川越の近代化遺産


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「日本全国 近代歴史遺産を歩く」 阿曽村孝雄 講談社+α新書 2005年 ★★
第2章 町並みで発見する遺産名所巡り
【川越一番街 ◎埼玉県
  美しき小江戸三姉妹の長女
   (前略)
 昔から小江戸と称される川越・佐原・栃木の小江戸三姉妹。中でも長女格はやはり川越だろう。さて、夢を壊すようだが、江戸情緒に彩られた蔵造りの町並みというのは、たいてい明治期の大火災以後に造られている。だからヘリテージングの対象になるのだ。
 川越も、蔵造り商家が増えたのは、町の3分の1が焼失した明治26年の大火後のことである。火災に耐え焼け残った蔵を見て、商家はこぞって蔵造りの家を建てた。
 昭和30年代になって繁華の中心が駅周辺に移り、蔵造りの町並みは一時寂れた。しかし昭和58年に、町並み観光の中核となる「川越蔵の会」が発足し、伝統的建造物を生かした商店街づくりへと本格的に動き出す。電線の地中化など町並み観光のインフラが整えられるのである。
 昭和50年、文化財保護法の改正で「伝統的建造物群保存地区」の制度が定められ、国が、重要な町並みの保存地区を選定するようになった。町並みは9種類に分けられる。「山村や農村などの集落」「宿場町」「港町」「洋館群」「商家町」「産業に結びついた産業町」「門前町・社家町」「茶屋町」「武家町・城下町」。現在までに全国で62の地区が選定されており、川越は佐原とともに「商家町」のカテゴリーで選ばれている。
 ここを訪れた日は日曜日である。ある程度予想はしていたが、まるで正月の浅草を行くような観光客の賑わいだ。町を貫く中央通りの仲町交差点から札の辻まで一番街約400メートルが、「蔵造りヘリテージング」のハイライト。この区間、電線が地中化されたせいで空がすっきり大きく広がる。その空を背景に道の両側には豪壮な蔵造り商家のオンパレード。まるで黒糸縅(くろいとおどし)の武者行列を見るようである。
 豪快な入母屋造りの松崎スポーツ店、ブティックと茶房を営む相徳、芋菓子歴史館を併設する亀屋栄泉、日本最大級の入母屋造りの大店陶舗やまわ、刃物商まちかん、美術表具のフカゼン、大火を免れた大沢家の江戸期の店蔵(重要文化財)も行列の中にある。
 蔵だけではない、大正7年に建てられた旧第八十五銀行(現・埼玉りそな銀行川越支店)の青緑色のドームも、青空に大正ロマンの華を咲かせている。中央通りを「時の鐘」のある旧多賀町方向の路地へ折れた。芋せんべい、芋ケーキ、芋ソフト、芋ソーメン、やたら「芋」の文字が目につく。ここは昔から「川越いも」で有名だった。それにしても「川越地ビールサツマイモラガー」とは果たしていかなる芋味なのか、帰ってからも気になって。この次はバイクでなく電車で行こう。

  川越蔵の会   全国伝統的建造物群保存地区協議会(伝建協)

「日本の近代化遺産―新しい文化財と地域の活性化― 伊東孝 岩波新書(新赤版)695 2000年 ★
 今なお稼働している長野・木曽川流域の読書発電所、横浜のドックヤードガーデンなど新しい文化財として注目されている日本のさまざまな近代化遺産の見方・楽しみ方を紹介する。近代化遺産がその地域の人々の営みを示す歴史的遺産であることを明らかにしながら、まちづくりの資産として活用することをすすめる。写真多数。

 Y 地域の活性化資産/5 知られざる明治の遺産―埼玉・煉瓦樋門
写真Y-15に 笹原樋門(川越市)が掲載されています。
その説明文
「先端部の持送りを階段状に突出させ、デンティルで飾り、小塔をもつ。比較的入念な意匠がほどこされている。ゲートは後付けで、もとはこちら側が出口と思われる。1901年竣工。」

 樋門についての説明(同上/4 伝統的技術と西欧技術の合体―愛知・たたき樋門群)

 「樋門≠ニ聞いても、首をかしげる人が多いにちがいない。わたしもはじめて資料を見せらたとき、なんと読むのか、わからなかった。「ひもん」と読む。
 樋門は水利施設のひとつで、外観は水門に似ているが、水門が堤防を縦に貫いてつくられる施設であるのに対し、樋門は堤防を横に貫く水路である。それゆえ規模は水門より小さい。川の水を灌漑や用水に利用するので、機能的には内水排除や逆流防止をする制水施設のひとつである。樋門は、門樋・圦樋・樋管・堰枠など、地域によってさまざまに呼ばれている。
 江戸時代まで、樋門の多くは木でつくられていたが、近代になると、埼玉県を中心とする関東地域では煉瓦樋門がつくられるようになった。」

「埼玉県の歴史散歩」 埼玉県高等学校社会科教育研究会歴史部会編 山川出版社 2005年 ★★
 (コラム)埼玉県の近代化遺産
 近代化遺産とは、幕末から第二次世界大戦終結までの間に、近代的な手法によって築造された産業・交通・土木などの分野にかかわる構築物のことである。埼玉県の近代化に貢献した多くの構築物は、歴史的な重要性を認識されることなく、時代遅れな存在として取り壊されたり改築されてしまっている。こうした危機感を背景に、埼玉県では実態の把握と保護措置を目的に1994(平成6)〜1995年にかけて「埼玉県近代化遺産総合調査」が実施された。そのなかからおもな近代化遺産を紹介しよう。
 埼玉は昔から農業の盛んな地域であり、水利に関連した構築物が現存している。草加市の甚左衛門堰や川越市の笹原門樋は、明治中期につくられたレンガ造りの樋門である。このほかにも30件近いレンガ造り樋門が確認されており、レンガ樋門の数は全国でも群をぬいて多い。しかしこのレンガ樋門は、1918(大正7)年の千貫樋(さいたま市)を最後に安価な鉄筋コンクリートにその座をゆずり、以後建設されることはなかった。
 交通の発達は、近代化の大きなささえであった。秩父鉄道の見沼代用水橋梁(行田市)は、1920年の竣工だが、そこにかかる英国製のポニーワーレントラス橋は、1885年(明治18)年ごろの制作と推定され、現役で使われる唯一の貴重なものである。秩父方面の物資輸送に大きな役割をはたした秩父鉄道には、ほかにも1913(大正2)年にアメリカで制作されたバルチモアトラス橋である浦山川橋梁、安谷川橋梁、押手沢橋梁がある。
 このほか、洋風建築としては昭和初期の旧六軒町郵便局(川越市)旧第八十五銀行本店(川越市)、旧本庄警察署(本庄市)、旧石川組製糸の西洋館(入間市)などの代表的なものが現存している。産業面では、秩父鉱山開発の拠点となった大滝村の株式会社ニッチツ資源開発本部、行田市の地場産業をささえた足袋倉庫群、近代建築に欠かせないレンガを製造した深谷市の日本煉瓦製造株式会社深谷事業所、埼玉県最初の水力発電所である神泉村の矢納発電所跡、日本の近代化に欠かせない養蚕の改良に大きな貢献をはたした児玉町の競進社模範蚕室、狭山茶で有名な三芳町の上富地区の茶工場などが確認されている。

桃介と貞奴

「埼玉県の近代化遺産―近代遺産総合調査報告書― 埼玉県立博物館編 埼玉県教育委員会 1996年 ★★
第3章 埼玉県の近代化遺産(各論)
(1)産業:商業/金融
 近代化のなかの川越の歴史的町並み
 蔵造りの近代
 T字路角地のランドマーク
 洋風建築の演出空間:様式の混在
 蔵造りのなかの近代建築
 [参考文献]
 1)川越市教育委員会『蔵造りの町並 川越市伝統的建造物群に関する調査報告書』1976。
 2)川越市教育委員会『川越の蔵造り 川越市指定文化財調査報告書』1983。

(2)土木:河川
 新河岸川上流部(赤間川)の景観
 1 東武東上線赤間川橋梁
 2 赤間川公園付近
 3 高沢橋たもとの擁壁
 4 濯紫公園あたり
 5 田谷橋・田谷堰とその周辺
 6 桜並木と宮下橋
 7 琵琶橋
 8 仙波河岸跡
 [参考文献]
 1)埼玉県立さきたま資料館『新河岸川の水運 歴史の道調査報告書第8集』1987。
 2)川越市都市計画部都市計画課『川越景観百選』1994。

付編1 埼玉県の近代化遺産一覧(市町村別)

 川越市 67件(産業34件 土木7件) 交通21件 その他5件)
名     称所在地分野種別竣工年主な材質概       要
日清紡川越工場東田町4-10産業繊維(紡績)T12・S12木・煉瓦・コンクリート大正9年創立の大興紡績が建設した大規模な紡績工場。各種施設が今も現役で稼働。昭和12年に工場1棟を増築。
日清紡
岸野織物大手町1-6産業繊維(織物)M26・T6昭和60年ごろまで使われていた織物工場。事務所は明治26年、工場は大正6年の建設で、昭和23年力織機を導入。  (残存せず)
早市産業菅原町6-6産業繊維(織物)戦前戦前に建設された織物工場で、主にレースの製造を行ってきた。
新報国製鉄新宿町5-13-1産業金属(製鉄)S14三徳興業叶越工場として設立され、昭和25年に新報国製鉄と対等合併。建設当時の姿の棟や設備が現存。
新報国製鉄
兜ミ山製作所脇田本町31-1産業機械S9ごろ昭和9年ごろに建設され、農機具を作ってきた工場であるが、現在は使用されていないようである。  (残存せず)
竃セ工社川越工場菅原町4-5産業機械T〜S配電機器の工場。建物の東側から見て右側の瓦屋根は大正から昭和にかけての時期のもの。
川越織物市場松江町2-11-10産業商業M43明治時代の市場建築で、旧状をよくとどめる。この種の建築では関東唯一の残存例。一部を住宅に改造。
田中屋美術館仲町6-4産業商業T4木・漆喰桜井商店が自転車販売店として建設したもの。外観は洋風であるが、構造は土蔵造である。
田中屋美術館
レーシングスポーツ フジタ元町2-3-4産業商業T8外装をトタン張りした看板建築の典型。昭和に一般化した様式であるが、大正にこれを取り入れた早い例。
高松屋菓子店・田中屋履物店連雀町15-1産業商業T9以降木造でありながら煉瓦造りのイメージを出そうとした建物で、タイル張りの良さが出ている秀作。
みこもり煎餅連雀町15-1産業商業T9トタン張り洋風建築の秀作であり、柱型や窓枠を強調しない、やや和風な感じのする建物。
太陽軒元町1-1-23産業商業T14 昭和初期に洋食屋の店舗として建設されたもの。当時のハイカラな精神が建物全体にあふれている。  (川越市都市景観重要建築物指定)
轟氏宅・片岡商店連雀町32-1産業商業T14カフェとして建設された長屋。5連の横長窓の轟氏宅側と5連の縦長窓の片岡商店側の対比がおもしろい。
旧商工会議所松江町2-1-8産業商業T末〜S初コンクリート県内最初の商工会議所として建設されたもので、昭和初期の小事務所建築の好例。のちに青年会議所となった。 (現アクサ生命)
大塚美容室幸町1-5産業商業S22軒長屋ではあるが、パラペットを1つ1つ変えたデザインにしているのが特徴。
虚沒c書店久保町4-6産業商業S3昭和初期の洋風店舗の代表例の一つで、1階部分は改造されているが、それ以外は建造時の姿をとどめている。
スナック澪久保町11-8産業商業S4県道から喜多院の北参道入口にあり、町並にとっては門柱のような存在となっている。1階部分の改造は大きい。  (残存せず)
太田屋茶店久保町6-7産業商業S4福田書店と共に昭和モダニズムの町並を作っている。元は同じファサードを持つ建物が右側に連続していた。
大野屋洋品店連雀町13-10産業商業S5屋根は伝統的な瓦の葺き方であるが、鬼瓦は洋風。パラペットの上から屋根を積極的に見せる意匠が特徴。  (川越市都市景観重要建築物指定)
近藤額縁店松江町1-21-13産業商業S5西洋の城の立上り壁を思わせるパラペットのデザインが特徴。
湯宮釣具店(そば百丈)元町1-1-15産業商業S7 川越の看板建築の最高峰で、看板建築の地方への波及を知る上での好例。  (国指定登録有形文化財、川越市都市景観重要建築物指定)
丸栄(シマノコーヒー大正館)連雀町13-7産業商業S8昭和初期の洗い出し仕上げの洋風建築の中で最もデザインが勝れているものの一つ。アーチの多用が特色。  (川越市都市景観重要建築物指定)
川越薬業協同組合三久保町4-7産業商業S8装飾が少なく、2階建ての建築物としては高いプロポーションの建物。
平澤屋・富士洋品店・西川氏宅仲町5-3〜5-6産業商業S8(推定)昭和8年に中央通りが開通した際に建設されたと思われる4軒長屋。トタンを外装に用いた看板建築の典型。
三宝電気叶越営業所久保町8-12産業商業S10 川越の看板建築として一般に見られるような屋根を隠すパラペットの立ち上げがないデザインが特徴。  (残存せず)
旧山吉呉服店仲町6-6産業商業S11コンクリート川越初の百貨店。大オーダーを持った本格的百貨店建築で、正面中央にレリーフがある。設計は保岡勝也
寝具の店 せきぐち大手町15-4産業商業S初〜10年代2階窓と壁面の切込み方や分割の仕方に斬新さが見られるデザイン。
キンカメ時計店幸町2-15産業商業S初〜10年代洗い出し仕上げの洋風建築で、パラペットや柱型上部にあるレリーフがポイント。
松杵粉名店元町1-13-2産業商業不明川越の町並を特徴づける看板建築の一つ。細部よりプロポーション全体としてのバランスを取っている。
旧第八十五銀行本店
(あさひ銀行川越支店)
幸町4-5産業金融T7鉄骨・コンクリート第八十五銀行の本店として保岡勝也の設計、印藤順造の施工で建設された。川越の町並のランドマーク。  (国指定登録有形文化財、川越景観百選)
旧武州銀行川越支店
(川越商工会議所)
仲町1-12産業金融S3コンクリート武州銀行川越支店として建設され、現在は川越商工会議所として使用。設計は前田健二郎、施工は清水組。  (国指定登録有形文化財、川越市都市景観重要建築物指定、川越景観百選)
川越商工会議所
旧六軒町郵便局(川越木材工業且末ア所)(ベニーノ)田町5-1産業通信S2昭和12、3年ごろから50年代半ばまで郵便局として使用。志村岩太郎の設計、森留吉の施工で、鋭角の角地を活用。  (国指定登録有形文化財、川越市都市景観重要建築物指定)
ベニーノ
新富町郵便局新富町1-11-3産業通信戦前閉鎖性が高く、当初より郵便局として建てられたものと思われる。庇以外は大変シンプルなデザイン。  (残存せず)
旧鶴川座(川越プラザ劇場)連雀町8-3産業娯楽戦前川越に残る戦前の劇場としては唯一のもの。入口周りは改造されているが骨組は当初のまま。
的場地区内の霞堤的場地内土木河川M以前 古くからある入間川の堤防で、明治43年測量同45年発行の迅測図には既に記載されている。
高澤橋たもとの擁壁元町2丁目地内土木河川T7ごろ明治43年の大水で被害を受けた高沢橋が架け替えられた際に設置されたと思われる。堅牢で美しい建造物。
牛子堰・共栄橋木野目2006-2ほか土木河川S11コンクリート堰と橋が一体となった施設。堰の保存状態はよいが、共栄橋は古い橋の上に新たな橋を架けており、状態は悪い。
田谷橋・田谷堰・二丁町用水樋管・宮下用水樋管・田谷用水樋管宮元町25ほか土木河川S13コンクリート赤間川(現新河岸川上流部分)の流路変更により設けられた堰を中心とした施設。川越景観百選の一つ。
三軒家樋管渋井1639-2地先土木用・排水路M年間煉瓦イギリス積の煉瓦造の樋門で、扉回りは切石でできている。明治時代の竣功と推測される。
笹原門樋古谷上2958地先土木用・排水路M34煉瓦沼口門樋の下流にある樋門で、扉以外は旧状をよく保っている。規模も比較的大きく、煉瓦はイギリス積である。
沼口門樋古谷上2212-2地先土木用・排水路M38石・煉瓦伊佐沼の水を農業用水として取り入れるための水門で、擁壁は煉瓦、本体は御影石でできている。
二枚橋古谷上68-2ほか交通道路T13コンクリート国道16号線の旧道の橋で、九十川に架かる。竣功時の銘版も現存。
琵琶橋小仙波3-12-6地先交通道路S10コンクリート灯籠の火袋のような親柱のデザインが特徴。手摺がガードレールに取り替えられており、老朽化も著しい。
富士見橋富士見町28ほか交通道路S11コンクリート台地から平野部にかかる切り通しに架かる陸橋で、アーチのカーブが美しく、銘版もある。川越景観百選の一つ。
宮下橋宮下町2丁目ほか交通道路S13ごろコンクリート老朽化が目立ち、銘版もない。昭和13年の河川改修及び田谷橋と共通したデザインから年代を推定。  (残存せず)
東武東上線赤間川橋梁(上り線)野田町地内交通鉄道T3鋼・煉瓦東武東上線の開通時に設置された橋梁で、橋長41.430mの6連のプレートガーダー橋。天野工場の銘版あり。
東武東上線陸橋旧橋脚小ヶ谷地内交通鉄道T3ごろ煉瓦東武東上線の開通時に設けられた陸橋の橋脚。現在は使われていない。入間川周辺に残る一連の橋脚の一つ。
東武東上線橋脚脇田本町35交通鉄道T3ごろ煉瓦東武東上線の開通時に設置された橋梁。開通時の橋脚が残っている。
東武東上線入間川橋梁的場側橋脚上戸新町37交通鉄道T5ごろ煉瓦東武東上線の延伸に伴って設置された入間川橋梁の的場側の橋脚。
JR川越線豊岡街道跨線橋東田町27ほか交通鉄道S9〜13コンクリート旧国道16号線を跨ぐ陸橋。川越線の開通に伴って架設されたもの。
JR川越線荒川橋梁古谷上交通鉄道S11川越線が荒川を渡るために架設された鉄骨造の橋梁。竣功プレートが現存。  (川越景観百選)
JR川越線九十川橋梁並木704-4地先交通鉄道S11ごろ川越線開通時に架設された鉄骨造の橋梁。竣工プレートは確認できず。
JR川越線新河岸川橋梁岸町1丁目ほか交通鉄道S11新河岸川に架かる川越線の橋梁で、東京の石川島重工の設計・施工による。竣功プレートも現存。
JR川越線入間川橋梁的場交通鉄道S11入間川に架かるJR川越線の鋼製桁橋で、竣功プレートも現存。設計・施工は横河橋梁製作所東京工場。
JR川越線脇田陸橋脇田本町34交通鉄道S13県道と西武新宿線とを跨ぐ陸橋で、横河橋梁製作所東京工場の設計・施工。竣功プレートも現存。
JR川越線鳥頭坂の跨線橋新宿町2-10ほか交通鉄道S15以前コンクリート川越線開通に伴って設けられた路線橋。川越線がトンネル内を通り、上部を東武東上線と国道が通る。
JR川越線的場駅的場1314交通鉄道S15ごろ川越線開通に伴い設けられた駅舎で、小駅舎の標準タイプと見られる。屋根の葺替えや外装の小改修あり。
JR川越線笠幡駅笠幡3732交通鉄道S15ごろ的場駅と同タイプの駅舎。屋根の葺替えや外装の小改修がなされている。
JR川越線南古谷駅並木252交通鉄道S15ごろ昭和15年の川越線開通に伴い開設。屋根の葺替え、外装の吹直しなどの小規模な改修が行われている。
東武鉄道クハユ290形荷物電車クハユ293号(詳細不明)交通鉄道S2 荷物電車の初期の車両で、日本車両製。昭和50年ごろ川越工場入換用車両となり、現在は倉庫に代用されて残存。
日本陸軍97式軽貨物車(詳細不明)交通鉄道S19 旧日本陸軍の制式貨車で、終戦と同時に東武鉄道で保線用などに使用された。汽車会社製。
仙波河岸仙波町4-21-1ほか交通水運M12〜13 昭和6年まで使われていた河岸の遺構で、昔日の地形を比較的よく残している。史跡公園としての整備が計画中。  (川越景観百選)
中野氏宅幸町13-5その他医療T年間大正期の下見板張の医院建築の典型で、端正なデザインの建物。現在は住居として使用。
佐藤小児科医院中原町1-12-2その他医療T8下見板の外観をした典型的な大正期の医院建築。左右対称の形が美しい。改修の後、棟をトタンで覆っている。  (平成15年懐)
小峰病院菅原町20-1その他医療T13 大きな急勾配の屋根が特徴的で、ヨーロッパの農家を思わせるような建物である。  (残存せず)
三森整形外科病院三久保町6-4その他医療S6以前産婦人科の医院として建設され、後に外科医院となる。手術室や入院施設も持った、昭和初期の医院の典型例。
川越病院の門詰所末広町1-8-4その他医療戦前ドームの載った2間四方の小建築であり、病院入口に昔の姿のまま残っている。現在は使われていない。  (残存せず)

首都圏 名建築に逢う」 東京新聞編集局編・著 東京新聞出版局 2008年 ★★
第2章 埼玉・多摩地区
14 旧六軒町郵便局
 染みついた歴史
 蔵造りの町並みが残り、小江戸として親しまれている埼玉県川越市。そんな江戸情緒漂う町の片隅に、旧六軒町郵便局はたたずむ。白い木の壁に赤い屋根の洋風建築。一階にはイタリア国旗が、二階の窓からはタイの国旗がのぞく。屋内には、かつては郵便局だったことを忘れさせるようなしゃれた内装が施され、二つのレストランに変身。OLや近所の主婦らでにぎわう。
 一九二七(昭和二)年、材木商の銘木の展示場として建てられ、十年後の三七(昭和十二)年、特定郵便局に転用されることになった。当時、付近にはこの旧六軒町郵便局しか金融機関がなかったため、郵便局と周りの商店街は栄えたという。「郵便局は町内の中心的な存在でした」。材木会社「カワモク」社長で、局舎を先代から引き継ぐ鈴木健二さん(42)は振り返る。用もないのにわざわざ用事を探しに人が集まってきた。「川越まつり」に繰り出す町内の山車も、郵便局の前から出発して市街地へ向かった。
 二十六年間、郵便局長を務めた新井勇さん(72)はその時代を懐かしむ。窓口で年金を受け取ったお年寄り達は何度も頭を下げ、うれしそうに帰って行く。次に来局する時に団子や果物を差し入れてくれたお年寄りもいたという。「国のお金を支払っただけなのに、人情が厚い、よい時代だった」
 郵便局は八〇(昭和五十五)年、手狭になったことや防犯上の理由で移転し、人の流れも変わり始めた。通りの車の交通量の増加と反比例するように、人は少なくなった。利便がよい、少し離れた川越駅周辺が発展したからだ。
 郵便局移転後、局舎は楽器店、カルチャーセンター、「カワモク」事務所へと次々に姿を変えた。局舎を取り壊してアパートや駐車場を造ろうという意見も出た。だが、地元住民らの働きかけもあり、旧六軒町郵便局(正式名称は「カワモク本部事務所棟」)は九七(平成九)年、国の登録有形文化財に指定された。鈴木さんは「哀愁が漂い、守らなければならないという意識に駆られる建物なんですよ。だって同じ形の建物は造れても、染みついた歴史はつくり直せないから」。
(山口哲人)
東武東上線の川越市駅から徒歩約3分、西武新宿線の本川越駅からは徒歩約7分。埼玉県川越市田町5の1
15 手打ちそば百丈
 蔵の街照らした銅の箱
 埼玉県川越市の顔とも言える蔵造りの街並みを少し東に外れた一角に、「手打ちそば百丈」が店を構えたのは一九九八年。以来、昼時には、市役所や裁判所の職員がそばをかき込み、近所の人はビールを飲んで一息つく。
 道路に面した店の正面に軒はなく、平らになっている。「看板建築」と呼ばれる箱形の店舗は、青緑色で所々黒ずんでいるが、独特の造りが人々を惹きつける。
 昭和初期に建てられたとき、この建築物は赤く輝き、街の人々を仰天させたという。蔵が建ち並ぶ小江戸川越の街並みの中で、明らかに異彩を放っていた。その絢爛さの正体は、外壁一面に張り巡らされピカピカの銅板だった。
 当時は「湯宮釣具店」の住居兼店舗だった。ここで生まれ育った湯宮宏之さん(40)は「自慢の家だった」と振り返る。木造三階建てはまだ珍しく、洋館のようで風変わりな雰囲気は羨望の的だった。
 湯宮さんが幼少のころ。父親が営む釣具店は、かなり繁盛していたという。しかし、大型チェーン店の進出などで、店ははんこ販売が中心となり、看板は「湯宮商店」に掛け替えられた。湯宮さんの父の代で店は畳まれ、九七年ごろ売りに出された。
 後に百丈を開店させる鈴木美恵子さん(62)はそのころ、店を始める物件を探し歩いていた。近くで生まれ育った鈴木さんは、昔から銅板の張られた建物に愛着を持っていた。土地建物を買い取る資金はなかったが、友人が購入して鈴木さんに賃貸してくれることになった。
 店舗は確保できたものの、築六十年を超えた建物は至る所が傷んでいた。「どうしようもなくボロボロで、傾いてさえいた」と鈴木さんは振り返る。「きっときれいに生まれ変わるよ」と言ってくれた建築士の弟が、設計から施工まですべてをこなした。さびて味のある銅板はそのまま残し、手を加えなかった。一方、内装は「家一軒建てられるぐらいの費用がかかった」というほどの大修繕だった。
 関東大震災後、東京の下町を中心に建てられた看板建築は時代とともに姿を消していった。のれんを変えつつも川越の人々に愛されてきたこの建物は九九年十月、国の有形文化財に登録された。
 
(山口哲人)
西武新宿線の本川越駅から徒歩約20分。JR・東武東上線川越駅からは、東武バスの「埼玉医大」「川越運動公園」行きなどで「市役所前」停留所下車すぐ。埼玉県川越元町1の1の15

「近代埼玉の建築探訪」 朝日新聞さいたま総局編 さきたま出版会 2006年 ★★
西部エリア
047 手打ちそば 百丈
056 蔵造り一番街
063 旧八十五銀行本店(現・埼玉りそな銀行川越支店)
067 旧武州銀行川越支店(現・川越商工会議所)
070 旧カワモク本部事務所棟(現・タイ料理店、イタリア料理店)
074 旧川越織物市場
082 佐久間旅館
付録
埼玉県所在登録有形文化財リスト
埼玉県近代化遺産リスト

※川越の近代化遺産について、掲示板に情報が寄せられましたので、ご紹介します。
川越の近代遺産  No: 77 [返信][削除]

投稿者:中野大納言俊介  03/06/06 Fri 00:53:36
 川越原人様 はじめまして。
市内在住の中野と申します。 よろしくお願い申し上げます。

鶴川座保存の件で調査していたら、こちらにヒットいたしました。
川越市内の近代化遺産一覧は、現地訪問の手掛かりに役立ちますが、すでに刊行後7年を経過し、現状と異なっているのもいくつか見受けられます。

1.川越市都市景観重要建築物等に指定された建物。
 (有)福田屋書店、太田屋茶店、 旧商工会議所
2.リニューアルされた建物
 中野家住宅(歯科医として営業中です)
3.解体された建物
 佐藤小児科医院(本年3月末でマンション建設のため解体)

また、菅原町の小峰医院も数年前に解体され、現存していないはずですが勘違いかもしれません。

今度の休みにでもリスト片手に歩いてみる予定なので、結果をご連絡いたします。

では、また。

洋風建築の写真1   洋風建築の写真2   洋風建築の写真3   洋風建築の写真4

近代化遺産の写真1   近代化遺産の写真2

 川越の近代化遺産川越織物市場の中にあります)


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作成:川越原人  更新:2014/6/7