所在地:神奈川県川崎市平 開催日:2025年3月11日(初卯祭) 時 間:午前10時より ◆初卯祭とは、3月最初の「卯」の日に行なわれる神事。 川崎市平(たいら)の白幡八幡大神では、的祭り(オビシャ)という、矢の命中率 によってその年の豊凶を占う予祝行事を兼ねた、五穀豊穣を願う地域に根付い た習俗でもある。 当日は、講中の人々によって作られた独特の藁製の大蛇が神社の鳥居に飾り 付けられる。
コトノバドライブroute05「電線に鳥のこと」検証の際に訪れた川崎市市民ミュージアムで、とても興味深い神事として知ることとなった、白幡八幡大神の初卯祭。このお祭りの取材調査がようやく実現できました。 この白幡八幡の初卯祭は、的祭り(オビシャ)も兼ねた五穀豊穣を願う伝統神事。これだけのことなら他の地域でも散見できる習俗なのですが、神社の鳥居に何故か藁製の大きな蛇を飾り付けるのが独特です。雨乞いや厄災除けとしてこのような藁蛇を作製するということはあるものの、ここでは「蛇が畑の害虫を食い尽くしてくれる」という思いから祀られているのだそう。しかもそれがかなりユニークなフォルムをしているとあれば、これは見に行かないわけにはいかないでしょう。大蛇が飾り付けられるのは祭りが始まる直前だということで、あわよくば準備段階も見られるかも知れないという思いから、少し早めに現地入りして待機することにしました。 ところが開催40分前になっても、関係者の方々の大きな動きはありません。もちろん、鳥居近辺に藁大蛇の存在も確認できず。あまりにも不安になってしまったため、祭り半纏を着ていた神社の講中(神事に携わる地域団体=氏子中のようなもの)と思しき古老の方に訊ねてみることにしました。 話を聞くと、講中の若い連中がまだ全然来ていないとのこと。藁大蛇は前日に既に出来ていて、倉庫に保管してあるのだが、運び手や鳥居に飾り付け出来る人が集まらないとどうにもならないそう。神事の開始までは最早30分を切っていて、俄かに慌ただしくなってきます。 「…あの〜、もし良かったら、私も運び出しをお手伝いしましょうか?」と提案すると、「おっ、そうか。じゃあこっちに」と参道階段脇の倉庫へと案内されました。おぉ!藁大蛇を間近に見れるどころか、触れて運び出しまで体験できるとは、これはもう願ったり叶ったりです!こういう思わぬ展開があるから、お祭りの準備段階から密着するのは楽しいんですよね。 実際には倉庫から運び出した段階で若手連中の方々がワラワラと現れ出て来たので、私のお手伝いはここまででしたが、これより先の作業風景は写真にも収めておきたかったことですし、むしろグッドタイミングでの交代と言えるでしょう。少し名残り惜しくもありますが、藁大蛇さまを一撫でしてから、祭事準備の様子をジックリと見守ることとしました。 それにしてもゼロ距離で見る藁大蛇はもう、迫力十分です!大蛇の頭部を構成する目玉は里芋、角(つの)は牛蒡、舌は人参を二つに裂いて作っているのだそう。角?これって角だったのかー。私はてっきり、ヒゲだとばかり思ってましたよ。
なんとか10時までに藁大蛇の取り付けが完了すると、いよいよ神社拝殿にて初卯祭が執り行われます。 拝殿内に講中の人々、的祭りの射手となる子どもとその介添人が集まり、祝詞が挙げられ、玉串を奉奠します。このあたりは、いわゆる神社にて行われる神事と同様ですので割愛させていただきます。その後、神前に供えられた大的が屋外へと運び出され、的祭りの開始となります。 白丁に身を包んだお子達と袴姿の介添人があらわれ、まずは地面(茣蓙)に向けて一射、続いてお子達をサポートするように介添人が弓を引いてあげて、なんとか的に向けて矢を放ちます。……まぁ、ほとんど介添人が射出しているようなものなのですが、それでもこうして歩射のカタチになっているだけでもマシだということ。飽きちゃったり嫌がったりして、結局一射もせずに退場なんて年もあるそうですよ。 射手の子どもは元来、5歳未満の長男2名が選ばれるとされてきましたが、近年はその規定も緩くなり、女の子でもOKとなったようです。まぁ、少子化だし、ジェンダーレスな世の中だし、それでいいと思います。長く伝統を続けるためにもね。
神事としての子どもたちの歩射が終わると、続いて講中の大人による歩射が始まります。 こちらは神弓ではなく、一般的(!?)な弓と矢を用い的を狙いますが、相変わらずのユルユル雰囲気のお気楽モード。まぁ、『新編武蔵風土記』の時代から、「射術の式あり、尤其形ばかりかな」と記されているように、その技量は大して問わないみたいですね。 ところが!ここでそのリラックスが功を奏したのか、試し打ちみたいに放った一射目が、なんと的のド真ん中(図星)を射貫くことに!これは大変に縁起が良い!これで今年のこの地域での五穀豊穣は約束されたのではあるまいか?あ、いや、でも当てたのは講中の人たちで、子どもたちではないからなぁ…。この場合は、どういう解釈をすれば良いのでしょうか? その後も的に当てた人はいるものの、図星に当たった人はついぞ現れなかったので、いかにレアな展開だったのかが窺い知れますね。 講中の人々の歩射が終わると、速やかに舞台が撤収されます。そして鳥居に掛けられた藁大蛇だけを残し、神社は再び日常の変わらぬ雰囲気へと戻るのです。この一連の所要時間が、ほぼ1時間。あたりはまるで何事もなかったかのような静寂が包み、また祭礼の幟や縁日屋台なども並ぶことがない様子から、このような初卯祭があったことにすら、気付く人も少ないのではないでしょうか。 観光俗化にもまみれていない、極めてその地域特有の貴重な風習を目にすることが出来て、短時間ながらも得ることの多い旅となりました。
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