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小網代の秋祭り
普段は人の気配もほとんど感じられない小網代湾奥の鎮守の森も、年に3回ばかりは集落の人々で賑わいを見せることになります。 10月24日は、いわゆる『権現様』という呼び名で親しまれている、白髭神社の秋祭りの日。これは日にちが完全固定で、ヒトの都合ではなく、神さま側の都合で開催されているところが硬派な感じで好感が持てます。最近は人員の確保や観光・集客の目的なんかで、無理やりに祭りの日を土日に合わせるケースが多いんですよね。そんな中、この白髭神社は平日だろうが何だろうが、決められた日・時間に粛々と行う、という態度が潔いです。 この年も例外ではなく、平日の火曜日で、しかも一昨日は三浦半島に多大な被害をもたらした台風21号の脅威が過ぎ去ったばかりだというのに、祭りの準備は厳然と進められていたことに驚きました。きっとこの地区の人々の団結力の賜物なのでしょうね。「でも、折れた枝とか葉っぱとかが凄かったのよ。水もどんどん山から流れてきて止まらなかったし。それと境内のギンナン(の実)も、ほとんど落ちちゃってねぇ。」という地元のお母さんの言葉に、大変さの中にも、どこかほのぼのとした雰囲気が感じられて、少し気分が救われた気がしました。 その本殿の前(幣殿)には既に御榊や奉納物が用意され、拝殿の外壁にある扉という扉はフル・オープン状態でトランスフォーム(!?)されています。このような外観の白髭神社の姿というのも、なかなか珍しい光景ではないでしょうか。いつもは何処となく秘匿的で謎めいた様相を呈していた境内も、この日ばかりは明るく開放的な空気が流れているような感覚を覚えました。 さらに目を惹くのは、鳥居の前に立てられた一対の幟(のぼり)です。これは鳥居と比較しても分かるようにかなり長大で立派なもので、シーボニアあたりからでも確認できるほど。一見して、「あ、なんか白髭神社がいつもの雰囲気と違う!」ということに気付かされます。この光景がワタクシ的には、まるで昔話に出てくる「村の鎮守のお祭り」のイメージにピッタリな感じがして、思わず見入ってしまいました。 この幟には、まるで記号(!?)のような、即座には解読不可能とも思えるような奇妙な漢字が記されていますが、折よく通りがかった神職の方にお話を伺うと、そこには『奉献御宝前』と書かれているのだということ。『宝前』とは「神前」の意だそうで、これは聞かなきゃ解らなかったかもですね。
祭礼内容はいわゆる『湯花神楽』と呼ばれているもので、ざっくりと説明してしまえば、境内のお釜で湯を炊き(湯立)、そのお湯に御幣や笹などを浸したのち、しずくを振り撒きながら祓い清めたり、舞いを披露したりするというもの。秋の豊穣感謝と共に、病苦や災難などの祓除の意味も込められているのですね。この湯花神楽は、鶴岡八幡宮を祖とする「鎌倉神楽」と似ている部分も多く見受けられます。
式次第は祝詞奏上の後、御榊の献上、そしてお清めのための御神酒を頂きます。これは拝殿内に招かれた地元代表者や来賓の方ばかりでなく、境内に集まった地域の人々全員にも振る舞われました。実に地域共同体的な、小さな祭礼なればこその温かみのある光景ですね。果ては部外者である私にまで、「せっかくなので」と仰って頂けましたので、ご相伴に与ることとなりました。この日はたまたまバイクでは来てなかった(←ホントですよ!京急オープントップバス運行開始に合わせて来てたので、電車だったのです。)ので、これは本当に幸運でした。なにせ三浦半島でも、最もお気に入りの神社で頂く神サマからのお酒ですからね。たとえバイクで来ていようが、コレは断るわけにはいきませんのですよ。(←それは絶対ダメです。)
職掌(しきしょう:神楽の踊り手)が右手に鈴、左手に扇を持って拝殿の中で舞いを奉納し、時折り扇の上に乗せた米を撒くという、鎌倉神楽で言うところの『羽能(初能):はのう』のような所作を見せます。次いで幣束(お祓いをするときとかに使う、白いヒラヒラした紙がついている棒のこと)を拝殿脇のお釜の湯気にさらすような動きをしたのち、再び拝殿へと戻ると、すぐさま天狗の面を被り、天狗舞へと進行します。鎌倉神楽では、ここに『毛止幾:もどき』という黒面の山の神も現れるのですが、どうやら白髭神社では天狗面だけの模様。そのため少々派手さには欠けますが、それでも神楽の一連のシーンの中では、最もインパクトのある場面と言えるでしょう。恐ろしい(?)というよりも、どこか長閑な動きを滲ませる天狗の舞いは、実にこの白髭神社の雰囲気にマッチしたものとなっていました。
笹舞とは、おそらく全ての湯花神楽に共通して行われているであろう神事で、笹の葉を束にしたものを煮えたぎる釜の湯に浸し、そのしずくを参列者の頭上に降り掛けるという祓除の一種。職掌がお釜に浸した湯まみれ(!?)の笹の葉を取り出すと、参列者は一様に頭を低く下げ、飛沫をその身に受けて無病息災を祈ります。「カメラにかかっても大丈夫?」という職掌さんの有難いお気遣いを受けながら、私も敢えて飛沫をカメラ諸共に浴びました。
ところが、ここで思いがけなく、この地域に残る風習を目にすることが出来ました。これまでお釜の湯の管理をしていた世話人の方が、参列している地域の人々に幣束の紙と竹の棒のようなものを配り始めたのです。
総参列者は30人にも満たない、小さな小網代の秋祭り。失いかけた本来の素朴な祭りの魅力を、しみじみと再確認させられたひと時となりました。 【参考文献】:かながわの民俗芸能案内/神奈川県教育庁 文化財保護課 編著
神奈川県民俗調査報告4(三浦半島の民俗 1)/神奈川県立博物館 編著 |
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