海風通信 after season...

菊名の飴屋踊り

【飴屋踊り】
 地 域:三浦市南下浦町菊名
 開催地:菊名区民会館前の広場
 開催日:10月23日
 時 間:午後7時より9時半くらいまで
 カテゴリ:奉納芸能

 [取材日:2015年10月23日]

 


 三浦半島の歴史や郷土史等を紐解くと、たいてい「虎踊り」とともに出てくる伝承芸能がこの「飴屋踊り」なのでありますが、まさか私のホームページで、このようなガクジュツ的な記事を扱うとは思いもよりませんでしたよ。事の発端は、ここのページの読者である皆さんは既にご存知の通り、『コトノバドライブ』第8話の「トンネルのこと」に出てきた、あの「花飾り棒」を実際に検証するためです。
 「飴屋踊り」で、花飾り棒はどのような位置づけをされているのでしょうか?それを確かめるためには、現在も唯一例祭日に奉納芸能が行われているという三浦市の菊名地区を調査してみる必要がありそうです。そこでいろいろ調べて見ると、この祭礼はガクジュツ的とかそういう小難しい話は抜きにして、とても素朴で手作り感満載の催事であることが解りました。これは是非とも実際に行って、体感してみる他はありません。

【飴屋踊り とは】
 江戸時代以降、飴売りの行商人たちが客寄せのために演じた踊りや芝居が発祥とされ、彼らが村々の祭礼などで披露したり踊りの手ほどきをしたことによって、その土地の人々に根付き、神事と結びついたとされる奉納芸能。かつては近隣の農村各地に見られたが、現在このあたりで行われているのは、菊名と長井のみ。県指定無形民俗文化財。
 この芸能は「手踊り」と「段物」という二つの形式に分けられ、手踊りとは踊り中心の演目で台詞が少し入り、段物とは歌舞伎・地狂言などを取り入れ、台詞が入った芝居物。
 《手踊り》・・・「白松粉屋」「新川」「かきがら」「子守」「細田の奴」
 《段物》・・・・「笠松峠」「五段目」「阿漕平治」「豊川利生記」「重兵衛」

 祭礼の開催時間は例年10月23日の午後7時からと決まっていますが、ここは準備段階の様子も体験・取材しておきたかったため、3時過ぎに現地へと向かうことにしました。場所は、菊名区民会館横にある農協作物出荷所の木造倉庫。会館とともに趣のある雰囲気を醸し出した建物で、私が『三浦七福神めぐり』をする際には必ず立ち寄るお気に入りの場所でもあります。普段はとても静かで郷愁を誘う風景が広がっているのですが、今回ばかりはサスガに様子が違います。会場前は既におおかたの準備が整い、華やかな飾り付けも施されていました。道路脇には縁日の露店が8軒、こちらも既に準備は万端という感じ。早めに来たと思ってたのですが、どうやら遅すぎたくらいです。
 実際、祭礼の実行委員である『あめや踊り保存会』の方に伺うと、この例祭は菊名の総鎮守である白山神社に奉納されるという意味合いから、正式には2時に境内で執り行われる式典斎行の『湯立神楽』からが始まりだということでした。
▲祭り当日の開演前風景。飾りつけはもうバッチリです。 ▲これが件の花飾り棒。舞台枠を囲むように装飾されている。
 何はさておき、まずは舞台会場を見に行きましょう。いやが上にも目に飛び込んでくる、舞台枠を囲むように設えた色とりどりの装飾は、まさしくあの花飾り棒です!近づいて注意深く見てみると、1本あたりに付けられた紙花の数も5輪と合致しています。紙花の竹棒への結び付け方を見ても、あの作中の描写と似ていることが分かりました。これは確実に、作者の芦奈野センセイは認識して描いている・・・?そう思わずにはいられません。
 「あぁこれ、お祭り終わったらお願いして、1本いただけないだろうか?」ふとそんなヨコシマな考えがよぎりましたが、今、そんなコトを言うと、ヘンな奴と思われかねません。第一、まだ踊りの本番すら見ていないのです。ここはグッと堪えて、お祭りの取材を続けましょう。
 (※ここまでの記事、『コトノバドライブ』第8話を知らない人には??ですね。申し訳ありません。)
▲花飾り棒の裏面。紐の結び付け方とかも似ています。 ▲開演直前だというのに車も通らない、人もいない!大丈夫!?
 会場となる舞台前では、祭礼の関係者や踊りの演者、屋台の人たちが慌ただしく動いていて活気があるのですが、なにやら一般の見物客がほとんど見られません。開演2時間前くらいになっても、舞台前のシートには陣取る人が全然いないのです。
 「これは・・・人やって来るのだろうか?もしかして本当の意味で地区の人しか集まらないシークレット・ギグなの?」
 そんな思いから、菊名地区では最も交通量の多いであろう「県道・上宮田金田三崎港線」に出てみるも、車の通りはまばら、『菊名あめや踊り』の幟が立っているものの、これから祭りが始まるであろう人の流れが全くありません。束の間、不安に駆られましたが、次第に、「かえってそれが良いのでは?」と思うようにもなりました。こんな営利観光にまみれてない素朴な祭りっていうのも、そうそうあるものでもないですからね。
 その土地の人間だけで、気負わずのんびりと芸能を楽しむ・・・そんな祭りも悪くないと思いつつ、開演30分前の会場に戻ってくると、なんとビックリ!いつの間にやら会場前は、多くの人が集まり出していました。あぁ、やっぱり県道からがメインというわけでもないんですね。人々は、地区中のいろいろな小道から姿を現してきて、ようやくお祭りらしい賑やかさになってきました。いよいよ、『飴屋踊り』の始まりです。
▲舞台前には徐々に人々が集まってきた。いよいよ開演。 ▲いつもの静かな集落とは思えない盛況!オーブがすごい!
 「あめや踊り保存会」の方々の開催宣言により、舞台の幕が上がります。
 まずは主催者あいさつ及び来賓のあいさつ、そしてお祭りの御祝儀を頂いた方の名前発表と続きますが、んんん・・・?これって、かつて私も遠い昔に味わった(!?)学校行事の式典のようなノリです。踊りの演目が始まってから確信したのですが、これはまさに集落を挙げての『学芸会』といったところなのでしょう。けっして悪い意味で喩えているのではありません。今や企業スポンサーがしゃしゃり出て映像・音響をハイテク化したり、テレビの演出方法を真似て俄か垢抜け化した祭りが増える一方、ここまで地元の人の手作り感あふれる祭りというのは、ある意味貴重です。
 スピーカーもしょっちゅうハウリングを起こしたり、音楽が突然止まってしまうのもご愛嬌。こちらとしても、別に観覧料を取られて観ているワケではないので、怒る理由もありません。むしろ、「頑張れ!」とか「気にしてないぞ!」といった、応援したい気分になります。いつの間にやら、会場全体が運命共同体のような絆が生まれてくる、不思議な魅力を持ったお祭りなのです。
▲『白松粉屋』。飴屋踊りを象徴する所作が見られる。 ▲『笠松峠』で、鬼神のお松が討たれる場面。
▲子ども達が演じる純手踊り『子ども子守』。 ▲『五段目』。この辺りになると子供もさすがに飽きてくる。
 演目は『白松粉屋』に始まり、『笠松峠』、『子ども子守』、『五段目』、『かきがら』、『新川』と進んでいきますが、このあたりの詳細は数多くの郷土資料で述べられていますので割愛しましょう。他では述べられてない視点でレポートするのが、このページのひねくれたところです。
 演目には地元の小中学生たちも協力・参加してくれているので、当然、子どもたちも数多く見物にきています。彼らも始めのうちは舞台で演じている友達を応援したり見守ったりと静かに見ているのですが、プログラムも中盤に差し掛かってくると、サスガに飽きてきます。そうなると、道路脇の露店にある『おもちゃクジ』で当たった景品でおもむろに遊び始めるわけですが、今年は『ブーブークッション』が瞬間的なブームになってしまい、会場のあちこちでブブヒョオ〜とかブベボベベェ〜などと、あらぬ音が鳴り響く事態に・・・!まぁ、これとてお祭りのざわめきの中では大して気にならないので、良しとしましょうか。多分、私も子どもの頃だったらこうなっていただろうなぁ、と失笑してしまいました。
 けれど、平成も30年に差し掛かろうという世の中にブーブークッションって・・・・。子どもの興味って、いつの時代も大して変わらないのですな。
▲非常に分かり易くて滑稽な『細田の奴』。 ▲御歳八十を越える、あめや踊り保存会の会長。立派です!
 余談はさておき、お祭りの本題へと戻りましょう。数ある演目の中で、私が特に印象深かったのが『細田の奴』という所作入りの手踊りです。
 「ホソダノヤツ」なんて、「おのれ、のび太のヤツめー!」みたいなジャイアン的な演劇なのかな?と、大して興味も示さずにいたら、実際の読み方は「ホソダノヤッコ」だということで、若い娘が旅の途中、出会った男(奴や坊主)を色仕掛けでたぶらかして道案内をさせ、道中を要領良く安全に渡り歩くという、ルパン三世の不二子ちゃん的なストーリーの演目なのです。
 そんな内容の出し物なので、ちょっと卑猥な表現手法の所作が入ることから、この演目だけはキョーイク的に無形民俗文化財の指定から除外されています。現在となっては、それほど過激な表現とも思えないのですけどね。そもそも、見ている子どももこの辺あたりになると、ほとんど舞台には目をくれず、露店で買ってきたおもちゃや食べ物に夢中になっているのですよ。あたりにはブボベブブゥ〜!と相変わらずブーブークッションが鳴り続け、子どもたちは目下、こちらの下ネタのほうに興味を奪われているので、全然問題ないのでありました。
▲大人の演じる『子守』で、約2時間超に亘る演目の締めとなる。 ▲祭礼終了後、花飾り棒をおもむろに外し始めた!これは…!
 大人たちの演じる『子守』を以って、飴屋踊りもいよいよ舞納めです。最後の演目はベテラン勢による熟達した舞いで、菊名の秋の夜はしんみりと更けていきます。祭りの「ハレ」を「日常」に戻すかのように、気温も急激に下がり始め、見物客も徐々にその姿を消していきました。しかし、私はまだ見届けねばなりません。あの、花飾り棒の顛末を―――。
 そしてそれは、理想的推測に最も近い形で実現されました。
 飴屋踊り閉幕の宣言とともに、保存会の方々によって花飾り棒が取り外され、子どもたちに配られ始めたのです!一斉に群がり、花飾り棒を手にはしゃぐ子どもたち。私の見たかった光景が、まさにそこにありました。
▲次々に手渡されていく。飴屋踊りの知られざる一面です。 ▲花飾り棒を手に、家路に就く子ども達。佳き思い出です。
 ひとしきり子どもたちに花飾り棒を渡し終えた後、保存会のお一人に「あのー、これって私が頂いても良いものですか?」と尋ねると、どうぞどうぞ!と快く応じてくださいました。まぁ、たいてい受け取るのは、子どもたちかお年寄りなのだそうですけどね。(そんな訳ですので、このページを読んで「花飾り棒が欲しい!」と思った方は、子どもたちやお年寄りがひと通り受け取った後に、残ったものをいただくという謙虚な気持ちで臨んで下さいね。節度ある行動が、作品のファンとしてのモラル向上につながります。)
 聞くところによると、この花飾り棒(注:この名称はあくまで私が名付けたものなので正式名称ではありません。)は、保管しておいても色が褪せて見映えが悪くなってしまうことから、祭りが終わった後にこうして配り、毎年新しいものを作り直すそうです。そう、これは例年行われている、飴屋踊りの知られざる慣習のひとつだったのです。

 これで『コトノバドライブ』第8話の一連の行動は、まさに合点がいきます。ただし作品中では、あくまで「夏のお祭り」なんですよね。長井にもかつてはこのような風習があったのでしょうか?それとも両者を融合させた、作者のフィクションなのでしょうか?興味は尽きません。
 とりあえずは、花飾り棒を肩に預け、「すーちゃん」よろしく菊名集落の深まる闇夜を歩きます。ワタクシ的には、それで大満足なのでした。


参考文献:三浦市民俗シリーズ[XV] 三浦菊名・あめや踊り/田辺 悟 編著
平成二十七年度『菊名の飴屋踊り』当日配布資料