もう、何度目の読了になるでしょうか。ある一定の時を隔てて、再び読み返したくなる本があります。 それが、池澤夏樹氏・著の『スティル・ライフ』。この作品を難しく考えるのも良し、さらっと流し読むのも良し、ともかくこの作品の中に入り込むと、世界の流れから逸脱して物事を俯瞰しているような気分になり、現実がより希薄になるという不思議な感覚を味わえます。これは日常のシーンで読むよりも、非日常の場所へと持ち出して没入するのがより効果的。というわけで、私の読書チェアリングの定番ともなっています。 「選別してはいけないんだ。山の形態が何かに印刷されていれば、カメラで複写する。そうするうちに個々の山は消えて、抽象化された山のエッセンスが残る。――――写真というのは意味がなくてもおもしろい。一つの山がその山の形をしているだけで、見るに値する」 このあたりの言い回しにも惹かれるものがある一方、私が特に魅了されたのは、やはり三浦半島の「雨崎」が舞台となるシーン。興を削がれるので敢えて本文引用はしないでおきますが、ここだけが妙に具体的に描き出され、「この場所って、本当にあるのかな?」と興味を抱きつつも、一度目の読了後にいつしかそれは忘れ去られ、数年後の『ヨコハマ買い出し紀行』に触発された舞台地探しによって偶然それは見つかり、「この場所がそうだったんだ!」という運命的な遭遇を遂げます。そういった意味でも、私にとっては特別思い入れのある場所となりました。言うまでもなく、実際に雨崎まで文庫本を持って行って、読書チェアリングに浸ったこともあります。 それから、そうと決めたわけではないのだが、毎年そこへ行くことが習慣のようになった。三月ごろになって、さて明日は何をしようかと考えると、雨崎のことが思い出された。毎年そういう巡りあわせになった。 一時期、私も実際にそうした不思議なルーティーンが身に付いていたことがありました。ただやっぱり、雨崎が雨だったことは一度もなく、ましてやあの場所での最も印象に残るシーンである「雪が降る」といった場面に遭遇したこともありません。でも、ここで岩場と一体となるように溶け込んでいると、それは容易に想像することができるのです。
ある時、この描写がなにかとリンクしたような気がしました。それは二つの作品の再読タイミングや場所が微妙にズレ合うことにより、しばらく重なることはありませんでしたが、今回、雨崎とは異なりつつも、雰囲気や環境が近いこの高台での読書チェアリングにより、ようやくその一致に気付くことができました。 それは、『ヨコハマ買い出し紀行』の第127話「滴」での一場面。気象や自然現象の奥行観、思考の捉え方の表現描写に、非常に近しいものを感じたのです。作品中では言葉での説明はほとんど示されていませんが、「体が上に進んでく…」「…ほんと…」に、そのすべてが込められているようです。お互いの作品に内包された「宇宙」という共通認識に、「雪」と「流星雨」が見事に重なり合っていたのでした。 このような気付きを実感したのは、やはりこの周辺環境が地球的な視点で見させられてしまう地質構造や雰囲気にもあるのでしょう。
これはなかなか難しいことではありますが、せめて趣味の時間を過ごしているときぐらいは、世界の呼応と調和をうまくコントロールしてみたいものです。 とりあえずは、潮騒だけがあたりを包む、この場所で……。
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