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延壽寺のお会式・万灯行列
お会式(おえしき)とは、日蓮宗を興した祖師である日蓮聖人の命日にあたる10月13日を中心に、その周辺日に行われる法要のこと。総本山である池上本門寺で行なわれるお会式は、江戸時代の俳句の季語になるほど有名なものなのでご存知の方もいると思われますが、まぁ、一般的には知らないかもしれませんね。かく言う私も、その名称はおろか、存在さえも知りませんでした。 これを知るきっかけとなったのは、今年の冬に『三浦七福神めぐり』で延壽寺を訪れた時でした。たまたま御朱印を賜る際に待ち時間ができてしまい、本堂内をじっくりと拝観して過ごせる機会を持てたのですね。その時に、なにげに天井から吊るされた花飾りを見てビックリしたのです。 「あれ?…これってコトノバの「雨と信号のこと」に出てきた花神輿(!?)のようなものに、そっくりなのでは?」 そこでお寺の方に話を伺うと、花飾りは「お会式」の「万灯行列」に取り付けられるものだということ。桜の花を模して作られており、日蓮聖人が亡くなる際、庭の桜が一時に花を咲かせた(10月なのに!)という伝説に基づいたものであるようです。この花飾りを、照明を灯した山車のようなものに乗せて練り歩くことを『万灯練供養』と言い、各地の日蓮宗のお寺の講がそれぞれ万灯を持ち寄り集まるので、それがさながら万灯の行列となるのだそう。 …なんだか益々、「雨と信号のこと」のイメージに似ているのではありますまいか!?あの作品の雰囲気って、神事の華やかな祭りというよりかは、どことなく仏事的な、供養祭のようなしんみりとした感じを抱いていたんですよね。それがここに来て、しっくりとハマったような気がしたのです。ちなみに私は日蓮宗の信徒というわけではありませんが、お会式は私のような一般の参加も歓迎していただけるとのこと。(もちろん、敬虔な気持ちは忘れずに!)というわけで、約1年近く待ちわびたお会式に、ようやく立ち会うことができました。
法要は「南無妙法蓮華経」(これを「お題目」という)を3回唱えることから始まり、続いて法華和讃(御詠歌)を詠い上げ、再び太鼓の音と共にお題目を繰り返し唱え続け(これを「唱題」という)ます。これはもうやたらめったら唱えまくるのですが、回数とか決まってるのでしょうか?とにかく50回近くは唱えてたような気がします。その後も「唱題」は度々行われ、日蓮宗の信徒にとって「お題目」がいかに重要なものかということを実感させられました。 法要は1時間近くも続きますが、途中、子どもたちによる献花があったり、御焼香、散華(蓮の花びらのような形の札を撒く)があったりと、不思議と長い時間には感じられません。最後に延壽寺住職の御挨拶と法話を聞き、和讃を全員で合唱して法要は終了。続いて万灯練供養に携わる延壽寺の檀信徒の人々(万灯講中)を本堂内に招き入れ、御祈祷会が始まります。 この御祈祷会は、万灯練供養の開催前の儀礼や日蓮聖人の御加護を受ける意味合いが込められているようで、もの凄くリズミカル且つスピーディなお経が拍子木(!?)の音と共に唱えられ、御法要とはまた違った雰囲気を作り出します。経を唱えるお坊様は、拍子木を打ち鳴らしながら参列者ひとりひとりの背中を、その拍子木でさすりながら祈りを込める姿がとても印象的です。この御祈祷を受けるのは、部外者の私には無理かな?と思いましたが、しっかりとやっていただけることができ、とても有難い気持ちになりました。清浄な心持ちになったところで、あとは万灯練供養を待つばかりです。
ところが!6時近くになっても農協前の駐車場には、祭りが始まる様相どころか、人っ子一人いないのですね。 「これはいったい、どういうこと!?」少しの焦りを覚えながら辺りをウロウロとしていると、どこからともなく祭囃子のような太鼓の音が……!音のする方向は、紛れもなく延壽寺の方角から。「何で!?もう始まってるの?」急いで再び延壽寺へと走り戻る(500mくらい距離がある!)と、そこには延壽寺の万灯講中が、フライングで練供養を始めているのでした。纏(まとい)持ちを先頭に、団扇太鼓・鉦・笛を奏でる人々が従い、その後ろに、あの花飾りをクラゲのように枝垂れさせた山車が続いていきます。 「えぇー、何で?こんな時間いい加減に始まるものなの?」思わず憤慨してしまいましたが、どうやら他のお寺の講中さんを迎え入れる用意をするため、お会式を主催するお寺の講中だけは早目に練供養を済ませるのだそうです。だから、今まさに農協の駐車場の前には、続々と他の講中が集まっているのではないかとの話しを聞き、またまたとんぼ返りすることに。な、なんで1km近くも走らにゃならんのか……!
「も、もう6時とっくに過ぎてるんですけど……。大丈夫なんですか?」不安を思わず口にすると、講中の方の一人が「そのうち徐々に集まってくるわよ。万灯行列は7時以降というだけで、特に取り決められた時間はないの。だから集合時間も各お寺さんでバラバラなのね。」と説明してくれました。 詳しく話しを聞くと、万灯練供養はこの農協駐車場から延壽寺までをゆっくりと隊列を組んで練り歩き、本堂前にてお参りを済ませるまでに、一つの講中だけでもかなり時間がかかるそう。その間、他の万灯講中は前の講中を追い越すことが出来ないので、自然、行列渋滞が発生することとなり、これが俗にいう「万灯行列」と呼ばれる由縁なのだそうです。この渋滞化を避けるために、皆さん集合時間をそれぞれズラしているというわけなのですね。 また、当初、お会式は日蓮聖人の命日である10月13日に行えば良いものを、何故に各寺社がバラバラに周辺日に充てているのかも疑問だったのですが、これも各講中が互いに行き来して協力・参加することにより式を盛り上げて(!?)いるため、同日には開催出来ないという所からの配慮なのです。(そもそも、10月13日はその前夜に池上本門寺での大元のお会式があることですしね。)いい加減なように見えて、実は考えがあってのことなのでした。 ◆ 色々と話しをしているうちに、ふと気づけば2,3の講中が集まってきていました。万灯の組み立てや万灯花の飾りつけが始まり、辺りはだんだんとお祭りのムードが高まってきます。この時点で、私の不安な気持ちもようやく解消されてきました。混み出さないうちに、ということで先陣を切って出発するのは、先ほどの実相寺の万灯講中。良い感じに闇が迫りくる黒崎へと続く道を、笛の旋律に合わせて団扇太鼓と鉦を打ち鳴らし、賑やかに、それでいて何処となくしめやかに練り歩いていきます。その様子は、有体ですがまさに幻想的な光景という一言に尽きました。周辺環境が、初声入江のあの寂寥とした原野の脇を通るというシチュエーションも良いです!街灯もほとんど無い暗闇の一本道を万灯が進んでいく様は、この祭事の事実を知らない人が見たら、かなり不思議な光景に見えることでしょうね。 これで雨でも降っていれば、まさにコトノバの「雨と信号のこと」の雰囲気バッチリだったのですが……。(※当日、この時間帯には雨の予報が出ていましたが、実際は全く降りませんでした。日蓮聖人さん、こんなトコロで神通力出していただかなくても良かったのですよ?)
境内に入り、本堂へと続く参道広場まで到達すると、その一心に懸命な行動を本堂前で披露するのが奉納供養に値するのか、この纏と楽器のパフォーマンスは最高潮に達し、講中連が満足するまで全くその場を移動しなくなります。これが渋滞する原因となり、ふと後ろを振り返ると、後発の万灯講中が次々に近付いてきているのが分かります。その万灯講中も負けじと太鼓や鉦を打ち鳴らしまくるので、延壽寺周辺はもう何が何だか解らないサウンドクラッシュ状態に。延壽寺前の細い路地は練供養の人々で埋め尽くされ、さながら音響の渦がうねりを上げて包み込んでいるかのようでした。 本堂前での奉納披露を済ませると、ようやく堂内に入り、唱題やお経をあげてお札を受け、一連の練供養は終了となります。ただしこれがすべての講中で行なわれることになるので、この賑やかさは延々と9時近くまで続くことになります。私も中盤近くまで粘っていたのですが、これ以降は特に変わった展開も無く、各講中連は終わり次第順次散会していくということでしたので、少し早めに延壽寺を後にすることにしました。 まだ人々で込み合う集落の路地裏を抜け、ふと振り返ると、妖しく光るクラゲのような灯りに、今は程よく聞こえる祭囃子のような響きが心地良く感じられます。進む先には入江の原野、その向こうには、今は真っ暗で何も見えないけれど、かつての波島や黒崎の鼻が、静かに暗闇の中にその身を横たえているのでしょう。「あぁ、やっぱりこのくらいのしんみりしているほうが、風情があって良いのかもね。あとは、やっぱり雨かなぁ…。」 私は周辺を今一度ぐるりと一瞥し、134号線の交差点へと続く道を、お題目を唱えてみたりしながら歩いて行くのでした。 【参考文献】:三浦の歴史シリーズ T 初声の歴史探訪記/浜田勘太 著
『お会式ねっと』ホームページ/「お会式を知る、学ぶ」より |
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