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.話処 陶路子(とろつこ) |
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.姉妹店 おさつ 元町1-15-3 この店のご主人は観光ガイドブック「小江戸川越」の著者で、川越の生き辞引として知られる人。 できたら川越の歴史や観光の見どころなどを聞いてみたいものだ。 |
はすみ 埼玉・川越 ゆったり憩える川越の奥座敷
蔵造りの町川越にもソバ屋は多く見かける。天台宗の寺院・喜多院の門前町を抜けしばらく進むと住宅街の一角に禅味(ぜんみ)・はすみがある。
こぢんまりとした門と暖簾(のれん)、それに玄関に続く石臼を利用した踏み石、ここに来るとソバを食べるんだという気持になるのがうれしい。
ソバ料理とあって、品数は豊富で、お酒は黒松白鹿や八海山等があり、山ふぐ、そば豆腐、煮こごり、からすみ、わらび、板わさ、茶わんむしと数多いつまみの中から鴨焼(かもやき)で一杯やることにする。料理が運ばれて来る間が楽しい。ふと目を外に移すと猫の額ほどの庭と巾(はば)の広い廊下を通して差し込む外光が柔かく、ほどよく座敷にとどき何んともその調和がいい。気持の和らぐ瞬間でもある。
鉄皿の上でジュージューと音をたてた鴨焼は、タレの焦(こ)げた香が鼻をつく。厚めの肉四枚はボリュームがある。ほどよく酒が体になじんだ頃、再びしな書きに目を通す。ざるそば、変りそば、種そばの中から深山を注文してみる。これは、田舎ソバだが、最近の田舎ソバも食べやすくするために細く色も薄くなっているのが常だが、ここの深山は、太く、黒ずんでおり、なんともコシが強く、ソバの風味がおしよせて来る感じで、こんなにしっかりしたソバは久しぶりに出合った。さらに酒が進んでしまう。
おせいろは、信州の川上産のソバを使用していると言う。細打ちのソバは、少々ダシの香が強いが、辛からず甘からず、そのつゆと薬味の辛味大根おろしとがうまく合って、ソバは、どこに入ってしまったのかわからないほど進んでしまう。 (相田)
吟醸酒の商品化は、古く、かつ新しい問題である。そして吟醸酒の古酒化は、これからの問題である。
埼玉県川越市の「鏡山」の七年古酒にめぐり会ったことがある。この酒は、びん詰された小売店の倉庫に五年ほど眠っていたものである。店主のご好意で譲り受け、飲んだのである。 青の透明びんで、薄い包装紙につつまれての保存状態であったが、着色・濁りなどはなく、香りは少し老ね香があったが、吟醸香と調和し、味を引き立てる絶品であった。
○鏡 山(かがみやま) 川越市新富町1-10-1 鏡山酒造
『鏡山』は、むかしから小江戸≠ニいわれて、徳川家ゆかりのお寺なども多い川越のなかでも、古いのれんを誇る銘醸造の酒で、『小江戸』の銘をもつ。とくにその逸品ぶりに驚いたのは、やはり『特選街』誌(昭和五十六年二月)の各地方別予選を経た最後の日本酒日本一をきめる決勝コンテストで審査員をつとめたとき、この『鏡山』の一級酒に出会い、総点で十位であったが、全国から選り抜いた三百点あまりの純米酒や本醸造酒のなかで、普通酒でこのベストテンに進出したのはほかには『江田島』(広島)があっただけで、改めて『鏡山』の存在に注目したのだった。しかもこの決勝審査のとき、私は『鏡山』に色・香り、味とも満点を与え、「滋味、個性すぐれる」と評した。
その後、同僚審査員の英文学者船戸英夫氏が川越住まいなので、いっしょに『鏡山』の蔵を訪ねた。西武新宿線の本川越駅のすぐ前のメインストリートの裏手にある。竹内孝也蔵元は東北大農芸化学出身の醸造のエキスパート。坂口謹一郎博士の「美酒依心」の色紙を座右に、四季折々の老若男女をよろこばせる楽しい酒をつくりたい、と語った。全国鑑評会にも『鏡山』の吟醸はいつも金賞に入る。その吟醸や特級酒を利き酒して、これらが前記の利き酒コンテストに出品されていたら、まちがいなくもっと上位に進出して日本一を『西の関・美吟』(大分)などと競ったであろうと思われた。
山田忠一杜氏は新潟県中頚城出身。普通酒の原料米は高嶺錦にトドロキワセ、仕込み水は明治以降不変の水質を誇る自家の井戸水。なお吟醸古酒も秘蔵し、十年ものの「美酒依心」の銘の入った陶器入りを賞味したが、ほのかな色香。床しい風味、まさに名酒の鑑であった。
○鏡山(かがみやま)、小江戸(こえど) 川越市新富町1-10-1 鏡山酒造株式会社
「鏡山」はむかしから小江戸といわれた埼玉県川越の酒である。川越はむしろ江戸よりも歴史的には古くから開けたところである。太田道灌が開いた霞ヶ関という関所に由来する地名も、まず川越にできたぐらいだ。
「鏡山」はその歴史と文化を育てた川越にふさわしい名酒である。川越の郊外には荒川の上流に当る入間川が流れ、喜多院などの名刹 (めいさつ)のある市内には、元の城跡をめぐる堀割の新河岸川が流れて、秩父連峰からの清冽な地下水が井戸から湧き出た。その水よき里に「鏡山」は明治初年の創業以来百十余年、代代酒づくりに理解の深い蔵元が、関東、東京はおろか全国に誇る酒質を育ててきた。とくに現在の竹内孝也蔵元は東北大で醸造を学んだエキスパートで、全国新酒鑑評会でも幾度となく金賞に輝いている。
五年、十年秘蔵した吟醸酒も、それぞれの年度の微妙な風味のちがいを蔵して楽しい。「美酒依心」と坂口謹一郎博士が銘うった「小江戸」は、その「鏡山」の秘蔵古酒の酒名である。
◆なぜ地ビールを造ったか―歴史と由来
埼玉・川越は、舟運により江戸の台所として栄えた町。今でも蔵造りの古いたたずまいが数多く残り、小江戸≠フ風情を漂わせている。そんな市街を抜け、特産のサツマイモ畑が広々と続く中に小江戸ブルワリーはある。運営するのは地元で有機農産物の販売を手掛ける協同商事。地域復興のパワー源になればと、なんと川越名産のサツマイモを使ったサツマイモラガーを商品化している。ネーミングも地元川越にちなんで「小江戸蔵の街」。
このサツマイモラガー、厳選した麦とホップを主原料に神泉の湧水で仕込むが、副原料にサツマイモを使うため、酒税法上はビールではなく発泡酒。発泡酒と聞けばビールより格下という印象があるが、ビール≠ニいう名前のステイタスにこだわるより、地元産農産物の持つ豊かな特性を引き出した地域性と季節感のある新しい飲み物を造ることがここのモットーだ。
発泡酒はビールに比べ材料などに制限が少なく特色が出しやすいうえ、ビールより酒税が安いため、安く提供できるのもメリット。限りなくこれまでのビールに近づけるのではなく、ビールじゃない地発泡酒という新しい醸造文化の確立を目指す。サツマイモのほか、有機栽培によるリンゴを使ったものもあり、さらに今後はイチゴ、ハーブ、ニンジンなどラインナップも多彩に、地発泡酒の世界をさらに広げていく予定だ。
◆どんな種類と特徴がある?
基本は「ペイルラガー」「ピルスナー」「ラガー」「ビター」「スタウト」の5種類。プラス、ラガーに焼いて皮を剥いたサツマイモを入れた「サツマイモラガー」、ペイルラガーにリンゴを入れた「リンゴペイルラガー」などが楽しめる。ペイルラガーはすっきりした喉ごし。ピルスナーはホップの爽やかな香りと苦み、キレのあるすっきりとした味わい。ラガーはすっきりした飲み口にコクをプラス。ビターは焙煎した麦芽を使った香ばしい香りと深いコクが楽しめる大人の発泡酒。濃褐色の色合いのスタウトは重厚で深みのある飲み応え。麦汁の風味をダイレクトに楽しめる。また、熱処理やろ過をしないで酵母を生かしているのも自慢の一つ。豊かなコクとフレッシュで爽やかな味わいが楽しめ、体調を整える作用があるといわれる酵母がいっしょに飲めるからヘルシーというわけだ。
◆飲んでみたら
焼きイモ入りのビールとはどんな味がするのだろうかと飲む前から興味津々。サツマイモラガーを試したが、色は黄金色、泡も生き生きとしており、たしかにほんのりと焼きイモっぽい香りもする。口に含むとこれがビール? と思うほどの甘みがあるのにおどろき。さらに、意外とさっぱりとした飲み口でまろやかな舌触りとくれば、一番人気があるというのもうなずける。飲み飽きせず、たくさん飲めそうな気がした。特に女性におすすめだ。また、リンゴを副原料にしたリンゴペイルラガーもさっぱりした飲み口。
◆飲めるところと買い方
「小江戸ブルワリー・川越」は発泡酒の醸造ラインと、パブレストランが一体化した設計。タンクからダイレクトにグラスに注ぎ、酵母が生きるできたてのおいしさをその場で楽しめる。食事のメニューはドイツ人シェフの作る本格的なドイツ家庭料理。ジャーマンポテトやポテトグラタン、無添加のハム・ソーセージの盛り合わせなど、どれも「小江戸蔵の街」との相性は抜群! ビールはブルワリーで販売もしているので、お土産にして家庭で楽しむこともできる。ブルワリー以外では川越市内の丸広百貨店、京王百貨店新宿店でも取り扱っている。
(前略)
小竿さんの恵まれた朝食は、職住近接だからできるのかもしれない。でも、ラッシュにもまれるサラリーマン、とりわけ朝の早い遠距離通勤の人はどうなのだろう。ハウス食品特販部の加藤政義さんの場合、日本橋の会社と埼玉県川越市の自宅間は35キロ。8時50分の始業だから朝食はなんと6時だった。妻子は寝かせたままのセルフサービスである。
川越市の新興住宅地。はや明かりのついた家がいくつもある。マイホームの前で加藤さんは体操中だった。夏は4時半、冬は5時起床で、朝一番のストレッチ体操は、都内通勤で早起き揃いの近所でも有名になっている。
二階では奥さんと一男三女が布団の中。この習慣は3年前に引っ越してきてからで、年子を出産したばかりの妻をいたわった結果である。といっても、前夜のうちに支度を完璧にしてくれる奥さんに不満はないし、もともと朝には強いから、ひとりだけの早起きも平気である。
常連献立は自家製いかの塩辛、ひじきの煮物、きんぴらなどの常備菜。ごはん。味噌汁。漬物。ごはんは電気釜にセットしてあるし、味噌汁も鍋にだし汁、具、味噌が入っている。
ごはんはたっぷりよそう。大のお米好きで、出張先でも地元米を味わうため和風朝食にしているぐらいだが、家では北海道産きらら397。「6人家族で月に15キロは食べるから、安くおいしいお米は家計上も大歓迎」と言い切った。
続いてわかめと豆腐の味噌汁を注ぎ、塩辛、切り干し大根の煮物、白菜漬けを並べる。テーブルにセットしたら6時。朝刊に視線を向けたまま、箸をてきぱき行き来させる。
朝ごはんは加藤さんの好みのものばかり。味噌はデパートの物産展で購入した仙台味噌だし、塩辛は週末に甘塩に漬け込んだもの。白菜は庭の菜園製。ほかに大根、にんじん、春菊、キャベツも作っており、汁の実にサラダにと毎朝重宝している。切り干し大根は名古屋の実家から届いた。ひとりぼっちの食卓だって、おとうさんは好物を食べて英気を養っているぞ――そんな満足感が表情にあった。
6時20分に出発。東武東上線霞ヶ関駅までは約2キロ、バス路線がないので朝晩は自転車が頼り。途中、同様な自転車が集まってきて、闇の一本道を駅へと驀進(ばくしん)する。すきっ腹ではこの耐久レースはとてものりきれまい。
駐輪場に愛車を入れ、改札に着くとホームはささやかながら人波。数えると35人であった。次の川越市駅で始発に乗換える。うまく座れた。窓が白んでくる。これからの55分間が、年間60冊目標の読書タイムである。
池袋から山手線。神田駅の改札を出ると、立ち食いそばやスタンドカレーから強烈な匂い。わたしは思わず足が止まってしまった。ぺこぺこのところに、醤油やカレーの香りが手招きすれば、朝からでもそばやカレーを食べてしまう……。元気に外食しているサラリーマンの心模様に、わたしは思いをはせた。
だが、自前朝食で満ち足りている加藤さんには無用の匂い。地下鉄で三越前までひと駅乗車。会社までちょうど2時間だった。
(前略)
和田さんと二人で、小野食品を訪ねた。和田さんは何度となく訪れている、しかし、同じく食のプロとしては、仕事の邪魔はしたくないので、意図して豆腐作りの時間は遠慮していたのだとか。こちらは、そういう訳にもいかない。作るところを見せてもらわねば。だから、和田さんもちょうど良い、見てみたいと一緒に行ったのだ。
いやはや。
豆腐のイメージが強烈だったもので、どんなところにあるのかと思ったら、川越も市内。住宅地である。川越とはいっても、郊外の人里離れた、清流の脇あたりで作っているものかと勝手に思ったのだけど。
その住宅兼店兼工場は、こじゃれた建物ながら、中を覗くと、まあ、どこにでもあるふつうの豆腐屋である。見たような機械が並んでいるということだ。古い道具があるわけでも(シャレで作ったという木樽はあったが)、最新鋭の特別なものがあるわけでもない。
挨拶もそこそこに、小野哲郎さんに豆腐作りを見せてもらう。大柄でしっかりとした体格ながら、人の良さが表情に出ているような小野さんは、一つ一つ丁寧に説明しながら、そのプロセスを見せてくれた。
使う大豆は信州の中千成などだが、ブレンドはしない。それぞれの大豆で相性が良いものを作る。国産でなくても、豆腐に合う大豆もあることを認めるには吝(やぶさ)かではないが、まあ、氏素性がはっきりしているものを、ということで、国産を使うという。
季節によって時間は異なるが、前日から水に浸けてある大豆をセラミックの臼で潰す。これも石が良いとかいう話もあるが、それだと時間がかかりすぎ、その間に変質する恐れもあるから、ちょうど良いのはセラミックだという判断だとか。
すり潰された大豆はそのまま圧力釜に入っていく仕掛け。水分量を作るものによって合わせる。圧力釜の温度も、作るものによって異なる。
炊き上がると、これまた自動的にオカラと豆乳に分かれて出てくる。まあ。このあたりは今ではふつうの、どこにでもあるもの。
で、出てきた温かい豆乳にニガリ(これはあれこれブレンドしたあるのだとか。これも、あれこれ試しての結果ということらしい)を投入。そして、一混ぜ。
これでそのまま置くと、小一時間で豆腐になっている。それをザルに入れ、布で包み、それから奥さんにバトンタッチすると、彼女はビニール袋に詰めて、冷水に放り込む。これで、出来上がり……。
(後略)
・小野食品
〒350−0034 埼玉県川越市仙波町2−7−23
営業時間/9時〜18時 定休日/日曜
文政三(1820)年五月、中村仲蔵など、子どもたちだけで一座を組み、武州(埼玉県)川越在の寺で『忠臣蔵』を上演した。
楽屋入りするため、本堂の傍を通ると、見事な竹の子(筍・笋)が生えていた。仲蔵たち悪童はそれを盗って宿に帰ってから他の子どもに見せびらかした。それを見ていた宿の主人は「殿様に献上する竹の子だから、盗ったのがわかれば、討ち首か遠島だ」。仲蔵たちは震えあがって不安な夜を過した。
朝まで何の沙汰もなかったから、「もう安心して良いですか?」と宿の主人に確認すると、「大丈夫だろう。ところで、竹の子はどうする」と聞いてくる。「怖いので、捨てます」と仲蔵が答えると主人は、「もったいない。私が料理してあげよう」という。
主人は、「筍を土の着いたまま、皮毎に庖丁にて真二つに割り、玉子を十四五、大丼へわり、掻きまはして味をつけ、その玉子を割りたる筍へつぎ込みて、もとの通りに合はせて、その上を荒縄にてグルグル巻いて、穂のところを握り、根元を囲炉裏のぬくばひ(熱い灰)の中へ突っ込む。縄も皮も焦げるに随って、中がよい塩梅に焼けて能い時分、灰の中より出し、皮をむいてポッポと湯気のたつのを、小口から切って『サアサア食べてみなさい』」と食べさせてくれたという。
その味は「何に譬へんものもなく、穂先のところなどは綿のやう」だったという。仲蔵たちが「このような美味いものは食べたことがない」と言うと、主人はいわく「そりゃそうだ。首と引き換えの竹の子だもの」。
主人は大袈裟なことを言って子どもの悪戯を咎めたのである。