(前略)
「狛犬(こまいぬ)」もまた、神社では馴染みの顔だろう。社頭や社殿の前に置かれている、一対の獅子(しし)に似た獣の像のことだ。稲荷(いなり)社では狛犬の代わりに、二匹のキツネがいる。
これは神の使いで、魔除けのために置かれているといわれる。
その口は、いっぽうが大きく開けた「阿(あ)」、もういっぽうが閉じた「吽(うん)」の形である。気持ちがぴったりと合うという「阿吽の呼吸」のそれだ。「阿」は、口を開いて字音を発する音声で字音の初め、「吽」は字音の終わりを表している。古代インドからきた言葉で、万物の初めと終わりを象徴する言葉だ。密教では「阿」を万物の根源、「吽」を一切が帰着する知徳としている。
その「狛犬」は今もっともらしく神社に居座っているが、もともとは神社にはいなかったものである。
古くから中国には、墓を守る獣の形をした像があった。三世紀以降になると、宮廷の門や墓を守るのに一対の霊獣像が使われだした。そこにインドからライオンという獣のイメージが流れ込み、霊獣は獅子の形をとるようになった。
その獅子のイメージの霊獣が仏教とともに日本に伝わったのである。こうして獅子型霊獣が、狛犬として日本に定着したのは、飛鳥時代以降の奈良時代に入ってからである。
立派な仏教寺院の門に目をやれば、立派な一対の仁王像が立っているのを目にすることがあるだろう。その口は「阿・吽」。
「狛犬」の名は、「高麗(こうらい)」からきた「こま犬」という説もある。平安時代には宮中の門扉や几帳(きちょう)、屏風(びょうぶ)などが揺れ動かないよう、押さえのためにも使用されていた。
【層別名称対面立ち尾】 頭が丸い、面ん玉もまん丸、前足をのせている台石も丸い。
神社の入口で見た時「何だこれは!」であった。そばに寄ると満身創痍なのがわかる。頭と目玉の丸いのは最初からそのように造られていたものだが、前足の下の丸い台石は最初からのものではなかった。長い歳月の中で前足が破損し、前のめりになってしまうのを足下に石をいれることで補っていた。その石が丸いほうが様になるので使っただけのことらしい。
古い犬で顔の半分に近い部分がセメントで補修されている。古い犬は目が丸く、その目が半分近く飛び出しているのが特徴ではあるが、丸い頭がいっそう目を丸く印象づけている。いわゆる「ドングリまなこ」なのである。
狛犬の台座に刻字はないが、隣の手水鉢に「正徳元年」(1711)の文字が読め、犬の古さ、形から同年代のものであろうと考えられる。川越の中心近く、車の往来の激しい国道16号線沿いの森の中で、車の騒音を横に三百年を超えようとする時を過ごしている。
しかし、過日ここを二度目に訪れた時、その変貌ぶりに驚いた。
平成7年に初めてこの狛犬を見た時は、境内は神域の木々に囲まれ、丘の上にある拝殿への階段、その下の狛犬のいる空間などは木陰になっていて、深閑とした感じがしていたのだが、今はなにゆえか木々は切り倒され、まばゆいばかりの陽光に晒されていた。この面ん玉などは木々に囲まれ、鬱蒼とした森の中に佇んでいる風情が似合うのだが、何とも残念なことである。
かつて訪れた時、ここの木々に住みついていた烏に、居丈高に脅され、頭をガードしながら階段を上がった記憶がよみがえる。しかし、今はそれすらもない。
【アクセス】JR川越駅東口から徒歩。駅正面の道を直進して三つ目の信号を右折。16号国道の富士見町交差点を渡り、大宮方面へ。130bほど先の道路際(徒歩15分、約1.5`)。
【層別名称江戸付き尾】 川越の市街地の北東、入間川のほとりにある八咫神社での出会いであった。八咫烏(やたがらす)の八咫である。
ここで出会った狛犬は、台座が土の中に埋まり、地面から数センチしか出ておらず、ほとんどベタ置きに近い状態で設置されている。
体には胸に「願主」、両足には「奉納年・地名・願主名」が刻字されている。
しかし、字は崩れているため、全部は読みきれない。阿像(あぞう)の顔は中央に深い裂け目が入り、表情が崩れている。吽像(うんぞう)の顔は牙があるものの、人間の顔に近い表情をしている。私はこのように飾らない、素朴な犬に強く気を惹かれる。
この犬の前には高い台座に乗った昭和建立の犬がいる。そのため台座の陰になり、参道から入っていくと、後ろにいるこの江戸狛犬が見えない。そばに行って始めて、そこに狛犬がいることに気がつくような配置になっている。
前に戻るが、八咫烏とは、「神武天皇が東征の折、熊野から大和へ抜ける山中の道案内として、天照大神のお告げで飛来した」という神話の中の烏である。中国では太陽の中にいる鳥といわれている。
八咫神社は名前の由来からして熊野神社系なのであろう。神社には、七月には「まんぐり」という悪魔払いの神事、十月には神楽舞の奉納と神事が今でも残っており、川越のシティガイドにも紹介さえている当市の古社の一つである。
顔の表情はともかく、毛の表現もなく、鬣(たてがみ)がストレートで裾カール、何の造作もなくズドッと前に出された二本の足、全く古い狛犬の典型のような犬である。
田園の中を進んだ先にこの神社はあるが、辺りは木が少なく明るい境内にこの狛犬はいる。贅沢かもしれないが、木々に囲まれ、わずかにもれる木漏れ日の中にひっそりとした雰囲気で出会いたいような犬であった。
【アクセス】JR埼京線川越駅東口から東坂戸団地経由若葉駅行バスで「下寺山」下車(約17分)。下車して直進。最初に交差する道を斜め左へ。その突き当たり(バス停から徒歩8〜9分)。
川越は古くから小江戸と呼ばれ、県内でも有数の観光地である。ここは江戸期建立の狛犬を数多く見ることのできる地域でもある。
ここでは、市内の観光スポットを楽しみながら狛犬も見てしまおうという、欲張ったルートを紹介する。徒歩で約7`になる行程であるが、時間を見計らいながら狛犬と名所旧跡を訪ね歩いてみよう。
@川越駅から八幡神社へ(500b)
川越駅東口を出て正面の交差点を左折し、400bほど歩くと八幡神社に着く。通称川越八幡と呼ばれる神社である。
参道に入ると、まず昭和建立のスタンダードな炎尾(ほむらお)型の狛犬が出迎えてくれる。その奥の拝殿の前には頬がこけた嘉永6年(1853)の一対がいる。この狛犬は尾の先端まで、長く丁寧に彫られている。しかし、風化が進み右側の狛犬は左足が折損していて痛々しい。
A八幡神社から仙波東照宮へ(1.2`)
八幡神社を出て元の道を、さらに直進すると本川越駅からの広い道(東照宮中院通り)との交差点になる。そこを右折し、通町の交差点を通り過ぎ、東照宮の森を左横に見て、次の小さな十字路(案内表示あり)を左折すると、仙波東照宮の入口となる。
この東照宮は、徳川家康の遺骸を久能山(くのうざん)から日光へ運ぶ途中、喜多院で法要が営まれたことにより、後の寛永10年(1633)に建立された。現在は重要文化財に指定され、日光・久能山とともに三大東照宮と呼ばれている。
楼門を入ると静かな境内が広がり、正面の石段を上がると拝殿がある。その前に高い台座もなく、埼玉で最古となる狛犬が蹲踞(そんきょ)している。この狛犬は江戸城から移設されたものといわれ、この年代のものとしては、現代の狛犬につながるしっかりとした顔つきをしている。
東照宮と地続きで喜多院があり、その入口には五百羅漢がある。狛犬から目を離しここでひとときを過ごすのもよい。
B東照宮から本丸御殿へ(1`)
喜多院を出て前の道を左に行くと、喜多院入口の表示のある信号がある。その交差点を通り過ぎると道は突き当たる。そこを右に行き、すぐの五差路の横断歩道を渡り直進する。浮島神社を右横に見てさらに進むと、またT字路になる。突き当たりを右へ少し行くと「ひまわり東幼稚園」があるので、その手前(富士見櫓跡バス停あり)のほそい道を左折して進むと、本丸御殿の前に出る。
本丸御殿は明治になって解体されてしまったが、その御殿の玄関と家老詰め所が現存し、当時の偉容を伝えている。
本丸御殿の前には三芳野(みよしの)神社がある。残念ながらこの神社には狛犬はいない。この三芳野神社は、その昔、川越城の中にあったといわれ、童謡「とおりゃんせ」の発祥の地であると紹介されている。
少し先には市立博物館があり、この一帯は川越観光の一ゾーンである。
C本丸御殿から氷川神社へ(550b)
突き当たり(博物館)を左折し、博物館を右にしたすぐの道を直進すると、新河岸川(しんがしがわ)に架かる宮下橋に出る。その左斜め向かいが氷川会館、すぐ横に氷川神社がある。氷川神社は川越の総鎮守として、歴代の城主をはじめ城下の人々の信仰を得てきた神社である。
この神社の末社、柿本人麿(かきのもとひとまろ)神社には古典狛犬の典型といえる狛犬がいる。
建立は享保3年(1718)と古く、形は蹲踞の姿勢で尾は腰に張り付いている。彫りは浅く顔つきも優しい。髪は直毛が肩へと向かって流れ、先端がカールしている。頭頂部には古い犬によく見られる凹みがある。
さらに本殿の前には明治5年(1872)建立の一対、摂社の護国神社には昭和10年(1935)建立の一対がいる。
D氷川神社から琴平神社(300b)
神社を出て右へ進み、裁判所を通り過ぎ、突き当たりを左折すると、すぐ右側に広済寺があり、この境内に琴平神社がある。
拝殿の前に子連れの一対がいる。嘉永7年の建立である。子犬は親犬の前足の下に潜り込むようにして、顔を入口に向けている。左側の犬が持つ鞠には花模様が彫り込まれている。鞠としてはまれなデザインである。
E琴平神社から駅へ(1.5`)
琴平神社の前の道を右へ行くと、蔵造りの町並みになる。蔵造りの町並みは江戸幕府が耐火建築として奨励したことに始まる。この商家の町並みは札の辻交差点から仲町の交差点まで続く。
四対の江戸狛犬と出会った後は、気の向くままに一番街の蔵並みを満喫しながら駅へと向かおう。川越駅までは本川越駅からさらに約800b先となる。
番外ではあるが、余裕があれば「蓮馨寺(れんけいじ)」のバス停のそばにある熊野神社に寄ってみると、明治期の狛犬に会える。この狛犬は鑿打ちで仕上げられた狛犬で、体の表面がざらざらとして粗削りな感じの狛犬であるが、風情を持っている。
市街地だけでもこれだけの狛犬に出会えるのは、川越が城下町というだけではなく、入間川・新河岸川の舟運が栄えた町だからであろう。このほかにも足を延ばせば、川越市を大きく取り巻く川筋を含めてさらに十一対もの江戸期建立の狛犬に出会える街でもある。
名 称 | 所 在 地 | 対 | 設置 | 類 型 | サイズ | 建立年月 | 西暦 | 石 工 | 奉 納 | 作 品 メ モ | 調査月 | |
1 | 八坂神社 | 安比奈新田 | 1 | 拝殿前 | 両子連れ流れ尾 | 小 | 明治39年1月 | 1906 | 戦争勝利祈願 | 97・10 | ||
2 | 菅原神社 | 今福673 | 1 | 参道 | 炎尾 | 中 | 昭和52年10月 | 1977 | 個人 | 操業60周年記念 | 00・8 | |
3 | 八雲神社 | 今福字中台272 | 1 | 階段下 | 子連れ炎尾 | 中 | 昭和57年8月 | 1982 | 個人 | 創業拾周年、郷土史発刊八周年 | 00・8 | |
4 | 熊野神社 | 池辺261 | 1 | 入り口 | 子連れ炎尾 | 大 | 昭和15年秋 | 1940 | 一家連名 | 00・7 | ||
5 | 稲荷神社 | 石田本郷697-1 | 1 | 拝殿前 | 江戸立ち尾 | 中 | 享和3歳2月初午 | 1803 | 氏子中 | 三つ尾 | 00・6 | |
6 | 藤宮神社 | 石田633 | 1 | 拝殿前 | 子連れ新ほむら | 中 | 昭和63年 | 1988 | 個人 | 00・6 | ||
7 | 愛宕神社 | 大袋新田 | 1 | 拝殿前 | 流れ尾 | 中 | 明治36年2月 | 1903 | 個人 | 當所安全 | 00・7 | |
8 | 白髭神社 | 大袋258 | 1 | 拝殿前 | 流れ尾(首なし) | 中 | 大正10年4月 | 1921 | 川越、小池銀次郎 | 講員 | 大正10年2月伊勢参宮記念、首なし(顔からすぐ肩) | 00・7 |
9 | 尾崎神社 | 笠幡1280 | 2 | 瑞垣内 | 子連れ流れ尾 | 中 | 明治39年9月 | 1906 | 廊下で遮られ阿吽同時には見えない | 97・11 | ||
拝殿前 | 炎尾 | 特大 | 昭和3年11月 | 1928 | 重量感あり | 97・11 | ||||||
10 | 八咫神社 | 上寺山489-3 | 2 | 拝殿前 | 江戸付き尾 | 中 | 宝暦7年9月 | 1757 | 個人 | <地べた犬>阿吽共に足に刻字 | 00・6 | |
拝殿前 | 炎尾 | 中 | 昭和11年4月 | 1936 | 川越駅前、新穂光次 | 上寺山出身者連 | 00・6 | |||||
11 | 八幡神社 | 鴨田1072 | 1 | 瑞垣内 | 流れ尾 | 小 | 嘉永5年正月 | 1852 | 内路中 | 乳房犬、乳房を二つ表現 | 99・4 | |
12 | 御岳神社 | 岸町2-21-5 | 1 | 拝殿前 | 子連れ炎尾 | 中 | 昭和10年10月 | 1935 | 御獄山太太神楽講 | 97・5 | ||
13 | 琴平神社 | 喜多町5 | 1 | 拝殿前 | 流れ尾 | 中 | 嘉永7年10月 | 1854 | 97・5 | |||
14 | 氷川神社 | 久下戸2785 | 1 | 参道 | 子連れ炎尾 | 中 | 昭和11年3月 | 1936 | 川越市松江町、秋葉伊三郎 | 個人 | 00・7 | |
15 | 東照宮 | 小仙波町1-23-1 | 1 | 参道 | 江戸付き尾 | 中 | (明暦2年) | 1656 | 個人 | 江戸城より移設、願主:鉄砲百人組頭、根来出雲守 | 96・1 | |
16 | 白山神社 | 小堤785 | 1 | 拝殿前 | 新ほむら | 中 | 昭和57年11月 | 1982 | 個人 | 00・6 | ||
17 | 白山神社 | 寿町1-2303 | 1 | 参道 | 子連れ炎尾 | 中 | 昭和18年10月 | 1943 | 秋葉伊三郎 | 當社氏子中 | 寄付金500〜15円(計2662円) | 00・7 |
18 | 神明神社 | 鹿飼404 | 1 | 拝殿前 | 江戸立ち尾 | 中 | 文化7年正月 | 1810 | 講中 | 00・6 | ||
19 | 氷川神社 | 下老袋732 | 1 | 拝殿前 | 江戸立ち尾 | 中 | 天明2年9月 | 1782 | 治郎吉 | 個人 | 扁平三つ尾 | 99・4 |
20 | 神明宮 | 神明町1 | 1 | 拝殿前 | 流れ尾 | 中 | 嘉永2年3月 | 1849 | 妙□□□、金五郎 | 個人 | 97・5 | |
21 | 神明神社 | 菅間583 | 2 | 拝殿前 | 江戸立ち尾 | 小 | 明和3年1月 | 1766 | 菅間村 | 極小型、吽:胸で横割れ | 00・6 | |
拝殿前 | 新立ち尾 | 中 | 昭和52年10月 | 1977 | 新穂石材 | 00・6 | ||||||
22 | 氷川神社 | 砂640 | 1 | 拝殿前 | 新ほむら | 中 | 昭和49年7月 | 1974 | 個人 | 97・5 | ||
23 | 春日神社 | 砂新田140 | 1 | 階段脇 | 炎尾 | 大 | 昭和8年4月 | 1933 | 川越市高沢町、冨沢久助 | 砂新田太太講中 | 御嶽山参拝記念 | 00・8 |
24 | 氷川神社 | 仙波町4-19-1 | 1 | 拝殿前 | 子連れ炎尾 | 中 | 昭和14年5月 | 1939 | 川越市、中田作次郎 | 個人 | 97・5 | |
25 | 日枝神社 | 寺尾字寺側641 | 1 | 拝殿前 | 炎尾 | 中 | 昭和52年10月 | 1977 | 個人 | 99・7 | ||
26 | 白髭神社 | 豊田本1212 | 2 | 富士塚頂上 | サル | 中 | なし | 00・7 | ||||
入り口 | 炎尾 | 中 | 昭和18年4月 | 1943 | 川越市、秋葉 | 講中 | 伊勢太太神楽奉奏記念 | 00・7 | ||||
27 | 埜田神社 | 野田町1-11-9 | 1 | 拝殿前 | 両子連れ流れ尾 | 中 | なし | 刻字一切なし(奉の字もなし) | 00・7 | |||
28 | 八幡神社 | 府川 | 1 | 拝殿前 | 新ほむら | 中 | 平成2年4月 | 1990 | 個人 | 00・6 | ||
29 | 諏訪神社 | 藤間346 | 1 | 拝殿前 | 炎尾 | 中 | 昭和63年6月改修 | 1988 | 個人 | 99・7 | ||
30 | 愛宕神社 | 富士見町33-1 | 1 | 階段下 | 対面立ち尾 | 中 | (江戸?) | <目ん玉犬>前足を丸石で補充 | 97・5 | |||
31 | 氷川神社 | 古市場2 | 2 | 拝殿前 | 子連れ外来種 | 大 | 昭和53年4月 | 1978 | 個人 | 阿吽共玉くわえ・玉が動く | 00・8 | |
拝殿前 | 子連れ炎尾 | 中 | 昭和29年3月 | 1954 | 川越、秋葉伊三郎 | 個人 | 伊勢大宮参拝記念 | 00・8 | ||||
32 | 古谷神社 | 古谷上字赤城3564 | 1 | 拝殿前 | 江戸立ち尾 | 中 | 天明5年9月 | 1785 | 奥山治兵衛 | 古谷上村氏子中 | 三つ尾 | 99・4 |
33 | 古尾谷八幡神社 | 古谷本郷1408 | 2 | 拝殿前 | 江戸立ち尾 | 中 | 寛政8年8月 | 1796 | 個人 | すそ巻き立ち尾 | 99・4 | |
拝殿前 | 子連れ新ほむら | 大 | 平成8年7月 | 1996 | 個人 | 99・7 | ||||||
34 | 氷川神社 | 古谷本郷872 | 1 | 拝殿前 | 流れ尾 | 中 | 昭和3年2月 | 1928 | 川越連雀町、小池銀次郎 | 99・4 | ||
35 | 八坂神社 | 的場1874 | 1 | 拝殿前 | 流れ尾 | 中 | なし | 脱落 | 97・11 | |||
36 | 若宮八幡神社 | 的場529 | 1 | 拝殿前 | 子連れ炎尾 | 中 | 昭和15年3月 | 1940 | 97・11 | |||
37 | 菅原神社 | 南大塚19 | 2 | 拝殿前 | 両子連れ流れ尾 | 中 | 安政7年3月 | 1860 | 個人 | 00・7 | ||
拝殿内 | 子連れ流れ尾 | 中 | なし | 00・7 | ||||||||
38 | 八幡宮 | 南通町19-1 | 2 | 拝殿前 | 流れ尾 | 中 | 嘉永6年 | 1853 | 97・5 | |||
参道 | 子連れ新ほむら | 中 | 昭和58年1月 | 1983 | 解脱会初雁支部 | 97・5 | ||||||
39 | 氷川神社 | 宮下町2-11-3 | 3 | 末社 | 江戸付き尾 | 中 | 享保3年9月 | 1718 | 97・5 | |||
本殿前 | 流れ尾 | 中 | 明治5年仲秋 | 1872 | 98・6 | |||||||
摂社前 | 子連れ炎尾 | 中 | 昭和10年4月 | 1935 | 97・5 | |||||||
40 | 熊野神社 | 連雀町17-1 | 1 | 瑞垣内 | 流れ尾 | 中 | 明治37年11月 | 1904 | 荒削り | 97・5 |