海風通信 after season...

木造棟のウミテング

2007/04/10(現地取材および撮影)・2017/05/14(加筆修正)
▲明治期洋風建築物の面影を残していた木造実験棟。
【三崎臨海実験所・木造旧実験棟(通称グリーンハウス)】
築年月日:明治42年11月
内部構造:木造平屋建45坪。
      特別研究室4室・図書室1室、ならびにサンルーム。

◆関東大震災、実験所改造計画からも唯一残ったこの木造棟は、昭和
初期に於いても研究室にあてられるとともに、事務室としても使用された。
その後は海外からの研究者などの宿舎となった他、2000年代初期頃まで
は大学院生が宿泊施設として使用していたという。

 オマケページ001.「はじめに」でも採り上げた『三崎臨海実験所を去来した人たち』の書籍の中に、明治期に建てられた実験所の施設で、現在も唯一残る木造建築物があることが記されています。そのレトロでノスタルジックな外観もさることながら、建物内部は海洋生物の研究施設らしさを想起させる、思わずニヤリとしてしまうような洒落た天井装飾が施されているらしいのです。私はこのことが非常に気になっていて、いつかこの目で見れたら良いなぁと淡い期待を抱いていたのですが、三浦の真珠養殖の調査で当実験所に取材をお願いした時に、まさかの内部見学が実現してしまいました。写真撮影は最小限の範囲内で、ということでしたのであまり枚数はないのですが、この感激と興奮は今でも覚えています。
 その木造実験棟が、既にご存じの方も多いと思いますが、2011年3月21日未明の出火により全焼してしまいました。人的被害がなかったのが救いと言えますが、この損失は私にとっても衝撃的なニュースでした。原因は不明で、おそらく電気配線の断線によるショートであろうと推測されています。関東大震災・東日本大震災と2つの大震災からも奇跡的に被害を免れたのに、こんなことで消失してしまうとは残念でなりません。2012年時点で、実験所では再建に向けて取り組みを始めているとのことで、私も少なからず参考資料の提供という意味合いを含めて、ここに当時のレポートを復刻してみました。
▲木造棟側面の小玄関(赤屋根の部分)より内部へと入ることに。 ▲各部屋名は方角に合わせて三崎の湾の名称を付けている。
 私が案内を受けたのは木造棟の側面部にある小玄関から。内部に入ると廊下が建物半分過ぎまで直線に伸び、両サイドに部屋が2つずつ、正面には他より少し大きめの部屋へと続く扉がありました。印象的なのは、各部屋の扉の上に表示された部屋名のプレート。左側手前から時計回りに見て行くと、『油壷湾 ABURATUBO BAY』・『諸磯湾 MOROISO BAY』・『相模湾 SAGAMI BAY』・『小網代湾 KOAJIRO BAY』・『便所・ロッカールーム』となっています。三浦半島、とりわけ小網代周辺が大好きな人にとっては、思わずトキメいてしまうネーミングですね。これらは部屋の位置している方角の先にある湾に合わせて付けられた名称だということ。なかなかのコダワリぶりです。
 英字表記までされているのは、おシャレとかそういうことではなく、かつて海外からの研究者の宿舎として使われていたからなのでしょうか?定かではありませんが、「そういう意味合いもあるのかも知れません。」と案内をしていただいた実験所所員のSさん。「でも、海外の研究者の宿舎という話は、もうずいぶんと前のことなんですよ。2〜3年前(つまり2004年くらい?)までは学生の宿舎としては使用していました。」とのこと。現在は老朽化が進み、また施設の状態保存という見地からも使用していないそうです。
▲甲殻類の風抜。円を描くように配置されたカブトガニにも注目。 ▲ウミテングがデザインされた風抜。これが見たかった!
 それではいよいよ各部屋の中へと入ってみましょう。……とは言っても、これ以降はあまりの興奮から、冷静な記憶が無いんですよね。取り敢えずは天井風抜の装飾彫刻のみ撮影の許可が下りたので、真っ先に上へと目を向けます。そこには、実験所の発展を支えてきた人々の海産動物愛の感じられる、実に微笑ましいまでの透かし彫りが施されていました。各部屋にはそれぞれ『ウニ(クラゲかも?)』『エビなどの甲殻類』そして『ウミテング』の風抜が確かに見つけられました。これらのデザインは、当時の教官が図案化したものだということ。このウミテング(*1)の風抜が、前述の磯野直秀氏の著書の「あとがき」に写真と共に紹介されていて、私がどうしてもこの目で見ておきたかったものだったのです。
 (*1)ちなみにこのウミテングは、三崎臨海実験所(MMBS=Misaki Marine Biological Station)のシンボルマークにもなっています。
 惜しむらくは、どの部屋にどのデザインの風抜があったのかをメモすることを失念してしまったこと。あぁ、これではほとんど参考資料としての価値が見出せませんね。その後も訪問する機会は何度かあったのに、再調査することなく失われてしまったことが悔やまれます。

 いつかふたたび、三崎臨海実験所の歴史を語る資料館として再建される日を願っています。
▲記念館屋上より木造棟、荒井浜を見渡す。 ▲三崎観光船のりば。こちらも今では消失風景。

参考文献:『三崎臨海実験所を去来した人たち』/磯野直秀 著(学会出版センター)
東京大学大学院理学系研究科附属臨海実験所(通称:三崎臨海実験所[MMBS])ホームページ