久留和のへちま加持
三浦半島の西海岸に、「子産石」という特徴的な石が見つかる場所があるというのは、前にも書きました。芦奈野作品はもちろんのこと、数々の文学作品にも登場するその土地は、きっとこのページをご覧になっている皆様の中にも、興味を持たれて実際に現地を訪れたという方もいると思います。もちろんこの子産石も大変に興味深いのですが、その道中にもう一つ、「あれ?」と気に掛かるようなモノも見つけましたよね?そう、秋谷の国道沿いにある円乗院というお寺の前に立つ、『へちま加持の寺』という表示柱↓です。
(※中秋の名月の日は毎年周期変動するので、平日開催の確率が高いのです。)
『へちま加持』の護摩供(いわゆる火を焚いてお経を読み上げ祈祷すること)は、午前10時・11時と午後13時の三座(三回)にわたって執り行われます。そこで祈祷をお願いする人は、この時間よりも少し前に受付を済ませて準備を整えておくと、スムーズにその流れを見ることが出来るようです。私もまっさらな気持ちでこの行事を体感するため、修法の始まる前段階の9時過ぎに円乗院へと辿り着くようにしました。 本堂内では、既に十数人の人が集まっていますが、その雰囲気はのんびりと穏やか。まるで地区内の人々の寄り合い集会のような趣きで、この行事がヘンに観光俗化してないことが、かえって好感を持ちます。実際、この日に他所からやって来た遠方の人間は、私一人だけだったような気がします。 あたりをキョロキョロとしていると、へちまを仕分けしているお母さんに呼び止められました。「へちま加持」をお願いしたい旨を伝えると、まずはここでへちまを買い求めるということ。へちまは大小さまざまなものが用意されており、その大きさや姿形の良さで値段が決められています。下は300円から、最上のものは1000円まで。どれを選ぶかは自分の気持ち次第というわけですね。(へちまをご自身で用意できる人は、それを持参してきても良いそうです。)ちなみにこのへちまに、あとで「譲渡之証」なる証紙を巻き付けるので、あまり小さいものは見栄えが悪くなってしまいます。そこで取り敢えずは400円クラスのものをお薦めされるままに選択。すると購入する段階になって、「カタチは曲がっているけれども、これだったら400円でいいよ。」と、お母さんは600円クラスの大きさのものを出してくれました。わー、このアバウトさ、良いですねぇー。
それでもあえて私は古の風習に則りたいと考えていたので、具体的な病名の悩みを思い起こしてみると、片頭痛・逆流性食道炎・緊張型腹痛など、思わぬところで豆腐メンタルな自分の素性が露呈され、ちょっと凹みそうになります。受付の人は「当病平癒でいいんじゃないですか?」と助言してくれますが、いやいや、それじゃ納得いかんのです。ということで、最も頻繁かつ厄介に症状が現れる「片頭痛」を、へちま殿にお譲りすることとしましょう。 ちなみに「譲渡之証」には、以下のような文言が記されています。(※本来は縦書きです。)
やがて10時を過ぎると若いお坊さんが現れ、いよいよへちま加持祈祷の始まりです。へちま加持の縁起由来に始まり、なんと「譲渡之証」に記入した、一人一人の氏名と願掛けの内容なども読み上げてくれます。私もいつ自分の名前が読み上げられ、「片頭痛」などと公表されてしまうのかがドキドキでしたが、残念ながらうまく聞き取ることが出来ませんでした。(恐らく病気関連のものは、一律に『当病平癒』として読み上げられたのでしょう。)
ここから先は読経が約30分にわたり続きます。以前の私だったらじっと聴きながら待つだけの苦行でしたが、今年は『三浦半島霊場大開帳奉修』でいろいろと知識を吸収したことにより、読経の大まかな内容が聴き取れたことがちょっと驚きでした。お経は般若心経にはじまり、光明真言、不動明王真言などが唱えられましたが、何より凄いのはこのお坊さん、自身が太鼓を超ハイテンポで叩きながらお経を読み上げるのですね。不動明王真言なんて、ちょっと語呂のリズムが難しく、ただ唱えるだけでも噛んだり詰まったりするのに、このお坊さんはリズムを狂わすことなく、なおかつさらにテンポを加速させていくのですよ。私などはその間、ゆうに5〜6回は噛みまくりました。(自分の守り本尊の真言だったのに…。) 10時より始まった護摩供は40分過ぎに終わり、これにて第一座は終了となります。第二座・第三座も同様に行われ、内陣手前の棚に積み上げられたへちま殿達は、あとは中秋の夜空に月が浮かぶその時まで、本堂内にて静かにその身を休めるのです。
この時間指定は引き潮のタイミングを逆算しての取り決めであり、毎年の固定ではないとのこと。今年は午後8時くらいから海が引き潮の流れに変わるため、それを見越しての30分前設定ということでした。そして何より、満月の下で流すことにより、満願成就するという意味合いが込められているので、このような夜の時間帯になっているのですね。 夜の本堂は、昼間とはまた一味趣きを変えた、へちまの並ぶ幻想的な雰囲気を醸し出しています。その空気にしばし耽る余裕もなく、檀家の人たちの手によって、作業がテキパキと進められていきます。内陣前にブルーシートが敷かれ、農作物集荷カゴのようなものに「譲渡之証」を外したへちまがまとめられ、それらを軽トラックの荷台へと積み込んで行くのです。三座に亘って集められたへちまの量は結構なものだったので、私も微力ながら運搬をお手伝いさせていただきました。(というか、むしろこうした作業を自ら体験したかったのです。)ちなみに、取り外された「譲渡之証」は、後日改めてお焚き上げをされるとのことです。 若住職(と、言うのかな?)、あの太鼓のうまいお坊さんが再び本堂にやって来たのでお話を伺うと、昔は護摩供も第五座まで執り行い、へちまの量ももっと堆く積まれるくらいになったのだそう。そして三戸の「おしょうろ流し」の時にも気に掛かった事柄なのですが、へちまを大量に海に流しても問題ないのかという点なのですが、こちらはナマモノなので海に溶けて(分解して)しまうので、特に問題はないとのこと。ただし、葉山の御用邸などに皇族の方が見えられているときは、あらかじめ海上保安庁に届け出を出しているそうです。まぁ、そりゃそうですよね。夜の海にアヤしい漁船がへちまを流してるなんて、知らされていなければ思いっきり不審っぽいです。
文献などでは、へちまは久留和海岸の渚から流されるとありますが、近年では漁船で沖合に出ていき、船上から海へと送り出すのだそう。(海岸に漂着するのを防ぐためみたいです。)これらはもちろん、檀家の人々の行なう大事なお役目。残念ながら一般の人は立ち会えないということでしたが、せめて、へちまを積んだ船の出航のシーンだけでも写真に収めたいと思い、漁港まで同行させていただきました。 漁港でも、また軽トラックから漁船へとへちまを積み換えるのにひと仕事です。こんな体験、滅多に出来るものでもないので再びお手伝いをしていると、「良かったら、船に乗ってくか?」と、まさかのお声掛け。良いも何も、願ったり叶ったりの展開ですよ!あ、今考えてみれば、へちま殿へのお願いは、最初から『へちま流しに立ち会える』にしとけば良かったのかもですね。そうすれば、成就の即効性がより抜群なコトを証明できたのに…! 余談はさておき、お坊さんにももちろん了承をいただいて「特例的に」船に乗り込ませていただき、ライフジャケットを身に着けると、いよいよ出航です。 船は月夜にぼんやりと浮かぶ漁港から離岸し、突堤を回り込んで外海へと出ると、およそ5分をかけて沖合いへと向かいます。海上は非常に静かで風もなく、湾外に出てもほとんどうねりを感じません。国道134号線沿いに続く光が陸地の輪郭線を描き出し、夜の海でも不思議と怖さというものもありませんでした。そして上空には鮮やかな満月。まさに、絶好の「中秋の名月」の日となりました。今年は本当に満願成就が期待できそうです!
お坊さんが鈴(りん)を叩きながら光明真言を唱え始めると、檀家の人たちがへちまの入ったカゴを担ぎ上げ、舷側からへちまを海に流し込むのです。その様は、私の当初思い浮かべていた「幻想的」というイメージとは打って変わって、豪快そのもの。へちまはバシャバシャと音を立てて次々に海へと放りこまれ、まるで漁に来て、網でも仕掛けているような活況ぶりです。それでもやはり、全てのへちまを流し終えて海に再び静けさが戻り始めると、何か胸にしんみりと来るものがあります。人々はしばしの間、黙ってへちまを見守り続けていました。 舷側を埋め尽くすように漂っていたへちま達は、やがて列を成すように蛇行する不思議なラインとなって、彼方へと遠ざかっていきます。おそらく潮流線に乗ったのだと思われますが、ことが神仏に関わる行事なだけに、その動きには何か因縁を感じずにいられない光景でした。 こうして今年のへちま加持は、有り難いほどの好条件に恵まれ、無事に終わりを迎えたのでした。
参考文献:へちま加持由来(円乗院作成資料)/第四十九世住職 小寺順雄
ときめき探訪 三浦半島/辻井善彌 著 |
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