海風通信 after season...

海の河の道標

2024/01/30

夕闇に浮かぶ原岡桟橋に、柔らかな光が灯りはじめる。「…おめぇも物好きっつうかヒマっつうか 電灯見るためにバイクで来るか」

 「アルファさんのおかげで うまく剱崎と洲崎の間 抜けられそう…」
 ということで、『ヨコハマ買い出し紀行』の作品中でも確定地名とともに描き出されている(と言っても、光源の点のようなものだけど)洲埼灯台。これまではその位置関係の微妙な「遠さ」から、なかなか現地検証へと足を運ぶことを躊躇っていましたが、今回、中間地点にとても魅力的なモチベーション・ポイントとなる場所を見つけたので、これを機会にカブで行って見ることにしました。
 その中間地点とは、南房総・富浦にある「原岡桟橋(岡本桟橋)」。コンクリート突堤と木造桟橋を組み合わせた構造物で、レトロな電灯傘の付いた電柱が突端にまで延びる、とてもノスタルジックな風景が展開されています。多くの作品のロケ地ともなっているため、その存在を見知っている方もいることでしょう。ただ私は、単純にこの電柱の続く光景が『ヨコハマの世界観』に重なるのではと想像していたので、他の余計なイメージに囚われることのないよう、敢えてそれらの映像や情報は意識に取り込まず、出来るだけ白紙の状態で現地に訪れてみようということにしました。
 例によって、まずは自宅から久里浜港まで一気に弾丸走行し、外観塗装が『黒船バージョン』へとリニューアルされた東京湾フェリー「しらはま丸」に乗り込み、対岸の地へ!このバイクをフェリー内に乗り入れる感覚、まるで大きな旅に出るようで、毎回ワクワクします。車輛格納デッキ内に響く鉄の重厚音とオイルの匂い…それがなんだか妙に懐かしく、変に心地良い。これはかつて何度も経験した、北海道ツーリングの記憶が刺激されるからなのでしょう…。
 では、♪苫小牧発〜仙台行きフェリー…じゃなくて!久里浜発〜浜金谷行きフェリー(←語呂悪い!)で、いざ、『ボウソウ買い出し紀行』へ!
▲浜金谷港から30分程度で原岡桟橋に到着。富士山見える! ▲波の穏やかな日は、先端まで楽に歩けます。

 浜金谷から鋸山を横目に勝山・岩井海岸を過ぎると、連続するトンネル群を抜けた先に辿り着くのが、富浦エリア。この富浦の浜の中ほどにあるのが「原岡」という小地区です。昔ながらの漁村集落なので海岸への道幅は非常に狭いのですが、バイクならば気軽に走り回れるので、迷い込むことも楽しみながら、とりあえずは浜にまで出てみましょう。あとは海沿いに走っていけば、なにげに目を惹く突堤が見えてくるはず。そこが原岡桟橋です。
 平日の午前中に辿り着くことができたので、海岸は人も疎らで、とても長閑な雰囲気がひろがっています。(それでも人がいたことには驚きでしたが。三浦半島の場合、こういう時はたいてい無人なんだよなぁ…。)
 本格的に写真撮影をしている人は、1名。その方に挨拶をして少し情報を仕入れているうちに、突堤上には人が誰も居なくなったので、ここをチャンスとばかりに突堤の先端まで行ってみることにしました。潮位の高い時や波風の強い日にはちょっとした恐怖らしいですが、今日は晴天・波穏やかで眼前には富士山が!とても爽快な気分で、不安など微塵もなく歩くことができました。
 原岡桟橋は波打ち際十数mあたりまでが木製の桟橋で、その先は通常と同じようなコンクリ突堤へと繋がっています。(と言っても、このコンクリ突堤自体がかなりの年代物で、現代のそれとは違う魅力があるのですが。)こうした構造は、嵐や強い潮流等に見舞われた際、木製桟橋部分が壊れることによって突堤全体の破壊から守るという先人の知恵から考え出されたそう。今では風波に耐えられる突堤の建設が技術的に可能になったので、このような形態のものは稀になり、房総半島はおろか東京湾内でも、この原岡桟橋が最後の一つということになってしまいました。
▲コンクリ突堤のヒビ割れ具合もまた良し。 ▲一部に木製電柱もありレトロに見えるが、実は意外にも?

 先端にまで辿り着くと、さらに開放感は抜群!見渡す限り「青」だらけで、ちょっとクラクラします。
 南に大房岬、北方に原岡漁港を挟んで緩やかな海岸線を描くその視界には、およそ悪目立ちする建造物や広告看板が無いのも良い感じです。これは数々のロケーションで多用される理由も分かりますね。条件が三浦にある「黒崎の鼻」とよく似ているのです。でも、【トイレ・水場・自販機無し】といった黒崎ほどの不便な状況ではなく、原岡桟橋には公衆トイレ等の各種施設が備わっているので、長居するぶんには気分的にも安心できます。
 さて、突端でのんびりと昼寝でもしてみたい気持ちにも駆られますが、まぁ写真撮影している人の邪魔になるのも何だし、そろそろ引き返そうかと思った矢先に、ふと人の気配を感じて浜のほうを振り返って見ると、ビックリする事態となっていました。なんと、20人ほどの団体ツアー(!?)と思しき人たちが、フラッグを持って先導する人に従い、次々に浜に降りてきていたのです。しかも皆さん、比較的若い女性ばかり。海外からの旅行客もいる感じ?
 「なに?何??平日だというのに、こんなツアー・コースに組み込まれるくらい、ここって有名なの?」
 桟橋を渡り始めた団体さんと入り違えるように浜に戻ってくると、その後は個人・カップル・グループ・地元の散歩してる御高齢の方などなど、実にいろいろな人々が入れ替わり立ち代わり訪れるようになりました。
 「最近、わりと有名な映画のロケ地にもなったみたいだからね。夕方になるともっと来るよ。」とは、先ほど話をしていた写真撮影の方の談。一体どんな映画なのかと思ったら、公衆トイレの手前にポスターが掲示されていました。『アナログ』というタイトルで、二宮和也と波瑠が主演した作品らしいです。
 「…そうかー。ニノかー。だったら仕方ないよなー。(←ニノめー!)……まぁ、ハルちゃんがいるから許す!(←だから何を?)」
 何はともあれ、一時でも人の居ない突堤の雰囲気を味わうことができたのは幸運だったのかも。しかしこれ、今回のメインである日没&ライトアップ時にはどうなるんだろう?ますますやって来る人々や車を横目に見つつ、不安な気持ちを残したまま、とりあえずは洲崎へと向かうことにしました。
『しらはま丸』が黒船Ver.にリニューアル!
♪クック、クック〜。(←昭和か。)
こんな団体ツアーも来たりする。恐るべし!
道の駅にある渚の博物館(入館無料)
ギョギョギョっ!ロボさかなクンだ!
洲の灯台前バス停と洲灯台

 洲崎までは国道を避け、なるべく海沿いを通るように走ります。途中、船形・那古辺りまでは房総らしい良い風景が続くのですが、館山へと差し掛かる北条海岸付近にまで来ると、雰囲気がガラリと変わりました。海岸沿いには有名チェーンの大型店舗群やリゾートマンション、ホテルなどが建ち並び、大変失礼ながら、館山がここまで発展を遂げているとは思いも寄りませんでした。
 けれど私はこうした都市風景にはほとんど感慨を示さないので、そのままスルー。ただ、『渚の駅・たてやま』内にある安房博物館分館「渚の博物館」の建物壁面に描かれた「さかなクン」の絵にギョギョッ!?となり(←ホントかよ?)、興味を覚えたので立ち寄ってみることにしました。
 この「渚の博物館」、館山の漁業や漁具史料のほか、さかなクンの研究活動やイラストが展示されていて、ギョギョッとなります。(←説明不足。)しかもここ、入館料無料なのが地味に嬉しい!300円くらい取っても良いと思うけどねー。ここでお得感を出しておいて、渚の駅売店で買ってもらおうという狙いなのかも知れません(!?)。私もその魂胆に見事にハマり、ご当地名物!?『なめろう御膳』なる豪華な昼食を食べてしまいました。
 さて、館内のさかなクンコーナーでは、さかなクンが造った(のかどうかは定かでないが)、3体の魚型ロボット=「ギョボット」が魅力的!
 「え〜〜〜〜〜っ!? さかなクンってロボットなの!?」 【初瀬野アルファ】
 「は!?…まさか わからなかったとか…?」 【鷹津ギョギョネ】
 「そんなの言われなきゃ わかんないよ…」
 「わかりますよ!雰囲気とか 頭がハコフグちゃんやホテイウオちゃんとか…」
 「そっ そうなの?」
 《脳内劇場・第8話『ギョギョ1/1』 より》 (←おい、この茶番劇やめろ!)

 で、いつになったら洲崎に行くんだよ!?とお思いでしょうが、スミマセン…。間もなく着きますよー。↓ハイ、着いたー!!
▲灯台への階段が昭和っぽい。今じゃこの味、出せないなぁ。 ▲灯台にはスイセンが良く似合います。

 さかなクンに思わぬ時間を取られたので(←さかなクンのせいにするな!)、館山から洲崎までは一気走り。
 「道中にある香(こうやつ)とか見物海岸も雰囲気良いよ?」とか誰かに言われましたが、とてもそんな時間はありません。で、まぁ、その洲崎も、実際は取り立ててどうということはありませんでした。まぁ、敢えて言うことでもないので書きませんが、洲崎の先端周辺あたりは「むむむ…?」とか「何だかなァ…」という思いが多かったです。なので、ここでは洲埼灯台のみに焦点をあてていきましょう。
 洲灯台(灯台には、やっぱりこの字を充てるのです)は剱埼灯台とともに、東京湾の玄関口の目印として重要な役割を果たす灯台。この2つの灯台を結んだ境界線までが地理上の「東京湾」であり、また細分的には富津〜観音崎から剱崎〜洲崎のエリアを「浦賀水道」とも呼びます。ヨコハマ買い出し紀行・第38話のタイトル「海の河」とは、この浦賀水道のことを示しているんですね。(←ま、前々から知ってましたよ(汗)…ヤだなぁ。)
 灯台前に設置された解説板によると、洲埼灯台の光り方は「単閃互光」(毎30秒に1閃光・1閃光)で、対する剱埼灯台は「複合群閃互光」(毎30秒に2閃光・1閃光)という光のパターンで光っているのだそうです。
 「あぁ!剱埼灯台って緑色だったよ そういえば」(※ヨコハマ・ラジオドラマ『午後1/1』の椎名へきる風に言ってみよう。←だから何だという話だが。)
 そうか、個々の灯台を色や閃光回数で見分けてる訳なのですね。とすると、もしもあの「海の河」のエピソードが映像化(もしくはフルカラー化)されるとしたら、きっと剱埼と洲埼の光源は幻想的な色彩で描かれた、とても美しい作品になるのであろうと、想像を膨らませずにはいられませんでした。
 洲埼灯台の高台から対岸の三浦半島を見つけ、その先端へと辿っていくと、そこには確かに剱埼灯台が。2つの海の道標は、今日も静かに東京湾の玄関口を守り続けているのです。
洲埼灯台から館山湾を望む。
あっ!対岸に剱埼灯台が見える!
急で長い階段が本殿まで続く洲崎神社。

 というわけで、残すは今回のメインである原岡桟橋での日没&レトロ電灯ライトアップだけとなりました。
 寒いよ?平日だよ?人来ないでしょ?という微かな期待も虚しく、再び原岡海岸に戻って来てみると、浜辺にある小さな駐車場はすでに満杯。
 「あー…やっぱりねぇ…。」と項垂れつつも、とりあえずは駐車スペースを確保できたことには一安心。こういう時ばかりは、つくづくバイクで来て良かったなーと思います。(くそ寒いけど)
 午前中同様、人や車は散発的に来たり帰ったりを繰り返していますが、車は分かるとして、歩いて訪れる人は、一体どこからやって来るのでしょう?国道あたりに車を停めて歩いて来るのか、あるいは電車か、泊っている宿から来るのか?とにかく何処からともなく湧いて出てくるので、それがなんとも不思議な光景でした。この有様では、もはや突堤上に無人の状態の写真撮影というのはほぼ不可能なので、ここはもう割り切るしかありません。
 しかしながら、突堤上に人がいるという状況も、それもまた味のあるもの。船が着岸することのない鄙びた桟橋に、人々が向かい、そして帰って来る…。それはあたかも、幽明を隔てる船着場に往来が見えるかのような奇妙な1シーン。……おぉっと、少しコトノバドライブが入ってしまいましたか。
▲午後3時、再び原岡桟橋へと戻ってきました。 ▲突堤へ向かう人、戻る人。沖には大型船。不思議な光景。

 夕暮れ時が近くなると、そんな不思議な気分も打ち消すように、俄然人々が集まり賑やかになってきます。ここは桟橋以外にも夕陽・富士見の名所でもあるので、天気の良い日は必然的にこうなってしまうようです。
 「…ちょっとこれ、どうするかなぁー?こんなんじゃあ、静かなムードの夕景なんて期待できそうにそうにないし…、富士山も隠れてしまったし。」
 辺りの状況を見て、急に迷いが生じてきました。ここは潔く諦めて明るいうちに帰るか?日没まで時間の許す限り粘って、久里浜行きフェリーの最終便に滑り込むか?でも、間に合わなかったらどうしよう?柿は重いし、宿なんてないし…。(←無理矢理ヨコハマネタをブチ込むな!)
 そんな葛藤で、しきりに太陽の動きと時間を気にしている私の様子を見かねたのか、不意に助言をしてくれた人がいました。
 「冬は(大房)岬の向こうに日が沈んでしまうんだよ。夏場は富士山の真下に陽が落ちるから、「ゴールデン富士」なんて呼ばれて見事なもんだが。」
 そう言いながら、フランクに話しかけてくれたのは地元のオッチャン。あ、あれー?私の心配事はそういう事じゃないんだけど…。まぁいいや、この際だからということで、電燈の点灯時間や、桟橋や原岡のかつての様子などを伺ってみることにしました。(というか、こちらが質問するまでもなく、ほぼ一方的に色々と話してくれたのですが…。)
 オッチャンが言うことには、電燈は以前は5時くらいから点灯されていましたが、観光客の増加やそれに伴う要望で、少し早めの4時半あたりから灯り始めるようになったそう。これは近年、ロケ地として数多く採用されたことにより、千葉県が観光資源としてもかなり注目しているためで、補助金なども積極的に投入され、突堤や電灯の修復費用など、あちこちが迅速・意欲的に補修されているということです。
 あぁ、それでなんですねー。木製桟橋や電柱、電灯傘など、一見レトロには見えるのですが、そのどれもが最近のモノのように思えて、枯れたような侘び寂び感があまり感じられなかったのは。でも、それは仕方のないこと。この電灯傘や桟橋は台風や嵐によって約2〜3年おきに壊されてしまうので、その都度直していたのです。その時に、なるべくこの桟橋のイメージを壊さぬよう、敢えて以前と同じような形状や古色を施した修復を行なうことにより、今日までのその姿を維持していたのです。なんだかけっこう、涙ぐましい努力があったワケなのですね。
 その他、ここはかつて海水浴場としても栄えていて、2008年までは青学のキャンプストア(学生が運営する所謂「海の家」)があったり、彼らが寮として使用していた趣きのある漁協の建物(原岡漁民会館)があったが取り壊されてしまったこと。こんな何も無い浜に公衆トイレが2ヶ所もあるのは、海水浴場時代の名残りであること。この公衆トイレが全面撤去の動きになったが、ロケ地訪問客の増加により、1ヶ所存続が決まったことなどなど、実にいろいろな話を聞かせてくれて、それは大変に有難かったのですが、とにかく話題が途切れることが無いので困惑することしきりでした。結果、私の葛藤をよそに時間はどんどん過ぎ去り、もはや残された選択肢は、【フェリーの最終便に絶対確実に乗る!】という道しかない状況となってしまいました。
 ふと気づくと、いつの間にやら電灯傘の下からは、微かな弱々しい光が漏れ始めています。ここまで来たら日没まで!いやいや電灯の光が夕闇に映えるその時まで、覚悟を決めて付き合いましょう!
午後4時半過ぎ、電球が灯り始める。
青学生が記念に突堤に埋め込んだプレート。
いよいよ日没間近。

 日没間近、異様なことに、この原岡桟橋の狭い一地点だけは人が集まり続け、まるで夏休みの海岸のような活気を呈してきていました。
 「こんだけ人が来るんだからさ、もっと駐車場を整備したり、海上イベントを企画したり、キッチンカーを呼び込んだりしたら喜ばれると思うんだけどなぁ。」
 オッチャンはそうした考えを呟きましたが、私は「いやぁ、どうなんでしょう?今現在来ている人は、静かで素朴な桟橋の姿を求めているのでは?」と言うと、ちょっとフクザツな顔をされてしまいました。
 ただ、彼の言わんとしていることも解らなくはありません。オッチャンにとってのこの場所の原風景は、きっとキャンプストアやマリンスポーツが全盛期だった頃の、海水浴客で活気溢れる浜の姿にあるのでしょう。もう一度あの頃のような賑わいを取り戻したいという想いが、そこには込められているのかも知れません。何をもって「原風景」とするのかは、その時々の時代観や人の捉え方によって様々ですが、とりあえず私としては、今はこのくらいの商業主義化しないスタンスと絶妙な素朴感が良いのであり、ロケ地として採用される魅力を維持し続ける肝なのではないかと感じました。
 やがて夕陽が大房岬の稜線に沈む頃、桟橋はその輪郭線をくっきりと浮かび上がらせ、やわらかな灯が海面に光の尾を描き出します。
 たぶん、これだけは変わらないであろう共通の景色として、今も昔もそこにあるような気がしました。
▲夕闇が近くなり、波打ち際に次第に集まり出すカメラマン。 ▲二人きりでいいなァ…。(←憧れるのを、やめましょう。)

 陽が沈んで暫くすると、人々は思いのほか浜から居なくなってしまいました。皆さん、意外にもお目当ては電燈の灯よりも日没だったようです。
 残っているのは本格的に撮影に臨んでいるカメラマンと、たまに呑気に遅れて来るカップル、散歩の人くらい。いや、敢えてそれを見越して来るのでしょうか?あたりは静かな雰囲気を取り戻し、まさに「お祭りのようだった浜辺が ゆっくりと落ち着いてきたあの頃」のような夕凪の時間となりました。
 やがて空が橙色に染まり始めると、彼方の大気もだんだんとクリアになり、富士山も再び姿を現します。
 「…やっぱり、ギリギリまで粘った甲斐があったかな?」
 ふと気づくと、ここに来て、初めてリラックスしながら海を眺めている自分がいました。本来、こうしたことを目的として旅に出ているハズなのに、なかなかこのようなゆったりとした時間を費やせないんですよね……。
 砂浜の流木に腰を下ろし、光の明滅を眺めているうちに、いつしか人々の姿はほとんど消えています。
 理想としていた静かな景色が、そこには展開されていました。

 「・・・・・・・・・・・・・よし、帰るか。」
 夕闇と光の点がコントラストを強めていく中、去り難い気持ちを何度も抑えながら、ゆっくりとバイクのエンジンを始動させました。

 ただし!ここからがフェリー最終便までのリミット走行&東京までの暗闇弾丸走行という、地獄のロードの始まりなんですけどね……。
 「おつかれのイエー」は、まだまだ、まだまだまだまだ先の先です……。
 あぁ、桟橋の灯りの下で、酒飲みたかったなぁ。
▲ついに!誰も居ない夕景の桟橋とバイクの写真が撮れました。 ▲闇が深まり、光の尾が海面上に鮮やかに浮かび上がる。