小説・物語の中の川越(5)

推理小説とその関連書です

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事件悪しき星座 B級ニュース図鑑おはよう寄生虫さん黒い空 カラスは偉い張込み死者からの人生相談天神さま幽霊事件奏者水滸伝巡査中央構造帯狙われた夜警たち5秒間の空白「秩父山景」三層の死角関越自動車道殺意の逆転

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「事件」 大岡昇平 新潮文庫 1980年 ★
 事件は神奈川県の小さな町で起った。 小学校の同級生だったヨシ子と結婚しようとした十九歳の少年宏が、結婚に反対する彼女の姉を殺害した容疑で逮捕された。 当初単純に考えられた事件は、裁判の進展とともに意外な事実が明らかになり、しだいに複雑な様相を呈する−。 劇的な展開、圧倒的な現実感で裁判を描き、裁判は決定的な真実に到達できるのかをわれわれに問いかける。
 裁判の後、
上田宏は、川越の少年刑務所へ移り、所内の規則はきちんと守り、作業も人に率先してやる模範囚になった。
坂井ヨシ子は面会に行く便宜を考えて、川越に近い飯能丘陵の中腹の、雑木林の中に建った保育園に勤めることにきめた。
 著者は、昭和36年(1961年)頃の川越の様子を次のように表現している。
川越付近は気候が相模川流域と比べて、四、五度寒いだけの違いで、土地の様子は同じだった。 田圃を侵蝕して行く工場の間を産業道路が走り、空はジェット機の騒音に充ち、町はパチンコ屋と愚連隊の氾濫で、ダンプカーが始終沿道の家に飛び込んでいた。

「コンサイス日本人名事典改訂版 三省堂編修所 三省堂 1990年
 大岡昇平(おおおか しょうへい)
1909〜88(明治42〜昭和63)戦後の小説家。 (生)東京。 (学)京大。
スタンダール研究家として知られていたが、応召し俘虜生活を体験、1948(昭和23)その体験に基づく「俘虜記」を発表して好評を博し横光賞を受け、<第1次戦後派>として知られる。’50<心理のロマネスク>といわれる長篇小説「武蔵野婦人」を発表、’52戦争文学の傑作といわれる「野火」を書き才能を示した。知性派の作家として評論にも優れたものが多い。作者の原体験はその後も追求され、「ミンドロ島ふたたび」「レイテ戦記」を生んだ。
(著)「大岡昇平全集」全18巻、1982〜84。

「悪しき星座」 森村誠一 日文文庫 1997年 ★★
 東京・武蔵野市で地方銀行の貸付係・二宮加代子の変死体が発見された。彼女は銀行内で四億五千万円もの巨額の横領が発覚する直前に失踪していた。彼女の身辺調査の末、捜査線上に不審な男が浮かびあがる。しかし逮捕直前、彼は突如として姿をくらます。果たして、痕跡を断たれた事件の真相とは? 消失した大金の行方は? 現代社会の歪んだ断面を捉えた、長編ミステリー
 6月19日午前10時ごろ武蔵野市関前4丁目の千川上水で、女の変死体発見の通報は110番経由で武蔵野署と田無署へ入った。
 現場は武蔵野女子学院近くの千川上水の中であり、武蔵野市関前4丁目と保谷市新町1丁目の境界にあたる。発見者は武蔵野市が年中行事として数年前よりはじめた千川上水清掃運動に参加した小学生である。
 上水の暗渠のヘドロにまみれて横たわっていた死体を、ひとまず近くの空地に引き揚げて検視が行われた。
 (中略)
 殺人の疑い濃厚であるところから、検視を途中で打ち切って、司法解剖に付すべく、三多摩地区の変死体を担当する杏林大学の法医学教室へ移した。
  (中略)
 杏林大学における解剖の結果は、次の通りである。
 @死因、索条(細ひも、細引、ネクタイ、しごきのようなもの)を首にかけ頸部を圧迫しての窒息死、肺胞および胃内に、溺水およびヘドロは認められない。
 A自他殺の別、他殺。
 B死後経過時間、7〜10日。
 C姦淫の有無、生前、死後の性交の痕跡は認められない。
 D死体の血液型、AB型。
 Eその他の参考事項。
 A、死体の鼻下より左頬にかけての直線状の炎症は線状皮膚炎と呼ばれる症状で、ある種の甲虫の毒液の作用によるものである。
 B、肺臓内に肺吸虫(ジストマ)の寄生が認められる。
  (中略)
 武蔵野署から捜査本部に投入された捜査員の中に、被害者の顔にあった炎症とその肺臓内に棲みついていた寄生虫に関心をもった者がいた。
 大川というその初老の刑事は、さらに詳しい知識を得るために死体解剖にあたった執刀医の井上教授を訪ねた。
「先生、二宮加代子の鼻の下から顎にかけてあったみみず腫れは、ある種の甲虫の毒液による線状皮膚炎ということですが、その甲虫の正確な名前はわかりませんか」 
「わかりますよ。主として青翅蟻形隠翅虫(アオバアリガタハネカクシ)という甲虫目ハネカクシ科の昆虫です。この体液中のぺデリンによって線状皮膚炎をおこすのです」
「それで先生、そのアオバアリガタハネカクシとやらは、どこに棲んでいるのですか」
 大川は、舌を噛みそうな虫の住所を気負い込んで質ねた。
「日本全土どこにでもいますよ。アメリカ以外の世界各地に分布しているありふれた虫ですからね」
「日本全土ですか」
 大川は少々落胆した口調になったが、すぐに気を取り直して、
「ところで先生、ガイシャの肺に巣喰っていたという寄生虫ですが……」
「ああ、肺ジストマね」
「そう、そのジストマという虫は、どんな特徴があるのですか」
「これは吸虫類の住胞吸虫科に属する虫で、この成虫は主に人間や犬、猫類の動物の肺に寄生します。これは非常に変わった発育史をもつ虫でしてね、一生の間に必ず三回べつの動物に寄生して育つのです。まず卵が宿主の人間や動物の喀痰や排泄物とともに外界へ出て水中に入り、2,3週間すると、ミラシジウムという有毛幼虫に孵化し、これが小川や池に棲んでいるカワニナという淡水産貝に寄生します。この貝が第二中間宿主のモクズガニに食われて、その体内でメタセルカリアと呼ばれる小さな丸球状の幼虫となります。これの寄生したカニを人間や動物が生で食べると、腸の中で殻を脱いで、腸壁を貫通して腹腔、胸腔を伝って肺に入り込み、一周を終了するわけです。肺に空洞をつくって気管に排卵しますが、咳といっしょに血痰が出るので、結核とよくまちがえられます」
「その肺ジストマという寄生虫は、どんな所に棲んでいるのですか」
「ですから、人間の肺の中ですよ」
「いえ、つまりその、虫がやって来た貝やカニの棲んでいる場所はどこでしょう」
「カワニナやモクズガニですね。これもどこにでもいますよ。小川や池や山間の谷川が住み処ですからね」
「どこにでもですか」
「まあ北海道以外のほとんど日本全土にいるでしょう。そうそう、いいものがあります」
 井上教授は、研究のファイル棚から一冊のスクラップを取り出して来て、
「これは横川宗雄氏の調査による肺ジストマの流行地です。これによると、人体寄生例とモクズガニ寄生の報告がダブっている県は、中部以西になりますね」
 一枚の図を開いて見せた。

「ポケット図鑑 昆虫」 写真・解説 海野和男 成美堂出版 1993年 ★
 アオバアリガタハネカクシ(ハネカクシ科)
 分 布:北海道〜沖縄
 環 境:湿っぽい草地など
 体 長:7mm
 出現期:4月〜11月
 越冬態:成虫
 羽がないように見えるが、小さな前羽の下に大きな後ろ羽を隠していて、よく飛ぶことができる。体液に皮膚に炎症を起す毒液が含まれているので、つぶしたりしにように気をつけよう。明かりに飛んでくることもある。

「B級ニュース図鑑」 泉麻人 新潮文庫 1990年
 毒虫アオバアリガタハネカクシ(昭和37年7月4日 読売夕刊) 
 ツユ明けを前に東京をはじめ関東各地に突然発生した害虫アオバアリガタハネカクシの被害はその後もふえ、四日朝までに都衛生局にはいった報告によると都内の被害は三十九人となった。江東区にもっとも多く、ついで城北、城南など十一区におよんでいる。都衛生局では発生経路を中心に実態調査にのり出したが、都内ではあまり目立たなかった害虫だけに根本的な対策のいまのところお手あげ。しかし、ムシ暑くなるにつれてふえるという。三十四年の毒ガスさわぎに次いで、この夏はアオバアリガタハネカクシに悩まされそうだ。
 この虫に顔をさされると目もあけられないほどはれあがり、目にはいれば失明した例もあるうえ、この虫はカヤの目までくぐり抜けるとう困りもの。東京、関東地方には昨年から急に発生し始めたが、本来暖かい地方に多く九州、四国では被害も多い。


 モンシロチョウ、ヨトウムシ、電気クラゲ、そろそろ怪虫ネタ≠熨ナち止めにしようと思っていたところにアオバアリガタハネカクシ≠ナある。他の怪虫騒ぎは縮刷版を調べていて知った話であるが、このアオバアリガタハネカクシ騒動に関しては、はっきりと当時の記憶がある。
 記事にもあるとおり「目が潰れる」という情報がすごい勢いで伝播した。図(略)のような形状をした全長6ミリないし8ミリの小さな虫である。原色の昆虫図鑑などでみると、カブトムシやカミキリムシが載っている甲虫類のコーナーの端っこのほうに、1.5倍ほどに拡大したアオバアリガタ――の姿がある。青みを帯びた胴体の一部にオレンジ色の斑紋がある。よく見るとなかなか美しい色合いをしている。  
 が、「目が潰れる」情報に僕らはおびえた。当時は夏の宵など窓をあけ放しにしておくと、蛍光灯の灯りをもとめてどこからともなくカナブンやガやら小さな羽虫やらが入ってきたものだ。5ミリ程度の細かい虫が畳をちょろちょろ這いまわっていたりした日にはもう大変。
 ア、ア、アオバアリガタハネカクシだっ! 小アリであろうとノミであろうと、すべてアオバアリガタハネカクシに見えた時期が、確かにあった。一度か二度、おそらくホンモノと思われるアオバアリガタ――を、薄目をあけながらチリ紙でおそるおそる捕え、さらに上からもう一、二枚チリ紙を重ねて厳戒態勢の下、潰した経験がある。
 資料によれば、この虫は蛍光灯の光色を好む、ということだ。「手当てにはヨーチンが良い」とも書かれているが、目のなかにヨーチンを入れるなんて、勘弁して欲しい。
 アオバアリガタハネカクシの記憶が鮮明なのは、そのネーミングにも関係していると思われる。語呂がいいじゃないの、七五調で。
 春の海 アオバアリガタハネカクシ
 柿食えば アオバアリガタハネカクシ
 ツルベトラレテ、モライミズ、の語呂なんですね。ところでこの恐怖の昆虫、昭和40年頃までは騒がれていたが、以後、さっぱり話題にも上らなくなった。いまにして思えば、自然破壊が進む東京への警告だったように思える。

 アオバアリガタハネカクシ虫による皮膚疾患

「おはよう寄生虫さん」 亀谷了 講談社+α文庫 1996年
 喀血の原因はカニへのいたずら――肺吸虫(肺ジストマ) 
 川のカニをいじめてはいけない
 肺結核と思って手術をしたら、中から肺臓ジストマが出てきた、という話がある。肺の手術が出来るようになってからのことである。
 この人は、ジストマに結核用の薬を服んでいたわけだ。
 このようなまちがいが、かなりあるだろう、ということである。
 つまり、ジストマは、肺病によく似た症状を呈するのだ、血痰が出たり、レントゲンに肺病と区別出来ぬような、影が出たりする。
 ジストマは、肺にばかり寄生するかというと、そうではない。異所寄生というのをする。
 異所寄生の中で一番多いのは、脳の場合だ。幼虫は、非常に小さいから、血管や、そのほかのルートで、脳の中にしのびこむ。これが脳に落ち着いて成長すると、大豆くらいになる。つまり脳腫瘍となるのである。こうなると命とりだ。症状としては、テンカンのような発作がおこる。
 ジストマによる脳腫瘍は、10歳以下の子供に多い。そして2年以内には死んでしまう。
 流行地の子供たちは、川でカニをいじめたり、釣りの時に、カニを潰してエサにすることは、やめたほうが賢明だ。

「黒い空」 松本清張 角川文庫 1990年 ★★
 辣腕事業家山内定子が創った八王子郊外の結婚式場「観麗会館」は、その高級感がうけて大変な繁盛ぶりだ。経営をまかされている小心な婿養子善朗はある日、口論から激情して妻定子を殺し、死体を会館の名所である「岩壁」に埋め込んでしまう。門出を祝う式場が奇しくも墓場となり、その上空を不吉なカラスが飛び交い、新たな事件が発生する……。河越の古戦場に埋れた長年の怨念を重ねた、緻密な大型長編推理。

「コンサイス日本人名事典改訂版 三省堂編修所 三省堂 1990年
 松本清張(まつもと せいちょう)
1909〜1992(明治42〜平成4)戦後の小説家。(生)福岡県。(名)本名は清張(きよはる)。
高等小学校卒業後、会社の給仕、石版印刷の製版工、図案工などをへて、1939(昭和14)朝日新聞社西部本社嘱託となる。’42正社員。’52「三田文学」に発表の「或る『小倉日記』伝」で芥川賞受賞。’56頃から推理小説を書き、’57短編集「顔」で探偵作家クラブ賞を受けた。次いで’57長編「点と線」「眼の壁」、’58「零の焦点」「黒い画集」等がベストセラーとなり推理小説ブームの中心となる。非現実的な論理の遊戯を避け、現代社会機構と人間関係に犯罪動機を求める<社会派推理小説>で注目された。現実の事件にも強い関心をよせ’59「小説帝銀事件」、’60「日本の黒い霧」、’62「日本官僚論」等を書いた。庶民的感覚とジャーナリスト的視点で社会悪の根源の究明・暴露を続けたが、その関心は日本古代史にも向けられ、常に新分野の開拓につとめ旺盛な創作ぶりを示している。
(著)「昭和史発掘」全13巻、1965〜72、「松本清張全集」第1期38巻、1971〜74、第2期17巻、1982〜84。

「カラスは偉い」 佐々木洋 知恵の森文庫 2001年
 うるさい、怖い、汚い、不吉だ……。カラスは、この世の嫌われものだ。しかしカラスがいなければ私たちは都会の生ゴミ問題を真剣に議論しただろうか。何か悪さをするたびに、カラスと人間との知恵比べがいわれるが、人間はカラスに勝てるだろうか。カラスがどんなに卓越した都市動物か、都市空間を縦横に生きる彼らの本当の姿に迫る本。

第2章 街の王様の意外な素顔/(1)「カラスの行水」の本当の意味は? 
■「烏が鳴くと人が死ぬ」…「喪服を着たようなカラスを不吉な使者に見立てていったもの」(国松俊英著「鳥のことわざうそほんと」より)
 この俗信は、福島、東京、長野、三重、鳥取、愛媛、熊本あたりが発信源らしいが、情報社会の現代では、もはや全国区といっていいだろう。ほかにも「闇夜に鳴くと盗人が入る」(茨城・兵庫)、「群れをなして鳴く時は天気が悪くなる」(山形)、「4羽烏を見ると人が死ぬ」(和歌山)、「烏の夜鳴きは凶事の兆し」(青森・福島・群馬・福井・奈良・島根・香川)……などなど、似たようなものは、いっぱいある。まさに、人間のでっちあげた、カラス・ワールドである。
 「烏が鳴くと人が死ぬ」なら、日本の人口は、壊滅的な打撃を受けているはずだ。カラスだらけの東京などは、人っ子一人いない、ゴーストタウンであろう。まあ、こうして文章を書いているあいだにも、日本のどこかでだれかが亡くなっているのだろうから、どこかのカラスが「カー」と鳴いたとほぼ同じ時間に、かなりの確率で、それとはまったく関係のない理由で人が死んでいるということはあるだろうけど。「烏が鳴くと人が死ぬ」は「烏が鳴いている時も人は死ぬ」ぐらいの意味である。
 第2章 街の王様の意外な素顔/(4)カラスのお宝拝見
カラスの雑貨コレクション
 もう一つは、やはり巣の中に運んでくるんだけど、今度は巣材ではなく、ただ単にコレクションしているだけのものがある。
 「ちょっと、そこのお姉さん、窓辺にピアスなんか置いちゃいけないよ。カラスが持ってっちゃうかもしれないからね」
 これはデタラメではない。カラスというのは、とにかく巣の中に何でも持ってくる習性がある。しかも、なぜかは知らないが、とくに光り物や派手なものが大好きなのだ。私が以前に東京都の鳥獣保護員として働いていた時に、何度もカラスの巣下ろしをした。あれは本当に気の重い仕事だったけれど、それなりの楽しみはあった。それは、片思いの女の子のプライバシーを覗き見するような愉しみだった。
 大部分の巣の中で、どう考えても生活には不必要と思われる雑貨≠ェ一つ二つ見つかったものだ。巣の産座の上に、指輪があったりピアスがあったり、ビールの王冠やプルタブ、だれかの顔写真、パッチンどめ(今、何と言うのか知らないけど)など……。中には、OLのお姉さんがしてそうな、ちょっと高そうなアクセサリーもあった。あるいは何だかよくわからない金属類があったり、時季によっては変な木の実があったり……。
 実際にカラスが指輪をくわえて飛んでいたのを見た友人もいるし、外国ではカラスの巣から何千万円もするダイヤモンドが見つかった事件があったと聞く。日本でも、ペンションのオーナーをしているカラスフリークの女性が、思い出の大事な人形をなくして落ち込んでいたら、可愛がっていたカラスが持って帰ってきてくれた――そんな感動エピソードまであるのだ。
 ガラス、お菓子のおまけ、ゴルフボール、チョロQ(小さな車のおもちゃです)……。こういうものを愛好するのは、人間以外にはカラスしかいないのではないか。つまり、彼らは本能べったり、ギリギリの生活をしていない。だから生きることに余裕があるのだ。ほかの動物たちはメシを食い、子孫を増やすのが精一杯で、時間的にも精神的にもそんなゆとりはない。それに、コレクションを楽しむなんてことは、相当高い知能がないとできるものではない。
 考えようによっては、カラスってヤツは人間のそばにいるのがいちばん合ってるのかもしれない。カラスほど高レベルの知的好奇心を満たしてやれる生き物って、人間の他にはなかなか見当らないんだから。
 まあ実際には、カラスが光り物が好きだとか変わったものに興味を示すというのは、特に深い意味があるんじゃなくて、おそらく「何だか不思議だから持ってってみよう」と持っていったはいいけれども、どう使っていいかわからずにそこら辺に放ってあるということにすぎないとは思うけれども。
 カラスと仲よくなっておくと、何かと便利だ。なくしてしまった片方のピアスを見つけてきてくれるかもしれない。それに、カラスの巣をバラしていくといずれきっと儲かるぞと思うわけだ。
 第6章 「カラス博物館」所蔵 魅惑のカラス・グッズたち 
 ●カラス団扇 ☆
 東京都府中市・大國魂神社/500円
 日本一メジャーなカラス・グッズかも。毎年7月20日の「すもも祭り」の日に、カラス扇子とともに販売される。これを家の玄関に飾っておくと「悪いことが何も入ってこないで、いいことばかりが入ってくる」そうな。気合の入った人は、1人で5本も10本も買ってゆく。建物じゅうの入り口や窓なんかを、これでかためようというのか。

 ●カラス扇子 ☆
 東京都府中市・大國魂神社/大1500円 小1000円
 カラス団扇を、ちょっぴり高級にしたような存在。こちらのほうは、玄関というよりも、床の間に飾っておきたい気がする。描かれているカラスは、団扇同様「ハシボソ」風。

「張込み」 松本清張 新潮文庫 1965年
 推理小説の第1集。殺人犯を張込み中の刑事の眼に映った平凡な主婦の秘められた過去と、刑事の主婦に対する思いやりを描いて、著者の推理小説の出発点となる『張込み』。判決が確定した者に対しては、後に不利な事実が出ても裁判のやり直しはしない一事不再理≠ニいう刑法の条文にヒントをえた『一年半待て』。ほかに『声』 『鬼畜』 『カルネアデスの舟板』など6編を収める。

「死者からの人生相談」 吉村達也 徳間文庫 1994年 ★★
 人気ラジオ番組「電話人生相談」にかかってきた一本の電話……。それは数日前に殺された女性と同じ名前だった。単なる偶然か、死者の魂の叫びか? 残された手がかりは埼玉・川越と伊豆・新島の市外局番、そして録音テープ。
 捜査が難航するなか、同じ手口で第二の殺人が起った。事件の謎を解く鍵となる「音」を追って舞台は新島へ。そこで待っていたものは意外な結末だった! 目と耳で読む本格推理。
    44

 すでに陽が高く昇った時間であるにもかかわらず、男は夢を見ていた。
 夢ではあったが、それは実際に起きた過去の出来事の、忠実な再現だった。
 男は自分の夢の見方が、他人のそれとは大きく違うことを、いつのころからか気づいていた。つまり、夢の中に、脈絡のない空想の部分がないのだ。
 彼の夢は、いつもビデオテープのような正確さで過去を再生した。しかも、決して思い出したくはないという過去に限って、ひんぱんに登場してくる。
 この夢のメカニズムがどれだけ彼を苦しめてきたか、それは絶対に他人には理解してもらえない苦悩だった。
 
 「川越の街でデートの待ち合わせなんていうのも、めったにないことよね」
 中井真理は面白そうに、うふふと笑った。
 蔵造りの町並みを通り抜けた先にある、目立たない店構えの喫茶店に二人はいた。
 「まあな。たしかに仕事でもなければ、こういう所で会うことも、まずないだろう」
 男はそういってから、時間を気にするように腕時計を見た。
 「そろそろなの?」
 真理がきいた。
 「いや、まだあと二十分ほどある」
 男はラジオの仕事で川越市を訪れていた。しかし、彼を医者だと信じている真理は、川越で講演があるという男の作り話を鵜呑みにしていた。
 男は、中井真理の前では千葉県で個人医院を開業している内科医ということになっていた。偽名を『中井宏』といった。
 女を口説くときに、その女と同じ苗字の偽名を名乗るのが、彼のテクニックだった。なんだ、偶然だなあ、ということから話が発展し、同じ苗字という、よく考えれば何の根拠もない理由から、女は必要以上の親近感を抱いてくる。
 「ねえ、その腕時計は、やっぱりあなたがしていた方が似合うわね」
 真理は男の右腕をつかんで、くるっと自分の方に向けた。
 「おまえはこの時計、気に入らないのか」
 「ううん。気に入ってるわよ」
 真理は男の手を放すと、あわてて首を振った。
 「あなたの腕時計をはめているときって、すごくうれしいわ。二人はいっしょなんだな、って感じがするから。ただ、あなたがするととてもよく似合うから、そう言っただけよ」
 男が意外に癇癪持ちであるのを、真理はよく知っていた。だから、彼が機嫌を損ねそうになると、真理は急いでとりなしにかかる。いまの彼女がそうなのを、男自身よくわかっていた。
 「で、ここのお仕事が終わったら、そのまま軽井沢へ行けるのね」
 「そうだよ。ここから関越自動車道にのれば、夕食は向うで食べられるだろう。そのために、真理にここまで来てもらったんだから」
 「軽井沢で、店のお客さんに会わないかな」
 「おまえ、そんなことまで心配するのか」
 「だって、明日は日曜日でしょう。ウチのお客さんで軽井沢へゴルフに来る人も、きっと大勢いると思うの」
 「いっしょのところを見られたくないわけだ」
 「私よりあなたの方がまずいでしょ」
 「べつに、こっちはかまわない」
 男は笑って、ガラス窓から外の通りに目をやった。
 「女と二人連れでいたからといって、即座に弁解をする必要もないと思うけれどね」
 「麗子がうるさいのよ」
 「麗子が?」
 男は真理に向き直った。
 「そうなの。あなた、最近いい人ができたんじゃないのって」
 「探りをいれてきたのか」
 「うん。それも、相手はお医者さんの中井先生でしょって」
 「……で?」
 「もちろん私はとぼけたわよ。だけど、麗子もとってもしつこいの。あの子、きっとあなたに気があるんだわ」
 男はそれに答えず、テーブルを少し相手の方に押しやるようにして脚を組み替えた。
 しばらく沈黙があった。
 真理は間をもてあまして、タバコを指に挟み、喫茶店のマッチで火をつけようとした。
 「あれ?」
 真理はびっくりした声を出した。
 「どうしたんだ」
 「ううん、なんでもない。ただ……」
 彼女は店のマッチを手のひらにのせた。
 「ここのお店の電話番号が、私が生れた家の――別れたお父さんがひとりで残っている家の電話番号によく似ていたから」
 
 そこで夢はジャンプする。
 しかし彼の夢は、あいかわらず現実にあった出来事を忠実にフォローする。
 
    (中略)
 
 男の母親は、彼の身代わりとなって刑に服した。息子をかばっていっさいの罪を背負った母は、かろうじて極刑は免れたが、服役後まもなく病死した。
 男はひどいショックを受けた。心に受けたその深い傷をなんとか忘れようと、彼は自分の過去を頭の中から消し去ろうと努力した。反対する父親を殺してでも、結婚をしようと思っていた女性とも、そういった理由から結局は別れた。
 そして、母の死後数年経って、男の過去など何も知らぬ女性と結婚し、子供を儲けた。
 それからまもなく……死んだ父親の復讐が始まった。
 
 ある日のことだった。仕事で嬉しいことがあり、知人と祝杯をあげて帰宅し、妻を抱いて寝た深夜、突然その夢が現れた。まさに惨劇の夜の再現だった。
 男は絶叫し、目を覚ました。
 そばに寝ていた妻は、恐怖に目を見開いて彼を見つめていた。
 「おれはどうした、いったいどうしたんだ」
 男は妻の体を揺すってきいた。
 空中に両手を突き出し、指を鉤形に曲げて、おまえなんか死ね、おまえなんか死ね、と叫んでいた、と妻は震えながら答えた。
 なんでもない、ただ夢でうなされただけだ。そう答えたが、同じ夢は何度も見た。決まって妻を抱いた夜だった。
 妻の脅えは限度に達し、彼女は夫に抱かれることを拒むようになった。それもやむをえない、と男はそれ以後、妻とは別の部屋で寝ることになった。しばらくのあいだ、悪夢はなりをひそめていた。
 が、男は欲望に耐えかねて、外の女と浮気をするようになった。
 また、夢が彼に襲いかかってきた。
 男は叫んだ。
 恐怖におののく中井真理の顔が目の前にあった。
 中井真理の顔が、次に高橋麗子の顔になった。そして、彼女の染めかえたブロンドに……。
 
 「うわあああ」
 悲鳴を上げて男は跳び起きた。
 さわやかな秋の陽ざしが部屋いっぱいにあふれていた。
 午前十一時三十分だった。
 目覚ましがわりにタイマーをセットしたラジオのスイッチが入り、AM東京の番組が流れはじめた。聞き慣れた音楽は、『電話人生相談』のオープニングテーマだった。
 「こんにちは、三崎創一郎です。悩みというものは、それ自体が問題なのではなく、誰にも打ち明けられず、自分ひとりの心にしまい込んで苦しむからこそ、『悩み』になるのです――」
 三崎創一郎の声が、そうしゃべっていた。

「天神さま幽霊事件 京都探偵局 風見潤 講談社X文庫 2002年 ★★
 日下千尋が北野天満宮の近くで死体を発見、そして、水谷孝夫をもまた、三芳野神社で!
 一日違いで、二つの神社で起きた殺人事件は、たんなる偶然なのか?
 しかし、遺留品は、新たなる第三の殺人をほのめかす……。
 京都、川越そして博多を探偵たちが走る!
 そして、接点のまったく見いだせない事件の壁を、名探偵・麻衣子は崩せるのか?
 息を呑む大ドンデン返しが待ちうける!
  1 この子の七つのお祝いに
 
 どんな人ごみにいても、百合子はすぐにわかる。
 百合子だけ、光り輝いている。
 だから、川越駅の改札を通ってくる大勢の人の中から、水谷孝夫は、すぐに百合子を見つけることができた。
 「百合子さん!」
 恥ずかしいから小さな声で孝夫は言った。
 それでも、百合子には聞こえたようだ。
 ハッとしたような表情をして、
 それから孝夫に気づくと、はにかんだ笑みを見せて、近づいてきた。
 その表情のうつろいを見るだけで、孝夫は陶然とした気持ちになる。
 「待った?」
 細い首をかしげて、孝夫を見あげるようにする。
 孝夫の両親と食事をする――そのことに緊張して、上気しているのか、ピンクに染まった頬がとてもきれいだった。
 「いや、いま来たところさ」
 孝夫はウソをついた。
 「地下の駐車場に車を駐めてあるんだ」
 川越駅の改札口は二階にある。
 一階は東武東上線JR埼京線・川越線のホーム。
 駅ビルは小さいけれど、北に出れば、大きなデパートがそびえていて、その地下二階が駐車場になっていた。

 川越は歴史の古い街だ。
 なにしろ、江戸城を造った太田道灌が、それ以前に住んでいたのが、この川越なのだ。
 その名のとおり、川が街を取り囲んでいて、
 江戸時代には、舟運が発達していた。
 川越夜船といって、夕方に江戸を立つと、朝には川越に着いている。
 現代の夜行列車みたいなものだ。
 そんなこともあって、川越は江戸との交流がさかんで、小江戸と呼ばれていた。
 当時世界一の百万人都市、江戸には及ばないものの、それなりに繁盛していたのだ。
 
 いまも、東京やさいたま市ほどではないけれど、かなりな繁華街だ。
 車を出すと、孝夫は、駅前を北に向かった。
 川越でいちばんにぎやかなのは、この川越駅西武新宿線本川越駅を結ぶ通りだ。
 しかし、いつも人で混雑していて、車は入れないし、だいいち車で通ったって、おもしろくもなんともない。
 その道を避けて本川越駅前に出る。
 しばらく進むと、左右に蔵づくりの商家が立ち並ぶ。
 江戸時代から続く建物だ。
 そのはずれに、駄菓子屋が並ぶ菓子屋横丁というのができて、いまでは観光名所になっていた。
 市役所の駐車場に車を置いて、
 江戸時代には時を告げていた時の鐘や、駄菓子屋をひやかし、二人は城跡に向かった。
 川越城は、いまでは天守閣も石垣も残っていない。
 ただ本丸御殿だけが残されていて、城跡は野球場になっていた。
 近くには博物館もあり、蔵の模型や、川越祭のビデオなどを見ることができる。
 「そうそう……とおりゃんせって唄、知ってるだろう?」
 お城の本丸御殿の前で、孝夫が言った。
 「ええ。
 とおりゃんせ とおりゃんせ
 ここはどこの細道じゃ?
 天神さまの細道じゃ
 ちょっと通してくだしゃんせ
 ご用のない者 とおしゃせぬ
 この子の七つのお祝いに お札をおさめに参ります
 行きはよいよい 帰りはこわい
 こわいながらも とおりゃんせ とおりゃんせ」         ♪とおりゃんせ
 百合子がきれいな声で唄った。
 「そう、その唄に出てくる天神さまって、ほら、そこにある神社なんだ」
と、孝夫は、本丸御殿の向かいにある神社を指さした。
 本丸御殿の前には舗装路があって、その東向かいが野球場になっている。
 その野球場のライトのあたりに、横を向いて――つまり、野球場と背中あわせに、古い神社が建っていた。
 十七世紀初めに建てられた神社で、三芳野神社という。
 小さな神社で、社務所もない。境内には茶店が一つあるだけ。
 境内の外、西は本丸御殿で、北は野球場。東にはプールがあり、南にはすぐ近くまで住宅が迫っていた。
 それでも、境内にはこんもりとした丘があり、木々が鬱蒼と茂っている。
 丘の麓には、いくつかの石碑。
 わらべ唄発祥の所≠ネどと書いた石碑もあった。
 「この神社、江戸時代にはお城の中にあったんだ。
 神社まで狭い参道があったんだって」
 「ああ、それが、天神さまの細道なのね」
 百合子がうなずく。
 二人は道を渡って、境内に入った。
 南を向いた社殿に手をあわせ、
 そのとき、ギャッと気味の悪い声をあげて、裏の森からカラスが飛びたった。
 ハッ!
 百合子が息を呑む。
 その手が孝夫の腕にかかり、孝夫の腕が熱くなった。
 「だいじょうぶだよ」
 そう言いかけた孝夫は、耳を澄ませた。
 いや、耳を澄ませるまでもない。
 ギャッギャッと、森からカラスの鳴き声が聞える。
 一羽や二羽の声ではなかった。
 「どうしたんだろう?」
 孝夫は神社の裏手にまわってみた。
 野球場までは五十メートルほど。
 神社の裏から外野フェンスまでの間が、鬱蒼とした森になっている。
 子供たちも、ここでは遊ばないのか、小道すらない森だ。
 その森の奥で――奥といっても、二十メートルほど先だけど――カラスが飛びたったり、地面に下りたりしている。
 「ここで待っていて」
 孝夫はそう言って、森に足を踏みいれた。
 奥行きはそれほどない。
 せいぜい五十メートルだろう。
 森の向こう側は、センターの外にあたっていて、草地になっているようだ。
 それを見てとってから、孝夫は足を進めた。
 去年の秋の落ち葉。枯れた下草。
 そんなものを踏みしめながら進むと、すぐに見えてきた。
 ズボンをはいた脚がまず見えた。
 人が倒れている!
 どうしたんだろう?
 ホームレスが凍死したのか?
 でも、川越はめったにホームレスを見ないし……。
 そんなことを考えながら、足だけは自動的に前に進んでいる。
 その足は、死体から五メートルほど手前で止まった。
 赤黒くふくれあがった顔。
 首には、ズボンのベルトがきつく食いこんでいる。
 これは……。
 事故でも、自殺でもない。
 殺人だ!
 孝夫は大きく息を吸った。
 森の外で百合子が見ている。
 そう思って、勇気を振りしぼる。
 顔を見ないようにして、死体を観察しようとした。
 でも、できない。
 まだ若い男で、身体つきはがっしりしていて、日に焼けている。
 それだけでを見てとったのが限界だ。
 孝夫は逃げだそうとした。
 その足が止まったのは、死体の胸に奇妙なものが載っていたからだ。
 あれは……短冊?
 孝夫は一歩、二歩と近づいた。
 だが、難しい漢字が並んでいて、すぐには読みとれそうにない。
 あとで警察の人に訊いてみよう。
 孝夫はあとずさった。
 そのとたん、孝夫は悲鳴をあげた。
 足元から、カラスが飛びたったのだ。
 カラスは何か金色のものをくわえていた。
 
 森を出ると、ホッと息をついた。
 「だいじょうぶ、孝夫さん?」
 百合子がハンカチを取りだした。
 こんなに寒いのに、孝夫はぐっしょりと汗をかいていたのだった。
  ※本書に載っている、「小江戸川越 麻衣子&孝夫のふるさとMAP」によると、麻衣子&孝夫の実家は、南通町、仙波町一丁目、西小仙波町二丁目あたりにあるらしい。

「奏者水滸伝 阿羅漢集結」 今野敏 講談社文庫 2009年 ★★
聖者と呼ばれた偉大な奏者は予言を残して死んだ。時は過ぎ、人を探し日本を旅する者たちがいた。北海道、沖縄、京都、川越で見出されたのは古丹、比嘉、遠田、猿沢の四人の男たちだった。僧侶・木喰の導きで集結した彼らは音楽業界を席巻した。奏者水滸伝<Vリーズ第一弾。著者最初の長編『ジャズ水滸伝』改題。

「巡査 ―埼玉県警黒瀬南署の夏― 岩城捷介 宝島社文庫 2001年 ★★
暑い夏の夜、交番の実直な巡査・島野順平のひとり娘が、神社の森で殺された。まもなく逮捕された少年は証拠不十分で不処分、釈放。悲嘆のなかで島野の家庭は崩壊した。そしてある日、島野は拳銃を持って失踪…。親友の真壁警部補が必死に島野を捜索する過程で事件の真相が浮かび上がってくる…。交錯する少年犯罪と警察腐敗、そして熱き警官魂―大型新人の傑作ポリス・ノヴェル、ついに文庫化!
 
   (前略)
 前庭から銃声と絶叫が同時に聞こえた。
 フロントの男は身を固くした。一瞬、ヤクザの発砲と思ったからだ。
 電話に飛びついて110番に通報したあと、勇気を奮って前庭に出た。
 停めてあるコロナの脇から女がよろよろ起き上がった。タイヤの向こうに男の両足が突き出ていた。
 女が後退(あとずさ)り、踵を返して庭から走り去ろうとした。フロントの男は庭を突っ切って駆け寄り、女の腕を掴んだ。女はわけのわからぬ叫び声を上げた。彼は女をロビーに引っ張っていった。
 数分後、川越署のパトカーと救急車が到着し、警官と救急隊員がコロナに駆け寄った。
 運転席側のドアの下で下腹部を真っ赤にした男が躰をくの字に折って倒れていた。両手を股の間に挟んで低く長く呻(うめ)いている。救急隊員は男のズボンを下着ごと切り裂いて応急の止血処理をした。銃弾は鼠蹊(そけい)部から臀部を貫いていた。
 寂れたモーテルの前庭に響いた一発の銃声は、強盗殺人犯坂根誠の逮捕という結果をもたらしたが、新たな事件の発生でもあった。誰が撃ったかだった。
 川越署は、フロントの男が取り押さえた茅野民子を追及した。
 彼女は八王子の強殺事件の共犯を坂根に強いられ、さらに坂根の暴力から逃れようとしていた。坂根は去年の秋、所属する[松岡組]と抗争中の[末吉一家]の若頭を椎名町の麻雀荘で襲撃していた。かつて民子は[末吉一家]の堀江という幹部と繋がりがあった。
 堀江は川越に住んでいる。レンタカーを借りに出た時、彼女は堀江にホテルを教え、逃走先は宇都宮の故買屋のマンションであることも告げていた。
 坂根が目の前で倒れた時、堀江が救いに来てくれたと思ったと民子は供述した。
 だが堀江が<川越イン>に来るには、ゆうに20分はかかる。警察は堀江を追及したが、彼には明白なアリバイがあった。
 坂根の下腹部を射抜いてコロナのドアステップに食い込んでいた弾丸は38口径で、その施条痕はニューナンブの回転式拳銃から発射されたことを示していた。
 暴力団がバカでかい警官用制式銃を所持しているとは考えにくい。銃弾の施条痕から、銃の施条数や幅、深度がわかり、回転や傾角から発射された方角や距離も推定できる。
 弾丸は駐車場から25メートルの距離にある、木立ちか鉄塔のあたりから発射されたと判断された。それらは川越署の捜査機密とされたが、銃弾が38口径だったことは黒瀬南署に漏れ伝わった。
 川越署には真壁と昵懇(じっこん)の刑事が一人いた。真壁は彼に電話を入れた。
 『おう、カベさん。久し振りだ』古谷警部補の胴間声が返ってきた。
 「ちょいと頼みがあるんだ。<川越イン>の銃撃事件についてなんだが」
 『おれが主任担当なのをどうして知ってる』
 「難事件の担当は名刑事古谷義久と決まってるだろうが」
 『そりゃそうだ。何が知りたい。おれのいきつけの酒場でたっぷり飲ませてくれた上に、たまったツケまで払ってくれたあんたの頼みなら断れない』
 真壁は銃撃事件でわかったことを知りたいと言った。
 古谷警部補は、なぜ知りたいなどと訊いてはこなかった。
 『わかった』何かをゴクリと飲んだ音がした。『ホテルに隣接する倉庫の二階に警備員がいてな。銃声を聞いて窓を開けると、男が倒れ、女が尻餅ついてるし、仰天して、すぐに下りてゆこうと窓を閉めかけた時、木立ちを縫って国道のほうに走ってゆく男が見えたというんだ。ナップザックを背負って登山帽を被ってたらしい。もしそいつがホシなら暴力団抗争の線はないな。登山帽にナップザックのヒットマンてのはいねぇからな。しかし、そいつの面は取ったよ。直前にホテルをチェックアウトしたやつがいて、そいつはその通りの格好してたんだ。髭面で瘠せてて、田中一郎という偽名ランキング一位の男さ』
 そして古谷警部補は、こうつけ加えた。
 『そつを追いかけ回す気が起きなくて困ってる。坂根のことでさんざっぱら署長にどやされてた矢先だったからな』
 真壁は彼に礼を言い、「近いうち、おれのいきつけの店で飲もう。それまで盛大にツケとくよ」とつけ足した。
 25メートルの距離から薄暗い駐車場に現れた坂根の睾丸を撃ち抜いたのが誰かを、真壁は言わなかった。
解 説――無骨でホットな本格派の警察小説
郷原宏
  (前略)
 この作品のもうひとつの読みどころは、舞台設定の面白さである。「埼玉県警黒瀬南署の夏」という副題のとおり、この作品は埼玉県富士野市黒瀬という川越街道沿いの小さな町を舞台にしている。黒瀬南署はもとより黒瀬という町も実際には存在しないが、多少とも土地カンのある人なら、この架空の町を実在の地名に比定するのはそれほど難しいことではないだろう。ただし、それは『八七分署』の所在地アイソラをニューヨークに比定するのと同じぐらい無意味なことである。私たちはただ、黒瀬が東武東上線沿線のベッドタウンであることを知っていれば十分である。
 埼玉県在住の読者にはまことに申し訳ないが、埼玉は昔からミステリーの荒野である。森村誠一、折原一、北村薫など埼玉県出身の作家がたくさんいるにもかかわらず、なぜか埼玉を舞台にした作品はほとんどない。日本全国の鉄道と観光地を網羅したトラベルミステリーやご当地ミステリーにも、埼玉の地名を冠した作品は見当らない。まして東上線沿線を舞台にした警察小説などというものは、これまでの常識では考えられなかった。その一事をとってみても、この作品の画期的な新しさがわかるだろう。
 黒瀬はもちろん田舎町ではないが、さりとて池袋や新宿のような都会でもない。こうした郊外都市としての舞台設定が、この作品に『銀座警察』や『新宿鮫』とは対照的なローカルな色合いを与えている。黒瀬南署の須川署長が、こんな小さな署に置いておくにはもったいないほど有能で魅力的な人物に描かれていることとも思い合わせて、私はこれを日本で初めて書かれた田舎署長物の一変種と断じてはばからない。この次はぜひ、この署長を主人公にした警察小説を読みたいものである。
  (後略)
(2001年9月 文芸評論家) 

「中央構造帯(下)」 内田康夫 講談社文庫 2005年 ★★
 行員の怪死は、やはり将門の祟りなのか。浅見光彦は、「将門の椅子」の後任・川本と会い、調べを進めるうちに、次々と将門ゆかりの地を踏破する。それらは、日本列島を貫く中央構造線上に重なっていた。経済の暗部、歴史に潜む闇、世紀を超えた壮大な謎を追う浅見光彦が、伝説の深奥に見つけた驚愕の真相とは。
 第六章 窮死者
  (前略)
 夫人が言った「自殺」の記事は次のようなものだった。
 また銀行員の自殺/不良債権処理の不調が原因か?
 十二日朝、埼玉県秩父郡荒川村日野の山中に停めてある車の中で、男性が死んでいるのを付近の住人が発見、警察に届け出た。秩父警察署の調べによるとこの男性埼玉県川越市の五十嵐昇さん(38)で、昨夜遅くに現場に来て服毒死したものと思われる。
   (後略)
 「秩父郡荒川村ですか……」
 記事を読み終えてから、浅見は呟いた。
 「ご存じですの?」
   (中略)
 それから間もなく、浅見は渡辺家を辞去した。帰り際に渡辺夫人に川越市の五十嵐昇の住所を聞いた。
 「川越までいらしゃるんですか?」
 夫人は物好きな――と言いたげだ。
   (中略)
 「そうですか……それじゃ、ちょっとお待ちになって。お電話してみましょう」
 電話でアポイントを取ってくれた。元の部下ということで、多少の無理は聞いてもらったようだ。
 柏から川越までは常磐自動車道と外環状線と関越自動車道が繋がっている。交通渋滞でもなければそう時間はかからない。
 浅見はあまり縁がなかったのだが、川越市は人口約三十万の大きな町である。平安期から政治・産業の両面で関東地方の要衝として栄えてきた。近代に入ってからも、早くから東京の衛星都市の一つの道を歩んでいる。例えば明治十一年に第八十五国立銀行が設立されたのを皮切りに、次々に金融機関ができた。その割に軍需産業などの大きな工場はなかったため、戦時中は空襲にも遭わず、蔵造りに代表される古い町並が残った。その蔵のある古い家の一つが、自殺した五十嵐の生家であった。
 以外にも五十嵐昇は独身だった。両親と兄夫婦とその子供たちとの同居――いわば居候で、その境遇が自分とそっくりなのに、浅見は身につまされるような思いがした。
 「あれは真面目で正直者でしたから、自分の失敗を自分の責任のように感じたのでしょうなあ」
 古希をとうに越えたと思える父親が、たんたんと話した。
 「遺書にそう書いてあったのでしょうか」
 「ご覧になりますかな」
 父親は文箱を持ってきて、大事そうに納めた封筒を出し、遺書を広げて見せた。文章は筆ペンで書いたらしい。しっかりした楷書体だった。
 〔こういう事態になって、ご迷惑をおかけして申し訳ありません。すべては私自身の判断で行なったことであり、責任を転嫁しようとは思いません。命をかけて、義務を果たす所存であります。〕
 「これは……」
 浅見は思わず顔を上げて、訊いた。
 「これが息子さんの遺書ですか?」
 「そうですが、何か?」
 浅見のただならぬ様子を、非難の意味に受け取ったのか、父親はいくぶん不快の色を見せた。
 「これは遺書ではないかもしれません」
 「ん? どういう意味かな? 遺書でないとすると何だというんですか。この遺書は、昇が死んだ時、着ていた上着のポケットに入っていたものでしてな。少し乱れてはおりますが、間違いなく昇の筆跡でありますよ」
 浅見は黙って、ジャケットの胸ポケットから紙片を取り出した。木村勇悦の「遺書」のコピーをさらにコピーしたものだ。
 「これはつい最近、茨城県の川で自殺した木村という人の遺書ですが、ご子息の遺書と較べてみてください」
 読み下した父親は、みるみる顔色が変わった。一瞬、青ざめ、すぐに朱色を帯びた。
 「なんということ……どういうことです、これは?」
 「偶然、同じになった可能性も、絶対にないとは言い切れませんが」
 「いや、そんな偶然はありえないでしょう。こいつはおかしいですな、おかしい……」
 父親は言葉を失った。額に浮かんだ血管の太さが恐ろしかった。
   (中略)
 「これから秩父へ行ってみます」
 自分に宣言するように言って、浅見は立ち上がった。五十嵐の父親は「えっ」と驚いたが、すぐに立って、深々と頭を下げた。
 「なにぶんよろしくお願いします」
 いまにも泣きだしそうなその表情には、全幅の信頼を預けるという、ひたむきな思いが溢れていた。
   (後略)

「狙われた夜警たち」 大谷羊太郎 桃園文庫 1986年 ★
 ガードマンが殺された。厳重な警備の盲点を巧みについた犯人は不敵にも、犯行現場にTAKERUという謎の文字を残していった。警備会社の若きエリート高沢は独自に事件の調査にのりだしたが、犯人は意外にも……。本格ミステリー傑作選!
狙われた夜警たち
脅迫電話

「5秒間の空白」 大谷羊太郎 祥伝社ノン・ポシェット 1987年 ★
夜も更けた頃、弓木俊郎は盛装し、息子の雅彦に金策に出かけると告げて、二度と戻らなかった。父の失踪の原因を必死で探る雅彦の前に、やがて迷宮入りとなった二十年前の八千万強奪事件が浮かび上がってきた……。
一台の車と三人の瞬間消失という、とびきりの謎を持って幕が開くこの作品には、本格推理小説の論理の骨格と、瑞々しい青春の息吹が通っている……二転三転するストーリーは起伏に富み、最後まで予断を許さない≠ニ森村誠一氏も激賞した著者会心の本格推理!
    
  (前略)
 「えっ、何だって」
 村山は、大仰に目を剥いた。雅彦は早苗を紹介すると、三人に伝えたばかりの内容をもう一度繰り返した。話が進むにつれ、村山は表情を固くした。
 「まったくの偶然だ。私があの会社に目をつけたのは、おやじさんの失踪とは、少しの関係もないんだ」
 村山は雅彦のほうに向き直った。「私の知るかぎりでは、おやじさんと町原産業との間に、何のつながりもないはずです」
 「そうですか」
 雅彦は、うなずいて、「でも、ここにいる早苗さんの姉さんと、その会社の誰かと交際があったに違いないんです。とにかく村山さん、町原産業について、あなたの知っている知識を、ひととおり教えてくれないかな」
 「よろしいですよ。私はね、いいお得意さんを開発していこうと考えて、宇沢市内の企業を調べた。すると、まず町原産業が候補にあがってきた。そこでアタックする前に、調べたり、人の噂を聞いたりして、充分に検討したんです」
 村山の語り出した町原産業株式会社の内容は、次のようなものであった。
 資本金は一億二千万円。総従業員数八百五十名。本社所在地、宇沢市栄町一丁目五−二。業務内容は、多岐にわたる。県南を中心に、全県下一帯に事業の手を拡げている。
 以前はボウリング場だった建物を、スーパーに改造。チェーン組織で八店を経営。
 貸店舗、事務所などのいわゆる雑居貸ビルを大小合わせて七棟の管理。ビルは、宇沢、川口、大宮、川越、熊谷に分散。そのほか八階建ての本社ビルを持つ。
 傘下のドライブ・インは六ヵ所。国道十七号、国道四号に。
 ゴルフ練習場を、大宮市内の荒川河川敷と、川越市の郊外の二ヵ所に。
 加えて土地の転売、遊休土地の管理など、不動産部門は充実している。
 社長は町原信吾、四十八歳。宇沢市議を経て、県議二期連続当選。保守党県議員会青年部長。青少年非行防止指導連盟会長など、名誉職の肩書き、数知れず。
 県下の財政界に、隠然たる勢力を有す。妻葉子は、銀行筋の大物の三女で、県下の金融界とも閨閥で結ばれている。家族は、妻との間に、中学生の長女と小学生の長男、次女。自宅は与野市にある。
 「社長は、立志伝中の人でね、一代でこれだけの勢力と富を築きあげたんですよ。このあたりじゃ、なにしろ大変な羽振りでね。たいしたものだ」
 村山の口調には、羨望というよりは、感嘆の響きがあった。
  (後略)
 
     
 街には、たそがれが迫っていた。
 雅彦は、宇沢の駅に近い喫茶店の片隅で、村山吉夫と向き合っていた。
 先刻、村山から自宅にいる雅彦に電話が入り、依頼された件の報告をしたい、と伝えてきたのだ。電話で済ますこともできたが、雅彦は会うことにした。
 カブを足にするようになってから、どこにでも気軽に出かけられる。むしろ、でかけるのが楽しくてならない。
 「だいたいのことは、調べましたよ」
 村山は、さっそく用件に入った。手帳を拡げ、書き写してきたらしい文字を読み出した。
 「町原社長の経歴ですが、まず生れは、川越ですね。地元の高校を卒業して、東京のF大学経済学部に入学」 
 F大は、三流の私立大学だ。雅彦のいたクラスでは、誰も受験しなかった。
 「卒業後、不動産会社に就職してます」
 「何という会社?」
 「ええと、明陽不動産、とありますね」
 ずしりと、腹の底に響いた。まちがいなく、吉安信吾と町原信吾は、同じ人間なのだ。
 「ところが、五年勤めて退社しています。昭和三十×年九月のことです」
 まさしく、強盗事件のあった年月と一致する。警備勤務の無責任さを問われて、馘首になったのか。いや、どのみち、退社するつもりだったに違いない。雅彦の頭の中では、町原の人生設計について、一本の推理が組みあがりつつあった。
 「その後、別な不動産会社に再就職しましたが、一年で辞めて独立しています。事務所を開設して、独力で不動産業界に乗り出す、とあります。二十九歳のときです。これが、現在の町原産業株式会社の基礎になった、と説明がついています」
 独立の開業資金は、いったいどこからでたのか。
 <いまに、仮面を剥がしてやる>
 雅彦は、テーブルの下で、両のこぶしを握り締めた。
  (後略)

「殺意の交差点」 大谷羊太郎 双葉文庫 1992年 ★★
 子どもの頃から目立ちたがり屋の拝原欣治はひと回りも年上のレストラン・チェーン店の女社長と結婚した。もちろん、金が目当ての結婚だった。だが、思惑は見事にハズれ、拝原が自由に使える金は僅か。拝原の胸に殺意が芽生えた。完璧なアリバイを用意して妻殺しを実行に移したのだが……。本格派の著者が放つサスペンスあふれる長編ミステリー!
     
 けさは、いつものように、自宅で志摩子と朝食をとった。
 近くに住む矢代道子という家政婦が、朝は早くから通ってきて、支度を整えてくれる。道子は五三歳で、八年前に夫と死に別れ、高校生のひとり息子を女手で育てている。見るからに、健康そうな体格の持ち主であった。
 「そういうわけで、今夜は川越泊まりになるんだ。いつものホテルだけど、電話番号はここにメモしておくよ」
 食卓で、拝原はつとめて陽気に言った。
 「遅くまで夜遊びなんかしないで、早く寝るのよ」
 志摩子の口調は、まるで母親のそれであった。結婚したての頃は、拝原も息子のように甘えていたから、そんな口ぶりが耳に快かった。
 しかし、まるで母親が息子の行動を制約するかのように、志摩子は生活の全般にわたって、拝原をかんじがらめに束縛している。
 目論見がはずれて、自由に金も時間も使えないと知ったいまは、志摩子の口調が耳ざわりになる。
 「分かっているよ。夜には、ホテルから電話するから」
 いやな気分を味わうのも、これが最後だ。今夜には、志摩子は死体になるのだから。心の中で毒づきながら、拝原は返事をした。
 「私からもするわよ。浮気をしていないかどうか、確かめるためにね。今夜も、加賀さんという方と、同室しているんでしょう」
 「ああ。あいつのからんだ仕事で、川越に行くんだもの。ずっと行動は一緒だよ」
 二人の会話を、食後のコーヒーをいれながら、家政婦の道子が聞いていた。事件が起これば、彼女の口からも、加賀の名が警察に伝えられるはずである。
 午前九時、拝原は旅行バッグを持ち、ガレージから車を出して、自宅を後にした。
 家を空けるのに、一泊のビジネス旅行という、ちゃんとした大義名分がついていた。
 これも、相棒の加賀が、拝原のために設けてくれた。
 加賀は独身で、所沢市の郊外に住み、現在は無職である。これから、自動車整備関係の新しい仕事をはじめるために、準備をしているとか。以前は、川越市に長くいて、自動車の修理工場で働いていたという。
 その縁で、川越市内には知り合いが多いと、拝原に話した。
 川越市内に、Fという巨大スーパーマーケットがある。加賀は、その事業部に知り合いがいた。彼の車の調整などの面倒を、よく見てやったので、親密になったそうだ。加賀は、そのコネを利用して、拝原をスーパーの事業部に紹介してくれた。
 こうして加賀は、拝原がスーパーにイベントの売込みができる下地をつくってくれた。拝原はさっそく、この五月に予定しているスーパーの新装開店の時期に、デキシーランドのバンドやタレントを使って盛り上げたらと、売込みにかかった。
 このプランは、拝原の勤めるイベント会社の企画会議を通したものであった。だから拝原は、社用で川越をしばしば訪れることになった。
 そんな手間をかけたのも、つまりは殺人計画の第一歩なのである。怪しまれずに、川越という街に泊まれるためであった。
 ではなぜ、その街に泊まる必要があるのか。
 加賀の知り合いに、影山守夫という男がいる。彼は、この街のビジネスホテルで支配人をしていた。加賀の考えたアリバイトリックは、そのホテルに泊まらないと、実行不可能なのである。
 この日の拝原は、まず車で南青山にある勤め先に顔を出した。午後四時過ぎまで、社にいた。それから、車を運転して川越に向かった。この動きは、あくまで社用である。
 夕刻、取引のはじまったそのスーパーに行き、担当者とイベントの打合せをした。やがて、夜になった。予め、スーパーの担当者と食事をする約束ができていた。この際、今度の仕事の口をきいてくれた加賀も、その席に連なった。
 レストランで時間をつぶしたあと、拝原は二人をバーに連れていった。
 今日の仕事のスケジュールに、夜の接待を組み入れたことで、川越泊まりが不自然ではなくなった。
 それに、仕事の橋渡し役の加賀と、一緒にホテルに泊まっても、自然の成り行きと、あとで警察に信じてもらえる。
 仕事で世話になり、親交は深まっている。それに拝原がFスーパーを、今夜の得意先にするには、そこに顔のきく加賀から、内部の情報をもらうことも必要だろう。
 なぜ加賀も、同じ部屋に泊まったのかと、警察に質問されたときには、こう答えるつもりでいた。
 「部屋で、飲み明かす約束をしてあったんですよ。彼はなかなかのアイデアマンですから、スーパーで予定しているイベントの知恵も借りたかった。
 勤め先も住所も離れているので、日頃はなかなか会えないでしょう。だから、いつもこんな機会には、たっぷりと時間を取って、話し込むんです」
 計画どおりにことは進行して、夜の一〇時ごろには、接待を終えて、予約してあったビジネスホテルに、拝原と加賀は入った。
 そして、ここから本格的に、アリバイトリックにかかった。

「「秩父山景」三層の死角」 大谷羊太郎 双葉文庫 1993年 ★
 上原厚子は愕然とした。それは27年間の人生で初めての衝撃だった。虎の子の貯金2000万円が押し入れから消えていたのだ。盗んだのは木野昌広。証券会社のセールスマン、彼女の財テクの相談役だった。が、やっと追いつめた木野はすでにカネは持っていなかった。そして揉み合っているうちに彼を殺してしまった厚子。その厚子の手に意外や2000万円が!?

「関越自動車道殺意の逆転」 大谷羊太郎 青樹社ビッグブックス 1999年 ★★
 高崎で実業家として財をなした芦野老人は、現在は息子に会社を譲り、悠々自適の生活を送っていた。老人には、過去、愛娘を暴漢に惨殺されるといういたましい記憶があった。そんな彼が復讐を思い立ったのは、ある青年との出会いがきっかけだった。数日後、東京練馬区でOLが殺害され、事件は川越、高崎、そして新潟と、関越道に沿って展開していくが・・・。好評の八木沢警部補シリーズ!

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作成:川越原人  更新:2009/8/30