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鉄道アラカルト  website   update 2020/09/25 16:00 

                      

 『鉄道アラカルト』
これまでの『鉄道アラカルト』は内容が下記ページと重複部分が多い

 ために分割・整理統合しました。下記各ページもご覧ください。

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 以下の項目は本ページ内のショートコラムで,クリックすると各コラムにジャンプします。     
  ローカル線

     北海道 東北−1 東北ー2 東北ー3 関東−1 関東−2

     中部地方 関西地方 中国四国−1 中国四国−2 九州

  秘境駅・鉄道

     大井川鉄道 黒部峡谷鉄道 只見線

  三大車窓   スイッチバック    お昼にしたい    景色を見たい    

  地下鉄が○○い    かぶりつき     最長距離乗車     新幹線 

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                     鉄道アラカルト
  上左:山陰本線餘部鉄橋(旧)
               上中:静態保存中のC12、南阿蘇鉄道高森駅にて
                      上右:京成上野駅に停車中の京成電鉄新旧スカイライナー
    中左:青函トンネル旧竜飛海底駅にて 
             中中:東海道新幹線ドクターイエロー浜松工場にて
                           中右:廃止直前の岩手開発鉄道盛駅にて
      下左:急行利尻ヘッドマーク   下中:信越本線青海川駅にて   下右:四国全線フリーキップ

      
   先ずは以下に私のこれまでの主な鉄道旅行を紹介します。

@秘境駅と秘境鉄道

 鉄道駅の中には駅で列車を降りても周りに人っ子ひとり・家一軒も無いと言う様な駅があります。私は勝手にこれを「秘境駅」と呼んでいます。また鉄道に乗っていても周りに見えるのは「山また山」出会うのはキツネやタヌキこんな鉄道がありました。私はこれを「秘境鉄道」と呼んでいます。ここでは主に都会を離れた地方の鉄道を紹介します。
 「秘境鉄道」その代名詞的なのが「JR只見線」「高千穂鉄道」と「JR岩泉線」だと思います。しかし「高千穂鉄道」と「JR岩泉線」はどちらもここ5年〜10年の間に台風や土砂崩れによって甚大な被害を受け復旧費用が膨大などで残念ながら廃線になり今では肉眼ではその走る姿を見ることが出来なくなってしまいました。岩泉線には3回ほど乗りましたが「高千穂鉄道」は乗り損なってしまい残念です。そしてさらに「只見線」も2011年7月の豪雨などで橋脚が流されるというような甚大な被害があり「会津川口⇔只見」間で未だに不通です。

 岩泉線は盛岡から三陸の宮古とを結ぶ山田線の途中「茂市」から北寄りの「龍泉洞」のある岩泉町までを結んでいました。2009年当時には一日に三本が発着するのみでしたからこの点でも秘境鉄道でした。国道340号線とほぼ平行して走っており途中の押角峠(おしかどとうげ:530m)はトンネルで潜り抜けますが国道は峠道を越えます。このトンネル上部のパーキングから南側を見た景色が圧巻で正に「秘境鉄道」そのものだったのです。しかし20012年3月30日限りで廃止になりました。線路の両側から山が迫り杉林が鬱蒼としています。
山深い場所を走る路線としては北海道の函館本線や釧網本線、中国山脈を縦断する形の芸備線・木次線そして九州南部をループ線で越える肥薩線などが印象に有りますがわたしには岩泉線が「No.1秘境鉄道」と思います。
 秘境鉄道岩泉線の現在については別にページを作りました→ 秘境鉄道/岩泉線のその後を訪ねる旅 副題:山田線の廃止駅と廃線となった岩泉線のその後を訪ねる旅(2016年5月)をクリックしてください。

 また、高千穂鉄道は宮崎県の延岡から熊本県阿蘇の南阿蘇鉄道の高森までを繋げるべく途中の高千穂まで路線でした。当時高さ100mを超える日本で一番高い橋脚が有名な路線でしたが2005年9月の台風で途中の橋が流出してしまいました。文字通り秘境鉄道とはこの「高千穂鉄道」のために有ったのではと思うほどでした。
  いずれも2度とお目に掛かれない残念な結末となりましたが、残った鉄路では「廃線」と言う憂き目に遭わないことを祈るばかりです。

 北海道の室蘭本線で長万部の二つ先にある「小幌(こぼろ)駅」は『秘境駅』として有名です。 Google Map で見ても外と繋がる道は見当たらず、あってもいわゆる地図に載らない「獣道」だけのようです。私が訪れた日、登山者のような出立の二人連れが突然駅構内横の“がさやぶ”からホームに降りて来ました。聞けば駅から2q程北側の国道から森の中を歩いて来たとのことでした。
  
秘境駅
小幌駅

トンネル〜出ると駅を挟んでまたトンネル
2014/09/28
秘境駅
下りホームの時刻表
この時は未だ一日3本が停まっていた

2014/09/28
秘境駅
雪の日の
小幌駅の駅看板

 
2015/01/10
秘境鉄道
岩泉線
X字渓谷の中央手前に光っているのが前照灯
2002/09/14
秘境鉄道
岩泉線
単行運転されていた
2002/09/14
秘境鉄道
岩泉線
キハ52
塗色は盛岡赤鬼色
2002/09/14

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 秘境鉄道と言えば「大井川鉄道」「黒部峡谷鉄道」がその代表格。有名観光路線でもありますがどちらも元々はダム工事の資材運搬用に作られたのですが現在は秘境鉄道の代名詞と考えます。

大井川鉄道

 大井川鉄道は東海道本線金谷駅から大井川沿いに北に向かって南アルプスの麓「井川駅」まで約65kmほどを次の2路線で結んでいます。
 大井川鉄道本線 東海道線金谷駅から大井川沿いに北に向かって南アルプスの麓「井川駅」まで約65kmほどを結んでいます。そのうちの途中の千頭(せんず)駅まで(39.5q)は単線で電化されている普通の鉄道で主に各鉄道会社からの譲渡や払い下げなどの電車やSLなどが走っています。
 大井川鉄道井川線 千頭からは一旦列車を乗り換えて途中国内唯一のアプト式線路を通って終点の井川まで約25.5kmを結んでいます。この区間はトロッコ車両と客車をデーゼル機関車が引っ張ります。更に途中のアプト区間では千頭方向にアプト区間専用の電気機関車を増結して90パーミル(水平に1000m行って高さ90m登る)という急斜面を上ります。そして井川に向かうと日本一高い「関の沢橋梁」やあたかも湖に浮かぶように見える「奥大井湖上駅」などが楽しめ路線上は急な曲線で迫ってくる断崖など迫力満点の沿線風景が待っています。地面に近いこともありこの区間は人気が高いようです。

黒部峡谷鉄道

 黒部峡谷鉄道:は北陸新幹線「黒部宇奈月温泉」駅から富山地方鉄道本線の乗換駅「新黒部」駅(標準乗換時分:10分)から約15kmほどを25〜30分の終点「宇奈月温泉」駅から徒歩7分ほどの「宇奈月」と「欅平(けやきだいら)」を結んでいます。
 線路は当初黒部ダム関連の工事目的だったため軌間(レール幅)は762mmで国内で一般的なJR在来線や前出の大井川鉄道などの1067mmよりも30pほど狭いのですがこれで終点の欅平までを結んでいます。このため車両の断面も小さく、路線やトロッコ車両など地面に近いこともあり急な曲線で迫ってくる断崖など迫力満点です。
  

大井川鉄道
金谷⇔井川は普通の車両で他社でも馴染だった元南海電鉄車
2000/05/20

大井川鉄道
元近鉄の車両
16000系
2018/04/21

大井川鉄道
これがアプトの線路と専用の電気機関車
2018/04/21

大井川鉄道
トロッコ車両はドンドン登ってゆきます
1974/08/17

大井川鉄道
途中の橋の上から川底を見る。はるか下に川が・・
1974/08/17

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             皆さん窓から頭を出して絶景を堪能しています。↑   

大井川鉄道

屋根付きの車両です

2018/04/21

大井川鉄道
アプト専用の電気機関車の横に描かれたアプトマーク
2018/04/21

大井川鉄道
途中の川岸に並んだカメラ・カメラ・カメラ

2018/04/21

黒部峡谷鉄道
大井川鉄道の車両よりも小さい断面が分かる

2013/05/09

黒部峡谷鉄道
軌間762mmは遊園地の乗り物に近い?!?

013/05/09

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      最近はプロ顔負けの撮り鉄が増えました。↑
  
秘境鉄道
黒部峡谷鉄道
トロッコ列車全景

1986/08/06
秘境鉄道
黒部峡谷鉄道
鉄橋の真上から見ると鉄骨が幾層にも組まれている
1986/08/06
秘境鉄道
黒部峡谷鉄道
 トロッコ車両簡易的な屋根が付いている
2008/07/10
秘境鉄道
黒部峡谷鉄道
だんだん登ってゆく

2008/07/10
秘境鉄道
黒部峡谷鉄道
凸型電気機関車
   
2008/07/10

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A−1秘境鉄道・只見線

 新潟県中央東部の上越線「小出駅」と福島県中央部の磐越西線「会津若松」(135km)を結ぶ全線非電化単線の超ローカル線。
 只見線には1995年に郡山に所用の際前ノリの為前日に雪の只見線全線を乗車しました。しかし現在のように常時カメラを持ち合わせていなかったのでその画像記録がありません。(涙)
  
蒲生付近で
只見→会津蒲生

2006/10/25
新しくなった信号機
この年の9月に自動閉塞になった
2008/08/07
会津川口で
奥側が会津若松行き
手前が小出行き 
2007/11/05
霧にむせぶ只見川
そぼ降る雨に日に
白黒写真ではありません
2007/10/26
秋のザ・只見線
列車の窓越しの撮影のため色が出ない
トホホ(涙) 
2007/11/05

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 近年では何度かの自然災害で不通になった只見線。2011年の豪雨災害で会津川口⇔只見は未だに不通。2021年度の復旧を目指しているようです。

Aローカル線

 ローカル線と言うとたった一輌とかせいぜい二輌で「トコトコ」と走っている様が良く似合うイメージがあります。まずは主に都会を離れた地方の鉄道を紹介します。
 ただし筆者が乗車した当時は走っていたのにその後廃止されたりしたものも多く残念でもあります。

 先ずは1日に4〜5本ほどしか運転されない線区やそれこそ平日の昼間にはほんの数人しか乗っていないような線区のこぼれ話。

  このようなローカル線ですが何年か前までの朝夕は爺さん婆さんに交じって地元の高校生の通学の「足」として使われていたことが多かったのですが最近では小学生の姿をよく目にします。ほんの一駅二駅と言っても1時間も2時間も待つのは大変だと思います。恐らくは少子化による小学校の統廃合により鉄道による通学が行われているためと思います。
 熊本の南部を走る第3セクターの「くまがわ鉄道」でちょうど小学校の下校時に乗り合わせました。ワンマン運転の列車ですから駅に着くと運転手は入口(出口)付近に出て来ます。ワイワイ!ガヤガヤ!と元気な声と共に五六人のランドセルを背負った子供たちが乗って来ました。首にかけたストラップには定期券が入っており皆「お願いしまーす」と見せて乗って来ます。運転手は一人一人に声をかけ、時には「学校での出来事」また次の子供には「家での事」などを一言二言手短に話して乗せて発車します。都会ではまず見かけない光景として覚えています。
 ローカル線のうちJRの場合はほとんど場合ディーゼル(気動車)カーが多いようです。そもそも国鉄の時代の動力源はほとんどが蒸気機関車。その後鉄道の高速化や沿線への無煙化で幹線から電化が進みローカル線は気動車に替わったわけです。
 電車ですと全体の制御と動力を分けるため最低でも2両と言う編成が必要になり乗客の少ない区間ではガラ隙状態になるため一輌で運転可能なディーゼルになるようです。(20年ほど前までは「クモハ」と呼ばれる茶色の単行可能な電車がありました)
 しかしディーゼル車ですと構造的に一両でも車両の両端に運転台のある車両(しかもトイレ付)が作りやすいため一両(単行)だけの運転が簡単です。特急列車が走り全線電化された区間でも「普通列車」にはディーゼルを使うのはこのためです。羽越本線・室蘭本線・函館本線などは本線とは言え都市部の電化区間でもこの単行のディーゼル車が多く走っていますね。でも一両ですがトイレが有るので長時間でも心配はありません。
 電車ですと私鉄の路面電車などを除くとほとんどなく、2両編成として首都圏でも鶴見線の一部などで走っているようです。
 先ずは各地のローカル線の紹介です。

A−1 北海道の鉄道で

 北海道と言えばローカル線の宝庫それも旧国鉄→JR線でわずかに札幌・函館に市営交通が走っているだけでいわゆる私鉄線はありません。、特に旧国鉄民営化前ではあの広大な大地にたくさんの線路網が張り巡らされていました。
 私が初めて北海道の地を訪れたのは1971年でしたが往路こそ飛行機で帰路では国鉄利用(青函連絡船含む)でした。その後家族が増えてマイカー時代の到来もあって夏には北海道への家族旅行が続きました。
 でも車を走らせていると突然、国道わきにSLが置かれていたり廃止された鉄道の線路や鉄橋、車両などがそのまま残されているものが多いのです。特に「駅」などはバス停名や道の駅などでそのまま残っているものがあります。地元の人たちにとっては掛け替えのない記念品的な物でなのでしょう。
 北海道はローカル線のほとんどはディーゼル車です。そして1両で走るものも多く客足が少ないことで経営面を苦しくしていりのがうかがえます。
 「北海道ちほく高原鉄道」は根室本線「池田」と石北本線「北見」とを結んで、JR民営化後に池北線から第3セクターになりましたがその後2006年4月に廃止されました。
 他の4件は急行礼文は無くなりましたが残りの列車は未だ走っているようです。 
  
ちほく高原鉄道
 
 
 
2004/10/05
宗谷本線急行礼文
現在は特急に格上げされています

1990/08/03
季節列車ノロッコ号
夏は富良野線
冬は釧網線が仕事場です
2015/01/10
根室本線の快速
はなさき
快速とは言えたったの一輌の運転です
2016/05/25
釧網本線の快速
しれとこ 
こちらも一輌です
 
2016/05/25

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 また北海道を走る「札沼線」。札幌と「新十津川」と言う函館本線「滝川」の2〜3`西の町までを結んでいます。10年ほど前に途中の「北海道医療大学」までが電化され電車が走っていますがそれまでは全線(約78キロ)が非電化の区間でした。私は2003年に新十津川(9:40発)から札幌行きに乗り(滝川から路線バス利用)ました。なにしろこの線区当時全線を直通していたのは一日3往復のみ。(現在は全線直通列車は無し)案の定、新十津川を出るときの乗客は私一人きり。この状況が確か5〜6駅続いたと思う。道内の大動脈である「函館本線」とはほぼ平行しておりこちらに出れば札幌方面行きの「特急」が頻繁に走っていますからこちらの方が早くて便利なのでしょう。
  ※札沼線の北海道医療大学⇔新十津川は2020年5月7日を以って廃止されました。コロナ騒ぎの中、連日ニュースなどでも紹介されたことは記憶に新しいところでした。
 また同じ北海道内の「日高本線」の「鵡川⇔様似」と道央部の「根室本線」「東鹿越⇔新得」は災害の為現在不通でいずれも代行バスにより運行されています。復旧の目途も立っておらずこちらも廃止か?!
  
新十津川駅
野原の真ん中にポツンと佇んでいた

2003/10/24
札沼線車内
2両編成でしたが途中3駅ほど乗客は私一人だった
2003/10/24
日高線鵡川駅で
駅の先100mほどの踏切手前のレールに材木を固定して侵入できないようになっていた      
2016/05/25
日高線車窓から
被災前の日高線、窓の外はご覧のように波打ち際
2003/10/25
根室本線新鹿越
スイッチBoxなどが付いていた

2017/06/25

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A−2 東北のローカル線−1

 東北地方のローカル線のうち廃止などで現在は見る事の出来ない鉄道がたくさんあります。その車両たちを紹介します。
下北交通 2001年03月31日で廃止
南部縦貫鉄道 1997年5月5日で廃止。初期のレールバスとして人気がありました。これは車体に対して前後2軸4輪の車輪しかない今では珍しい車体でした。
 台車が無いことで車体は軽くなりますが乗り心地は良くない。走行中は激しい上下動があった事を記憶しています。
十和田観光電鉄 2012年4月1日で廃止
旧東北本線(現:青い森鉄道)三沢駅と十和田市を結んでいたが東北新幹線の開業後は頼みの十和田観光は新幹線駅からのバスなどに流れたため廃業。
小坂鉄道 1994年9月30日で廃止
  
下北交通(左)
下北駅で
右側はJR大湊線
1987/11/22
南部縦貫鉄道
レールバスとして親しまれた
1985/08/09
レールバスの運転席から
路面電車のようです
1985/08/09
十和田観光電鉄
七百駅で

1985/08/09
小坂鉄道
大舘駅で

1990/12/01

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A−3 東北のローカル線―2


岩手開発鉄道 1992年3月1日で廃止
くりはら田園鉄道 2007年3月31日で廃止
新潟交通 1999年4月4日で廃止
蒲原鉄道 1999年10月3日で廃止
 ローカル線と言えば1両で走るイメージですが下欄の奥羽本線以外はいずれもその代表格。しかし、その後いずれも廃線となったのは残念だ。
 奥羽本線は普通列車がまだ客車だったころのもの。電気機関車2両と客車4両という堂々たる編成だった。また、奥羽本線はその後客車から電車に替わり更にレール幅を改軌しミニ新幹線として同じレールを通っています。
  
岩手開発鉄道
盛駅で
1992/03/22
くりはら田園鉄道
石越駅で
1992/03/21
新潟交通
白山前付近で
1987/06/14
蒲原鉄道
五泉駅で 
1992/02/01
長大?編成のJR普通列車
奥羽本線山形駅で
1987/06/03

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A−4 東北のローカル線―3


由利高原鉄道 奥羽本線羽後本荘と鳥海山麓の矢島を結ぶ第三セクター鉄道
秋田内陸縦貫鉄道 秋田県中央部の旧国鉄の田沢湖線角館と北部鷹ノ巣阿仁合線とを結んだ第三セクター路線、 開業後には女性運転手を採用してマスコミの話題にもなりました。私もそれを目当て?!に乗りに行きました。写真は運転手・車掌共に女性でした。
山形鉄道 山形県南部の山形新幹線赤湯駅から内部の荒砥を結ぶ鉄道
福島交通 東北本線福島駅と名温泉地として知られる飯坂温泉を結んでいる私鉄線、電化されている。 
阿武隈急行 東北本線福島駅と同じ東北本線の槻木駅を結んでいる第三セクター鉄道全線電化されている。
 ローカル線と言えば1両で走るイメージですが下欄はいずれもその代表格。以下は現在も健在です。   
由利高原鉄道
矢島駅で

1992/03/22
秋田内陸縦貫鉄道
鷹ノ巣駅で

1992/09/02
山形鉄道フラワー長井線
今泉駅で
2011/06/26
福島交通
福島駅で 

1992/02/01
阿武隈急行
福島駅で

1987/06/03

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A−5 関東地方と周辺のローカル線


東武日光市内線 その昔、まだ鉄道旅に今ほどに現を抜かしていなかったとき。友人たちと日光旅行に行きましたその時に乗った市内電車はもう見る事が出来ません。
※蛇足ながら帰路では臨時急行「湘南日光」にて日光から横浜へ。経路は今の上野⇔東京ラインと似ていますが当時の上野⇔東京は東北新幹線開業により今は無くなっています。もちろん日光線・宇都宮線経由です。
鹿島鉄道 廃止の記事を見て乗りに行きました。その2ヵ月後に廃止されました。
北越急行ほくほく線 越後湯沢と直江津間を走る第三セクター。北陸新幹線の開通によりこの区間ではそれまで特急が走っていましたがそれを置き換える形で新設された「超快速・スノーラビット」が84qを1時間以内で結んでいます。超早い。。表定速度84q/hは乗車券だけで乗れる国内の全列車中で最速を誇る
  
東武日光軌道線
日光神橋付近で
(白黒写真です)
1968/05/02
鹿島鉄道
鉾田駅で

2007/01/27
わたらせ渓谷鉄道
通洞駅付近で

2002/11/02
北越急行ほくほく線
超快速スノーラビット

越後湯沢駅で
2018/07/21
スノーラビット
越後湯沢駅付近で

2018/07/21

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真岡鉄道
真岡駅で

2010/07/19
ひたちなか海浜鉄道
勝田駅で

1992/03/22
関東鉄道
水海道駅で
  
2007/03/07
いすみ/小湊鉄道

上総中野駅で
奥の黄色がいすみ鉄道
2007/03/07
久留里線
五井駅で

2007/03/07

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A−6 関東地方と周辺のローカル線


京王線 関東の大手私鉄の一つですが競馬場線は京王線の東府中と府中競馬正門前間の一駅(0.9q)だけの路線です。特筆したいのは府中競馬正門前駅のホーム幅の広さです。1面2線の終端駅ですがこの広さだけとれば私が降り立った駅では一番幅が広いのではと思います。
芝山鉄道 ご覧のように日本で一番身近井短い鉄道で売っています。かつて成田空港開港時には京成線の成田空港駅だったがその後空港ビルが成田側に移った際にそのまま残すことで新会社になったんだとか。
 更にローカル線とは無縁とも言える首都圏の鶴見線(南部支線)ではたったの2輌で走る列車もあります。   
京王競馬場線
府中競馬正門前駅で

2018/03/10
芝山鉄道
芝山千代田駅で

2009/09/09
銚子電鉄
外川駅で
  
2010/07/17
秩父鉄道

三峰口駅駅で
2009/11/14
JR南武支線
八丁畷駅付近で

2004/07/08

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飯山線
十日町付近で

1997/03/20
旧JR信越線
軽井沢駅で

1997/03/20
東武大師線
西新井駅で
2両編成で頑張る
2010/02/21
上田交通
名物丸窓電車
別所温泉駅で
2011/06/24
長野電鉄
旧小田急10000系

2011/06/24

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A−7 信越・北陸地方のローカル線


のと鉄道 1994年9月30日で廃止
神岡鉄道 1992年3月1日で廃止
越美北線 JR福井から南部に延びるローカル線
JR小海線 JRで全国で最高地点を通る高原鉄道、写真の「HighRail1375」はその最高点の海抜を表した列車。通常はキハ110型で運行している。
JR大糸線 JR篠ノ井線「松本」と北陸新幹線「糸魚川」を結ぶ約105kmの路線。全線ほぼ単線だが途中の南小谷を境に南側の松本側がJR東日本で電化されている。そして北側はJR西日本で非電化です。
 ローカル線と言えば1両で走るイメージですが下欄はいずれもその代表格。しかし、その後のと鉄道と神岡鉄道が廃線となったのは残念だ。
  
のと鉄道
穴水駅で
1991/08/11
神岡鉄道
猪谷駅付近で
1991/08/13
JR越美北線
福井駅で
1992/03/21
JR小海線
野辺山駅で
2018/07/22
JR大糸線
南小谷駅で
2007/04/05

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A−8 中部地方のローカル線


四日市あすなろう鉄道 レール軌間762mmという狭さの電車です。ご覧のように断面も狭くなっています。ホームに立っている人と比べても車高が低いです。
明智鉄道 中央西線恵那から明智までの25qの第3セクター
長良川鉄道 初めは旧国鉄越美南線として福井県東部の越美北線と繋ぐ構想で作られたが直通ならず第3セクター長良川鉄道として建造された。
伊勢鉄道 国鉄時代に名古屋から伊勢参りや南紀旅行では関西本線でいったん内陸よりの亀山まで行きそこから紀勢本線などに乗り換える必要があった。
また当時の伊勢参りは名古屋からでも近鉄がほぼ海沿いを特急などが走っており丁度三角形の一辺を通っていたため所要時間に大差があった。これを解決したのがこの三角部分をショートカットする目的で作られた伊勢鉄道。
  
四日市あすなろう鉄道
あすなろう四日市駅で
2018/11/02
あすなろう鉄道の内部
  
2018/11/02
明智鉄道
恵那駅で
2019/04/04
長良川鉄道
美濃白鳥駅で
1988/08/15
伊勢鉄道
津駅で 
2018/11/02

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A−9 関西地方のローカル線


 関西地方は昔から「私鉄王国」と言われるほど、私鉄のネットワークが栄えてきましたが、大手に交じって頑張っている中小もたくさん有ります。
近江鉄道 東海道新幹線の米原と多賀大社・近江八幡そしてJR草津線の「貴生川」を結んでいます。車両は関東の西武鉄道のものが多く使われているようです。
紀州鉄道 紀勢本線の特急で天王寺から約1時間半ほどの「御坊」から出ている。西御坊まで4駅の私鉄線。
水間鉄道 南海本線貝塚から出ている。水間観音まで5.5qを9駅で結んでいます。
南海和歌山港線 南海本線和歌山市駅から1駅のローカル線、日中は大阪市内「難波」まで直通の特急も設定されていますがそれでも一日に普通も入れて10数往復。乗車する際は時刻表を確認されたい。
和歌山電鐵貴志川線 最近は鉄道本体よりもタマ電車(ねこ)が有名になった鉄道。和歌山市から東方へ伸びている私鉄。写真はオモデン(おもちゃ電車)と表示された旧南海車。
有田鉄道 和歌山駅と御坊駅の中間どころの藤波駅と金谷口とを結んでいた。最初に貴州旅行の際に乗車した。
2002年12月31日で廃止された。
  
近江鉄道
多賀大社駅駅で
2018/10/14
紀州鉄道
御坊駅
1989/08/14
水間鉄道
水間観音駅で
2018/10/14
南海和歌山港線
和歌山駅で
2018/10/15
和歌山鐡道貴志川線
和歌山駅で 
2018/10/15
有田鉄道
藤並駅で
1989/08/14

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A−10 中国・四国地方のローカル線−1


 中国・四国・九州にもたくさんのローカル線が走っていますがその一部の紹介です。
JR木次線 広島県東部の山間部芸備線「備後落合」駅から北上して島根県松江の西部「宍道」に至るローカル線。途中出雲坂根駅では逆Z字型に2回のスイッチバックでを繰り返すことで有名。この近くでは並走する国道314号線が2回ループ状に廻って高度を稼ぐ様が(おろちループ)よくわかります。
JR三江線 広島県中央部の三次(みよし)と島根県中央部の江津を結んでいた三江線。2018年3月に惜しまれながら廃止となりました。
JR小野田線本山支線 山陽本線の「小野田」と宇部線「居能」を結ぶのが小野田線。その途中「雀田」から枝分かれして「長門本山」の二駅までが本山支線。一日朝夕の二往復のみ運転されている超ローカル線。私は2009年に宇部に前泊して乗ってきました。
JR予土線 予讃線「宇和島」と土讃線「窪川」を結んでいるのが予土線(しまんとグリーンライン)。途中の各所で蛇行する四万十川の流れを眺められる。
  土佐くろしお鉄道 土佐くろしお鉄道は土讃線御免駅から東に奈半利までと土讃線終点の窪川から宿毛までの2線がある。
    
JR木次線
備後落合駅
2006/08/29
JR三江線
三次駅で
2009/01/16
JR小野田線
本山支線

長門本山駅で
2009/03/13
JR四国予土線 
江川崎駅で
2007/02/20
土佐くろしお鉄道
奈半利駅で
2007/02/22

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A−11 中国・四国地方のローカル線−2


  
錦川鉄道
清流新岩国駅で
2018/03/01
水島臨海鉄道
水島駅で
2018/02/28
JR境線
境港駅で
2006/08/30
若桜鉄道
若桜駅
2018/03/03/
一畑電鉄
電鉄出雲駅
2018/03/02

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A−12 九州地方のローカル線−2


 九州の鉄道の発達は北海道のそれと同様に石炭の輸送に負うところが多かったようです。特に北九州周辺では旧国鉄の路線網が多かったようですが最近ではかなりの線区が廃止されたようです。
  
島原交通
諫早駅で
2014/02/05
熊本電鉄 
北熊本駅
2014/02/05
熊本電鉄
北熊本駅
2014/02/05
平成筑豊
金田駅
2014/02/07
くまがわ鉄道 
人吉温泉駅で
2014/02/06

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  ※くまがわ鉄道は2020年7月の豪雨で大規模な災害が発生し運行の見通しが立たないため当分の間運休しています。

B 三大車窓

 昔から鉄道旅の楽しみの一つとして旅人たちの眼を楽しませてくれて来たのが「三大車窓」と呼ばれた景観です。先ず北海道根室本線新内駅付近からの「狩勝峠」。そして信州篠ノ井線の姨捨駅からの「善光寺平」。さらに九州肥薩線矢岳駅付近からの「霧島連山など九州南部山並み」の眺めがそれです。
 しかし「狩勝峠」は気象条件が険しいことなどからルートを変えたことで別ルートとなりこの眺めは鉄道からは拝めなくなりました。現在その「雄大さ」は文字通り「レジェンド」になりました。とは言えその後の後釜は無い?ようです。

狩勝峠 狩勝峠は20年程前に道内をドライブの折に通りましたが濃霧で標識上「狩勝峠」を確認出来ただけだったと思います。
 道東への鉄道ルートがその当時は札幌⇔滝川⇔富良野⇔新得⇔帯広方面の根室本線でしたが、現在では札幌⇔南千歳⇔トマム⇔新得⇔帯広に変わり千歳線⇔石勝線⇔根室本線を経由して約54qほど短縮されました。時間的には当時の半分いや、もっと短縮されたのではないだろうか。昔の旅人が乗ったならば早さに(+_+)ただし景観だけはトンネルでかえって悪くなったのだろうか。
 ドライブと言えば一度「新得」の西の農牧地にある「増田山」という場所を訪れました。南側には帯広方面へ向かう線路が真上から見下ろせその左正面には地図で見る大きな「U字型」をした線形が手に取るようです。このような絶景地であり鉄道からだったら文句なしの三大車窓と言いたい場所でした。その様子は以下の写真をご覧ください。尚、この区間を何度か列車で通過していますが、防風・雪用の壁が各所に設置されているために車内からですと見通しが悪く「三大○○」とは言い難い?!まあその昔は蒸気機関車に引かれた客車の車窓からゆっくり見えた景色ですが現代は特急がそれこそ100qを超えるスピードで駆け抜けますのでその辺の違いもあります。

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左:増田山からの景観、新得はこの左側 写真拡大
     中:撮影地のほぼ真下がトンネル入り口です 写真拡大 
           右:丘陵地を駆け抜ける⊂字に見えるのが線路。その右上に見えるのは防風壁、反時計回りにたどった画面中央下部に列車が写り込んでいます。(写真右付近が札幌方向) 写真拡大
(1999/08/11)
  
矢岳越え 熊本から鹿児島県東部を通り鹿児島に抜ける路線が肥薩線です。人吉までは球磨川沿いに上って行く特急なども走っています。そして人吉から鹿児島県北東部の吉松までが矢岳越えを含んだ山岳地です。こんなロケーションにループ線とスイッチバックで越えてゆくのです。しかも僅か35qに途中3駅しかなく一日あたり3往復の列車しかありません。それらの車窓からの眺めが絶景でその場所では列車も一旦停車してくれます。(撮影タイム)

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     左:矢岳越え(矢岳駅付近) 写真拡大
         中:矢岳駅ホームで標高563.9mの標識が 写真拡大 
            右:矢岳越え(矢岳駅付近左写真とは別位置で) 写真拡大

   ※肥薩線の八代⇔吉松 は2020年7月の豪雨で複数個所で橋梁流出等があり当分の間運転見合わせです。


善光寺平 篠ノ井線「姨捨駅」はそのホームから見える「善光寺平」が素晴らしい眺めです。斜面を上(下)って本線から平面部にある駅ホームに入(出)る構造ですがそのホームに入るのはいわゆる普通列車で、優等列車である「特急しなの」は高速で通過します。その線路はホームから10mほど低いので通過する列車からの眺めは少し下がります。景観を満喫するには普通列車で「ゆっくり」がお奨めです。しかもこの駅山裾側には最近善光寺平見学用のデッキが出来その眺めが堪能できます。

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     左:冬の善光寺平の眺め姨捨駅で。 写真拡大
             中:秋の善光寺平 写真拡大  
 右:上りホームには列車の逆側の善光寺平側に向けたベンチが置かれている。 写真拡大

C スイッチバック

 鉄道建設の先人たちはよくぞこんな方法で狭く山がちな日本に鉄道を通したものと感心しています。それがスイッチバックです。
鉄道の開通から昭和の始まる前ごろまででは現在のような長大トンネルの掘削や大きな橋梁などは技術的にも難しかったと思います。そこで山越えの鉄道敷設の一つだったのはスイッチバックでしょう。
主に山岳地などにみられるスイッチバックは殆んどの場合急斜面を登る(降り)場合に勾配がきつ過ぎるために元々の線路(本線)で一旦止まり次に後退してスイッチバック側の側線に戻って高さを稼ぐと言う考え方です。またその一旦止まる場所に「駅」または信号所を作り、停車後に逆方向へ走り出すと言う事もあります。そして「2段式」と言って一旦戻ってから更に逆方向へ戻る。(最初の先頭方向に戻る)と言う方法で高度を稼ぐと言うもの。乗っていても先ほど登ってきた線路がはるか下に見えるってな具合です。
よく、ビデオでもそのシーンを録画して帰宅後、悦に入ったりもしています。

 ただしスイッチバックは急勾配対策だけではなく水平面であっても地形上の問題や鉄道建設の歴史的な経緯でスイッチバックし現在もそのまま使われているものもあります。例:石北本線;遠軽駅、花輪線;十和田南駅、西武鉄道池袋線;飯能駅等
  スイッチバックのある路線は急勾配の途中や頂上付近に多いのですがそれゆえにその付近からの景観も抜群です。
 全国にあるスイッチバックの中からループ線とスイッチバックを組み合わせて山越えするJR肥薩線の大畑(おこば)駅周辺の地形や構造について記します。

030-17 030-16 030-15

左:はるか下にスイッチバックの眺め。中央部やや右に茶色く見える部分がスイッチバック部です。左側の看板はループを含んだ一帯の説明図です。はるかに見えるのは九州山地の山並み。写真拡大
   中:大畑駅の俯瞰 写真拡大 下の地図上でループ部の×地点付近から    
    右:大畑駅ホームからスイッチバック部を見る 写真拡大
   
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         大畑駅のスイッチバック地形図 地図拡大
    上図の左方向が:肥薩線人吉・熊本方面       上右:スイッチバック駅の大畑(おこば)駅、 そして上図のループを描いたところから下方向が肥薩線吉松・鹿児島方面
この地図ではループ部の直交部がありますが実際は人吉方から大畑駅部分はトンネルですので平面交差ではありません。

JRでは薩肥線:大畑駅、木次線:出雲坂根駅などは2段式で有名でこの様子が先頭部で楽しめます。
  もうひとつは、主に平面(地)で進行方向が変わるもの。(高さを稼ぐと言う事ではない)
  石北本線:遠軽駅。秋田新幹線:大曲駅。花輪線:十和田南駅。などが有名です。また函館本線;函館駅も海峡線からの札幌方面行きの一部列車はスイッチバックします。

 首都圏では箱根の観光で有名な「箱根登山鉄道」がありますが小田原から強羅まで全線15.0km、標高差約527mを3カ所のスイッチバックと半径30mという極小カーブで登るのが有名です。

B お昼にしたい

  鉄道旅の楽しみの一つに車内での食事があります。しかし車内販売の無い普通列車などでは「駅弁」や「駅前コンビニで買ったパン」etcなどいきおい手軽なものが多くなります。以前の列車はローカル線でもクロスシート車でしたが最近はローカル線でも都会並みのロングシート車が多くなりました。クロスシートでは空いていればワンボックス4人掛けを独り占めして座れたり、窓側などで景色を見ながらの食事などがやり易かったのですがロングシートでは対面のシートに座る人に見られていると言う抵抗感が多く、食事もなかなか出来ないことが有ります。ただ向かい合った席で同じような年恰好の人が先におにぎりでも口に入れようなら自分も続けとばかりに食事に入れます。
  しかしロングシートでは弁当を食べるにしても座って膝の上に置こうものなら片手で押さえながら残りの手で口に運ぶと言うのがやっと。やはりクロスシート車はトレーが無くても楽チンでした。
 

D 景色を楽しむ(外が見たい)

  鉄道旅行のだいご味の一つは車窓からその土地土地の景色を眺める事。鉄道旅ではいつも「高い金を払って乗っているんだ」と言わんばかりの気分で乗っています。
  ある特急列車での事私が指定席「窓側」で途中駅から乗ったのですが通路側に先客あり。仕事中と思えるうら若き女性で「トレー上」にパソコンを置いていました。私は手刀を切ってを荷物を網棚に乗せてから席についたのですがその窓側のカーテンが閉まっていたので着席と同時に先ずはとばかりそのカーテンを開けたのです。その隣の女性客がいきなり私を睨みつけたような気配がしました。その後はパソコンのキーボードの音しか聞こえずもちろん終点まではいっさい会話もしませんでした。多分外の景色よりもパソコンが大事だったのでしょう。
 4人掛けのボックスシートでもこんなことが有りました。富山から15時ころに出る直江津行きの各駅停車で運よく進行方向に向ける窓側が確保できました。発車して間もなく対向に座った同年輩の女性が「窓のブラインド」を下したいと言い出しました。恐らく地元の人で格段に外の事などには気が向かず太陽光で暑いという事でしょう。確か古いタイプの車両でブラインドが自由な位置で止められない!構造だったと思います。しかし私は頭の中に地図を描き出し、確か富山出発時には進行右の窓側が南南西を向いているがほどなく進路が北向きに成ると思ったのでその方には「もうじき陽が入らなくなりますよ」と説明しました。ほどなく列車は進行左側からだけ日が差していました。
  今ではほとんど無くなってしまった北海道内の夜行列車での事。札幌から釧路・根室へ向かう「夜行特急まりも」で夜とは言っても外は漆黒の闇、列車の灯りと線路付近の反射光だけが見に入る「灯り」。列車は帯広を過ぎてから東に向けて順調に走っていました。夜行列車と言う事で夜中でも目が覚めたのだと思います。ある地点から進行右側はるか海側に「まりも」と同じタイミングでちょうどガラスか鏡に写っているかのような数点の「光」が見えました。同じ動きなので気持ちが悪くなりそうな気分が数分間続きました。世に言う「人魂」か何かかなーと想像したりもしました。その光が段々と列車に近づいてやがて街の光でそれが大型トレーラーのマーカーランプだと気づきました。お互いの速度差がほとんどないことそして夜行列車で眠い目をして見つめた事で目にした光景でした。
 

E 新幹線

  現役の会社員だったころ仕事で出張がよくありました。もう40年ほど前だったと思いますが仙台に仲間たちと数人で出掛けた時、夕方の6時ころになると皆、そわそわし始めさらに30分もするとにやにやし始めたものです。実は6時(18時)過ぎになると仙台からその日に帰れる列車はなく宿泊しなければならなかったのです。会社の社用出張の手続き上、夜行列車には乗らず翌日の昼行で帰った覚えがあります。しかしその地に「東北新幹線」が開通し東京(大宮)⇔仙台が格段に近くなって日帰りの出張が増えたのです。まあ当時のビジネスマンの方は一応に経験されているとは思います。
  同じことが袋井市(静岡県)でもありました。こちらも20年も前ですが袋井に工場が有って出張がよくありました。当時は東海道新幹線で東京⇔静岡その先は1時間チョットを在来線の普通に乗って袋井に向かいました。しかしその後、隣の掛川に新幹線駅が出来たことでグット時間短縮となり日帰り出張でも滞在時間が一時間以上増えたことを昨日の事のように覚えています。仕事での新幹線利用は時間の短縮には有力な武器となりました。
  鉄道で旅をするに当たり時間に余裕が有れば昔ながらの各駅停車。ローカル列車と言う事が浮かびます。でもその地が遠いのであればそこまで各駅停車に乗って行くには費用は助かりますが時間的には大変ですね。 時間的に早く目的地に着きたいのであれば【新幹線】と言う事になります。
 でも最近開通した新幹線(区間)都市部を除けばトンネルが多い。旅はゆっくり景色を見ながらと言う御仁にはあまり向いていないかもしれません。最近開通した「北海道新幹線」「北陸新幹線」どちらもトンネルが多いし長い。ある意味飛行機よりも煩い・・・・。

 さてこんな新幹線ですが以前からの疑問点がありました。
 1980年代に東海道新幹線に次いで東北・上越の各新幹線が大宮から更に上野からと開業し91年6月に上野⇔東京が繋がって東京駅発着と成りました。東京駅では先輩格の東海道新幹線と並んだ光景が見られるようになったわけです。この時に走っていた車両は東海道があの団子ッ鼻の「0系」と「100系」そして東北・上越の各新幹線は「200系」と呼ばれた車両ですが実はその当時から「隣同士の両新幹線を直通出来ないか?」と言う話がありました。しかし問題点として「東海道:交流60ヘルツ」「東北上越:交流50ヘルツ」と電源の周波数の違いがあり直通出来ないと言うような記事を見た覚えがあります。その頃は両新幹線共にパンタグラフから取り込んだ電気を変圧器で降圧してモーターを回すと言うような構造だったと思います。
そして、時を前後して在来線や民鉄の電車や電気機関車では昔からの直流1500Xでの直流モーター制御をインバーターなどを介して動力源であるモーターを回す交流方式に換わっていった時代だったのです。
  「東北上越:交流50ヘルツ」=JR東日本でしたが97年に長野新幹線として開業した後にその路線の途中から50ヘルツ⇔60ヘルツに替わります。つまり車両の基本性能としては交流の50/60ヘルツのどちらにも対応できるのです。この技術の確立によって前述の東海道新幹線(JR東海)⇔東北・上越・北陸新幹線(JR東日本・西日本)の直通(相互乗り入れ)は電気的な部分では障害は無くなったと思われますがその後の何かに報道によると『東海道と東北・上越とを新幹線で直通する需要が少ないためにやらない』と言うようなことが書かれていました。多分に鉄道会社の「メンツ」などにより直通運転はやらないとしていると思う。
  現実には「東海道⇔山陽⇔九州」の新幹線は一本のレールで繋がっており「東海道⇔山陽」「山陽⇔九州」については直通列車が行き交っていますが3路線の直通はありません。不思議ですです!!遠路は飛行機に乗れと言う事でしょうか。
 新幹線と言えばもう一つ、現在JR東海が進めている「リニア新幹線」があります。日本の背骨である中央アルプスなどの山岳地帯をトンネルで抜けて当面は東京(品川)⇔名古屋を最速1時間ほどで結ぶ計画なんだとか。この新幹線発車して地上のコンクリート道床上を走り時速が100qほどになると超電導の電磁石で浮き、空を飛ぶように走るのだとか。こうなると鉄道というより飛行機(?)と思っちゃいます。鉄道の定義が変わるのでは?
030-30  東京駅新幹線ホームで
「東海道・東北各新幹線」東京駅では腰高ほどの金網を隔ててすぐ隣の線路です
奥が東海道・山陽新幹線:N700A、手前左(赤色)が秋田新幹線:E6系、手前右東北新幹線(緑色):E5系
 

F 地下鉄が○○い


  都市部の地下に張巡らされた「地下鉄網」確かに覚えると便利な事この上なしなのですが、ひとたび下車して地上に出ると昔の街並みの中でのイメージと全く違う世界が現れることが有ります。一度、これまでに経験したことがなかった「方向音痴」になりかけて困ったことが有りました。野原の真ん中ではなくビルの谷間でこれと言った知っている地名や看板が見当たらないと東西南北すらわからなくなってしまいそうです。
  更に地下鉄はH項のように「景色を見る」と言う事がほとんどできません。山手線の内側の路線ではほとんど全てがトンネルで全くつまらない。
  「ゴーォォッツ」と言う騒音だけが耳に入り車内の案内放送も全くと言って良いほど聞こえないのです。最近の車両では「電光掲示板」で次が何駅か位はわかるのですが・・・・。
  この項の題名「地下鉄が○○い」の正解は「怖い」「嫌い」の両方です。
030-31  横浜市営地下鉄
  こんな地下鉄の写真は地上区間でないと撮れない!

F かぶりつき(パノラマ席)


  都市部を含めて電車や気動車の最前部に陣取って前を眺めると言う行為は昔から世の常、私も良くそうするものです。しかし混雑した車内ではカメラを構えたり三脚を使ったりするのは難しいことが多いものです。特に通勤電車では立っているのさえ大変ですが・・・。こんな時電車や気動車の最前部で眺めがよく運転手気分になれ、さらには自由に撮影が出来る列車があります。
  これまでに乗車したものでは
  ・北海道DC特急列車:261系(スーパーとかち・おおぞらなど)

030-32  Sおおぞら外観 030-33  Sおおぞら前方の眺め 030-34  Sおおぞら連結部

左:261系スーパーおおぞら。札幌駅で。 写真拡大 中:前方からの眺め。トマム付近にて 写真拡大
 右:261系前部の幌連結部分付近を中から、右側の景色はガラス越し 写真拡大
パノラマビューではありませんが最前部のガラスから越しの130q/hの眺めは圧巻。残念ながら現在ではこの通路入り口部分にチェーンが掛けられ立ち入りが出来なくなりました。写真表示
 
・スーパービュー踊り子:251系(通称SVO)
030-35 SVO
  東京側10号車は運転席後ろの3列12人分がハイデッカーしかも3段になっている!そのため前部の窓もシートに合わせて段差になっている。

030-36 SVO 030-37 SVO 030-38 SVO

左:運転手はこの角度から。伊豆急下田駅で。 写真拡大 中:前方からの眺め。運転手の頭越しにバッチリ前方が・・・! 写真拡大
右:SVO最前部から普段は平地と思われる個所もこんなにアップダウンがある。 写真拡大
  パノラマビューの最前部のガラス越しの120q/hの眺めは圧巻。
・ゆふいんの森:
030-39  ゆふいん
特急「ゆふいんの森」正面より。2段に見える正面ガラスは下側が運転台、上が客室展望席。
中央横に帯状の窓枠が有りチョット目障りだが内部は吹き抜け状態
  
030-40  ゆふいんの森
  特急「ゆふいんの森」後部!運転手より上部から景観を眺められる\(^^)/ただし中央横に帯状の窓枠が有りチョット目障り。窓ガラスの下部に見えるトランク類は客室乗務員の物。
  
などがあります。ほかにも特急「ワイドビューしなの」の長野方グリーン車や岡山⇔四国のマリンライナーのパノラマシート・グリーン席・九州の観光特急などにも同様の座席があり人気のようです。
 

G これまでの長距離乗車


  これまでの鉄道旅行のうちで乗った距離の長かったものを紹介します。何れも自分で計画しキップ等を手配したものです。
1.「一回の旅行」での乗車距離の長かったもの
  4722.5q:2003年10月 「ぐるり北海道フリーきっぷ」で6日間(3泊、2夜行)での乗車距離(東京発着フリーきっぷのため起・終点の上野駅⇔自宅最寄駅間を除く。)
内容の詳細は 『鉄道旅行記録2003年10月での行程(PDF)』
    及び 『2003年10月ぐるり北海道フリーきっぷでの旅』をご覧ください。

2.「1日(同一暦日)の乗車距離」の長かったもの(新幹線・特急含む)
  2149q:2007年5月22日 「新幹線1DAY Trip」(当時の東北・上越・長野・秋田・山形・東海道・山陽・九州各新幹線(当時)で使われていた車両形式を一日で全部乗り尽くす=当時某鉄道雑誌で実際に記者が体験していた記事を再現。この時の乗車距離。←当時は“暇人”と馬鹿にされたことも有りました。(笑)
  ※1 車両形式:E5とかN700とかいう路線別・用途別の鉄道車両群のグループ名
  ※2 因みに前日の八戸までの前乗りと翌日の鹿児島中央以降の鉄道旅行分を一つとすると総乗車距離は4506.3qとなる。(九州からの帰路は福岡空港から飛行機)もっとも「乗って」「降りて」随所で「記録に撮って」と普通の人ははよほどの物好きかイベントなどでない限りはこのような乗車はしないと思います。尚、現在ではこの頃よりも形式数が減ったりしていますからもっと「簡単」かな。

 これらについての詳細は 『1DAYTRIP 2007年(PDF)』←をご覧ください。

3.普通列車(快速・新快速含む)だけでの「一日(同一暦日)で乗車距離」の長かったもの。
  731q:(夜行を含む)2013年8月8日 青春18キップで小田原→岐阜→高山→富山→直江津→長野と廻る(乗車は横浜を前日の23:36だったが同じ暦日では小田原発00:51で集計した)。高山で約2時間の待ち合わせあり(市内観光に出た)。
  714.4q:(昼行のみ)2009年3月15日 青春18キップで「姫路→(米原経由)→近江塩津→(堅田経由)京都→米原→大垣→豊橋→浜松→熱海→戸塚 ※帰路ではそれまでに未乗車だった湖西線(京都⇔近江塩津)に乗るために琵琶湖を一周した。大都市圏での快速や新快速は文字通り早くて助かります。特に通過利用では。
 これだけ乗ると運賃だけで¥10,000円を超しますが助かり具合は一入です。しかし、乗り換え時に歩くだけで特に用が無ければ乗りっ放し・座りっ放しはやはり疲れます。ところでこのような各駅停車の旅ですが、都会ではトイレの無い車両が走っています。トイレが近い人はご注意を!!
などなど


                


以上のように底知れず楽しんでいる『鉄道趣味』ですが旅はまだまだ続きま〜す。

新規作成と変更・更新の履歴

2020/09/25 おおぞら最前部の写真を追加しました。
2020/08/31 内容を見直しして本ページ内で紹介した「全線乗車」「お得なキップ」「秘境鉄道を訪ねて」「新幹線全系列完乗」を独立させ、一部加筆訂正をしました。
2020/05/30 内容の一部加筆訂正をしました。
2020/05/13 鉄道旅行・乗車記録2019年〜  (PDF)を更新しました。(ほぼ全部)
2020/04/17 鉄道旅行・乗車記録2019年〜  (PDF)を更新しました。
2019/12/19 鉄道旅行・乗車記録2019年〜  (PDF)を更新しました。
2019/08/15 鉄道旅行・乗車記録2019年〜  (PDF)を更新しました。
2019/04/03 『変更履歴』を『サイトマップ』から本稿に移設し併せて内容を見直しました。
2017/09/20 『PDF』乗車記録を更新しました。
2015/12/20 『鉄道アラカルト』を新規リリースしました。
2015/12/20 『ドナルドおじさん拘りの隠れ処』を新規作成し準備の整ったページからリリースを開始しました。
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