海風通信 after season...

『わかめ食品ストア』の謎と子産石の集う場所 〜『草迷宮』の舞台を訪ねて

2016/11/29
▲絶対にVOWネタだと思ってました。申し訳ない。
 旅をしていると、「あれ?」とか「んん?」とか「くすっ」となってしまう看板やら物件というものがありますよね。いわゆるVOWネタと言うヤツです。三浦半島でも例にもれず、いろいろな面白物件があり、いつか『三浦半島VOW』なるページを立ち上げたいと思いつつも…気付けば、もう早17年ですよ。その間に多くの物件はほとんどが消失風景となりましたが、ひょんなことから謎が判明した物件もありました。
 それが、右写真の『わかめ食品ストア』。秋谷のカーブに差し掛かったすぐ先にある小さな食料品店で、「何でこのネーミング?海が近いからかな?」「ひらがな表記がなんとなくラブリー(…か?)」と、いろいろな憶測が挙げられ、気になっていた人も多いのではないでしょうか?この名称、実はちゃんとした意味があったのです。というか、泉鏡花の『草迷宮』を読んだことがあり、その舞台地に興味を持ったことがある人ならば、すでにピンときているかも知れませんね。
 「北の大崩れ」こと長者ヶ崎から子産石と、芦奈野世界とも奇妙にリンクする『草迷宮』の舞台地を巡り、「わかめ」の謎を解き明かしていきましょう。

 三浦の大崩壊(おおくずれ)を、魔所だという―――。
 この一文により読み手を一気に作品世界へと引き込む魅力を持つこの物語は、長者ヶ崎の景観をこう表現するシーンから始まります。
 「どういうことだろう――?」読み進めていくうちに、かつての長者ヶ崎の様子が克明に述べられていきます。突端を隔てて南北の浜は、現在とそう変わらぬ対照的な様相であったこと、波静かで長閑な浜の方には「長者園」なる建物があったことなど、かなり事実に基づいて書かれているようです。なるほど、長者ヶ崎の名の由来は、この長者園から来ているものなのですね。その他、子産石の伝説の詳細やこの地の名主のお屋敷の造りなどが語られていて、単なる幻想小説と片付けるには忍びない史実が散りばめられています。その内容は、『草迷宮』本文にてじっくりとご堪能ください。
 とりわけ、この物語の核心部分の舞台地となりえるであろう黒門は、秋谷にある若命家の長屋門であろうと言われています。これまでその存在は知っていたものの、あまり関心もなく、あえて確認することもしませんでしたが、これはちょっと興味が湧いてきました。
▲『草迷宮』の物語の始まりを告げる大崩れの地。 ▲若命家の長屋門。作中での『黒門』のモデル?
 さっそく長屋門へと向かってみると、そこは何度も通っている国道134号線のすぐ脇にあることが分かりました。ただし案内板といった類のものが一切ないので、明確に長屋門へと行く意思がないとまず気づくことがないでしょう。私も二十数年間素通りし続けて、今回が初訪問となります。
 漆喰となまこ壁が特徴的なその門は、横須賀市市民文化資産。門の両側に部屋や物置などの長屋があることから『長屋門』と言われ、その土地の名主の家にのみ設置が許されるという貴重なものらしいです。けれど、その場に設けられた説明板は本当に簡素なもので、それ以上の情報がなく、そもそもこの「若命」というのはどのような読み仮名をつけるのかも疑問だったのですが、調べてみるとどうやらそれは「わかめい」もしくは「わかめ」と呼ぶようです。
 はい!ここで冒頭のテーマと結びつくわけですね。ひょっとして「わかめ食品ストア」とは、ここと関係があるのでは?……でも、文献によって「わかめい」だったり「わかめ」という表記が混在しているのが気になります。真相は一体どうなのでしょう?これは地元の人に聞き込みをする必要がありそうです。
▲長屋門から続く秋谷神明社への参道。 ▲神明社本殿。ん?鈴緒の房が……?
 と、その前に、若命家長屋門のすぐ先に続く神社への参道も気になるので、上ってみましょう。
 そこは秋谷の神明社。『草迷宮』に出てくる秋谷明神(これは子産石バス停近くの熊野神社だということです。)とは違うので、混同のないように。
 こちらは物語には登場してきませんが、なかなか雰囲気の良い神社です。本殿にご対面すると真っ先に気になるのは、鈴緒(すずのお)の末端に設えた麻房の異様な大きさ!寸詰まりのてるてる坊主のような、はたまたパックマンの敵キャラのようなフォルムは、インパクト大です。しかもこれ、けっこう重たいのでマトモに綱を揺らすこともできないのですね。鈴も思うように鳴らせず、なんだか振り子のようにユラユラと揺れるだけの動きが、果たして正しい参拝の作法なのかも腑に落ちませんでしたが、とりあえずはお賽銭を入れて挨拶を済ませました。
▲巨大な麻房。なんだかドングリ玉のよう。 ▲参拝の順路。4番がちょっとヘンですね。
 ふと脇を見ると、この神社の参拝順路を示す看板が見つかります。そこにはまたもや気になる表示が……↑。
 「なんでコツコツ叩くのよ…?」いろいろと謎が多いのですが、この神社は基本的に無人なので、訊こうにも人が見つかりません。まぁ、これも「わかめ」の件と同様に、あとで地元の人にお話を伺うことにしましょう。まずは順路通りに本殿の裏壁をコツコツと叩きながら、海神社・御嶽神社とまわると、そこにはまたしても気になるモノが……!
 なんと御嶽神社のすぐ横、神武天皇碑と稲荷社の石祠のある場所に、たくさんの子産石が安置されていたのです!
 私も以前から子産石の祀られている場所を訪ね歩いてきましたが、ここまで多く集まっている場所は見たことがありません。写真では良く分からないかもしれませんが、手前の階段部分も丸石で組み重ねられていて、これも子産石を使用しているのでしょうか?(*1)だとしたら、もの凄い数です。大きさでは子産石バス停のものには遠く及びませんが、密集する数としては最大級の場所かも知れません。
(*1)詳細は不明です。階段や土台など、踏まれるような場所に神聖な子産石を使うとも思えないのですが…。
▲子産石がいっぱい!ここまでの数は見たことがありません。 ▲かなり真球に近いものもある。
 思わぬ収穫を得て秋谷の集落へと戻ってみると、そこには土地の事情に詳しそうな年配の方々が世間話をして集まっていましたので、先ほどの疑問を訊ねてみることにしました。
 まずは秋谷神明社の参拝手順にあった『壁をコツコツと叩く』とあるのは、神様を起こす・気付かせるという意味合いだそうで、自分がお参りに来たことを神様にお知らせするための行為だということ。ここの神様、そんなにまで目を覚ますのが遅いのかな?とも思いましたが、あっ!そう言えば本殿前の鈴は大きな音で鳴らすことが難しい仕様でしたよね。こうでもしないと神様が気付いてくれないのかも知れません。なんとなく納得です。
 そして今回のレポートの発端ともなった「若命」ですが、これは「わかめい」でも「わかめ」でもどちらもアリだということです。苗字としての正式な読み方は、「わかめい」なのですが、いわゆる日常会話での呼び名・通り名として使う時、「わかめさん」と言った方が呼びやすかったため、「わかめ」が根付いたものらしいです。(※「新庄さん」を「しんじょさん」と言ったりする、ああいう感じ。)これは若命家に嫁いできたというおカミさんから直接お話を伺うことが出来ましたので、まず間違いないのでしょう。
 『わかめ食品ストア』というのも、まさしく『若命食品ストア』ということで、若命一族の方が経営していたということ。海藻のワカメなんかではなく、ちゃんとした由緒ある名称だったのですね。今ここに、十数年の謎が氷解しました。(←遅いよ!)

 ともあれ、こうした芦奈野作品以外の文学作品巡りもなかなか良いものです。『草迷宮』なんて、長者ヶ崎が舞台であるというきっかけがなかったら、おそらく私にとって読むこともなかった作品でしょう。物語の内容や醸し出す雰囲気が大変興味深かっただけに、この巡り会わせには感謝です。

 「――箸を取ると、その重なった茄子が、あの、薄皮の腹のあたりで、グッ、グッ。 
  一つ音を出すと、また一つグッ、もう一つのもググ、ググと音を立てるんですものね。
  (お客様、聞えるかね。)
  (ああ鳴くとも)

 この文章が気になったアナタは、是非とも『草迷宮』の世界へ……!
 学識や深い知的検証も全く感じられない私の推薦文ですが、この部分だけがどうしても気に入ってしまったので、もう仕方がないのです。

参考文献:『草迷宮』/泉 鏡花 著(岩波文庫)
『ふらり おおくす 横須賀西海岸』/おおくすエコミュージアムの会