ドナルドおじさんこだわりの隠れ処 website | |||||||||||||||||||
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1945年 母の疎開先、群馬県北甘楽郡富岡町(現富岡市)で生れる。ただし当時の住所は東京都港区麻布本村町(現南麻布)に両親が間借りしていた。 1950年代半ば頃 そのころ近所の遊び仲間から呼ばれた「あだ名」が “ダック” 「ワイ、ワイ、ギャー、ギャー」 と大声で話す様が当時流行始めたディズニー漫画の 『ドナルドダック』 に似ていた事から付けられたようだった。現在でもとにかく“大声”なのだ。 60年もの時を経てこのH.Pのタイトルにしました。 1956年 父親の転勤に伴って横浜市南区(現港南区)へ転居。以来横浜市民に〜2度の転居後現在に至る 趣味 旅行(自然探訪・鉄道)、 カメラ(写真)、 鉄道趣味、 野鳥(観察・撮影)、 クルマ、TV鑑賞と録画番組編集、家庭菜園、DIY、 献血など限がない。ほかに 「アマチュア無線」「オーディオ」などあるが現在は休止中。再開準備中。 特技 日本地図センター主催:地図力検定3級認定。 地理・地図に加え地学的な事を含み結構難しかった。学生や地理・地図業界関係者が多かった?ようです。 旅行地理検定協会主催:国内旅行地理検定2級合格。 どちらかと言うと旅行に関する地理や知識を問われた内容だった。旅行業界関係者が多かったようです。
拘りの好物
左:富士吉田「美樹也」の吉田うどん。割りばしより少し太い。歯ごたえは良い。写真拡大
中:ほうとう。言わずと知れた甲州名物。具の野菜や肉がふんだんに入っているのもうれしい。 右:桶川大木うどん店の「田舎うどん」。厚さは7〜8mmで幅は2pほどの超極太めん。食感はおでんのちくわぶ風。
あずきを使った菓子・食品、チョコレート、コーヒー、ウイスキー(ハイボールで)、麦焼酎。ブラック・コーヒーにあずき菓子があれば至福のひとときが過せます。そう言えば最近街で「鹿の子」をあまり見受けません!どうしちゃったのかなーっ!! ※ 本稿を最初にリリースした時には左党としてウイスキーや焼酎を嗜んでいましたがその後高齢と健康上の理由から「断酒」しました。
食べず嫌い
あさり、ほたて以外の貝類はチョット!に!が!て? セロリ・オクラ、モツの類い、牛肉は好きだがレアーはダメ!タンもチョット!! 『日本茶』あの甘ったるい味が嫌だ!!(寿司屋では日本茶しかなく仕方なしに?飲む、どこかコーヒーの出る寿司屋さんありませんかネ!)。以前ある人から「お前日本人か?!」と言われたことがある。 トマトジュース・ケチャップ(要は火を通したトマト)喰わず嫌いを含め私の咽を通らないものが多い。総じて新しい・初めての物に苦手が多い 最近の“日本茶ブーム”と言うか“麦茶離れ”のようなものに閉口している。コンビニや自販機に行っても日本茶は10数種類もあるのに麦茶は良くて1種、サービスエリアなどで自販機が多数並んでいても麦茶は“ゼロ”なんてこともしょっちゅうだ!!((○(>_<)○)) 苦手なもの たばこの煙(昔は愛煙家だったが今はダメ!大の嫌煙家)。温泉(あのヌルヌル感がダメです)、が普通の風呂・シャワーはよほどのことがない限り毎晩浸かります。また個人旅行では温泉(地)を旅の目的地にしたことはありません。 クジ・ギャンブル・占いの類い。自分からは宝くじも馬券も買った事は有りません。 サプリメント・健康食品の類い。最近の「特定健○□△」なども好かない、普通に売られている食材・飲物をバランスよく摂れば十分。 趣味へのこだわり 私の趣味への拘りです。他のサイトでもお分かりと思いますが趣味に関する製品のラインアップを紹介します。 クルマ:Mitsubishi(最初の2台はホンダ、以降6台連続) カメラ:Nikon(コンデジを入れると本体単位で9台目)コンデジ1台目以外は未だ全て完動品。ただ、フィルムカメラは電池を抜いて保管しています。 ステレオ(オーディオ):PIONEER(アンプ・チューナー・SPなどコンポーネントごとに世代は異なります) テレビ:SONY+BD−R(自分用)居間用はAQUOS 何れも一代目 ビデオカメラ:CANON(3台目)1・2台目は破損・故障 パソコン:エプソンダイレクト(何れもデスクトップ)を3台の後Toshiba(ノート型2台) 時刻表:JTB 昔から見慣れていた所為か。とにかくJR時刻表に比べて見易い 地図帳:帝国書院刊「最新基本地図 ―世界・日本― 最新版を自室、旧版を居間に置いている。 道路地図:昭文社 スーパーマップル「関東道路地図」など。他に「北海道道路地図」「中部道路地図」など 地図ソフト:@Mapfan.com(どちらかと言うと地名の読み方などで使いやすい:無料)AMapfan.net。(ほぼ常用している:有料)BGooglemapマップ。(言わずと知れた航空写真とストリートビュー) と、まあこれだけ見ると、長い間使っている物でもほとんど同一メーカー・ブランドを使っている。気に入った物、良いもの(好きな物)は長く使えるし買い替え時にも次も是非と言う気になるものです!! おふくろの味 よく言われる「おふくろの味」ですが終戦直後の食糧不足もあったためか、これと言った「料理」「味付け」などの思い出は少ない。 ご飯の御数にさんまの開きを半分とか、出来合いのコロッケを1個、主食も米は「配給米」こんな食生活しか記憶にない。 昭和30年代になって思い出される母のメニューが「ラーメン」「シチュー」「マカロニ」。 『ラーメン』と言っても、今では一大カテゴリーになっているラーメンとはチョット違う。先ず麺は近所の「製麺所」で作られた卵つなぎのごく一般的な「中華めん」だったが「つゆ」は煮干し出汁に少量の豚ひき肉を入れ醤油だけで味付けしたもので上乗せは茹でた「つまみ菜」だけだったと思う。もちろん、出来合いの「めんつゆ」などはなかった(入れたとしてせいぜい『味の素』)。これだけで我が家では十分に美味しい「ラーメン」だったと記憶している。 『シチュー』我が家でシチューと呼んでいたのは今の野菜・肉類などを入れて煮込んだクリームシチューやビーフシチューと言った洋風の鍋料理とはチョット異にした、よくある「野菜(キャベツ)スープ?」に似た中華風の鍋料理の事。キャベツ・人参・玉ネギ・もやし・ぶた肉を炒めてお湯を加えてスープにしたもの。今では何の変哲もない料理だったが私が中学生だったある時、当時大学生の従兄弟が我が家へ遊びに来た際に鍋一杯に作ったこの料理を父と二人でビールのつまみにして全部食べてしまった。母から私に「もやし」だけを買い増しするよう言われ八百屋に走った思い出がある。当時はそのくらい美味かったのだ。 そして『マカロニ』は現在ではパスタの食材名のひとつだがこれも当時の我が家での料理名称。早い話が野菜炒めに「茹でたマカロニ(マ・マー マカロニ:鉛筆より細めのごく普通のもの)」を加えてさらに炒める。最後の味付けはウスターソースだった。これだけですが母なき今では私以外の家人が「好きではない」と言って、私の口に入らない。ある意味寂しい限りだ((○(>_<)○)) と、まーこんな内容が私には「おふくろの味」だが、終戦間もないころに育った私には「おふくろの味」は有って無いようなものだった気がする。それは当時から私は“味音痴”だったがそれより何よりメニューも食材も少ない時代だったから。 究極のおふくろの味を紹介します。それは「おふくろの味」ではなく「おばあちゃんの味」です。 もう60年以上も前ですが!親の帰省の度に母方の祖母が作ってくれた「煮込みうどん」です。 台所の隅に設置された手動の製麺機を準備し目の前で小麦粉こねから伸ばして製麺機に掛けると2mm□ほどの一定幅に切られた生めんの出来上がり。その間に煮干しから摂ったのだろう出汁と味噌か醤油で汁を作り野菜(中身は記憶にない)と先ほどの麺を生のまま入れ一緒に煮込む。最後に少量の胡麻油をかけると完成。 製麺機で作る「めん」は今で言う(うどんとしては)「細麺」だったと思う。これが「おばあちゃんの究極の煮込みうどん」記憶では当時母にその料理名は「おきりっこみ」と教わった。私達が訪れた時の最高の「もてなし」であり後年も他界するまで続き、いつもリクエストしていたと覚えている。その「お切り込み」は私にとって今でも忘れられない最高の料理だ。 最近のグルメブームで群馬県の名物の一つに「お切り込み」があるがこちらは太麺が使われているようです。先日念願叶ってこの「お切り込み」を食する機会が有りました。この時は「ほうとう」より幅広で厚さが半分ほどの麺が熱々の鍋で踊っていました。 着メロ ♪Water Crown♪ 曲名で言ってもご存知ない方も多いと思います。しかしあれですと言ったらもうお分かりと思います。JRの駅ホームの発車メロディーの一つ、山手線の「目黒駅」などで聞かれます。首都圏では他に高尾や大船駅などでも聞いた覚えが有りますが分岐駅や乗換駅ではホーム毎に異なった曲♪が流れますので良く聞いていないと聞き逃します。 携帯デビュー時にはよく聞いていましたが、最近は「マナーモード」設定して胸ポケットに入れているためほとんど聞く機会が無くなりました。 携行品 若い時からセカンドバック状の小さなバックに手帳などを入れていました。30年ほど前からはB5版程度の本などが入るものに。その後は更に大きなA4版が入るほどのバックになりました。 そしてその中身も齢と共に変化し仕舞いには天気に関わりなく小さな折りたたみ傘を年中持ち歩きました。 そしてある時からカメラを持ち歩くようになったのです。毎日の通勤途中で何かの出来事に遭遇したらシャッターをと思ったまでです。もちろん当時は携帯電話もカメラ付などはなくカメラもまだまだフィルム式の時代。このカメラで予期せぬ出来事と言うか予期せぬ被写体としては2002年に某有名女優が何かの仕事で私の当時の会社に来たことが有りツーショットを撮ったことが有りました。これが長いカメラ人生で最初で最後の予期せぬ出来事!だった。 『現有時刻表』(Pdf)をご覧ください。
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