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クルマ  website   update 2020/06/03 21:40

                       


 『クルマ』
A73
三菱ランサー1600GSL 1986/04/某日 丹沢山中で

 雨が降っても雪が降ってもどこへ行くにも無敵な存在です。若い時からクルマで四国・九州を除いた日本中を走り回りました。
  ここではこれまでに乗ったクルマについて拘りのコメントも添えて紹介します。
運転の楽しみ。乗る楽しみ。しかしこういうクルマたちにはもう会えないのだろうか!?
年・月 / メーカー名・車名 解 説 ・ コ メ ン ト
1968年3月
ホンダ N360Mタイプ
 免許を取って最初に買った車。クルマ屋さんにはスバルやマツダの中古軽自動車を薦められたが当時、本田が4輪車に本格参入した最初のモデルでいわゆる一目惚れだった。通称「エヌッコロ」360tで31馬力と当時の軽自動車ではトップクラスの性能(馬力)と言うことで気に入ったクルマだった。
が、当時の一部開通した高速道路の最高速度が軽自動車は80qだったような気がするが普通車並に走れた?ような・・・。
  それでも4人乗りとは言え3〜4人乗ると大変。箱根のターンパイクや東名の御殿場手前の上り坂は前の車が遅かったりして一旦速度が落ちると速度の回復がきついのなんの。でもスバル360・マツダのキャロルや三菱ミニカなど当時先発だった軽の先輩車たちよりもパフォーマンスが高かったと思う。当時は排ガス規制がなかったので360tでも結構走ったものです。
走行距離は2年弱で確か8万km。
1970年3月
ホンダ N360Turing
 気に入った車であり2台乗り継いだ。ツインキャブで36馬力。軽の分際とは言え当時流行り始めたラリーなどにも参戦。(ライセンスの要らない初級ですが)JMCの入門クラスで奥武蔵・峰越林道などのダートでよくカッ飛んでいた。
 その頃はナビはおろかカーオーディオもなかった時代、有ったのはカーラジオのみ。これとて“AM放送”のみが受信できただけだった。
  内・外装もタイヤをノーマルからラジアルに履き替えたのとフォグランプの追加のみで他は一切ノーマルだった。ところでこのクルマ、36馬力で確か36万円。当時の為替レートは固定相場で“1$=360円”だったから、ちょうど“1000ドル”が売りだったと覚えている。
1972年3月
三菱コルト1500SS
     FR4MT 
 ラりーに代表されるダート(未舗装路)走行が本格的に出来そうなクルマ。三菱が当時の国際ラリーに参戦を始めた車。
 本格的なラリーを意識し、やはりこれまでの軽自動車よりもパフォーマンスが高かった。そして何よりエヌサンのFFに対してFRに乗りたかった。最高出力は85PS。
  実はこの車、信頼のおけるある先輩ご夫妻がおとなし〜く乗っていた車を買替え下取りに出すと言うのでそのセールスに頼み適価で譲ってもらった。 
1974年4月
三菱ランサー1600GSL
     FR5MT
 当時の国際ラリーにも参戦し最高峰のシリーズでも優勝したクルマで当時の憧れだった車。当然ながらツインキャブ仕様の最上位車種(GSR:ツインキャブ車)が欲しかったがGSRは2ドアしかなく小人や家族が乗ることを考えてワンランク下の4ドアー車のGSL(シングルキャブ)にした。 しかしながら6年チョットで100,000kmを優に超え12年以上も乗ったお気に入りだった。
gsl
写真拡大
 写真はちょうど100,000Kmを迎えた時。ハンドルポスト左上が油圧計。その下に油温計と電流計。ダッシュボード左に見えるのはラリー用の時計(アナログ式;当時の流行でした)

 タイヤは未舗装路用のラリータイヤ。サスも硬めで車高はノーマルより2〜3cm高く当時まだ各地に有ったダート(未舗装路)を好んで走ったクルマだった。動力系ではエンジンの強化ピストンとカムシャフトの交換、それとマフラーをたこ足に交換していた。更に室内にはロールバーを装着して闊歩していました。現在でも当時の装備を知る人から「あの鉄の棒は何だったの?」との質問が有ります。北は北海道〜西は六甲山まで走りました。
gsl
写真拡大

 その未舗装路で行ったダートトライアル。当時の勤務先で同好の士を集めた催しの一つ。今の新横浜近くのぬかるんだ場所で。皆、愛車を泥まみれにして奮闘・・・。
sinyoko
写真拡大

 更に富士山の麓で行ったトライアル。もちろん特別な車だけでなくごく普通のファミリーカーやワンボックスカーなども走っていました。
1986年4月
三菱デリカ1800ハイルーフ
ガソリン4MTコラムシフト
 家族が増え、またOutDoorユースなどを考えて当時流行りだったハイルーフのワゴンに乗り換えた。エンジンはディーゼルではなくガソリン。しかしガソリンとは言えかなり非力。当時通行可能だった「乗鞍岳スカイライン」の頂上付近(標高:2700m近く)でのこと「ヒー・ヒー・トロ・トロ」と登り、揚句はストップ寸前で後続の『路線バス』にまで道を譲ったのにはショックだった。今思うとこの車未だ“キャブ車”?だったかなー。
がこれまでのセダンに比して高いところから見下ろす様は圧倒的。前や後ろのクルマ越しの眺めは最高!!
1992年3月
三菱デリカスターワゴン4WD
  ガソリン2400cc5MT           
 前車の1800はFR2駈でもあり更に上位の四駈に乗り換え。「パジェロ」ほどの威力はないにせよ悪路走破のムードは満点。ガソリン車なので力もそこそこだった。
  当時、マイブームだった鉄道写真撮影ではサンルーフを開けて車内に小さな脚立を立て、その上にに登って顔を出すと路面からは3m近くになり他の撮影者よりもかなりの高アングルから撮影できたことがこの車での何より一番の思い出でしょうか。
  また当時のデリカは街で見かけたほとんどが「ディーゼル」スタンドへ行くとディーゼルと間違われないかと心配だった。
1999年10月
三菱パジェロIO(イオ)
      5/MT
 デリカは気に入っていたが悪路の走破性ではイマイチ!本格四駈が欲しかったが当時人気絶調だった「パジェロ」ではデカ過ぎ(我が家の車庫に入れるのも大変そう)。と言う事で弟分のIOにしました。運転席も高く我が家の家族構成では十分だった。が、1800tはチョット非力だった感がある。
  津軽海峡を4往復した。
2005年10月
三菱ランサーエボリューション・ワゴン(エボ・ワゴン)
 6/MT
 ランサーエボリューションはWRC(世界ラリー選手権)でも世界チャンプを獲った車。国内では“ランエボ”として一世を風靡した。などで当時10数年以上も憧れたクルマ。初代〜8世代目まではセダンのみだったが\世代目で動力・走行性能は同等で荷物スペースが広く室内からも出し入れが出来るワゴンが誕生したのでこれに飛びついた次第。
  280馬力のターボ・エンジンは高燃費・高排気ガスと今では時代と逆行するようですがその4WDシステム、ブレンボのブレーキとPOTENZAタイヤ、それを支えるOHLINSのサスなど信頼性の高いパーツと補機類で高速運転時やヒルクライムなどでも安心して運転が楽しめる。
 まだまだ昨今のハイブリッド車や電気自動車には手を出したくないことも有これに乗り続けています。
  ひとつだけ難を言うならば回転半径の大きいこと“5.9m”でありUターン時片側2車線道路では反対側の端から反対側までギリギリ回り切れるかどうかと言うほど。縦列駐車などでも切返しの回数が多くなります。
  クルマはとにかくアクセルを踏むと加速しブレーキで減速。これが矩形波に近いほど面白いのですが・・・!!
evo
写真拡大

 購入以来既に15年、走行距離も100000qを超えました。周りを見てもほとんどはハイブリッドや電気自動車ばかり。しかし長年の車好きには次期の車が見当たらず乗り続けています・・・。
 昨年、免許書き換えでゴールドのままですが次回は返納かな・・・・?!
     2020年6月3日追記
拘りのクルマこぼれ話 解説・コメント
エヌサン
 初恋のクルマだったホンダN360(一台目)。
 その性能に酔い知れた訳ではないが最高速(アクセル全開)で走ったこともしばしばだったが、第三京浜・中央高速道で走行中にマフラーから突然の白煙を吹きストップ。原因はどちらもピストン吹き抜けだった。保証期間中で無償だったと思うがこのクルマ、今になって思えばエンジンとミッションのオイルが共用(ミッションとエンジンが一体化していた)だった事で湯温が上昇したことが主因だったのではと思う。(当時はまだリコールの制度はありませんでした)
いずれにしても思いもよらない出来事だった。今だったら多分『リコール』対象だったろう。
  またこんな事も有った。甲州牧丘の奥の未舗装路でジャンプし着地した際に路面の岩角でガソリンタンクをド突いて穴が開きガソリンを漏らしながら何とか修理工場に辿り着いたことがあった。今考えると“ゾッ”とする。
エスッパチ
 ホンダの初期のスポーツカー。1967年に九州旅行した際、宮崎で同行者と共にレンタカー屋さんで借りて乗ったのが最初。(当時の私は未だ運転免許がなく助手席のみ)それまでに乗った車よりもはるかに低い車高はまるで地面にお尻を滑らせているような気分だった。オープンカーだったので普通の乗用車からでも見下ろされているようだった。
 その翌年従兄がその S800 に乗って我が家に遊びに来た。当時元気だった「昔人間」の母もその低い車高に圧巻されるも「乗り降りが楽」と絶賛だった。
  その約30数年後息子が免許を取り最初に買った車が軽とは言えスポーツカー。その車高の低さにはカミさんも驚いていたが半分忘れ掛ったS800の車高よりは心持ち高い??ような気がする。今でもたまに見掛けるもののこんな車は今の新車では現れない。
ev
写真拡大  写真の右側の白の部分は印画紙をアルバムに張った際の貼り付きを剥がした際のハガレ。(1967年宮崎青島にて)
カーナビ
 その昔から地図を頼りに各地を走り回りましたが未だにカーナビとは無縁。もちろんその便利さや役立ち度については否定しないが自車には付ける気は全くない。知人に聞いてもカーナビで案内された場所などは目的地には着くもののいわゆる道路を覚えない!!事が多いそうですね。
  そのため道路地図も新しい道がどんどん出来るのでなるべく最新の地図を購入しているがそれでも地元関東地区は3年ほどで買い替えている。クルマでもよく出かけた「北海道」も1/10万一部1/20万の全道版を購入しています。
  なお、パソコンにはカーナビ用の地図会社製のPC版をインストールしているので事前に行き先が分っていればルートなどをチェックしている。もちろんこの地図、他の地図帳同様に使用頻度は高いです。
最近のクルマ
 最近の『クルマ』スゴイですネー!もちろん今は“ECO”時代ですから「燃費」がいいのは当然の事。
  でも、外観ひとつとっても一時期流行った「丸みを帯びた」スタイルからどちらかと言うと直線的であり輪郭に黒や赤などで強調したデザインはスピード感に溢れている。
 TVCMなどでも競うようにドリフト走行したり、はたまたドリフトで縦列駐車したりスポーツ性能を前面に出したものが多く見られる。それがスポーツカーならともかくひと頃のハイオーナーカーだったりファミリーカーであったりで驚くほどだ。
  私が最近気付いたと言うか驚かされているのはいわゆる交差点スタート・・・。見るからに重そうなワンボックスカー・重そうなバッテリーや駆動モーターを積んだハイブリッド車から小排気量の軽自動車。どれをとっても早い!早い!
  先日、某P車、たまたま信号待ちの3車線道路先頭で隣に並び信号が変わって同時にスタートしましたがアッと言う間に置いて行かれ1qほど先の次の信号でははるか前方。もちろん、レースをやっている訳ではないしシャカリキになっているわけでもありませんので競争心などから言っているわけではありません。
 単純に何で?と思ったまでの事。確か車重はほぼ同じかP車が4〜50s軽いかな、エンジン出力はP車は半分ほど(モーター出力を加えても2/3ほど)。
  この差は何でかな?強いて言うならP車はスタート時にブレーキを離すと同時に走行開始(オートマですから)。アクセルを踏めばグイグイ加速する。片やこちらは信号が変わってからクラッチを切ってギアーを一速に入れてクラッチを繋いでからようやく走り出す(マニュアル車ですから)。これは次の一速から二速にアップするときにも同様の操作ですからこの空白?時間に置いて行かれる?のかと。
 
 最も最近の市内走行では燃費の悪化を防ぐこともあり、急発進と無用のブレーキを意識的に避けています。走行中に前の信号が変わればアクセルから足を離し可能な限りエンジンブレーキだけで信号まで引っ張ります。しかし、こういう運転ですと後ろから軽にまで煽られることも有りますが・・・!。
  

                

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