海風通信 after season...

道寸祭り・笠懸

【道寸祭り・笠懸】
 地 域:三浦市三崎町小網代
 開催地:油壷・荒井浜海岸
 開催日:05月27日 (毎年5月最終日曜日)
      ※かつては道寸の命日である7月11日だった。
 時 間:午後11時より14時半くらいまで
 カテゴリ:供養祭・奉納神事

 [取材日:2018年05月27日]

 


 三浦市で最も有名なお祭りと問われると、何と答えるでしょうか?もちろんいろいろな観点からも候補の相違は分かれるでしょうが、知名度や歴史伝統的背景から考えてみても、この『道寸祭り』は間違いなくその上位に君臨するでしょう。三浦半島の歴史を語る上で欠くことの出来ない三浦一族を祀るということ、そして場所も三浦屈指の観光名所である油壷で行なわれるという点からも、頷ける人も多いかも知れません。
 かく言う余所者の私も、小学生の頃に油壷マリンパークに訪れた際に、何かの情報で「馬に乗った武者が弓を射る祭りがある」ということを知ることになるのですが、昔から「歴史モノよりは生物超好き、騎馬武者よりはチョウザメLOVE」という自分の趣味嗜好が障壁となり、長い間興味を持つことなく、ほったらかしにしてきてしまったのですね。今回、別件にてようやくそのきっかけを持つことが出来ましたので、実にウン十年ぶりの時を隔てての興味対象となったわけなのです。あ、余談ですがマリンパークのチョウザメ水槽もおススメなので、お出掛けの際はこちらも是非どうぞ♪

 さて、ここで改めて『道寸祭り』の概要について説明しておきましょう。このお祭りは、かつて長年に亘ってこの地を治め、無念にも滅んでいった三浦一族を供養する鎮魂祭。ちなみに「三浦一族」について書くと、もうめったやたらと長くなるし、皆さんにも読み飛ばされそうなので割愛します。とりあえず押さえておいて欲しいのは、義同(よしあつ)と義意(よしおき)。この二人は父と子で、一族終焉の地となるここ油壷にあった新井城の城主…。ちょっと待って、それじゃあ道寸って誰なのよ!?と思われるかも知れませんが、「道寸」とは、義同が出家した際の法名なのです。紛らわしいですねー。
 つまりは、この地で命を落とした二人を弔い、弓上手で知られた三浦一族のお家芸として伝えられていた笠懸を披露することによって、三浦一族の無念を鎮魂するというのが、このお祭りの主旨なのです。…なんかこれ、観光イベント的なノリで見ちゃって良いのかな?とも思いましたが、舞台となる荒井浜の海岸は晴天も相俟って、さながら砂浜の運動会会場状態!笠懸の見物客はもちろん、海水浴客までもがひしめく盛況ぶりで、ちょっと鎮魂祭とは思えぬ明るいムードです。「…まぁ、大勢の人に見てもらった方が、供養になるのかも」ということにしておいて、あまり深刻に考えることはやめましょう。

笠懸(かさがけ) とは -騎射三物について】
 流鏑馬(やぶさめ)・犬追物(いぬおうもの)と合わせて『騎射三物』(きしゃみつもの)と呼ばれている、三大古弓馬術の一つ。
 馬を走らせながら弓で的を射るという点では流鏑馬と似ているが、流鏑馬が儀式・儀礼的なものに対し、笠懸は的の大きさが大小異なっていたり、的の両側に竹矢来という障壁物があるなど、より実戦的で難しい弓馬術である。
 また、射手の装束なども微妙に異なり、特に明確なのは頭部で、流鏑馬では綾檜笠(あやひがさ)という笠状のものを被るが、笠懸は烏帽子(えぼし)を被っている。これはかつて「笠懸」が、文字通り笠を的にしていたことからだという。

▲荒井浜へと続く遊歩道の入口に立つ看板。 ▲供養祭の様子。右が義同、左が義意の位牌と掛軸。
 祭りは午前11時きっかりに、まずは『供養祭』から。義同・義意の立派な位牌が掛軸とともに壇上に祀られ、真光院住職の読経によりしめやかに執り行われます。行楽地のような賑やかなムードは一転、この時ばかりは慎ましやかな空気に包まれました。まぁ、それはそうでしょうね。いきなりお祭り騒ぎなんかしちゃったら、それこそ道寸父子の怒りに触れ、化けて出て来られそうです。
 その後は、義同が残した「討つ者も討たるる者もかわらけよ、砕けて後は元の土くれ」という、あの有名な辞世の句に因んだ詩吟が詠まれ、三浦太鼓「和太穂」による和太鼓の演奏が勇壮に行なわれました。が、いま一つ興味が湧かなかったのと、幸運にも笠懸で騎乗する馬の準備風景に立ち会うことが出来たので、笠懸神事が始まるまでは、このお馬さんたちにベッタリと密着取材しっぱなしでした。(写真はあまりにも趣味に走り過ぎ、レポートとは関連性が薄くなってしまうので省きます。)どの馬も名競走馬の仔など由緒ある血統のサラブレッドらしく、大人しくて賢そうな馬ばかり。そんな中でも、顔の正面に白いラインの入った『源太産衣(げんたうぶぎぬ)』という馬が、妙に人懐こくてカメラ目線を向けてくれるので、ひと目で気に入ってしまいました。そして葦毛に独特の美しい灰色模様がある『八龍(はちりゅう)』という白い馬、これはなんとメジロマックイーンの仔だということです。競馬をあまり知らない私でも、さすがにメジロマックイーンぐらいは知ってます。「そーかそーか、模様もキレイだし、スゴイな!」とヘンに納得してしまった私は、迷わずこの二頭の行動に注目することに決めました。そしていよいよ笠懸神事が始まります!
▲詩吟に続き、和太鼓の演奏が披露される。 ▲威勢の良い響きは、祭り気分をさらに盛り上げる!
 12時15分、幟旗を掲げた諸役を先頭に、奉行および騎乗した射手が続いて荒井浜に現れ、行軍を開始します。ここからが笠懸の一連の神事の始まりです。奉行役や射手の皆さんは『武田流弓馬道一門』の方々。そしてこの『諸役』と呼ばれる相撲の行司さんのような恰好をした人たちは、妙に若いな〜と思ったら、実は地元の高校生たちがボランティアスタッフとして参加してくれているそうです。この日は気温もグングン上がるなか、へこたれずにとても頑張ってくれていました。きっと良い経験になると思いますよ。私もやりたかったのですが、高校生の中に紛れるとなると、きっと浮くだろうなぁ…。
▲行軍開始。茶色い着物の人たちが『諸役』です。 ▲奉行および頭領は神前に玉串を奉り、祭礼の成功を祈る。
 行軍は「一の的」正面に設えた、結界によって聖域となった神前台へと集まると、海南神社の神主によるお祓いを受けます。
 その後、弓馬隊の中でも頭領とおぼしき人物の前に、他の射手たちが横一列に並び、各々一本ずつ自らの鏑矢を差し出していきます。それをお役目の者が集めていき、まとめて頭領へと渡しました。
 これはいったい何をしているのかというと、『矢代振(やだいふり)』という儀式だそうで、集められた矢束を後ろ手に回し、無作為に引き抜かれた矢の順によって、その日の笠懸の順番が決まるのです。一見同じように見える矢ですが、よく見るとそれぞれに独自のカスタマイズが施されており、引き抜かれた矢はすぐさま、それが自分のものと分かるようですね。ボーリングで言う「マイボール」みたいなものでしょうか。該当する者はすぐに一歩前に出て、それを恭しく受け取っていくのです。これは笠懸のみならず、流鏑馬でも行われる重要かつ興味深い儀式なのですが、会場内では説明やアナウンスがほとんど無かったので、見逃している人も多いかも知れません。私もたまたまこの場所に居合わせて写真を撮っておき、自宅に帰ってから調べ直して初めて、あぁ、あれが『矢代振』という儀式だったんだ、ということを知りました。
▲矢代振の儀。射手たちから、各人一本ずつ矢を集めてゆく。 ▲矢を受け取りに行く射手。この順番で笠懸が行なわれる。
 笠懸の順番が決まると、再び行軍が開始され、奉行および諸役がそれぞれの持ち回り場所に配置されていきます。そして、まずは弓を射ずに馬を走らせる『素馳(すばせ)』が行なわれます。まぁこれは、ウォーミングアップみたいなものですね。ここからは会場内に解説アナウンスが流れるので、行事内容がグッと分かりやすくなり、お祭りムードも盛り上がります。なんかもう、お子様は砂まみれになって遊んでるし、おばちゃん達はお惣菜持ち寄って食べまくっているしで、まさに海辺の運動会状態ですな。それでも湿っぽい祭りよりかは良いと、道寸父子は思ってくれているでしょうか。
▲荒井浜を行軍する弓馬隊。格好良いですね。 ▲諸役たちの配置も完了。いよいよです!
 すべての馬の素馳が終わり、ついにここからが笠懸の本番ともいえる『奉射』の始まりです。
 『笠懸とは』という小コラム欄でも述べましたが、笠懸は大小サイズが異なる的があり、往路は進行方向左横に2ヶ所ある大的を射る『遠笠懸』、復路は左斜め下にこれまた2ヶ所ある小的を射る『小笠懸』という構成になっており、小笠懸のほうがより難度の高い射法を要求されます。これが実戦的とも呼ばれる所以で、現在では国内で3ヶ所ほどしか開催されておらず、もちろん三浦半島内では唯一のレアな神事なのです。(ちなみに、逗子や鎌倉のは『流鏑馬』です。)
 以上のようなことを踏まえた上で、さっそく遠笠懸から見ていくことにましょう。
▲まずは往路の遠笠懸(大的)。狙いを定めて… ▲的中!…してるのですが、シャッターチャンスが難しい!
 諸役のなかに2人ほど、何やら大きな扇を持った人がいます。スタートとゴール地点にそれぞれ配置されていて、コース間の安全が確認され、準備が整うと互いに合図を送るよう。どうやらスターターの役目をしているようですね。そしてこの扇が裏から表へと翻ると、奉射スタートとなります。
 まずは一人目…と言うか、弓馬道では【人馬一体】の精神から、一組目と言った方が正しいのかな?…などと考えている暇もなく、射手は予想以上の速さで的を射抜き、駆け抜けていってしまいました。
 「思っていたより速い!」「写真撮れなかったよー!」と、初めて見た人たちは大騒ぎでしたが、実は私もその一人。やはり素馳とは違い、その迫力や臨場感たるや段違いです。大地から重く伝わる蹴り脚の響きや、撒き上がる砂塵、そして見事に板的に命中した時の「バリッ!」という小気味良い響きは、会場を一気に盛り上げます。この板的は裏に割れ易く切り込みを入れた杉材で出来ており、命中した際には気分壮快な音とともに木の香りがあふれ出すとアナウンスされ、「ホンマかいな?」とも思いましたが、実際、一の的の至近で観覧できていたこともあり、その香りは確かに海風に乗って漂って来たことが、ちょっとした感動でした。
▲こちらは小笠懸(小的)。斜め下に配置され、難度が高い。 ▲分かり難いんですが、板片が飛び散ってますね。的中です!
 四組の射手が遠笠懸の奉射を終えると、続いて復路の小笠懸が始まります。
 小笠懸は文字通り小さな的、しかも斜め下に配置されているので、『弓手筋違(ゆんですがい:左斜め下の射法)』『馬手筋違(めてすがい:右斜め下の射法)』といった、笠懸ならではの射法が披露されます。当然ながら命中難度も上がるので、外す射手もけっこう見られました。ここらへんが、ほぼ命中させないと格好がつかない儀礼的な流鏑馬との違いなのでしょう。こうした実戦的な考えから、見事命中して割れ散った板片は『当り的』と呼ばれ、勝負事に運気を生む非常に縁起の良いものとされているということ。
 「ふーん、それなら是非とも板片、小さくても欲しいなぁ。頼めばもらえるのかな?」と思ったら、破魔矢と共に有料で頒布するということでした。うむむ…、意外とシッカリとしてるなぁ…。まぁしかし、来年以降の道寸祭りの運営に役立てると言われれば仕方ないですね。
▲競射に挑む有本射手と『天山(てんざん)』。三位入賞しました。 ▲見事に命中!割裂して舞い散る板的。
 笠懸は続けて第2グループ・四組の奉射がありましたが、もう大分見慣れてきてしまうと、満足して帰り出す観客も見られます。ですが、本当の見所はここからなのですね!各グループの成績上位者が選抜され、勝ち抜き戦とも言うべき『競射』が始まるのです。その頃になると、射手や馬の見分けも段々とつくようになり、応援する側もそれぞれに感情移入がしやすくなります。
 もちろん、私の「推し馬」は前述した時と変わらず『源太産衣』と『八龍』。どちらもめでたく勝ち抜き戦にも出走となりました。ただしここで、『八龍』に騎乗するのは女性の射手であるという事実が判明。決して邪な理由ではないんですが、『八龍』のほうが良いんじゃない?ちょっと応援しちゃおうかな?という気持ちになって来ました。なんせ、メジロマックイーンの仔ですから…ねぇ?け、決して邪な理由では……(以下略)。
 そんなこんなのうちに競射も進行して行き、気付けば決勝戦に残ったのは、『源太産衣』と『八龍』…。おぉ、何と言う運命の皮肉か!?
▲大的を豪快に射貫く、藤田射手と『源太産衣』。 ▲人馬共に攻めの姿勢で勝負に出る!勝つのはどっちだ!?
 ついに始まる優勝決定戦!先陣を切るのは、藤田射手の駆る『源太産衣』。大的である一の的・二の的を安定の弓さばきで見事命中させます。
 続くは吉田射手と『八龍』、これまでよりもさらに気合の入った表情で走り出し、こちらも危なげなく打ち抜きます。これにて勝負の行方は最後の最後、復路の小笠懸までもつれ込みました。
 まるで夏のような強い日差しが照り付けるなか、最高潮に盛り上がった荒井浜を『源太産衣』が再び駆け抜けます。が!ここで惜しくも小的を一つ射ち外してしまいました。どよめく観衆、そして何かを期待するかのように向けられる視線、その先には……『八龍』!
 全的命中の期待は、葦毛の馬と女性射手に託されました。

おまけコラム【源氏八領の鎧について】
 今回、物語の要として注目した『源太産衣』と『八龍』。なんとも時代モノっぽい名前ですが、彼らの名前の由来は、『源氏八領(げんじはちりょう)』の伝承から付けられてるということでした。
 『源氏八領』とは、「保元物語」・「平治物語」などに記載されていた、清和源氏に代々伝えられたという伝説の鎧のこと。「平治の乱」でそのほとんどが失われ、現存するのは一領のみという幻の甲冑なのです。(ちなみに、『領』とは鎧を数える時の呼び方だそうです。)
 『源太産衣』と『八龍』の他には、『薄金(うすがね)』・『膝丸(ひざまる)』・『月数(つきかず)』・『日数(ひかず)』
 『沢瀉(おもだか)』・『楯無(たてなし)』があり、『楯無』のみが唯一現存しています。
 ところが、ここでちょっとしたトラブルが発生。『八龍』が不意に戦意喪失し、後ずさりを始めてしまったのです。
 宥めすかしながらコースの進行方向へと向かそうとするのですが、どうしてもお尻を返して逆走してしまいます。こうした行動が二度三度…、もはやベストで走れるコンディションではないのでしょうか?せめて途中棄権だけにはならないよう、観衆も急き立てるような行動は避け、静かに見守っています。
 「これは…騎乗するのが精一杯で、弓なんか射る余裕ないんじゃないか?」「海岸に潮がだいぶ満ちてきているから、走るのが嫌なんだよ」
 あちこちでそう囁かれはじめ、いよいよ不安になってきます。がんばれ『八龍』!このままでは、このレポートの結末も尻すぼみなのよ……。
 そんな矢先、突然『八龍』の機嫌(!?)が直り、落ち着いた様子で進行方向に向き直りました。この機を逃すまいと、速やかに扇が翻ります!
▲期待を一身に受け挑む、吉田射手と『八龍』。出るか?全的! ▲ホントにアングル悪いんですが、射貫いてます!
 先程までの態度はどこへやら、『八龍』の気合は充分、蹴り脚も力強く、弾けるように駆け出します。
 そして、結果は……………全的命中!
 会場内からは、「おおおぉーーーっ!」というオヤジたちの野太い声とともに、これまでにない拍手が巻き起こりました。あっ!?素知らぬふりして、みんな考えていることは同じだな!私は純粋にメジロマックイーンの仔として、『八龍』を応援していたのに。(←しつこい)
 ともあれ、何というドラマティックな結末でしょう。言うまでもなく、これは紛れもないガチ勝負だったのですが、まるでシナリオでもあったかのような見事な展開に、見応えは満点でした。『八龍』と『源太産衣』の決勝戦というのも、結果としてはどちらにも思い入れを込めることが出来て良かったと思います。それにしても、当初目を掛けていたこの二頭が1−2フィニッシュなんて、馬券でもあったなら買っておきたかったところですね。
▲板的を掲げて評価を仰ぐ吉田射手。あっぱれです! ▲『当り的』には判が押され、名入れもしてもらえます。
 競射終了後は、再び一の的正面にて、『凱陣(がいじん)の式』が執り行われます。
 これは今回の笠懸に於いて、最多的中の射手が頭領の面前にて板的を掲げ、検分を受ける儀式。これだけ的中させましたので、評価をお願いしますという、平たく言ってしまえば『表彰式』ですね。実際は的中させた板的は割れ散ってしまうので、こんなまっさらな板的を掲げて見せるのは意味不明な行動なのですが、この一連の流れはあくまで形式的なものなのでしょう。(流鏑馬では、射た跡の残る「式的」を使って、ちゃんと評価します。)
 これに対して頭領は、扇をひらりひらりと翻しながら、あっぱれあっぱれ!といった態度を示し、諸役たちは勝鬨を上げます。そして観衆から巻き起こる拍手。これにて笠懸神事の一切の式次第は終了となります。ふーむ、ホントに私としましても「あっぱれ!」な祭りでありました。

 今年で41回目を数えた『道寸祭り』。これはもちろん観覧無料なのですが、無料で観るには申し訳ない、かと言って有料となると「なんだかなぁ〜」と思ったりするわけで、ここで『当り的と破魔矢のセット(\1000)』なのですよ。これは今後の運営に対する寄付の意味もあって、結構いいシステムなのではないかと思いました。「笠懸良かったー。ご利益欲しい。」と思ったら払う。「別にたいして興味無かった。」と思えばスルーといった感じで。私も、これからも長く続けていって欲しいという思いから、寄付のつもりで1セットを買わせていただきました。
 油壷湾の崖上を縫うように続く遊歩道の途中では、帰路につく人々の破魔矢に付けられた鈴の音が、そこかしこから微かに響いてきます。その涼しげな音色は、道寸父子の鎮魂祭を締めくくるフィナーレのよう。当り的の板片から漂う杉の香を確かめながら、またいつか来てみたいと思うのでした。



 ※今回のレポート作成の正確性を高めるために、式作法や用語などは『公益社団法人・大日本弓馬会』のHPを参考にさせていただきました。ただしそれでもなお、認識や理解力の甘さから、間違った解釈になってしまった部分もあるかも知れません。(特に、笠懸と流鏑馬の式作法が混在している可能性が否定できません。「競射」とか、笠懸でも言うのかな?とか。)何卒ご容赦いただけますようお願いします。どうしても看過できない由々しき誤りがありましたら、ご指摘いただけると幸いです。

参考文献:三浦の歴史シリーズ T 初声の歴史探訪記/浜田勘太 著