江戸時代に新河岸貿易で栄えた川越は、大江戸(東京)に対し「小江戸」と呼ばれ、昔の面影が街のあちこちに残る。福徳の神を祀っている七つの寺社と蔵造りの街を訪ねよう。(1)妙善寺(毘沙門天)
東武東上線川越駅から徒歩5分で到着する妙善寺は、再建されて20年ほどの近代的な寺。七福神縁日が行われる毎月1日、または元日〜1月7日にこのコースをたどれば、七福神絵馬や色紙を授かることができる。大通りから一歩入ると畑が広がっており、目印となる目標が少ない。道に迷わないよう注意が必要だ。川越総合高校を見ながら直進すると、左に仙波東照宮の森が見えてくる。その先の山門をくぐると喜多院だ。木々がうっそうと生い茂る境内には東屋もあり、ひと休みするにはもってこい。表情豊かな五百羅漢や将軍家光誕生の間など見どころも多い。福禄寿神が祀られている蓮馨寺を経て市内でいちばんの観光地、蔵造りの町並みをそぞろ歩く。江戸情緒を満喫したあと、新河岸川のほとりに建つ見立寺から住宅地のなかにある妙昌寺を訪ねる。
(前略)
小江戸川越には、古くから七福神をお祀りしている寺々があります。七福神信仰は、室町時代末期より行われ「七難即滅、七福即生」の説に基づくものともいわれております。又家康公と関わりのあった天海大僧正は、天下泰平と人々の幸福を願って、七福とは清廉―恵比寿天、有福―大黒天、威光―毘沙門天、愛敬―弁財天、人望―福禄寿神、寿命―寿老人、大量―布袋尊と申されました。江戸時代には、七福神めぐりをして無病息災、家内安全など所願成就を願う人々が寺社をめぐり参詣していたものです。
小江戸川越七福神めぐりは、全行程約6km、東武東上線川越駅や川越市駅、西武線本川越駅を起点に徒歩でも半日、観光と健康増進を兼ね、丁度手ごろなコースです。 (後略)
毘沙門天(梵名ベイシラマナ)は、仏教の守護神で多聞天とも呼ばれています。よろい、かぶとに身を包み左手に持っている宝塔より無量の宝物を衆生に与えて福徳を授け、右手の鉾は邪を払い魔を降す徳を示します。心には勇気決断、くらしには財という、物心ともどもの福を施す神であります。
寿老人は、中国の神様で、老人星の化身、福禄寿と同体異名であるとも言われ、そのお姿は多様であります。当時の寿老人は、彦根智教寺に安置されていたもので、長頭、長髭、右手に杖を持ち、左手に長寿のしるしの桃を持っています。富財、子宝、諸病平癒とそのご利益は多岐にわたっておりますが、なんと言っても長寿の神として信仰されております。
大黒天は古代インドの闇黒の神で、仏教での戦闘神です。平安以後食を司る台所の神と崇められました。又日本の神大国主命を大国と混同させ、命の御神徳を合せ、糧食財宝が授かる神として信仰を得ました。くろ(黒)くなってまめ(魔滅)に働いて大黒天を拝むと大福利益が得られます。
恵比寿の名は、外人を意味するエビスの言葉と同一で、本来は異郷から来臨して人々に幸福をもたらすと信じられた神であります。漁村では海の神、農村では田の神、山村では山の神、都市では市神、福利を招く神として、商人からも深い信仰が寄せられています。
福禄寿神とは、幸福、高禄、長寿の三徳を具えて、これを人に与え、方位除災、商売繁昌、延寿福楽等のご利益を現される方でありますが当山の尊像は右手に霊芝、左手に神亀を持たれ、癌や脳卒中を早く治しなさい、そうすれば、福禄寿が得られますと教えています。
布袋尊は中国唐代の禅僧で名は契此。小柄で太鼓腹、大きな袋を担って各地を放浪し、吉凶を占い、福を施して倦むことがなかったといいます。又、未来仏たる弥勒菩薩の化身ともいわれ、昔から崇められていました。
弁天さまは、七福神唯一の女神で、弁舌、芸術、財福、延寿を授ける神として、古くから、商人や芸人など巾広い人々の信仰を集めており、運を開き、福を招く女神です。
一乗院 | (天台宗) | 阿弥陀如来 | 鴨田716 | 板碑 |
榮林寺 | (曹洞宗) | 釈迦牟尼佛 | 末広町1-7-1 | 安井政章墓、板碑、戸田米作蔵の句碑、シダレザクラ |
延命寺 | (天台宗) | 延命地蔵尊 | 笠幡4451 | 武蔵国十三仏霊場4(普賢菩薩)、板碑、ケヤキ |
灌頂院 | (天台宗) | 阿弥陀如来 | 古谷本郷1428 | 板碑、サイカチ |
観音寺 | (天台宗) | 聖観世音菩薩 | 石原町1-18-1 | ささら獅子舞 |
喜多院 | (天台宗) | 阿弥陀如来 | 小仙波町1-20-1 | 小江戸川越七福神3(大黒天)、五百羅漢、松平大和守家廟所、 板碑、だるま市、苦抜き地蔵、柳沢東丁の句碑、芭蕉の句碑 |
行傳寺 | (日蓮宗) | 十界曼荼羅 | 末広町2-4-2 | |
見立寺 | (浄土宗) | 阿弥陀如来 | 元町2-9-11 | 小江戸川越七福神6(布袋尊)、板碑、ヒマラヤスギ、ツゲ |
広済寺 | (曹洞宗) | 釈迦牟尼佛 | 喜多町5-1 | 中島孝昌の墓、板碑、コウヤマキ、 嚔婆塔(しゃぶきば塔)、あごなし地蔵 |
光西寺 | (浄土真宗本願寺派) | 阿弥陀如来 | 小仙波町5-4-7 | 松平周防守家廟所、板碑 |
西雲寺 | (浄土宗) | 阿弥陀如来 | 新富町2-5-4 | 日限三体地蔵尊 |
西福寺 | (天台宗) | 阿弥陀如来 | 南大塚23 | 石彫り三尊、板碑、餅つき踊り |
最明寺 | (天台宗) | 阿弥陀如来 | 小ヶ谷61 | 板碑 |
勝光寺 | (天台宗) | 十一面観世音菩薩 | 砂708 | 板碑 |
真行寺 | (真宗大谷派) | 阿弥陀如来 | 宮元町1-2 | 板碑 |
實相院 | (天台宗) | 阿弥陀三尊 | 古谷上4266-1 | 板碑 |
十念寺 | (時 宗) | 阿弥陀三尊 | 末広町3-11-1 | 六面塔 |
淨國寺 | (時 宗) | 阿弥陀三尊 | 山田420 | 六面塔、板碑 |
常楽寺 | (時 宗) | 阿弥陀如来 | 上戸194 | 河越氏館跡、板碑、シダレザクラ |
青林寺 | (曹洞宗) | 釈迦牟尼佛 | 鯨井1350 | 板碑 |
泉福寺 | (曹洞宗) | 聖観世音菩薩 | 増形233 | 板碑 |
善仲寺 | (曹洞宗) | 釈迦牟尼佛 | 古谷上4136 | 古尾谷氏館跡、板碑、アカマツ |
善長寺 | (曹洞宗) | 聖観世音菩薩 | 豊田本939 | 板碑 |
大蓮寺 | (浄土宗) | 阿弥陀三尊 | 元町2-8-25 | 板碑 |
長喜院 | (曹洞宗) | 釈迦牟尼佛 | 幸町5-7 | |
長田寺 | (曹洞宗) | 釈迦牟尼佛 | 岸町2-30-5 | 板碑 |
長徳寺 | (天台宗) | 阿弥陀如来 | 仙波町3-31-23 | 仙波氏館跡、板碑 |
長福寺 | (曹洞宗) | 釈迦牟尼佛 | 鯨井1142 | 板碑 |
天然寺 | (天台宗) | 大日如来(金剛界) | 仙波町4-10-10 | 小江戸川越七福神2(寿老人)、武蔵国十三仏霊場1(不動明王)、板碑 |
東光寺 | (曹洞宗) | 薬師如来 | 藤間1126 | |
東明寺 | (時 宗) | 虚空蔵菩薩 | 志多町13-1 | 河越夜戦跡、四面塔、大野一水の句碑、麦鴉の句(墓標)、大イチョウ |
東陽寺 | (曹洞宗) | 釈迦牟尼佛 | 大袋133 | 板碑 |
中 院 | (天台宗) | 阿弥陀如来 | 小仙波町5-15-1 | 加藤みき墓、不染亭、板碑、シダレザクラ |
萬久院 | (曹洞宗) | 阿弥陀如来 | 吉田190 | 板碑 |
福昌寺 (寶林山) | (曹洞宗) | 千手観音菩薩 | 大袋新田817 | |
法心寺 | (曹洞宗) | 聖観世音菩薩 | 小室495 | 板碑 |
法城寺 | (曹洞宗) | 十一面観世音菩薩 | 的場1902 | 板碑 |
法善寺 | (真宗大谷派) | 阿弥陀如来 | 幸町2-14 | 虫喰い奴之墓、井上把菊の句(墓標) |
本行院 | (真言宗智山派) | 不動明王 | 久保町-2 | 小江戸川越七福神4(恵比須天) |
本應寺 | (日蓮宗) | 十界勧請木像 | 石原町1-4-10 | 高山繁文墓、板碑 |
明見院 | (天台宗) | 阿弥陀三尊 | 今福677 | 武蔵国十三仏霊場2(釈迦如来)、シダレザクラ |
妙昌寺 | (日蓮宗) | 大曼荼羅 | 三光町29-1 | 小江戸川越七福神7(弁財天) |
妙善寺 | (天台宗) | 不動明王 | 菅原町9-6 | 小江戸川越七福神1(毘沙門天)、板碑 |
妙養寺 | (日蓮宗) | 大曼荼羅 | 末広町1-4-5 | |
薬王寺 | (天台宗) | 阿弥陀如来 | 南田島1746-1 | 板碑 |
養寿院 | (曹洞宗) | 釈迦如来 | 元町2-11-1 | 河越太郎重頼の廟所、横田家の墓、岩田彦助墓、板碑、 安部路人の歌碑、イチョウ |
蓮馨寺 | (浄土宗) | 阿弥陀如来 | 連雀町7-1 | 小江戸川越七福神5(福禄寿神)、蓮馨尼の墓、板碑、喜楽女の歌碑 |
蓮光寺 | (曹洞宗) | 薬師如来 | 渋井248 | 板碑 |
安楽寺 | (天台宗) | 釈迦牟尼如来 | 今成3-18-6 | |
安養院 | (単 立) | 阿弥陀如来 | 山田158 | |
永命寺 | (真言宗智山派) | 不動明王 | 下小坂688 | 板碑 |
永楽院 | (日蓮正宗) | 十界互具の大曼荼羅 | 平塚新田橋向52 | |
円真教会 | (日蓮宗) | 大曼荼羅 | 石原町1-4-20 | |
観蔵院 | (真言宗智山派) | 大日如来 | 上寺山419 | 板碑 |
高松寺 | (天台宗) | 如意輪観音 | 大中居312 | 板碑 |
西光院 | (真言宗豊山派) | 阿弥陀如来 | 寺山溝向5 | 板碑 |
三明院 | (真言宗智山派) | 大日如来 | 池辺507 | 板碑 |
星行院 | (天台宗) | 聖観世音菩薩 | 福田424 | |
正光寺 | (曹洞宗) | 聖観世音菩薩 | 大塚新田319 | |
勝福寺 | (天台宗) | 阿弥陀三尊 | 寺尾640 | 板碑、コウヤマキ |
千寿院 | (曹洞宗) | 薬師如来 | 元町2-11-1 | |
能満寺 | (真言宗智山派) | 大日如来 | 小堤286 | 板碑 |
本種寺 | (日蓮正宗) | 十界互具の大曼荼羅 | 野田町1-10-2 | |
明王院 | (高野山真言宗) | 日誠皆不動明王 | 下赤坂255-4 | |
栗原寺 | (浄土真宗本願寺派) | 阿弥陀如来 | 霞ヶ関東1-9-10 | |
瀧岩院 | (天台宗) | 聖観世音菩薩 | 並木893-6 | 板碑 |
円乗寺 | (真言宗霊雲寺派) | 地蔵尊 | 上老袋188 | |
円福寺 | (真言宗智山派) | 延命地蔵菩薩 | 小ヶ谷235 | |
円満寺 | (天台宗) | 阿弥陀如来 | 北田島329 | 板碑 |
観行院 | (天台宗) | 薬師如来 | 石田本郷605 | 板碑 |
玉泉寺 | (天台宗) | 阿弥陀如来 | 下老袋328 | 板碑 |
福昌寺 (福聚山) | (曹洞宗) | 釈迦牟尼佛 | 喜多町7-7 | |
南 院 | (天台宗) | 地蔵尊 | 小仙波町5-12-2 |
氷川神社の由来
川越市民に「お氷川様」の呼び名で親しまれている川越総鎮守氷川神社は、武蔵野台地東北端に鎮座している。社地の西側から北側へかけて、かつては台地の地下水が湧出した御手洗(みたらし)川が流れ、樹木の鬱蒼(うっそう)とした杜は、近年までは動物たちのこよなき憩いの場であったという。
社に遺(のこ)る「元禄9年(1696)棟札」や正徳元年(1711)「氷川大明神縁起」によれば、創建は欽明天皇の時代のことと伝え、境内からその上(かみ)をしのばせる古代祭具の石剣も出土している。入間郡に居を構えた武蔵国造が大宮氷川神社を分祀し、当地に里宮として奉斎したのが起こりであろうと想定される。
しかし、実際に川越氷川神社の名が文献に顕れるのは、中世に太田道真・道灌が川越に城を築いてからである。道灌は当社が城の乾(いぬい)(北西・神門ともいう)の方角に鎮座していたことを篤く尊崇し、
老いらくの身をつみてこそ武蔵野の
草にいつまで残る白雪
の歌を献納したと伝える。
天文六6年(1537)の河越の夜戦を記した『河越記』には、「ここに日川の明神と戌亥にあたれる社あり。則氏人惣社にあがめて往詣する事さりもあへず」とあることから、当社が16世紀には川越の総社として賑わっていたことがうかがえる。江戸時代以後、歴代の川越城主は大替わりごとに親しく社参し、太刀や白銀等を奉納、また城主による社領の寄進、社殿の修復・修理は数度に及んだという。
現在の本殿は天保13年、松平大和守斉典公の造営料寄進と氏子の醵出金によって起工され、嘉永2年(1849)に竣工。弊拝殿は明治以後改築を重ね、昭和18年(1943)に竣工している。
祭礼のための神輿は慶安元年(1648)松平伊豆守信綱の奉納といわれ、後に柳沢出羽守保明(吉保)、松平大和守直恒等が神輿を再興し、その維持に努めてきた。祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと)・奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)・手摩乳命(てなづちのみこと)・脚摩乳命(あしなづちのみこと)・大己貴命(おおなむちのみこと)の五柱。いすれも出雲系の神々である。享保元年(1716)「正一位氷川大明神」、その後、社各は明治6年(1873)に郷社、大正12年(1923)に県社、現在は神社本庁別表神社に列せられている。境内には由緒ある数々の摂末社が存し、東側の隣接地には氷川会館が営まれ、婚礼や文化事業等に活用されている。
名 称 | 所在地 | 狛犬探訪該当 | ||
1 | 赤城神社 | (山田225-1) | 何度も社名を変えた神社 | |
2 | 愛宕神社 | (富士見町33-1) | 麻疹の神の信仰がある | 30 |
3 | 愛宕八坂神社 | (石原町2-64-6) | 火防の神として祀られる | |
4 | 飯津迦神社 | (平塚新田10) | 本来の名は飯津奈神社である | |
5 | 厳島神社 | (北田島327) | お使いは蛇といわれる | |
6 | 厳島神社 | (的場1163) | 水の神として祀られ始めた社 | |
7 | 稲荷神社 | (池辺840) | 盗賊除けの神として広く信じられる | |
8 | 稲荷神社 | (石田本郷697-1) | 合祀先から帰って来た社 | 5 |
9 | 稲荷神社 | (牛子111) | 牛の子伝説のある社 | |
10 | 稲荷神社 | (大塚新田408) | 線路に女の姿で現れた稲荷様 | |
11 | 稲荷神社 | (木野目1162) | 出世稲荷と呼ばれている | |
12 | 稲荷神社 | (渋井1333) | 田の草獅子舞がある | |
13 | 稲荷神社 | (下松原232) | 産土山に祀られていた社 | |
14 | 稲荷神社 | (砂久保66) | 昔は一日中、護摩が焚かれた | |
15 | 稲荷神社 | (高島388) | 宝珠に「保食神」と刻んである | |
16 | 稲荷神社 | (中福2) | 開拓安全を祈り城主が勧請 | |
17 | 稲荷神社 | (元町1-11-8) | 熊野修験が祀った稲荷社 | |
18 | 稲荷神社 | (八ツ島50) | 鉢形城の落人が祀った社 | |
19 | 浮島稲荷神社 | (久保町26) | 社名は田面沢に浮かぶ杜から | |
20 | 尾崎神社 | (笠幡1280) | 榎本武揚奉納の社号額がある | 9 |
21 | 鏡神社 | (笠幡282) | 出土した鏡を祀る社 | |
22 | 春日神社 | (鯨井26) | 一升飯を食べる行事がある | |
23 | 春日神社 | (砂新田140) | 警察と争ったお獅子様 | 23 |
24 | 烏山稲荷神社 | (仲町10-11) | 太田道灌が城の鎮めに祀る | |
25 | 川越八幡神社 | (南通町19-1) | 川越城主の崇敬厚かった社 | 38 |
26 | 熊野神社 | (池辺261) | 古くは天王様であった | 4 |
27 | 熊野神社 | (今成1056) | 蓮馨寺の鎮守を勧請した | |
28 | 熊野神社 | (岸町2-351) | 元旦祭の福引きは有名である | 12 |
29 | 熊野神社 | (連雀町17-1) | 縁結びの神・知恵の神として信仰が厚い | 40 |
30 | 出世稲荷神社 | (松江町1-52) | 神木は樹齢600年の大銀杏 | |
31 | 白髭神社 | (大袋258) | 昔の名残、夜這石(力石)がある | 8 |
32 | 白髭神社 | (豊田本1212) | 大永年中の棟札が残る | 26 |
33 | 白髭神社 | (吉田192) | オタキ様と呼ぶ竜を刻んだ石碑がある | 該当なし |
34 | 白髭神社 | (笠幡3686) | 当社の鳥居は寺の所有地に建つ | |
35 | 白髭神社 | (下小坂1002) | 創始の古さを物語る欅の大木 | |
36 | 神明神社 | (今泉505) | 12月15日に甘酒待ちがある | |
37 | 神明神社 | (神明町204) | 土の中に埋められていた御神体 | 20 |
38 | 神明神社 | (小中居664) | 参宮の折に受けた神札を祀る | |
39 | 神明神社 | (鹿飼404) | 毎月15日は神明様の縁日 | 18 |
40 | 菅原神社 | (今福673) | 寛文七年に葬寮がおかれた社 | 2 |
41 | 菅原神社 | (菅原町9) | 境内社六塚稲荷に赤い幟が揚げられる | |
42 | 菅原神社 | (南大塚19) | 「餅つき踊り」は県指定文化財 | 37 |
43 | 杉森稲荷神社 | (松郷738) | 縄の輪回しの行事で病魔は退散 | |
44 | 諏訪神社 | (下広谷128) | 有名であった広谷の相撲 | |
45 | 諏訪神社 | (藤間346-1) | ナス取り替えの行事がある | 29 |
46 | 浅間神社 | (富士見町21-1) | 子育て団扇が授与される | |
47 | 仙波東照宮 | (小仙波町1-23-1) | 天海僧正が祀った東照宮 | 15 |
48 | 天神社 | (石田本郷1242) | 古くは境内に風呂があった | |
49 | 天神社 | (藤倉197) | 境内に観音堂がある | |
50 | 天満天神社 | (平塚96) | 水が出ると寺に避難した神様 | |
51 | 埜田神社 | (野田町1-11-9) | 古くは六塚の稲荷と呼ばれた | 27 |
52 | 白山神社 | (小ヶ谷156) | 水の神として祀られた社 | |
53 | 白山神社 | (小堤785) | 境内の椿の木は疱瘡の信仰があった | 16 |
54 | 白山神社 | (寿町1-2303) | 本殿の竜の彫物は立派なもの | 17 |
55 | 白山神社 | (下広谷1155) | 雨乞いに藁で作った蛇が出た | |
56 | 白山神社 | (増形228) | 乱暴なことは嫌いな女の神様 | |
57 | 箱根神社 | (笠幡4431) | 権現堂と呼ばれていた | 該当なし |
58 | 八幡神社 | (安比奈新田23) | 開墾の神として分霊されたと伝える | 1 |
59 | 八幡神社 | (鴨田1072) | 太田道灌が城の鎮めに祀った社 | 11 |
60 | 八幡神社 | (小堤286) | 水源の神として祀られる | |
61 | 八幡神社 | (下赤坂200) | 松平信綱が開いて祀らせた社 | |
62 | 八幡神社 | (的場529) | 秋祭りに造る稲穂で葺いた事務所 | 36 |
63 | 八幡神社 | (山田148) | 社宝の鉄灯籠は源三位頼政の奉納 | 28 |
64 | 日枝神社 | (上戸316-1) | 当社から分霊された江戸城の鎮守 | |
65 | 日枝神社 | (小仙波町1-4-1) | 江戸三筆市川米庵の大幟が立てられる | |
66 | 日枝神社 | (下新河岸55) | 当所は江戸文化の入口であった | |
67 | 日枝神社 | (寺尾641) | 酒をびしゃびしゃ飲むびしゃ講 | 25 |
68 | 氷川神社 | (大中居671) | 親子・夫婦の仲をよくする神 | |
69 | 氷川神社 | (大袋新田) | 1月14日の晩にドンド焼き | |
70 | 氷川神社 | (久下戸2785) | 一の宮の分霊と伝えている | 14 |
71 | 氷川神社 | (小室298) | ナストッカエの行事は夏の疫病除け | |
72 | 氷川神社 | (下老袋732) | 弓取式と万作で有名 | 19 |
73 | 氷川神社 | (新宿町1-22) | 雀の森のお焚き上げは有名 | |
74 | 氷川神社 | (砂640) | 川の鎮めに祀られた社 | 22 |
75 | 氷川神社 | (仙波町4-19-1) | 豪族仙波氏が祀った社 | 24 |
76 | 氷川神社 | (並木937) | 獅子舞に即吟の掛け合い | |
77 | 氷川神社 | (平塚新田12) | 暴れる川を鎮めた神様 | |
78 | 氷川神社 | (古市場2) | 流れ着いた獅子頭を祀る社 | 31 |
79 | 氷川神社 | (南田島280) | 古くから伝わる足踊りがある | 該当なし |
80 | 氷川神社 | (宮下町2-11-3) | 江戸祭りの古形を伝える川越祭り | 39 |
81 | 藤宮神社 | (石田784) | 藤の花を伝わって神様が降臨 | 6 |
82 | 古尾谷八幡神社 | (古谷本郷140) | ホロカケ祭りで有名 | 33 |
83 | 古谷神社 | (古谷上3564) | 古墳の上に祀られている | 32 |
84 | 三島日光神社 | (笠幡1689) | 方位除けの信仰がある | |
85 | 南古谷神社 | (古市場2) | 戦没者を祀る社 | |
86 | 妙義神社 | (宮元町32-5) | 太田道灌館の守り神であった | 該当なし |
87 | 三芳野神社 | (郭町2-25-11) | 童謡「とおりゃんせ」の天神様 | |
88 | 六塚稲荷神社 | (元町2-8-12) | 商人の祭りお稲荷まつこ | |
89 | 六塚稲荷神社 | (六軒町1-17-3) | お太刀洗いは末社阿夫利社の神事 | |
90 | 薬師神社 | (伊佐沼577) | 堂宇を社殿として鎮まる目の神様 | |
91 | 薬師神社 | (幸町15-8) | 時の鐘を神門としている | |
92 | 八雲神社 | (今福2728) | 北条氏康の将兵を救った牛頭天王 | 3 |
93 | 八坂神社 | (的場1874) | 名主の屋敷鎮守が村鎮守となった | 35 |
94 | 八坂神社 | (鯨井1842-1) | 獅子回しの途中で万作踊り | |
95 | 八咫神社 | (上寺山498-3) | 氾濫する入間川を八岐大蛇に例えて祀る | 10 |
96 | 雪塚稲荷神社 | (幸町5-8) | 白狐を祀る雪塚稲荷大明神 |
神明町の神明神社(神明町2番地)は長禄元年(1457)、 太田道灌が川越城を築いたとき、西北の護り神として、江戸の芝にある神明神社を移築したものだという。この神社のご神体は石棒で、男根形だとか、あるいは伊勢神宮の「心の御柱」のようなものだともいう。
その後戦国時代に至り、天文13年(1544)の川越合戦のとき、兵火にかかり社殿も類焼してしまった。このとき別当が火災の中からご神体を運び出したが、3尺(約90センチ)もある石棒なので、重くて安全な場所へ移すことができない。そこで、土の中へ埋めて逃げたのである。
その後江戸時代に至り、天下泰平の世の中になってから、右の別当の孫大宝院という修験が川越に来て、丸馬場(宮下町2丁目あたり)に住んでいたが、自分の先祖から言い伝えられてきた神明神社の旧蹟地を尋ね歩いたところ、やっとのことで東明寺橋のあたりに、「神明山」という名前がのこっていたのを見つけ出した。しかし、社殿は全然のこっていなかった。
きっとこの近所に何かあるに違いにないと、あちらこちら探して歩いた結果、ついに埋められたご神体を見つけ、掘り出すことができた。大宝院は小踊りして喜び、さっそく社殿を建立してご神体を祀り、丸馬場からもとの神明町へ移したのである。のちに長永山良学院となったという。
―参考―
・「重修神垣之碑」石碑
・中島孝昌「武蔵三芳野名勝図会」埼玉叢書 昭和4年2月
往古より、此所に勧請ありしが、天文之頃、兵乱之為、乱妨(ランバウ)を恐れ、別当何某、神躰を負ひ去らんとすれども、御神躰ハ三尺計りの石なれバ、力及びがたく、地中に掘埋(うづ)んで迯(にげ)去りぬ。年経て、関東治国太平之後、彼(かの)別当之孫、大宝院と云修験、河越に来り、丸馬場辺に住し、先祖の云(いひ)伝へたる神明の旧地を尋しに、漸(やうやく)東明寺橋の辺に、神明山と云(いふ)名のミありて、宮居ハなけれども、其地を彼方此方求しに、はたして神躰を掘得たり。依而(よりて)祠を営ミ、別当之法印も、丸馬場より、此地に引移りて住す。今、別当長永山良学院、是也。当山派之客末と云。
或人云、神明の身躰ハ、男根石なりと云へど、形ち異なり。伊勢に、神明神秘之御正躰(ミシヤウタイ)に、心(ナカゴ)の御柱(ミハシラ)ト云ものあり。恐くハ、此心の御柱に似たり。左もあらば、いよいよ神明に崇め奉る事必然也。石華表(とりゐ) 石手洗鉢(てうづばち) 等有 略。