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アマチュア無線  website   update 2021/12/07 18:30

                       

 『アマチュア無線』
私のこれまでの人生で最初に接した趣味らしい趣味を紹介します。
誰ですか?「甘茶無銭」なんて言ってるのは「素人無線」の事です。

  1950年代の後半。当時から大の巨人ファン(一辺倒)だった父が当時ラジオで巨人戦をよく野球中継していたNSB(日本短波放送:当時)を聞くために当時流行り始めたオールウエーブラジオ(中波+短波放送:もちろん真空管式でマジックアイ付き)を買い込みました。

cne3 ←写真左:当時の白黒TVの上に置いた2Bandラジオ。
  写真拡大:2Bandラジオ

 私が中学生になったある日の昼下がり、その短波放送のチューニングツマミをいたずら半分に回たことが有りました。
 当時は外国語にはほとんど接する機会がないこともあり訳の分らない言語で何やらしゃべっている放送がありました。
 興味半分で聞いてみると、その音声に交じって聞こえてきた日本語がありました。しかもラジオ放送の会話とは違ってどこか近くのお兄さん達がしゃべっているように聞こえたのです。
それがアマチュア無線の交信だと言う事に気づくのにほとんど時間は掛かりませんでした。
  その後、一緒に聞いていた母と「あっ北海道だって!」「○△県らしい」と一喜一憂。「お母さん“ラジャー”って了解、“WX(ダブリューエックス)”って天気の事だよ!スゴイねーー!!」「“チャージ”って食事」母も門前の小僧よろしく一緒になってハム用語を覚えたものです。
 当時の我が家でのアマチュア無線への呼称は母の命名で『ピーピーカッカ!!』兎に角QRMとQSBそしてQRHにより「煩さい」と言う事を絵に描いたような状況だったと思う。
 
 このようにしてアマチュア無線に興味を持ち始めたのですが当時本屋の書棚で「初級アマチュア無線局のつくり方 JA1CNE 杉本哲著」を見つけそのころとしては大枚の¥170円をはたいて購入し食い入るように読み干しました。

cne1 cne2 cne3     左:「初級アマチュア無線局のつくり方 JA1CNE 杉本哲著」の表紙。  中:上記の目次  右:上記の内容の一部。

 こうしてアマチュア無線へのあこがれは強くなり自分も仲間入りしたいという機運が高まりました。 しかし何よりアマチュア無線は「国家試験」で資格を取らない事には出来ないと言う事ですが、両親からも「二つ返事」で了解が取れました。
 しかし当時のアマチュア無線従事者国家試験は年に春・秋の二回それも平日に東京まで行かねばならず受験の機会が遅れたのです。そしてようやく1962年夏、この年から学校の夏休み時期に臨時試験が行われるという事でようやく受験出来たのです。蛇足ながら中高校ともに皆勤賞でした。
 
   それでは以下に私の「アマチュア無線」での足跡を紹介します。

アマチュア無線関連年譜
(周波数の単位表記は60年台までは当時の物で記述しています)
              
  
年 ・ 月 解 説 ・ ポ イ ン ト 写真・資料等

1960年〜62年ごろ
 SWLとして放送局やアマチュア無線局へ受信報告を送り20枚ほどのベリカード(受信証)を得ました。
 
Beri

1961年秋
 初めて「CQ Ham radio」誌を購入。この一冊だけは未だに手元にあります。確か21/28MCがアマチュア無線に許可になったというニュースが賑わっていました。先日久々に眺めましたが懐かしいような何とも言えない気分でした。
当然ながら中身はオールアナログでありパソコンは勿論の事デジタルの『デ』の字も載っていなかった。
cqm

1962年7月
 JARL主催第10回VHFコンテストにSWL部門で参加。第3位だったが今になって賞状を見ると部門は『全MC』とあった。当時はVHFと言っても50MCまではそこそこの局が出ているようでしたが144Mcなどは実験的にオンエアーされていただけでこれより上の周波数がポピュラーになったのは後年のことだった。
 
vhf

1962年末






lprの免許交付。ただし当日は旅行中だったで目にしたのは年が明けた正月早々。
当時は二枚一組で、写真の上が「無線局免許状」写真下が「無線局免許状(付属書)だった。
lpr

lpr

1963年
1月2日
 帰宅後、新年早々初電波。相手はJA1GVJ 7MCAMで。受信機・送信機・変調器・VFOと何れも自作でこの日のために準備していました。
開局後暫くは50MCでのQSOが多かったので相手は南関東の局が多かった。
また、SWL時代からJARLに加入していたのでQSLもJARL経由が多かった。    写真拡大
kaikyoku

1963年3月
 50MCで1StVK 1st OverseaQSO。3月とは言え汗をビッショリ掻いていたように覚えています。

1963年5月
 50Mcで釧路とEスポで初QSO。以来50MCの虜に。

1964年9月
 東京オリンピック開催記念QSLカード。
この年開催された東京オリンピックの「記念QSLカード」たしか100枚ほど発行したと思う。
拡大 → 
olqsl

1964年10月
 「電波技術」誌11月号に50MC6エレ八木アンテナ改造記を寄稿。以降、同誌にアマチュア無線関連製作記事を4回寄稿。
dengi

1965年3月
 JARL関東支部大会に初参加。

1966年5月
 第八回JARL通常総会に参加、新宿厚生年金会館。
jarl

1967年5月
 第九回JARL通常総会に参加、北九州八幡市にて。尚、この総会内で表彰を受けたのだが「非常通信の何たらかんたら〜」だったと思いますが理由をすっかり忘れてしまった。表彰状もなぜか行方不明。以後4日間で予定外の初九州一周鉄道旅行。


拡大 → 写真右下の左側が私。
jarl6

1967年7月
 50McでのQSOを最後にログ帳記載の交信が途絶える。しかし車に乗ってのモービル運用は続いた。

1968年10月
 JARL関東支部合同ミーティング参加。東海村原子力研究所にて。
第一期アマチュア無線活動空白?期間。局免は72年12月まで。
sibu

1974年1月
 同じ横浜市内の磯子区に転居。高台のほぼてっぺんで素晴らしいロケーションだった。
写真はタワーのてっぺんからで、左奥が富士山、手前が丹沢山塊、その手前は洋光台と磯子CC。

拡大 → 
isogo

1975年5月
ごろ〜
 アマチュア無線活動再開。144MHzA3j主体で運用。


拡大 → 
yukata

1976年ごろ
 当時1エリアを中心に活動していた「2mサイドバンダーズ」の活動に賛同し仲間入り。

1976年7月
 JARL主催「第6回6m&Downコンテスト」で「個人局144MHz」部門で関東地区第2位。

1976年後半〜
 全国各地の2mSSB関係友好グループ/愛好会・団体主催のミーティング等に参加を始める。
写真は1980年4月の2mSSB高知大会に参加した時のもの。


拡大 → 
kouti

1977年7月
 JARL主催「第7回6m&Downコンテスト」で「個人局144MHz」部門で全国(関東地区も)第1位を獲得。
award

1978年7月
 JARL主催「第8回6m&Downコンテスト」で「個人局144MHz」部門でログ提出。
結末は巻末の「こぼれ話」をご覧ください。

1979年7月
 JARL主催「第9回6m&Downコンテスト」で「個人局144MHz」部門で関東地区5位。

1980年11月
 JARL主催「第1回全市全郡コンテスト」で「個人局144MHz」部門で関東地区5位。

1982年9月
 現在の横浜港南区に転居した。磯子ほどではないもののVUをやるには有利な高台だった。
genzai

1978年〜
1985年
 当時アマチュア無線専門誌だった「モービルハム」誌(現在は廃刊)の“Ham Report 144MHz”のコーナー執筆を担当。78年3月号〜85年3月号までの7年間。
拡大(左) → 
拡大(中) → 
拡大(右) → 

mob1 mob2 mob3 


このころ
 相変わらず各地のミーティングにも参加したり講演を頼まれたがこれらのミーティング参加だけでもあと「8エリア」に行けば「ミーティングAJD?」完成だった。当時の北海道は遠かった!(>_<)
その間50MHzや21MHzなどにも声を出していました。また「モービルハム」誌の他「CQHamRadio誌」にも所属のクラブ活動報告などを寄稿した。

1984年9月
 モービルハム誌1984年9月号の表紙に私の撮影した写真が採用された。

2006年5月
 JARLから「30年」の会員表彰を受ける。途中で会費切れがあったため一度途切れ再入会した75年〜の通算カウントのようだ。
30y

 振り返ると「アマチュア無線」は私の趣味らしい趣味の第一号と言って良かったが1993年を境に交信が途絶えた。(ログ帳への記載がない)ただし「アマチュア局免許」と「アマチュア無線連盟」会員だけは継続している。
         第二期空白期間?
現在、休止中。再開準備中

アマチュア無線こぼれ話
1.SWL時代に聞いた今でも忘れないQSOの一節。時期は夏の夜、バンドは7MC確か「5」か「6」エリアの局だったと思うが「あっ、今“タンクコイル”の中にバッタが入って行きました。どうなるんでしょうか?」まるで実況中継のようでした。続きは残念ながらフェードアウト!!

2.開局後4年間ほどは関東地区のコールサインのプリフィックスは“JA1”のみ、そして何といってもほとんどの局のコールサインは「JA1○△□」なのでVHFコンテストなどでは「ワン○△□」と言う具合にサフィックスのみでも十分通用したし実際当時のログ帳を見るとサフィックスのみの記入が多かった。たまにQSOする他エリア局や海外局のみフルコールで記入していた。関東に次のプリフィックス(JH1)が登場したのは私のログ帳上で1967年からです。

call1 call2 call3    左:1963年版アマチュア無線局局名録 中:局名録の使い方中:局名録の使い方  右:中:目次
これで見るとJA1エリアはサフィックス「JA1M○△」まで交付されていたが「JA5、9、0」の各エリアはサフィックスがようやく3文字になったころのようです。

3.1964年10月に「電波技術誌」に製作記事を投稿。この時の原稿料でカメラ(オリンパスペンF:ハーフサイズ/確か6000円くらい)を購入しましたがこれが私のカメラ人生のスタートでもあった。

4.その時の原稿料は確か1ページ数百円程度だったと思う。従って4回の寄稿でも1万円に届くかどうかと言う額でもあり所得税1割を源泉徴収された残りはアルバイトとして手元に来ましたがこの時は問題なかった。
しかしその15年後、「モービルハム誌」に寄稿し始めた翌年、この原稿料(高々数万円/年だったが)に市(区)役所から「市民税」の追徴課税の通知が来てビックリ。本来の会社勤めの給与所得に合算されたのでこの原稿料の半分近くを請求されたと思う。と言う事でその翌年からは毎年「確定申告」をしている。

5.大の巨人ファン(G党)でもある私でしたが1975年からの10年ほどは会社から帰ってからの夕食後は「シーキュー・ツーメーター、シーキュー・ツーメーター」で現を抜かす毎日。
 このため当時は毎日のように中継されていた巨人戦ナイター中継をほとんど見ていなかった。と言う事でこの頃活躍していた選手の印象がかなり薄く中にはほとんど記憶にない人もいるのです。
もっとも、最近は地上波での中継放送が少なくなったのである意味同じ側面が有りそうですがですが・・・・!

6.1980年代までの「2m」をはじめ主に国内局とのQSOが多かったがお蔭で全国のかなりの数の郡・市区町村名や大まかには頭に入っていたと思う。
 しかし、平成になって以降のあの「平成の大合併」で新しい市町村名などでかなり多くのリセットが掛かってしまい地図なしでは分らない名称の場所が多数生まれました。
 大きな事件や災害などで聞きなれない地名が多いためリビングには今でも日本地図を置いたまま。
しかしこれすらも10年ほど前の物、最新版にしないと間に合わない。トホホ!

7.1970年代後半から144MHzに熱を注いで自分なりにやってきたが中でもコンテストでは一時期毎年のように楽しんで来ました。その結果1977年の『第7回6m&Downコンテスト』では「個人144MHz」部門で全国1位(賞状はエリア1位と2枚来た)と言う結果を得ることが出来ました。
  実はその翌年の第8回にも参加して「JARLNews」での結果発表を待ちました。得点上は確か前年と同じくらいだったと記憶していますがいよいよ発表号を手にしてわくわくドキドキしながらページをめくったのですが何度見ても私のコールがみあたりません!!スイッチを入れ替えてふと「失格局」の欄をみてびっくり。そこに私のコールをみつけました。(>_<。。。)提出書類のコピーが有ったので調べてみるとコンテストログの途中1ページの小計欄に記入モレを発見。これが失格理由のようでした。
  満を持しての1979年の「第9回」今度こそはで臨んだことは言うまでもありません。結果は関東地区第5位。
  そして1980年の第10回、予想としては自分なりには手ごたえ十分と思い前々年のミスをするまいと肩に力が入り過ぎてしまったのかまたもやミスをしでかしました。実はその前年までのコンテストログ提出の締め切りはそのコンテスト開催月日の翌月末日だったのですがこの年からはその提出締切日は翌月の同じ日(一か月後だったかも知れない)になってしまった。これはログ・サマリーを送ろうと宛先を確認する際に目に入ったのです。一気に血の気が引いたことを覚えています。が〜〜ん。
  今から考えてもモチベーションは一気に下がりましたがその年秋から「全市全郡」を最後にコンテストからは引いてしまったと記憶しています。
と、とんだ失敗がいっぱいでした。

                

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