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三戸のおしょうろ流し
三戸の『おしょうろ流し』の存在はかねてより認識していたのですが、これまではなかなか足を向ける気にはなりませんでした。 それというのもこれ、盆の送り行事なのですよ。何か湿っぽいような暗いイメージも持っていましたし、そもそもその地域の部外者である人間が、軽はずみに見学とかしててもいいようなシロモノなのか?ということが気になっていたのです。 ところが、実際はそうでもないらしく、その地域の古き佳き人々のつながり合いを実感できる行事であるという体験者の話を聞き、少しだけ興味が湧いてきました。さらに調べてみると、この地区では他所の盆行事ではあまり見られない、帰ってきたご先祖様の御霊をのりうつらせる依代(よりしろ)が存在するのです。それこそが、まさに『おしょうろさま』なのでした。 神サマや精霊といった高位の存在を神事や習俗によって具象化されると、私の興味指数は急激に高まってきてしまいます。さらには、菊名の『飴屋踊り』でも目撃した、あの「花飾り棒」らしきものも確認できるではありませんか!『とっぴきぴー』での来訪からまだ2週間余りしか経過していませんが、再びの三浦半島行きを決意するのに、それほどの時間は要しませんでした。
『おしょうろ流し』の開始時間は朝の8時。ただしその前に舟の製作や飾りつけなどがあるので、この行事の全体像を知るには午前5時頃から待機している必要がありそうです。当然、東京からの始発電車ではとても間に合わないので、当日は深夜2時からスクーターを走らせて現地入りしました。 案の定、『おしょうろ流し』が行われる三戸海岸では既に大量の麦藁が運び込まれ、開催場所は一目で分かります。以前はこの海岸に浜小屋を作り、麦藁を盗まれないように子供たちが遊びながら夜通し番をするという習わしがあったそうなのですが、今では教育面や安全上の問題から行われなくなってしまったそう。大晦日みたいに、一日くらい、そういう特別な日があってもいいのにね。 ここで『子供たち』というキーワードが出てきましたが、『おしょうろ流し』は、実は子供たちが色々と取り仕切る行事でもあるのです。船の材料である麦藁の見張り番から、当日朝の集落内への開催の告知、舟の飾りつけ準備(製作はサスガに大人たちが行なう)、おしょうろ舟を曳航する泳ぎ手などなど……、子供抜きにしては成しえない行事なのですね。そのため今後、子供が少なくなってくると、『おしょうろ流し』自体が出来なくなる、あるいは方式が変わってくるという危機的状況にもあるわけです。 現に『おしょうろ流し』は、初声町三戸の『谷戸・上』『北』『神田』の3つの地区で行なわれていたのですが、今年は『神田』地区に泳ぎ手となる子供が確保できなくて中止となっています。『北』地区もなんとかギリギリ泳ぎ手だけは確保したという感じ。なので、本来の『おしょうろ流し』の流れを再現できるのは、今年は『谷戸・上』地区だけです。そこで今回は『谷戸・上』地区に焦点を当てて取材を進めていきましょう。
長さ8m程の竹竿を舟の大まかな展開図となるように並べ、そこに横竿を等間隔に這わせてゆき、交差する部分を荒縄で固定していきます。船底が完成したら側面も同様に製作し、全体的にはショートケーキのような三角形の立体物が出来上がりました。ここまででおよそ1時間。設計図や指示図などは存在せず、どうやら例年の記憶だけが頼りのようで、「おい、ここどうやって作るんだよ?」「ちょっと北(地区)に聞いてくるわ」などと、試行錯誤を繰り返しながらの製作が、なんだか緩々ムードで良かったです。 大人たちが悪戦苦闘を続けていると、ようやく子供たちが浜へと降りてきました。手に抱えているのは、なんとあの『花飾り棒』です!青・赤・白で構成された花飾りは、『飴屋踊り』のそれと比べて多少地味ですが、統一性があるとも取れますね。ちなみにこの花飾り棒、この地域でも特に正式な呼び名はないそうで、単に『花』とか『飾り』と呼ばれていました。
子供たちの呼びかけに応え、地区内の人々は次々に『おしょうろさま』を持ち寄って、あの『花飾り棒』の積まれた場所にやってきます。そしてその場で再び『おしょうろさま』と『オモリモノ』を並べ、線香を焚き、お盆の最後の祈りを捧げます。この『オモリモノ』には、キュウリの馬やナスの牛に加え、ほおずきや賽の目に切ったナスなどが供えられますが、近年は環境衛生的に生モノは『おしょうろぶね』に積み込むことはNGだそうで、後で自宅に持ち帰り処分するそうです。ところが、今やナスやキュウリの牛馬はプラスチックやマコモで作られているので、それらは特に問題となりません。とは言え、それもなんだか悲しいことでもありますね。 そして、今回の最大の関心事である『おしょうろさま』。これは祖先の霊が宿る依代となるものなのですが、それ以外はなんとも説明のしようがなく、写真を見ていただく他はありません。麦藁を円筒状に束ねて2本の角(?)が突き出た形状は、比喩し得るものが見つからないのですね。文献を調べてみても、この形がいったい何を意味するものなのかは定かではないそうです。デザインにはいくつかのパターンがあるのですが、これは『おしょうろさま』の作成者の作風の違いだということ。『おしょうろさま職人(!?)』なる人がいて、お盆が近くなると各戸に行商に来たり、農協の売店などでも売り出されるらしいです。こんな独特の風習、まだ残っているんですね。これは来年、農協などで販売している様子などを見てみたいものです。ちなみに自作をしても良いそうで、私がお話を伺ったおかみさんは、「今年は自分で作ってみたのよ。」と、大事そうに浜に並べていました。
我ながらヘンな質問ですが、おかみさんたちの話によれば、仏壇から下ろした時点、もしくは浜でお線香を焚いて挨拶を済ませた時点で、霊魂は依代から抜け出ているのだという。つまりこれは完全に抜け殻状態のもの、ならば『おしょうろぶね』の飾りとして使ってしまおうということなのですね。なんだか安心しましたが、しかしそう考えてみると、今やご先祖サマの霊魂は舟の完成を見守りながら、この浜に大勢待機しているということになるのですね!?
浜にはこの地区にある光照寺の住職が現れ、最後のお見送りとしての読経を始めます。地区の人々は住職と舟を取り囲むように集まり、静かに祈りをささげます。この瞬間が、まさしくこれが法事であるということを思い出させる神妙な一場面でもありました。 読経が終わると、いよいよ舟の出航となります。舳先には7本のロープ(正式には8本?泳ぎ手の人数で変わる)が結ばれ、その先にはビート板のような『舟板』と呼ばれるものがついています。子供たちはその舟板を抱えて海に飛び込み、大人たちは総出で砂浜から舟を海上へと押し出します。かなりの大きさと重量のある舟なのですが、子供たちの懸命なバタ足により何とか推進しているよう。無事に『おしょうろ流し』が始まりました。 舟が完全に海上に出ると、地区内の人々は念仏を唱えたり、合掌したりして見送ります。住職のもとにはおかみさん達が集まり、一緒に御詠歌を詠い上げています。きっと何十年も前から変わらない、三戸の盆送り行事の姿なのだと思うと、胸に沁み入るものがありました。
9時を過ぎると、浜は再び「夏の三戸海岸」の風景を取り戻し、海水浴客も目立ち始めてきました。夏はもう、あとわずかに数えるばかりです。 参考文献:神奈川県民俗シリーズ[3] 三戸のおしょうろ流し/赤橋尚太郎 著
三浦市民俗シリーズ[IV] 海辺の暮らし -三戸民俗誌-/田辺 悟 編著 |
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