川越の狛犬


<目 次>
狛 犬日本の神々と仏狛犬探訪

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狛 犬
「日本の神々と仏」 岩井宏實監修 青春出版社プレイブックス 2002年
第一章 日本人の心の源流/日本人と八百万の神々
 ●神域を守るもの

   (前略)
 「狛犬(こまいぬ)」もまた、神社では馴染みの顔だろう。社頭や社殿の前に置かれている、一対の獅子(しし)に似た獣の像のことだ。稲荷(いなり)社では狛犬の代わりに、二匹のキツネがいる。
 これは神の使いで、魔除けのために置かれているといわれる。
 その口は、いっぽうが大きく開けた「阿(あ)」、もういっぽうが閉じた「吽(うん)」の形である。気持ちがぴったりと合うという「阿吽の呼吸」のそれだ。「阿」は、口を開いて字音を発する音声で字音の初め、「吽」は字音の終わりを表している。古代インドからきた言葉で、万物の初めと終わりを象徴する言葉だ。密教では「阿」を万物の根源、「吽」を一切が帰着する知徳としている。
 その「狛犬」は今もっともらしく神社に居座っているが、もともとは神社にはいなかったものである。
 古くから中国には、墓を守る獣の形をした像があった。三世紀以降になると、宮廷の門や墓を守るのに一対の霊獣像が使われだした。そこにインドからライオンという獣のイメージが流れ込み、霊獣は獅子の形をとるようになった。
 その獅子のイメージの霊獣が仏教とともに日本に伝わったのである。こうして獅子型霊獣が、狛犬として日本に定着したのは、飛鳥時代以降の奈良時代に入ってからである。
 立派な仏教寺院の門に目をやれば、立派な一対の仁王像が立っているのを目にすることがあるだろう。その口は「阿・吽」。
 「狛犬」の名は、「高麗(こうらい)」からきた「こま犬」という説もある。平安時代には宮中の門扉や几帳(きちょう)、屏風(びょうぶ)などが揺れ動かないよう、押さえのためにも使用されていた。

「狛犬探訪 埼玉の阿・吽たち 久保田和幸 さきたま出版会 2003年 ★★
 はじめに
 「狛犬」ここに目がいったのはいつのことであったろう、かれこれ十数年は前のことになる。
 「狛犬を追いかけています。」と言うと、たいていの人は「狛犬! なんでまた狛犬なの?」という問いかけをしてくる。
 世の中には他人の思わないようなものに興味を示す人たちがいるもの。俗に十人十色であり、趣味・道楽など理解できないようなものを収集している人もいる。学術的研究であっても、まずそこに興味を持つことから始まるものだと思う。
 私が狛犬に会いに行く「神社」を例にとっても、鳥居に興味を持つ人、板碑を見る人、力石を調べる人、灯籠を追いかける人とさまざまである。このようにいろいろあるなかで、我が対象物である狛犬が、参道に姿を見せるのは、ごく古い物を除き、一般的には江戸時代の中頃であり比較的に新しいものなのである。
 さて、私の狛犬訪ね歩きのスタートは、テレビで見たタウンウォッチングに始まる。しかし、テレビは他人に知らせるもの、見せるものであり、良い所撮りであることに気がつかなかった。
 始めてみると、行けども行けども話のタネになるようなものには、出会わなかった。やめようかと思っていた矢先に、ふと狛犬が目に飛び込んできた。瞬間的に「アッ、こいつならどこにでもいる!」それが狛犬訪ね歩きのきっかけであった。
 初めのうちは出かけた時に意識して狛犬の写真を撮ることから始まった。
 そのうちに狛犬に会うことだけを目的に出かけるようになり、そうこうしているうちにい今まで自分が持ってた概念からはみ出す何体かの狛犬に出会ったのである。そうなると次にはまた違った狛犬に会えるのではないかと、面白さが加わってきて狛犬にはまり込む結果となっていった。
 さらに、それを助長させたのは狛犬を追い求めている研究会「日本参道狛犬研究会(通称、狛研)」を知ったことであった。
 以前から「きっとどこかに同じようなことをやっている人たちがいる」と思っていたことが現実となり、「ワンダフル」。
 それからはもう「狛犬一筋」。その点では他のものへの興味が薄くなり、視野が狭くなったかとさえ思う。
 多くの狛犬に会えば会うほどいろいろな狛犬との出会いがあり、興味は尽きない。
 そのうち他人の迷惑をかえりみず、見せたり説明したりしたくなってきた。そして、埼玉県内の狛犬を一通り見たのを機に、何か形にしたくなったのである。
 そうは言っても知識不足・技量不足ではどうしようもないとの思いはあったが、思いきって自分の狛犬に対する思いをまとめ刊行することにしたのである。
 狛犬たちは一見どれも同じように見えるが、よく見ると一体一体がどこかに違いがあり、顔も人間と同じようにそれぞれ違いがある。しかし、中には一卵性双生児のように、違いがわからないものがまれにある。
 狛犬にはそれを彫る石工たちの個性が表現されており、石工自身が狛犬を見る人に少しでも訴えるものにしたいと、思いを込めているのがわかるような気がする。
 埼玉県には、江戸中期から現在に至るまで多くの石工たちにより彫られた九〇〇体を超す狛犬たちが、参道や拝殿前に座り続けている。
 狛犬は、社殿の中にいる神殿狛犬と参道および拝殿の前にいる参道狛犬がある。私が追い続けた狛犬は、いつでも誰でも神社に行けば出会うことのできる参道狛犬である。
 埼玉県の神社を二千数百社訪れた結果をベースにして、実態を紹介するとともに、私の狛犬に対する勝手な推測・思い込みを入れて起稿した。
 見せたい、教えたいが高じておしつけになると思うが、一見一読願えたら幸いである。

第1章 狛犬私考
 2 狛犬私考
  狛犬はいつから日本にいるか
  狛犬はどのようにして運ばれたか
第2章 埼玉の狛犬たち
●心に残る狛犬たち
 面ん玉犬  川越市富士見町・愛宕神社
 【層別名称対面立ち尾】 頭が丸い、面ん玉もまん丸、前足をのせている台石も丸い。
 神社の入口で見た時「何だこれは!」であった。そばに寄ると満身創痍なのがわかる。頭と目玉の丸いのは最初からそのように造られていたものだが、前足の下の丸い台石は最初からのものではなかった。長い歳月の中で前足が破損し、前のめりになってしまうのを足下に石をいれることで補っていた。その石が丸いほうが様になるので使っただけのことらしい。
 古い犬で顔の半分に近い部分がセメントで補修されている。古い犬は目が丸く、その目が半分近く飛び出しているのが特徴ではあるが、丸い頭がいっそう目を丸く印象づけている。いわゆる「ドングリまなこ」なのである。
 狛犬の台座に刻字はないが、隣の手水鉢に「正徳元年」(1711)の文字が読め、犬の古さ、形から同年代のものであろうと考えられる。川越の中心近く、車の往来の激しい国道16号線沿いの森の中で、車の騒音を横に三百年を超えようとする時を過ごしている。
 しかし、過日ここを二度目に訪れた時、その変貌ぶりに驚いた。
 平成7年に初めてこの狛犬を見た時は、境内は神域の木々に囲まれ、丘の上にある拝殿への階段、その下の狛犬のいる空間などは木陰になっていて、深閑とした感じがしていたのだが、今はなにゆえか木々は切り倒され、まばゆいばかりの陽光に晒されていた。この面ん玉などは木々に囲まれ、鬱蒼とした森の中に佇んでいる風情が似合うのだが、何とも残念なことである。
 かつて訪れた時、ここの木々に住みついていた烏に、居丈高に脅され、頭をガードしながら階段を上がった記憶がよみがえる。しかし、今はそれすらもない。

【アクセス】JR川越駅東口から徒歩。駅正面の道を直進して三つ目の信号を右折。16号国道の富士見町交差点を渡り、大宮方面へ。130bほど先の道路際(徒歩15分、約1.5`)。
 地べた犬  川越市上寺山・八咫神社
層別名称江戸付き尾】 川越の市街地の北東、入間川のほとりにある八咫神社での出会いであった。八咫烏(やたがらす)の八咫である。
 ここで出会った狛犬は、台座が土の中に埋まり、地面から数センチしか出ておらず、ほとんどベタ置きに近い状態で設置されている。
 体には胸に「願主」、両足には「奉納年・地名・願主名」が刻字されている。
 しかし、字は崩れているため、全部は読みきれない。阿像(あぞう)の顔は中央に深い裂け目が入り、表情が崩れている。吽像(うんぞう)の顔は牙があるものの、人間の顔に近い表情をしている。私はこのように飾らない、素朴な犬に強く気を惹かれる。
 この犬の前には高い台座に乗った昭和建立の犬がいる。そのため台座の陰になり、参道から入っていくと、後ろにいるこの江戸狛犬が見えない。そばに行って始めて、そこに狛犬がいることに気がつくような配置になっている。
 前に戻るが、八咫烏とは、「神武天皇が東征の折、熊野から大和へ抜ける山中の道案内として、天照大神のお告げで飛来した」という神話の中の烏である。中国では太陽の中にいる鳥といわれている。
 八咫神社は名前の由来からして熊野神社系なのであろう。神社には、七月には「まんぐり」という悪魔払いの神事、十月には神楽舞の奉納と神事が今でも残っており、川越のシティガイドにも紹介さえている当市の古社の一つである。
 顔の表情はともかく、毛の表現もなく、鬣(たてがみ)がストレートで裾カール、何の造作もなくズドッと前に出された二本の足、全く古い狛犬の典型のような犬である。
 田園の中を進んだ先にこの神社はあるが、辺りは木が少なく明るい境内にこの狛犬はいる。贅沢かもしれないが、木々に囲まれ、わずかにもれる木漏れ日の中にひっそりとした雰囲気で出会いたいような犬であった。

【アクセス】JR埼京線川越駅東口から東坂戸団地経由若葉駅行バスで「下寺山」下車(約17分)。下車して直進。最初に交差する道を斜め左へ。その突き当たり(バス停から徒歩8〜9分)。
●変わりダネ狛犬たち
 稲荷神社
 大理石
●狛犬ぶらりあるき
 狛犬ぶらりあるきT 「川越」コース
 川越は古くから小江戸と呼ばれ、県内でも有数の観光地である。ここは江戸期建立の狛犬を数多く見ることのできる地域でもある。
 ここでは、市内の観光スポットを楽しみながら狛犬も見てしまおうという、欲張ったルートを紹介する。徒歩で約7`になる行程であるが、時間を見計らいながら狛犬と名所旧跡を訪ね歩いてみよう。

@川越駅から八幡神社へ(500b)
 川越駅東口を出て正面の交差点を左折し、400bほど歩くと八幡神社に着く。通称川越八幡と呼ばれる神社である。
 参道に入ると、まず昭和建立のスタンダードな炎尾(ほむらお)型の狛犬が出迎えてくれる。その奥の拝殿の前には頬がこけた嘉永6年(1853)の一対がいる。この狛犬は尾の先端まで、長く丁寧に彫られている。しかし、風化が進み右側の狛犬は左足が折損していて痛々しい。

A八幡神社から仙波東照宮へ(1.2`)
 八幡神社を出て元の道を、さらに直進すると本川越駅からの広い道(東照宮中院通り)との交差点になる。そこを右折し、通町の交差点を通り過ぎ、東照宮の森を左横に見て、次の小さな十字路(案内表示あり)を左折すると、仙波東照宮の入口となる。
 この東照宮は、徳川家康の遺骸を久能山(くのうざん)から日光へ運ぶ途中、喜多院で法要が営まれたことにより、後の寛永10年(1633)に建立された。現在は重要文化財に指定され、日光・久能山とともに三大東照宮と呼ばれている。
 楼門を入ると静かな境内が広がり、正面の石段を上がると拝殿がある。その前に高い台座もなく、埼玉で最古となる狛犬が蹲踞(そんきょ)している。この狛犬は江戸城から移設されたものといわれ、この年代のものとしては、現代の狛犬につながるしっかりとした顔つきをしている。
 東照宮と地続きで喜多院があり、その入口には五百羅漢がある。狛犬から目を離しここでひとときを過ごすのもよい。

B東照宮から本丸御殿へ(1`)
 喜多院を出て前の道を左に行くと、喜多院入口の表示のある信号がある。その交差点を通り過ぎると道は突き当たる。そこを右に行き、すぐの五差路の横断歩道を渡り直進する。浮島神社を右横に見てさらに進むと、またT字路になる。突き当たりを右へ少し行くと「ひまわり東幼稚園」があるので、その手前(富士見櫓跡バス停あり)のほそい道を左折して進むと、本丸御殿の前に出る。
 本丸御殿は明治になって解体されてしまったが、その御殿の玄関と家老詰め所が現存し、当時の偉容を伝えている。
 本丸御殿の前には三芳野(みよしの)神社がある。残念ながらこの神社には狛犬はいない。この三芳野神社は、その昔、川越城の中にあったといわれ、童謡「とおりゃんせ」の発祥の地であると紹介されている。
 少し先には市立博物館があり、この一帯は川越観光の一ゾーンである。

C本丸御殿から氷川神社へ(550b)
 突き当たり(博物館)を左折し、博物館を右にしたすぐの道を直進すると、新河岸川(しんがしがわ)に架かる宮下橋に出る。その左斜め向かいが氷川会館、すぐ横に氷川神社がある。氷川神社は川越の総鎮守として、歴代の城主をはじめ城下の人々の信仰を得てきた神社である。
 この神社の末社、柿本人麿(かきのもとひとまろ)神社には古典狛犬の典型といえる狛犬がいる。
 建立は享保3年(1718)と古く、形は蹲踞の姿勢で尾は腰に張り付いている。彫りは浅く顔つきも優しい。髪は直毛が肩へと向かって流れ、先端がカールしている。頭頂部には古い犬によく見られる凹みがある。
 さらに本殿の前には明治5年(1872)建立の一対、摂社の護国神社には昭和10年(1935)建立の一対がいる。

D氷川神社から琴平神社(300b)
 神社を出て右へ進み、裁判所を通り過ぎ、突き当たりを左折すると、すぐ右側に広済寺があり、この境内に琴平神社がある。
 拝殿の前に子連れの一対がいる。嘉永7年の建立である。子犬は親犬の前足の下に潜り込むようにして、顔を入口に向けている。左側の犬が持つ鞠には花模様が彫り込まれている。鞠としてはまれなデザインである。

E琴平神社から駅へ(1.5`)
 琴平神社の前の道を右へ行くと、蔵造りの町並みになる。蔵造りの町並みは江戸幕府が耐火建築として奨励したことに始まる。この商家の町並みは札の辻交差点から仲町の交差点まで続く。
 四対の江戸狛犬と出会った後は、気の向くままに一番街の蔵並みを満喫しながら駅へと向かおう。川越駅までは本川越駅からさらに約800b先となる。
 番外ではあるが、余裕があれば「蓮馨寺(れんけいじ)」のバス停のそばにある熊野神社に寄ってみると、明治期の狛犬に会える。この狛犬は鑿打ちで仕上げられた狛犬で、体の表面がざらざらとして粗削りな感じの狛犬であるが、風情を持っている。
 市街地だけでもこれだけの狛犬に出会えるのは、川越が城下町というだけではなく、入間川・新河岸川の舟運が栄えた町だからであろう。このほかにも足を延ばせば、川越市を大きく取り巻く川筋を含めてさらに十一対もの江戸期建立の狛犬に出会える街でもある。
第3章 埼玉県狛犬データ
トピックス・埼玉で一番の狛犬たち
 【狛犬が多くいる所】
  川越市・50対、岩槻市・36対、熊谷市・30対、深谷市・30対、行田市・30対
 【江戸期狛犬が多くいる所】
  川越市・15対、岩槻市・12対、越谷市・10対
 【明治期狛犬が多くいる所】
  岩槻市・9対、川越市・7対
 【一番古い狛犬】
 @年号表示のないもの
  川越市小仙波町、東照宮参道
  建立・明暦二年(1656)と伝わる
  いわれは41ページに記載
  吽像(うんぞう)の台座の参道側に小さく願主、根来(ねごろ)出雲守と刻字が残っている。埼玉唯一の1600年代のもの。
 A年号表示のあるものでは
  草加市青柳、久伊豆神社拝殿前
  建立・宝永二年(1705)
  江戸初期の付き尾タイプ

 埼玉県狛犬完全データ
  川越市  調査社数:84 建立社数:40 狛犬数:50
名 称所 在 地設置類 型サイズ建立年月西暦石    工奉 納作 品 メ モ調査月
1八坂神社安比奈新田1拝殿前両子連れ流れ尾明治39年1月1906  戦争勝利祈願97・10
2菅原神社今福6731参道炎尾昭和52年10月1977 個人操業60周年記念00・8
3八雲神社今福字中台2721階段下子連れ炎尾昭和57年8月1982 個人創業拾周年、郷土史発刊八周年00・8
4熊野神社池辺2611入り口子連れ炎尾昭和15年秋1940 一家連名 00・7
5稲荷神社石田本郷697-11拝殿前江戸立ち尾享和3歳2月初午1803 氏子中三つ尾00・6
6藤宮神社石田6331拝殿前子連れ新ほむら昭和63年1988 個人 00・6
7愛宕神社大袋新田1拝殿前流れ尾明治36年2月1903 個人當所安全00・7
8白髭神社大袋2581拝殿前流れ尾(首なし)大正10年4月1921川越、小池銀次郎講員大正10年2月伊勢参宮記念、首なし(顔からすぐ肩)00・7
9尾崎神社笠幡12802瑞垣内子連れ流れ尾明治39年9月1906  廊下で遮られ阿吽同時には見えない97・11
拝殿前炎尾特大昭和3年11月1928  重量感あり97・11
10八咫神社上寺山489-32拝殿前江戸付き尾宝暦7年9月1757 個人<地べた犬>阿吽共に足に刻字00・6
拝殿前炎尾昭和11年4月1936川越駅前、新穂光次上寺山出身者連 00・6
11八幡神社鴨田10721瑞垣内流れ尾嘉永5年正月1852 内路中乳房犬、乳房を二つ表現99・4
12御岳神社岸町2-21-51拝殿前子連れ炎尾昭和10年10月1935 御獄山太太神楽講 97・5
13琴平神社喜多町51拝殿前流れ尾嘉永7年10月1854   97・5
14氷川神社久下戸27851参道子連れ炎尾昭和11年3月1936川越市松江町、秋葉伊三郎個人 00・7
15東照宮小仙波町1-23-11参道江戸付き尾(明暦2年)1656 個人江戸城より移設、願主:鉄砲百人組頭、根来出雲守96・1
16白山神社小堤7851拝殿前新ほむら昭和57年11月1982 個人 00・6
17白山神社寿町1-23031参道子連れ炎尾昭和18年10月1943秋葉伊三郎當社氏子中寄付金500〜15円(計2662円)00・7
18神明神社鹿飼4041拝殿前江戸立ち尾文化7年正月1810 講中 00・6
19氷川神社下老袋7321拝殿前江戸立ち尾天明2年9月1782治郎吉個人扁平三つ尾99・4
20神明宮神明町11拝殿前流れ尾嘉永2年3月1849妙□□□、金五郎個人 97・5
21神明神社菅間5832拝殿前江戸立ち尾明和3年1月1766 菅間村極小型、吽:胸で横割れ00・6
拝殿前新立ち尾昭和52年10月1977新穂石材  00・6
22氷川神社砂6401拝殿前新ほむら昭和49年7月1974 個人 97・5
23春日神社砂新田1401階段脇炎尾昭和8年4月1933川越市高沢町、冨沢久助砂新田太太講中御嶽山参拝記念00・8
24氷川神社仙波町4-19-11拝殿前子連れ炎尾昭和14年5月1939川越市、中田作次郎個人 97・5
25日枝神社寺尾字寺側6411拝殿前炎尾昭和52年10月1977 個人 99・7
26白髭神社豊田本12122富士塚頂上サルなし    00・7
入り口炎尾昭和18年4月1943川越市、秋葉講中伊勢太太神楽奉奏記念00・7
27埜田神社野田町1-11-91拝殿前両子連れ流れ尾なし   刻字一切なし(奉の字もなし)00・7
28八幡神社府川1拝殿前新ほむら平成2年4月1990 個人 00・6
29諏訪神社藤間3461拝殿前炎尾昭和63年6月改修1988 個人 99・7
30愛宕神社富士見町33-11階段下対面立ち尾(江戸?)   <目ん玉犬>前足を丸石で補充97・5
31氷川神社古市場22拝殿前子連れ外来種昭和53年4月1978 個人阿吽共玉くわえ・玉が動く00・8
拝殿前子連れ炎尾昭和29年3月1954川越、秋葉伊三郎個人伊勢大宮参拝記念00・8
32古谷神社古谷上字赤城35641拝殿前江戸立ち尾天明5年9月1785奥山治兵衛古谷上村氏子中三つ尾99・4
33古尾谷八幡神社古谷本郷14082拝殿前江戸立ち尾寛政8年8月1796 個人すそ巻き立ち尾99・4
拝殿前子連れ新ほむら平成8年7月1996 個人 99・7
34氷川神社古谷本郷8721拝殿前流れ尾昭和3年2月1928川越連雀町、小池銀次郎  99・4
35八坂神社的場18741拝殿前流れ尾なし  脱落 97・11
36若宮八幡神社的場5291拝殿前子連れ炎尾昭和15年3月1940   97・11
37菅原神社南大塚192拝殿前両子連れ流れ尾安政7年3月1860 個人 00・7
拝殿内子連れ流れ尾なし    00・7
38八幡宮南通町19-12拝殿前流れ尾嘉永6年1853   97・5
参道子連れ新ほむら昭和58年1月1983 解脱会初雁支部 97・5
39氷川神社宮下町2-11-33末社江戸付き尾享保3年9月1718   97・5
本殿前流れ尾明治5年仲秋1872   98・6
摂社前子連れ炎尾昭和10年4月1935   97・5
40熊野神社連雀町17-11瑞垣内流れ尾明治37年11月1904  荒削り97・5
 1.八幡神社の誤り?。

●参考文献
 『随唐帝国と近代朝鮮』 礪波護/武田幸男著 中央公論社
 『中国の歴史』 陳舜臣著 講談社
 『徒然草』 橘純一著 武蔵野書院
 『狛犬事典』 上杉千郷著 戎光祥出版
 『狛犬学事始』 ねずてつや著 株ナカニシヤ出版
 『狛犬』 藤倉郁子著 岩波ブックサービスセンター
 『THE狛犬!コレクション』 三遊亭円丈著 立風書房
 『参道狛犬大研究―東京23区参道狛犬完全データ』 日本参道狛犬研究会編 ミーナ出版
 『狛犬の杜』 日本参道狛犬研究会 会報
 『獅子』 荒俣宏著 集英社
 『神社ふしぎ探検』 外山晴彦著 さきたま出版会
 『大江戸リサイクル事情』 石川英輔著 講談社
 『さいたま歴史街道』 吉本富夫著 埼玉新聞社
 『風土記さいたま』 埼玉地理学会編 さきたま出版会
 『くらしの中から考える「埼玉と朝鮮」』 埼玉と朝鮮編集委員会編 サコー印刷
 『歴史の道調査報告書』(第7集〜14集) 埼玉県教育委員会編 埼玉県県政情報資料館
 『さきたま文庫』シリーズ 柳田敏司監修 さきたま出版会
 『さいたま寺社めぐり』 花井敬/花井泰子著 幹書房

狛犬の写真

  日本参道狛犬研究会狛犬ネット


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作成:川越原人  更新:2020/11/02