所在地:目黒区下目黒3−11−11 開催日:1月8日(初薬師) 時 間:午後2時より ◆たこ薬師(蛸薬師)は、不老山成就院の本尊である薬師如来のこと。 慈覚太師が海難に遭った際、薬師如来の小像を献じて事無きを得たのち、時を 経て再びその仏像が蛸に乗って波間に現れたという謂れに基いて彫られたもの。 実際の像は「蛸に乗る」というよりは、蛸が薬師如来の蓮華座を支えている台座の ような役割となって表現されている。 秘仏であり、写真撮影厳禁。開帳も年一回の初薬師の日のみ。 一見トボけた感じに見受けられるスポットも、実はガチガチに真面目な場所だったりすることがありますよね。 私にとってはまさにこの成就院の蛸薬師がそれで、確か最初に興味を持ったのは中学生の頃だったでしょうか。何かの本(*1)で、「へ〜、目黒にこんな変わったお寺があるんだぁ。境内がタコだらけだったりして…。よし!面白そうだから行ってみよう。」と思って行ってみたら、実際は至ってフツーのお寺でして、タコにまつわるものは上写真の扁額くらいしか無かったのです。しかもこの扁額の絵は本にも写真付きで出ていたから新鮮味もあまりなく、タコの絵が描かれている絵馬もあると聞いていたのに、それすらも見つからずに拍子抜けして帰って来たという苦い思い出があります。 それから数年後、この成就院の御本尊である薬師如来像は本当に「蛸に乗っている」という話を聞き、二度・三度と付近を立ち寄った際には訪れてみたりはしたものの、「本尊は秘仏ですのでお見せ出来ません。」「写真もありません。」「本堂内は法要などの用事が無い限り入れません。お賽銭箱の前でお参りをして下さい。」の徹底ぶり。まさに秘仏中の秘仏の扱いです。もっとこう、変わった仏像なのだから、その辺をアピールしていけば参拝者も増えると思うのに、それを敢えてしないという頑ななまでの真面目さが凄いですね。けれど、それが私には却って好感を抱く要素ともなり、「いつか見ることができたら良いなぁ。」という淡い期待を胸に、記憶の片隅に沈めることとしたのです……。 それから、月日は流れに流れて三十数年!思わぬところで蛸薬師の興味が再燃し、かつての記憶が刺激されることとなったのでした。 そして、世はまさにインターネット大情報時代!(←言い方が古い)、当時は一つの事柄を掘り起こすのに様々な苦労をしたのに、今や検索ボタン一発でみるみる新情報がヒットします。そんな中、成就院の秘蔵仏である蛸薬師が、実は一年に一回だけ御開帳されるという耳寄りなネタを得ることができました。発信ソースは、なんと成就院のホームページそのものからです。「なんだよ〜、こんな大々的に公表してるなら、訪れた時に教えてくれれば良かったのに…」と思いましたが、きっと私の聞き方も良くなかったのでしょう。当時は興味本位が先行した、若造だったこともありますしね。 ホームページからの情報によると、秘仏の蛸薬師は、一年で最初の薬師縁日(初薬師)の日に、『護摩供(ごまぞなえ)』の法要に於いて御開帳されるとのこと。それがどの程度まで見せていただけるのかは分かりませんが、今度こそはそのお姿を自身の目でしっかりと確認すべく、三十数年の時空を越え、長年来の憧れであった蛸薬師さまに会いに行くことにしました。 (*1)ブルーガイドL・『ミステリースポットを訪ねる 不思議の旅ガイド』より。もう35年も前の本でした……。
もとよりこの護摩供の段階から体験する気でいた私は、躊躇うことなく護摩木を所望。『へちま加持』の時と同様に、願いを「片頭痛の解消」にでもしようかな?とも思いましたが、まぁ、そんなにあっちこっちで片頭痛と書いてもしょうもないので、ここは無難に「当病平癒」としておきました。そして、蛸薬師さまを真正面から捉えることのできそうな席を確保して、いよいよ護摩供の始まりです。 法要は、予定時間を少し過ぎてからの開始となりました。参列者は20数名、そのほとんどが檀家の人々ばかりの中、私のように興味を得て参加している女性の方も数人見られました。あ、「私のように」と書きましたが、みんな結構マジメに臨んでいるようなので、純粋にお寺の行事に興味があって参列しているとも見て取れます。「蛸が見たい!」というヨコシマな名目で参加しているのは、ひょっとしたら私くらいだけなのかも知れません。 式はまず、お札での祈祷をお願いした人々の名前の読み上げを行ない、「薬師瑠璃光如来本願功徳経」の読経とともに儀式の始まりとなります。 この本願功徳経の最中に、いよいよ本尊薬師如来の厨子の扉が開帳されるワケなのですが……これがもう失礼ながら申し上げると、仰々しいというか勿体をつけるというか、物凄くうやうやしく扉に手を掛ける動作をしたのち、ホンのちょっぴりとしか開けてくれないのですよ。本開帳どころか、むしろ半開帳に近いカンジ。しかも須弥壇は薄暗いので、ただ扉が開いたというだけで、中の仏像はほとんど…と言うか、肉眼では全く見えません。ひょっとして、法要中にいつかは大きく開かれるのかと思いきや、結局終始このままでした。 落胆を覚えつつも、「まぁ、秘仏なんだからこういうものなのかな?」と思うようにする一方、「でも、やっぱり見たかったなぁ」という相反する思いがグルグルと迷走します。そんな中、読経は不動明王真言・薬師如来真言・秋葉大権現真言・摩訶般若波羅蜜多心経と続いていき、私も努めて真剣に読み上げていったつもりでしたが、どうにも「見たい」という煩悩を断ち切れない感は否めません。そんな私の迷いを払拭してくれる事態が、次いで行われた護摩供の儀式で起こりました。護摩壇に火が起こされ、先程の願いを書き込んだ護摩木を火中にくべる際に、内陣に近付ける機会を得ることができたのです。 参列者は燃え盛る護摩壇にてお祈りを済ませたのち、内陣を時計回りに巡りながら、各所にある仏像を拝んでゆきます。私もそれらの方々に倣い、内陣を行列に従い歩んでいきました。そしてついに内陣中央奥、須弥壇の最も中心となる厨子へと辿り着き、そこに鎮座する蛸薬師如来像を、極めて間近に、そしてじっくりと、その目で見ることが叶ったのでした!先程は「仰々しい」だの「勿体つける」だのいろいろと文句を言ってしまいましたが、ゴメンなさい、当初からこういう展開だったのですねー。(早く言っといて欲しかった…。) 至近で見ても尚その厨子の内部は薄暗く、視覚をはっきりと暗順応させるのには苦労をしましたが、その薬師如来像の台座には、確かに蛸の彫刻が施されていました。蛸の姿形は一般的な仏像のデザインが持つ霊験さというよりも、何処か素朴で太古的な、例えるなら土偶や埴輪が持つ悠久の神秘性を持ち合わせているかのよう。暗がりから垣間見るというその状況が、さらにその雰囲気を増幅させているように感じます。お寺でお譲り頂ける御影(お姿)に描かれた蛸の姿ともちょっと違っていて、像の質感・立体感など、やっぱり実物のほうが断然良いです。 当然のことながら写真撮影が許されないので、画像をお見せ出来ないのが只々もどかしいところ。でも、これはこれで良いのかも知れませんね。ここまで徹底的に秘仏の扱いをされていると、見る側も数段の有難みをもって拝観できるというものです。特に私にとっては、中学時代からの積年の思いがようやく叶えられたわけですから、その感慨もひとしおでした。(※ちなみに仏像だけでなく、御開帳護摩供の法要そのものも写真撮影は禁止です。だから今回のレポートには、内容に関する写真がほとんど無いのです。)
「…あれ?そう言えば蛸ばかり見てて、台座の上の薬師如来像をほとんど見てないような……。」 その苦労して記憶した蛸も、家に帰ってスケッチに起こして見たら、なんともうろ覚え。 ……どうやらいつの年かまた、参拝に訪れなければならないようです。 参考文献:ブルーガイドL・『ミステリースポットを訪ねる 不思議の旅ガイド』/山梨賢一 著(実業之日本社)
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