川越を歩く(1)


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散 歩
「ブラタモリ3 函館 川越 奈良 仙台」 監修/NHK「ブラタモリ」製作班 角川書店 2016年 ★★
3 なぜ川越は小江戸と呼ばれる?
      東京からおよそ30kmに位置する埼玉県川越市。
 江戸の雰囲気が楽しめるまちとして、近年その人気はうなぎのぼり。
   「小江戸」といわれ、年間660万人もの観光客が訪れます。
      でもなぜこのまちに、江戸そっくりの風景が?
 川越へは40年ほど前に一度来たきりというタモリさんも「??」
    その謎を解き明かすのが、今回の旅のテーマです。(2015年6月20日放送)

 ルート1 蔵のまち @蔵造りの町並み→A時の鐘→B江戸職人の技
江戸職人が造った蔵造りの町並み
  重厚な蔵造りの商家が立ち並ぶ、川越一番街エリア。その町並みは、東京にはもう存在しない江戸の風景そのもの。小江戸の謎の答えのひとつは、ここ蔵のまちにありました。
 川越に来れば江戸が見られる
 火事への恐れから生まれた町並み

 ルート2 舟運 C新河岸川沿いを歩く→Dかつての船問屋→E船頭に挑戦
川越と江戸を結んだ新河岸川の舟運
  新河岸川を舞台に約300年間続いた舟運。多くの船が行き交い、さまざまな物資が運ばれました。川越と江戸は、この川で密接につながっていたのです。
 江戸との舟運で栄えた商都・川越
 「えっ、船問屋が残っているんですか!?」
 舟運時代そのままのお宅で貴重なお宝を拝見! 元船問屋「伊勢安」
 舟運の船頭を体験! 「ひらた舟」を漕いでみた

 ルート3 江戸城の遺構 F喜多院
川越のお寺に江戸城の一部が現存!
  小江戸川越のルーツを訪ね、喜多院へ。なんと本物の江戸城の建物が、ここには存在するのです。徳川将軍家との結びつきの深さに驚くばかり!
 徳川家光が命じた御殿の移築
 家光が生まれた部屋や乳母・春日局の居室も
 もうちょい松尾’S VOICE 徳川家康と天海に始まり 幕末まで続いた深い縁 川越と江戸の関係は特別です

KUWAKO’S TALK
「江戸を知りたいなら川越へ」といわれるわけをガッテン!
舟頭姿も決まるタモリさんはさすがでした

「東京郊外半日散歩」 山内住夫・とんぼの本編集部 新潮社とんぼの本 1990年 ★★
 −目 次−
<東京都>
 花々と寺、そしてそば 深大寺/春に歩いて 玉川上水 羽村堰/橋から橋へ 玉川上水 木下道/折々の山村歩き 青梅・奥多摩/ミニ散歩 奥多摩むかしみち
<埼玉県>
 どこか懐かしい小江戸=@川越/ミニ散歩 平林寺・清瀬/高麗人のふるさと 飯能・高麗/ミニ散歩 大宮公園
<神奈川県>
 ミナト町と日本庭園 横浜/ミニ散歩 柿生 王禅寺/基地の町と無人島 横須賀・猿島/ぶらり歴史散歩 三浦 衣笠城址/ミニ散歩 日向薬師
<千葉県>
 城下町で路地めぐり 佐倉/ミニ散歩 手賀沼・布施弁天

 どこか懐かしい小江戸川越
・「春日局」ゆかりの町
 川越と聞いて、すぐ思い浮かべるのが特産のサツマイモ。「小さい頃のおやつといえば、決まっていもせんべいか蒸しいも。それもあんまり甘くない、安物ばかり食わされた……」。そう話してくれたのは地元の友人だ。何だか、ダサイタマ≠フ県にいかにもありそうな、暗い話を持ち出して申し訳ない。ところが、平成の新時代を迎えたあたりから、川越を訪れる観光客が急増しているという。
 NHKの大河ドラマ「春日局」の放映(平成元年)が、その起爆剤となったのである。江戸城の北西の守りとして重視された川越藩は、徳川幕府の厚い保護を受け、有力大名がその任にあたった。三代将軍家光やその乳母春日局の部屋がある客殿や書院をわざわざ江戸城から、川越の喜多院へ移築したのも、そうした政治上の結び付きが強かったからである。やがて物資の供給も盛んになり、江戸との往き来も激しくなると、人々はいつしか川越の街を「小江戸」と呼ぶようになった。伝統ある城下町はその後、幾たびの大火に耐えながら、昔の面影と文化を伝え、今や埼玉県下でも有数の大都市として発展を続けている。そんな訳で、川越の街につきまとうダサイタマにあるイモの町≠ニいう暗いイメージはもはや一掃されてしまったのだ。

 川越へは、東武東上線西武新宿線JR川越線の三線が通じているが、散歩コースに最も近いのが西武新宿線の本川越駅である。東上線なら川越市駅川越駅とまちがえないように)がよい。各駅には観光協会が作った散歩用の絵地図が備えられているので、着いたらそれをもらって、記載されたコースに従って歩けばよい。
 市内の見るべきところは、実に沢山あって、地図を見ただけではしんどいと思うかも知れない。しかし実際に歩き始めると、意外に観光ポイントは接近しているのが分かり、一日あれば主だったところは回れる。半日なら、寄りたいところを予め選んで回るか、気ままにコースを辿って時間が来たら駅へ引返せばいいのだ。なにしろこの町は、土産物屋、古美術店、名物の飲食店など、ついふらっと入りたくなる店が非常に多いので、無理して長い距離を歩こうと考えない方がよい。川越は、寄り道する楽しさが大きな魅力なのだ。

・迫力満点の蔵造り
 本川越駅から北へ真っ直ぐ伸びる道が市内散歩のメイン・ストリートで、前半が中央通り、後半が一番街通りと呼ばれる。しばらくは普通の商店街が続くが、やがて左手に蓮馨寺が見えてくる。永禄十年(1567)、川越の城将となった大導寺駿河守政繁が、亡くなった母の蓮馨尼のために建てた寺で、開山は感誉上人。徳川時代は浄土宗関東十八壇林(坊さんの大学)の一つだった。本堂に呑龍上人の像が安置され、「子育ての呑龍様」として親しまれている。

 さらに商店街に沿って歩くと、前方に真っ黒く分厚い壁の家が現れて、急に街の印象が変わる。ここから先の一番街通りに、川越を代表する伝統建築、蔵造りの商家が最も残っている。城下町川越は江戸時代、周辺農村地から運ばれる物資の集積地となり、商人は川越街道や市内東側を流れる新河岸川の舟運を利用して、物資を江戸へ供給し、富を蓄積していった。蔵造りはそんな商人の富の象徴のように見えるが、実際には、江戸時代の商家は板屋根、石置き屋根のものが多かったようだ。市内に蔵造りの家が多く建てられるようになったのは、明治二十六年の川越大火がきっかけである。町の三分の一、約千三百戸を焼失するという大被害を受け、商人たちは防火対策として、江戸の町にあった耐火建築の蔵造りに注目した。当時、新しい耐火建築ではレンガ造りが広まりつつあったが、川越の商人は伝統の蔵造りにこだわり、レンガは屋敷の塀や地下蔵に補足的に使ったという。

 現在、市内には二十棟の蔵造りが国や市の文化財に指定されている。この一番街通りに固まって残っているのは、見学する上でも有り難い。まるで時代劇の撮影所の中を歩いているような気分になって嬉しくなる。主な見どころを順に紹介すると、まず右手に川越名菓いもせんべいの老舗「亀屋」がある。創業は天明三年(1783)。店の裏手には文庫蔵や工場に使っていた蔵を利用した山崎美術館がある。川越の画家で近代日本画の基礎を築いた橋本雅邦の作品を中心に展示されている。通りをもう少し歩くと、蔵造りの商家に混じって古い洋館が現れる。これは埼玉銀行(現あさひ銀行)の支店で、現在も営業中。その先には、日常生活に使われた古い民具を公開する服部民俗資料館がある。昔は、履物屋と薬屋を営んでいた商家で、ご主人が親切な説明をしてくれる。その説明によれば、通りに立つ電柱は美観のため、いずれ地下に埋設されるという(現在その工事は完了している)。その斜め向かいにあるのが、川越市蔵造り資料館。煙草の元売捌所を営んでいた蔵造りの商家を公開している。建物は川越大火の直後に再建されたもので、通りに面して二棟の店蔵、奥に来客用の奥座敷、さらに文庫蔵、台所、煙草蔵、文庫蔵(三番蔵)と続き、店蔵にはレンガ造りの地下貯蔵庫を備え、家族は別棟に住んでいた。細長い敷地を有効に使った機能重視の設計が光る。
 その先を少し進んだ反対側には、国の重要文化財に指定されている大沢家住宅がある。呉服商の近江屋半右衛門が寛政四年(1792)に建てた蔵造りで、関東でもかなり古い町家の一つだ。間口が六間と広く、白壁塗りなのが特徴だ。

 午前十時頃から歩き出せば、この辺りでお昼時となろう。ゴーンという重みのある鐘の音をその頃に聞くことができたら、幸運だ。小江戸川越のシンボル、時の鐘が告げた正午の時報である。最初に建てられたのは、寛永年間(1624〜44)の頃で、川越城主酒井讃岐守忠勝の命による。櫓の高さは、奈良の大仏と同じで16.2メートル。明治の大火でこの櫓と鐘も焼失したが、その後再建され、現在でも一日四回、鐘音を街に響かせている。なお、時の鐘の少し東寄りに「いせ清」というそば屋がある。細めの機械打ちめんだが、結構コシがあり、風味もよい。天せいろ、天ぷらそばがおすすめだ。

 コースは一番街通りからはずれて、小さな路地を入っていく。蔵造り資料館の先に左折を示す指導標が立っている。正面に見えてきた寺は養寿院で、鎌倉時代中期に建てられた。天文四年(1535)、住持の隆専により曹洞宗に改宗し、江戸時代には、幕府から朱印十石を安堵されて栄えたという。寺宝の銅鐘は国の重要文化財に指定されている。

 養寿院の前を右折すると、左手に色とりどりの幟がはためく小路がある。かすり姿のおばさんの呼び込みにつられて入っていくと、店先にはあめ玉や麩菓子など、昔懐かしいお菓子があふれている。さすが菓子屋横丁と呼ばれる所だけあって、十数軒のお店が軒を並べて、手造りの菓子や食事を提供している。その中の一軒「田中屋」では、菓子造りの道具の展示や菓子造りの体験コーナーがある資料館と、川越出身で、さし絵、装幀画家として戦前に活躍した小村雪岱の美術館が併設されている。横丁には、いもそうめん、いもアイス、いもきんつばなど、サツマイモを使ったアイディア食品も売られている。

・川越城址を歩く
 横丁を通過すると、交通量の多い県道に出る。市の指定コースでは、県道を左へ少し行き、新河岸川にかかる高沢橋を渡って、川沿いを下流に向かうが、汚染された川を見ても仕方がないし、途中、それほど重要な観光ポイントもないので、ここでは省略し、氷川神社へ直接向かうことにする。県道を東へ進み、江戸時代には高札が立てられたという「札の辻」の交差点を横断して真っ直ぐ進む。途中、右側に「吉寅」というすき焼きとフランス料理の店がある。明治十年の創業で、川越で最も早くカレーライスを出した店として知られている。昼食向けに、スペシャルカレーを始め、サービス・ステーキ、城下町定食といったメニューもあり、ファンが多い。

 市役所を左に見ながらさらに進み、養護学校の前の道を左折すれば、氷川神社に着く。
 氷川神社は、欽明天皇の時代(539〜571頃)に大宮の氷川神社の神霊を勧請して建てられた。川越城の鎮守として歴代城主の保護も厚かった。本殿は三間社・入母屋造りで、銅瓦葺き。比較的小さな建物だが、軒下に五十種に及ぶ彫刻が施され、中国童子の絵や祭りの様子も描かれており、見応えがある。

 氷川神社の例大祭は、毎年十月十四、十五日に開かれる(現在は、10月の第三土曜日とその翌日の日曜日に行われてる)。日本三大山車祭りに数えられている川越祭りは、この神社のお祭りだ。川越城主松平伊豆守信綱が、慶安二年(1649)に神輿や獅子頭などを寄進したことが祭りのきっかけになったといわれる。祭りの前日には提灯に灯が入り、山車のお囃子が打たれる。翌十四日、朝太鼓が鳴り、先ぶれの役、町内の代表者、一の拍子木、手古舞の女の子、鳶職らが列をつくって氏神の氷川神社へ参詣していく。山車はそれぞれの町内を回る。十五日は「曳っかわせ」と呼ばれる各町内の山車の引き合わせで祭りはクライマックスへ突入。山車と屋台が他の町内を順番に回り、夜には主だった辻に何台もの山車が集結する。舞台をクルッと回して山車が向かい合うと、テンポの速い祭り囃子とユーモラスな踊りが演じられ、歓声が湧く。お囃子の乱れた方が負けで、その山車は相手方に道を譲らなくてはならない。二日間、街は人波で埋め尽くされる。江戸天下祭りの様式を取り入れた祭りは、同じ江戸の建築様式である蔵造りとマッチして、毎年、川越の街に江戸情緒をよみがえらせるのだ。

 氷川神社を後にして、これからコースは南へ下っていく。指導標に従って歩いていくと、武家屋敷に似せた真新しい建物が左手にみえてくる。最近、完成したばかりの川越市立博物館である。原始・古代からの川越の歴史を、複製や模型などによる立体展示で教えてくれる。ビデオルームではクイズを解きながら町の歴史が勉強できて、子供たちに人気がある。
 博物館を含めて、その南側の一帯は、川越城の跡で、市民には初雁公園の名で親しまれている。野球場やプール、テニスコートなどがあるが、何と言っても見逃せないのは、川越城の建造物で唯一残っている本丸御殿である。

 川越城は長禄元年(1457)、上杉持朝の命により、家臣の太田道真道灌父子が築いたものだ。上杉氏は六代にわたって居城にしたが、天文六年(1537)に小田原の北条氏綱に攻略され、後に北条氏の家臣福島綱成が入城した。ところが天文十五年(1546)に、上杉朝定、憲政と古河公方による連合軍八万余の包囲攻撃を受ける。しかし綱成は、氏康の援軍もあって夜間に奇襲し、何とか城を守った。これが史上、名高い川越夜戦である。天正十八年(1590)、徳川家康の関東入部にともなって川越藩が置かれ、八家二十一人が城主をつとめることで、江戸城の北西の守りの要となった。
 歴代城主の中でも松平伊豆守信綱の名はつとに知られる。寛永十年(1633)老中となり、三代将軍家光、四代家綱に仕えた。島原の乱を鎮定した功績により、寛永十六年(1639)、川越藩主となる。信綱は早速、大火により被害を受けた川越城の大増改築に踏み切った。本丸、二の丸、三の丸を構え、さらに三つの櫓と十二の門より成る、平城としては大規模なものを築いた。

 しかし明治維新により、城はその後解体され、現在は本丸御殿の唐破風の玄関、櫛型塀、大広間など八つの部屋を残すのみである。玄関の前に立つと、さすがにその大きさと威容には、思わず唸ってしまう。中へ上がって、廊下を歩きながらガランとした大広間のたたずまいを見ていると、居並ぶ重臣たちの姿が幻のごとく目の前に浮かび、消えていった。
 幻といえば、川越城には七不思議と呼ばれる伝説が残っている。その一つ「霧吹きの井戸」には、敵の攻撃を受けた時に井戸の蓋を開けると、たちまち霧があたりにたちこめて、城を包み隠してしまうという話があり、その井戸の跡は、公園内に残されている。

 本丸御殿の向かい側の林には、三芳野神社がある。大同二年(807)の草創といわれ、社名の三芳野は、『伊勢物語』に出てくる「みよし野のたのむの雁もひたぶるに 君が方にぞよると鳴くなる」という歌の「みよし野(川越北部の古い地名)」から採ったという。本殿と拝殿を相の間でつないだ権現造りの社殿は、寛永元年(1624)、川越城主だった酒井忠勝が徳川家光の命により建てた。社殿各部の太い木割り等に桃山時代の壮麗な気風が残っている。
 この神社は、本丸城内にあって四方を土塁と堀に囲まれていたため、参道も細長く、暗い。昔は一般人の参詣も恐らく難しかっただろう。そんなことからか、童謡「とおりゃんせ」の歌詞は、ここが発祥地といわれている。歌詞を口ずさみながら歩くと、確かにそう思えてくる。
 神社を出て右折し、五分程歩くと、住宅街の中にこんもりした森が右手に見えてくる。この高台は川越城富士見櫓の跡である。城内の三つの櫓のうち一番高かったので、ここを天守閣の代わりとした。森の中には小さな神社がある。

・市民の憩いの場、喜多院
 道を一旦戻り、途中から指導標に従って南下していく。このあたりは新興住宅地で、車の通行も少なく静かに歩ける。やがて左手に浮島神社が見えてくる。境内に小さい池があり、昔はこの付近が沼沢地であったことを思わせる。そんな土地柄から浮島の名も付いたという。
 神社の前から斜め右の道を進むと、大通りへ出て、再び城下町らしい町並みになる。向かい側には、成田山川越別院がある。失明して生きる意欲をなくした下総の国の石川照温という人が、成田山新勝寺のお不動様を信仰したおかげで目が見えるようになった。彼はさらに修行を積み、嘉永六年(1853)に廃寺となっていたここ本行院を、成田山新勝寺の別院として再興したのである。毎月二十八日に開かれる蚤の市に人気があり、大勢の市民が訪れる。

 成田山川越別院の前は、川越大師の名で親しまれてきた喜多院の参道が通っている。国の重要文化財に指定されている切妻造り、本瓦葺きの山門をくぐると、目の前に広々とした境内が広がる。沢山の鳩が飛び交い、子供たちがエサを手にして、後を追いかけている。何軒かの出店の前にはベンチが置かれ、老人たちは、お茶を飲みながらのんびりとおしゃべり。主婦のグループは、アイスクリームにみそおでんに焼きだんごと、どっちかというと食べる方に夢中(失礼!)のようだ。いずれにしても、川越散歩の最後に喜多院へ訪れると、歩き疲れたせいもあり、この居心地のいい境内でゆっくりとくつろいでしまう。

 喜多院は正式には星野山無量寿寺喜多院といい、平安初期の天長七年(830)、淳和天皇の命により慈覚大師円仁が創建した勅願所が開基とされる。その後、元久二年(1205)の兵火で炎上し、永仁四年(1296)に伏見天皇の命で尊海僧正が再興した時、慈恵大師を祀って官田五十石が寄せられ、以後、天台宗の関東総本山として隆盛する。正安三年(1301)には後奈良天皇から「星野山」の勅額を賜った。が、天文六年(1537)、北条氏綱上杉朝定の戦いで寺は再び炎上してしまう。

 その後、無量寿寺に入山して寺勢の盛り返しに尽力したのが、徳川家康のブレーンとして知られる天海僧正であった。天正十六年(1588)、寺内の仏蔵院である北院の入って、北院二十七世を継ぎ、慶長十六年(1611)には川越へ鷹狩りに来た家康と親しく接見し、信頼を得る。家康は寺領四万八千坪と五百石を下し、北院の改築を命じた。この北院がやがて喜多院と呼ばれ、寺の総称となっていった。寛永十五年(1638)の川越大火で、ほとんどの建造物を焼失した時も、三代将軍家光から直ちに再建の命が出され、天海の願いで江戸城紅葉山にあった書院、客殿なども移築されたのである。このように、三代の将軍たちと深いつながりを保った天海がいたからこそ、喜多院は幕府の厚い庇護を受けられたのだ。

 国の重要文化財に指定されている客殿、書院、庫裏などは拝観できる。客殿から眺める小堀遠州流の庭園も落ち着いた雰囲気で、日本人に混じって外国人もうっとりしながら、江戸の世界に浸っている。美術ファンには、やはり重文指定である狩野吉信作の「紙本着色職人尽絵」が見逃せない(ふだんは模写の展示、実物はゴールデン・ウイークのみ展示)。六曲屏風一双の上下二段に二十五種類に及ぶ近世の職人たちの風俗が細かく描かれている。また、山門の南側の一角にある五百羅漢もぜひ見学しておこう。五十年の歳月をかけて彫られた五三五体が鎮座し、ユーモラスな表情で観光客の笑いを誘う。

 境内をそのまま南へ歩いていくと、三大東照宮の一つである仙波東照宮の前に出る。元和三年(1617)、徳川家康の遺骸を日光へ移送する途中、天海が四日間の法要を営んだことから、寛永十年(1633)に建てられ、大火による焼失ののち、寛永十七年(1640)、時の城主堀田加賀守正盛によって再建された。日光東照宮に比べれば、模型みたいな小さな建物だが、華やかな飾りや極彩色の塗りはやはり見事。建物のほとんどが国の重要文化財に指定されているが、社宝は拝観できない。

 道路に出て、さらに南へ向かえば、星野山無量寿寺仏地院にあたる中院がある。東照宮建造の折に、現在地に移された。草木の手入れが行き届いた境内は、日本庭園のような趣があって気持がいい。明治の文豪・島崎藤村の義母である加藤みきの墓がある。

 ここから本川越駅へ向かえば、市内の主な観光ポイントを訪ねながら一周したことになる。細かく回れば、まだ数日はかかりそうな興味の尽きない町といえる。だから、余り欲張らないで歩いた方がいいのだ。散歩中、チェックしておきたいお店もきっと幾つか出てくるはずだ。
 食事処で忘れてはならないのが、うなぎ屋だ。戦前までは、川越産の天然うなぎが市場に出回っていたそうだ。松江町の「いちのや」は天保三年(1832)の創業で六代目。うなぎのコース料理もある(月曜休み)。同じ松江町の二丁目にある「小川藤」(金曜休み)も大正時代の創業。うな重とうな丼しか出さない仲町の「小川菊」(木曜休み)も老舗で、親子二代のファンもいるという。

 なお、川越市の北隣、川島町白井沼には遠山記念館がある。地元出身の実業家、遠山元一氏の生家を開放して、氏の美術コレクションを展示している。展示品は国の重文指定の作品五点を含む日本、中国、中近東の工芸品が中心だ。

(順 路)
本川越駅→蓮馨寺→山崎美術館→あさひ銀行川越支店→服部民俗資料館→川越市蔵造り資料館→大沢家住宅時の鐘養寿院菓子屋横丁→札の辻→市役所→氷川神社→川越市立博物館→川越城本丸御殿→三芳野神社→川越城富士見櫓の跡→浮島神社→成田山川越別院→喜多院五百羅漢仙波東照宮→中院・加藤みきの墓→本川越駅


蔵造り資料館 川越インターネットモールの中にあります)
川越市立博物館
喜多院 川越インターネットモールの中にあります)
中院 川越インターネットモールのなかにあります)

「のんびり週末さんぽ 首都圏からの小さな日帰り旅 昭文社 2004年 ★★
川越を歩く  江戸の町屋を彷彿させる蔵造りの町並みと徳川家ゆかりの史跡を辿る

「マンガ 駅から歩く小さな旅 首都圏日帰り編 中尾雄吉 講談社 2000年 ★★
 コース18 江戸時代の面影を残す古い町並みをのんびり散策
 蔵造りの街川越から伊佐沼(埼玉県川越市)
 城下町として栄えた川越は、現在でも黒塗りの蔵造り商家が軒を連ね、その繁栄と賑わいから小江戸と呼ばれた江戸時代の面影を残してくれている。
 西武新宿線の終点・本川越駅で降りたら、駅前の交差点を東に向かおう。お茶屋のある四辻を右に入ると、静かな雰囲気の中院。左に曲がれば日光、久能山とともに三大東照宮のひとつ仙波東照宮だ。ここからダルマ市や五百羅漢で知られる喜多院の境内に入る。この寺は天台宗の関東総本山で、慈覚大師が創建したと伝えられるが、焼失して永仁4年(1296)に再建された古刹。書院や客殿などは国の重要文化財に指定されている。
 朱塗りの多宝塔の脇から境内を出たら、西山歴史博物館や中央公民館の前を通って川越城跡に向かう。本丸御殿には歴史資料が数多く展示されているので見学してみよう。
 伊佐沼には、いったん戻って左折し、新河岸川を渡って田園地帯を歩く。ほぼ一直線の農道の先には埼玉中央卸売商団地の建物が見える。団地についたら中を突き進み、フィールドアスレチックの施設のある伊佐沼公園を抜けると伊佐沼に到着する。沼のほとりは美しく整備され、道路沿いにはサクラ並木。弁当を広げるにはもってこいの場所である。
 その伊佐沼の北端からは、再び田園地帯の中を市街地に戻る。城下橋を渡ってすぐの川越市立博物館では、これから歩く蔵造りの町並みの予備知識が得られる。館内は展示もさることながら、広くゆったりとしているので疲れた足を休めるのにも最適だ。
 新河岸川に沿うサクラの並木道をたどり、高沢橋のそばから細い路地に入っていこう。ここは、
菓子屋横丁と呼ばれ、10軒ほどの駄菓子屋が軒を連ねている。なかでも田中屋にある駄菓子の資料館では、昔のおもちゃや菓子作りの道具などを展示していて興味深い。
 その路地を抜けて、広い道路に出たところが一番街通りだ。この辺りでは蔵造りの商家がまとまって見られるので、じっくりと見学していこう。重要文化財の大沢家住宅をはじめ、黒塗りの重厚な商家のたたずまいには、ただただ圧倒されてしまう。目の前を走る車さえなければ、江戸の昔にタイムスリップしてしまった気分にさせられる。
 この通りから少し外れたところに建つ木造3階建ての鐘楼は「時の鐘」と呼ばれる川越のシンボルとも言えるもの。400年近くも昔から時を知らせてきたこの鐘は、今でも午前6時、正午、午後3時、午後6時の4回鳴らされる。ちなみに現在建っている鐘楼は明治26年(1893)の大火の後に再建されたもので、4代目にあたるそうだ。
 
 歩行時間 合計2時間40分
  本川越駅(15分)中院(20分)川越城本丸御殿(40分)伊佐沼(40分)城下橋(25分)菓子屋横丁(20分)本川越駅 

   蔵造りの街から伊佐沼

「埼玉ふるさと散歩 川越市」 新井博 さきたま出版会 1992年 ★★★
(1)市域を1-2時間ほどで歩ける範囲に区切り、そのコースの中に3、4ヶ所の見どころを入れる。
(2)解説は単なる文化財の説明ではなく、歴史から現況まで触れ、散策するうちに街の移り変わりが理解できるようにする。
(3)土地っ子とか新住民にこだわらず、自分の住む街を知ることによって、その地域に愛情を感じてもらう。
などの方針で書かれた本です。
 このほんが誕生するまで−あとがきにかえて−によれば、川越市史編さん室係長をされていた著者は、本書の完成を見ぬまま51歳の若さで亡くなられたそうです。

 著者が実際に歩いた50のコースが、地図イラスト(大舘ミミ子作)付で紹介されています。

−目 次−
1.川越城の遺構・本丸御殿……県立川越高校/本丸御殿/富士見櫓跡
2.市民が憩う初雁公園……三芳野神社/初雁球場/川越市立博物館
3.万葉歌人のゆかりの地・氷川神社……氷川神社/柿本人麻呂神社/川越市慰霊塔
4.昔懐かしい菓子屋横丁……大蓮寺/根っ子会館/菓子屋横丁/養寿院
5.喜多町に川越夜戦を偲ぶ……小夜姫稲荷/広済寺/東明寺
6.川越大火にも残る蔵造りの町並……大沢家住宅/蔵造り資料館/市役所
7.大手町のちょうちん作り十一代目……子規句碑/商業銀行遺構/市立図書館
8.古刹と洋風建築がよく似合う幸町……時の鐘/長喜院/協和埼玉銀行/行伝寺
9.藤村ゆかりの宿と老舗の並ぶ仲町……山崎美術館/佐久間旅館/織物市場跡
10.珍しい絵馬堂、成田山川越別院……キリスト教会/成田山川越別院/潤農亭跡地
11.伝説の残る末広町から三光町へ……栄林寺/星野女子高/妙昌寺と経ヶ島弁財天
12.女子高生の行きかう川越市駅東口……山村女子高/県立川越女子高/蓮馨寺
13.川越一の商店街・新富町……鏡山酒造/大イチョウ/民部稲荷/西雲寺
14.川越駅東口から川越街道を行く……川越駅/妙善寺/川越街道/川越八幡宮
15.縄文から江戸までが残る小仙波町……古代集落遺跡/光西寺/中院と南院/貝塚跡
16.家康を祀る華麗な東照宮……入定塚/日枝神社/東照宮
17.家光誕生の間・名刹喜多院……喜多院五百羅漢/どろぼう橋
18.万葉歌碑、芭蕉句碑の仙波古墳……古墳/氷川神社/仙波河岸跡/長徳寺
19.新河岸川に沿って、高沢橋から道灌橋……観音寺と獅子舞/本応寺/小川家・矢沢家
20.川越駅西口は官庁街……雀の森氷川神社/大演習野立所記念碑/正光寺
21.川越市駅西口周辺……日清紡績叶越工場/野田神社/白山神社
22.一騎坂、烏頭坂の険しさに泣いた昔……一騎坂・烏頭坂/船津家/滝の下終末処理場
23.かっては新河岸川の船着場……地蔵院/春日神社/勝光寺
24.江戸と結んだ河岸場跡と船問屋……河岸場跡/船問屋伊勢安/日枝神社/勝福寺
25.藤間の里に近代的ニュータウン……吉田神社/御仕置場跡/諏訪神社/東光寺
26.戦さと祭りの福原地区……八幡神社/肥料購入組合記念碑/少年刑務所
27.相模流神楽の音が聞こえてくる……江戸街道/三国塚/八幡神社/根岸家
28.関越と16号が交差・南大塚駅界隈……菅原神社/西福寺と餅つき踊り/山王塚
29.双葉山も来た大袋の大相撲……東陽寺/熊野神社/白髭神社/川越水上公園
30.高盛講は一升飯をぺロリ?……福昌寺/愛宕神社の高盛講/白山神社
31.門づけのお金で架けたごぜ橋……鏡神社/鐘塚/ごぜ橋/県立盲学校
32.霞ヶ関C・Cから北小畔川周辺……霞ヶ関C・C/白髭神社/延命寺/尾崎神社
33.奈良時代の区画整理・田面沢地区……火薬製造所跡/安楽寺/田面沢条理/最明寺
34.大住宅街の的場に市内最大の古墳……牛塚古墳/法城寺/三芳野天神社/東京国際大
35.鎌倉時代の館跡・下広谷……稲荷神社と薬師堂/能満寺/中世館跡
36.万葉集からとった村名・名細周辺……万葉歌碑/春日神社/常楽寺/河越氏館跡
37.神輿の元祖ボンテンを作る八咫神社……釈迦堂/成田家/観蔵院/八咫神社
38.下小坂古墳群の貴重な出土品……氷川神社/白髭神社/永命寺/東洋ゴム
39.西洋風の笛に踊る福田の獅子舞……浄国寺/八幡神社/藤宮神社と筒粥/星行院
40.山田交差点の東・大野旭山の生家……折戸の地蔵尊/大野旭山の生家/観音堂
41.越辺川沿い工業団地の南を歩く……観行院跡/観音堂/神明神社
42.市民の憩いの施設・伊佐沼周辺……杉森稲荷社/薬師神社/伊佐沼・市民の森
43.伊佐沼の北、鴨田の寺社を巡る……一乗院/観明院跡/中臣明神社/八幡神社
44.竹ぼうきの産地・老袋地区……船塚古墳跡/天神社/氷川神社と弓取式
45.伊佐沼と入間川の間、古谷……延命寺跡/実相院/古尾谷城跡/古谷神社
46.芭蕉句碑もある南古谷駅北側……畦薬師/氷川神社/芭蕉句碑/稲荷神社
47.六方踏んで練り歩く古尾谷の神事……氷川神社/薬師堂/古尾谷八幡ほろ祭/灌頂院
48.久下戸村を水害から救った人々……若海家と生活改善センター/奥貫家/氷川神社
49.家康が鷹狩りに、古市場・渋井……神明神社/氷川神社/蓮光寺/観音堂
50.洪水との闘いの歴史跡、南古谷駅南……並木の大クス/稲荷神社/氷川神社

川越を知る本
・新編武蔵風土記稿
・埼玉県教育委員会「埼玉の館城跡」」
・武蔵国郡村誌
・埼玉県史(1―7巻)
・埼玉県教育史(第1―第5巻)
・埼玉県市町村合併史(上下)
・安部立郎「入間郡誌」
・川越市役所「川越市史」(全13巻)
・  〃  「川越の石仏」
・  〃  「川越市合併史稿」
・  〃  「川越城本丸御殿修理報告書」
・  〃  「川越の伝説」(T・U)
・  〃  「川越の人物誌」(T・U)
・  〃  「川越の文化財」
・埼玉県立図書館「埼玉の算額」
・川越商工会議所「川越商工会議所五十年誌」
「ハンドブック川越の歴史」
・埼玉新聞社出版部「埼玉郷土史辞典」
・埼玉新聞社「埼玉史料辞典」
・埼玉新聞社「埼玉大百科辞典」
・中島孝「三芳野名勝図会」
・第八十五銀行「第八十五銀行史」
・岸伝平「川越閑話」「川越夜話」「川越の地史」「川越の藩政と文教」、「仙波の郷土史」、「川越の山車」、「翠樹園」
・宮下辰夫「川越の蔵造」
・木下雅博「川越祭りと山車」
・斎藤貞夫「河岸場の今昔」「新河岸川舟運の盛衰」「川越舟運」
・内山留吉「川越氏と河肥庄」
・大護八郎「遠古の川越」
・岡村一郎「川越の城下町」
・高橋源一郎「武蔵野歴史地理」
・新井博「川越市今福の沿革史」「埼玉の民話と伝説」川越編
・霞ヶ関郷土会「霞ヶ関の歴史」(T・U)
・山田勝利「川越の民俗」
・川越商工会議所・川越市「川越商工名鑑」

「おばけん猫の小江戸めぐり」 絵・文 小幡堅 川越デザイナーズクラブ 2003年 ★★★
 
時の鐘夢通り/出世稲荷/羅漢様/大手門跡/川越まつり/のっぽポプラ/お座敷芸/いも地蔵/芝居見物/大正のシンボル/菓子屋横丁/だるま市/辻講釈/トップの部屋/天神様のお通り/蔵の中の美術館/のみの市/旧織物市場/西山歴史博物館/猫も住む教会/蔵のお茶屋/川高のシンボル/朝の元気市/川越城本丸御殿/ながの生活骨董館/川越夜戦跡/富士見櫓/ギャラリーたま/蔵造り資料館/平成の蔵/サツマイモ資料館/おびんずる様/自然食「くるみ」/主人のアトリエ/蔵造り落語会/はるり銀花/三変稲荷/アマデオ/舟運亭/旧山吉デパート/川越スカラ座/大沢家住宅/佐久間旅館/川越キリスト教会/喜多院と菊まつり/服部民俗資料館/仙波東照宮/中院/氷川神社/番外:ウォーク編/「おばけん猫の小江戸めぐり」出版によせて
●「おばけん猫の小江戸めぐり」出版によせて

 埼玉県川越市在住のデザイナーで漫画家の小幡堅(愛称・おばけん)さんと愛猫のチビが、地元川越の町々を歩き、その風景や人々をチビの言葉で紹介する「おばけん猫の小江戸めぐり」は、朝日新聞の埼玉版で2001年9月から翌年10月まで続いた計45回の連載企画です。
 「川越を斬新な形で紹介できないか」という発想は、おばけんさんという貴重な住人の「発見」から始まり、ご主人に従順な飼い猫の存在や、町の雰囲気と時代に合った癒やし系の画風が相まって、結実しました。それがいいのか悪いのか、企画の「独創性と独断性」に関しては、ちょっぴり自負しています。
 
 「面白い本を見つけましたよ」。後に「おばけん担当」となる甲斐俊作記者(現・大阪本社地域報道部員)が私に示したのは、小幡さんが四半世紀も前に初出版した奇妙な漫画本「芥川龍之介〜鼻〜小幡堅」でした。支局の本棚に長年ひそんでいた「とっても変な本」の中身は、グロテスクともいえる人間の姿態と、さまざまに形を変える鼻、鼻、鼻。14センチ四方の変形版で単色刷り。おまけにページ数の記載ははく、何ともいえない迫力を感じたのを覚えています。連載を始める年の春のことです。
 それから幾日もたたないうちに、甲斐記者が小幡宅を訪ねました。そこで見たものは、優しいアヤ子夫人とチビの暮らしから醸し出された想像を超える作品群でした。あのグロテスクな筆致とは異なり、ほほ笑ましく、愛嬌があり、おちゃめで、ほんわかと和めるものばかりでした。「ファンタジー」と甲斐記者が叫んだかどうかは分かりませんが、その場で「朝日の紙面で描いてみませんか」と打診してしまいました。
 以降、数カ月間の打ち合わせ場所は、決まって市内の居酒屋。杯を重ねるごとに妙案?がうかび、「一回目は時の鐘」「市民にあまり知られていないところも訪ねましょう」……。
 江戸文化の影響を受け、小江戸と呼ばれる川越は、市によると年間四百万人の観光客が訪れるといいます。その魅力の一つが「古さと新しさの共存」なのでしょう。いにしえの面影が21世紀の都市空間に溶け込んだ姿は、住民ならずとも自慢できる要素だと思います。おばけん猫は、そんな「川越の宝」ともいえる光景や建物、催事などを紹介してくれました。小幡さんの筆による洒脱な文章も、読者の共感を集めました。
 そういえば、県内に住んでいながら川越には行ったことがない、という読者が随分いたのには驚きでした。「切り抜きを携え、ゆったりとした時が流れていそうな川越の町をいつか散策してみたい」という投書に勇気づけられました。
   (中略)
 チビとご主人による「小江戸探索」は、いまだに続いています。「いつ再開するの?」と、続編を願うお便りは、いまも尽きません。ありがたいことだと思っています。お先真っ暗な閉塞感が漂う昨今だからこそ、小幡さんの「絵と文」は有用なのです。正月に開かれた「原画展」も大盛況でした。味わい深い「おばけんの世界」を、この本でも堪能していただきたいと思います。
      2003年5月
朝日新聞西埼玉支局長(現・浜松支局長) 伊藤典俊
出世稲荷
 「小江戸情緒」と言ったって川越は駅に近づくほど近代的になる。でも、百貨店や家が密集する町中に、樹齢600年というイチョウの巨木が2本あるのにはびっくりだ。新緑も良かったが、紅葉もすばらしいに違いない。
 その巨木にはさまれるようにして細い参道があり、突き当たりに出世稲荷がある。わがご主人様は巨木がどうのこうのと言いながらも、どうやら「出世」の2文字に気を取られている様子。どこで手に入れたのか、帰りにはちゃんと油揚げを供えているんだから。

羅漢様
 喜多院の境内に僧侶の石像が535体ある。「五百羅漢」といい、50年かけて造られたらしい。一つひとつの表情の豊かさが気持ちをほっとさせてくれる。
 夜にお詣りをして、一つずつ頭を撫でると体温の温かさを感じる羅漢様があって、その羅漢様は撫でた人の親兄弟に似ているというんだな。
 僕も手をのせてみた。……。ぬくもりはない。猫はだめなようだ。ふと隣の羅漢様をみると、ひざの上に友達を発見。動きだしたら遊んでやろうと思ったのに、動かない。残念。

大手門跡
 川越市が観光に力を入れているためか、市役所前には巡回バスや路線バスが乗り入れて1カ所に三つも停留所がある。停留所名はと見ると「市役所前」に加えて「大手門」というのも。
 川越城の西大手門跡だからなのだろう。そこに面して建てられた便所まで「大手の手洗処」だ。この手洗処、町並みに合わせた和風のつくりや植樹も美しく、ちょっと見たところでは便所には見えない。
 そう感じるのは僕だけではないらしい。壁の2カ所にわざわざ墨字で「手洗い」と張り紙をしてある。

川越まつり
 川越まつりは350年も続いている。蔵造りの街を山車が行く光景は、江戸時代にタイムスリップしたようだ。一番の見どころは各町内の会所前にさしかかったり、ほかの山車とすれ違ったりする時にやる曳っかわせで、正面を向け合って行う囃子や回り舞台の回転も、見事、見事。
 2日間の人出はなんと70万人。わがご主人は人込みの中で酔いしれている。僕はあまりに人が多いので瓦屋根から見物だ。囃子の心地よさに気持ちが浮き「猫も屋根から落ちる」とならぬよう注意、注意。

のっぽポプラ
 川越から桶川に向かうと入間川の土手下、左側に大きなポプラの木が2本ある。前は一面の田んぼ。天気と木の魅力に誘われて、ここで絵を描く人もいる。
 ポプラは3本あったというお便りが来た。僕のご主人が持ち主に尋ねると、三十数年前に土地を買った記念にさし木にした5本のうちの3本が育ち、5年ほど前、落雷で1本枯れたんだそうだ。
 登ろうかと思ったが、見上げてやめた。あんまり高いので目を回すこと間違いなし、だ。
 ※現在、このポプラは1本も残っていません。

いも地蔵
 川越駅東口から猫の足でも5分の妙善寺。境内には大きなサツマイモを三つかかえた愛きょうのあるお地蔵さんがある。イモ文化発展と健康を願って建立されたそうだ。
 「川越いも」がとれるようになって250年。妙善寺のある所は昔は仙波村と言い、イモ栽培が盛んだったという。
 毎年10月13日は「いも供養」があり、今年も多くの人が訪れた。僕もご主人と可愛いお地蔵さんに般若心経を読んで香をたき、手(前脚?)を合わせてきた。今日だけはお地蔵さんも大きく見えた?

芝居見物
 ご主人様が何十年ぶりかで芝居を見に出かけるという。ついていくと、涙と笑いの時代劇とおふろが売りものの川越湯遊ランドだった。
 酒だ、すしだ、どばだとぱくつく家族の隣に座ったご主人は落ち着きがなく、まるで借りてきた猫だ。芝居の間に入れる拍手もぎこちない。
 ビールと芝居が進むと舞台と客席が一体化し、ご主人の拍手も板についてきた。役者も乗ってきて、特に座長さんは見せる。猫にもチャンスはある。僕だって芝居で主役もあるかもよ。

大正のシンボル
 川越は建物の資料館のようだ。蔵の江戸に始まって明治、大正、昭和、平成と駅に近づくほどビルビルと高くなる。
 蔵造りの通りに屋根が緑色の「あさひ銀行」(現、埼玉りそな銀行)川越支店がある。入り口のプレートに「登録有形文化財です 文化庁」とある。時の鐘を江戸のシンボルとすれば、大正はあさひ銀行では、と思う?
 赤いポストをしたがえて堂々と建つ姿は品格があり、ご主人も川越の第二の「シンボルだ、シンボルだ」と感心している。

だるま市
 僕はご主人と正月3日、喜多院の初大師に出かけた。境内はお参りと、七転八起のだるまを求める人で埋め尽くされていた。
 縁起だるまもこれだけ並べば、目なしだるまが赤い顔して、「おい、買えよ、買えよ」とにらんでいるように見えてくる。僕はだるまの前で、わが家に「福」をと招き猫のまねをしたのだが、ご主人は小さなだるまを一個買ってポケットに……。
 境内の隅にはご用済みのだるまが赤い山をつくり、すごい、すごいとカメラで撮る人もいた。

辻講釈
 「呑龍さん」で知られる蓮馨寺の毎月8日の縁日に、講談師の宝井琴梅さんが通うようになって20年近くになるとか。「講談の原点に戻るため」の修行の一環というから足を運んだ。
 正月気分が抜けないまま境内でお酒を一杯いただいて、キャリア30年の「演舌」を拝聴。「午年を占う」という演題で1時間。「景気が悪い悪いと言わないで、前向きに、前向きに行動を起こそう……」と元気いい。僕は話もしみたが、寒さはもっとしみた。

トップの部屋
 ちょっぴり悪のりして川越市の舟橋功一市長を表敬訪問した。市役所の市長室はだだっ広く、庭石のように存在感のある大きないすが12個並んでいる。座り心地もいい。ゆったりして気持ちまで豊かになって「トップの気分」に満足した。
 新年度の予算づくりで忙しい身にとっては息抜きになったのか「私の娘も猫好きで」と市長は上機嫌。再生紙の市特製便せんをお土産にもらってご主人は恐縮していた。
 僕は市長のいすに座り忘れたので「また来るね」と約束してしまった。

天神様のお通り
 ん? ここが?
 歌なら僕だって知っている。
 ♪と〜りゃんせ と〜りゃんせ ここはど〜この ほそみちじゃ〜
 この童歌発祥の地と言われるのが三芳野神社だ。川越城の鎮守として城内にあったため、僕やご主人のような「民」が参詣するのは難しかったらしく、童歌はその様子をうたったものだとか。
 ご主人はちょっぴりセンチな気分になったのか、天神さまの境内でふくらむ梅のつぼみに、しばし見入っていた。

のみの市
 ここは青空民俗資料館か? 物、物、物が所狭しと並べられ、種類と数の多さにはびっくりだ。
 成田山川越別院の境内で毎月28日に開かれるのみの市。宝探しに集まった人の波にのまれてみると、汚れ、色あせた骨とう品には時の流れがしみこんでいるからか、何か懐かしく、情感を感じる。
 ご主人は欲しい物があるのに家の狭さを考えて渋々あきらめた様子で、僕を見やって「君の目にはごみにしか見えないだろけど」だって。
 どうせ、猫に小判だい!

旧織物市場
 ここは蓮馨寺の近く。
 かつては川越の経済を支えていたのに、保存か破壊かで揺れている。住んでいた人たちは去年の暮れまでに出ていってしまい、ひっそりとしている。
 すぐそばには大きなマンションが立つ。ご主人には汚れた長屋としか見えないようだが、市場建築としては類のない文化財らしい。
 建物にはさまれた広場の中央で、荷車の時代に思いをはせた。現代の自動車が不思議なものに見えた。

猫も住む教会
 こぢんまりした和風の建物と庭の草木が自然体で静かに調和している。ここに来る人たちは動物好きということを知っているのか、門番の犬も5匹の猫も人なつっこく寄ってくる。
 蔵造りの町並みや菓子屋横丁にも近い「陽気づくめ川越教会」。「修理工事のため休止しておりました無料休憩所は3月ごろ再開予定です 各位」と張り紙にある。
 文化財だという教職舎の改装工事も間もなく終わるようだし、僕もお茶をいただきながら、江戸に思いをめぐらせてみようかな。

蔵のお茶屋
 築100年の蔵を生かした煎餅屋さんが仲町の交差点の西100bにある。1枚、もう1枚と後を引くという「あとひき煎餅」。どれ、ひとつ。「バリッ」。んーん、焼きたてがたまんないねえ。
 奥の階段を上ると、2階は蔵の魅力を生かしたギャラリー兼茶屋「かくれんぼ」。可愛い茶器で、お茶をいただく。「1杯、2杯、3杯と味が変わりますよ」と、店主の塩野すい子さん。煎餅にお茶、僕にはこれで十分だけど、ここでコンサートもやっているんだって。 

川高のシンボル
 巨木の前で見上げるように胸を張り、大きく深呼吸をすると、元気が体に入ってくるような気がする、とご主人。僕もそう思う。
 川越高校の大クスノキをご存じだろうか。
 明治32年の開校時に植えられ、学校の歴史とともに100年を超えた。校舎の改修工事もクスノキを中心に考えたという。
 手入れなどの費用もかなりかかりそうだが、シンボルとして同窓生はじめ市民に愛されている。川高の文化祭は「くすのき祭」、百周年記念誌の題名は「くすの木」だ。

朝の元気市
 毎月第1、第3日曜日の午前中、醤油屋さんの駐車場から「元気だ、元気だせ」のかけ声が聞こえるようになって1年余になる。
 蔵のまち並みを東西に横切る仲町商店街の人たちと野菜の生産者が開く朝市「元気市」だ。「お客さんを増やすイベントをうちたい」と世話人の松本公夫さん。僕は明るい音楽を流したらと思ったけどどうだろう。
 人数限定のプレゼントを狙って列もできる。間に合わなかったご主人は、悔しがりながらも割安の花を買っていた。

川越城本丸御殿
 石垣も天守閣もない。だから、わが殿、じゃなくてご主人は、城には見えなかったらしい。でも、僕と改めて本丸御殿を見学して、玄関の格式の高さなどをやっと理解し「立派だ、立派だ」と口にした。
 川越城は1457年に太田道真、道灌親子によって築かれた平城だ。江戸時代には大手門など13の門に三つの櫓をもち、城郭の広さは5万坪もあったという。
 1847年に作られた御殿に入って大広間や家老詰め所などを見ていくと、川越藩の往時がしのばれる。

川越夜戦跡
 川越市志多町の東明寺は400年余り前、川越城争奪のために上杉と北条の軍が激しく戦った場で、日本の大夜戦のひとつとか。僕のご主人は石碑を前に、「夢、幻のようだ」とつぶやいている。
 本尊は「虚空蔵菩薩」。智恵と福徳を大空(虚空)のように持ち、丑・寅年生まれの守り本尊として信仰されている。戦後は毎月13日が縁日だったが、今はお年寄りたちが静かにお参りするぐらいになっている。僕も寅の親族、神妙にお参り、お参り。

富士見櫓
 わがご主人は石段を登りながら大木を見上げ、「小山に突き刺したみたいだ。時の流れを感じるなー」と言う。
 櫓は本丸御殿から西南へ、歩いてもすぐ。土を積み上げ、川越城でも一番高い所にあり、天守閣や見張り台に使われていた。その名のように富士山もよく見えたことだろう。僕も登りたかった。
 明治20年に御獄神社が造られたが、今は裏側に移されて、頂上は僕の額ほどの「広場」になっている。復元しない手はないよね、ねっ!

ギャラリーたま
 成田山別院から北に歩いて3分。「猫のしっぽ」を玄関に飾る、とてもしゃれた民家を三久保町で発見。中に入ると「よく来た、ニャー」と、本物のたまが僕やご主人様にあいあつしてくれた。
 この家に子猫の時にもらわれてきて12年。たまのお蔭で松田知子さんはすっかり猫好きになった。それで猫グッズや友人の手工芸品などを展示してきた。すっかりホスト顔のたまは、客になでられニャンニャンしているが、松田さん以外には決して抱かれないそうだ。

平成の蔵
 蔵づくりの町並みに店蔵「金笛」が開店したのは7年前。1階はしょうゆの販売と自家製めんの食事どころで、2階は松下紀久雄さんの墨絵30点を展示した「むかし絵美術館」だ。蔵造りと墨絵が調和して、猫の僕でも居心地がいい。
 わきにある稲荷小路からもお店に入れる。うどんとビールを注文したわがご主人は「うんとん」という名の石像や坪庭を大きな窓越しに見て「うまく空間を使っている。ゆとりを感じる」としきりに感心していた。 

おびんずる様
 蓮馨寺のお堂の外にある木像の頭をなでた手で、自分の頭をなでる人を見かけた。なでるだけで病が治り、頭が良くなるとかで、ご主人もさっそくなで、なで、僕もなで、なで。
 びんずるは釈迦の弟子で、十六羅漢の1人。「お釈迦様から外に出て人々に布教せよ、と命じられて堂の外にいる」と、久米原恒久住職。以前、酔っぱらいに境内の水たまりに投げ込まれたこともあったとか。「庶民に身近な信仰」も、隠れた苦労があるんだね。

自然食「くるみ」
 「時の鐘」そばの路地に明治の川越大火後に建った長屋の一部が残っていて、岡野勲さん、うめ代さん夫婦が自然食の食堂を営んでいるんだ。
 古い映画館にも近く、戦前はハイカラなカフェだった。食生活に疑問を抱いて、今のお店にしたのは25年ほど前。うめ代さんが、お母さんやおばあちゃんから学んだ手料理で、近辺で採れるクルミや山菜を食材にしている。
 「季節の味は、しみじみうまい」とご主人。僕の口にも合うかなあ。

主人のアトリエ
 「おばけん」って何だ、というみなさん。これは川越市に住むわがご主人の愛称で、別にお化けではありませんので。
 僕の名はチビ。生れて2カ月ほどの一昨年秋、かあちゃんにはぐれ、雨にぬれて泣いていたら、ご主人の妻アヤ子さんが拾ってくれたんだ。あの時のミルクは温かかったなー。
 ご覧の通り、アトリエは足の踏み場もない。面白い漫画やデザインを描いているが、ビール好きで出費も多くて、アヤ子さんも大変、大変。

蔵造り落語会
 江戸の文化を伝えていこうと、川越の市民有志が一番街商店街の「くらづくり本舗」で1986年に始めた。第2火曜日夜の月1回だが、もう190回を数える。
 ご主人と一緒に、土砂降りに見舞われた公演をのぞいたんだけど、会長の伊藤明さんのあいさつにびっくり。10年ほど前にも大雨の公演日があり、雷に驚いた猫が蔵の屋根から落っこちてきたというんだ。僕は気が気ではなかったが、ご主人は春風亭鯉昇さんや入船亭扇遊さんらの生の話芸を堪能していた。 

はるり銀花
 僕のご主人も大好きな絵かきさんで、近代日本画の発展に貢献した小茂田青樹の生家が10年前、蔵の喫茶としてよみがえった。それも一番街商店街にある。
 2階は、建物の組み木がよく見えるようにと、照明が上向きに付けられている。
 宮沢賢治が大好きという店長の清水雅子さんが企画した展示会は、100回を超えた。気に入った作家に会ってから企画を練るとかで、いつかご主人の展示会もできるといいな。
 蔵の魅力とコーヒーにはまけるだろうな……。

三変稲荷
 喜多院を中興した尊海僧正と老狐にまつわるエピソードが残るお稲荷さま。県立川越総合高校の東側、巨木に守られるように祠があり、お札には「三変土田」の文字があった。
 喜多院を訪ねて若住職に聞くと、その意味は、一切の煩悩と不純を払って十法世界を平等の一浄土とならせる芸術的表現という。
 僕にはとても難しいけれど、土盛りや階段、鳥居はきれいに整備されている。祠の周りにはたくさんのほうきが置いてあり、地域の人の愛情がしのばれた。

アマデオ
 開店から四半世紀がたつ川越市役所近くの喫茶店。観光客めあての店ではないようだ。客席は4人掛けのテーブルが2卓だけ。あとの空間は古いクラシックレコード3千枚が占める。それを聴かせる真空管のオーディオは手製だという。
 圧倒されたご主人は「本物だ」と目で僕に合図を送ってきた。それに輪をかけて「音楽は時間を占有する価値があるもの。片手間ではいけません」と言う店主の斎藤晟さんの言葉にしびれた様子。
 ご主人いわく「真剣かつ道楽的な喫茶店だ」。

舟運亭
 3代続く製めん所へ行ってみた。僕が住む川越は昔からそうめんづくりが盛んで、将軍家にも献上していたという。「その技術を受け継ぎ、芋そばや芋うどんも作っています」と社長の戸田周一さん。
 「舟運亭っていい響き」とご主人。「昔はそうめん蔵があって、新河岸川から舟で江戸へ運んだんだ」とも。グルメの僕が賞味した感想は「素朴でめん本来のうまさが生きている」。
 併設の民俗資料館「むかし館」では江戸期の武具や生活民具などを展示。観光客にも人気という。

旧山吉デパート
 蔵造りの店が居並ぶ一番街の手前に建つ西洋建築。1936年にできたという川越最初のデパート跡だ。「まるひろ」の前身で、3階建てなのにエレベーターもあるぜいたくぶり。しかし、いまは空き家だ。屋上には木も生えており、僕には少し可哀想に思えた。
 それでも正面には堂々とした円柱が並び、裏ではステンドグラスだって見つけた。立派なもんだよ。
 「絵になる」とつぶやいたご主人は、「ギャラリーなんかに利用し、新しいシンボルにすればいいのに」などと期待している。

大沢家住宅
 数多い店蔵のシンボル的存在になっている国の重要文化財。ニャンとも、落ち着いた風格だ。鬼瓦など外観に目立つ意匠はないのだが、「内部をよーく見ると呉服家だった豪商の力を感じる」とご主人。
 まずハリの大きさと多さに驚いた。材料は「客を待つ」を引っかけ、松なんだって。次は大黒柱代わりの中心柱2本。当主の大沢東洋さんによると「直径1bのケヤキの芯を27a角にしたそうです」。
 質素で豪快。こんな生き方にあこがれる。ご主人お気に入りの蔵である。

佐久間旅館
 ご主人は「最後の回はここ」と決めていたそうだ。街中とは思えない閑静な日本庭園は、小江戸・川越にふさわしい趣。館主の佐久間勇次さんは「先生」と呼ばれている。大学教授を長年務めた農学博士なんだって。偉いんだ。
 島崎藤村の気分で、僕も築九〇余年という「奥の間」に入ってみた。ここは文化庁登録の有形文化財。
 「いいなぁ」。旬の料理をここで食すことができたら幸せ。最終回記念に、ご主人にお願いしてみよーっと。優雅さと調和した僕たち2人!? 水入らずで。

川越キリスト教会
 れんがの会堂に鐘が鳴り響く。いわゆる観光コースではないが、川越の顔の一つでもある。ゴシック様式の細部を備えたモダンな洋風建築物だけに、ご主人の絵の素材には格好のようだ。
 「キミは待っててね」と、ご主人は一人で礼拝堂の中に入って行った。でも少しだけのぞいてみた。内部は木造で、全体は舟の形。いすの腰掛け部分が小さいのは、いねむり防止で背筋が伸びるように考えたのかな。
 積み重ねた100年の歴史は、ボクの気持ちも静かにさせてくれる。

喜多院と菊まつり
 何度も何度も火災に遭った古刹。3代将軍家光が江戸城紅葉山の別殿を移築し、客殿や書院などに充てたという。だから「家光誕生の間」や「春日の局化粧の間」があるんだけど案の定、撮影は禁止。写真から絵を起こすご主人だけに、そんな絵は描いていません。
 毎年1月3日は「だるま市」。七転び八起きの縁起物が飛ぶように売れる。不況の時代、気持ち分かるなぁ。春の桜とともに知られているのが、秋の「菊まつり」。ボクが見ても楽しい創作ものの鉢も並ぶよ。

仙波東照宮
 ご主人は1人でよく来るらしく、「塗り替えた壁の色が落ち着いてきたな」と独り言。木々に囲まれた小山の急な石段を上ると、赤を主体にした建物が目に入った。
 家康の没後、久能山に埋葬された亡がらを日光へ埋葬する途中、徳川家とかかわりが強かった川越に立ち寄った。これが縁となり、後に建立された。現在の建物は1640(寛永17)年に再建されたものだという。
 日本三大東照宮と言われているらしいが、二つの建物と比べると豪華とはいえないかな。

中院
 「ここは落ち着く」とご主人お気に入りのスポット。ボクもそう思う。
 「静かな気持ちになりたいヒトは、一度訪ねてみてください」
 うららかな春、境内は桜一色になる。特に本堂前のしだれ桜は素晴らしいと思う。巨木が1本と4〜5本がまとまった感じの見応えある枝ぶり。境内には島崎藤村ゆかりの茶室だってあるし、狭山茶発祥の地の碑もあるんだって。
 遠く鎌倉時代の終わり頃、喜多院の元になる無量寿寺から分かれた寺。
 「ここは落ち着く」

氷川神社
 樹齢500年以上といわれるご神木のケヤキが風に揺れる。くぐった鳥居の高さは15b。高いなぁ。中央にあった「氷川神社」の社号は、勝海舟の筆でホント?
 毎年10月の「川越まつり」は、ここの祭礼。そういえば10数年前、我が家の長男殿の七五三のお祝いにも来たことがあるなぁ。
 本殿は天保年間の建立で、江戸彫りと呼ばれる精巧な彫刻で覆われている。県指定文化財にもなっており、道は違うが芸術家つながりで、ご主人はその妙技にほれ込んでいる。

番外編
2001年11月2日、晴れ
小江戸をはなれ 東松山で開催された「スリーディーマーチ」10kmの部に参加。

ウォーク編
 靴をスニーカーに履き替えろ、足が反応するはずだと言った人がいた。
 きょうのご主人はいつもと違う。歩くぞ、歩くぞと朝早くから言っている。きっと靴のせいだ。きのう運動靴を買っていた。
 初参加のスリーディーマーチ。3`あたりで汗をかき、体の各部分がうまくかみ合ってきたらしい。足取りも軽くなって当初は5`の予定を10`に変更し、完歩してしまった。
 歩き終えた人たちは明るく、ご主人もニコニコ顔。歩くことが体に何か与えたのだろう。僕も靴を買うか。


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作成:川越原人  更新:2017/9/21