川越の動物誌


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埼玉四季の鳥きょうも、いいネコに出会えたさいたま動物記続川越歴史随筆ポケット図鑑 昆虫

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増補埼玉四季の鳥」 埼玉県野鳥の会編 埼玉新聞社 1988年(初版1983年)  ★★
本編(鳥種)
 カルガモ  ガンカモ科
 屋外で「鳥を見る」ようになって十年ばかりの年月が流れたが、初めの頃は、野鳥の会の存在も知らず、図鑑と首っぴきの日がしばらく続いた。
 今から思うとなんでもない事なのだが、その頃の思い出にカルガモがある。
 カモ類の雄は、夏から晩秋にかけては、エクリプスと呼ばれる、大変地味な色になる。日本に渡ってきてしばらくはエクリプスの状態で、初冬になると雄は、各種独特の色彩を持つようになる。私はこのエクリプスの状態を知らずに、日本へ渡ってくるカモはほとんどがカルガモで、時期が来ると他のカモになるのかと思っていた。
 知識がないというのは恐ろしい事であると思うと同時に、カルガモを見ると、ついこの頃のことを思い出してしまう。
 逆に考えると、そのくらいカルガモは地味な色彩のカモなのである。
 鳥を見ている若い女性に、「なぜ鳥を見るようになったのですか」という質問をして、「カルガモが大好きだからです」という答えは、間違っても返ってこないだろう。
 もう三年も前になるだろうか、私のフィールドである伊佐沼(川越市)での冬のある日、干上がった沼のほとりを歩いていると、カルガモが数b先をバタバタと擬傷のようなかっこうをしているところに出会った。
 繁殖期でもないのにおかしいな、などと思いながら近づくと、まだバタバタとして、飛び立つ様子もない。よく見ると、ハンターにでもやられたのか、右の翼がなかった。私はすぐに川口市の動物病院へ持っていった。いつも見なれているカルガモではあったが、嘴(くちばし)の鮮やかなオレンジ色と抱いた時の暖かさは、今でも私の手の中に残っているような気がする。
 地味なカルガモではあるが、オオヨシキリのさえずりがひとしきり終わった頃、十羽近いヒナを連れて葦(あし)の生えているあたりを泳いでいる家族を見ていると、私あ地味だからこそ一層愛着を感じる。
(斎藤 洋一)
@全長60cm、大きなカモでこげ茶の体、淡色の顔に2本の黒線があり、くちばしの先はオレンジで足は橙色 Aグエッグエッ B1年中 C湖沼、水田、河川などの湿地で繁殖
 カワセミ  カワセミ科
 「鳥を見る」という行為が、市民権を得て久しいが、「バードウオッチング」の横文字をよく見かけるようになったのは、このカワセミのおかげではないかと私は思っている。
 いにしえの人は、「翡翠」などという優雅な名前をつけて、好んで絵のモチーフとしたり、俳句に用いたりしていたようである。しかし、最近は環境汚染とか環境保護とかのバロメーターになったり、また日本的な色彩感覚では捉え切れない美しさからなのか、時に女性のファンをとらえて離さない。
 体の下面のオレンジ色と、上面のブルー、特に腰のコバルト・ブルーはいつ見ても天然の配色の妙を感じさせる。
 その上、嘴(くちばし)が大きく、尾は短く、若い女性達に限らず誰でも、「可愛い!」と思わず声に出してしまいそうである。
 野鳥の会でも探鳥会にカワセミが見られると聞くと若い女性が増えるのも、そのせいかもしれない。
 こうした事情などとともに、カワセミの主食である水生昆虫や小魚の存在が、環境保全のバロメーターとなっているためもあって、野鳥の会においても、サンクチュアリのシンボルマークになっている。
 私がこのカワセミを初めて見たのは、今から十余年前の高校時代のことである。
 恋人を呼ぶにはほど遠い女性と、鎌北湖でボートに乗り、たわいのない話をして、つかの間の時を過ごしていた時に、私達の頭上を「チーっ」とコバルト・ブルーの見慣れない鳥が飛んで行った。これが、カワセミとの初めての出会いであった。
 最近は、河川の護岸工事が進んだためか、カワセミの住む所は著しく狭められていている。しかしこの文章を書き始めた朝、わたしのフィールドである伊佐沼でも見られたのは、私にとってはせめてもの救いである。
(斎藤 洋一)
@全長17cm。黒く長いくちばしで光沢のある緑色の体、背から腰はコバルト色で胸はオレンジ色、♀は下くちばしが赤い Aチーッ B1年中、冬は平地へ移動 C平地から山地の池沼や河川 D農薬の規制で、近年平地に戻ってきている
 イワツバメ  ツバメ科
 尾瀬沼の長蔵小屋の前で、たくさんのイワツバメが、巣づくりのための泥をとっているのを見たことがある。本物の燕尾服(えんびふく)で、ビシっと決めているのだが、短い足で地面におりると、まるで腹をこすっているようであり、まことに滑稽であった。チョリチョリチョリチョリという声が、燧(ひうち)ケ岳を背景にした湿原に溶けこみ、冷たい空気とともに、山深い雰囲気を醸(かも)し出していた。そのとき以来、イワツバメ=高い山の鳥の等式が頭を支配していた。期待に違わず、五月下旬に登った武甲山の山頂では、さらにはるか高い空をイワツバメは飛び交っていたし、三峰山から雲取山に登ったときも、やはり、頭上高く飛び交ってくれていたのである。
 ところが、このイワツバメ、最近では、低地でも繁殖が目立つようになってきた。県下の低地では、川越や熊谷周辺などで、繁殖が確認されているが、これからも繁殖確認地は拡大されるだろう。
 1982年の5月、黒目川でツバメに混じって数羽のイワツバメが飛んでいるのを見かけた。そのときは、渡りの途中だと思っていた。7月の下旬、再び同じ所に行ってみると、6羽のイワツバメが飛び交っていた。近くの工場のビルと川とを往復していた。おそらくそのビルで繁殖していたのだろうが、確認には至らなかった。
 小学校六年生の頃、手紙の書きだしに、例えば、秋であれば、「ヒヨドリが柿の実を……」とか、「モズの高鳴きが……」などという文句を使って、手前みそで「乙(おつ)な文句」と思っていたことがある。イワツバメも、林間学校から出す絵葉書に、「毎朝イワツバメの……」として御登場いただいたのだが、ヒヨドリは一年中、イワツバメも街中で見られるようになってしまった。これでは現代人が筆無精になるのも、分かるような気がするのは私だけだろうか……。
(品田 孝雄)
@全長14cm。黒い背に白い腹、腰が白く短い尾がある Aジュル、ジュル B3月中旬〜10月 C人家や建造物につぼ型の巣を作り、集団で営巣 D飯能、秩父のほか入間、狭山、所沢で繁殖、近年分布域が北上している
 カイツブリ  カイツブリ科
 伸び始めたムギ畑の向こうから、ケレレレという独特な鳴き声が、いくつも聞こえてくる。近づくと広い沼のそこかしこに、小さな水鳥が散らばっている。頭から首にかけてルビーのような赤が鮮やかだ。ついと水に潜り思いがけぬところに、ぽかりと浮き上がる。ときには、しぶきを立てながら水面を走るように飛び、追ったり追われたりしている。まだ風は冷たく、葦(あし)も芽ぶいていないが、もう繁殖期に入ったのだろう。それはまた伊佐沼(川越市)のカイツブリの四季の始まりでもある。
 気の早い何羽かは、梅雨に入らぬうちに、巣づくりにかかるようだが、沼がにぎわうのは、やはり本格的な夏が来てからだ。ヒシの緑に覆われた水面には、浮き巣が点々とし、その一つ一つで親鳥は抱卵に余念がない。岸のマコモの陰では、かえったばかりのヒナたちが、かわいい鳴き声で餌をねだっている。オレンジ色のくちばしと縞模様のうぶ毛が、親がくわえている小魚めがけて、必死といった感じで泳いでいく。運がよければ、航空母艦のようにヒナを背負ったカイツブリを見ることもできるだろう。
 そんなヒナが親鳥ほど大きくなり、親鳥も冬羽に変わって区別がつかなくなると、伊佐沼に秋が来る。カイツブリたちは、キンクロハジロやオナガガモと入れかわるように、沼から姿を消し、冬の初めには、ほとんどいなくなってしまう。このころ、カイツブリの多くは大きな川に出て行くといわれているが、たしかに、一団となって川を上り下りする小さな水鳥たちは、冬の荒川の風物詩の一つだ。
 だが、わからないのは、彼らの移動の方法である。沼や池から小川や用水堀伝いに、泳いで行くのだろうか。それとも、恐らく夜、一気に空を飛んで川をめざすのだろうか。
 それにしては、カイツブリが1b以上の高さを飛ぶのを見たことが、私は一度もないのだが。
(高野 昭)
@全長26cm。こげ茶色の体で顔は茶色、冬は淡い色 Aケレケレケレケレケレ、ピッピッ、ピリョン B1年中 C湖沼、池、河川
 ササゴイ  サギ科
 日常のなんでもないような些細(ささい)なことでも、興味を持って凝視(ぎょうし)して見ると思いがけない美しさに出会ったりすることがたびたびある。
 仕事が忙しく、毎日の生活にどっぷりとつかり切っている日々のそんなある日の帰宅途中、ふと見上げた星空の美しさに、思わず忘れていたものを思い出すのも、こんな時である。
 水辺のサギ達もそんな風景の中にいないだろうか。昔から「サギ」の名称で、十把一からげのように扱われて、古今の文人画家にとり上げられてはいるが、あいも変わらず「サギ」なのである。
 シラサギの場合はまだしも、ゴイサギやササゴイは、取付く島がないのではないだろうか。
 見てくれはいいとは言いがたいし、夜間飛行中の鳴き声は、決して気味のいいものではない。
 私もそんなふうに見慣れてしまっていた時があったが、ササゴイとは妙な取り合わせで、思いがけない出会いをした。
 学生時代も終ろうとしていた頃、アルバイトの最中に大きな交通事故に遭い、しばらく入院生活を送った時のことである。
 骨折の手術も済み、下半身を固定されたままの私は、初夏の汗ばむ日々にベッドの上から外を飛び交う鳥をうらやましげに双眼鏡で見ていた。
 そんなある日の夕方、川越の市街地には古い家が点々とあるが、その中の一軒の銀杏(いちょう)の木の若葉の中にこのササゴイがいたのである。
 こんな市街地の銀杏の木にもササゴイはいるのかと、それから私は、退隠する日までこのササゴ夫婦の生活をベッドの上から垣間見(かいまみ)ることになったのである。
 病院での生活はひどく単調なため、初夏の朝は、四時には目が覚めてしまう。私が目を覚ます頃に銀杏の木に帰ってくるササゴイを見ていると、ついうらやましくて、私にも羽があったらな、と大人気ない空想をしたものであった。
(斎藤 洋一)
@全長52cm。紺色の体で首は長い。胸と腹は灰色 Aキュウ、キュウ B5月中旬〜10月中旬 C河川 D主に夜に活動
 バン  クイナ科
 アダムとイヴの物語ではないが、もしもこの世界を創り上げた神様がいるのならば、かなりのジョークの持ち主ではないか、と私は思っている。
 こんなふうに一人思いこんでいるのには、大きな理由がある。
 私が初めてバンに会った時から、こんな思い込みをするようになった。
 鳥と言うと、あまり詳しくは知らない人でも、大空を舞う、ワシやタカ、華麗なカワセミのような鳥に思いを馳せる人が多いことと思うのであるが、バンにその思いをこめる人はそう数多くはいないだろう。
 私が足しげく通う伊佐沼(川越市)にも、彼らは周年住みついている。
 夏の明け方など、早いうちからハスの葉の間を縫うようにして、あの特有な「クルル」という声を交わしながら一日の糧を求めている。
 彼らを初めて見た頃は、同じ鳥でも、カラスでもないのになぜ造化の神はあのような黒い色と、赤いルージュを纏(まと)わせてしまったのかと思ったものだった。
 あの褐色と濃いルージュは、真夏の太陽にこんがりと焼けた若い女性もとうていかなわぬと私は思う。
 しかも、白いアクセントが付いているなんていうのは、ジョークのある神様ではないと、できないわざだと感心してしまうのである。
 バンが人影のない水辺で、水に浮かびながら、あのユーモラスな姿で首をふりふり、エサを求めているのを見ると、なんとなく一人笑いをしてしまうのである。
 つい先日も、望遠鏡で伊佐沼の対岸を見ていると、二羽のヒナを連れた親子連れが視野の中に入ってきた。
 母親らしそぶりの一羽は、二羽のヒナに首をふりふり「食事の種はこうやって拾うのだよ」と言わんばかりに、教えているように私には思えた。
 こんなのどかな風景が、いつまでも続いてほしいものである。
(斎藤 洋一)
@全長32cm。体は黒く顔は赤い、わき腹に白い線がある Aクルル、クルル B1年中 C水田、湿地、河原のアシ原
 アオサギ  サギ科
 鳥を見始めてしばらくすると、誰しもが余り普段見られない鳥とか、その時期にしては珍しい鳥とかに興味をそそられ、身近なフィールドで見られる、他愛のない、普通に見られる鳥達をつい忘れてしまう時がある。
 それは、遠くの美しいものに憧(あこが)れて、身近にある大切なものを見失ってしまうことが日常の生活にあるのによく似ている。
 ところが、何かの拍子に、急に見えてくることがある。
 鳥の仲間でも、サギ類というのは、バードウォッチャーの対象としては、割に見過されがちな種類なのではないだろうか。
 私がそんな思いを改めたのが、アオサギとの出会いだった。
 自宅から車で五分ほどの所に、私が足繁く通う伊佐沼(川越市)がある。この沼は農耕用の沼であるためか、秋には干潟(ひがた)があらわれ、束の間ではあるが、朝夕はサギ達の糧(かて)を得る場所となる。
 そのためか、旅の途中のシギ、チドリに混じって、小魚やザリガニなどを捕食しているサギ達の姿に会うことがある。
 そんな秋の朝のことだったと覚えている。一面にもやがかかっていて、視界はほとんどきかなかったが、プロミナーで見ると干潟の出始めた沼の中央部にツルかと見違える大きな鳥が、水面に姿を映してじっと立ちすくんでいるのが見てとれた。
 風が出てきて視界が晴れると、それが大きくはあるが、若いアオサギであることがわかった。
 彼は、しばらくの間は、敵を待つかのようにじっとしていたが、やがて来る時が来たと思ったのか、三歩ほどすり足のようにして前進したかと思うと、次の瞬間には嘴(くちばし)の間には、大きなアメリカザリガニが捕えられていた。その光景はほんの数十秒の短い時間ではあったが、まるで映画の一シーンを見ていたかのように、私の心に焼き付いている。
(斎藤 洋一)
@全長93cm。日本のサギで最大、背は灰色で目の上に黒い帯があり首に黒い縦すじがある。 Aゴアー B1年中(8月〜3月に見られることが多い) C河川 D利根川などの中洲
 コハクチョウ  ガンカモ科
 ハクチョウというと、「白鳥の湖」という有名な曲があるためか、どうしても湖のイメージが強いが、県内にはハクチョウが定期的に飛来する湖はひとつもない(川越市の伊佐沼と所沢市の狭山湖で数度記録がある)。
 県内でただ一ヵ所のハクチョウの定期的な飛来地は、坂東大橋(本庄市)付近の利根川の水面である。ハクチョウの訪れる場所というと、餌づけをしている所が多く、観光の対象となったりして動物園的な所さえある。もちろん、餌を与えている人は観光のためではなくて野鳥のために与えているのだが、管理人の撒(ま)く餌に先を争って群がっているハクチョウの姿は興醒(きょうざ)めである。しかし、坂東大橋の場合は、雄大な水面に優雅に浮かび、またわざわざ見に来る人も少ない。遠くから双眼鏡や望遠鏡で眺めるその姿はまさに野鳥という情緒がある。
 ハクチョウにはオオハクチョウとコハクチョウの二種類あり、嘴(くちばし)の黄色と黒の割合で区別できる。しかし、こんな区別をして喜ぶのは野鳥好きの人だけで、一般的には公園などに放されているコブハクチョウも含めて、ハクチョウとまとめて扱われることが多い。
 東北地方などのハクチョウの飛来地として有名な湖や入江では、オオハクチョウが多く、コハクチョウが少ないが、坂東大橋では飛来する数十羽のほとんどが、なぜかコハクチョウである。これはオオハクチョウのほうがいくらか大きいので、南まで飛ぶのが大変なのと、大型ゆえに多少寒くてもがまんできることからかもしれない。あるいは単にコハクチョウは大集団よりもこじんまりした小集団が好みなのだろうか。
 何はともあれ、本県にハクチョウを迎えられるのは喜ばしいことだが、心ないハンターに撃ち殺された例があるのは残念なことである。餌づけまでは必要ないとしても、利根川全体を銃猟禁止区域にして、近くで猟銃の音のしない静かな水面で、厳しい冬を過ごさせてあげたいものである。
(赤羽トモ子)
@全長120cm。白い体で首は長く、くちばしの先が丸く黄色 Aコオー、コオー B10月下旬〜3月 C湖沼、河川 D本庄の利根川は定期渡来地
 キンクロハジロ  ガンカモ科
 キンクロハジロというと、思い浮かべるのは、金色の陰険そうな目と、それとは対照的な、ひょうきんな冠羽である。キンクロハジロから冠羽をとったら、陰険そのもののスズガモになってしまう。もちろん、キンクロハジロとスズガモの違いはそこだけじゃないけれど、光線の具合で色彩がはっきりしない時は、冠羽があるかないかだけで決めつけてしまう。こんなことを書くと、なんだかキンクロハジロやスズガモに、敵意を持っているようだと誤解されそうだが、けっしてそんなことはなく、むしろ親しみを感じているからこそ、ついつい勝手な性格づけをしてしまうのだ。ただこちらの事情がそうであっても、キンクロハジロやスズガモにしてみれば、迷惑この上ない話であろう。しかし彼らにとって、もっと迷惑なことがある。それは狩猟鳥に指定されているということである。他のカモ同様、彼らも毎年十一月十五日から翌年の二月十五日まで、冷たい銃口の影に怯(おび)えなければならないのである。せっかく北の国から海を渡ってやってきたのに、人間の趣味だけで撃ち落とされるのだからたまったものではない。これが、ワシとかタカのように、捕まえることを業としているもの達に殺されるのなら、厳しい自然界の掟(おきて)としてあきらめもできるのだろうが。彼らにとって迷惑な話はもうひとつある。それは、撃たれる撃たれないという以前の問題として、彼らの生活の場そのものが、私たち人間の手によって狭められていることだ。毎年訪れる度に、生活の場が減っていくのでは、これもたまったものじゃない。こう考えると、キンクロハジロのあの陰険そうな目には、人間への憎しみが込められているように見えるし、ひょうきんな冠羽は、大きな力を持ちすぎた人間へのおべっかかもしれないと思ってしまう。まさしく、目はひきつっているものの、顔で笑って心で泣いてといった感じで、あの目が、いつかやさしく笑っているように見える時が、来ることを願ってやまない。
(堂本 泰章)
@全長40cm。黒い体でくちばしは灰色。♂は頭に長い羽があり、腹は白い B9月中旬〜4月下旬 C河川、湖沼 D荒川、久喜菖蒲公園、狭山湖、川越伊佐沼
 タシギ  シギ科
 タシギは、その名のように田に縁が深い。漢字で書くと田鴫で、田が二つ重なり、あちらこちらの田にいる鳥ということになる。海がなく水田の多い埼玉県では、一番なじみの深いシギである。
 けれども田の中のタシギは、以外にみつけにくい。日の高いうちは、あまり動きまわらず、枯れ草色、枯れ草模様の迷彩で、周囲の風景にまぎれこんでいるからだ。私も刈り入れのすんだ秋ケ瀬の水田で、望遠鏡に入れてもらったタシギが、どうしても見えず、情ない思いをしたことがある。
 そんな人間をみすかしているのか、気配を感じてもじっとしていて、知らずに近づくと急に飛び立ち、私たちを驚かせたり、くやしがらせたりする。タシギの目は普通よりも少しうしろにあり、視界が広いので、見ていないようでも、ちゃんと気づいているのだろう。いったん飛び立つと、打って変わってダイナミックで、雷光型の航跡と、長い嘴(くちばし)が印象的だ。
 シギは古くから日本人に愛され、記紀万葉の昔から多くの歌によまれているが、その一つに西行の「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕ぐれ」がある。私は長いこと、このシギはタシギだと思いこんでいたが、アオアシシギあるいはチュウシャクシギとする説が有力なようだ。足が短く、声も濁っているタシギでは、あわれを誘わないからだという。
 そういわれてみると、なるほどとは思うが、それでも私はタシギ説を捨て切れない。かつて晩秋初冬のころ、伊佐沼から薄墨色の夕空に飛び立つタシギをみて、西行のいうあわれが、身にしみたことがあるからだろう。そして、私は、その時以来、奥州平泉に二度旅した西行は、『伊勢物語』にも出てくる伊佐沼のあたりを通り、タシギに心を動かされたにちがいないと、ひそかに考えているのである。
(高野 昭)
@全長27cm。茶色の複雑な模様の体でくちばしは長く、顔に茶色の線がある Aジェッ、ジェッ B8月中旬〜5月中旬 C水田、湿地、河川
資料編
 県内探鳥地ガイド
 14 伊佐沼
 川越市の東北部外れにある伊佐沼は、平地にある用水池としては県下で最も大きい。かつては入間川の川跡沼だったが、古くから改修されて農業用水に使われてきた。今でも毎年、春から秋にかけて入間川から引いた水をいっぱいにため、沼から流れ出す九十川によって付近一帯の田をうるおしている。
 伊佐沼が本来の沼らしい風情を見せるのは夏である。紅白のハスの花が西岸の一角を飾り、オオヨシキリのさえずりが絶えないアシの間の水路をカルガモの一家が滑るように泳いでいる。マコモの茂みからバンやオオバンのヒナが顔を出し、ヒシの葉で緑一色になった水面では、カイツブリが点々と浮き巣をつくって抱卵に余念がない。
 けれども伊佐沼がもっと魅力的なのは、春と秋の渡りの季節だ。入間川にも荒川にも近いこの沼には、さまざまの野鳥が渡りの中継地として立ち寄ってゆくからである。キンクロハジロの群れに雑じってホシハジロやミコアイサやシマアジが羽を休め、ショウドウツバメの群れは朝と夕方に水浴びにやってくる。水が減って干潟(ひがた)になった浅瀬では、コチドリ・イカルチドリのほか、イソシギ・タカブシギ・クサシギ・アオアシシギ・ツルシギ・タシギなどが餌を探している。何年か前の春先には、アカエリカイツブリが一羽だけ姿を見せたし、アカエリヒレアシシギが初秋の数日を過ごしていった年もある。
 冬の伊佐沼は、その名が漁(いさ)り、つまり魚取りから生まれたといわれるように、網漁がよく行われる。そのため、網が打たれるとカモたちはいずこかへ消えていってしまう。それでもユリカモメが水面をかすめるように飛んでいたり、水際にはハクセキレイ・キセキレイ・タヒバリが餌を探している。ハマシギの群れが見られることもある。
 伊佐沼では、年に50種を超す記録がある。それはこの沼のさして広くない水面が、海のない本県では野鳥たちにとって、どれほど貴重かを物語っている。
(高野 昭)
 交通 大宮駅西口から本川越行バスで(本川越駅から大宮駅西口行バスで)伊佐沼冒険の森下車

「きょうも、いいネコに出会えた」 岩合光昭 新潮文庫 2006年 ★★
自由で気ままなニッポンのネコたちを追いかけて、全国を回る写真家イワゴーさん。今回は金沢、鎌倉、名古屋など、由緒正しい11の街並みを回りました。ネコはヒトを観察することのプロ、しっかりヒトの心理を読み取ります。いや恐れ入りました――ネコには頭があがりません。ファン待望のいいネコ写真集。かわいい仕種をたっぷりお楽しみください。

 川越(埼玉県)
蔵造りの多い町。道を歩いていてどこからか見られているような気がする。ネコ探しに静かに集中する。ネコの動きが見えてくる。

 埼玉県の川越に出かけた。まず地図を入手。地図とにらめっこしながら川越のネコを想像する。新しく開発された地域にはあまりネコを見かけない。ネコが出入りする隙間が少ないためだろうか。小江戸と呼ばれる川越だからネコの好きな隙間はいくらでもあるように見える。
 「鍵の手」、「七曲り」、「丁字路」、「袋小路」など川越の街にはほとんどネコの尻尾そのもののようなところが多いのに気がつく。ヒトならちょっとまごついてしまう。そんな路地にネコの出没率が高いようだ。
 大通りを避けて、本川越の駅前から東へと脇道に入る。歩き始めて5分もたたないうちにネコが道の真ん中でこちらを睨んでいるのに出会った。大きなオスだ。ちょうど自転車置き場のオヤジさんが、朝の通勤時間に間に合うように自転車の位置を変えていた。聞いてみると、「これはノラネコでね、チビ」と手を休めてオヤジさんが教えてくれて、「初めて見た時にはチビだったからね。今じゃウチのネコの3倍はある。ウチのは左甚五郎のネコにそっくりだ」と威勢のいい江戸っ子風。自転車置き場にもネコがいて確かに模様は東照宮の眠りネコによく似ていた。
 蔵造りが多い北へと足を向ける。取材は夏。容赦ない太陽が照りつける日。自然に陰に目が向いていく。そう、ネコは涼しいところをよく知っている。
 まず、ネコの写真を撮るためにはネコを見つけなければならない。そのための答えはただひとつしかないといつも感じている。歩きながらネコの気持ちになって考えてみる。
 車の下にいるネコ、クーラーの室外機の影にいるネコ、普通なら見えないはずのネコに気がつき始める。
 ネコは本来の野性を秘めている。見えるようでいて見えないところにいることで、太古から狩りをして暮らしてきたのだ。
 ネコの気持ちになる、ということは自分では気がつかないうちに肌や五感で自分自身の野性の部分をさぐっているのではないだろうか。ネコという動物のことを考えながら、ヒトという動物が本来持っている大切な感覚を引き出されていく。
 道を歩いていて確かに見られているような気がすることがよくある。この感覚がネコ探しには結構役に立つ。ネコ探しのために全身の感覚を駆使するのだ。いつもそうやってネコを探しているのだが、そんな日はぐっすりとよく眠れる。

「さいたま動物記」 毎日新聞さいたま支局 毎日新聞社 2001年 ★
鳥類
 「チョウゲンボウ」
   営巣地求め街へ――橋やビルでの繁殖例が増加
 「ムクドリ」
   都市緑地に「集団ねぐら」――農村環境が減少、安全な都会に活路?

 日が西に傾いたころ、編隊を組んだ鳥の群れが上空に現れた。9月上旬、春日部市の武里団地。群れは時間とともに増え、まるで大空に大量のごまをぶちまけたよう。一日の活動を終えたムクドリたちが、ねぐらに戻ってきたのだ。
 やがて、彼らは電線や並木のケヤキに舞い降りた。「ギャーギャー」「リャーリャー」というすさまじい鳴き声が周辺を圧倒する。加えて、あちこちにフンが落とされ、抜け毛が舞う。下を通る住民は傘をさしたり、手ぬぐいで頭を覆うなどして自衛に懸命だ。
 武里住宅管理組合事務長の松井達雄さん(68)によると、ムクドリが並木や公園に集まり始めたのは1988年ごろから。92、93年のピーク時、その数は3万〜4万羽に達し、「上空が黒い雲に覆われるようだった」と言う。枝を払ったり、爆竹を鳴らしたり、鳥が嫌う特殊な磁石を設置するなどの対策を講じた結果、現在は数が減った。それでもまだ、数千羽が集まる。
 本来は農村的環境で暮らすムクドリが市街地に集団でねぐらを作り、住民が鳴き声やフンによる被害に遭う例が報じられるようになったのは80年代からだ。県内ではこれまでに、志木、川越、熊谷、浦和、与野、久喜市など各地で報告されている。いずれも「なぜか、駅前などのにぎやかな場所に集まる」という。
 雑食性のムクドリは昼間は食事場所に分散し、田畑で虫や木の実をついばんで過ごす。繁殖期には樹洞に巣を作って子育てするが、民家の戸袋に巣作りして人を驚かせることもある。
 もともと群れる習性があり、本来は竹林などをねぐらとする。市街地の樹木に集まるのは夏から秋にかけて「夏ねぐら」とするためで、葉が落ちる冬には郊外の安定した「冬ねぐら」に移る。越谷市の宮内庁鴨場はその代表例として知られる。
 新聞記事では、60〜70年代、ムクドリの大群が東京都心部に現れビルの屋上などをねぐらとして騒ぎとなった例が報じられている。野鳥研究者は「大都市周辺の農地が都市化され、そこを追われた群れがより安全な都心部へ移動してきた」と分析している。
 近年になって郊外の市街地に集団ねぐらを作るようになったのは、都市化が首都圏全体に及んだ結果とも言えそうだ。開発で自然が消え、都市の緑地に活路を見出し、適応するようになったのだろうか。
 それにしても、眠るには不向きに見えるにぎやかな場所をわざわざ選ぶようにねぐらとするのはなぜか。天敵を防ぐためか。都市にすむ野鳥の生態を追う都市鳥研究会事務局長の川内博さんは「これらの場所は新興か再開発された市街地。そこに、何か彼らが好む理由があるはずだ」とみる。
(武田博仁)
 ムクドリ ムクドリ科。全長24a。灰褐色の体にオレンジ色のくちばしと足を持つ。九州以北で繁殖し、関東では留鳥。都市部の夏ねぐらによる被害は各地で対策が講じられているが、群れは追い払っても別の場所へ移動するだけとみられる。
 「サギ」
   200年以上続いた「野田のサギ山」――紀州徳川家も手厚く保護
魚類・甲殻類
 「ムサシトミヨ」
   ぜい弱な生息環境――地下水頼りの「清流のシンボル」

「続川越歴史随筆 川越歴史新書4 岡村一郎 川越地方史研究会 1966年 ★★★
3.えびす虫と大黒虫

「ポケット図鑑 昆虫」 写真・解説 海野和男 成美堂出版 1993年 ★
身近で見ることができる昆虫を中心に、夏の高原など訪れることが多い場所の昆虫、珍しいけれど名前をよく聞く昆虫等を、347種に及びカラー写真で紹介した図鑑です。 巻末には、昆虫写真講座もあります。
「コウチュウの仲間(甲虫目)タマムシ(タマムシ科)」で、木から飛び立つ瞬間のタマムシの写真が掲載されていますが、これが、川越市で撮影されたものです。 この本で最も好きな写真です。

 ・アオバアリガタハネカクシ

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作成:川越原人  更新:2020/11/02