海風通信 after season...

能満寺の薬師如来御祈祷会

【薬師如来御祈祷会】
 所在地:横須賀市鴨居(能満寺本堂)
 開催日:11月12日
 時 間:午後2時から
 カテゴリ:御祈祷会(大般若経転読法要)

 [取材日:2019年11月12日]


 能満寺の多光薬師如来は三十三年に一度しか全開帳されない「秘仏」ということは以前にも書きましたが、実は全く見ることができないというわけではなくて、半開帳ながらもそのお姿を目にできる機会があります。それが11月12日の『薬師如来御祈祷会』。この日は能満寺における薬師如来様の縁日というわけで、檀家の方々を招いて年に一度の御祈祷会が奉修されます。
 薬師如来の御祈祷会というと、『めめ絵馬』の奉納であったり、目ん玉の形を模した『お目玉団子』の施しがあったりと、日本各地で様々な目にまつわる風習が見られることでも非常に興味深い行事です。では、ここ能満寺では、どのようなことが執り行なわれるのでしょうか?これまで、つごう4回に及ぶ調査でも判明できなかったことから、よもやタコに関する口伝や物証はまず得られないとは思いつつも、「ひょっとしたら!?」という淡い期待と、長きにわたって取材をさせていただいた感謝の気持ちも兼ねて、『薬師如来御祈祷会』にお邪魔させていただくことにしました。
▲檀家の人々で賑わう能満寺の寺務所前。 ▲本堂内に僧侶が集まり、御祈祷会の開始となる。
 例によって開始時間よりも1時間近くの余裕をもって訪れると、そこには既に多くの檀家の方々が賑わいを見せていました。これまではほとんど人の姿も見受けられない静かな能満寺を見ていただけに、この光景は新鮮に映ります。寺務所前には簡易テントが設けられ、オデンや温かい飲み物が振る舞われているのが、何ともノンビリとした雰囲気で良いです。御親切にも「一杯どうですか?」と勧められましたが、どうにも部外者は私一人だけのようだったので、檀家でもないのにタダで飲み食いするのも気が引けるなぁと思い、ここは丁重にお断りすることにしました。
 そのテント内でお手伝いをしている檀家役員の方々の手の空いた時間を見つけて、「今日の御祈祷会って、どんなことをするんですか?」と訊ねてみると、どうやら近在のお寺の住職・副住職たちが一堂に集まり、集団で大般若経の読経を行なうそう。その時に、折り畳まれた経典を扇状にザァ−っと拡げる様が壮観なので、是非とも見ていって欲しいとのこと。まさかそんな見た目に派手な奉修を行なうとは思わなかったので、これは少し楽しみです。
 ところで、この祈祷会は薬師如来の安置されている薬師堂ではなく、本堂で行なうというのが意外でした。これは、薬師堂では多くの僧侶の方々が祈祷をするには狭すぎるという理由からのものでしたが、なんだかフクザツな気もします。せめて、件の薬師如来像を本堂に招き入れて祈祷を行なえば、とも思うのですが、秘仏ならではの事情というのもあるのでしょう。代わりに本堂内には、普段は厨子の前立てとなっている小さめの薬師如来像が、今日だけは須弥壇の中央に主役として安置されていました。
 いよいよ午後二時の定刻となり、本堂内に八人の僧侶が続いて入ってくると祈祷会の始まりとなります。ここから様々な祈祷文が読み上げられていくのですが、なにぶんにも勉強不足で今回の御祈祷会に臨んだため、読経の内容が薬師瑠璃光真言くらいしか判別できなかったのは御容赦下さい。
 各僧侶の前机には十巻をひとまとめとした経典が二つずつ、つまり二十巻分の経典が置かれ、「まさかこれを全部読むの!?」と少々たじろぎましたが、これがまさに先程のお話にあった、経典を扇状に拡げる時に使用されるもので、大般若経の読経時に、蛇腹状の折り本となっている経典をアコーディオンのように拡げていくのです。これを『転読』と言い、こうすることによってお経の一巻ぶんを瞬時に読み終えたこととなるそうです。
 「それってなんか都合良すぎない?」と思うかも知れませんが、以下の資料にもある通り、大般若経はもうとんでもないシロモノなので、薬師如来の御祈祷会での読経では、転読が通常作法ということ。後から調べて分かったことですが、つまり能満寺の御祈祷会は、一般的にいう所の『大般若経転読法要』ということでもあるのですね。

大般若経(大般若波羅蜜多経)とは
 大般若経とは、玄奘三蔵(あの西遊記の三蔵法師です)が大乗仏教の教えの数々を纏め上げた経典集のこと。その数は実に600巻に及ぶとされ、マトモに読経するとなると膨大な時間がかかるため、複数の僧侶が分担し、それでも多いので経典の最初のページから最後までを、経題を読み上げながら扇状に拡げて空中に掲げる。これを転読と言う。
 能満寺では経典集が全16部に分割され、そのそれぞれに示されていた表題は以下の通り。
 ・第一天 ・第二地 ・第三玄 ・第四黄 ・第五宇 ・第六宙 ・第七洪 ・第八荒
 ・第九日 ・第十月 ・第十一盈  ・第十二昃  ・第十三辰 ・第十四宿 ・第十五列 ・第十六張

※表題の漢字一字は整理記号として付けられており、それは千字文(せんじもん)の冒頭十六文字から引用されている。
 千字文(せんじもん)とは、書の手本として使うために用いられた、全て異なる千の漢字を使用している漢文の長詩。

 8人の僧侶が一斉に経典をバラバラバラーッと流れるように拡げる動きは、確かになかなかの見応え。鮮やかな黄色い頁の経典というのも、どこか浮世離れして幻想的ですらあります。この経典を拡げる際に、僧侶各自が何か大きな声で文言を唱えるのですが、これは「大般若波羅蜜多経〜!第○○巻!」と、経典の第何巻を転読しているのかを宣言しているのだと、法要が終わった後に僧侶の方に教えていただきました。
▲蛇腹折りの経典を扇のように拡げて経題を唱える。 ▲大般若経の経典。それぞれに表題が付けられている。
 祈祷会を最後まで見届ける段階になると、檀家やお手伝いの方々は、ようやく私をただの観光気分で来た人間ではないと認識してくれて、いろいろとお話をしていただけるようになりました。そこで、能満寺とタコにまつわる謂れは何かないかと訊いてみることに。おおかたの伝承は私の知るものと同じものでしたが、鴨居の地元の人間でもある「檀家の立場」から見た能満寺との関わりを知ることができたのは収穫です。
 聞くところによると、鴨居は皇室にも献上された鯛で有名ですが、蛸も昔は本当に良く獲れたそう。蛸が豊漁になるとお金もたくさん地域に集まるので、そのぶんお寺への寄進も多くなったことから、誰言うとなく「蛸薬師」と呼ぶようになったとか。特に漁師は外で作業をすることが多かったので、海の照り返しや砂埃などで目を患うことが多く、眼病に効果ありとされる薬師様は信奉も高かったといいます。ちなみに、やはりというか残念というか、奉納物に蛸の絵を画いたりするという風習は聞いたことが無いようです。
 いろいろとお話を伺っているうちに、寺務所のほうから、本堂に祀られていた前立ての薬師如来像を丁寧に持ち運ぶ女性が現れ、薬師堂へと向かって行くのが見えました。「あれ?ひょっとして、もう厨子を閉じられちゃうのかな?」と思った私は、失礼ながら話を途中で切り上げて、足早に後を追うことにしました。するとやはり、薬師堂ではまさに後片付けに取り掛かる寸前でした。
 私は「最後にちょっとだけお参りさせてもらっても良いですか?」と尋ねると、その女性は「どーぞ、どーぞ。宜しければ中に入ってもらって、じっくりと見ていって下さい。」と、思いもよらぬ対応を受けることになりました。しかも半開帳と聞いていたのに、厨子は全開帳されています。私は(えっ!?いいの?秘仏なんだけど…!)とビックリしましたが、せっかくのまたとない機会ですので、念願でもあった薬師堂内へと入り、じっくりと拝ませていただきました。ただ、畏れ多くて座布団の手前までくらいしか進めませんでしたけどね…。

 去り際、薬師堂の引き戸を閉じようとしたら、なんと溝枠のレール部分にカメムシが…!
 うろたえる私をよそに、「あ、カメムシ…。」と女性は呟くと、さして臆することもなく、そばにあった紙片でカメムシをそーっと掬い上げ、薬師堂の外へと逃がしていました。そ、そうですよねー、やっぱり殺生はイケません。(弾き飛ばそうとか考えてたヤツ←私です。)
 些細なことですが、最後に何だかほっこりとさせられ、穏やかな気持ちで能満寺をあとにしました。
 というわけで、これまで3回にわたって取材をして参りました『鴨居の能満寺と蛸にまつわる聞き取り調査』、これにてひとまずの完結です。

【参考文献】:『新横須賀市史』 別編 民俗/横須賀市 編著