賞の手引き  松濤弘道 日文新書 2002年 ★
第5章お客として招かれた補助役の仏様【天部像】
 天部像の特徴とそのはたらき
  インド・中国・日本の神仏の連合軍・七福神

「妖怪と絵馬と七福神」 岩井宏實 青春出版社プレイブックス 2004年 ★
第三章 福を授ける群神/七福神めぐりの成立

★小江戸川越七福神の写真

 小江戸川越七福神めぐり  /小江戸川越七福神

●寺
「武蔵野の地蔵尊 埼玉編 三吉朋十 有峰書店 1975年 ★★
28 喜多院の苦抜き地蔵と五百羅漢
29 広済寺の腮なし地蔵とシヤブキ尊
30 西福寺の石彫り三尊と道標
31 新河岸甚右衛門地蔵
32 常楽寺と河肥氏
33 円乗寺の本尊と石棺の話
34 大蓮寺の半跏地蔵と菊花紋章
35 長田寺の一木作り地蔵
36 養寿院の木彫り六地蔵
37 浄国寺の六面塔
38 東明寺の四面塔と夜合戦
39 十念寺の六面塔
40 法心寺の双体合掌地蔵尊碑
41 勝福寺の六面塔型灯籠地蔵

平成 小江戸川越 古寺巡礼」 百瀬千又 2006年 ★★★
グラビア(御本尊)
第一部 川越市佛教会 所属寺院
一乗院(天台宗)阿弥陀如来鴨田716板碑
榮林寺(曹洞宗)釈迦牟尼佛末広町1-7-1安井政章墓、板碑、戸田米作蔵の句碑、シダレザクラ
延命寺(天台宗)延命地蔵尊笠幡4451武蔵国十三仏霊場4(普賢菩薩)、板碑、ケヤキ
灌頂院(天台宗)阿弥陀如来古谷本郷1428板碑、サイカチ
観音寺(天台宗)聖観世音菩薩石原町1-18-1ささら獅子舞
喜多院(天台宗)阿弥陀如来小仙波町1-20-1小江戸川越七福神3(大黒天)五百羅漢、松平大和守家廟所、
板碑、だるま市苦抜き地蔵、柳沢東丁の句碑、芭蕉の句碑
行傳寺(日蓮宗)十界曼荼羅末広町2-4-2
見立寺(浄土宗)阿弥陀如来元町2-9-11小江戸川越七福神6(布袋尊)、板碑、ヒマラヤスギ、ツゲ
広済寺(曹洞宗)釈迦牟尼佛喜多町5-1中島孝昌の墓、板碑、コウヤマキ、
嚔婆塔(しゃぶきば塔)、あごなし地蔵
光西寺(浄土真宗本願寺派)阿弥陀如来小仙波町5-4-7松平周防守家廟所、板碑
西雲寺(浄土宗)阿弥陀如来新富町2-5-4日限三体地蔵尊
西福寺(天台宗)阿弥陀如来南大塚23石彫り三尊、板碑、餅つき踊り
最明寺(天台宗)阿弥陀如来小ヶ谷61板碑
勝光寺(天台宗)十一面観世音菩薩砂708板碑
真行寺(真宗大谷派)阿弥陀如来宮元町1-2板碑
實相院(天台宗)阿弥陀三尊古谷上4266-1板碑
十念寺(時 宗)阿弥陀三尊末広町3-11-1六面塔
淨國寺(時 宗)阿弥陀三尊山田420六面塔、板碑
常楽寺(時 宗)阿弥陀如来上戸194河越氏館跡、板碑、シダレザクラ
青林寺(曹洞宗)釈迦牟尼佛鯨井1350板碑
泉福寺(曹洞宗)聖観世音菩薩増形233板碑
善仲寺(曹洞宗)釈迦牟尼佛古谷上4136古尾谷氏館跡、板碑、アカマツ
善長寺(曹洞宗)聖観世音菩薩豊田本939板碑
大蓮寺(浄土宗)阿弥陀三尊元町2-8-25板碑
長喜院(曹洞宗)釈迦牟尼佛幸町5-7
長田寺(曹洞宗)釈迦牟尼佛岸町2-30-5板碑
長徳寺(天台宗)阿弥陀如来仙波町3-31-23仙波氏館跡、板碑
長福寺(曹洞宗)釈迦牟尼佛鯨井1142板碑
天然寺(天台宗)大日如来(金剛界)仙波町4-10-10小江戸川越七福神2(寿老人)、武蔵国十三仏霊場1(不動明王)、板碑
東光寺(曹洞宗)薬師如来藤間1126
東明寺(時 宗)虚空蔵菩薩志多町13-1河越夜戦跡四面塔、大野一水の句碑、麦鴉の句(墓標)、大イチョウ
東陽寺(曹洞宗)釈迦牟尼佛大袋133板碑
中 院(天台宗)阿弥陀如来小仙波町5-15-1加藤みき墓、不染亭、板碑、シダレザクラ
萬久院(曹洞宗)阿弥陀如来吉田190板碑
福昌寺
(寶林山)
(曹洞宗)千手観音菩薩大袋新田817
法心寺(曹洞宗)聖観世音菩薩小室495板碑
法城寺(曹洞宗)十一面観世音菩薩的場1902板碑
法善寺(真宗大谷派)阿弥陀如来幸町2-14虫喰い奴之墓、井上把菊の句(墓標)
本行院(真言宗智山派)不動明王久保町-2小江戸川越七福神4(恵比須天)
本應寺(日蓮宗)十界勧請木像石原町1-4-10高山繁文墓、板碑
明見院(天台宗)阿弥陀三尊今福677武蔵国十三仏霊場2(釈迦如来)、シダレザクラ
妙昌寺(日蓮宗)大曼荼羅三光町29-1小江戸川越七福神7(弁財天)
妙善寺(天台宗)不動明王菅原町9-6小江戸川越七福神1(毘沙門天)、板碑
妙養寺(日蓮宗)大曼荼羅末広町1-4-5
薬王寺(天台宗)阿弥陀如来南田島1746-1板碑
養寿院(曹洞宗)釈迦如来元町2-11-1河越太郎重頼の廟所、横田家の墓、岩田彦助墓、板碑、
安部路人の歌碑、イチョウ
蓮馨寺(浄土宗)阿弥陀如来連雀町7-1小江戸川越七福神5(福禄寿神)、蓮馨尼の墓、板碑、喜楽女の歌碑
蓮光寺(曹洞宗)薬師如来渋井248板碑

第二部 川越市諸宗派 現存寺院
安楽寺(天台宗)釈迦牟尼如来今成3-18-6
安養院(単 立)阿弥陀如来山田158
永命寺(真言宗智山派)不動明王下小坂688板碑
永楽院(日蓮正宗)十界互具の大曼荼羅平塚新田橋向52
円真教会(日蓮宗)大曼荼羅石原町1-4-20
観蔵院(真言宗智山派)大日如来上寺山419板碑
高松寺(天台宗)如意輪観音大中居312板碑
西光院(真言宗豊山派)阿弥陀如来寺山溝向5板碑
三明院(真言宗智山派)大日如来池辺507板碑
星行院(天台宗)聖観世音菩薩福田424
正光寺(曹洞宗)聖観世音菩薩大塚新田319
勝福寺(天台宗)阿弥陀三尊寺尾640板碑、コウヤマキ
千寿院(曹洞宗)薬師如来元町2-11-1
能満寺(真言宗智山派)大日如来小堤286板碑
本種寺(日蓮正宗)十界互具の大曼荼羅野田町1-10-2
明王院(高野山真言宗)日誠皆不動明王下赤坂255-4
栗原寺(浄土真宗本願寺派)阿弥陀如来霞ヶ関東1-9-10
瀧岩院(天台宗)聖観世音菩薩並木893-6板碑

第三部 川越市諸宗派 寺跡寺院
円乗寺(真言宗霊雲寺派)地蔵尊上老袋188
円福寺(真言宗智山派)延命地蔵菩薩小ヶ谷235
円満寺(天台宗)阿弥陀如来北田島329板碑
観行院(天台宗)薬師如来石田本郷605板碑
玉泉寺(天台宗)阿弥陀如来下老袋328板碑
福昌寺
(福聚山)
(曹洞宗)釈迦牟尼佛喜多町7-7
南 院(天台宗)地蔵尊小仙波町5-12-2

付録
 寺院の所在地一覧
 寺院と寺子屋
 板碑(いたび)と寺院
 市内・板碑のある寺院一覧
 般若心経
 年号表
 参考文献並びに資料
 平成 小江戸川越 古寺巡礼マップ

●神社
さきたま文庫67 川越氷川神社」 柳田敏司/監修 山野清二郎/著 さきたま出版会 2008年 ★★★
  −目 次−
氷川神社の由来
氷川神社の社殿
 主な摂末社
  八坂神社(摂社)
  柿本人麻呂神社(末社)
  川越市護國神社
  他の摂末社など
社宝並びに神社関係古文書類
由緒ある行事・築造物など
祠官山田衛居
川越氷川祭り
氷川神社の年中行事
氷川神社の由来
 川越市民に「お氷川様」の呼び名で親しまれている川越総鎮守氷川神社は、武蔵野台地東北端に鎮座している。社地の西側から北側へかけて、かつては台地の地下水が湧出した御手洗(みたらし)川が流れ、樹木の鬱蒼(うっそう)とした杜は、近年までは動物たちのこよなき憩いの場であったという。
 社に遺(のこ)る「元禄9年(1696)棟札」や正徳元年(1711)「氷川大明神縁起」によれば、創建は欽明天皇の時代のことと伝え、境内からその上(かみ)をしのばせる古代祭具の石剣も出土している。入間郡に居を構えた武蔵国造が大宮氷川神社を分祀し、当地に里宮として奉斎したのが起こりであろうと想定される。
 しかし、実際に川越氷川神社の名が文献に顕れるのは、中世に太田道真・道灌が川越に城を築いてからである。道灌は当社が城の乾(いぬい)(北西・神門ともいう)の方角に鎮座していたことを篤く尊崇し、
  老いらくの身をつみてこそ武蔵野の
   草にいつまで残る白雪
の歌を献納したと伝える。
 天文六6年(1537)の河越の夜戦を記した『河越記』には、「ここに日川の明神と戌亥にあたれる社あり。則氏人惣社にあがめて往詣する事さりもあへず」とあることから、当社が16世紀には川越の総社として賑わっていたことがうかがえる。江戸時代以後、歴代の川越城主は大替わりごとに親しく社参し、太刀や白銀等を奉納、また城主による社領の寄進、社殿の修復・修理は数度に及んだという。
 現在の本殿は天保13年、松平大和守斉典公の造営料寄進と氏子の醵出金によって起工され、嘉永2年(1849)に竣工。弊拝殿は明治以後改築を重ね、昭和18年(1943)に竣工している。
 祭礼のための神輿は慶安元年(1648)松平伊豆守信綱の奉納といわれ、後に柳沢出羽守保明(吉保)、松平大和守直恒等が神輿を再興し、その維持に努めてきた。祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと)・奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)・手摩乳命(てなづちのみこと)・脚摩乳命(あしなづちのみこと)・大己貴命(おおなむちのみこと)の五柱。いすれも出雲系の神々である。享保元年(1716)「正一位氷川大明神」、その後、社各は明治6年(1873)に郷社、大正12年(1923)に県社、現在は神社本庁別表神社に列せられている。境内には由緒ある数々の摂末社が存し、東側の隣接地には氷川会館が営まれ、婚礼や文化事業等に活用されている。

第五回特別展 三芳野神社の社宝」 川越市立博物館 1993年 ★★
   ― 目次 ―
1.三芳野神社略誌 ― 山田勝利
 1 神社名/2 社紋/3 神社の所在地/4 祭神/5 由緒/6 中世/7 社殿の造営と宝物の献納/8 社領の寄進/9 現在の建造物/10 文化財の社宝
2.三芳野天神縁起
3.三芳野神社の文書
4.さまざまな社宝
5.松平信綱寄進の宝物
6.八幡宮の社宝
7.東照宮社殿と三芳野神社社殿 ― 安田昭二
 第1節 復合社殿の発生(権現造)
 第2節 二の丸東照宮空宮移築について
 第3節 八坂神社社殿の二の丸東照宮拝殿説
 第4節 二の丸東照宮拝殿と三芳野神社の拝殿
 第5節 三芳野神社の現社殿
 第6節 江戸城二の丸東照宮の移築に関する年表
8.三芳野神社をめぐる文学 ― 山野清二郎
展示資料解説
参考(三芳野神社関係文書)

「埼玉の神社 入間・北埼玉・秩父」 埼玉県神社庁神社調査団/編 埼玉県神社庁 1986年 ★★
入間郡/川越市
名 称所在地狛犬探訪該当
1赤城神社(山田225-1)何度も社名を変えた神社
2愛宕神社(富士見町33-1)麻疹の神の信仰がある30
3愛宕八坂神社(石原町2-64-6)火防の神として祀られる
4飯津迦神社(平塚新田10)本来の名は飯津奈神社である
5厳島神社(北田島327)お使いは蛇といわれる
6厳島神社(的場1163)水の神として祀られ始めた社
7稲荷神社(池辺840)盗賊除けの神として広く信じられる
8稲荷神社(石田本郷697-1)合祀先から帰って来た社5
9稲荷神社(牛子111)牛の子伝説のある社
10稲荷神社(大塚新田408)線路に女の姿で現れた稲荷様
11稲荷神社(木野目1162)出世稲荷と呼ばれている
12稲荷神社(渋井1333)田の草獅子舞がある
13稲荷神社(下松原232)産土山に祀られていた社
14稲荷神社(砂久保66)昔は一日中、護摩が焚かれた
15稲荷神社(高島388)宝珠に「保食神」と刻んである
16稲荷神社(中福2)開拓安全を祈り城主が勧請
17稲荷神社(元町1-11-8)熊野修験が祀った稲荷社
18稲荷神社(八ツ島50)鉢形城の落人が祀った社
19浮島稲荷神社(久保町26)社名は田面沢に浮かぶ杜から
20尾崎神社(笠幡1280)榎本武揚奉納の社号額がある9
21鏡神社(笠幡282)出土した鏡を祀る社
22春日神社(鯨井26)一升飯を食べる行事がある
23春日神社(砂新田140)警察と争ったお獅子様23
24烏山稲荷神社(仲町10-11)太田道灌が城の鎮めに祀る
25川越八幡神社(南通町19-1)川越城主の崇敬厚かった社38
26熊野神社(池辺261)古くは天王様であった4
27熊野神社(今成1056)蓮馨寺の鎮守を勧請した
28熊野神社(岸町2-351)元旦祭の福引きは有名である12
29熊野神社(連雀町17-1)縁結びの神・知恵の神として信仰が厚い40
30出世稲荷神社(松江町1-52)神木は樹齢600年の大銀杏
31白髭神社(大袋258)昔の名残、夜這石(力石)がある8
32白髭神社(豊田本1212)大永年中の棟札が残る26
33白髭神社(吉田192)オタキ様と呼ぶ竜を刻んだ石碑がある該当なし
34白髭神社(笠幡3686)当社の鳥居は寺の所有地に建つ
35白髭神社(下小坂1002)創始の古さを物語る欅の大木
36神明神社(今泉505)12月15日に甘酒待ちがある
37神明神社(神明町204)土の中に埋められていた御神体20
38神明神社(小中居664)参宮の折に受けた神札を祀る
39神明神社(鹿飼404)毎月15日は神明様の縁日18
40菅原神社(今福673)寛文七年に葬寮がおかれた社2
41菅原神社(菅原町9)境内社六塚稲荷に赤い幟が揚げられる
42菅原神社(南大塚19)「餅つき踊り」は県指定文化財37
43杉森稲荷神社(松郷738)縄の輪回しの行事で病魔は退散
44諏訪神社(下広谷128)有名であった広谷の相撲
45諏訪神社(藤間346-1)ナス取り替えの行事がある29
46浅間神社(富士見町21-1)子育て団扇が授与される
47仙波東照宮(小仙波町1-23-1)天海僧正が祀った東照宮15
48天神社(石田本郷1242)古くは境内に風呂があった
49天神社(藤倉197)境内に観音堂がある
50天満天神社(平塚96)水が出ると寺に避難した神様
51埜田神社(野田町1-11-9)古くは六塚の稲荷と呼ばれた27
52白山神社(小ヶ谷156)水の神として祀られた社
53白山神社(小堤785)境内の椿の木は疱瘡の信仰があった16
54白山神社(寿町1-2303)本殿の竜の彫物は立派なもの17
55白山神社(下広谷1155)雨乞いに藁で作った蛇が出た
56白山神社(増形228)乱暴なことは嫌いな女の神様
57箱根神社(笠幡4431)権現堂と呼ばれていた該当なし
58八幡神社(安比奈新田23)開墾の神として分霊されたと伝える1
59八幡神社(鴨田1072)太田道灌が城の鎮めに祀った社11
60八幡神社(小堤286)水源の神として祀られる
61八幡神社(下赤坂200)松平信綱が開いて祀らせた社
62八幡神社(的場529)秋祭りに造る稲穂で葺いた事務所36
63八幡神社(山田148)社宝の鉄灯籠は源三位頼政の奉納28
64日枝神社(上戸316-1)当社から分霊された江戸城の鎮守
65日枝神社(小仙波町1-4-1)江戸三筆市川米庵の大幟が立てられる
66日枝神社(下新河岸55)当所は江戸文化の入口であった
67日枝神社(寺尾641)酒をびしゃびしゃ飲むびしゃ講25
68氷川神社(大中居671)親子・夫婦の仲をよくする神
69氷川神社(大袋新田)1月14日の晩にドンド焼き
70氷川神社(久下戸2785)一の宮の分霊と伝えている14
71氷川神社(小室298)ナストッカエの行事は夏の疫病除け
72氷川神社(下老袋732)弓取式と万作で有名19
73氷川神社(新宿町1-22)雀の森のお焚き上げは有名
74氷川神社(砂640)川の鎮めに祀られた社22
75氷川神社(仙波町4-19-1)豪族仙波氏が祀った社24
76氷川神社(並木937)獅子舞に即吟の掛け合い
77氷川神社(平塚新田12)暴れる川を鎮めた神様
78氷川神社(古市場2)流れ着いた獅子頭を祀る社31
79氷川神社(南田島280)古くから伝わる足踊りがある該当なし
80氷川神社(宮下町2-11-3)江戸祭りの古形を伝える川越祭り39
81藤宮神社(石田784)藤の花を伝わって神様が降臨6
82古尾谷八幡神社(古谷本郷140)ホロカケ祭りで有名33
83古谷神社(古谷上3564)古墳の上に祀られている32
84三島日光神社(笠幡1689)方位除けの信仰がある
85南古谷神社(古市場2)戦没者を祀る社
86妙義神社(宮元町32-5)太田道灌館の守り神であった該当なし
87三芳野神社(郭町2-25-11)童謡「とおりゃんせ」の天神様
88六塚稲荷神社(元町2-8-12)商人の祭りお稲荷まつこ
89六塚稲荷神社(六軒町1-17-3)お太刀洗いは末社阿夫利社の神事
90薬師神社(伊佐沼577)堂宇を社殿として鎮まる目の神様
91薬師神社(幸町15-8)時の鐘を神門としている
92八雲神社(今福2728)北条氏康の将兵を救った牛頭天王3
93八坂神社(的場1874)名主の屋敷鎮守が村鎮守となった35
94八坂神社(鯨井1842-1)獅子回しの途中で万作踊り
95八咫神社(上寺山498-3)氾濫する入間川を八岐大蛇に例えて祀る10
96雪塚稲荷神社(幸町5-8)白狐を祀る雪塚稲荷大明神

・神明神社(神明町)
「川越の民話と伝説」 新井博 有峰書店新社 1990年 ★★★
 ■神明町 神明神社のご神体
 神明町の神明神社(神明町2番地)は長禄元年(1457)、 太田道灌が川越城を築いたとき、西北の護り神として、江戸の芝にある神明神社を移築したものだという。この神社のご神体は石棒で、男根形だとか、あるいは伊勢神宮の「心の御柱」のようなものだともいう。
 その後戦国時代に至り、天文13年(1544)の川越合戦のとき、兵火にかかり社殿も類焼してしまった。このとき別当が火災の中からご神体を運び出したが、3尺(約90センチ)もある石棒なので、重くて安全な場所へ移すことができない。そこで、土の中へ埋めて逃げたのである。
 その後江戸時代に至り、天下泰平の世の中になってから、右の別当の孫大宝院という修験が川越に来て、丸馬場(宮下町2丁目あたり)に住んでいたが、自分の先祖から言い伝えられてきた神明神社の旧蹟地を尋ね歩いたところ、やっとのことで東明寺橋のあたりに、「神明山」という名前がのこっていたのを見つけ出した。しかし、社殿は全然のこっていなかった。
 きっとこの近所に何かあるに違いにないと、あちらこちら探して歩いた結果、ついに埋められたご神体を見つけ、掘り出すことができた。大宝院は小踊りして喜び、さっそく社殿を建立してご神体を祀り、丸馬場からもとの神明町へ移したのである。のちに長永山良学院となったという。
    ―参考―
  ・「重修神垣之碑」石碑
  ・中島孝昌「武蔵三芳野名勝図会」埼玉叢書 昭和4年2月

「校注武蔵三芳野名勝図会」 校注/山野清二郎 川越市立図書館 1994年 ★★★
 神明宮
往古より、此所に勧請ありしが、天文之頃、兵乱之為、乱妨(ランバウ)を恐れ、別当何某、神躰を負ひ去らんとすれども、御神躰ハ三尺計りの石なれバ、力及びがたく、地中に掘埋(うづ)んで迯(にげ)去りぬ。年経て、関東治国太平之後、彼(かの)別当之孫、大宝院と云修験、河越に来り、丸馬場辺に住し、先祖の云(いひ)伝へたる神明の旧地を尋しに、漸(やうやく)東明寺橋の辺に、神明山と云(いふ)名のミありて、宮居ハなけれども、其地を彼方此方求しに、はたして神躰を掘得たり。依而(よりて)祠を営ミ、別当之法印も、丸馬場より、此地に引移りて住す。今、別当長永山良学院、是也。当山派之客末と云。
或人云、神明の身躰ハ、男根石なりと云へど、形ち異なり。伊勢に、神明神秘之御正躰(ミシヤウタイ)に、心(ナカゴ)の御柱(ミハシラ)ト云ものあり。恐くハ、此心の御柱に似たり。左もあらば、いよいよ神明に崇め奉る事必然也。石華表(とりゐ) 石手洗鉢(てうづばち) 等有 略。

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作成:川越原人  更新:2023/09/21